半蔵門かきもの倶楽部コミュの第14回おたけさん作『タスマニアデビルな彼女とトーテムな私たち』

「天然のヒジキには、ヒ素が入っているから身体に悪いらしい。意外だろ？　健康なイメージしか無いのにな」
　パリ市内の中心部からは外れたアナトール・フランス駅。私がパーティー会場へと急ぎ、駆け足で飛び乗った地下鉄でのこと。革ジャンを着た中年男が、不機嫌そうな連れの若い女性に向かって、ヒジキについて講釈を垂れていた。
　ヒジキは本当に健康に悪いのだろうか？　私は考えたが、その答えは分からなかった。それだけでなく、不機嫌そうな女性にヒジキの話をするのが正しいのかどうかも分からなかった。
　私は、そんなことを考えながら、今日のパーティーで配るための名刺を、懐に入った銀のカードケースから取り出し、内容のチェックをした。つやつやとした光沢のある名刺には、ジャン・リュック・サポールという私の名前と、メールアドレス、Facebookのアカウントが記されている。なかなかの出来映えだ。やはり自分で作るのとは異なり、質感が違う。ざらついた手触りの名刺なんて受け取れば、それだけで心象を損なうだろう。金を出して業者に作ってもらうなんて、馬鹿馬鹿しいと姉には言われたが、金を出した意味はあったと思われる。
　裏面を見てみると、そこには話題になりそうな個人情報がいくつか書かれていた。職業として獣医師。年齢として37歳。趣味として映画鑑賞とカメラ（主に動物が対象という説明付き）。旅行したことがある場所として欧州各地、インドと中国、そしてアフリカ。アメリカが入っていないのがポイントである。
　業者に記載を依頼したのは、それだけだった。本来なら、もうひとつ書くべきことがある。それは分かっていたのだが、私はそれを書くのを躊躇《ためら》った。だが、それについては必然的に話題に上ることだ。そういう意味では書いても仕方が無いのかもしれない。
　そう思い直した私は、名刺を片付け、地下鉄が奏でる音へと意識を向け、ゆったりと、しかし、緊張した心境の中で、独身者用のパーティー会場へと運ばれていくのを待った。その状況を客観的に見つめると、ベルトコンベアに乗せられた食肉用のウサギのように思えてしまった。私も、どうせならウサギになりたかった。ウサギのトーテムの男性はモテる。理由は簡単だ。そういった魅力があるからである。そして人間というのは結局、そういう魅力が大好きなのだ。

　サン・ラザール駅で乗り換え、ヴォージラール駅で地下鉄を降りた時、私は、ふとあることに思い至った。それは、先ほどの彼女はウミガメのトーテムなのかもしれないということだった。
　そう、それなら、連れの男がヒジキの話をするのも分かる。ウミガメな彼女は海藻が好きに違いないし、ウミガメな人間にとっては海藻の一種が健康を害するなんて、人生の危機と呼んでもいいくらいに重大事だ。だから、連れの男は彼女を気遣い、ヒジキの危険性を伝えたのだ。これからは、ワカメやアオサを食べた方がいいよ、と。
　そう考えると、そこに思い至らなかった自分が急に恥ずかしくなってきたと同時に、だから女性と付き合ってもうまくいかないのだろうと心の中で自嘲した。
　トーテム。それは、社会に生きる人々の最大の関心事である。
　我々は普段の会話でトーテムのことを話題に出さないが、トーテムが、この人間社会で何よりも重用視されているのは確実だ。
　たとえば、あなたが会社の採用担当者で、馬のトーテムの人間とナマケモノのトーテムの人間、どちらか一方のみを採用するとしたら、どちらを選ぶだろうか。
　会社への復讐のために経営を傾かせたいと願っている人でない限り、選ぶのは馬のトーテムの方だ。馬のトーテムの人たちは、とにかく働き者だ。過重労働を苦にしないし、何時間でも働く。それでいて、仕事が終わってからジムで何キロも走ったり、カラオケで夜通し歌い続けたりできるほどに元気だ。一説によると、あのナポレオンも馬のトーテムだと言われている。だが、その背丈からして騾馬のトーテムかもしれないと指摘する歴史家も存在する。
　一方、ナマケモノのトーテムについては説明不要だろう。イメージそのままである。ぶら下がって、ぶらぶら。何にぶら下がるのかといえば、異性や友人にだろう。
　しかし、そもそもトーテムとは何なのか。それは「一族」とか「血縁関係」と言い換えることができる。また、それは単なる概念上の問題ではなく、その一族関係を表す身体的特徴というものも存在する。具体的には、特定の動物をイメージできるような遺伝的な特質であり、たとえば、キリンのトーテムなら首が長めだし、ゾウのトーテムの人々は耳が大きく、鷲のトーテムの人は鷲鼻だ。私はリスのトーテムのため、残念ながら出っ歯で、体毛が茶色で、ストレスでハゲが出来易い。
　先史の頃は、同じ血縁関係にあるというイメージを持ち易くするために、ご先祖様たちは自分たちのトーテムである動物や鳥、昆虫などの形に木を彫って、それを自分たちの家の前に、家守の精霊もしくはルーツとして祀っていたといわれる。大の大人が「自分たちはフクロウの一族だ」などと宣言したのをイメージすると滑稽だが、それが大航海時代やアインシュタインが相対性理論を発見したのと同じく、実際の歴史なので仕方ない。
　とはいえ、自ら進んでトーテムを宣言した者ばかりでなかったことだろう。ブタやネズミのトーテムなんて自分から宣言しようとは思えないからだ。自虐的に作ったのかもしれないが、食べ物とセックスのことばかり考えているような古代人がそのような屈折した思いを抱いているとは考えづらい。きっと、より強い誰かから、それらの好ましく無い動物を押し付けられたのだろう。歴史で生じることなど、学校の教室で生じることと対して変わらないのだ。
　それに、恥ずかしいという心理が昔から存在したことを示す証拠として、何世紀も前から、出っ歯を削ったり、ブタ鼻をスカーフで隠したり、耳を大きくしたり、つけ鼻をしたりなどして、人々は誇れないトーテムを隠し、他のトーテムだと嘘をついてきたのだ。そのため、現在、好ましく無いような生物のトーテムは絶滅が危惧されており、ダンゴムシのトーテムに至っては去年、地球上から絶滅してしまった。
　私のリスのトーテムも微妙なところではあるが、リスの可愛らしさに魅せられた祖先が誇りに思って作ったのだと思いたいものである。だが、祖先がそう思っていたとしても、私は誇りに思えていなかった。だからこそ、名刺にトーテムを書けなかったのだ。まあ、自分のトーテムに愛着を持てないのは、私が男なのもあるだろう。リスの女性は可愛いというのが通説だから、女性なら誇りに思えたに違いない。
　そう考えるとトーテムは本当に残酷だ。たとえば、左奥の優先座席に座って威厳たっぷりに新聞を読んでいる老人。彼の威厳は、大鷲のトーテムだと言われても納得する程だ。しかし、実際、ネズミだったらどうだろうか？　それを知った人々は、彼を小心者で、小狡くて、せこせこ生きていると判断するだろう。しかも、彼の実際の生活を知らないとしても、そう判断するのが世間なのだ。
　そして視線を移すと、私の向かい側の座席では、気の弱そうな学者肌の男性が、気の強そうな女性から別れ話を切り出されている。あなたには将来が無いと。
「なんで、そう思うの？」
　男の間抜けな質問に、女は鋭い短刀で一突き、脇腹に刺すが如く、
「成長しないから。」
　女のざらついた冷たい言葉から連想されるのは蛇のトーテムだった。いつまでも脱皮を続け向上し続ける蛇の女性にとって、脱皮をしない男など理解できないだろう。このように世界には、相互不理解の種が、路傍の小石の如く転がっており、四六時中、誰かが躓《つまず》いているのだ。
　こうやってトーテムのことばかり考えていると、パーティー会場には自分のトーテムを誇りに思っている人間が、わんさかいると思われることを思い出した。私はライオンです。クジラです。イルカです。ドーベルマンです。馬は馬でもサラブレッドです。
　しかし、人間社会のいかなる場面でもそうだが、多くの場合、アピールポイントには見栄や嘘が含まれている。なぜ、トーテムについて嘘をつくのか。それがモテるための近道だからだ。蛙の子は蛙。トンビは鷹を産まない。それは周知の事実である。優秀なトーテムの子は優秀なのであり、誰もがそんな相手と結婚したいのだ。
　このように我々は、自分たちが何であるかを表し、隠し、違うトーテムだと嘘をつき、社会の中で生きているのであり、それは古代ローマ帝国でも中国の歴代王朝でも繰り広げられていたことに歴史家たるヘロドトスもフェルナン・ブローデルも異論は無いのである。
　私もアピールするために名刺に書けば良かったのかもしれない。“可愛い女の子を産みたい貴女。私はリスのトーテムです”とでも。
　しかし、私は心の奥底でトーテムを書かないことで生じる誠実さのようなものが相手に伝わることを期待していた。30歳も後半なのである。人生折返だ。今更嘘をついてまでモテてる年齢でもなかろう。
　そんな考え事をしながら、私は地上への階段を上る。その中段くらいで、私の左膝はカクカクと音を起て始める。いつの日か、右膝も音を起て、二重奏《デュエット》を興じることだろう。しかし、そのときまでには、そのくだらない二重奏を聴いてくれる伴侶がいてくれると助かるのだが。
　階段を上りきる頃には、私は息切れてしまっていた。

　パーティー会場であるカフェレストランが視界に入った時、私は、こういう場所に顔を出す原因となった事件を思い出していた。
　私が、ジェシカと別れたのは、８年前。彼女は私と同い年で、別れる原因となったのは、靴下であった。
　彼女は自身のトーテムを、ムササビだと語る、夜に元気な人だった。私は、その身のこなしや、栗色の美しい髪の毛をみて、彼女がムササビであることを確信していた。
　しかし、私はあることが、ずっと気になっていた。彼女は基本的にスカートは穿《は》かず、デニムやパンツ姿を愛していた。そして、ベッドの中で愛し合うときに、常に靴下を履いたままだったのだ。私は２年間ほど付き合っている間、ずっと気になっていたのだが、ある日、遂に彼女に聞いてしまったのだ。
「なぜ、靴下を履いているの？」
「寒いから。」
　彼女の返事は、そっけない。
「でも、夏でも履いてるよね。」
「履いてたっけ？」
　明らかにとぼけている。しかし、これ以上聞いても埒があかないので、私は彼女が寝静まるまで待つことにしたのだった。
　セックスのときまで靴下を履いているのだから、当然、彼女は寝るときも靴下を履いていた。私は、彼女をゆらしても起きないことを確認して、その靴下を恐る恐る脱がしてみた。そこにあったのは、トラ柄だった。黄色と黒の縞模様。そんな綺麗な色をした毛が、彼女の足の甲にはうっすらと生えていたのだった。
「何見てるの？」
　いつの間にか起きていた彼女は、今までで一番不機嫌だった。しかし、同じく不機嫌になっていた私は謝ることも無く、
「どうして隠してたの？」
と単刀直入に聞いてしまう。
「だって恥ずかしいじゃない。足に毛が生えてて、しかも縞模様なのよ。」
　今なら、この彼女の気持ちがよく分かる。私は最近、頭のてっぺんが薄らいできたのだ。でも、このときの私は、特に何も身体特徴についてコンプレックスを抱いておらず、リスの出っ歯ですら受け入れていたから、彼女の気持ちを理解できず、むしろ反発してしまった。
「そうかもしれないけど、でも隠してたのは理解できない。」
「別に隠してなんか無いわよ。それに私は毛が生えているのが恥ずかしいだけで、トラのトーテムであることには誇りを持っているわ。」
「でも、ムササビって言ってたろ。」
　そう言われて彼女は、しばらく黙ってしまった。今思い出すだけで、私は昔の自分をぶん殴ってやりたいものである。
「ムササビとトラの何が違うっていうの。」
　怒り気味に言う彼女に、私も怒り気味になってしまい、
「違うと思う。だって、リスとムササビならまだしも、草食動物と肉食動物だと、絶対うまくいかない。」
「ムササビだって肉食じゃない。」
「でも、トラはげっ歯類じゃない。根本的に違う。何もかもが。」
　別に私も本気で、トラとリスではダメだと思っていた訳ではない。そうではなくて、やはり騙されていたという事実自体が受け入れがたかったのだ。あの時は、私はまだ若かった。隠されたこと自体を許せないと思ったのだ。
　しかし、そんな私が目の前の独身者用のパーティー会場では、自分のトーテムを隠して参加しようと考えているのだ。人生とは皮肉である。
　だから、私も今では彼女の気持ちがよく分かる。隠すことで崩れなくて済むものがあるなら、そうする方がいい。別れた後、今の私なら彼女に相応しいのかもしれないと何度も考えたが、そんな彼女も５年前にゴリラのトーテムの男性と結婚したのだった。
　削除してなかった彼女のFacebookのタイムラインで、その男の姿を見てしまったが、その逞しさには適わなかった。だが、それで良かった。これで私と同じような出っ歯なげっ歯類の男と結婚していたら、きっと悔いが残り続けただろう。しかし、適わない相手であったからこそ、私は気持ちを切り替えることが出来た。フロイトにいわせてみれば、それは防衛反応であり、葡萄は酸っぱいと考えるキツネである。
　そして、私の５年に渡るイベント通いの日々が始まった。SNS上の友人は増える一方だが、肝心の素敵な相手というのは見つからないのであった。

「あなた。アフリカが好きなの？」
　会場は立食形式で、話題を用意するための場所選びなのか、店自体が旅行や映画など文化的な香りのする書籍や世界各地の写真で壁面が埋まっていた。そんな中、人見知りな私は、誰かに話しかけてもらおうという魂胆でサバンナの写真を眺めていると、思惑通り、１人の陽気そうな女性が話しかけてきた。髪はセミロングの黒、目からは知的な雰囲気が感じられ、そのくびれた身体つきはカバやサイのトーテムでは無いことを示していた。今日は幸先が良いようだ。
「ええ、アフリカは好きですね。野生動物を何度も観に行きましたし、仕事でも行ったことがある。」
　相手は、ますますにこやかになった。きっと、こういう話題が好きなのだろう。
「仕事でも行けるなんて素敵ね。どういうお仕事なの？」
　私は、すかさず名刺を取り出して渡した。これで仕事以外にも話題が広がるだろう。やはり用意した意味はあった。姉に会ったときに、真っ先に報告してやろう。
「獣医さんなの。だとすると、トーテムのことは何でも知ってるのね。羨ましいわ。」
　彼女は俯きかげんで、皿に載っているローストビーフに目を落としながら喋る。食べたいのだろうが、人と話しているので食べてはダメだと自分に言い聞かせているのだろう。それにしても、その皿に載っているローストビーフの量は異常だ。どれだけ肉をよく食べる女性なのだろう。となると、やはり何か肉食のトーテムなのだろうか。
　ネコ、ライオン、ヒョウ、オオカミ、クマ、サメ、ハゲタカ、ワニ。
　私の頭に、ぐるぐると動物のメリーゴーランドのように、それらの顔が巡ってしまう。ヒョウだと良いな。私は思う。自分で狩りをするし、しなやかだし、何より毛並みが美しい。オオカミのように群れる女性は苦手だ。ちょっと何かをすれば、その友人とやらから呼び出されて、説教を喰らうかもしれない。私はリスなのだ。なぶり殺しは勘弁である。
　しかし、彼女の愛嬌のある笑顔を見ていると、どうもアライグマか何かではないかと思ってしまう。アライグマのトーテムの人々の特徴は分からないが、安易に考えれば、脅迫性潔癖性で、手を洗いたくてしょうがないのかもしれない。手を洗うのはまだしも、机や床が新品のように綺麗でないと気が済まないというのは、ちょっと遠慮したい特徴だ。
「いや、獣医だといっても、動物の中身を知っているばかりで、どんな生態なのかは全然。ましてや、トーテムのことなんて分からないです。」
　そう、獣医だからと言ってトーテムに詳しい訳ではない。同僚のシャルルなんて、クジャクのトーテムの男性が来ても、そのファッションを褒めない。クジャクの男は常にファッションへ命を捧げている。ある日病院に訪れたクジャクの男なんて、まるで羽を広げるように、クジャク柄のスカーフを見せつけていたというのに、シャルルが褒めたのはペットのダルメシアンの毛並みばかりだった。
　だが、私がトーテムのことを知らない訳ではない。というより、この世界に生きている限り、トーテムのことに興味が無いなんて考えている人間は存在するのだろうか？　一生の伴侶を選ぶ場面でなくとも、友人や師匠となる人物を選ぶとき、相手のトーテムを考えないなんてことがあるだろうか。
　つまり、この世は、文化人類学者で無かったとしても、誰しもがトーテムの専門家である。みんな、専門書を読むなり、ネットで調べるなり、家族や友人から聞くなりして、トーテムについての膨大な知識を持っている。それは正確な知識とは限らないが、自己流のトーテムの専門書を誰しもが頭の中に一冊所有して、対人判断をそれでこなしているのである。
「名刺貰ったのに私の名前を言ってなかったわね。私は、ソフィア・ミランジュよ。仕事でバルセロナからパリに越してきたの。」
　そう言って気さくな彼女は微笑んだ。私の名刺に書いてある年齢を見ても他に移らないということは、この赤毛が薄くなってきた中年を気に入ってくれたのだろうか？
「パリを気に入った？」
　思わず、パリではなく“僕”と言いそうになる。
「小さな店が並んでいるパサージュが素敵ね。近道になるし。でも、パリの街って歩くのには不便ね。円形の広場から大通りが広がってるから、裏通りから裏通りに行こうと思ったら、回り道をしなくちゃいけなくて疲れちゃう。もっと住み易い街にしようとは思わないの？」
　私は、それを聞いて、人間関係と似ているな、と思った。思いの裏側から裏側へ行こうと思うと、常に直接行くことは出来ない。常に探り探りの遠回り。でも、みんなもっと互いの思っていることが分かり易いコミュニケーションにしようとは思わない。それは遠回りに何かを感じているのだろうし、疲れてしまうこと自体に何かを見いだしているからなのだろう。
「住みにくくても、これだけ人が集まってるからね。住み易くしちゃったら、ただでさえナイジェリアあたりから来てる人たちが多いのに、中国人とかアジアの連中まで集まって中華料理屋だらけになっちゃうよ。」
　ソフィアは、それを聞いて少し笑っていた。私も、毒づくことが大丈夫な女性で安心した。ひねくれた中年オヤジにとって毒の無い会話なんてしていても楽しく無いので、まずはそこを共有できることが大切である。
「ええと、仕事でバルセロナから越してきたということは、けっこう大きな会社に勤めてる？」
「いいえ、バルセロナには仕事が無いから越して来て、今はショップの店員よ。」
　また私はやってしまった。スペインと言えば、失業王国になってしまっているではないか。そういった可能性に気付けない能力の低さに腹立たしくなる。
「そんな深刻に捉えないで。ごめんなさい。私って、つい思いついたままに喋っちゃうのよね。もうちょっと包み隠して喋るべきね。」
　私の表情に苛立ちが出てしまったのだろうか？　慌てて私は首を横に振り、
「とんでもない。むしろ、それは素敵なことだと思うよ。」
　そう言って私は会場を見渡した。会場はざわつき始めていた。どうやらゲームが始まるらしい。結局、トーテムが話題になるのだと思い、うんざりした気分になった。

　ゲームのルールは簡単だった。トーナメント方式で相手のトーテムを当て合い、勝ち残った者、つまり最後までトーテムを当てられなかった者が優勝である。相手のトーテムを言う前に、一度だけ職業などについて質問することができ、そのヒントを使って相手のトーテムを推測するのだ。それを交互に繰り替えす。
　自分のトーテムが何かというのは、あくまで自己申告であるものの、優勝者は商品券を贈られる兼ね合いから社会保障カードを確認されるので、何のトーテムかは嘘をついていてもバレてしまう。つまり、自分のトーテムを曝したく無ければ、ほどほどで負ければ良い話なのだ。
　ソフィアは圧倒的に強かった。誰も彼女のトーテムを当てることが出来ない。この陽気なスペイン美女は結局、優勝してしまった。
「優勝するのは最高ね！」
　司会にコメントを求められた頃には、彼女はだいぶ酔っているのか、マイクに向かってそう叫んだ。そして、司会に何のトーテムか聞かれ、彼女は嬉しそうに、
「タスマニアデビルよ！」　
と叫んでいた。彼女は心底嬉しそうだった。
　しかし、戻ってきた彼女に、私は何といっていいのか迷った。強いね、だろうか。しかし、タスマニアデビルのトーテムであることの何が強いのだろうか。私は、結局「最高だね！」とあやふやな言葉をかけた。
　そして、さらに会話を続けるかどうか迷った。周囲を見ると、押し寄せる他の挑戦者たちが、彼女へ話しかけさせろという視線を送ってきている。戦うべきだ。だが、何を話せばいい？　タスマニアデビルのトーテムということは、先祖はオーストラリアかと聞けばいいだろうか。いや、それは馬鹿げている。しかし、この会場のテンションには私はついて行けない。もっとゆったりと過ごしたいのに。
　私は迷ったが、盛り上がりを見せている会場の居心地の悪さに耐えられなくなり、彼女に帰ることを告げた。理由として姉夫婦との食事を挙げた。本当に予定は入れてあったし、姪っ子が私に会えるのを楽しみにしていると言うのも間違いでは無かった。
　だが、良いなと思える人と出会えれば反古にしようと思っていた約束だった。しかし、出会いはあったものの、戦うのが急に怖くなり、私は気楽な伯父さんを演じていればいい場所に帰ることにしたのだ。
「残念ね。でも、友だち申請を送っておくわ。」
　私は「宜しく頼むよ」とだけ言って、その場を後にした。しかし、やはり未練はあり、会場を出る前に振り返って目でソフィアを探すと、彼女は既に肉食動物たちに取り囲まれていたのだった。もう遅い。私は憂鬱な気分でバスティーユ駅へと向かった。

　私は食事場所のあるバスティーユ駅へと向かう地下鉄の中で、ソフィアの友人申請を許可し、一緒に送られてきているメッセージを開いた。すると、そこには彼女のスマホのメールアドレスが記されていた。私は、このSNS時代に生きる誰もがやるように、スマホのアドレス帳に“タスマニアデビルな人”というカテゴリーを作って、そこに“ソフィア・ミランジュ（陽気なショップの店員）”と入力した。そして、メモ欄に出逢った場所などを書き込み、登録を完了した。連絡を自分から取ることは無いかもしれない。だが、この儀式を経て、アドレス帳やFacebookの友人の数が増えて行くことこそが、現代をちゃんと生きているということなのである。
　私は乗り込んだ電車の座席に深々と腰掛け、相性というものについて思いを巡らしていた。結局、自分はどういう女性となら相性が合うのだろうか。
同じリスのトーテムの女性は？　可愛くいることを心がけているリスの女性は人気がある。それこそ、働き者のウマのトーテムや、おおらかで悠々としたクジラのトーテムまで、幅広い層にモテるだろう。そこに、出っ歯で、冬を越すために木の実を集めるが如く、ちまちまとドングリのような月給の残りを貯蓄するリスの男が入り込む余地は無いのではないだろうか。
　では、話が合えばいいのではないか。私は、リスにしては読書家であると自負している。ならば、知恵の象徴であるためか物知りな傾向にあるフクロウの女性なんてどうだろう。それは良案であると思えたが、よく考えると猛禽類とげっ歯類では捕食関係になってしまう。これは、本当に良好な関係性を築けるのだろうか。

コメント(21)

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[1] mixiユーザー 03月13日 09:42

　こうして私は、いつもの通り、インターネットで相性の情報を探して検索をしてしまう。「リス　フクロウ　相性」とか「リス　モテない」とか「リス　結婚　ブログ」などである。
　しかし、見つかるのは相反する情報ばかりであり、「草食のトーテムですが肉食の嫁と仲良くやってます」というブログがあれば、一方で「げっ歯類なのに、自己主張の強いネコのトーテムの人と結婚し、２年で破綻しました。離婚調停がまとまらず、泥沼の裁判の始まりです。どこかいい弁護士事務所はありますか」という掲示板への投稿も見つかる。ネットを見れば見るほど、私は、どうすればいいのか分からなくなり、この小さな画面に頭を打ち付けたくなる。
　そして、次第に検索も横道に逸れ、行き着くのは絶望的なコメントの数々である。
　「俺は、ブタのトーテム。もう終わった」
　「俺なんて、スカラベ。そう言うと字面はいいが、言わばフンコロガシ。先祖を恨む」
　こういうコメントを読むと、ニーチェを読むのと同じで生きる勇気はわいてくるのだが、自身の現状の解決にはならない。
　最終的に、このようなコメントが書かれているページでの議論が行き着く先は、自然淘汰の話である。ナマケモノやコオロギなど、人気の無いトーテムは絶滅の危機に瀕しており、馬やマグロ、忠実なことで企業からの人気が高いイヌのトーテムなどの有能なトーテムだけが世界に残るだろうというものだ。
　それを裏付けるためにか、実際の動物がどのような扱いを受けているかの話が飛び交う。
　たとえば、トリュフ農家での話。トリュフを探すのに使われていたブタは、人間への忠誠など無く、食い意地がスゴいのでトリュフを食べてしまう。なので、トリュフを主人に渡すこと自体に喜びを見いだせる、誇り高い犬たちに取って代わられたというのだ。これを人間社会的に訳せば、証券会社で金脈となる老人たちを捜すのに使われていたブタのトーテムの営業マンだと金脈に自分で手をつけてしまうかもしれないので、会社や上司に尽くすこと自体に喜びを見いだせるイヌのトーテムの営業マンを雇おうという話となるらしい。
　そして、最後には今話題の「トーテム終わってる。この世界死ね！」というコメントにたどり着いていた。しかし、トーテムは無くならないし、世界も死なない。それでもトーテムで傷ついている人々はトーテムが終わって欲しいと願うし、この世界を死ねと思うようになる。
　ネットを見終わった頃には、私は何だか自分の人生が、まだ捨てたもんでは無いという気分になっていた。大丈夫、まだ自分は世界に死んで欲しいとは思っていないのだ。

　そうこうしているうちにバスティーユ駅にたどり着いた。ここにあったバスティーユ監獄に、草食、肉食、雑食の区別無く市民が集まり、武器を取り、最大の肉食動物である国王に立ち向かったのが、フランス革命である。どんな意味でも偉大なイベントだった。
　そして、姉夫婦と姪っ子に会いに私が訪れたのは、ビストロ“マ・ブルゴーニュ”で、駅から徒歩５分といったところだ。大衆的な店であり、何よりブラッスリーだからドレスコードが厳しく無いのが素晴らしい。もしかするとスウェットで来ても受け入れてくれるかもしれないが、私は人生そこまで捨ててなかった。髪の毛のように勝手に落ちるものは仕方ないが、服のように自分で選べるものは、まだちゃんと選びたい。
　姉夫婦は入り口に近い席を取っており、すぐに気付いてくれたので、駆け寄った。しかし、姪っ子であるメアリーの顔を見て面を喰らった。目の周りに黒いアザがあるのだ。大人しいハトのトーテムの義兄とリスの実姉が、そんなことをするのだろうか？　
　私は問題を起こすのは妹だけで充分なので勘弁して欲しいと思ったが、よく見るとアザと思ったのは黒のクレヨンだった。
　なるほどそういうことか。私は納得した。２週間ほど前に、電話で今日の会食についての話をしたとき、姉がメアリーは最近、両親に対して「何で自分の目の周りは白いの？」と質問して仕方ないのだと言っていた。どうやら、６歳になったメアリーはトーテムというものを理解してきたらしく、ハトのトーテムであることが嫌なようで、しきりに目の周りを気にしているのだという。
　子のトーテムは、親のどちらかのトーテムが引き継がれる。親の片方がライオンでも、もう片方がイグアナなら、イグアナになってしまう可能性もあるのだ。トーテムの残酷な側面のひとつである。
　しかし、まあ、何かを隠しているのがすぐバレるから、黒のクレヨンなんて可愛いものだ。それは戸棚に隠されているクッキーを口に入れているのに「食べてないよ」と主張するようなものである。だが、メアリーも大人になれば肌に馴染む化粧を塗って、目の周りの白さを無かったことにして、男にこう語りかけるのだろう。「私はリスのトーテムなの」。

[2] mixiユーザー 03月13日 09:43

　でも、それは致し方ないことだ。私だって、ハトのトーテムとリスのトーテムで選ぶとすればリスだろう。挙動不審に見られるのは嫌である。
　そんなことを思いながら義兄の方を見ると、相変わらずキョロキョロしている。これもハトのトーテムの特徴だ。知り合いの精神科医から聞いたところ、最近の精神医学では、このようなハトやミーアキャットに見られる落ち着きの無い性質を、ADHD〈注意欠陥・多動性障害〉と名付けることにしたのだという。私は、この傾向を恐ろしいと思った。今まではトーテムの動物の特徴として語られてきたことが病気としてカテゴリーされるとは。そのうちにリスの頬袋も、“顔面末端肥大症”とでも名付けられ、治療の対象になるのかもしれない。
「ジャン。ビールを注文したのだけど、他にも何か必要なら注文して。」
　姉がにこやかに私に語りかける。いつも優しい姉だが、今日は妙に優しい。
「ありがと、姉さん。しかし、機嫌が良いね。何かあったの？」
「いいえ、ジャン。機嫌は良く無いわ。」
「そうなの。なぜ？」
「あの子が来るからよ。私たちの可愛い妹が。」
　そんなこと聞いてない。私は席を立とうと思ったが、ちょうどよくビールが運ばれてきて、さらに間の悪い義兄が「乾杯しよう」と言って乾杯することになってしまった。しかも、乾杯が終わるや否や、義兄は急に「あっ、あれを買い忘れたな」と言ってメアリーを連れて、何処かへ行ってしまった。なるほど、私ははめられたという訳だ。
　しかし、乗りかかった以上は対策を考えるしか無い。
「で、なんでまた、エメリアのライオンちゃんが来るんだ。また男問題か？」
「決まってるでしょう。あの子は、あれしか頭に無いんだから。」
　エメリアは我々の妹で、私より10歳も若い。メアリーがハトの父とリスの母を両親に持ってハトのトーテムであるように、我々の兄弟はライオンの父とリスの母を持っているので、エメリアはライオンのトーテムでも妹なのだ。私もライオンのトーテムであれば、今頃、毛がふさふさしていたのだろうと思うと人生を呪いたくなる。
　ライオンなエメリアはポテンシャルが高く、いわゆる“意識が高い系”だ。きっと今日も、クロエやコーチのブランドを身につけて、サングラス姿で現れるだろう。そして、大きな帽子の鍔《つば》を持ち上げて、その視線でこう物語るのだ。「ご機嫌麗しゅう、お姉様。辛気くさいお兄様」。
　何より腹が立つのは、彼女は姉と兄のことを愚痴を聞いてくれる存在くらいにしか思っていないことだ。何か問題が起これば、兄弟のところへ行けば良い。それでいて、私の毛が薄くなったことやモテないことを冗談まじりにバカにするのだから、やってられない。でも、きっと男の前では淑女なのだろう。演じ分けられるというのは人生の成功の秘訣なのかもしれない。
「でも姉さん。前は姉さんだけで話を聞いてくれたじゃない。」
　私は、前回は姉が引き受けてくれたので、もうそれが既成事実であり、私は介入しなくて良いのだと本気で思っていたのだ。
「前回は、相手の男がハチドリのトーテムだって話だったから。」
　ハチドリと言えば、鳥類であり、鳥類のトーテムは種に共通した問題を抱えている。
「それは参加できないな。そういうことだったの。」
　結局、私は妹主催の評議会から抜けられていなかったという訳である。
　そんな話をしていると、張本人が店の外に見えた。しかし今日は、あの大きな帽子を被っておらず、少々元気の無いように見えたのだった。

　残念ながら、元気の無いように見えたのはエメリアの姿だけで、彼女が喋り始めると私への優越感が垣間見える嫌な時間が過ぎて行った。いかに自分がモテるのか、そしてモテることで問題に巻き込まれているのか。私のビールの杯が進むのを見て、姉が視線で咎めているが、もうそんなことは知らない。
「その相手の男がリクガメのトーテムだって知ってたのか？」
　私がいい加減話を聞くことにウンザリしてきたのでぶっきらぼうに聞くと、妹は目を紅く腫らせたまま、
「知ってた。でも、会話がのんびりしてて、ゆっくりしてるだけだと思ってた。」
　これだから動物のことを知らない奴は、と私は思ってしまう。カメというのは、あれでいて、なかなか獰猛な動物なのだ。水中に住まうカメの多くは肉食だし、リクガメは草食ではあるものの縄張り争いで相手を殺す。その大きな身体で体当たりし合って相手をひっくり返すのだ。そうすると、なんとリクガメはライオンに襲われてもびくともしないドーム状の甲羅のおかげで起き上がれなくなってしまい、弱い腹の部分がアフリカの激烈な日光に曝され続け、ひからびてしまうのだ。ドラキュラ公たるヴラド・ツェペシュもびっくりの無惨な殺し方だ。

[3] mixiユーザー 03月13日 09:44

　それに何といってもリクガメの特徴は、そのしつこさだ。リクガメは歩みが遅く、草むらに生息していることが多いので、周りを見渡すことが出来ない。そんな不自由な中で、繁殖期にはメスを探すので、一度メスを見つけたら、２週間でも３週間でも延々と、その後ろを追いかけ続けるのである。そういう行動が人間社会では何と呼ばれるのかは言うまでも無く、ストロガツキーが映画にしたアレであり、DSMー５に当てはめれば治療の対象になるのだろう。
　しかし、話を聞く限り、相手をその気にさせたのは一目惚れしたという妹のように思える。そうすると私にいわせればリクガメのトーテムに手を出すなんて自業自得も良いところなので、苦しめば良いじゃないかと思ってしまう。男をとっかえひっかえするから、そういうことになるのだ。
　だいたい、リクガメのトーテムだと知っていたということになると、警察に相談したところで、「じゃあ、何でそんな相手と２人で出かけたんですか？」となってしまうだけだ。警察だってトーテム関係のいざこざに巻き込まれるのはウンザリなのだ。
「トーテム、トーテムって私はウンザリなの！」
　妹が突然、感極まって泣き始める。だが、トーテムはトーテムであり、永遠に続く人間の一部だ。
　『アリとキリギリス』を読むがいい。悲しいまでにトーテムの違いによる世界の違いが描かれている。著名なアリのトーテムの一族は、企業複合体を作り上げ、人類が続く限り続きそうな財閥を形成しているが、キリギリスのトーテムの著名人は先週も芸能ニュースの一面記事になっていた。誰しもトーテムから逃れられないのだし、むしろそれを受け入れた方が人生幸せなのである。
「リクガメは草食なんでしょ？　なら、うまくいくんじゃない？」
　楽観的な姉が予想の斜め上の解決法を提案するが、私は首を横に振る。
「食べ物の好みが合っただけでは、結婚生活はうまくいかないだろ。それで、うまくいくんなら、豚のトーテムみたいに雑食なら誰とでも結婚できて今頃幸せな日々を過ごしていることになる。でも、現実をご覧。ブタのトーテムは相手に選ばれること自体が少ない。」
　悲しいがそれが現実である。ブタのトーテムは絶滅危惧種となってしまっているくらいモテない。上向きなのは、その低い鼻くらいである。ベーコンは、こんなにも人間社会で愛されているのに、ブタのトーテムは愛されない。味わいは、人生に関係ないのであろう。それでも人生諦めていない人を見ると、勇気をもらえる。
　多くの人がそうだと思うが、私もリスのトーテムを受け入れるまでには時間がかかった。人生で初めてネズミのトーテムの人間に出逢った時、それよりはマシだと思って、やっと受け入れられたが、それまでは、出っ歯で最低のトーテムだという思いに追いつめられ、夜、ベッドに入るたびに悔しい思いをしたものだった。
「今度の日曜に彼に会うの。そこで、はっきりと言うつもり。」
　いきなり決意表明を始めたエメリアは、ライオンな鋭い目つきで私の顔を見据える。その目で見られると、私の脳に刻まれている小動物のトーテムとしての太古の記憶が甦り、竦《すく》んでしまう。大昔、おそらくリスのトーテムの人々は木の実などを拾って生活しており、そんな集落をライオンのトーテムの狩猟民族は襲ったのだろう。その恐怖の記憶が、すぐに相手に反応できるように遺伝子にも刻み込まれているのだ。確か、そのようなことを著名な神経科学者であるガザニカが講演の中で言っていた。
「だから、兄さん。近くにいて見守っててよ。」
　こういうときだけ淑《しと》やかな態度をとる妹に、そんなの自業自得だから行かないと言ってやりたかったが、コイツと喧嘩しても時間の無駄であるので穏便に済ますことにした。
「最近、忙しいんだ。日曜に時間を取るのは難しい。」
「来週の日曜よ。その日が空いてるかどうかが問題なの。」
　妹は、なおも食い下がる。
「その日は…、出かけないと行けない。」
「独りで？」
「２人だよ。」
　その言葉に妹は疑いの目を向けていた。こんな兄と誰が一緒に出かけるというのだろうかと言わんばかりに。
「信じられないようだな。一緒に出かける人の名前だって言えるさ。ソフィア・ミランジュだ。素敵な人だよ。」
「いつ知り合ったの？」
　ほころびを見つけてそこから割いてしまいたいのか、ライオンな妹はすかさず攻めて来る。
「今日さ。今さっきまでいたパーティーで知り合って約束したんだ。会場の名前だって言える。」
　妹は私をじっと見つめる。獲物を狙うライオンのように。でも、私は視線を逸らさない。ここで逸らすと激しく嘘つきよわばりされて相手に屈服しないといけなくなってしまう。
「おめでとう。良かったわ。幸せになってね。」
　笑顔でそう言って軽く舌打ちした妹は、さすがにそれ以上は何も言わなかった。

[4] mixiユーザー 03月13日 09:44

　子どもの時以来かもしれないくらい久しぶりに、妹に対して勝ち誇った気持ちになった私は、店の外に目を遣った。３歩半ほどの幅しかない通りの向こう側には自転車屋があり、錆びてオンボロな自転車を初老の男と孫と思われる10歳くらいの男の子が修理していた。その体格から見るに水牛のトーテムという感じだ。
　何やら修理について揉めているようで、遂に爺さんの方が怒り始め、自転車のチェーンにオイルを大量に吹きかけ始めた。具体的に何を言っているのか分からなかったが、私にはこう聞こえた。
「嘘は人生の潤滑油だ。たっぷりかけた方が良いに決まってる。たっぷりかければポンコツでも動くさ！」
　イェイ！　その通りだ。私はオンボロ自転車に向かって、小さく乾杯をした。

　肉食、草食、鳥類が揃った家族との盛り上がる訳でもない食事を終え、メトロのバスティーユ駅への階段を降り始めた時、私は迷っていた。妹に宣言したからには、ソフィアとの予定が入るように努力すべきだろう。しかし、逃げてきた自分が受け入れてもらえるだろうか。そんなことを迷っている私の前を、一本の電車が通り過ぎて行った。
　私はベンチに座り込み、Facebookを覗き込んだ。ソフィアからのメッセージの最後には「旅行が好きなので、もっと話が聞きたかったです」とある。これは好意のある言葉のように思える。次に彼女のプロフィールの情報を見ると、33歳となっていた。若そうに見えたが自分とそこまで年齢が変わらないことに安心した。
　しかし、問題はタイムラインの情報であった。彼女のタイムラインには写真が大量に投稿されているのだが、まず目に付いたのはテーマパークに行ったときの写真だ。彼女の全身が入っている写真が多く、これはもう１人誰かいないと撮れるものではない。さらに決定的なのが、モンサンミッシェルやトレドを旅行しているときの写真で、なかなかのイケメンと一緒に写っていた。この毛並みの美しさはサラブレッドのトーテムではないだろうか。２人で、どこかに出かけていると思われる写真の最終投稿日は、今から半年前である。この間に、スペイン産サラブレッドとの別れ、メンタルの回復、決意と引っ越し、就職活動があり、今日のパーティーに至ったのだとすれば、時間的にはあり得ないことではない。だが、本当にそうなのだろうか？
　こうして私の目の前を電車が一本、また一本と通り過ぎて行った。
　これ以上、地下鉄を見送っても仕方ないと思った頃には、駅のホームに来てから小一時間が経過していた。自分はなんて気持ち悪いのだろう。駅のホームで、人の個人情報を貪るように見るなんて。だが、それだけ熱中していたのだ。そんなに何かに熱意を持ったのは、いつだったか思い出せなかった。
　私は、メッセージの文面を考え、何度も見直し、送信しないと電車に乗れないと思い込むことにした。そして、さらに小一時間が経過したとき、私はやっと電車に乗ることができたのだった。

　送った文面は「今日は中座してすみませんでした。姪っ子は大喜びで、一緒に歌を歌ったりしました。今日、お話しできたのは、そんなに長い時間ではなかったかもしれないけど楽しかったです。僕も旅行の話を出来たら嬉しいな！ソフィアさんは、どういうところを旅行するのが好きですか？」である。その文面を電車の中で見直したとき、いつも鳴っているはずのガタン、ゴトンという電車の音が自分の心臓の音のように思えて仕方なかった。37歳になったのに、これは情けない。でも、心配が落ち葉のように募る。
　たとえば、こういう心配。
　社交辞令で送ったのに、クェスチョンマークがついた返事を求めるメッセージが送られてきて困るとか思われていないだろうか。この男、実はリクガメじゃないのかとか思われていないだろうか。このメッセージを男と一緒に床に入った状態で見ながら笑われてないだろうか。姪っ子と歌を歌ったなんてどうでもいい嘘を咎められはしないだろうか。
　そんな私の被害妄想的な思いはよそに、電車はガタゴトと音をたてて迷い無く前進していた。

　だが、私の心配とは裏腹にアナトール・フランス駅につく頃には、ソフィアからの返事が返ってきていた。それは十行くらいの比較的長い文章で、好意が感じられる内容であった。
　思えばトーテムなど関係ないのかもしれない。そう思い直して、私は膝から音の鳴る左足と鳴りかけている右足を一歩、また一歩と前へと踏み出し、地下鉄の駅から地上へと出た。

[5] mixiユーザー 03月13日 09:44

　すると、地下鉄の入り口の真横にある日本料理店の敷地に植えられた桜が、昨日は咲いていなかったのに満開になっていた。この桜という植物は、毎年、花を散らせては懲りずに今年も咲き誇っている。私は、その姿に勇気をもらえた気分になり、一刻も早く帰って食事場所の候補を探そうと思い、歩を進めた。タスマニアデビルな彼女は旅行が好きなのだから、この日本料理店でもいいのかもしれない。しかし、初めてのデートで家の近くは気持ち悪いかもしれない。なら、どこからも出やすいバスティーユ駅あたりがいいだろうか。
　そんなことを久々に考えながら、春めいて来た街を見渡すと、ビルや樹々の上の方がどうなっているのかを全然知らなかったことに気付き、自分がどれだけ下を向いて歩いていたのかを痛烈に思い知らされるのだった。上を向いて歩こう。そんな上機嫌な私の右膝に、歩道と車道を隔てる小高いポールが激突した。
　痛い！　私は飛び回った。そして、再び落ち着きを取り戻して歩き始めた頃には、右膝まで鳴るようになってしまった。でも、まあいい。まあいいのである。

[6] mixiユーザー 03月13日 09:51

なんとか今回は短編に出来たのですが、全部で２万文字近くになってしまいました。途中まででも読んでもらえると嬉しいです！宜しくお願いします。

クンデラやチャペックみたいな、東欧文学の妙な世界観を描きたかったのが前からあり、さらに最近観たアカデミー賞外国語部門ノミネート作品のギリシャ映画『ロブスター』が衝撃的な内容だったため、こんなのを書いてみたいと思い書きました。

トーテムと言うのは、文化人類学に於いて、家族構成や一族の話、具体的にはクランの話で出て来るもので、トーテムを木に彫ったのがいわゆるトーテムポールです。

[7] mixiユーザー 03月13日 13:08

読みごたえがありました。
トーテム流行りそうですね笑
私は何のトーテムなんだろうか‥

[8] mixiユーザー 03月13日 17:47

トーテムという属性（といっていいのでしょうか）が面白かったです。
ハトやミーアキャットなどのキョロキョロする習性をＡＤＨＤになぞらえているのが上手いですね。

[9] mixiユーザー 03月13日 23:28

>>[6]さん
面白いです！なんか素晴らしいなと思いました。

なぜそう思ったのか。この作品は、とてもバランスがいいと感じました。
トーテムという絶妙な設定が素晴らしいです。でも文章は洗練されていて、全体的にリアリティがあってユーモアも含まれている。設定と文章とリアリティ、その3つの要素が、上手に噛み合っているように感じました。
独身者のパーティやfacebookでのやり取りなど…現代人からすると「あるある」なことですよね。共感できる日常的な要素に、トーテムというファンタジーな要素が抜群にマッチしているというか。浮いてないんですよね。スイスイと世界に入り込めて、先が読みたくなる物語でした。トーテムという設定のおかげで、キャラの性格とかも浮かびやすいんですよね。
パリという舞台も違和感があまりありません。タスマニアデビルの彼女は、なぜかドリューバリモア的な人が自然と浮かびました。
でもたまに、パリジャンなのにすごく日本人っぽいなぁというところもありました笑。

ちゃんと丁寧に作ってらっしゃるから、物語に奥行きが出るんだろうなぁと、尊敬いたします。明日の文芸部が楽しみです。

[10] mixiユーザー 03月14日 18:10

部分的な感想とまとめを箇条書きにしました。

ハードボイルドな空気が演出されています。
“やはり自分で作るのとは異なり、質感が違う。ざらついた手触りの名刺なんて受け取れば、それだけで心象を損なうだろう。”

同じくハードボイルドでトーテムへの導入が効果的でした。
“業者に記載を依頼したのは、それだけだった。本来なら、もうひとつ書くべきことがある。それは分かっていたのだが、私はそれを書くのを躊躇《ためら》った。だが、それについては必然的に話題に上ることだ。そういう意味では書いても仕方が無いのかもしれない。”

トーテムが紹介されたあとは、トーテムの語が多く、トーテムに関わることが立て続いているように感じました。トーテムの本質を、説明が提示される前に、会話文の中でトーテムの語を使わずに読めたらスムーズな印象になるかと考えてみました。

空間移動がとても自然に感じられました。
“階段を上りきる頃には、私は息切れてしまっていた ”

同上
“パーティー会場であるカフェレストランが視界に入った時、私は、こういう場所に顔を出す原因となった事件を思い出していた。”

隠すことで逆にフォーカス浴びてます。
“しかし、そんな私が目の前の独身者用のパーティー会場では、自分のトーテムを隠して参加しようと考えているのだ。人生とは皮肉である。”

仕掛けを回収したあと、話が展開しています。
“私は、すかさず名刺を取り出して渡した。これで仕事以外にも話題が広がるだろう。やはり用意した意味はあった。姉に会ったときに、真っ先に報告してやろう。
「獣医さんなの。だとすると、トーテムのことは何でも知ってるのね。羨ましいわ。」”

トーテムのことを問い続けると、論理矛盾がでそうでスリリングに読みました。トーテムのことを私以外もみな興味があるのだけれど、私が知っているほどみなには知られていないといったところでしょうか。
“だが、私がトーテムのことを知らない訳ではない。というより、この世界に生きている限り、トーテムのことに興味が無いなんて考えている人間は存在するのだろうか？　一生の伴侶を選ぶ場面でなくとも、友人や師匠となる人物を選ぶとき、相手のトーテムを考えないなんてことがあるだろうか。”

楽しく読ませていただきました。以前の作品のディテールが再活用されて洗練されたものになっているように感じました。読者として慣れてきたという可能性はぬぐえませんが、それも込みで読みやすかったと思います。

[11] mixiユーザー 03月14日 18:29

おたけさんの発想力はどこから湧いてくるのでしょう？
頭をひらいて見てみたいですね、ミギーでもいるんじゃないですか？

やはり設定がピカイチです。面白い。パクりたいくらいです。（冗談ですよ？）

[14] mixiユーザー 03月14日 19:26

トーテム、いや、トーテモ面白かったです☆彡

壮大な設定や物語がなぜ毎回描けるのか、とてもリスペクトしております。

人は何らかのモノや人や環境から影響を受けて人格が形成され、そこから芸術作品や表現に表れるものですが、
おたけさんは何から影響を受けてきているのか、是非ともお聞きしたいです！！

[15] mixiユーザー 03月14日 20:59

冒頭から、つかみはオッケーという感じで良かったです^_^ 動物のトーテムというアイディアが面白い。

[16] mixiユーザー 03月16日 07:36

>>[7] 感想ありがとうございました！
トーテム、流行らせたいです(笑)
肉さんのトーテムは何でしょうね？
僕は、自分のトーテムは、やはりコウモリだと思います！

[17] mixiユーザー 03月16日 07:43

>>[8] 感想ありがとうございます！
こういった設定はウケるんだな、と思いました。
ADHDのところは、実は一番書きたかったところかもしれません。動物の特徴について病気を定義するなんて馬鹿馬鹿しく感じますが、それと人間社会を比較すると妙な気分になるので、そういう違和感を書きたかったのがあります。

[18] mixiユーザー 03月21日 18:50

>>[9] 　コメントが遅くなってすみません。
設定とリアリティが噛み合ってると評してもらえて嬉しいです！
現実的な作品も好きなのですが、そのまま描くよりも描きたい現実の中に非現実的なものを入れた方が面白くなるというか、描ける物語の幅が広がると思って、こういったのを書きました。

ドリューバリモアですか！ふくよかな感じはあるけれども、スカーレット・ヨハンソンほど肉食な感じがしないので、僕もそのイメージは近いと思います！

パリジャンが日本っぽいのは、僕の限界です(笑)
知っているフランス人をイメージしようと思ったのですが、フランスとスペインと日本に彼女がいるという方だったので、リア充感が出て参考になりませんでしたw

[19] mixiユーザー 03月21日 19:01

>>[10] コメント遅くてすみません。
空間移動のところは、できるだけ短い文で自然に流したいと思っていたので、自然さを感じてもらえて良かったです。

トーテムの説明の部分は、エディーさんのおっしゃる通りで、僕も会話で進めたかったのですが、後半とのバランスを考えると会話が多くなりすぎるかなと迷ったのと、どうも会話が思い付かなかったのがあります。正直、今回、自分で満足いかなかったポイントがそこだったので、エディーさん、やはり鋭いですねw　

名刺が仕掛けになっているというのは、あまり意図してなかったのですが、そうなってますね。こういった技法をもっと意識的に使えるように書いていきたいです。

[20] mixiユーザー 03月21日 20:48

>>[11] どっから何でしょうねw
ドン・キホーテが騎士道物語を読みすぎたように、僕も映画やマンガの読みすぎなんだと思います。
頭の中にミギーがいるということは、もう乗っ取られちゃってますね(笑)　ミギーといえば『寄生獣』は設定が最高ですよね。人間の頭がぱっくり開いて人を食べるなんて、その絵を見たら続きが気になってしょうがないです。

個人的には、やはり海外の作品の方が設定は面白いのではないかと。文学でも、クンデラの『不滅』とか、チャペックの『絶対製造工場』とか、なぜこれを思い付くのかと不思議に思います。
日本でも昔の映画の設定は驚きです！
岡本喜八の『殺人狂時代』は明らかにキルビルに影響を与えてますし、ヤクザが野球の試合で殺しありの抗争をする『ダイナマイトどんどん』とか酷すぎて。
鈴木則文の『徳川セックス禁止令』なんかも、なぜこれを思い付けるのか、恐ろしいですね(笑)
海外だと『ファイト・クラブ』や『エターナル・サンシャイン』の設定は輝いてますよね。

[21] mixiユーザー 03月21日 21:29

>>[12] 　面白く読んでもらえて良かったです！
階級の話は書いていたんですが、そのテーマ性が大きすぎて、必要以上に重い話の方向へ全体を引っ張ってしまうので消してしまったんですよね。ドーベルマンの集団が「イヌのトーテムは優秀だ」と宣言して、イルカやクジラのトーテムの人々をガス室で虐殺するとか、トーテムなんて打破すべきだと言って赤い旗を掲げた人々が粛清を行うとかの歴史があったとか書こうと思ったのですが、やはり話がそっちに引っ張られてしまって。

続編は書きたいです！　しかし、書き方が難しいですね。時系列順に初回のデートを描いて･･･としていくと、面白くない場面が続きそうなので、リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア・サンライズ』などのビフォアシリーズの様に、面白くできそうな場面（人生の中の何日か）だけを切り取って書くと良いかもと、今思い付きましたw

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