半蔵門かきもの倶楽部コミュの第六十五回　　JONY作　「嫌いじゃない孤独」　（テーマ選択「孤独」）

　地下鉄の駅を出ると、いつの間にか、細い雨が降り始めていた。何ブロックか先まで歩かなければならないので、駅前のコンビニで傘を買おうかと一瞬迷うが、こうして増えるビニル傘が今月もう３本目であることを思い、濡れて行くことにする。肺結核の病巣のような色合いの都心の裏町に静かに降り続く雨が、俺の肩に、髪の毛に、細かい水滴を作っていく。すれ違う人たちは皆マスクをし表情の無い顔で濡れた道路を見ながら通り過ぎる。５分ほど通い慣れた道を歩いて黄色の小さな建物にたどり着いた。ＣａｆｅＢａｒと書かれたガラスのドアの鍵を開けて店の中に入る。灯りを点けると、見慣れたカウンターや酒の並んだ棚が浮かび上がる。ここを始めて何年になるだろう。もう、１０年か。始めたころは、新しいことをして見るのも面白いと、今までやったことがないからやってみるというだけの理由で、やり始めた俺も、１０年も続けていれば、本物のバーのマスターになっちまったということだろう。人間嫌いのこの俺が水商売とは皮肉なものだ。
　2020年。永く歴史に残るだろう世界的パンデミックの年。日本も例外ではなく、緊急事態宣言なるものが発令され、４月５月のほぼ二か月というもの、飲食店は営業自粛を余儀なくされた。俺の店もその期間、閉店した。店を開けないという日々は最初の頃は違和感があったが1週間も経つと慣れてしまい、俺は与えられた自由な時間で、一人、車を運転し関東の山や海や神社を巡った。道が、高速が、こんなにも空いていて良いものだろうか。道路の電光掲示板に、渋滞表示の替わりに「不要不急の外出はしないで」「今は○○県に来ないで」と出ている。こんな非常事態に、ただ、山の中腹の遅咲きの桜を見に来るなんて、東南アジアの国なら警官に殴られているだろう。この所謂自粛期間のあいだ中、俺はほぼ誰とも会わず、ただひたすら長い海岸線や野山を車で走り回った。
　そして、そんな静かな日々は、緊急事態宣言解除と伴に終わりを告げた。店を休む理由が無くなってしまったことを残念に思う自分を発見した。10年続けている店を開けない理由は無い。開ければ僅かだが金は入る。だが子供の無い俺にとって、他に金の入ってくる無人店舗があるのだから、今更金を稼ぐ意味は薄い。俺は人間嫌いなのにＢａｒなんかを続けて客と会い続けているのは、間違っているのだろうか？
　俺は、習慣的に、店の中のオーディオでコルトレーンのジャズをかけ、コーヒーメーカーに豆と水を入れて、扉の外にＯＰＥＮの板きれを下げた。宣言は解除されたとは言え、未だパンデミックの影響で、街の人通りは少ない。今夜は、客が来ないかもしれないなと思い、むしろ、そのほうがいいと思っている自分に気づき、俺はこんな店をやっていて本当に良いのだろうかと再び思う。
　ロックグラスに大き目の氷を二つ三つ入れてバランタインを注ぎ、客用の椅子に自分専用の大きなクッションを置いて、文庫本を広げる。『ポール・オースター　幽霊たち』。読み進むに連れて主人公と一体化して行き自分がニューヨークの裏町の探偵事務所にいるのか、東京の裏町のバーにいるのか判然としなくなる。
　ピンポーン。いきなり、外側の扉を通過すると鳴るセンサーが鳴った。しばらくして、おどおどとした様子の若い女がマスクを外しながら一人でガラスのドアを開けて中を覗いた。
「いらっしゃい」
「あのう、Ｊさんという方に占っていただけると聞いたのですけど」
女は俺の通称を口に出した。読書会あたりの誰かに聞いたのだろう。女はよく見れば美しい顔の骨格を持っていたが、化粧が下手で、せっかくの素材を自ら台無しにしている。
俺は女をカウンターに座らせ、飲み物の注文を聞いた。
女が占ってほしいのは、彼女の恋人のＡという５０歳になる男との間で妊娠した子供を産むべきかどうかだった。彼女は３５歳。１５歳年上の恋人Ａとの関係は8年にもなっていた。俺は、タロットの大アルカナだけを使い、裏返しに三枚のカードを三角形に並べながら言った。
「君はそのＡと結婚したいの？」
「したいけど、Ａさんは、奥さんのいる人だから」
「Ａは奥さんといつか離婚するようなことを言ったの？」
「いいえ」
「じゃあ、君はＡに奥さんと別れてほしいみたいなことを頼んだの？」
「いいえ」
「じゃあ、Ａとは今後どうしたいの？」
女は黙った。カウンターの上のハーブティーのカップを見つめて顔を上げなかった。俺は話題を変えた。
「子供はやはりいつかは欲しい？」
「はい」
「お医者さんには行ったの？」
「ええ。私の場合、もう１２週目なので手術するともう二度と赤ちゃんは産めないかもしれないって言われました」
彼女にとって、岐路の選択をしなければならない場面は、いままでの３５年の人生で、何回あったろうか？これまでの選択は間違ったら引き返せばよかったといえる。例えば大学を間違ったなら入り直せば良い。しかし、今回は違う。やりなおしはきかない。だから怪しげな占いにまで救いを求めるのだろう。
「Ａさんはどう言っている？」
「まだ、話していません」
俺は、思わずため息をついた。占い師がしてはいけない行動の一つだ。俺は咳払いをしてごまかした。
「じゃあ、占うね。これが今の現状だよ」
カウンターの上に並べた左下のカードをめくる。『塔』のカードが逆位置で出た。
女はかたずをのんで俺の顔とカードを見比べた。俺は解説を始めた。
「雷が落ちて塔から人が真っ逆さまに落ちている。突然のアクシデント。天地異変。この雷は妊娠のことだね。でも、逆位置にでてるでしょ。だから、そのままじゃないんだ。正位置なら悲劇とか不幸だけど、逆位置なので、改革とか開放とか革命とか、ある意味、良いようにとらえることができるんだ」
女は何も言わない。俺はそのまま続けた。
「このカードは、君の心の中だよ」
『月』のカードが正位置で出た。
「月が欠けていくように不安を表している。将来が見通せない不安だよね」
俺はさらに続ける。
「これは、君の未来だ」
『運命の輪』のカードが正位置で出た。
「この輪っかが運命なんだよ。それがくるくる回っている。変化とか、転換とか、新たな出会いとか」
そこで、俺は、ちょっと考えた。産む産まないどちらでも、説明はつく。というか、そもそもタロットなんてものは、いくらでも使い手の意図を反映できるようにできている。俺は、自分のグラスのウイスキーを一口飲んで、話し始めた。
「占いの結論を言うね。てか、もう、君の中で結論はでているよね。占いの結果はそれを確認するだけだよ。予定通り、君が思っている通り、産めばいいよ。君は赤ちゃんを受胎したとき、心の中のどこかで、出来てもかまわない、否、潜在的に子供が欲しい気持ちがあったから、十分な避妊を怠ったんだ。君の願い通り子供を授かったのに、どこに、迷う必要があるの。一緒に住む相手は今後いくらでも出てくる。でも自分の子供はそういうわけにいかないよ。３５歳でしょ。今、産むか、一生産まないか。子供を持ったら人生変わるよ。俺は、子供がいないんであまり説得力ないんだけどね」
「シングルマザーですか」
「シングルでなくても良いでしょ。子供は心から愛したAの子供で、それとは別に、一緒に暮らしやすい人と一緒に暮らしたらいいでしょ。籍を入れてもいいし」
「そんな人でてくるでしょうか」
「でてくるさ。君ならすぐに」
「じゃ、Aさんとは別れるってことですね」
「なんで、そうなるのさ。君はAと別れることなんかできないよ。Aとはこれからもずっと付き合っていくのさ。君がだれか別の男と、あ、女でもいいけど、一緒に暮らすようになったら、むしろ、Aと対等に付き合えるようになるよ。それこそが二人の愛だけの繋がりの世界でしょ」
女は俺の顔を穴の開くほど見つめて、
「良いのかな？親にも言ってないんだけど」
と、ボソッとつぶやいた。
「良いに決まっているだろ。親は君が幸せになることだけ願っているさ。産んで後悔するのと、産まずに後悔するのなら、どっちがいい？」
女はまた黙ってしまう。
「産んで後悔するほうがずっと良いさ。だって、その後悔は産まれた子供についてのことだろ？あるいは子供がいることでの悩みだろ？そういう新しい悩みで苦しんでみろよ。どうせ、何をしても悩み苦しむんだよ。だったらいろんな悩みを経験できるほうが良いじゃないか」
「そうかな」
「産んでみろよ。赤ちゃんかわいいぞ。君の人生が一変するぞ」
女は、あまり納得がいかないような表情で帰っていった。俺は間違ったアドバイスをしたのだろうか。しかし、どう考え直しても、俺には同じ結論しかでなかった。女は占い師の選択を間違ったのだろう。もしくは、既婚者のＡとの恋に嵌まった時点で人生の選択を間違ったのだ。
俺も、こんな店をやり続けちまって、都会の裏町に嵌まり込んでしまっている。このコロナ禍が、田舎の森や果てしない海岸線や隠れた湖の静けさが、俺に、もっと違う人生の過ごし方を示唆しているはずなのに。３５歳をとっくに過ぎてしまったから、もう、改革とか変革とか開放とかには無縁になっちまったのだろうか。
俺は、カウンターの上に残されたタロットカードの束から、目をつむって１枚のカードを引いてみた。『吊るされた男』が正位置で出た。殉教者のカードともいう。男性が手足を縛られて逆さまに吊るされている図柄である。タロットの解説書には「試練」「修行」とある。
この小さな店を続けて、人間嫌いの俺も、他者と接することを学び、修行することを求められているのか。それとも、もっと広い意味の人生の修行だろうか。
　俺は、気を取り直すために、オーディオに近づき、ＣＤの棚から、ボサノヴァを取り出した。今夜はもう客は来ないだろう。テーブルの上に足を乗せて腹の上に手を組み、目を瞑って、ウイスキーの酔いに身を任せた。
　目を瞑ると、バンコックのカオサンストリートの安宿で、日本語教師をしながら、ベトナム人の女と暮らす情景が浮かんできた。
（終わり）

コメント(4)

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[1] mixiユーザー 06月07日 00:28

タロットカード自体は詳しくはないのですが、ジョジョの奇妙な冒険第三部でも登場するタロットカードの中でも非常に大事な「吊るされた男」が描写されていたので、興味深く楽しく読ませていただきました。

究極の岐路に立たされてる女性に対して、やさしく背中を押してあげるような文面ですね。

[3] mixiユーザー 06月08日 00:50

近況を知れたような気分にもなり、また占いもできることを知り、KIYONOに行きたくなりました。
殺伐とした傭兵の世界で味わった孤独を見事に克服（withコロナならぬwith孤独）して、CafeBarを営み、ついには占い師にもなれるわけだから、天は”三”物を与えましたね。（傭兵とBARマスターと占い師）

[4] mixiユーザー 06月15日 20:14

必要最低限の文章だけで、表現するべきことを表現している端正な文章に毎回ため息が出ます。
人生は可能性を選択するというより、いろんな可能性を捨てていくもの、と誰かが言っていたのを思い出しました（宮崎駿だったかな？）。
捨て去った可能性に執着せず、現実を見ていきたいものですが……難しいですよね。
選んだつもりでも、誰かに選ばされているような気もしますし。

『タロットなんてものは、いくらでも使い手の意図を反映できるようにできている』という箇所、どの占いにも当てはまるように思いました！
おみくじで「吉」なんかが出ると、そのときどきのメンタルによって良い方にも悪い方にも捉えられますよね(笑)

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