半蔵門かきもの倶楽部コミュの第15回　たかーき作『コミュニケーション』（すいません、未完成です）

好きな事をやって生きようとか、幸せになろうとか、そういう全ての言葉は、実は雲みたいなもの。言葉には意味なんてないし、言葉には責任もないのかなと思ったりする。
ここにいる皆は、何考えてるのだろうか。夜にこうして車に乗って、音楽を流しながら、別に何か喋るわけでもなく。集まったのも、偶然そこに居合わせたから。
俺より少し年上らしいだから、俺みたいな事は、考えてないのかな。何を考えてるかなんて知らない。多分、何かの共通点はないと、意気投合はしない。

俺は車に乗りながら、半年前の事を思い出していた。
ノブさんっていう、俺がいつも親しくしている、１０歳くらい年上の人と、ミカちゃんっていう、俺より１つ年上の仲良しの女の子。３人で公園に行って撮影をしていた。
ノブさんは、楽天のネットショップ上で小さなエスニックファッションの店をやってて、たまに服のモデルを友人であるミカちゃんに頼み、俺も手伝うのだ。
ミカちゃんは、エスニックの服が似合う小柄の女の子。こういう事には慣れているようで、喜んで手伝っていた。ミカちゃん本人も楽しそうで、
≪あー、これはねえ、こっちの取り合わせの方が似合っとるよー！≫
なんて、自分から楽しそうにノブさんに意見をだしてくれていた。
その帰路についている時だった。ノブさんは、俺とミカちゃんに言った。
≪売上は、大分伸びてるよ≫
≪けど、まだ家計にはプラスになってないかなあ≫
≪けど仕事は楽しい事やるのが一番だよ。好きな事やるのが一番だね≫
…そうだよ。それは、そうだと思う。
その言葉は、ノブさんの自分の考えを言ってたんだ。それだけの事。
でも俺にとっては、その会話は他の全ての会話と同じく、何かが欠けた会話でしかなかった。何が欠けてるかわからない時、その違和感は殺すか、せめてありきたりのコミュニケーションの中に、その欠片を必死に探すしかない。その正体が見つかった事なんて、一度もない。
≪うまく、行くといいよね≫
俺は、そう言った。そうとしか言えなかった。

今、車は東京の繁華街を４人で走っていた。
今日、この車には俺の知ってる人はいない。でも乗せて貰った。俺以外の３人は、多分、お互いに「顔見知り以上親友未満」で、友達と言えば友達同士の関係なんだろうな。でも、そんな事いちいち言葉に結ばないのが、なんだろう、コツと言うか、テクニック？みたいな。
「ここ？」と、運転手の男は助手席の人に尋ねる。
「一つ先ですよ。ドンキあるから、その裏にいるって」
助手席の人は、ナビと、携帯電話のメールの内容を頼りに、道案内をしている。
「メールで言ってたの？」
「さっき連絡来ました」
穏やかそうなその運転手は、年齢がわからない。
助手席の人は、運転手に敬語を使っている。何かが、その運転手に対して敬語を使わせてる。運転手は周りから「社長」と呼ばれ、好かれているようだ。
それから、今俺の隣の席にいる女の子は、助手席の人と一緒にいた子だ。「社長」とも知り合いらしい。物凄く明るくて、ずっと笑ってた。さっきは俺が音楽に合わせて体揺らしてただけで「ヒャッハー！」とか言いながら一緒に踊ろうとしてきた。
今は一言も喋らなくなったと思ったら、隣の席で寝てる。両耳はピアスだらけ。頭は、ヒッピーバンドっていう紐で縛ってて、オレンジ色の花柄が沢山ついたスカートを穿いてる。
やがて、その車はドンキホーテの隣にある道に堂々と停車した。そこは人の少ない裏路地、と言いたいところだけど、東京のこの辺だから、この時間でも、出身も知らない肌の黒い人や白い人が、何語かもわからない言葉で爆笑している。
”笑う奴は、なんで笑うんだろうか”
そいつらを眺めながら俺はそんな事思っていた。どうしてあいつらは笑ってるんだろう。俺が話に入って、あいつらの話が理解できて、その空気を共有してても、あいつらは笑って、俺は笑わないだろうな、なんて思う。
「あれ？海着いた？」
隣で寝ていた女の子は、俺に聞いてきた。寝起きのぼんやりした感じの声ではなかったから、本当は起きていたかもしれない。
「まだ。あの人に用があるって」
俺はそこにいた、まるで占い師みたいな風貌の人を指す。実際その運転手と助手席の人は、車のエンジンを切って、車を降りその人の所へ行こうとしている。
「カナエちゃんも、来るかな？Ｎくんも？」と、社長さんが言ったので、俺とその女の子は車を降りる。カナエちゃんというその子は、その時なぜか、アハハッ！と勢いよく笑う。なんだろう、その笑いの意味くらい、わかった事にしたかった。
「おっ？Ｎくんも行こーぜ？」
「う、うん…見るだけね」

何をやっても、どこに行っても、わからない事はずっとわからないままだ。
けど、自分が今何をやっているのかとか、そういう状況だけはわかっておかなきゃいけない。自分は時々制御できないし、流れに乗るだけだけど、どの流れに乗るかの選択ならできる。それは自分で好きにしていい。俺は、果たして自分が望んだ流れに乗れてるのか、というのもわからなくなるけど。
４人が乗る車は、そのまましばらく道を走ると、六本木の街を後にして進んでいく。
明るくて楽しかったカナエちゃんは、なぜか目をパッチリ開けて、
「つーか、なんで上の世代の奴ってさ。下の悪口ばっか言ってんの？おめーら老害が世の中ギスギスさせといて、若者に負担押しつけとかおかしくね？」
誰に向かってでもなく悪態をついていた。
「ああ、確かに…」助手席の人は返事をする。
「戦後とか、ヒロポンとか言って、シャブ流通させて普通の感覚で使ってたんでしょ？そんな老人が偉そうにしてる時点でおかしいっつってんだよ！」
俺は、彼女の叫びに何を返していいかわからなかった。
とりあえず窓の外を見る。そこには、街灯が光っている。車は首都高に入ろうとしていた。

≪大学の、就活向けの会で大企業の人が来ててさ。コミュニケーション能力が大事って言ったんだ≫
俺は以前、ノブさんとミカちゃんに、そう話した。
≪コミュニケーション能力ってなんだろうね？≫
俺は質問した。
≪仕事で、人の意見を聞いた方がいいって事かなあ≫
ノブさんは、そう答えてくれた。
≪じゃ、聞いたら何考えてるかわかるの？≫
≪うーん≫
≪コミュニケーションしても、解決しない事が多い≫
≪うーん≫
ノブさんは唸った後、
≪しないよりは、いいって事じゃない？≫
と言ったので、俺は、結局ノブさんもありきたりな事しか言ってくれないのかなと、がっかりした記憶がある。
≪でも、何かが、わかんないんだよね≫
ノブさんに、俺はそう聞いた。
≪ん？≫と、ノブさんは俺の言葉に返事した。
≪でも、確かに言葉にすると、わかる≫
≪あー≫ノブさんは、たばこをプカプカふかしながら、唸った。
≪でも、その後、またわからなくなる≫
≪…ま、そうだね≫
ノブさんは、気を使ってくれたのか、曖昧な返事だけにしてくれた。
その時、ミカちゃんもタバコを吸いながら、
≪あー、なんか、そういうの私もあったさあ≫と言った
≪もう死んだ子だけど、地元の幼馴染んちで話してたんだ。そしたらさあ、私と同じ事悩んでたんよね≫
≪うん≫
≪…でもさ、それって、実際同じ同じって、口では簡単に言うけど。でも実際、違うじゃん？んー、なんていうかな、うまく言えんけど、言うと、みんな同じなんだけど、ほんとは、違かったんだ≫
俺は、それになんて答えたか覚えてないけど、そのミカちゃんの言葉が凄く残った。

物思いに耽っていると、音が聞こえてくる。
車は国道を曲がり、細い道に入っていた。
「聞こえるね」と俺は言うと、「まじだー！もう始まってたんだー！」と、カナエちゃんはとても明るい、喜んだ感じの声で叫んでくれた。
この音を聞くと心がスーッと、なんかいい所に沈んでいく。
俺たちも車の中で、フルオンのサイケデリックトランスを流してるけど、ダウナーのゴアトランスもいい。外で、潮風に当たりながら聞くのは本当にいい。だから俺もカナエちゃんも、窓を開ける。そしたら音は大きくなって、夏の夜の生暖かさと一緒に俺たちの体に速やかに溶け込んでくる。車はスピードを落として、海に続く狭い道に入った。
「うっわー、すごくない？」と、カナエちゃんの声。
石だらけとなったその道をガタガタ揺れながら車は進む。暗闇の中でもよくわかった。その道は鬱蒼とした林に面してて、普通なら車で入るような場所じゃない。人の気配なんてないし、さっきまであった街灯ももうまばら。ゴアトランスの音だけが、少しずつ大きくなっていく。
その先にある少し広くなっている場所に停車した。車が数台止められるっていう場所がここらしいんだけど、要するに、ちょっと広い行き止まりだ。
「社長、ヤス、早く早く」
カナエちゃんは、「社長」こと運転手をせかしている。「ヤス」と呼ばれている助手席の男は、カナエちゃんの声を聞きながらゆっくりと支度を始めた。
こうして俺達４人は、車を降りる。改めて感じる、海の匂い。黒い大気に響く、ゴアトランスの音。音はますます大きくなっていた。
車のトランクを開けて、荷物を分担して持った。俺と、社長さんと、ヤスさんの３人は、ビーチに広げるテント、ビニールシート、みんなで出し合ったお菓子、ドンキでたくさん買った酒、花火、シャボン玉を出す道具、灯油、薄い布団、寝袋、色々背負いながら海の方に続いている道に吸い込まれていった。

俺達は会場に到着した。

焚火が、天に向かって火の粉を巻き上げていた。神々しい光は海からの波の音に調和しているかのよう。
その不規則な調和に、ＤＪブースからひっきりなしに流れてくる１４０ＢＰＭくらいの機械的な音楽が合わさり、不思議な感触をビーチ全体に奏でる。会場全体に香の匂いが立ち込める。
エスニックな装飾が、ブースから辺りに張り巡られた糸に、沢山ぶら下げられている。ノブさんの店でも雑貨として扱ってそうな、ドリームキャッチャー。ブースにはガネーシャの置物。鮮やかなタイダイのＴシャツを着て踊る人たち。ラフなタイパンツを穿いている。ぶら下げられた小さなミラーボールの数々に、緑色のレーザーが乱反射する。
焚火の近くでは、人の背くらいの棒やチェーンの先端に、火を灯してグルグルと回しながら、ダンスを踊る一団。
夜のレイヴ・パーティ。
また、来ちゃったんだ、と思った。ああ、なんだろう、結局俺、ここに来ちゃうんだ。
週末は、いつもこんな感じ。なんとなく昼間に代々木公園とか、荒川の河川敷とか出かける。いつもは、ノブさんやミカちゃんの仲間たちに誘われる事が多いけど、一人でも行く。大抵誰かが何か音楽かけてるから、そこで踊って、その場にいる人たちと、流れで夜も別のレイヴに行ったりする。そんな事ばっかり。
昼間のレイヴも楽しいけど、夜のは格別だと思う。
「おおー！来てたんだあ！」
「おひさー！」
俺がテントを準備を手伝っていると、カナエちゃんが、その辺りにいた他の女の子と抱き合った。彼女たちは知り合いらしい。
「ユリちゃんと、アスカちゃんかな？ケンジくんもいる？」
社長さんが、彼女たちの名前を呼んでいたが、俺は名前の知っている子は一人もいなかった。背後の焚火が彼女たちを照らして、そこにいた数人の女の子の集団の格好も、よく見えた。普通の服装の子から、最近のギャルっぽい、金髪に上下黒のジャージに大きいサングラスみたいな格好の子、それに、カナエちゃんと同様のアジアンファッションの子も数人いた。柔らかそうなストールを首に巻き、左手には木製のバックル、エスニック柄のチュニック。
（ノブさんの店で売ってた柄に似てるストールだ！）
俺は、あの撮影の日のミカちゃんの格好を思い出していた。その格好に似ていた。あのミカちゃんの姿はとても似合っていて、ノブさんの店のサイトに、今でもトップページに出ているくらいだ。その姿に、なんとなく似てる。
ああ、ノブさんやミカちゃんたちも、久しぶりに、一緒に来たらよかった。

俺は、みんなに誘われて、音に合わせて踊ったり、ファイアーダンスを踊ってる人たちに声をかけ、やらせて貰った。
俺は、それを何度もやったことがあった。これの要領は、クラブでよくやってた、ルミカライトに紐をつけて踊るやり方と同じだ。
みんな、好きな事好きにやるだけ。踊るのが好きならそうしてればいいし、風を感じながら海を見てても、お喋りをしててもいい、音に浸りながら寝ててもいい。
俺は、火を持って踊ってるのが楽しくて、もう何も考えずに踊りまくっていた。周りに気をつければ、手の甲くらい火傷してもどうでもよかった。髪の毛も数本燃えたけど、楽しかった。
音楽が、段々早くなってくる。さっきまでのノスタルジックなゴアは、血が沸騰するような、１５０ＢＰＭくらいのサイケになってきた。俺は、それに合わせて踊った。体が疲れてきても、どこまで音楽に合わせて、無我夢中になれるか、体力の限界までそれができるか。今を生きている事を証明するかのように、ほとんど自分を忘れて踊った。
（まだ、終わってないよ。楽しい事）
俺は火の球をぶんぶん振り回しながら、一人でそんなことを考えるに至っていた。
３年前に、「好きな事は何でもやっちゃおう」と決意した。そういやノブさんも言ってた言葉だ。そうだ。あのころはその言葉だけを信じてればいいと思ってた。
学校でちょうど、好きな人に彼氏がいることが分かったり、先輩から嫌なことをされまくったりした時期。前から行きたいと思っていたクラブに初めて行った。そこで友達作って、はまって、週末はしょっちゅう行って、ユーロ系のトランスで踊りまくっていた。「学校の真面目な奴らで、こんなところに来てるやついないだろ」っていう、自慢みたいな気持ちもあった。
でもそのクラブが潰れてしまって、ある時たまたま代々木公園に行って、サイケデリックトランスのレイヴを知った。そこでミカちゃんやノブさん等、今でもずっと話し相手になってくれてる、親友っていうのか、それを作って。
凄く楽しい、と思った。高校生までの、ほとんど引き籠りだったころに比べて、人生って滅茶苦茶楽しいぞって。あの音楽かけながら全身全霊で踊りまくって、恍惚感っていうのか絶頂感っていうのか、そういうのをマジで体全体で体験しまくって…。
楽しかった。幸せだった。
でも、クラブで最後に踊った時の、あの「今ここで死んでもいい」っていうくらいの、あの感じを受けてから…なんだろう、レイヴに移ってからも幸せはずっと続いてたはずなんだけど、ここ最近、何かが、摩耗してきた。
「幸せはずっと続くはずだ」と思ってた。今日感じた絶頂感は、明日はもっとえげつない感情になって、明後日はもっとすごい事に…っていう。

疲れた。
沢山踊った。今日はちょっと疲れやすいだけだと思う。気分の問題だ。俺は、クラブで踊っていた１年半前より、自分が疲れやすくなってるのは気のせいだと思いたかった。
踊り疲れて、俺はファイアーダンス用の道具を、借りていた人たちに礼を言って帰すと、自分たちのテントの方に戻った。
「はあ」と、ため息をつく。気づくと、汗のせいでちょっと寒気を感じる。左手の甲の毛、かなり縮れたっぽくて面白かった。
テントの中は社長とヤスさんが酒を飲みながら喋っている。今日初対面の、俺と同じくらいの年の子２人が寝袋に入って寝ていた。
「Ｎくん、楽しそうだね？」
ヤスさんがビール缶を渡してくれた。テントの中でも音楽の、速い一定のリズムが支配している。
「あ、ありがとうございます」
俺は、ビールを受け取り、グイッと飲む。
飲むだけ飲むと、ふう、ともう一度溜息をしてしまった。しゃがんで、後は特に喋る事もしなかった。
「さっきの火回すやつ、結構やってるの？」
社長さんが、俺に質問してきた。
「あ、はい。前にやり方教わって」
「ふーん、そうなんだ」
社長さんはにこっとした。俺は、そこで会話を楽しもうとはしなかった。何故だろう。体が疲れたからっていうんじゃない。それに、みんなにも感謝してるのに…。
「Ｎくんって学生？」
ヤスさんは、俺に質問する。
「学生です」
学生です、以外に何か言わなきゃいけない気もした。福祉の学部入って、今大学３年生だけど、勉強が嫌になって全然できてません、とか。そろそろ就活だけど何もやってません、とか。実は卒業できるかわからない、とか…。しかし、この場にいる人に言う事じゃない。
「そうなんだ。ま、楽しい事できる内に、楽しい事やった方がいいよね」
ヤスさんのその言葉に、俺は、何も答えられなかった。

カナエちゃんがテントに現れ、ヤスさんを呼んだ。向こうの方で、数人で集まるらしい。
テントは俺と、社長さんと、２人の寝袋に入っている初対面の子たちだけになった。社長さんも、起きているのか寝ているのかわからない体勢で目を閉じている。
「何なんだろう」ふと、自問してみる。
テントの外を見た。外を眺めると、その夜という空間に充満している、潮の匂いや、サイケの音がリアルに突き刺さってくる。多分、俺は今、自分を客観視してる。自分が今何をやっているのか、どういう場所にいるのか、雲の上から見ている感じ。

踊り狂う人たち。
上半身裸の人もいる。奇声を発している人も。曲が別の曲へと切り替わるたびに歓声が上がる。
一緒に踊っても、ボーっと眺めていても、ていうか何をしてもいい。多分許される。自分の楽しみたい方法で楽しめばいいんだ。ビールだけ飲んで、音楽を楽しんでもいい。実際、そういう人もいる。誰でも歓迎、そういう場だから。
俺も「純粋に音楽が好きでこういう場に来ている人」でいたかった。俺は真面目な大学生。今日はただのストレス発散なんだ。
…うん？
本当に、ただのストレス発散なのか。こういう場所にまで来て、俺は一体、何守ってるんだろう？言葉で「俺は○○な人間だ」「○○は大事だ」とか説明し、言葉でそれを守る事を正当化し、言葉で価値観を積み上げる。言葉、言葉、言葉…。
何の意味があるの？

自然と、さっきのドンキホーテの裏路地での出来事を思い出す。
俺達４人は、六本木のドンキホーテの近くで、車を止めて、見知らぬおじさんに会った。３人は、そのおじさんと顔見知りらしかったけど。
おじさんは、俺の顔を見ると「初めての子かな？」と聞いてきたが、特に拒否する様子もなかった。
社長さんは、５千円札をその人に差し出し、その人から小さなガラスケースに入った『インクジェットプリンター用の洗浄液』を購入した。
…その意味する事は、わかっていた。でも俺は単に面白いものを見たい、こういう世界も見ておきたい、くらいに思っただけだ。
『へえ、こうやって売るんだ』
という感じ。
でも俺は、単に見てるだけだ。別に、酒があれば楽しいし？俺は、そっちの世界にいる人たちだって確かに友達って、思ってるし、偏見もしないし感謝もしてる。でも、彼らは彼らのやり方があって、俺が彼らと同じ楽しみまで共有しなくってもいいんだからさ。
そんな風に思っていた。さっきまで。

「…うあー」
と、寝袋にくるまっていた女の子が声を上げた。どうやら起きたらしい。
「あ…お、おはよう」
俺はぎこちなく、その初対面の女の子に声をかけた。
「あれー？カナエちゃんいないの？」
その、黒ずくめのギャルっぽい子は、俺に聞いてきた。
「あ、なんか、ヤスさんとカナエちゃんは、一緒に向こうに…」
「そうなんだ。あれ？君さっき楽しそうに火ぶん回してた人？Ｎ君だっけ？」
「あ、うん…」
「メッチャやばいね！なんか食ってる？」
「食ってるって…ドラッグの事？」
「素面か！素面であれって凄くね？」
その子は、さっきカナエちゃんと抱き合ってた子だった。
「ねー、あれっしょ？みんな今使ってるんでしょ？社長さんの持ってるやつ」
「…うん、多分そうなんだと思う」
「Ｎ君は、行かないの？」
「みんな、どこにいるのかわかんなくて」
「多分、ＤＪブースよりもっと奥の、公衆トイレの影あたりにいつもいるよ？」

俺は、その場所に足を運んでいた。
そこには、本当にカナエちゃんやヤスさんがいた。
「ホントにやんの？あれ、Ｎ君今日初めてだよね？」
「う、うん」
「別に、強制してないからね？こんなんやらなくても人生楽しいよ？」
笑いながら言うカナエちゃんの言葉は、しかし意外と現実的だった。
「うん、でも使ってみたい。お願い」
それでも俺は言った。ほとんど勢いだけだった。
「まあ、いいんじゃね？でも自己責任だよ？一回でも使ったら、人生変わっちゃうからね？」
ヤスさんが、念を押してくれた。
「わかった。じゃあ」
カナエちゃんはケースの一つを俺に渡した。
「やっぱ、人生変わるの？」
ケースを見ながら、俺はヤスさんのさっきの言葉に返事をした。暗闇の中、ケースをよく見ると、ドクロのマークが書かれている。英語でＤＡＮＧＥＲと大きく書いてあるのもぼんやりわかる。
「うん、変わる」
カナエちゃんが答えた。
「あの、一応聞いてもいい？これって合法？違法？」
すると、カナエちゃんは笑いながら、
「あのねえ！合法も違法も、一緒だよ？合法ドラッグっていうのは、法律に引っかかんないように無理やり本来の薬の成分を違う物質に変えてるだけだからね？むしろ、それで本来の薬よりやばくなっちゃうのもあるらしいからね！」
「うん…」
「でも、シャブは別だけどね。他の何やってもいいけど、シャブだけはやめとけって皆言う。あれは人間終わるからさ」
俺にはなんか、カナエちゃんのその言葉は「シャブに手出してない私はまだ大丈夫」と言ったように聞こえた。今俺もまた、薬を使おうとしてるんだけど。
すると、俺たち３人のところに、他に３人ほどの若い男女が集まってきた。
「あ、それ？」その人たちの一人が、ケースを指して質問する。
「そうだよ。ちゃんと社長さんにお礼言っときな？」
そこの人々にも、それぞれ同じケースが配られた。
「じゃ…」
そう言って、その３人は、ケースを開け、口に流し込んだ。
（これって、飲むんだ…）
そして、それに続いてヤスさん、そしてカナエちゃんも、そのケースの蓋を開け、飲んだ。
俺は、まだそのケースを手に持っていた。
「あれ、君もう飲んだ？」
初対面の子が、俺に話しかけてくれた。
「いや、まだ…」
「アハハ、彼、今日初めてだからさ！」
そう言ってくれたのは、カナエちゃんだった。
「あの、普通に飲めばいいの？」
「そうそう」とカナエちゃんは言った。
「大丈夫だよ。一気にグッと」初対面の男の人が、そう言った。
俺は、いよいよそのケースの蓋を開けた。
「じゃあ…」
俺は、それを口元に運ぶ。ぐいっと一気に傾ける。その薬は俺の口の中に入っていた。俺は一気に流し込んだ。
「おー！行った！Ｎ君おめでとう！バージン卒業！」
カナエちゃんが、アハハと笑いながら、祝福？の言葉を俺にかけた。

何も起きない。
気持ちよくなったりとか、全然ない。すぐは効かないのか？
体の感じも、特に何も思わない。空は暗くて、星が光っているのが普通に見えるし、さっきから聞こえるＢＰＭ１６０くらいのフルオンの曲が、何かこう変な聞こえ方するとか、人の顔が歪んで見えたりとか、そういうのもない。いつも聞いてる感じ。
「すぐには、効かないの？」
俺はカナエちゃんに静かに質問する。
「んー、３０分くらい。決まったら、ブワーッと、空がパノラマに見えるよ。で、ブリブリになる」
「ブリブリ？」
そんな擬音語で言われても、絶対わかる人にしかわからない。俺は、その時が来るのを待つしかない。
３０分？長い。待たなきゃいけないのか。これは緊張する。
「結構、長いね…」
俺は、カナエちゃんに言うと、
「個人差もあるからね。すぐに効いちゃう人もいるよ」
と、彼女は答えた。できればすぐに効いてほしかった。

コメント(9)

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[1] mixiユーザー 04月10日 02:47

そのまま１０分経過した。
何も変わらない。３０分と言われ１０分で何もないのは当然だけど、イライラする。
「お、俺、ちょっとあっち行ってる」
俺は、そわそわしながら一人で海の方に歩いて行った。

俺は、携帯の時計をこまめにチェックしていた。
飲んでから、１５分経つのにちっとも効かない。
「…いや、３０分だから、まだ効かないだろ？」「でも、効いてもいいんじゃ？」等と一人悶々とする。なんだこの時間。こんな長い３０分間初めてだ。
俺は、でもそんなドキドキするのが、なんか嬉しかった。最近もう、興奮とか、感動とか、段々薄まってる自分が嫌だった。もう、ドキドキする事なんて何もなくなっちゃたのかな、感情とか枯渇したのかな、と思ってた。それで、あとはもう平凡に「生きるとは、存在しているだけである」みたいな状態になるだけだって。
…でも、こんなにドキドキする事まだあったんだ。
「まだ、青春終ってないんだ」
と思った。

ザーン、という大きな波の音が聞こえてくる。
危うく波がかかりそうになったけど、俺の足の辺りで跳ね返った。

俺は、あまりにも時間が長すぎるので考え事をしていた。
「カナエちゃん、バージン卒業って言ってたな」
そういえば、前、ネットでＭＤＭＡの錠剤の画像を見た事を思い出す。
ピンク色の、薬とはとても思えない物なんだ。石に色塗ったくったみたいな。
そこに「ＬＯＶＥ」って字が彫ってあった。そういう薬。
人生何もかも、誰ひとり信用できません、何やっても裏切られました、で、どうでもよくなった時その薬を見たら、救世主に見えるんじゃないか。
もし、大きな箱でトランスがガンガンかかってる状態で、そんな薬で”卒業”できたら、その人は…。
幸せの絶頂だと思う。

「…何、言ってんの？」
俺はまた自問する。ＭＤＭＡで幸せとか、憧れる時点でおかしいよ。何カッコいいと思ってるんだ。
カナエちゃんは色々やってんのかもしれないけど、俺はまだ、合法のを１回きりだから…。
そう思っていると、今度は、強い罪悪感に捉われた。
「…俺、何やっちゃったんだろう」
そうだ、俺、もうやっちゃったんだ。
合法とか違法とか、関係ない。
自分では、自分の事を、意思が強いって思ってた。なんだかんだ言っても、真面目な大学生だし、と思ってた。でも俺、確かにさっき、飲んじゃった。もう俺の体に入っちゃっただろ？もう手遅れ！俺もう使っちゃったんだ。ドラッグ。これが事実。
何、やってんの？これもう自分の人生に永遠に残っちゃうんだよね？ゲームの中とかの出来事じゃなくて、自分の事として。

携帯を開いて、時間を見る。もう２２分経っていた。遠目に見ると、カナエちゃんたちは、まだあそこにいる。
「あー」
というカナエちゃんは言った。
「うわっ、これ、え？すごい！」
そんなことを言ってる女の子もいる。
何が？何がすごいっていうんだろう？
「あー、繋がってる、繋がってる…」

「はーっ！」
俺は、強くため息をする。
いや、大丈夫だ、俺はまだ何も変わってない。
何も、変わってないんだ。
波がザーンと、もう一度俺の足元まで来た。
そして、俺の足が冷たくなった。
「え？」
しかし、それは、波が俺の足にかかったからだった。
靴が、濡れたようだ。それだけだ。確かに、それだけだった。

時間を見る。
２７分、経過。
遠目に見ると、カナエちゃんたちは、まだあそこにいて、何かをしている。
「なんか、あれ、あそこ見て」
「繋がってるわ。繋がって見える。そう思わない？」

俺は、落ち着いて我に返る。
ずっとフルオンのサイケが流れている。
もっと早くなってきた。１６０ＢＰＭくらい。
「早く、なってるよね？」
俺は自分の感覚が信じられなくなっていた。さっきから何も変わってないのに、俺の感覚が歪み始めただけじゃないか？という疑いを持ち始めていた。
歪んでるのかな。よくよく聞いてみると、うん、確かに、そんな気もする…。
ってことは、薬、効き始めたのか？
いや、まだだよね？まだ効いてないよね？
まだ、ギリギリ３０分になってないしさ。
俺は、そう思って、いよいよ心臓がドキドキしてきた。それで周りをきょろきょろと見渡した。
空。
海。
ＤＪブース。
音楽。
そして、一人の人が俺の後ろにいる。

[2] mixiユーザー 04月10日 02:48

↑すいません、未完成ですが、そのまま出します。
まだ、半分くらいです。
続きは、いつか書いて発表するかもです。

[3] mixiユーザー 04月11日 09:35

危険な香りのする青春小説ですね。
それぞれのキャラクターが色々闇を抱えていそうでした。

[4] mixiユーザー 04月11日 11:27

>>[3]
ありがとうございます。確かに、全員が闇を抱えていると思います。

[6] mixiユーザー 04月11日 17:46

うまく言えませんが、キャラクターに合わせて文体を使い分けている感じがすごいなと感じました（過去作品も拝見して）。世の中には、「コミュニケーションって？人生って？」みたいなことを全く気にせずにざっくり生きている人もいるし、この主人公みたいな細かいことを考える、心の網目が細かい人間もいる。そんな主人公の性格がよく表現されていると思います。

レイヴのようなところで音楽に合わせて踊る、こういう行為って臨場感がものすごく重要になる気がします。そこの描写が、ちょっと日記的になっている感じもしました。体感的な表現と、説明的な要素と、主人公の心理的な独白と。これを上手に組み合わせるのって結構難しいなと感じました。もやもやしててすみませんが、そんなことを思いました。

[7] mixiユーザー 04月11日 18:43

>>[5]
ここに足を踏み入れた理由は、この文章だけでもわかるように、もう少しわかりやすくした方がよかったと思いました。
音楽は、音楽そのものを文章では伝えられないため、どのくらい読者に伝わっているのかがわからないのがもやもやしますね。

[8] mixiユーザー 04月11日 18:57

>>[6]
まず、先日の哲学カフェでは急に不参加になってしまい、申し訳ありませんでした。

臨場感、足りなかったですかね。
確かに主人公の回想が所々に出てくるために、現在のシーンがうやむやになりやすいのが問題と思います。

過去作を読んでいただいたようで、ありがとうございます。

[9] mixiユーザー 04月11日 19:07

>>[8]
いえいえ、その後体調は大丈夫でしたでしょうか？
臨場感は、伝わってきます！その感じわかるー！という共感もあるんです…が、なんていうんだろう、うまく言えない…。火の熱さや、夏の夜のじめっとした感じがないのかな？主人公の心のフィルターを通して見た世界というのは、すごく伝わってきます。えらそうにすみません。

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