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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第四十八回 みけねこ作『青い月』

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 母が倒れたという連絡を受けた私はタクシーで病院に駆け付けた。
 母の持病が再発したらしい。病院は職場から車で十五分の距離だった。病室は、四人部屋だったが、救急の患者が入院する部屋らしく、母しかいなかった。青白い顔で眠る母の規則正しい寝息を聞きながら、点滴の雫が落ちるのを見ていると、看護師がやってきた。
「遠藤(えんどう)さんのご家族の方ですね。具合が悪くなられてすぐに、ご自分で救急車を呼ばれたので、早く処置をすることができました」
「ありがとうございます。母は、大丈夫でしょうか?」
「今、発作はおさまって眠っていらっしゃいます。あとで先生のお話がありますから、お待ちくださいね」
 看護師が忙しそうに部屋から出て行くと、静寂が戻った。ベッドの横の椅子に座り、軽く目をつぶっていると、母の小さな声が聞こえた。
「だ、る、ま」
「え? お母さん、だるまってなに?」
「……と、う、げ」
「だるまとうげ?」
 聞いたことのない地名だった。
「だるまとうげが、どうしたの?」
 母の目は閉じられたまま、唇だけが少し動いていた。寝言を言っているようだ。母の目じりにある皺を見ていると、物心ついたときから母が一人で育ててくれたことを思い出した。
私には、父の思い出がない。親戚の人の話によると、親の反対を押し切って父と結婚したが、父は酒癖が悪く、暴力をふるって、母を困らせてばかりいたらしい。ある日、彼は、家を出たまま帰って来なくなったそうだ。私は、どんなに悪い父でも、会いたい気持ちはあるのだが、母や親戚は、父のことを悪く言うばかりで、捜そうともしなかった。母一人、子一人で育てられた私もまた、夫と離婚して五歳となる娘の茉莉(まり)と二人暮らしである。

 母が倒れてから一か月が過ぎた。病状は、良くも悪くもならなかった。意識は戻らないようで、倒れた日に「だるまとうげ」と言ったきりで、その後、話すことはなかった。「だるまとうげ」を調べてみると、京都にあるようだった。行ったこともないし、今まで母の口からその地名を聞いたこともない。
 入院は長丁場になると覚悟した私が、実家の片付けをしていると、母の手帳から数枚の写真がはらりと落ちた。そこには、山の頂上でポーズを取る母の姿があった。写真の裏には、彼女の字で「ダルマ峠」と書かれていた。数枚の写真は、すべて同じ場所だった。一度だけではなく、何度もその場所に行っているようだ。誰と一緒にこの山に登ったのか、なぜ、何度も足を運んでいるのか、不思議だった。翌日、病院に行くと、静かに眠っている母に向かって聞いてみた。
「ダルマ峠には、何があるの?」
 かすかに、母の瞼が動いた。しかし、固く閉じられた唇から言葉が発せられることはなかった。いつもどおり、呼吸は規則正しいリズムを刻んでいた。

 面会時間が終わり、一緒にお見舞いに来ていた茉莉と病室を出た。冬の澄んだ空にオリオン座がはっきりと見えた。彼女は、立ち止まって上を向き、空を指さした。
「ちいちゃんは、あのお星さまにいるの?」
 茉莉が可愛がっていたハムスターのちいちゃんは、先月死んだばかりだった。悲しみで泣き続ける彼女に、お星さまに引っ越ししたんだよと言い聞かせ、ようやく彼女の気持ちを落ち着かせたのだった。
「そうだよ。ちいちゃんは、お星さまから茉莉のことを見ているよ」
「お星さまに行くときは、穴を掘って、そこから行くんだよね」
 ちいちゃんが死んだとき、茉莉は泣きじゃくりながら、実家の庭に埋めてお墓を作っていた。
「そうだよ。お庭の土の中からお空にお引越ししたんだよ」
「おばあちゃんが言ってた。死んじゃったら土の中に入れてあげると、どんなに悪い人でもいい人になるんだって」
 私は、はっとして足を止めた。頭の中に、ある想像が浮かんだが、手で振り払うように、その考えを外に追いやった。
「そうだね。でも、ちいちゃんは、良い子だったから、あんまり関係ないね。さあ、寒いから早く帰ろう。今日は、茉莉の大好きなカレーだよ」
「わーい、早く帰ろう」
 茉莉は、私の手をにぎり、足早に歩きながら言った。
「今日は、嵐のテレビを見なきゃ」
「テレビは食事が終わってからね」
「うん。今日は、テレビで嵐のコンサートをやるんだって」
 茉莉は、嵐が好きだった。幼稚園でも話題になっているのか、番組についても詳しかった。
「じゃ、おうちに帰って見なきゃね。嵐は、今、話題だから」
 相づちを打ちながら今朝のニュース番組で見た星占いの内容が頭をかすめた。
(取り越し苦労をせず、現状維持につとめましょう、だったわね)
 ダルマ峠。その場所になにがあるかは分からない。けれども、単なる取り越し苦労かもしれないのだ。私は今後、母に「ダルマ峠」のことを聞くのをやめようと思った。

 頬を撫でる風は冷たく、青白い月の周りには、星が輝いていた。

コメント(6)

読みました。
末期にはみんなやはり、告白したくなるんでしょうかね。
以前から申しておりますが長編にチャレンジすべきだと思います。
ごめんなさい、今回伏線に全く気づかず、2度読みしてしまいました……(。>д<) 改めてみると、三大囃を最大限に活用されてる作品なのですが。
ホラーですか!?まさかそういう展開でくるとは全く思わなかったので本当にびっくりして鳥肌が立ちました。
みけねこさんの文章は端正で、しかも作品を重ねるごとにブラッシュアップされている感じがします。
そんな静かなトーンで、すーっと入ってきて、そこからのダルマ峠なので、怖さ倍増でした。

そして、
子供が隣にいて、頭の中では恐ろしいことを考えているんだけど、「ううん、そんなこと考えちゃいけない」と思いつつ、平静を装って子供と接する感じ。ここのリアリティがすごかったです笑。
親ってみんな子供をこんな風に守った?経験があるのかなぁ〜って。
三世代で描いているからこそ、さらに沁みるものがありました。茉莉ちゃんが登場しなかったら、主人公の「ただの気のせいさ〜」の現実逃避で終わっていただけかもしれないですね。
自分のためでなく子供のためにも胸にしまっておく&気がつかないふりをする、そんな母の背中が重なりますね。そこがさりげなくとっても巧みな点だと感じました。
面白かったです。

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