私は一息つきたくてハーブティーをいれることにした。キッチンにはまだ片付いていない食器類が山のように積んである。食料品に関してはまとめてキッチン横のクローゼットに入れた。私はクローゼットを開けてプラスチックケースにあるお茶用ボックスの中から目当てのものを探しだした。ローズヒップとカモミールで悩んだが、先に目についたカモミールを選んだ。ダイニングテーブルの上に置いたティファールのポットに水を入れてお湯をわかす。私はカップに茶葉をセットして沸騰するのを待った。あらかたの荷物を片付けたとはいえ、まだそこいらにダンボールの残骸が散乱していた。しかし、椅子に座って部屋を眺めてみると、荷物があったとしても、改めて部屋の広さに驚いた。一人暮らしの時にはのぞめなかった眺めだ。衣類は備え付けのクローゼットに全てしまい、私が持ってきた大型の家具は結局、今私が座っている椅子とダイニングテーブルぐらいのものだ。あした君が本棚やテレビを持ってくるからもう少し部屋は狭くなるかもしれない。それでも新生活への期待は大きい。私はカモミールティーに口を付けながら、頭の中で残りの片付けの算段をしていた。
それまで母と二人で暮らしていた私は出会って三ヶ月のあした君と暮らすことを決めた。母が私に早く結婚して自立して欲しいと思っていたのは知っていたし、私自身、良い人がいればそのつもりだった。別に焦ったわけではない。お互いに慎重に検討した結果、住んでみようという結論に至っただけだ。周囲の反応や批判は十分に承知している。何を言われても別に私もあした君も気にしない。
あした君とは合コンで出会った。最初はそんなに仲良くなるとは思っていなかった。合コンの次の日、社交辞令で「昨日はありがとうございます」と私からメッセージを送った。あした君は魚でも釣れたと思ったのか、私に思いっきり食いついてきた。あした君曰く、私に少し興味があったという。だからメッセージが来たときは大層嬉しかったらしい。だったらそっちから連絡を寄越せよと私はよく彼を詰る。
そして私と彼は何度かデートし仲を深めていった。理由はお互いに判然としないが、とにかく気が合ったのだろう。二人で将来を考えるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
あした君は来週引っ越してくる。別々に引っ越した方が片付けが楽だろうということで、まずは私から引っ越しすることになったのだ。今日は日曜日だが、彼は会社の同僚と海に行くというので私の引っ越しを手伝えなかった。おあいこというわけではないが、私も来週の日曜、彼を手伝うことができない。私はちょうど会社の夏休みをとる都合上、そこで友人との旅行の予定を入れていた。だから、本格的なあした君との同棲生活は再来週以降ということになる。
小休憩を終えた私は片付けを再開した。崩したダンボールを玄関に運び、ナイロン紐で縛る。エアコンを入れているが部屋は暑い。私の体は徐々に汗ばんでいく。Ｔシャツには薄っすらと汗が滲み、顔から吹き出た汗は私の頬を伝って床に落ちた。
一人では運べそうにないので私は玄関にゴミ袋とダンボールを置いてリビングに戻った。手伝ってくれなかった愚痴をあした君に目一杯言ってやりたくなっていた。私はスマホからメッセージを送った。
「すごーく疲れた」
「お疲れさま」
「海どうだった？」
「男六人で楽しかった」
「焼けた？」
「真っ黒」
「私も引っ越しの埃にまみれて真っ黒」
「ごめんね。手伝えなくて」
「まだ手伝えることあるよ？ いつでも我が家はウェルカム」
「今から行けないこともないな。俺の家でもあるわけだし」
「だったら来てよ。あした君、近いじゃん」
あした君はこの近所に住んでいた。来ようと思えば苦もなく来られる。ちょっとでも心苦しいと思っているなら来るべきだ。別に私はあした君に後片付けを押し付けたり、重いゴミを持って欲しいわけじゃない。会いたいだけだ。同棲するのだから、これからは嫌でも毎日顔を合わすのはわかっている。でも、半日を引っ越しに費やした私はすっかり疲れきっていて癒やしを必要としていた。
「おお。片付いてる。今日子ちゃんにしては上出来」
あした君は私とメッセージのやりとりをした後、海に行った人達と夕飯を食べてから新居にやってきた。彼の家財は全くない。もし泊まっていくなら私のベッドで二人で寝ることになる。
「玄関のダンボールとかをゴミ置き場に持っていけばいい？」
「うん」
最近のマンションには二十四時間ゴミ捨てが可能なゴミ置き場がある。分別して出すのがマナーだが燃えるゴミや燃えないゴミを一緒くたに出しても管理人が上手いことやってくれる。マンションによってはエレベーターホールに「ゴミ捨てマナーの遵守」などと言った文言が貼られ嫌味や注意をしてくるところもある。私とあした君が住むこのマンションが一体どんなものかは、もっと長く住んでみなければわからないことだ。
「今日子ちゃんもいっしょに持っていこうよ。俺一人じゃ無理みたい」
ダンボールを抱えたあした君が玄関の扉を出た先で私を待っている。
「じゃあ一枚だけ」
私は本当に一枚だけダンボールを持ち鍵を掛けて家の外に出た。ここは五階だからエレベーターを呼ばなければいけない。両手が塞がっているあした君はボタンを押せないので私が押して、エレベーターを呼ぶ。
「二人とも大荷物じゃこのボタンも押せないでしょ？ だから私は一枚だけダンボールを持つのがちょうどいいと思う」
「俺をいじめたいだけでしょ」
その通りだ。会いたい気持ちで一杯だったがいざ会ってみると、どうして引っ越しを手伝わなかったんだという憎しみが沸々と湧き始めた。もちろんそれを面と向かっては言わない。だからこうして陰湿に彼をいじめてみる。
ゴミ捨て場はマンションの半地下部分にあった。じめじめとしているという先入観があったが掃除が行き届いていて全く不快ではなかった。
「ダンボールはそこだね」
ダンボールのせいで視界が塞がれているあした君のために私は指示を出した。あした君は従順だった。あした君の二の腕が目に入る。彼が今日海に行って焼けている肌は赤く痛そうに見えた。彼を酷使していることに少し罪悪感を覚える。
「この後どうする？」
「明日は会社があるからもう帰るよ」
「ゆっくりしてけば？」
「テレビも何もないじゃん」
「お茶淹れてあげる」
部屋に戻ると私はもう一度お湯を沸かした。今度は彼の好きなレディグレイを用意する。
「海の話をしてよ」
「馬の話？」
「う、み」
ポットが沸騰する音で私の言うことが不鮮明に聞こえたらしい。だから私はもう一度大きな声で言い直した。すると彼は合点がいったという顔つきになり、海のことを話し出した。
「日中はずっと晴れてて暑かったけど、夕方は曇っててちょうどよかったよ。でも、夕陽が見えなかったのは残念」
「人は多かった？」
「まあまあかな。今度、きょうちゃんとも海に行きたいね」
「水着なんて何年ぶりだろ」
「想像したらちょっとやりたくなってきた」
「疲れてるんならやらなくていいじゃん。私だって引っ越しで疲れてる」
と言いつつ私はあした君が体に触れてくるのを待っていた。まだ埃っぽいこの新居のベッドの上で私はあした君と交わりたかった。そんな私の意思を汲んでくれたのかはわからないがあした君は私をベッドに誘った。電気が消え、彼がゆっくりと唇を私の唇に押し当ててくるのを感じながら、私は目をつぶった。
「あさって君も誘って花火大会に来なさいよ」
私とあした君の引っ越しが一段落してから母からこんなメッセージがきた。同棲の約束をする前に何度か母にはあした君を紹介していた。私は母子家庭で育ったせいか、母のことを親兼姉のように思う節があり、あした君のことは合コン以来ずっと話していた。私があした君と呼ぶので母は面白がって「あしたあさってしあさって君」と勝手に名付けて呼んでいたが、私が彼と仲良くなり母との会話の中に彼が登場する頻度が高まると次第に呼びやすいようにあさって君というのが定着していった。ちなみに、あした君というのはもちろん本名ではない。彼のメッセージアプリの表示欄にそう書いてあるのでそう呼んでいたら、いつの間にかあだ名のようになってしまった。私もその呼び名が気に入っていたし、彼も嫌とは言わなかった。それに私の名前も今日子で何となく相性が良さそうだと思ったことも一因だ。今日と明日は繋がっているということから私もそれにあやかりたいと思っただけのことだが、そんなことは恥ずかしくてあした君には伝えていない。
「多摩川の花火大会？ 席とれるかな」
「お母さんが協賛席をご近所さんからもらったわよ。三枚あるからみんなで行けるわ」
「誘ってみるよ」
仕事中のあした君に花火のことを伝えるととても嬉しそうに参加の意思を示した。二人で花火デートというわけにもいかないが、家族とも仲良くなってもらうのは悪いことではない。
仕事の都合によりけりだが今日の帰りは私の方が早かった。私は彼の分まで夕食を作り、彼が帰るのを待った。私が遅いときには彼が用意して待ってくれている。二一時を過ぎるときは相手を待たずに食事を始めるというルールがすでに私達の間では出来上がっていた。
「ただいま。いい匂いがする。すぐにご飯にしよう」
「え、すごい汗。走って帰ってきたの？」
あした君はご飯の準備ができた頃にちょうど帰ってきた。
「うん。お腹空いてたし」
「汗臭いよ」
私はあした君にお風呂に入るように言った。彼はそれを素直に受け止めて言う通りにしてくれた。今夜私が作った料理はインターネットで調べた人気のレシピを元にしている。私も彼もオクラが好きなのでそれを豚肉とチーズと大葉で巻いて焼いたものだ。大葉がいいアクセントになって口の中に清涼感が広がる。私はすでに作る過程で味見をしているのでこの料理が外れではないことがわかっていた。彼が喜ぶことも目に見えている。だから私はあした君に料理を思う存分味わって欲しいために先にお風呂へ促したのだ。焦らすことでより料理を楽しむことができる。
浴室の方から音がした。そう思ったときにはまだ頭が乾いていないあした君が私の前に現れていた。
「早くない？ お風呂からあがるの。ちゃんと体洗ったの？」
「節約節約」
「意味わかんない」
「だってお腹空いたんだもん」
あした君はカラスの行水で済ませ、何くわぬ顔で私の作った料理に手を伸ばしている。私は彼の頭に鼻を近づけてみる。
「ここはシャンプーの匂いがするけど、こっちはシャンプーの匂いがしない」
私は彼の頭の至る所を嗅いでみた。
「気のせいだって。まんべんなく洗ったよ。もちろん下半身も入念に」
下卑な笑いを浮かべてあした君は私を見ている。口ではオクラを咀嚼しながらあした君は次に私を食べようと夢想しているのだろうか。
「わかった。不問にするけど、やっぱ今度からは落ち着いてお風呂に入れるように、先にご飯にしよう」
「きょうちゃん、このオクラすげえ美味しい。俺にもレシピ教えてよ。今度作るから」
「いいよ」
「エリンギにしても美味いかもね。ミョウガなんかもさっぱりしていいかも」
「ミョウガだったらチーズと大葉は抜きでいいかもね」
あした君は風呂の話題はそっちのけで料理の話をし続けた。私もついついその話に乗ってしまう。
少食の私は皿に盛りつけた分を全部食べることができなかった。あした君が私の残りに手をつけようとしたが私はそれを制止した。
「お弁当に使いますので、あしからず」
「きょうちゃんは偉いね。毎日お弁当を持参するなんて」
「あした君もさ、節約したいんならお弁当にすれば？」
「考えとく」
私は根がケチな性格なのかお弁当を作り続けている。それに将来を見据えて今から節約に走るのも悪くないと思ってもいる。あした君にもその辺りは見習って欲しいと私は密かに考えているが彼はなかなか実行に移そうとはしない。
「花火はお母さんも一緒に見るの？」
不利な話題になるとあした君はすぐに話題を変える。
「そうだよ。三人」
「妹さんは来ないんだね」
「用事があるんだって」
あした君は私の妹が苦手なのかもしれない。流石に私の家族のことなので表立って悪口は言わないが言外にそのことは滲み出ていた。妹が苦手というのには私も納得するところがある。姉である私も実は妹が苦手だった。可愛らしい妹なのだが幼少の頃より私への対抗意識には目を見張るものがあった。
妹は去年結婚した。私より三歳年下の彼女は学生時代から付き合っていたラグビー部出の逞しい彼と結ばれた。彼氏時代から私と母とは親交があったが、人当たりの良い好青年で妹は良い人に恵まれたと私と母は目を潤ませながら喜んだものだ。ただ、妹が結婚を急く理由に私への当て付けがあったようにも思う。先に結婚することで女としての余裕を私や周囲に印象づけようとしたかのように私には思えた。妹が私に見せる対抗意識の例はいくらでもある。子供時代のテストの点、スポーツの出来、何でも私と比べたがった。中学高校は私と同じバスケットボール部に入り、私が在籍していた時は行けなかった地区大会の決勝に妹はレギュラーとして行った。大学も同じところではないにせよ、同レベルかそれ以上のところに入った。付き合う男性はいつも私の彼氏とは正反対の人間ばかりだった。今にして思えば、私が当時付き合っていた彼氏はもやし人間でそれに対抗してラガーマンの屈強な男性と妹は付き合い始めたのかもしれない。
婚約した際にも指輪を頂いたようでそれを母には控えめに、私には堂々と自慢してきた。今後は私の結婚のこともあるので、式場やら指輪のことなどで張り合ってきそうだった。子供ができたら決戦の舞台はそちらに移るかもしれない。胎児の時から何かと比べて優越感に浸る妹が容易に想像できた。私はあした君と付き合うようになってから母に対して妹へあした君の情報をあまり入れないようにお願いしてあった。それでも私は家族紹介を兼ねて妹とあした君と三人で食事をしたことがある。その時も妹はあした君のスペックを根掘り葉掘り聞いていた。きっと自分の旦那と比べたかったのだろう。嫌味の無い風を装っているがその聞き方や話し方で十分あした君には伝わっていた。私も余りにも聞くには失礼だと判断した時はその場で妹をたしなめた。
そんな妹から花火大会の当日、電話があった。
「花火大会、私も行くから」
「え、チケットは？」
「取れたよ」
「そうなんだ」
私は妹が嫌いなわけではなかった。普段接する分には可愛いと思っている。
「人ごみがすごいからわかんないけど、できたら合流しようか。ちなみにお姉ちゃん達は何ブロック？」
「Ｄだよ」
「あ、同じなんだね。ひょっとしたら席も近いかもね」
仮に近くても隣ということはないだろう。私は昨年も母と二人で見に出かけたが本当に人気の花火大会なのだ。帰りなど人がごった返し、通常なら片道十分程度しかかからない道なのに、その日に限っては会場から最寄り駅まで二時間もかかるという具合だ。そんな場所で会おうというのは無理な話だろう。
「じゃあ当日ね」
妹はそう言って電話を切った。私は一抹の不安を抱きながらも妹は単純に夫婦で花火大会を楽しみに来るだけだと思うことにした。
花火大会当日は朝から雨だった。開始時刻は夜の七時だが、その時間帯も予報では雨模様とのことだった。激しい落雷や風がない限りは雨天でも行われる。雨足を見て、私とあした君は夕方から多摩川に向かった。
駅前で母と合流した。その手には買われた荷物がたくさんあり、それを私とあした君で代わりに持ってあげる。
「あさって君、たくさん食べたり、飲んだりすると思って、買いすぎちゃったかしら」
「これぐらい軽く食べますよ」
「良かったわ。それに陽子も来るでしょ。だからその分もと思って」
「陽子達とは会えるかわかんないよ」
小雨が途絶え、会場へは傘をたたんで歩いた。道がぬかるみ、ところどころ歩きにくいところもある。会場に近づくに連れて集団の動きは鈍り、列がずっと続いた。
「すごく混んでますね。でも、これくらいの方がいいですね」
あした君がはしゃいでいる。もう少し天候が良かったらいいのにと私は天を仰ぎ見て恨んだ。
「でもね、やっぱり天気予報だと雨だから今日は人が少ない方よ」
「そうなんですね」
入り口までたどり着くと、そこで道が二手に分かれていた。予約無しでも見られる一般席方面と私達の座席がある予約席方面があるようだった。協賛Ｄ席という場所を探すとさらに奥のほうだとわかる。仮設トイレが置かれ、早くも列ができかけていた。さらに進んでいくと人が段々と減ってきた。Ｄという看板を見つけ、私達はその囲いの中に入った。何百脚ものパイプ椅子が整然と並べられている。雨でどれも濡れているが、タオルで拭けば問題ないだろう。座席の後ろに貼られた番号とチケットの番号を照らしあわせて私達は指定席に着いた。まだ開始まで一時間はある。夕陽が本来ならこの河川敷を照らすのだろうが今日は曇っていて話にならない。そしてまた小雨が降りだした。
「この辺まで来るとガラガラね」
「雨のせいなんだろうね」
「でも、まだ開始まで時間がありますから、この後どっと押し寄せてくるのかも」
あした君はそんな風に予想したが定刻になっても客足が伸びることはなかった。雨は依然として小雨状態だったが、おかげで私達は広々とした空間で花火を堪能することができる。それは不幸中の幸いかもしれない。
「陽子ちゃん達は来てないのかしらね」
「入口付近で止まってるんじゃない」
「見て、あそこ。モニターに電気がついた」
あした君が指を差した方向には液晶の巨大モニターがあり、そこには大会実行委員長なるおじさんが映っていた。各方面への謝辞を述べた後、突如、花火が打ち上がった。とうとう花火大会が幕を上げた。私達は傘の隙間から空に上がる閃光を眺めている。母もあした君も何も言わずにただ空の一点を見つめていた。
開幕の合図だったのだろうか、打ち上げが一段落すると今度は女性司会者の声がスピーカーから聞こえてきた。花火の解説をしているようだった。
「ねえ、空のあたり見てよ。雲が切れかかってる」
「そうだね。そろそろ止むといいね」
上空を流れる雲は急速に晴れていき、ついに雨は止んだ。同時に司会者の言葉も途切れ、また花火の打ち上げも再開される。私達はまたしばらく夜空の熱狂を楽しんだ。母が大量に買い込んだ食べ物と飲み物を広げつつ談笑していると妹とその旦那がこちらにやってくるのが見えた。
「空いてるから近くに来てもいいよね？」
妹は母に甘えるように確認を取った。母は二人が座れるように持ってきたタオルで座席の雨水を拭いている。
「この辺空いてるから好きなところに座りなさい」
花火は間断なく続いていた。その時私は空腹の余り食べ物に熱中していた。時折りあがる歓声で慌てて私は夜空を見上げる。
「いやあ、いいね。花火って。久しぶりかも」
「あさって君、良かったら来年もね」
母もあした君も楽しそうで私は満足だった。
花火大会が終わった後、私達と妹夫婦は母の住む家、すなはち先日まで私も住んでいた家を訪れ、休憩することになった。混雑で駅までの道が人ごみに溢れかえっていたが、道を途中で折れると次第に閑静な住宅街へと景色が変わっていく。私はふと後ろを振り返る。花火に気を取られている間は気が付かなかったが、妹は結構派手な浴衣を着ていた。私には到底似合わないであろう柄だった。足音をさせながら私と母とあした君の後を旦那といっしょになって付いてくる。少し遅れて付いてくるため、妹達が何を話しているのかは聞こえない。
実家は私がいなくなってもちっとも変わっていなかった。わずか数週間しか離れていないが私は密かに郷愁めいたものを感じている。それでも私は母が淹れてくれるお茶を飲んだら真っ直ぐにあした君といっしょに帰ろうと思った。今は新居の方が心地が良かった。いつも私に対抗してくる妹に先手を打って自慢したいくらいに私は今の生活とあした君に満足しているのだ。
（了）
それまで母と二人で暮らしていた私は出会って三ヶ月のあした君と暮らすことを決めた。母が私に早く結婚して自立して欲しいと思っていたのは知っていたし、私自身、良い人がいればそのつもりだった。別に焦ったわけではない。お互いに慎重に検討した結果、住んでみようという結論に至っただけだ。周囲の反応や批判は十分に承知している。何を言われても別に私もあした君も気にしない。
あした君とは合コンで出会った。最初はそんなに仲良くなるとは思っていなかった。合コンの次の日、社交辞令で「昨日はありがとうございます」と私からメッセージを送った。あした君は魚でも釣れたと思ったのか、私に思いっきり食いついてきた。あした君曰く、私に少し興味があったという。だからメッセージが来たときは大層嬉しかったらしい。だったらそっちから連絡を寄越せよと私はよく彼を詰る。
そして私と彼は何度かデートし仲を深めていった。理由はお互いに判然としないが、とにかく気が合ったのだろう。二人で将来を考えるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
あした君は来週引っ越してくる。別々に引っ越した方が片付けが楽だろうということで、まずは私から引っ越しすることになったのだ。今日は日曜日だが、彼は会社の同僚と海に行くというので私の引っ越しを手伝えなかった。おあいこというわけではないが、私も来週の日曜、彼を手伝うことができない。私はちょうど会社の夏休みをとる都合上、そこで友人との旅行の予定を入れていた。だから、本格的なあした君との同棲生活は再来週以降ということになる。
小休憩を終えた私は片付けを再開した。崩したダンボールを玄関に運び、ナイロン紐で縛る。エアコンを入れているが部屋は暑い。私の体は徐々に汗ばんでいく。Ｔシャツには薄っすらと汗が滲み、顔から吹き出た汗は私の頬を伝って床に落ちた。
一人では運べそうにないので私は玄関にゴミ袋とダンボールを置いてリビングに戻った。手伝ってくれなかった愚痴をあした君に目一杯言ってやりたくなっていた。私はスマホからメッセージを送った。
「すごーく疲れた」
「お疲れさま」
「海どうだった？」
「男六人で楽しかった」
「焼けた？」
「真っ黒」
「私も引っ越しの埃にまみれて真っ黒」
「ごめんね。手伝えなくて」
「まだ手伝えることあるよ？ いつでも我が家はウェルカム」
「今から行けないこともないな。俺の家でもあるわけだし」
「だったら来てよ。あした君、近いじゃん」
あした君はこの近所に住んでいた。来ようと思えば苦もなく来られる。ちょっとでも心苦しいと思っているなら来るべきだ。別に私はあした君に後片付けを押し付けたり、重いゴミを持って欲しいわけじゃない。会いたいだけだ。同棲するのだから、これからは嫌でも毎日顔を合わすのはわかっている。でも、半日を引っ越しに費やした私はすっかり疲れきっていて癒やしを必要としていた。
「おお。片付いてる。今日子ちゃんにしては上出来」
あした君は私とメッセージのやりとりをした後、海に行った人達と夕飯を食べてから新居にやってきた。彼の家財は全くない。もし泊まっていくなら私のベッドで二人で寝ることになる。
「玄関のダンボールとかをゴミ置き場に持っていけばいい？」
「うん」
最近のマンションには二十四時間ゴミ捨てが可能なゴミ置き場がある。分別して出すのがマナーだが燃えるゴミや燃えないゴミを一緒くたに出しても管理人が上手いことやってくれる。マンションによってはエレベーターホールに「ゴミ捨てマナーの遵守」などと言った文言が貼られ嫌味や注意をしてくるところもある。私とあした君が住むこのマンションが一体どんなものかは、もっと長く住んでみなければわからないことだ。
「今日子ちゃんもいっしょに持っていこうよ。俺一人じゃ無理みたい」
ダンボールを抱えたあした君が玄関の扉を出た先で私を待っている。
「じゃあ一枚だけ」
私は本当に一枚だけダンボールを持ち鍵を掛けて家の外に出た。ここは五階だからエレベーターを呼ばなければいけない。両手が塞がっているあした君はボタンを押せないので私が押して、エレベーターを呼ぶ。
「二人とも大荷物じゃこのボタンも押せないでしょ？ だから私は一枚だけダンボールを持つのがちょうどいいと思う」
「俺をいじめたいだけでしょ」
その通りだ。会いたい気持ちで一杯だったがいざ会ってみると、どうして引っ越しを手伝わなかったんだという憎しみが沸々と湧き始めた。もちろんそれを面と向かっては言わない。だからこうして陰湿に彼をいじめてみる。
ゴミ捨て場はマンションの半地下部分にあった。じめじめとしているという先入観があったが掃除が行き届いていて全く不快ではなかった。
「ダンボールはそこだね」
ダンボールのせいで視界が塞がれているあした君のために私は指示を出した。あした君は従順だった。あした君の二の腕が目に入る。彼が今日海に行って焼けている肌は赤く痛そうに見えた。彼を酷使していることに少し罪悪感を覚える。
「この後どうする？」
「明日は会社があるからもう帰るよ」
「ゆっくりしてけば？」
「テレビも何もないじゃん」
「お茶淹れてあげる」
部屋に戻ると私はもう一度お湯を沸かした。今度は彼の好きなレディグレイを用意する。
「海の話をしてよ」
「馬の話？」
「う、み」
ポットが沸騰する音で私の言うことが不鮮明に聞こえたらしい。だから私はもう一度大きな声で言い直した。すると彼は合点がいったという顔つきになり、海のことを話し出した。
「日中はずっと晴れてて暑かったけど、夕方は曇っててちょうどよかったよ。でも、夕陽が見えなかったのは残念」
「人は多かった？」
「まあまあかな。今度、きょうちゃんとも海に行きたいね」
「水着なんて何年ぶりだろ」
「想像したらちょっとやりたくなってきた」
「疲れてるんならやらなくていいじゃん。私だって引っ越しで疲れてる」
と言いつつ私はあした君が体に触れてくるのを待っていた。まだ埃っぽいこの新居のベッドの上で私はあした君と交わりたかった。そんな私の意思を汲んでくれたのかはわからないがあした君は私をベッドに誘った。電気が消え、彼がゆっくりと唇を私の唇に押し当ててくるのを感じながら、私は目をつぶった。
「あさって君も誘って花火大会に来なさいよ」
私とあした君の引っ越しが一段落してから母からこんなメッセージがきた。同棲の約束をする前に何度か母にはあした君を紹介していた。私は母子家庭で育ったせいか、母のことを親兼姉のように思う節があり、あした君のことは合コン以来ずっと話していた。私があした君と呼ぶので母は面白がって「あしたあさってしあさって君」と勝手に名付けて呼んでいたが、私が彼と仲良くなり母との会話の中に彼が登場する頻度が高まると次第に呼びやすいようにあさって君というのが定着していった。ちなみに、あした君というのはもちろん本名ではない。彼のメッセージアプリの表示欄にそう書いてあるのでそう呼んでいたら、いつの間にかあだ名のようになってしまった。私もその呼び名が気に入っていたし、彼も嫌とは言わなかった。それに私の名前も今日子で何となく相性が良さそうだと思ったことも一因だ。今日と明日は繋がっているということから私もそれにあやかりたいと思っただけのことだが、そんなことは恥ずかしくてあした君には伝えていない。
「多摩川の花火大会？ 席とれるかな」
「お母さんが協賛席をご近所さんからもらったわよ。三枚あるからみんなで行けるわ」
「誘ってみるよ」
仕事中のあした君に花火のことを伝えるととても嬉しそうに参加の意思を示した。二人で花火デートというわけにもいかないが、家族とも仲良くなってもらうのは悪いことではない。
仕事の都合によりけりだが今日の帰りは私の方が早かった。私は彼の分まで夕食を作り、彼が帰るのを待った。私が遅いときには彼が用意して待ってくれている。二一時を過ぎるときは相手を待たずに食事を始めるというルールがすでに私達の間では出来上がっていた。
「ただいま。いい匂いがする。すぐにご飯にしよう」
「え、すごい汗。走って帰ってきたの？」
あした君はご飯の準備ができた頃にちょうど帰ってきた。
「うん。お腹空いてたし」
「汗臭いよ」
私はあした君にお風呂に入るように言った。彼はそれを素直に受け止めて言う通りにしてくれた。今夜私が作った料理はインターネットで調べた人気のレシピを元にしている。私も彼もオクラが好きなのでそれを豚肉とチーズと大葉で巻いて焼いたものだ。大葉がいいアクセントになって口の中に清涼感が広がる。私はすでに作る過程で味見をしているのでこの料理が外れではないことがわかっていた。彼が喜ぶことも目に見えている。だから私はあした君に料理を思う存分味わって欲しいために先にお風呂へ促したのだ。焦らすことでより料理を楽しむことができる。
浴室の方から音がした。そう思ったときにはまだ頭が乾いていないあした君が私の前に現れていた。
「早くない？ お風呂からあがるの。ちゃんと体洗ったの？」
「節約節約」
「意味わかんない」
「だってお腹空いたんだもん」
あした君はカラスの行水で済ませ、何くわぬ顔で私の作った料理に手を伸ばしている。私は彼の頭に鼻を近づけてみる。
「ここはシャンプーの匂いがするけど、こっちはシャンプーの匂いがしない」
私は彼の頭の至る所を嗅いでみた。
「気のせいだって。まんべんなく洗ったよ。もちろん下半身も入念に」
下卑な笑いを浮かべてあした君は私を見ている。口ではオクラを咀嚼しながらあした君は次に私を食べようと夢想しているのだろうか。
「わかった。不問にするけど、やっぱ今度からは落ち着いてお風呂に入れるように、先にご飯にしよう」
「きょうちゃん、このオクラすげえ美味しい。俺にもレシピ教えてよ。今度作るから」
「いいよ」
「エリンギにしても美味いかもね。ミョウガなんかもさっぱりしていいかも」
「ミョウガだったらチーズと大葉は抜きでいいかもね」
あした君は風呂の話題はそっちのけで料理の話をし続けた。私もついついその話に乗ってしまう。
少食の私は皿に盛りつけた分を全部食べることができなかった。あした君が私の残りに手をつけようとしたが私はそれを制止した。
「お弁当に使いますので、あしからず」
「きょうちゃんは偉いね。毎日お弁当を持参するなんて」
「あした君もさ、節約したいんならお弁当にすれば？」
「考えとく」
私は根がケチな性格なのかお弁当を作り続けている。それに将来を見据えて今から節約に走るのも悪くないと思ってもいる。あした君にもその辺りは見習って欲しいと私は密かに考えているが彼はなかなか実行に移そうとはしない。
「花火はお母さんも一緒に見るの？」
不利な話題になるとあした君はすぐに話題を変える。
「そうだよ。三人」
「妹さんは来ないんだね」
「用事があるんだって」
あした君は私の妹が苦手なのかもしれない。流石に私の家族のことなので表立って悪口は言わないが言外にそのことは滲み出ていた。妹が苦手というのには私も納得するところがある。姉である私も実は妹が苦手だった。可愛らしい妹なのだが幼少の頃より私への対抗意識には目を見張るものがあった。
妹は去年結婚した。私より三歳年下の彼女は学生時代から付き合っていたラグビー部出の逞しい彼と結ばれた。彼氏時代から私と母とは親交があったが、人当たりの良い好青年で妹は良い人に恵まれたと私と母は目を潤ませながら喜んだものだ。ただ、妹が結婚を急く理由に私への当て付けがあったようにも思う。先に結婚することで女としての余裕を私や周囲に印象づけようとしたかのように私には思えた。妹が私に見せる対抗意識の例はいくらでもある。子供時代のテストの点、スポーツの出来、何でも私と比べたがった。中学高校は私と同じバスケットボール部に入り、私が在籍していた時は行けなかった地区大会の決勝に妹はレギュラーとして行った。大学も同じところではないにせよ、同レベルかそれ以上のところに入った。付き合う男性はいつも私の彼氏とは正反対の人間ばかりだった。今にして思えば、私が当時付き合っていた彼氏はもやし人間でそれに対抗してラガーマンの屈強な男性と妹は付き合い始めたのかもしれない。
婚約した際にも指輪を頂いたようでそれを母には控えめに、私には堂々と自慢してきた。今後は私の結婚のこともあるので、式場やら指輪のことなどで張り合ってきそうだった。子供ができたら決戦の舞台はそちらに移るかもしれない。胎児の時から何かと比べて優越感に浸る妹が容易に想像できた。私はあした君と付き合うようになってから母に対して妹へあした君の情報をあまり入れないようにお願いしてあった。それでも私は家族紹介を兼ねて妹とあした君と三人で食事をしたことがある。その時も妹はあした君のスペックを根掘り葉掘り聞いていた。きっと自分の旦那と比べたかったのだろう。嫌味の無い風を装っているがその聞き方や話し方で十分あした君には伝わっていた。私も余りにも聞くには失礼だと判断した時はその場で妹をたしなめた。
そんな妹から花火大会の当日、電話があった。
「花火大会、私も行くから」
「え、チケットは？」
「取れたよ」
「そうなんだ」
私は妹が嫌いなわけではなかった。普段接する分には可愛いと思っている。
「人ごみがすごいからわかんないけど、できたら合流しようか。ちなみにお姉ちゃん達は何ブロック？」
「Ｄだよ」
「あ、同じなんだね。ひょっとしたら席も近いかもね」
仮に近くても隣ということはないだろう。私は昨年も母と二人で見に出かけたが本当に人気の花火大会なのだ。帰りなど人がごった返し、通常なら片道十分程度しかかからない道なのに、その日に限っては会場から最寄り駅まで二時間もかかるという具合だ。そんな場所で会おうというのは無理な話だろう。
「じゃあ当日ね」
妹はそう言って電話を切った。私は一抹の不安を抱きながらも妹は単純に夫婦で花火大会を楽しみに来るだけだと思うことにした。
花火大会当日は朝から雨だった。開始時刻は夜の七時だが、その時間帯も予報では雨模様とのことだった。激しい落雷や風がない限りは雨天でも行われる。雨足を見て、私とあした君は夕方から多摩川に向かった。
駅前で母と合流した。その手には買われた荷物がたくさんあり、それを私とあした君で代わりに持ってあげる。
「あさって君、たくさん食べたり、飲んだりすると思って、買いすぎちゃったかしら」
「これぐらい軽く食べますよ」
「良かったわ。それに陽子も来るでしょ。だからその分もと思って」
「陽子達とは会えるかわかんないよ」
小雨が途絶え、会場へは傘をたたんで歩いた。道がぬかるみ、ところどころ歩きにくいところもある。会場に近づくに連れて集団の動きは鈍り、列がずっと続いた。
「すごく混んでますね。でも、これくらいの方がいいですね」
あした君がはしゃいでいる。もう少し天候が良かったらいいのにと私は天を仰ぎ見て恨んだ。
「でもね、やっぱり天気予報だと雨だから今日は人が少ない方よ」
「そうなんですね」
入り口までたどり着くと、そこで道が二手に分かれていた。予約無しでも見られる一般席方面と私達の座席がある予約席方面があるようだった。協賛Ｄ席という場所を探すとさらに奥のほうだとわかる。仮設トイレが置かれ、早くも列ができかけていた。さらに進んでいくと人が段々と減ってきた。Ｄという看板を見つけ、私達はその囲いの中に入った。何百脚ものパイプ椅子が整然と並べられている。雨でどれも濡れているが、タオルで拭けば問題ないだろう。座席の後ろに貼られた番号とチケットの番号を照らしあわせて私達は指定席に着いた。まだ開始まで一時間はある。夕陽が本来ならこの河川敷を照らすのだろうが今日は曇っていて話にならない。そしてまた小雨が降りだした。
「この辺まで来るとガラガラね」
「雨のせいなんだろうね」
「でも、まだ開始まで時間がありますから、この後どっと押し寄せてくるのかも」
あした君はそんな風に予想したが定刻になっても客足が伸びることはなかった。雨は依然として小雨状態だったが、おかげで私達は広々とした空間で花火を堪能することができる。それは不幸中の幸いかもしれない。
「陽子ちゃん達は来てないのかしらね」
「入口付近で止まってるんじゃない」
「見て、あそこ。モニターに電気がついた」
あした君が指を差した方向には液晶の巨大モニターがあり、そこには大会実行委員長なるおじさんが映っていた。各方面への謝辞を述べた後、突如、花火が打ち上がった。とうとう花火大会が幕を上げた。私達は傘の隙間から空に上がる閃光を眺めている。母もあした君も何も言わずにただ空の一点を見つめていた。
開幕の合図だったのだろうか、打ち上げが一段落すると今度は女性司会者の声がスピーカーから聞こえてきた。花火の解説をしているようだった。
「ねえ、空のあたり見てよ。雲が切れかかってる」
「そうだね。そろそろ止むといいね」
上空を流れる雲は急速に晴れていき、ついに雨は止んだ。同時に司会者の言葉も途切れ、また花火の打ち上げも再開される。私達はまたしばらく夜空の熱狂を楽しんだ。母が大量に買い込んだ食べ物と飲み物を広げつつ談笑していると妹とその旦那がこちらにやってくるのが見えた。
「空いてるから近くに来てもいいよね？」
妹は母に甘えるように確認を取った。母は二人が座れるように持ってきたタオルで座席の雨水を拭いている。
「この辺空いてるから好きなところに座りなさい」
花火は間断なく続いていた。その時私は空腹の余り食べ物に熱中していた。時折りあがる歓声で慌てて私は夜空を見上げる。
「いやあ、いいね。花火って。久しぶりかも」
「あさって君、良かったら来年もね」
母もあした君も楽しそうで私は満足だった。
花火大会が終わった後、私達と妹夫婦は母の住む家、すなはち先日まで私も住んでいた家を訪れ、休憩することになった。混雑で駅までの道が人ごみに溢れかえっていたが、道を途中で折れると次第に閑静な住宅街へと景色が変わっていく。私はふと後ろを振り返る。花火に気を取られている間は気が付かなかったが、妹は結構派手な浴衣を着ていた。私には到底似合わないであろう柄だった。足音をさせながら私と母とあした君の後を旦那といっしょになって付いてくる。少し遅れて付いてくるため、妹達が何を話しているのかは聞こえない。
実家は私がいなくなってもちっとも変わっていなかった。わずか数週間しか離れていないが私は密かに郷愁めいたものを感じている。それでも私は母が淹れてくれるお茶を飲んだら真っ直ぐにあした君といっしょに帰ろうと思った。今は新居の方が心地が良かった。いつも私に対抗してくる妹に先手を打って自慢したいくらいに私は今の生活とあした君に満足しているのだ。
（了）
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