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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第36回 作品 匿名B『君だけの神様』

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実家を嫌いだと思っていた。
でも、もし本当にそうなら、僕はこの安らぎに満ちた空気や地域に満ち溢れる聖なる力や有難みすら感じない筈だ。僕は今、懐かしい温もりに包まれている。氏神様の大いなるお力のお陰なのだと、そう思っている僕は、やっぱりここが好きなんだ。葛藤なんて初めから、なかった。僕はここが好きだ。

「久しぶりだな!」
僕は、田中に言った。田中は高校時代の親友で、今日は丁度都合が付くとの事で、高校以来2年半ぶりに会う。
遠くからでも彼の顔つきだけですぐにわかった。昔から変わらない屈託のない笑顔。僕も、笑顔を見せた。でも、果たして僕の笑みは、昔と同じだろうか。
「田中はかわんねーな」
「お前もな!」
田中はそう即答した。そうか、良かった。僕はどうやら変わっていないらしい。安心した半面、自意識過剰だったかなと思い知って、ちょっぴりがっかりした気分にもなる。

昨日、田中に会う前に僕が実家でした事の話をしよう。
お清めをして、久しぶりに礼装に着替えると、境内の清掃を手伝った。それから父の愚痴に付き合う。やれ最近は賽銭が減っているだの、やれ外国人参拝客のマナーが悪いだの、やれ最近の政治家は弱腰だの、相変わらず言う事は同じ。そして、僕の東京での生活には全然、興味はないらしい。
1年前に僕が実家に帰ってきた時と変わらず、うちの注連縄や賽銭箱は年季が入っているが、変える気はないらしい。僕も前は、古くて素朴な方が有難味が湧くんだろうという事にしていたが、最近は「うちの神社も改修して、現代的にした方が参拝客も増えて良いのでは」という気もする。まあ、それが神様にとって良い事なのかは、難しい。ある意味神社っていい加減で、神様のためにやってるのか、お賽銭の量や御祈祷の仕事を増やすためにやってるのか、わからない時はある。
そんな思いを巡らしながら、戸を閉めた。こっちはもう結構寒くて、部屋ではストーブをつけている。その匂いが懐かしくて、僕は母の作ってくれる夕飯を食べる。昔いつも作って貰っていた懐かしい唐辛子の入ったスープで、寒いときはこれが本当に体が温まる。その唐辛子は、うちが栽培しているもので、名物として売り出してもいる。他の神社や、お寺さんでも、七味唐辛子を売ってる所はあるそうだ。
実家に不満な事は色々あっても、結局実家に居れば、自分のこれからの事も、それに、今まであった事も、何とかなりそうな気がするんだ。実家に居さえすれば。そう言う意味で、僕は恵まれている。「あの人」とは違って。

僕と田中は、地元の喫茶店で話をした。
「え、お前就活してんの?」
田中が、僕にびっくりした様子で尋ねる。
「そう。言ってなかったっけ? うちみたいな平凡な神社の経営だけじゃ、やっていけないからな」
「そうかあ、悩ましい話だな」
田中の言葉はなんだか他人事のように聞こえる。そんな田中の興味は僕の言葉遣いの方だったようで、彼は僕の言った言葉の面白さに気づいたように続けた。
「フフ……ていうかさ、やっぱ神社も、『経営』っていう言葉使うの?」
「そういうものだろう?」
「そうなんだな。いや、宗教も現実的だなと思って」
宗教。田中の言葉は僕に、ずっと悩んでいた事を思い出させた。
言葉が嫌いなのではない。現に実家の神社は宗教法人だ。でも僕は悩んでいた。神道というのは、宗教と言えるのだろうか。確かに、氏神様というものは現実に(何らかの形で)存在すると考えているし、思っているし、感じてもいる。でも、神道は経典がないから、神様がいるとの証拠は伝承程度のものしかない。地域によってお祓いの形式一つとっても違う。善き行いをしろと言われても、何が善い事なのかは恣意的な解釈しかできない。親父も、神主として振る舞う時は神様の有難味を説くが、日頃の生活は信心深いと思えない。そもそも信心の定義も曖昧だ。……僕が「あの人」と出会ってからずっと考えてきた、その思いを噛み締めていると、田中が続けて言った。
「経営かー。お寺とかだとそんなイメージなかったけどな……キリスト教の教会とかも」
田中が最後に付け足すように言った言葉は、僕を戸惑わせた。ちょうど「あの人」の事を考えてたからだ。
「あ、悪い。お前の親父さん、キリスト教嫌いだったか」
「いや、そんな事は全然いいよ。ただ宗教って聞いて思ったんだ。宗教じゃねえよなあ、神社って。宗教って言葉が嫌いなんじゃなくて、むしろ宗教に憧れるんだ」
「宗教に憧れる? 神主の息子が?」
「だってさ……神主の息子だからこそ言うよ。冷静に考えてみ。神道なんて只のアニミズムだよ。あれは宗教じゃないと思う。仏教やキリスト教を尊敬するよ。特にキリスト教」
僕は半分シニカルに笑いながら言った(内心、「でももうその悩みは吹っ切れたんだ、心の底では神道に誇りは持ってる」と自分に言い聞かせたが)。
田中は、ちょっと戸惑ったような、少しひきつった顔で笑った。
「へ、へえー! リアルな本音だな! そんな物なんだな。でも凄いよ、ちゃんと考えて、尊敬するって言えるとかさ」
「うーん……」
僕は、少し迷ったが、言葉を続けた。
「僕が前、付き合ってた彼女がさ。クリスチャンっていうか……」
すると、田中は嬉しそうに食いついてきた。
「マジ? お前東京でキリスト教徒と付き合ってんの?」
「いや、前の彼女だから……」
しかし田中は、ニヤつきながら、いかにも話を続けろと言わんばかりにこっちを見る。失恋のダメージを少しは推し量ってくれてもよさそうなものだ。僕は、仕方なく続けた。
「正確にはクリスチャンじゃないんだ。実家がキリスト教の家系らしいんだけど、その子は違って」
「マジか! でもお互い、実家が宗教やってるから惹かれた感じ?」
田中は、また僕の神社を『宗教』と呼ぶ。
「まあ、そう。めんどくさい人だよ。なんていうか……」
別に、思い出したくない訳じゃない。僕にとっては、むしろ聞いてほしい気分だった。
だから、その後僕から田中に話を始めた。
「まあ、話をすると……」

それから数十分、いや1時間以上はかかったかもしれない。僕は田中に、元彼女の話を聞かせた。
話は2年前、その人に出会うところから始まった。

1年生の前期、比較宗教学の授業だった。神社の息子として、他の宗教についても教養は付けておこう、という程度の思いで受講した。
受講者が少なく密度の濃い講義で、一人ずつ自己紹介の時間があった。そこで僕は『自分は神道の家系で他宗教に興味はないが、教養で……』と話そうと思っていた。
その自己紹介で、僕の一つ前に座っていた女の子が、言った。
『えっとおー。1年生の岸原マリっていいまーす。え、あと何喋ればいい感じ?』
ニヤニヤと笑うその子の態度は、粗雑で、知的な感じがしない。わざと、馬鹿のように振る舞っているように見える。僕は嫌悪感を覚えた。
彼女はその後にこう続けた。
『えー、ていうか大した話じゃないんですけど。なんか、うちの実家キリスト教なんですよねー。家族みんなそうで。でもマリは……アハハ、間違えたー! 私はね、私はー、なんか馴染めなくてー。大体、宗教って何だよっていう、疑問? みたいな。聖書読めとか、教会行けとか? ヤバくないですか、世の中的に! 神社なんて行くなとか言うんすよ。その……原理主義か!みたいな。言っちゃった! でもマジでマジで、ヤバいですよね? うちってヤバいのかなって? でも絶対、他の宗教もいいじゃん、勉強するくらいなら! っていう感じで、私的には思ってて。だから教養として、この講義選びましたみたいな? 感じです。ハイ、よろしくお願いしまーす』
これを聞いて僕は、何だこの子、と思った。ヤバイヤバイと、ボキャブラリーのない幼稚な言葉で物を喋るし、やたら早口だ。ちょっと、意味がわからない。僕は好きになれないタイプだ。
彼女の自己紹介の後の僕は、彼女への嫌悪感が思わず態度に出てしまうのではと心配になった。だから自己紹介は手短にした。
『……エヘヘ、自己紹介って、緊張しますねえ。はい。僕は1年の渡辺と申します。福島県から来ました。東京は温かいですね!あー……あと受講の動機は、実家が神社なので宗教に興味がありました。以上です』

でも結論から言うと、お察しの通りそのマリと名乗る女の子が、僕の元彼女だ。

彼女は初回で見せていた印象とは裏腹に、その授業では毎回先頭の席に座って、教授の話に耳を傾けていた。
僕は授業は面白かったけど、目立つことが嫌で、中途半端に前から3番目の席に座っていた。だから、彼女の後姿をずっと見る事になった。
それで段々と彼女への印象が変わっていった。一生懸命頷きながら真剣に話を聞いては時々高度な質問をする姿、そしてまた、その喋り方は全く知性を感じないものであるというギャップを、いつも真後ろで見続けた。

『せんせー、一神教ってやっぱり排他的なの? 自分たちの信仰を認めない奴ら地獄行き! みたいな? ってかどの宗教もそうなの?』
『せんせー。マリは全っ然わかんないです。なんで日本人はここまで、汎神論を受け入れられんの? 正しいとか、間違ってるとか、ハッキリ言う宗教をなんで嫌いなの? なんで日本ではキリスト教が根付かないの?』

僕もなるべく教授の話をメモしながら、授業の後に質問もしていたので、自然と、彼女と質問内容が被る事が多かったが、質問自体は同じでも、観点は全然違った。僕は、人が宗教をどう思ってるのかに興味があった。それに対して、彼女は『そんなのはおかしい』という抗議のような言い方を好んだ。

流れで、休み時間にも話をするようになり、学食に一緒に行ったりして、趣味の話、出身の話、お互いの実家の話もするようになった。
彼女は、講義などの場で話す時は敢えて馬鹿な態度を演じたりするが、僕と一緒にいる時は違って、やや攻撃的な言動をよくした。その癖、食事に行くときなどは彼女の方から僕を誘ってくるのだが。
食って掛かるような言い回しを選んだり、他人事なのに自分には理解できるかのように、僕の考えを見透かした言葉を飛ばして来るのだった。
『てか、やっとわかったよ。渡辺君は、一字一句その通り神様について信じってますって態度を取らなきゃいけない事と、本当はそんなわけないじゃんって本音で葛藤してるんでしょ? その落とし所がわからないって事でしょ?』
彼女はストレートに、僕の悩みを図星で言い当ててくれる。僕は、その度にハッとしたし、そしてムッとした。僕が言葉にできない事を言葉にできる人だから、なんで僕の事を見透かせるのかと不思議でならなかった。

最終的に、僕から告白していた。
相性が合うのか合わないのか、良く分からない。でも彼女が、ある意味で、唯一無二の存在と思ったのだ。その講義を履修後もずっと会う事になった。
ゼミでも、サークルでも、彼女のような話ができる人は他に誰もいなかった。それで何度かデートをして、彼女自身の事をますます知りたいと思うようになっていた。

彼女の実家の事を聞いた。
まず、一言にキリスト教と言っても宗派や派閥があり、個々人でも考え方は違う。彼女の母は非常に信仰が篤く、かつ厳しい人で、彼女と折り合いが悪くいつも喧嘩していたそうだ。それは、僕なんかが『実家がなんとなく嫌で……』とか言うようなレベルじゃない、耳を疑うような激しい喧嘩も、高校生の頃まで続けていたらしい。それで彼女自身がクリスチャンになりたくないというのは、親への反発のようだった。

そんな彼女が、僕に何度もする質問があった。
『神様信じてる?』
そういう質問だった。

『ねえ、神様信じてる?』
『信じてるけど』
『どのくらい? 渡辺君の実家の、神社の神様の事だよ』
『どのくらいっていう事もないよ。僕は、いると思ってる』
『はあ? いると思う? いるかいないかっていうだけじゃなくない? 信じるってさ』
『他に何があるの?』
『ていうか、さあ。神社の人ってみんなそんな感じなの? おかしくない? 神道やっぱり変だね! 神様がいる、だけで終わり? 現世で救いをくれるとか、死後救われるとか……あるでしょ? そんな軽くて大丈夫なの?』
彼女は、キリスト教を信じたくないと言いながら、中々、キリスト教みたいな観点で話をした。

時々、彼女がわからなくなった。
彼女は、自分の母親の『クリスチャン以外認めない』という態度を嫌っていたにも拘わらず、彼女自身そういう態度で神道の僕の実家を批判してくるように聞こえたのだ。良い気分じゃないが、僕の中では、その批判は許せた。それは僕自身が実家の神社に対し抱いていた、疑問や不満をある程度代弁してくれていて、痛快だったから。
そんな彼女からの、同じような質問は、何度も形を変えて続いた。何がそんなに気になるのだろう?『実家のキリスト教が嫌だから、神様なんて、絶対信じたくない』とかいう事でもないらしいのは僕にとって不思議だった。

『神様、信じてる?』
『この前、同じ事訊いたよね?』
『でも、考え変わってないの?』
『そうさ。信じてるって、言ったでしょ?』
『信じなくならないの』
『え?』
『だから、信じられなくなる事って、ないの? 私、あるよ。やった! やっとわかった! 私、やっと神様信じられた! ってなっても、次の日また信じられなくなるよ』
『……キリスト教ってそういうのあるのかな? 信仰心が試される、みたいな』
『何その言い方? なんかムカつくわ。謝ってよ』
その時、彼女は急に真顔で怒り始めたから、僕はぎょっとしたのを覚えている。
『……あ、ああ、ごめんね、何か癪に障ったかな』
『キリスト教じゃなくて、私の話をしてるの! 私、信じられたり、信じられなかったりするのね。本当は信じたいの。だけど急にドカーンって、何かが全部崩れて……ごめん、何言ってんだろう。忘れて』

彼女の事を、理解したいという思いの強さから、僕自身の考えを彼女に代弁して貰えたお返しに彼女の気持ちを上手く代弁してあげたいと、僕はそう思っていた。でも、僕が何を言ってもいつも的外れで、彼女を怒らせてしまう。彼女が誰にも言葉にできない何かを抱えて生きている気がした。
でも、いずれにしろ僕は、そういう人を好きになったのだ。うまい言葉を言ってあげられない事が辛かった。


「か……変わった元カノだな」
田中が、難しそうな表情で言った。
「え、そうか?」
「うん。何ていうんだろうな。うまく言えん。お前も、めんどくさい人って言ったけど……うん、ごめん、めんどくさいと思う」
先ほどまで笑顔だった田中は、すっかり無表情になっている。そうだよな、僕だって彼女は普通じゃないと思ってた。
僕は、飲んでいたコーヒーが無くなってしまったのに気付き、店主にもう一杯お代わりを注文した。
「悪いけど、俺だったら疲れるな。キリスト教ってそうなのか」
「いやいや。クリスチャンが全員そうでもないぞ。あの子がたまたま、そういう人だっただけみたい」
「へー」
「なんか、自分の悩みとかが全部、キリスト教とか神様とかと、結びついてるみたいなんだ。神様を信じてない癖に」
僕は、なぜ彼女にとって常に悩み事の中心に「神様」がいるのか疑問だった。神様なんて、神道なら土地やモノに憑いて色々な出来事を起こしているだけの方だ。でも、彼女の言う「神様」は、個々人の幸福や、感情、生き様まで全部支配しているらしい。キリスト教の神様だから? それもあるかもしれない。でも、もしかするとそんな「神様」の姿は、彼女の勝手なイメージじゃないかとも思った。尤もどんな宗教だって、神様とは「勝手なイメージ」だが。
「はあ、難しいな。そういえば、その元彼女、趣味は何なの?」
田中は、話を切り替えようとしてきた。そうだな、重い話ばかりは疲れる。
「ああ、趣味と言えば、親に内緒でバンドを凄く好きだった。ただバンドって、普通にイメージするより、ガチで激しい奴な」
「え、凄い勢いで頭振ったりするの?」
「そうだな。僕も一度連れて行ってもらったけど、凄かったよ。歌詞も攻撃的だし、普通の生活じゃどこか上手くやっていけないような人たちが、本気で怒りをぶつけてるみたいに見えた……宗教みたいだった」
僕は、今思いついた言葉をそのまま言ったが、中々自分でも面白い喩えを言ったな、と内心ウケてしまった。
「宗教! お前狙って言っただろ? ハハハ! じゃあ、ライブは通い詰めだったんだなー」
「……いや、実家に帰った時に親にバンドの事を言って、滅茶苦茶怒られたらしいんだ。それ以来、彼女はバンドにも行かなくなった」
それを聞いて田中は首を傾げた。
「は? 親に内緒にしときゃいいんじゃね? その子から自分の母親に言ったの?」
そう、それは僕も不思議な事だった。彼女は親に内緒にできる事を、態々親に報告する節があった。
「そうなんだ」
「なんだそれ。せっかく見つけた好きな事を続ければいいと思うけどな。なんで親に言うの?」
「まあ、それは話の続きを聞いてくれよ」

僕は続けた。

彼女がずっとキリスト教の親族を信用できない、嫌いだと言っていた事。
それなのに『神様』を内心信じている節があった事。
そんな悩み続けるなら、いっそキリスト教徒になるか、あるいは信じられる違う宗教に入ってしまえばいいのに、そういう問題でもないらしい事。
彼女がずっと、神様とかいう人の影響下にあり、『救われる方法』を探していた事。
そんな彼女を、僕なりに理解しようとした事。

彼女とは、電話でもよく話をするようになっていた。
ある日、僕から、彼女に質問をした事がある。

『マリちゃんにとって、信じるってどういう事?』
『信じる? 本当に自分の事わかってくれる存在だって、心から思う事だよ。口先だけじゃないな、っていうかさ、本当に安心できるっていうか』
『あー、僕が聞きたいのは……例えば、神道系でも一部の人は、神様に逆らうと祟られる、呪われる、とか言うのね』
『うん』
『僕だって、そんな事半分迷信と思ってる。まあ、<ある意味祟りみたいな感じ>になるって言う気は、どこかで信じてなくもないけど。でも曖昧に濁してる。それで古い言い伝えを信じる事と現実との、辻褄合わせを自分の中でしてる』
『え、こないだも渡辺君その話ししたよね?』
『いや、聞いて。その先なんだ。身も蓋もない事を言うとさ、みんなわかってるんだよ。今時そんな言い伝え、神社の神主すら本気では信じてないでしょ? って。そう思ってくれてる人を何人も見てきた。神社の人間としては、嬉しいのか悲しいのか微妙だけどね。でも、そんなでも、神道を信仰してますって、僕は言っている。その点、キリスト教ってどうなの? 創世記や、イエスの死後復活とか、あんな話はモノの喩え、言葉の綾だと信者の人も思ってる?』
『んー、殆どのクリスチャンは柔軟だから、そう思ってる。うちのお母さんは信じてるし、信じなさい、って言う』
『一字一句信じろって?』
『そう』
『……マリちゃんは、お母さんの言うような<信じる>っていうのが、本当の意味で<信じる>っていう事なんだと思っている?』
『別に。だって、聖書にこう書いてあるとか、どうでもいい事じゃん。訳わかんないよね。科学的じゃないとか思わないみたい。母親とは19年間ずっとわかり合えなかったけど、最近やっとわかった。要するに馬鹿なんだよ、あの人。ただの馬鹿。信じろ信じろってさ。何を信じればいいのかな? 訳わかんない』

彼女は、何か思いつく度に『やっとわかった』という言葉を好んで使う節があった。まるで、今まで長く悩み続けていた事の全ての答えが、やっと出たという風に。でも、その言葉の数日後には、思い付きを覆すような事を言う事が殆どだった。

夏休みに彼女とデートで遠出した時、神社に寄ろうと誘ったのは僕からだった。彼女の『神様』という物に対する執着というか、葛藤を終わらせてあげたいと思って。僕は彼女の思いを言語化してあげることはできないから、せめて何かの切っ掛けを探してあげたかった。僕から言わないと、神社など、彼女は自分の判断で行こうとはしなかっただろう。
彼女のお母さんが『教会に行けば人生が変わる』などと言うらしいのとは違い、僕は別に、『神社に行けば人生が変わる』と微塵も思わない。寧ろ目に見えるご利益を求めるのは神様への謙虚さが足りないとすら思う。ただ単に、刺激になるかなという思いだった。
その時の事は、とても印象に残ってる。まあ今思えば、僕が『ああ、自分って神社の息子なんだな』って気付かされて面白かったのは、面白かった点だ。
まず彼女は、本当に何にも知らないみたいで、いきなり敷居を跨がずに踏んでしまった。その時僕は、『おい踏むな!』と結構真面目に怒ってしまった。
手水場でも、彼女は直接水を飲もうとした。僕はその時もイライラしてしまい、飲むものではないとか、正しい手洗いのやり方を教えたけど、少し角が立つ言い方になってしまった。
ただ、それはまだ『楽しい思い出』と言えるけど、彼女のその日の行動には呆れてしまう部分もあった。まるで小学生のような行動もあった。例えば、鈴を何度も何度も、ガランガラン鳴らしたり、お願い事をわざわざ大声で叫んでいたりした(それも、とても恥ずかしい内容だ)。
お神籤を引き、微妙な結果だったので、その場でポイ捨てしようとしたし、境内に猫が歩いているのを見ては大喜びし、周りの人が見るくらい、猫を追いかけ回した。それに、ちょっとした事で一々スマホを取り出して、やたら写真ばかり取った。そういう事を僕の目の前で態々やった。
それで帰りに寄った喫茶店で、ちょっとした口喧嘩に発展した。意外にも、彼女は自分が馬鹿な態度を取ったのは認識できていたらしい。僕が怒ると、いつになく、素直に謝った。ただ、僕は多少きつい言葉で注意したつもりだが、彼女は全く応えている様子はなくて、僕が怒るのを喜ぶかのような態度だったのがちょっと気になった。
そもそも今日の彼女は、僕を試してたのか、という気もした。
こういう時、原理主義的な人だったら『正しい事が守れない人間は、その人格まで傷付けてもいい』などと、考えるだろうか。神道の界隈にもそういう人はいる。ただ、その手の人は『周りが見えないほど一途である事自体が、素晴らしい』という考えなのだ。僕は、今日は怒ってしまったとはいえ、そういう主義に染まりたくない人だ。それをしたら、どういう結果になるかわかっている。その結果は、僕にとって望ましくない。だから彼女にはそう接しないと決めていた。それで正解だったと思う。

その夜、電話で話した。彼女は清々しい様子だった。

『今日は言い過ぎた。ごめんね』
『いいえー』
『今日はどうだった。何か得られた?』
『うん。なんか、私今まで宗教ってもっと熱心なものだって、ずーっと思ってたよ。でも今日、やっとわかった。そんなに思い悩む事ないんだね! 信じたくなったら信じればいい。信じたくなければ信じなくていい。神様って、それでも許してくれるかも』

彼女の口から出た『やっとわかった』の内容が、しかし、全く僕にとって大したことには思えない。それが彼女にとって世紀の大発見だったなら申し訳ないけど、神様や宗教を『いつでも信奉しなきゃいけない』なんて、そんな決まりはないと誰もが思う事じゃないのだろうか。神様に不敬な行動を取るのは良くないとは僕も思う。ただ、心の中で疑うだけで厄災が起きるとは思わないし、キリスト教だって全員がそんな偏屈な考え方ではないのでは?
それでも、彼女にいい影響を与えられたなら良かったと思った。明日から学校で、少し違う笑顔が見られるかもしれないと思った。

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