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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第五十六回 みけねこ作 『イチョウの木の下で』

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 大学の講義室は熱気に包まれていた。いつもは講義が行われているこの場所は、H大学のジャズ研の演奏会ステージと化していた。女子大生の私と友人の美香(みか)は、H大学祭に遊びに来ていたのである。
 紙コップのコーラを飲みながら、私は、演奏に聴き入っていた。中でもピアニストの男性に釘付けになっていた。彼は、細身で小柄ながら鍵盤を叩く指は力強く、繊細なフレーズはまるで小川のせせらぎのようだった。
「ねえ、友香子(ゆかこ)、何、真剣に見てんの?」美香は、私の肩を叩いた。
「あのピアノの人すごいと思って」
 美香は、肘で私の腕をつき、小声で言った。
「それよりさ、後ろの人から、あとで一緒にお茶せえへん? って言われてんねんけど」
「あ、いいけど、この人らの演奏、最後まで聴きたいわ」
 美香は、振り返って後列の男子学生とこそこそと話していたが、私のほうに向き直った。
「このピアノの人と友達らしいよ」
「うそー、ぜひ一緒にお願いします」私は、色白で眼鏡をかけた真面目そうな学生に笑顔で答えた。
 アンコールの「枯れ葉」の演奏が終わって会場は拍手に包まれた。興奮冷めやらぬまま、眼鏡の学生と友人のピアニストと四人で講義室を出た。大学の玄関から講義室までイチョウ並木が続き、キャンパス一面を黄色に染めていた。道に絨毯のように積まれたイチョウを音を立てて歩く。女子大生の私と美香は、H大学の学祭に遊びに来ていたのだった。私たちは学内のカフェに入った。

「H大の中にも、ジャズ研は十数個あんねんけど、その中でも小嶋(こじま)のピアノは有名やねん」
 小嶋と呼ばれた男は、綿の白シャツが清潔さをより強調していた。神経質そうな細い指は、大切に扱わないと折れてしまいそうなほどだった。
「何言ってんねん、浅野(あさの)だって、サックス頑張ってるやん」
「え? サックスやってんの? さっき、座席にいたけど」
「あ、小嶋とは違うバンドでやってるから」浅野は照れ隠しのように眼鏡をはずして小さなタオルで拭いた。
 美香が浅野に気を遣うように言った。
「浅野くんのサックスも聴きたかったな」
 社交的な美香は、場の雰囲気を崩さないように誰に対しても気遣いをしてくれる。私の興味はどちらかというと小嶋だった。
「おれは、サックス初心者やし。まだまだ」
「サックスは、何? テナー?アルト?」
「うん、アルト」
「今度、二人で何か演奏してほしいな」
 小嶋と浅野が顔を見合わせて頷いた。
「いいよ。なにしよ」
「グリーンスリーブスでもやるか」
「せやな」

 翌週、私と美香は、彼らの演奏を聴くために貸しスタジオにいた。初心者だとへりくだっていた浅野のサックスは、技術的にはまだ拙いのかも知れないが、胸に染み入るような切ない音を奏でていた。小嶋のピアノは、サックスをひきたてるために控えめだった。
「すごい」
「コンサートに来てるみたいや」
 素直に感動する私たちに、二人は悪い気はしないようだった。全員が大学四年生だったため、最後の学生生活を丁寧に過ごしたいという気持ちは同じだった。それから私たちは四人で会うことが多くなった。
「なんか、卒業式までのカウントダウンやな」
「寂しいな」
「みんな四月からはどこにいくんやろう」
「浅野くんと小嶋くんは東京に行っちゃうんやろうね」
「もし、ばらばらになっても、来年の学祭のときは、後輩の演奏聴きにくるし」
「そうや。このイチョウの木の下で会おうな」

 卒業式が終わり、四月になると私たちはそれぞれの会社に就職した。私と美香は、地元の大阪に配属となり、浅野と小嶋は、東京に行くこととなった。妙に緊張した顔で、大きな荷物を持つ二人を新大阪駅に見送りに行った。
「元気でね」
「まあ、同じ日本やし。近いもんや」
「東京に染まらんといてね」
「なに言ってんねん。ずっと関西弁しゃべったるわ」
 私たちは無理に作ったような顔で笑った。
 のぞみ号が見えなくなるまで手を振った私たちは、抱き合って周りの人が驚くほど大きな声で泣いた。私は自分の左手を見た。中指に小さなルビーのついた指輪が光っていた。昨夜、浅野からもらったものだった。私と浅野が付き合っていることは、他の二人には内緒だった。
 学祭の時にはイチョウの木の下で会おうという約束は、一度しか実現しなかった。というのも、商社に勤務している小嶋がシンガポールに転勤になってしまったからである。東京と大阪の距離は近いようで遠かった。私と浅野の遠距離恋愛もだんだん会う頻度が減り、三年も過ぎると、いつの間にかお互いに連絡をしなくなってしまった。

 私たちの再会は、それから五年たったときだった。
                                       (続)

コメント(7)

>>[1]

大丈夫ですか?
無理はなさらないで、ゆっくりお休みください(^^)
>>[4]

体調良くなられて何よりです(^^)
今日楽しみにしています〜
まだ続きがあるということですが、殺しのない、穏やかな展開のみけねこさんの作品は久しぶり?に読んだ気がします(笑)
光景を連想させる描写がノスタルジックで美しく、つい自分の大学時代のことを思い出しました。
完成版を期待してます(^_^)

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