半蔵門かきもの倶楽部コミュの第40回まめや『そらいろテング』

　ずっと昔の昔、昔の遠い昔、そらいろテングは生まれました。
　人間が布きれを身に着けるようになった日を、大きな鉄の塊が空を飛んだ日を、町中が炎に包まれた日を、全部、そらいろテングは知っています。
　青い青い、空の色。真っ青なこの澄んだ体の青色、お空の方に伸びた立派なお鼻、右手には葉っぱを幾枚も紡いで作った大きな扇子。
　そらいろテングは今日も生きています。
　そらいろテングには、お母さんもお父さんもいません。誰も、いません。けれど、寂しくなんてありません。そらいろテングは、孤高のテングです。孤高のテングは、とっても強いのです。
　お空が青くなったら、扇子をひらり、ひとっ飛び。
　いちにちが始まります。
　立派なお鼻がぴくぴくと震えました。行くべきところに着いたようです。そらいろテングは扇子をとじて、お空から降りていきます。
　お庭に大きな柿の木があるお家には、ひとりのおばあさんがいます。
　ご飯、ねぎのお味噌汁、人参の漬物、卵焼き、お昼ご飯を食べています。つやつやの卵焼きをお箸で切って、ひとくち、おばあさんが食べました。
　あぁ、とおばあさんは思いました。
「しょっぱい」おばあさんは言いました。
そして、小さく息を吐きだすと、箸を置きました。おばあさんの目から、涙がこぼれていきます。
　おばあさんは、お砂糖とお塩を間違えてしまったのです。一昨日もしょっぱい卵焼きを作ってしまったばかりでした。
　どうしてかしら、とおばあさんは思います。いつの間にこんなにおばあさんになったのかしら。スーパーのレジでは、小銭入れからすぐに小銭を取り出せなくて、一円玉ばかりが溜まっていきます。二合しか炊いていないご飯が、気がつくと炊飯器の中で乾いています。いつの間に、とおばあさんは思います。
　あぁ。
　一昨日は出なかった涙が、ぽろぽろとこぼれていきます。
　そらいろテングは、お鼻をぐんっと伸ばして、おばあさんの涙を吸い取ります。
　おばあさんがどうして泣いているのか、そらいろテングにはわかりません。
　そらいろテングはおばあさんよりもとても長く生きていますが、生まれたときのまま、まだまだ生きていくからです。
　ずず、ずず、ずずずず、ずず。おばあさんの涙は、真っ直ぐにそらいろテングのお鼻に吸い込まれていきます。
　扇子をひらり、ひとっ飛び。
　動物園のサル山の前には、ひとりの男の子がいます。
　右手はお母さんの手をしっかりと握って、左手は柵格子を掴んで、サルたちを見ています。顔を真っ赤にした子ザルが、真っ赤な顔のお母さんサルの背中にしがみついています。お母さんサルはそのまま、ひょいひょいと土で固められた山を駆け巡ります。
　あぁ、と男の子は思いました。
　お猿さんは、お母さんにおんぶをしてもらったり、お母さんに抱きついたりしても良いのです。「お猿さんになりたいな」と男の子は思いました。
　男の子の目から、涙がこぼれました。お母さんに見つからないように、前を向いたまま、ぽろりぽろり涙はこぼれていきます。
　男の子だから強い子になってね。お母さんは言っています。男の子には、お父さんがいません。お父さんがいなくても、強くて立派な男の子にならないといけません。おんぶや抱っこは赤ちゃんがしてもらうことだと知っています。けれど、時々、ほんの時々、ちょっとだけです。お母さんにぎゅっとしてほしいなと思うのです。
　あぁ。
　小さな目から涙が、ぽろぽろとこぼれていきます。
　そらいろテングは、お鼻をぐんっと伸ばして、男の子の涙を吸い取ります。
　男の子がどうして泣いているのか、そらいろテングにはわかりません。
　そらいろテングはお母さんもお父さんもいませんが、とっても強いのです。孤高のテングのまま、まだまだ生きていくからです。
　ずず、ずず、ずずずず、ずず。男の子の涙は、真っ直ぐにそらいろテングのお鼻に吸い込まれていきます。
　お空の青が終わるころ、扇子をひらり、ひとっ飛び。
　いちにちが終わります。
　そらいろテングにはお家がありません。そこらじゅうが、お家になるのです。
　湖の畔で、そらいろテングは扇子を広げました。両手で扇子の葉っぱを整えれば、お鍋のできあがりです。たくさんの木の実を入れて、それからお鼻をぐんっと伸ばして揺らします。おばあさんと男の子の涙を鍋いっぱいに注ぎ入れます。石ころをこすり合わせて火をつけて、さぁ、ご飯の時間です。
　おや。
　そらいろテングは気がつきました。扇子のお鍋から顔を上げると、すぐ近くにテングがいるのです。生まれて初めて見る、自分ではないテングです。真っ赤な色をしています。同じように鍋をぐつぐつと火で煮ています。
　赤色のテングも、そらいろテングに気がついたようです。そらいろテングをじっと見ています。
「あなたは、だれですか」そらいろテングは言いました。
「そらいろテングです」
赤色のテングは、おかしなことを言います。
「わたしが、そらいろテングです」
そらいろテングは、鼻を張って言いました。
「いえいえ、わたしは、そらいろテングですよ」
「違います。だって、あなた、そらいろではないじゃないですか。わたしの青色を見てください。お空の色です」
「お空の色？　見てください。お空は、真っ赤な色をしているじゃないですか。わたしと同じ赤色です。わたしが、そらいろテングです」
青が終わったお空は、確かに赤色をしていました。夕焼けです。湖の奥の方で、太陽が沈もうとしています。けれど、お空は青いものです。青いお空が、ほんとうのお空です。
「わたしが、そらいろテングです」
そらいろテングは言います。
「わたしが、そらいろテングです」
赤色のテングは言います。
　それっきり、そらいろテングも赤色のテングも黙ったきりになりました。
　お鍋は木の実が煮えて、ご飯ができあがっていました。そらいろテングは木の実をひとつ、食べました。
　太陽が沈んだお空は、黒色になっていました。暗い、夜の色です。お鍋の炎に照らされた、そらいろテングの体も夜の色になっています。そらいろテングが顔をちょっと傾けて横を見ると、木の実を食べている赤色のテングと目が合いました。赤色のテングの顔は、夜の色をしていました。
　あぁ、とそらいろテングは思いました。
　あぁ。
　とっても強いそらいろテングは、思いました。
　あぁ。
　ひとりぼっちだ。

　あぁ。あぁ。あぁ。

　あぁ。

コメント(2)

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[1] mixiユーザー 05月11日 22:58

大昔に生まれて長い年月をずーっと生きてきて、これからも生き続ける
生まれたままの心をかかえて
自分がひとりぼっちだということに気付いたそらいろテングは、これからどうするのでしょうね

[2] mixiユーザー 05月14日 15:01

つやつやの卵焼きをお箸で切って
一円玉ばかりが溜まって
ご飯が、気がつくと炊飯器の中で乾いて

まめやさんのこういうのほんと好きです！
孤独を知ったそらいろテングの中に、おばあさんや男の子の物語が
ひとつひとつ意味を持っていくのかなと思いました。

そらいろテングのひとりぼっちと思ったきっかけは、
夜の闇なのか、涙味の木の実なのか、赤色のテングの夜の色なのか
分からないようにされていますか？

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