半蔵門かきもの倶楽部コミュの第六十四回　　JONY作　「5年後」（三題噺　『風』『日本庭園』『こどもの日』）

　約束の時間に少し遅れて、銀座１丁目の裏道りのイタリアンレストランに入る。
　幸いウエイティングルームには誰もいない。
　すぐに、店員に案内されて、入口のドアを入った。そこには気圧を低くした陰圧室があり、入口ドアが閉まると、洗浄室のドアが開く。洗浄室に入って、俺が着ている宇宙服のような防護スーツの上から滅菌シャワーを浴びる。金魚鉢を伏せたようなヘルメット越しに洗浄液がスプレーされるが、その間も、入店上の諸注意と今週のおすすめメニューの案内が聞こえている。
　洗浄が終わると、熱い『風』が吹き付けられて乾かされ、ロッカールームへの扉が開く。５０ばかりの試着室のようなボックスが並ぶ中、グリーンの空きサインが点灯しているボックスに入り、防護スーツを脱いで、置いてあった男性用の不織布の使い捨ての滅菌済シャツとパンツに着替える。護身用の３８口径もボックス内の棚に置いてくる。拳銃一つ持たない状態になるのは、本当に心細いが仕方がない。ボックスは生体認証キーで施錠され、ロッカールームから、検査室へのドアが開く。
　検査室では、検温、採血が行われ、１分ほど待たされるが、その間、備え付けの店のデバイスで飲み物・食べ物の注文を決めるシステムになっているので、時間が余ることはない。
　今夜は、気密室野菜のバーニャカウダ、滅菌ウニのパスタ、無菌室飼育の子牛のソテーに、2021年もののボルドーのカベルネソービニヨンにする。
　検査合格のグリーンが点灯し、俺は、店内へのドアを入った。
　店員は透明アクリル製のヘルメットに使い捨てのビニール製の首から指先まで覆われたコスチュームを着ている。それに対して客はまるでスポーツジムにいるようなほとんど下着のような恰好だ。
　AIのロボットに先導され、予約したﾃｰﾌﾞﾙにはすでに、A子が退屈そうに座ってカンパリソーダを飲んでいた。身体の線を露わにした使い捨ての不織布のセパレーツが色っぽい。
　「Jさん、遅ーい。これもう二杯目だからね」
　A子は、くだけた付き合いの仲間の中で呼ばれている俺の通称を少し酔った口調で呼んだ。
　「ごめん、ごめん。商談が長引いちゃって。でも今度の取引はデカいんだよ。なにせ、新日本政府軍が相手なんだから」
　「すごいね。Jさん。でも、大事なものはお金じゃ買えないんだからね」
　「なかなか、良いこと言うじゃないか。たしかにな。愛とか、時間とか、才能とか」
　「でも、お金がなければ、幸せじゃないけどね」

　言い遅れたが、今は、世界人口を半減させ、未だに治療薬が見つかっていない『最新型コロナウイルス』という空気感染するウイルスが発見された2050年から５年経った2055年だ。
　2050年は、まさに、史上最悪のパンデミックだった。
　19世紀であったら、人類は離島や南極だけにわずかが生き残るだけだったに違いない。しかし、２１世紀半ばの科学技術は80億の世界人口の半数４０億人を生き残らせた。
　４０億人といえば1974年の世界人口だから、自然淘汰が働いたと考えるのが、今や、むしろ人類史学の通説になっている。ちなみに、その半分の２０億人が世界人口だったのは1927年で、１０億人だったのは1804年なのだから、今回のパンデミックは焼け石に水という説があるのも頷ける。
　また、自然淘汰というのは弱肉強食の適者生存という面からも頷ける。というのは、パンデミックで犠牲になるのは、自己防衛のできない経済的弱者だからだ。人口爆発の主な原因でもあった黒人のパンデミックの犠牲者数は白人の１０倍だった。

　俺は、今から５年前の２０５０年、前職の船乗りの職を失って裸同然で日本に帰国した。
　（興味のある方は https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6226350&id=93373721）
　そのときのタイミングがまさに『最新型コロナウイルス』流行の始まりのときだった。
　無職になった俺は、戒厳令下の東京に立って考えた。
　この非常時に求められるものは何だ？
　人類史上ほとんどの時代で共通する最も価値のあるものは何だ？
　セキュリティーだ。
　換言すれば暴力だ。
　生存第一という有無を言わさぬ価値観の前では、倫理も、文化も色を失う。
　帰国までは、これからは東京の裏町で小さなバーでもやって好きな読書ざんまいで人生を送ろうなどと甘っちょろいことを考えていたが、帰国したとたんに、これはそんな事態じゃないぞ、と判った。
　それからの俺の行動は早かった。
　当時、まだ違法だった拳銃を手に入れ、なけなしの金で３Dプリンターを買い、拳銃のコピーを作り、売りまくった。スピードが命だった。金ができると、武器の種類を増やし、あっという間に俺は成功した。
　成功したあとは、どの商売でもそうだが、黙っていても、勝手に人と金が集まってくる。
　そして敵も増えてくる。
　俺の日常は秘書と運転手とボディガードなしでは回らないようになっていった。
　現在では、自分がCEOをしている新ダイヤモンド・プリンセス銃器という会社を上場させるところまできた。もし上場に成功すれば、莫大な創業者利益を手に俺は引退するつもりだった。子供のいない俺にとって会社は誰が跡を継いでも構わない。俺が引退すれば、俺のことを消したがっている同業ライバル連中も、俺の会社の取締役連中もさぞ喜ぶだろう。

　「Jさん、何ぼんやりしているの？」
　A子の声で我に帰り、乾杯用にグラスでシャンパンを頼む。
　Ａ子は、俺が今の商売に鞍替えしてから知り合ったガールフレンドだ。商売を立ち上げた最初の頃は金の無い俺とファーストフード店でデートしていて、二人とも、それで結構幸せだった。
　まだ何者でもなかった既婚者の俺のことを愛してくれたＡ子にはいくら感謝してもし足りない。

　「なあ、時間とれるなら、今年の夏休み、沖縄の離島のGアイランドに旅行しないか？」
　「Gアイランド？」
　「聞いたことないか？　ITのG社が開発した無人島だよ」
　G社は早くから情報というものの価値をどこよりも見抜いていた企業で、パンデミックで直接人と人が接することができなくなった2020年を躍進の年として、今やどんな大国よりも強大な世界企業になっていた。俺は説明を続けた。
　「海流の関係でその島の空気には、『最新型コロナウイルス』は検出されていないんだよ。徹底した安全管理で入島する人間や資材のチェックで未だにウイルスは検出されていない。その島では防護服を着ずに生活できるんだ」
　「ええ？防ウイルスマスクもいらないの？」
　防ウイルスマスクというのは、２０２０年の飛沫接触感染ウイルスの「新型コロナ」パンデミックの教訓から開発されたウイルスを通さないマスクだ。A子の産まれた２０３０年には外出時に防ウイルスマスクをつけるのは社会常識になっていた。このマスクは空気感染する2050年の最新型ウイルスにも多少の防護効果はあったが、完全に防御するには専用の防護スーツでなければならなかった。

　「そうさ。戸外でもマスクなしで過ごせるんだ」
　「嘘みたい」
　この５年というもの、防護スーツが買えない国民の８０％を占める貧民層でさえ、防ウイルスマスクなしで屋外にでることなど考えられなかった。

　「今や、安全ほど魅力に満ちたものはないからな。最高の場所さ」
　そう言いながら、５年前、俺が乗っていた船もその最高の場所の１つだったと思い出さざるを得なかった。船のことを思い出すと胸が痛かった。
　「どうしたの。Jさん、暗い顔して。やっぱり、奥さんのこと？」
　A子の心配そうな顔を見て、俺は、胸が痛んだ。既婚者の俺との恋はともすれば彼女に棘のような痛みを与えることも多い。
　そして、彼女の勘は今回も当たっていた。実は今回の旅行は、Gアイランドの下見を兼ねていて、気に入れば島にあるG社開発の高級分譲住宅街の邸宅を購入し会社引退後に妻と移住するつもりだった。これからは庭に英国式ガーデンや『日本庭園』でも造ってのんびりすごすつもりだった。
　「バカだな。そんなんじゃないよ。この旅行は、飛行機もG社のプライベートジェットで行くんだ。そこらのファーストクラスとは比べ物にならない豪華さだぞ」
　
　そのとき、いきなり料理を乗せたトレーを持ったウエートレスが血相を変えて近づいてきた。
　俺の危険を察知する動物的勘はとっさにＡ子を庇って彼女に多い被った。
　ウエイトレスは、トレーの下に隠し持っていた『こどもの日』の鯉のぼりをかたどったナプキンから、オートマチック拳銃を取り出して発砲してきた。
　俺は、伏せながら片手でﾃｰﾌﾞﾙをひっくり返して銃弾の盾にしたが、至近距離から発射された４５口径の弾を防ぐことはできなかった。
　弾丸はテーブルのマホガニーの板を貫通し俺の脇腹に食い込んだ。
　痛いというより、火箸を差し込まれたように熱く感じた。
　二発目を発射されると同時に、俺の投げつけた食事用の銀のナイフが狙撃したウエートレスの手にあたり、銃弾は床に当たった。
　直後、近くにいたウエイターが、拳銃を持ったウエイトレスを押さえ込んだ。

　俺は、薄れゆく意識の中で、なぜ今夜の俺の行動の情報が敵に漏れたのだろうと考えた。このレストランに来ることを前もって知っていた人間。まさか。
　Aを見ると、泣いていたが、その表情は驚きではなく、謝罪をあらわしていた。
　「A子。俺を売ったな」
　「ごめん。Jさん本当にごめん」
　「いくら貰った？」
　「い、１億円。許して」
　大事なものは金では買えない筈じゃなかったのか。
　敵にとって、俺の命は、１億で買えたってことか。
　俺が甘かった。A子が、金に困っていると判らなかった。
　この上は、その１億で金がないことの不幸からこの子がうまく抜け出せるといいのだが。
　（終わり）

コメント(1)

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[1] mixiユーザー 05月16日 17:25

うーん、ハードボイルド！最後の一文までかっこいいです。唸ってしまいました。
「この上は、その１億で金がないことの不幸からこの子がうまく抜け出せるといいのだが。」
この一文が、主人公の性格にさらに深みを与えていて、痺れました。

また、このご時世において、特に引き付けられる設定だと感じました。
冒頭を読めば誰しもが「アフターコロナのことを書いてるんだよね」と思い、拳銃が出てくるところで「ん？」となり、
二段落目で「そうか、近未来のことで、もしやパラレルワールドなのか！」と気づく。そして設定にぐいぐい引き込まれていく……。すごい魅力的な物語になっていると感じました。

設定の中で、貧富のことや弱肉強食について触れられているのも、なんとも胸にズーンときますね。
あくまで個人的には、ですが、世界が大きく混乱したり、そこからひっくり返すような革命が起きたときは、むしろ弱者が強いという側面もあるので、そんな世界も見てみたい気がしました。（あくまでも個人的な好みです）

私たちのこれからの未来についても、つい考えさせられてしまう、刺激的な作品でした。せっかくなのでもっと描写的に、長いお話として展開を見てみたい気もしました。
これは言うのも野暮かもしれませんが、主人公は私の会ったことのある誰かに似ている気がしました。そういう現実と虚構が上手に混じったお話は、とても楽しめるものだな、としみじみ思います。

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