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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第六十一回 みけねこ作『スイッチ』

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 俺は、深呼吸をして、目の前に置かれたスイッチを見た。プラスティック製で、クイズ番組の早押しで使えそうな大きな丸いボタンが付いている。顔を上げると、にやりと笑う老婆の顔があった。彼女はしわがれた声で言った。
「それでいいんだね」
「はい」
「じゃ、赤いボタンを押してごらん」
 ゆっくりと赤いボタンを押した。カチッという音がしたが、他には何も起こらなかった。こんなものを押したからって、何が変わるのだろうか。
 老婆は、俺の気持ちなど、どうでもいいようだ。目の前にしわくちゃの手を差し出した。
「一万円」
 俺は、ズボンのポケットから長財布を出し、一万円札を出した。彼女は黙ってお札を受けとると、無造作に箱に入れた。俺は、立ち上がると振り向きもせず、店を出た。

 この店を知ったのは、先週のことだった。一人で飲んだ帰りに「占い」と大きく書かれた文字に引き寄せられるように入ってしまったのだ。酔っぱらった勢いもあったのかもしれないが、自暴自棄になっていた。俺には一年付き合っている彼女がいる。五歳年下の香奈という子だ。彼女とは、趣味でやっている社会人バンドのメンバーとして一緒に活動している。ドラムの浩紀とは大学の同級生だ。そいつの友達つながりで、ベースとボーカルの香奈が集まり、月に一回のペースでスタジオに集まっている。
 香奈は、小柄で昔はアイドルを目指していたらしい。といっても、とりたてて華もなく、見た目は「ふつう」というのが長所のような子だ。彼女は、優しい子だった。けれども、優しいというのは、つまり誰にでも優しいということで、香奈は、色んな男性に声をかけられることが多かった。
 バンドは、中島美嘉のバラードなどをコピーして演奏するのが主で、人前で発表したりすることはなかった。香奈は恥ずかしがりで、メンバーの中でしか歌いたがらなかったし、俺も、そういう彼女を大切にしてきたつもりだ。バランスがおかしくなったのは、あいつが来てからだ。
 もうひとり、ギタリストを入れてもいいか? と浩紀に言われたのは、三か月前のことだった。俺は、中学生のときから部活でクラシックギターをやっていて、バンドでもアコースティックギターを使っていた。ギターがもう一人いたほうが、音に厚みも出るだろうという、メンバー全員意見が一致して、聡というギタリストを迎えることになった。
 聡というギタリストが入ることにより、バンドの音楽性がだんだんと変わってきたのである。バンドに二本ギターが入ると、一人は、バッキングに徹し、一人はソロなど派手なところを演奏するという役割が出来上がってくる。俺は、もともと地味な性格だったが、さらに目立たなくなり、それどころか、聡のせいで、バンドの音楽性はがらっと変わってしまったのである。
 前回、都内のスタジオで集まったとき、聡が次の曲をリクエストしてきたのだ。
「キュウソネコカミの『ギリ昭和』でどう? 俺ら、ちょうどその世代だし」
「え、私、平成だよ」
「香奈ちゃんはいいの。あ、これ、ボーカルは俺やるし」
 聡は、どんどん自分のペースで話を進めていく。俺は苛立った。浩紀を見ると、聡から送られた音源を聴きながら体を揺らしていた。
「いいじゃん、面白そう。たまには、こういうアップテンポの曲やりたかったんだ」
「うん。楽しそう」
 香奈までが、聡のほうを向いて笑っていた。俺は、香奈と目を合わさずに言った。
「ごめん、今日、用事があって早く帰らないといけないんだ。細かいところはみんなで決めといて」
 立ちあがると、香奈が困ったように眉をしかめた。
「そうなんだ、残念。じゃあ、決めとくね。あ、来月はこことは違うスタジオだから」
 彼女は、ここよりも値段の高いスタジオの名前を言った。
「どうして、ここにしないの?」
「あ、荷物多くてたいへんだからって。駅から近いほうがいいし」
 俺のイライラは最高値に達した。荷物が多いのは、聡の勝手だろ。エフェクターをたくさんアタッシュケースみたいな箱に入れて持ち歩いて。香奈は、それを見て、ギターってこんな音が出るんだ、って感動してたけど、所詮、機械の音じゃないか。俺みたいに楽器ひとつで挑戦してみろ。心ではいつもそんな強いことが言えたが、俺は気が弱くて、そんなことは言えなかった。
「そっか。そうだよな。じゃあ、間違えないように気をつけるよ」
 俺は、逃げるようにスタジオを出た。最近、俺のいないところでメンバーがこそこそしているのも知っている。俺が香奈と付き合っていることは、メンバーには秘密にしている。聡が香奈のことを気にいっているのは、明らかだった。このバンドにギター二人もいらなくね? だとしたら、排除されるのは、俺なのか。聡が来てから、俺はひたすらコード弾きに徹していて、かっこいいところは、全部あいつに取られてしまった。聡のせいだ。あいつが来るまでは、もっとほのぼのとしていたし、香奈は、もともと俺のギターの音色が好きだったんだ。そのまま帰るには、気持ちがおさまらず、チェーン店の居酒屋で一人で飲んだあと、ふらりと立ち寄ったのが、占いの店だったのだ。別に、ふだんから占いを信じているわけではない。その店に惹きつけられたのは、看板に「消したい人がいる方の願い叶えます」と小さく書かれていたのを目にしたからだった。

 雑居ビルの一階にあるその店は、占いという神秘的な雰囲気はなく、狭い事務所のようなところだった。年月を感じさせる皮のソファに座ると、老婆がやってきて説明をしてくれたのだ。
「あなたには、消えて欲しい人がいるのですね」
 俺は、聡の顔を浮かべながら頷いた。
「はい」
「わかりました。確実にその人は、あなたの前から姿を消します。そのせいで、あなたの人生が変わることがありますが、それでもいいですか?」
 俺の頭の中に香奈が浮かんだ。あいつは、香奈のことを好きで付き合おうとしているんだ。あいつになんか渡したくない。聡が消え、俺と香奈が結婚する状況を思い浮かべた。
「はい。大丈夫です」
「料金は、一万円です。では、来週いらっしゃい。それまでに考えが変わったのなら、来なくていいですから」
 俺は、今すぐ、願いを叶えてもらいたかったが、老婆の言うことをきくことにした。あいつが、一万円で俺の目の前からいなくなるのなら、安いもんだ。
 俺は、それからしばらくこちらから香奈に連絡をしなかった。何度も香奈からラインや電話が来ていたが、必要最低限の返事にとどめた。あいつが消えたら、俺から連絡しよう。バンドも、昔のようにバラードに方向転換しよう。みんな聡に汚染されているんだ。元に戻ったら、俺のギターの音で香奈の声を引き立たせてあげる。

 スイッチを押してから数日が過ぎたが、何も起こらなかった。相変わらず、グループラインでも聡が偉そうに仕切っていて、気持ちが乱された。あの一万円は、無駄だったのか。老婆の下品な顔が目に浮かぶ。
仕事から帰って、ビールを飲んでニュースをつけた。今日、新宿で大規模な火災が起こったらしい。安価で有名な雑貨店も巻き込まれ、人が煙に追い出されるように逃げまどう映像が何度も映し出された。俺のスマホが鳴った。浩紀からだった。浩紀の声は震えていた。
「たいへんなことになった」
「どうした?」
「今日、香奈ちゃんと聡が、買い出しに行ってたんだ」
 俺の気持ちがざわついた。やっぱり、あいつら付き合ってたのか。
「何しに?」
「新宿の火災のあったところだよ。来月、おまえの誕生日パーティでサプライズをするために買い出しに行ったんだ」
 俺の心がとまった。
「来月って、次の練習のとき?」
「そうだよ。誕生日パーティーの荷物が多くなるし、スタジオも駅から近いところにしたんだ」
 声が出なかった。
「それで、香奈と連絡取れた?」
「それが、応答がないんだ。聡も」
 負傷者と死者を読み上げるアナウンサーかが、聡と香奈の名を口にした。香奈の名前が頭の中をこだました。

 俺は、テレビの前にしゃがみこんだ。


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