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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第八十一回 JONY作 「年齢って考える必要ないでしょ」 (テーマ選択『春の海』)

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 俺は店の電話機を充電スタンドに戻すと、読書会の古い会員に店の鍵を渡し、今日の司会と集金を頼んで、駐車場へ急いだ。時刻は午後7時半。まだ風が冷たかった。間違えたことの無いピンナンバーを押し間違え、車を出すのに手間取った。自分が焦っていることに気付き、事故など起こせば余計に遅くなると自分に言い聞かせる。銀座1丁目の裏通りにある名前も聞いたことのないその小さなホテルには平河町から15分掛かって着いた。俺は何か声をかけてきたレセプションの女を無視し、ちょうど扉の開いていた一台しかないエレベーターに飛び乗った。
 802と書かれた部屋のドアを叩くと
 中から
「Jさん?」
と、俺のミクシィネームを呼ぶA子の声が漏れてきた。
 部屋の中は足の踏み場に迷うほど散らかっていた。開きっぱなしのスーツケースから溢れている洋服、転がっているワインの空き瓶、脱いだままのストッキング、折れ曲がったファッション雑誌、袖の裏返ったバスローブ、スマホの充電器とケーブルなどで床は埋め尽くされていた。ダブルベッド一つだけの部屋は狭く、窓の外は隣のビルの壁しか見えなかった。
「ごめんなさい。どうしたらいいか分からなくて。電話しちゃった」
「俺が救急車呼んでいたら大騒ぎになっているぞ」
「Jさんはそんなことしない人だもん」
「俺は必要なときは迷わず救急車でも警察でも直ぐに呼ぶ男だよ」
 カットソーの部屋着を着たA子は真っ赤に泣きはらした目でベッドの端に腰掛け申し訳無さそうに俺を見上げた。俺はA子の左手首を握った。
「君が電話で、今手首を切ったと言ったのはここのこと?」
 左手首の内側には細い二筋の赤い線が走っていたが、おそらく血が出たとしても滲んだ程度の浅い傷だった。
「そう。死のうと思ったんだけど、怖くなっちゃって」
「で、Bは?」
「出て行ったわ。私が追い出したの」
 思い出したように、A子の目からは大粒の涙が溢れでてきて、顔を伏せると声をあげて泣き出した。

 事の顛末はこうである。A子もBも読書会の会員で、A子は東京郊外に住む46才の裕福な専業主婦、Bは親の家で部屋住みで暮らす28才の作家志望のフリーターである。二人は出会ってすぐに恋に落ち、やがて深い仲になった。Bは何を考えたのかA子に求婚した。マンネリ化した生活に疲れていたA子は舞い上がり、後先考えずに家をでて、Bとこの銀座の場末の小さなホテルにしけこんだというわけだった。

泣いているA子に
「ここに来てどのくらいになるの?」
と訊けば、
「ええと先週の木曜日からだから一週間」
との答だった。
「判った。これからどうしたらいいか一緒に考えよう。このホテルにバーはあるの?」
「バーはないけど一階にダイナーPというのがあるわ」

 A子は、20分以上も俺を待たせて、ダイナーPに降りてきた。彼女は、黒のブラウスに深紅のスカートを身にまとい、綺麗に化粧してダイヤのネックレスをしてきていた。場末のしょぼい夜の食堂の疲れた男の客だちを振り返らせる大人の色気を放っていた。俺は自分が飲んでいたコーヒーのお替りとピスタチオアーモンド、A子のためのグラスの白を頼んだ。
「夫に何と言って家を出てきたんだ?」
「『出ていきます。お世話になりました。探さないでください』というメールを出したわ。夫からの返信は、50通位きたわ」
そう言って、A子は自分のスマホを俺に渡した。
 確かに受信箱には夫からのメールが並んでいた。その内容は『娘は元気にやっている』、『金はあるか』、『戻ってきてほしい』などだった。A子から夫のメールへの返信は一切なかった。A子の家族は一部上場企業の取締役の夫の他に大学生の娘が1人いた。
「子供とは連絡してるの?」
「ええ。毎日電話で話しているわ。娘には何でも話しているの。私のこと応援してくれているわ」
「娘と父親は仲がいいのか」
「ううん。娘は、昔から夫のことが嫌いよ。顔も合わせないわ」
「じゃ、子供からバレることはないな?」
「それは、絶対に無いわ」
「そうしたら簡単だ。Bとのことは夫には一切言うな。絶対に言うなよ。夫のことを何て呼んでいる?」
「家で?えーっと・・・パパ・・・・・・よ」
 俺は、A子の携帯を使って、夫への7日ぶりの返信メールを作った。
『 パパへ ごめんなさい。自分のことがすごく無力でみじめに思えたので、自分の力で働いてお金を稼いで一人暮らしして生きて見たくなって、家をでたけど、やはり無理でした。もう、一人は懲りたので、明日は家に帰ります。迷惑をかけて本当にごめんなさい。 A子 』
「どうだ?君の言葉遣いと違うところがあれば直してくれ」
「え?このままで、別に変じゃないけど。これで通るかしら」
「ほかに君が家出をする理由がなにかあるか?」
A子はしばらく考え込んだままだったが
「ないわ。これでいくわ」
A子はメールを送信した。
「でも、夫から、どこで働いていたんだと突っ込まれたらどうしよう」
「俺のBARで働いていたと言えばいいさ」
「ほんとうにごめんね」
「そう思うなら、これからは、何かしでかす前に、相談してくれよ」
「Bさんのことは、一度、相談したじゃない」
 そう、たしかに、俺はA子から、1か月ほど前に、Bのことで相談をされたことがあった。だが、その内容は、A子が、自分の年齢や夫・子供のいることをBに話すべきかという相談だった。俺はその時、A子に、『君が本気なら、Bに、全部話すべきだ。それでだめになるようなら、どうせ遅かれ早かれ別れる相手だから』とアドバイスした。A子は、俺が言った通りに、涙ながらにBに自分の本当の年齢はBよりも18も年上の46才で、夫と大学生の娘(こっちのほうがBと年齢が近かった)と暮らしていると打ち明けた。そうしたら、なぜかそれが、どうも決定的な後押しになったようで、A子はプロポーズされたのだった。人間の心理はまこと謎だらけだだが、おそらく、BはA子のような皆に人気のある美女が地味な自分とつきあってくれるのに何故だろうと疑問を持っていたのだろう。それがA子の告白で、勝手に『A子は年齢にコンプレックスを持ち、不幸な環境から逃れたがっている』と解釈して自分に自信を持ったのではないか。俺は、ただ恋人に自分は既婚者であると告げて、家も、恋も、両方とも、良い関係を永続させることをアドバイスしたつもりだったのだが。
 俺は、窓の外の人通りの絶えた細い銀座の裏通りに並ぶ、洒落たカフェやイテリアンレストランを眺めなら、コーヒーを啜った。
「なぜ、Bを捨てたんだ?」
 A子は1分ほど黙って、安物の白ワインのグラスをいじっていたが、やがて吐き出すように言った。
「だって、私たち将来、ダメになるでしょ」
 たしかに、5年後(A子が51歳でBが33歳)、10年後(56と38)、20年後(66と48)をイメージしたら、怖くなるのも判る気した。でも、Bもバカじゃない。それを受け入れたうえで、A子に自分の人生を賭けたのだ。
 俺は軽い調子で、
「でも、この1週間、めっちゃ濃い経験ができただろう?それに、君の夫のメールの嵐。すげえ夫に愛されているじゃないか」
と言い、続けて、
「Bとも、しばらくたってほとぼりが冷めたら、そうだな、半年もしたら、また、連絡すればいい」
と言った。
「えー。そんなの無理よ。会えるわけないわ」
「そんなことないさ。君のことを心から愛してくれる深いエニシの男ってのは貴重だよ。この家出事件も秘密の思い出として二人で話せる日がくるさ」
「そうなのかな」
A子は黙り、凝ったデザインのグレーの爪でピスタチオの殻を剥くと、ピンクの口紅の唇の中に放り込み、カリリといい音をさせた。そして俺にすがるような目で言った。
「私このホテルの部屋に一人で泊まるの嫌だな」
「俺には午前4時の門限ってものがあるんだよ」
「そうか。Jさん家族持ちだもんね」
「君だって立派な家族持ちだろ?送っていくから直ぐにチェックアウトしろよ」

 A子が、アメックスプラチナの家族カードで精算をしようとしたら
「今日までの分はお連れさまからいただきました」
と言われた。
 フリーターのBにとってはそこそこ大変な出費だったろうに。
 俺はA子を助手席に乗せ、なぜかこの辺では、川底を走っている首都高に入った。気のせいか微かに『春の海』の潮の香がした。
 時刻はそろそろ明日になろうとしていた。
(終わり)


コメント(2)

コーネル・ウールリッチみたいで、すごくイイです。この時点ですでに起きてるんですよね。主人公Jが巻き込まれながら難事件を解決していくのが楽しみです。
まさに名探偵JONYの事件簿ですね〜!
とてもリアリティがあって、ドキドキしながら読ませていただきましたぴかぴか(新しい)

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