半蔵門かきもの倶楽部コミュの第五十一回文芸部作品匿名D 『おもちゃの願望』

　その年は、お盆を過ぎても、暑い日が続いていた。
　夏休みに伯父の家で勉強をしていた私は、さっきまで隣にいたはずの姉・真悠子の姿が見えなくなっているのに気付いた。いつの間にか集中して自分の世界に入り込んでいたようだ。姉の大学受験の参考書が開いたままになっている。

　立ち上がって見渡すと、二間続きになっている和室の床の間に飾られた白い百合の花が目に飛び込んできた。花の香りと古い線香の混じった匂いがする。部屋の中は静寂に包まれていて、蝉の鳴き声だけが響いていた。父と母は買い物に行っていて、伯父と伯母は、家にいるはずだった。少し不安を覚えた私は、障子を開け、縁側に出て叫んだ。
「おねえちゃん」
　年月をかけて磨きこまれた床がきしんで、音を立てる。誰の返事もない。外は、もう薄暗くなっていた。庭の池の鯉が時々赤い背中を見せて忙しそうに泳いでいる。目線を上げると、うっすらと灯りが見えた。そこは、伯父の作業場がある離れだった。写真館を経営している伯父は、そこに子供たちが入ることを禁じていた。
　背が高く、彫りの深い顔立ちの伯父に、私は大人の男性として密やかな憧れを持っていた。海外に行くことも多く、子供のいない伯父は、私たち姉妹に珍しいお土産を買ってきてくれた。作業場には写真の道具のほかに、どんなものが置いてあるのだろうか。興味がわいてきて、誰もいないことを確認し、そっと庭におりた。足を忍ばせて離れに向かうと、カーテンの隙間から灯りが漏れているのがわかった。
　私は背伸びをして、隙間から部屋を覗きこんだ。目の前には伯父の背中があった。その先に見えたものは真悠子の横顔だった。ソファに腰かけた彼女は、上半身裸になっていた。サイドテーブルに立てかけられた赤いろうそくの炎が揺れていて、真悠子の姿をなまめかしく照らし出していた。心臓の鼓動は速くなり、足がよろめいた。そばにあった木の幹を掴み、なんとか体勢を整え、深呼吸をした。覗いていたことを伯父に気づかれてはいないだろうか？私は不安になった。靴を脱ぎ、音をたてないよう裸足で庭を横切り、座敷に戻った。

　何事もなかったかのようにノートを開いて宿題をしているふりをしていたが、心が乱れて勉強どころではなくなってしまった。しばらくすると、玄関のほうで音がした。父と母が帰ってきたようだ。
　母が、買い物袋を持って部屋に入ってきた。
「ただいま。友莉子、あら、お姉ちゃんは？」
　私の脳裏に、姉の白い胸が浮かんだ。けれども、伯父の作業場にいることを母に伝えることはできなかった。私は、とぼけて言った。
「知らない。お手洗いなのかな？」
「あ、そう。夕飯作るの手伝ってくれない？」
「いいよ」
　私は、母が姉のことを気にしていないことに安堵した。
　夕食の支度が終わり、座敷に戻ると、いつの間にか姉が座って勉強をしていた。伯父の部屋での出来事は、私の見間違いだったのだろうか。いつもどおりの姉の姿だった。彼女は勉強家で、何をやっても器用にこなすことができた。私は、そんな姉にいつも引け目を感じていた。父も母も、真悠子には一目置いているような気がしていた。伯父だけは、二人に対して平等に接してくれていると信じていたが、やはり姉のことを特別視していたのかと思うとショックだった。
　私は、姉と目を合わせないように、そっけなく言った。
「おねえちゃん、ごはんできたよ」
「わかった。もうすぐいく」
　真悠子は、参考書から目を離さずに答えた。
その晩、伯父、伯母と私たち四人家族で食卓を囲んだ。伯父も姉も、普段と変わらない様子で会話を楽しんでいた。
　この日から、私は姉と少し距離を取るようになっていた。真悠子を見るたび、あの時の光景が思い起こされ、嫌悪感が沸き上がってくるのを止めることができなかった。しかし、それとともに嫉妬にも似た感情をもて余していた。

　二学期が始まると、真悠子は体の不調を訴え、病院に行くとそのまま入院してしまった。元々姉の体が弱いことは知っていたが、入院するほどだとは思わなかった。その夜、私は父に呼ばれた。
　父は思い詰めたように話しはじめた。
「友莉子に黙っていたけど、真悠子は、小さい頃に手術をしていて、再発したときは覚悟してくださいと医者に言われていてね」
　父は、うつむいた。その声は震えていた。
「お姉ちゃん、そんなに悪かったの？　知らなかった」
「真悠子から、おまえには言わないでって言われてたんだ。心配かけたくなかったんだろう」
気丈な姉が言いそうなことだと思った。でも、知らせてくれれば、もっと姉との時間を大切にしたのに。私は、姉に対して冷たい態度を取っていたことを後悔した。
　数日後、病状は急変し、姉は亡くなった。あまりにあっけない死だった。父母は、幼い頃から体が弱かったので、覚悟していたと繰り返し述べていたが、青白く生気が失せた容貌からにじみ出す悲しみをたたえた雰囲気は、参列者の涙を誘った。私は、伯父の作業場での出来事以来、姉を避けていたことを何度も何度も悔いていた。
　しかし、そんな私を当惑させたのは、伯父だった。彼は、火葬場に向かおうとする棺にすがって、声を上げて泣いていたのだ。伯父と姉の間にあった深いかかわりを暗示するようで、私は、伯父に対しても嫌悪感を抱くようになっていた。

　四十九日の法要が終わり、悲しみにくれながらも、少しずつ日常に戻ろうとしていた。そんなある日、母がデパートから帰ってきて、包みを冷蔵庫に入れながら言った。
「伯母さんが大好きなわさび漬けを買ってきたんだけど、明日届けてきてくれる？」
「私が？」正直なところ、伯父の家に行きたくなかった。「明日は、土曜だけど、部活があるし」
「終わってからでいいからお願いね」

　伯父の家は、バスで二十分ほどのところにある。青く澄んだ秋の空は冴えわたり、キンモクセイの香りが街中に漂っていた。私は、母から預かった包みを持って、伯母にわさび漬けを届けに行った。家に着き、玄関に迎えてくれたのは伯母ではなく、伯父だった。
「ゆりちゃん、よく来たね。ちょっと上がって」
「お久しぶりです。これは母が伯母さんに……」
「うん、聞いてるよ。今、外に出てるんだ。ちょっと待ってて。冷たいお茶をいれてあげるから」
　座敷に通され、一人で座っていると、夏休みに姉と宿題をしていたことが思い出された。部屋はしんと静まり返り、壁にかけられた時計がコツコツと時間を刻んでいる。
「ゆりちゃん」
　伯父の声がした。振り向くと、彼がお盆にグラスを乗せて立っていた。彼は、グラスを座卓の上に置くと優しい笑顔を見せた。
「ゆりちゃんに見せたいものがあるんだ」
　伯父は、縁側に出ると、ガラスの引き戸を開け、庭におりた。私は、麦茶を一口飲むと立ち上がり、彼の後をついていった。離れの作業場につくと、彼はドアを開け、振り向いた。
「どうぞ。入っていいよ」
　私は、おそるおそる中に入った。外観は日本家屋だったが、部屋の中は、アンティーク調の家具で統一され、チェストの上には、たくさんのカメラの機材が几帳面に並べられていた。グリーンのベルベッドのソファに目を向けた私は心臓が止まるほど驚いた。真悠子が座っていたからだ。
「お姉ちゃん」
　声を上げて近づくと、それは精巧に作られた等身大の人形だった。
「真悠子ちゃんはね、自分の命が長くないことを知って、自分の姿を人形にして残して欲しいと頼みにきたんだ」
壁を見ると、色んな角度から撮影した真悠子の写真がたくさん貼られていた。姉がこの部屋にいたのは、人形をつくるためだったのだろうか。少し謎が解けた気がした。
「伯父さん、写真だけでなく人形も作るんですね」
その人形は、憂いを持った瞳をしていた。姉を失った悲しみが押し寄せ、胸が苦しくなった。私の後ろで、伯父がカメラの機材を触っていた。カチャカチャと音がする。私の言葉には答えず、彼は姉の頭をゆっくりと撫でた。
「お人形は、一番美しい時を永遠に残せるんだよ」
　確かに、姉の人形は美しかった。私は、夏休みの出来事を思い出した。
「お姉ちゃんはお人形を作るために、この部屋にいたの？」
「そう。ゆりちゃん、覗いてただろ？　気づいてたよ」
　心臓の鼓動が早くなった。この部屋を覗いたとき、伯父は気づいていたのだ。
「あ、あれは、お姉ちゃんを探していて……」
「大丈夫。怒ったりしないさ。真悠子ちゃん人形、可愛いだろう？　ぼくが丹精込めて作ったからね」
　彼が人形を見つめる眼差しは、優しさで溢れていた。伯父と姉がこの部屋にいるのを見てしまったとき、私は、二人に対して穢らわしいものに触れるような態度を取ってしまった。けれども、彼は、愛情を込めて、美しい姉を作り上げていたのだ。伯父は、姉のことを心から愛していたのだと思った。私は、ため息をついた。
「みんなお姉ちゃんが好きなんだね。美人だし、頭もいいし……」
　伯父の大きな手が私の頭の上に乗った。
「何を言っているんだ。ぼくはね、ゆりちゃんが好きなんだよ」
　私は、伯父の言葉に驚いた。
「え？お姉ちゃんより？」
「もちろん。だから君をお人形にしたいんだ」
　私は、人形にしてもらうという言葉に酔っていた。頭がぼんやりとしている。伯父が、私のほうが好きだと言ってくれたことが嬉しかった。
　伯父は、私に背を向け、器具が置いてある棚から何かを取り出した。私は、決心した。自分も姉に負けないくらい綺麗な人形になりたいと思った。
「伯父さん、私の人形を作って」
「ゆりちゃん、ありがとう。特別可愛いのを作るよ。けれども、私の人形になるには条件があるんだ。それを絶対に人に話さないと約束してくれる？」
「もちろん」
　伯父は、蛍光ピンク色の棒状のものを私の目の前で動かし始めた。グロテスクな形をしてうごめいているが、ピンク色のおかげで緩和されていた。伯父は姉の人形を抱きかかえると、窓際に置いた。
「ゆりちゃん、ソファに座ってごらん」
　私は、そっと座った。
「条件ってなに？」
　伯父は、私の横に座り、両手で肩を撫でた。
「それはね、女になってもらうということさ」
　彼の顔が近づき、そのままソファに押し倒された。伯父の指がブラウスのボタンを外し始めた。そのとき、下半身に鋭い刺激が走り、私は、ソファから落ちそうになった。彼はピンクの棒を私の身体に当てたようだ。軽い叫び声を上げると、彼は、優しく抱きしめてくれた。
「これで人形になれるの？」
「そう、でも、まだまだこれからさ。綺麗な人形にしてあげる」
　この先に何が起こるかうすうす察した私は、ただ姉より綺麗な人形になりたいと心から願ったのだった。
(終わり)

コメント(2)

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[1] mixiユーザー 04月08日 00:14

つい最近なのですが、お堅いイメージのNHKで放送する事自体が驚いたのですが、人気アニメ「時空要塞マクロスヒストリー」で番組最後の頃にマクロスを制作した主要な三人の内１人の方が人を魅了する作品の条件に「エロスとタナトス」をあげてました。
マクロスの場合はエロスが「人」タナトスが「ロボット」なんだそうです。
ちょっと話がそれてしまいましたが、この作品はその「エロスとタナトス」が織り込まれてあり、お姉さんのとても悲しい物語で終わらせない素晴らしい作品ですね。

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