ガラクタだらけの、ただっぴろい工場〈ガレージ〉には、４つの音楽が溢れていた。
１つは、20世紀半ばに世界を席巻したロックバンドの反戦曲。１つは、宇宙の辺境の地で、略奪行為を働く者たちを法に従って裁き、その物品を再略奪する治安維持隊が、士気高揚のために聴く、喘ぎ声まじりの好戦歌〈ウォーラヴァー・ソング〉。１つは、旧国家の寺院で奏でられる木管楽器の静寂曲。そして、最後の１つは、永遠の歌姫である模造品〈アンドロイド〉のレイナ・スウィフトが３つの顔を使って、それぞれの声色で歌う『右舷左舷』であった。
４つの音楽を同時に聴くということは、少なくともこの店の主であるカイルは、“感じる”ためのCPUを４つ以上は持つ媒脳持ちであるということである。クレアの媒脳は、ちょうどクアッドコアなので、４つより多い音楽を同時に鑑賞することはできないが、この混在音を解析にかけたところ、４つより多くの音楽は存在しないようであった。
しかし、見れば見るほど、会社というより、廃品置き場のような場所だった。磁導車以前の車や、得体の知れないエンジンが間隔を開けておかれ、その周りに工具が散乱しているところを見ると修理でもしているようだが、誰がそんなものを注文しているのか、クレアには検討もつかなかった。
この中で、４つの意識それぞれが音楽を鑑賞しながら、何の作業に集中しているのだろうか。機械の修理？ しかし、機械の修理だとすると、いくら意識が４つあっても、身体は一つなのだから作業効率は変わらないだろう。とすると、修理をしながら、残り３つの意識が何か別の作業でもしているのだろうか。
ハッキング？ それだとすると、逆に意識が３つでは足りない様に思われる。ただ単に、残りの意識３つは音楽鑑賞のために使っているのだろうか。それは、何かエネルギーの無駄遣いのような気もした。
いくら声をかけても反応がないので、クレアは、念のため、警戒することにした。ここは、どの企業体の領土では無い無法地帯だ。企業体の人間に敵意を持った者も多数存在する。
クレアは、休ませていた残りのＣＰＵを、熱感知と認知速度向上に振り分けた。認知速度向上とは、平均的な人間が感じられる最も短い時間感覚は１／16であるが、媒脳を調整することで、もっと細かい時間で刻んで体感できるようにする方法だ。こうすることで、時がゆったりと流れているように感じられる。
クレアは、ホルダーから小型の衝撃波銃〈ブラスター〉を取り出し、構えた状態で、工場内を見廻った。音楽以外に何も聞こえず、熱感知にも何も反応しない。
ふと、クレアは、何かにつまづきそうになって、声を上げた。
「誰だ！ 俺の脚を踏む奴は。勝手に人の家をうろつくなんて、さては、飲んだくれのアントンの親父か？」
クレアは、自分の足下を見ると、旧式の自動車の下から脚が出ていた。まさか、そんなところに人が入っているとは思わなかったクレアは、一歩引いて、身構えると、車の下から脚から上が出てきて、立ち上がり、クレアの方を振り返った。それは、ロイド博士にホログラムで見せてもらったカイル・ラマルクその人だった。
「これは、アントンの親父よりタチが悪いな。人んところに勝手に入ってきて、ブラスターを構えてるとは、どういう了見だ。」
クレアは、自分の非礼を恥じて、ブラスターをホルダーにしまい、
「驚かせて、ごめんなさい。ロイド博士の方から連絡があったと思うけど、私は、クレア・ボルティノア。物語学者よ。例の件で、話しにきたの。」
「ロイド博士？ ああ、４次元視の頭でっかちか。奴がどうした。何も訊いちゃいない。」
「いや、そんなことは無いはずよ。この会社のアドレスに連絡は入れているわ。」
カイルは、めんどくさそうにして、傍らにあった、可塑液晶を使ったタブレット端末“塑面”を操作していた。今頃、アドリでなく、タブレット端末で情報を閲覧するとは、何か余程のこだわりがあるのだろうか。
「ああ、なんか来てるな。みんな、直接会って注文して来るから、メッセージを読む習慣が無いんだ。」
カイルは、そう言いながら、工場の片隅にある木片を組み合わせて彼が作ったと思われる椅子とドラム缶のテーブルに案内してくれた。
「あなた、媒脳持ちでしょ。何で、タブレットなんて使うの？」
タブレット端末をドラム缶の上に置いたカイルに、クレアが尋ねた。
「媒脳？ いや、俺は、媒脳持ちじゃない。一般人〈ノーマル〉だ。フェルナ教徒的にいえば、無垢〈ピュア〉だね。」
カイルは、はにかみ笑いを見せながら、油で汚れた手で鼻の下を擦る。
ということは、この男は、反戦曲と好戦歌、眠くなるような静寂曲と、テクノ系で電子音が耳につく流行曲の混じった、完全な雑音を楽しんでいたということになる。変わり者だとは思っていたが、ここまでとなると一緒に任務に就くのが不安になった。
「でも、あなた、元探査官なんでしょう？ よく媒脳無しで生き残れたわね。」
クレアは、その事実を思い出し、純粋に感心して尋ねると、
「相手が媒脳持ちやアンドロイドだとしても、要は予測されなければいいのさ。たとえば、この工場〈ガレージ〉では、俺が80デシベル以上の声で、ノーと叫べば、俺以外の生体は壁や床から飛び出すプラズマの刃で貫かれるようになっている。いくら高度な予測システムを頭の中に入れていても、常識はずれの行動は予測できない。マーサーの法則というやつだな。」
「そんな罠を仕掛けるなんて、あなた、見た目によらず、被害妄想的なのね。」
クレアが、そう冗談めいて言うと、カイルは、「でも、自業自得というやつかな。おかげで俺は、この家では基本ノーとは言わないようにしているから、みんなのイエスマンという訳さ。無茶な注文を断れなくて困ってる。」と、お手上げというポーズをしながら語る。
「そんなイエスマンさんに注文したいのだけど。」
クレアは、アドリを起動して、メニューの表情の項目から“魅力的な笑顔”を選び、そして、目の前の鈍そうな男の目を見つめながら、語りかける。
「私と、旧国家でデートしない？」
「それは嬉しいけど、なぜ旧国家？」
さすがの男も危険を察知したようで、少し身構えていた。クレアは、これでノーと大声で言われたら最悪だな、と心の中で状況を楽しみながら、他のCＰＵを働かせて、元辺境警備隊員の男への受け答えとしての最適解を探させる。出た答えは予想通りの“率直に言う”であった。
「さっき、自己紹介したように私は物語学者よ。だから、新しい物語の素材を見つけるために、旧国家に行きたいの。どう、協力してくれる？ 報酬なら骨董品の修理を頼むような物好きの何倍も出せるわ。」
「報酬なんて興味ないね。」
クレアは、報酬について話に出したが、カイルがそんなものに興味が無いのは、ロイドの説明からも分かっていた。しかし、報酬の話を出すことで、カイルが自分がそんな人間に見られているのを訂正したいという欲求が働くだろうから、そこに期待したのだった。
案の定、暫く考え込んでから、カイルの方から、仕事内容の詳細の説明を求めてきた。
「仕事内容は、さっき言ったように、新しい物語の素材を探すこと。なぜ、旧国家なのかというと、物語の素材を現実からではなく、打ち捨てられている人間たちの物語空間から物語を拾い集めてこようと考えてるからよ。」
「それは、法律上、問題ない行為なのか。」
「場所が旧国家だから。そこで勝手に個人宅に押し入っても、何を盗んでも、誰を傷つけても罪にはならないわ。法律が存在しないし、条文が残っていたとしても、罰を執行する機関が存在しないもの。でも、作品については別。私も知らないような中小企業が作った作品が混じっていないかはチェックする必要があるから、それは、素材として使う前に、うちのSDB〈物語保管庫〉と照合するから大丈夫。ただ、商標登録されていないような個人が作成したもので、その人が現在、旧国家ではなく、企業体のうちじゃない部門や他惑星に所属していると面倒だから、そのときは、和解金を積んで解決するわ。それだけの価値がある物語の素材ならね。」
「もし、人を殺しても問題は無い？」
クレアは、この男は何を考えているのかと思ったが、カイルの表情を見ると、いたって真剣な顔だった。そして、その後ろの壁には、如何にも辺境警備隊が使っていそうなライフルが飾られていた。
「今から殺人の御予定があるの？」
「それこそ君は、場所をどこだと思っているんだ。旧国家には、無法者が集ってる。旧国家は、彼らが、リボルト社が製造するPTRシリーズのアンディーたちに追いかけ回されずに、安心して生活できる地上の楽園〈サンクチュアリ〉だからね。彼らは、何でも欲しがるし、特に女性なんて…」
「そういった輩は、始末して構わないわ。でも、なるべく鎮圧用の粘着弾を使って。もし、調査で来ている他の人間を殺傷したらシャレにならないから。」
「了解。君たちが嫌がることはなるべくしないさ。」
カイルは、作業机から紙を取り出してきて、それを机の上に広げた。
「どのエリアに行くんだ。」
それは、紙の世界地図だった。この男は、どれだけアナログなのだろうか。たしか、紙の地図なんて、発売中止になったはずだ。
クレアが、ある場所を指差すと、カイルは、「ほう」と感心したような声を上げる。
「当然の選択だろうな。当時、物語生産量が、世界一位だった国だからな。まあ、瓦解するのも先進国の中では早かったが。それで、具体的には、どの地域に行くんだ。小さそうに見えて、意外と細長いから全国は廻れないぞ。」
「このエリアよ。」
「そのエリアが、どういう場所か知ってる？」
クレアは、この旧国家の首都圏と聞いていたため選択しただけなのだが、カイルの言葉には含みがあった。
「首都でしょ。それに、この旧国家の経済の中心で、人口も飛び抜けて多かった地域なんじゃない？」
「それは、当時の情報としては正しい。でも、現状として、どういう場所かが問題なんだ。」
カイルは、さっきのタブレット端末を起動させ、何かの書物を、画面上に開いた。
「この本は、『組換獣図鑑』と言って、ここ数年、子どもへのクリスマスプレゼントとして売れている品だ。見るといい、写真が美しいよ。」
クレアが画面を覗き込むと、そこには、クジャクのように美しい翼を持ったグリフォンの写真が載せられていた。胴体は獅子、頭は鷹、翼は力強そうであり華麗。如何にも、強さと美しさを好む権力者が好みそうな獣であった。一緒に映っているライオンたちよりも、二回り程度巨大な獣は、鷲のように脚を獲物に向けて、大空から象の子どもを捕らえようとしていた。
「今、映っているのは、グリフィンだ。知ってるかい？ 奴らは、スゴいんだ。何がスゴいかって、生まれて来る子どもの後ろ足が、鷹の後ろ足の奴もいれば、ライオンの後ろ足の奴もいるんだ。だから、鷹の後ろ足の奴は、写真みたいに空中から獲物を襲うし、ライオンの後ろ足の奴は、大地を駆け回って獲物を仕留める。でも、個体によっては、鷹の後ろ足なのに、地面を走り回る狩りに固執する奴や、それの逆のパターンの奴もいる。そういう奴らは、狩りがうまくいかないから、獲物が捕れず、力が無いので子孫も残せなくなる。まさしく、自然淘汰だよ。ダーウィンもびっくりするぐらい、綺麗に説明できている例だと思う。」
「このグリフォンが、この旧国家には生息している訳？」
「いや、コイツはいないな。確か、ここに生息しているのは…」
結局、カイルは、生物オタクで、彼の大好きな獣の話をしたかっただけのようだ。クレアは、もしかすると、カイルが去年のクリスマスに、ママからプレゼントしてもらったのが、この本なのかもしれないな、と思った。
「このあたりのページの奴は、いるはずだ。」
画面に映っていたのは、朝陽に照らされた古い寺院の木塔に巻き付いている、平べったい蛇のような生き物の写真であった。生物名は、オオゾラユウレイタチウオ。彼らは、身体が軽いために、胸びれを羽ばたかさせることで優雅に空を飛ぶことができるのだと説明がなされている。
次のページに遷移すると、全長４メートルから６メートルほどの巨大なオオゾラユウレイタチウオたちが廃墟を飛び回っていた。ゆらゆらと、まるで彼らは深海にいるかの如く、ビルの合間を縫って、飛んで行っているが、周囲は、この不気味な生物が発する金切り声で何も聞こえなくなるのだという。
「昔は、こんな気持ち悪いのは、地球上には存在しなかった。でも、誰かが、ああいうのが空を飛んでいるのを見たいと思って、作ってしまった。今の地球上には、そんな誰かが見たいと思ったから生まれた“元”空想上の動物が、うじゃうじゃいる。一軒家ぐらい大きなハサミを掲げるコンゴウシオマネキやら、無数の手足に覆われた千手観音蜘蛛なんかがね。こいつらは、人間を補食することに興味は無いからいいものの、近づかれただけで、ゾッとするね。おそらく、この島国の旧国家でも、頭がおかしくなった、どこかの領主が、カラスに覆われた空でも綺麗にしようとして、ペットのオオゾラユウレイタチウオを解放したんだろうな。」
カイルが、意地悪い目で微笑む。
「それでも行きたいか？」
「ええ、もちろん。あなたが、守ってくれるんでしょ。」
クレアの言葉に、カイルは鼻で笑い、
「それ自体は、構わない。俺も、そこには行ってみたかったからな。でも、一つだけ教えて欲しい。」
クレアは、頷いて、カイルの質問を促した。
「君は、何のために、こんなことをするんだ？ 自分が仕えるヴァーサフ・ミルズのためか？ リーヴィズ社に入って、ヴァーサフの下で働くのが悪く無い選択だということは認める。そりゃ、クライスト家の私物であり、世界中に歪な生物をまき散らしているフィーリス社で働くよりも、ビスマルク家が牛耳って、娯楽的なアンドロイドより兵器ばかり開発しているリボルト社で働くよりも、マシであることは認めるが、だからといって自分の身を危険にさらす価値があるとは思えない。」
「不死者〈ノスフェラトゥ〉批判？ 個人事業主〈アウトサイド〉らしいわね。」
クレアは、冷ややかな目で、カイルを見た。所詮、この程度の男なのだ。個人事業主〈アウトサイド〉は、自分たちが企業体から何も補償されないため、口を開けば、企業体の批判をする。特に、企業体のトップである不死者〈ノスフェラトゥ〉たちのことが、彼らは大嫌いだ。
しかし、カイルのいう通り、クレアがリーヴィズ社を選んだのは、貴族化した代表者の家族が主要ポストに居座るような、中世的な愚行が行われていないためであった。
たとえば、フィーリス社。代表であり、創業者であるフィーリス・クライストは、不死になってから半世紀近く、会社を運営しており、主要な役職は彼の一族で埋め尽くされていて、クライスト家で無い者には裁量権がある仕事は与えられない。
フィーリス社に於いて、フィーリス・クライストは、“絶対”である。有名な話だと、フィーリス社の領土に於いて、天気は、感情連動〈エモーショナル・リンケージ〉されている。つまり、フィーリス・クライストが機嫌が良いと晴れ渡るし、怒り狂うと嵐になる。フィーリスが、他の企業体から、“雷親父“と綽名される所以である。
一方、リボルト社に至っては、代表であるエデュワルト・カジュミオンが、約四半世紀前、皇帝という存在に憧れるがあまり、「会長」という役職名を廃して、新しく「皇帝〈カイザー〉」という役職にし、社長職を「宰相」へと変えてしまった。そのおかげで、鉄血宰相として有名なオットー・フォン・ビスマルクと同姓であったオリバー・ビスマルクという社員が、宰相まで出世することができたのであり、大した才能も無いのに、その一族が、リボルト社では跋扈していると言われている。
他にも企業体は存在し、その中では、宇宙ステーション建設や宇宙船の建造などを行っているトビシマ社が、評判は良く、代表のサイゾー・トビシマも人望が厚いが、トビシマ家の家族経営であることは変わらず、しかも、息子のゴンザレスは、粗暴で、評判は芳しく無いのが実情であり、一方で、娘のエレクシアが器量も良いとの噂のため、父の死後は相続争いになるのが目に見えていた。
「不死者批判かどうかは置いておいて、質問に答えてくれ。」
「不死者が何よ。私は、そんなのは知らないわ。だからって、物語を作るのを辞める訳にはいかないわ。」
「何のために、そんなに物語を作るんだ。特別だと認められたいから？」
「自分のためよ。作ってるのは楽しいの。だから、作るの。もしかしたら、この世界のことが少しでも分かるかもしれないから。私は、何も知らないまま死にたく無いのよ。」
「でも、物語を作るには、新しい物語の材料が必要なんだろ。」
クレアは、頷いた。今までと同じ素材を使ったのでは、何千京も存在しているといわれる物語と被ってしまい、物語を作ったという達成感が得られなくなる。
「しかしだ。旧国家に物語を集めに行って、本当に特別な物語が得られると思うかい？ もしかしたら、『巡り逢い』シリーズみたいな、ホテルでカップルが楽しむ類いのものしか得られないかもしれないぜ。それなら、家に籠って、妄想促進薬でキメて新しい発想を得たり、物語工場から精神病患者たちからの新しい妄想が届くのを待っていた方が、手っ取り早いかもしれない。」
カイルの言う『巡り逢い』シリーズとは、仮想現実体験機であるLVSが、いわゆるオタクだけでなく、一般にも広まるきっかけになった物語である。内容としては、王子が姫を救出したり、２人きりで世界に取り残されて冒険したりする。つまり、舞台設定〈シチュエーション〉によって、恋愛感情が強まるように、セックスが盛り上がるようにするために作られた物語であり、それが普通に人生を楽しんでいる若者から、倦怠期だが２人の感情を取り戻したい夫婦まで、普段、仮想現実なんて必要なかった様々な世代にウケたため、LVSが全体に広まったのだ。
「旧国家に取り残されている人間というのは、現実世界に日常を持っていない、“機械引きこもり”人間だから、旧国家に取り残されちゃったんでしょう。そんな人たちが、『巡り逢い』シリーズみたいなものを楽しんでいるとは思えないわ。まあ、一人で楽しむ恋愛物語は見つかるかもしれないけど、そこに新しい恋愛パターンが見つかるなら、小遣い稼ぎになるから、それはそれでいいかも。」
「前向きだな。でも、そう振る舞ってもらわないと、こっちも道中、ストレスが溜まる。途中で帰りたいと泣きわめいても、俺は満足するまで帰らないから、一人で帰ってくれ。」
そう言って、カイルは、ライフルの方へ向かい、壁から外して、手入れをし始めた。
「それと、君自身ではなく、リーヴィズ社の一社員としての君に質問したいんだが。」
カイルは、ライフルを、中古車に向けて構えた。
「君たちリーヴィズ社は、何を作り上げようとしてるんだ。」
「物語を作ってるわ。」
「いや、そうじゃない。その物語の向こうに何を作り上げようとしているのかが、問題だ。考えてみると、物語というのは、何よりも危険だと思う。人間の思考回路を形成する訳だからね。たとえば、家族を愛する、自然を守る、会社のために尽くす。国家のために尽くすのはおかしい。我々は自由だ。自由は正しく、不自由は打破されるべきだ、などと、物語を通して、人間は考えるようになる。そうやって、今まで人間が作り上げてきた幾千もの思想や物語が、我々の思考を作り上げてるんだ。驚異的だと思わないか。思想は積み重なるが、時に消えて行く考え方もある。今、我々は、どんな思考回路で生きているだろうか。それは、どのような社会を形成するために必要な考え方だろうか。それは、絶対的な観点から見て、そうあるべき思考だろうか。さて、どうだろうね。どうあるべきだろうか。こう考えると、リーヴィズ社が、目指しているのは、途方も無いものに思えるんだ。どうだろう、カレル・チャペックの工場のように、“絶対“を製造するつもりか？」
「正直、私、リーヴィズ社が何を目指しているのかは、考えたことが無かったわ。」
「嘘だろ？ 俺は、媒脳持ちじゃないから、呼吸や心拍数なんかのデータから嘘の有無は判断できないが、バカでも分かることは分かる。リーヴィズも、アンドロイドを作っているリボルトや、生物兵器を作っているフィーリスに対抗して、企業体として生き残らないといけないんだから、戦略は考えているはずさ。おそらく、味方を殖やそうとしているんだろうな。物語を愛する人をひとりでも増やして、物語が無いと生きられない人たちを作る。そうすれば、リーヴィズ社は、いつまでも必要とされる。そういうことだろ？」
「必ずしも、そうではないわ。リーヴィズは、物語世界を作り出すことで、並行世界を実現しているの。いわゆる、“一人一世界”ってやつね。世界が一つだと、何かを取り合って争いが生じる。でも、世界がたくさんあれば、取り合う必要は無いし、何より物語世界では、全てが実現可能だから、体験者は、必ず幸福になれる訳よね。それを提供するのが、リーヴィズなのよ。」
「でも、現実世界に肉体がある限り、現実世界と関わらない訳には、いかないだろう。忘れがちになるが、アドリも媒脳も、リーヴィズの商品だよな。」
「ええ、そうね。」
「ときどき、思うんだ。リーヴィズは、肉体すら捨てて、精神世界を作り出そうとしているのではないかとね。媒脳を入れることで、自分自身をデータ化できるわけだろ。そうすると、そのまま意識をデータ化した状態で、仮想現実世界に住み続ければ、肉体は不要になるのか？」
「そのときは、意識とは何かという神聖な問題が立ちはだかるわ。それを乗り越えられれば、私たちは意識だけを情報として飛ばすことでテレポーテーションもできるようになるのだからね。」
「でも、技術的には可能だ。」
「どうかしら。一ついえることがあるとすれば、現行法では、肉体が無ければ、人間とは認められず、戸籍を作ることも、契約することすらもできないわ。」
「俺には、データでしか動いていないアンディーたちにも魂が無いようには見えないがね。」
カイルの視線の先には、可塑電影〈フレビジョン〉があった。そこでは、人間そっくりのアンドロイド同士が闘うコロッセウムの試合の様子が中継されており、リング全体が映るようにして、両選手が対峙している様子が流されていたが、いきなり片方のアンドロイドの頭が、地面に落としたスイカのように破裂した。どうやら、相手のアンドロイドが放った鉄球をまともに受けたらしく、そのシーンは、興奮する解説者の声とともに、何度も、様々な角度からリプレイされた。
クレアが、カイルの方を見ると、彼は吐き気をとどめるためにか、口を押さえていた。
「あなた、擬人嗜好症〈アンディ・ラヴァー〉なの？」
口を押さえるのを止め、ライフルを木製の机に置いて整備に取りかかろうとしていたカイルに、クレアが机越しに、冗談っぽく尋ねた。
「そうなのかもな。そうならざるを得なかったから。」
「何かあった？」
カイルは、何も言わず、そのままライフルを解体し始めた。
「私に質問したんだから、あなたも１つくらい質問に答えて。」
クレアが、不満げに言うと、カイルは力なく笑い、その部品を磨きながら語り始めた。
「ゼペット事件は知ってるよな。」
クレアは、頷いた。アンドロイドの愛嬌の研究で有名であったゼペット博士は、ある日、忽然とリボルト社から消えてしまった。リボルト社は、彼の研究は、ほとんど完成されており、弟子もいたため、ゼペットに執着することは無かったのだが、その数年後、彼らは、それを後悔することとなった。
その日、息子であるエデュワルト・カジュミオンに家督を継いで、自身は悠々自適の隠居生活を送っていた老カジュミオンは、彼の人生の課題〈ライフ・ワーク〉の一つである「宇宙の謎」を解くために、地球以外の文明の跡が残っているとされる最果ての惑星〈アルティマ・ツーレ〉へと、足を運んだ。彼は、そこに長期滞在して、この星の最深部へと人類へ初めて踏み入れるために探検隊を用意していたのだったが、彼は最深部に入る前に絶命した。
１つは、20世紀半ばに世界を席巻したロックバンドの反戦曲。１つは、宇宙の辺境の地で、略奪行為を働く者たちを法に従って裁き、その物品を再略奪する治安維持隊が、士気高揚のために聴く、喘ぎ声まじりの好戦歌〈ウォーラヴァー・ソング〉。１つは、旧国家の寺院で奏でられる木管楽器の静寂曲。そして、最後の１つは、永遠の歌姫である模造品〈アンドロイド〉のレイナ・スウィフトが３つの顔を使って、それぞれの声色で歌う『右舷左舷』であった。
４つの音楽を同時に聴くということは、少なくともこの店の主であるカイルは、“感じる”ためのCPUを４つ以上は持つ媒脳持ちであるということである。クレアの媒脳は、ちょうどクアッドコアなので、４つより多い音楽を同時に鑑賞することはできないが、この混在音を解析にかけたところ、４つより多くの音楽は存在しないようであった。
しかし、見れば見るほど、会社というより、廃品置き場のような場所だった。磁導車以前の車や、得体の知れないエンジンが間隔を開けておかれ、その周りに工具が散乱しているところを見ると修理でもしているようだが、誰がそんなものを注文しているのか、クレアには検討もつかなかった。
この中で、４つの意識それぞれが音楽を鑑賞しながら、何の作業に集中しているのだろうか。機械の修理？ しかし、機械の修理だとすると、いくら意識が４つあっても、身体は一つなのだから作業効率は変わらないだろう。とすると、修理をしながら、残り３つの意識が何か別の作業でもしているのだろうか。
ハッキング？ それだとすると、逆に意識が３つでは足りない様に思われる。ただ単に、残りの意識３つは音楽鑑賞のために使っているのだろうか。それは、何かエネルギーの無駄遣いのような気もした。
いくら声をかけても反応がないので、クレアは、念のため、警戒することにした。ここは、どの企業体の領土では無い無法地帯だ。企業体の人間に敵意を持った者も多数存在する。
クレアは、休ませていた残りのＣＰＵを、熱感知と認知速度向上に振り分けた。認知速度向上とは、平均的な人間が感じられる最も短い時間感覚は１／16であるが、媒脳を調整することで、もっと細かい時間で刻んで体感できるようにする方法だ。こうすることで、時がゆったりと流れているように感じられる。
クレアは、ホルダーから小型の衝撃波銃〈ブラスター〉を取り出し、構えた状態で、工場内を見廻った。音楽以外に何も聞こえず、熱感知にも何も反応しない。
ふと、クレアは、何かにつまづきそうになって、声を上げた。
「誰だ！ 俺の脚を踏む奴は。勝手に人の家をうろつくなんて、さては、飲んだくれのアントンの親父か？」
クレアは、自分の足下を見ると、旧式の自動車の下から脚が出ていた。まさか、そんなところに人が入っているとは思わなかったクレアは、一歩引いて、身構えると、車の下から脚から上が出てきて、立ち上がり、クレアの方を振り返った。それは、ロイド博士にホログラムで見せてもらったカイル・ラマルクその人だった。
「これは、アントンの親父よりタチが悪いな。人んところに勝手に入ってきて、ブラスターを構えてるとは、どういう了見だ。」
クレアは、自分の非礼を恥じて、ブラスターをホルダーにしまい、
「驚かせて、ごめんなさい。ロイド博士の方から連絡があったと思うけど、私は、クレア・ボルティノア。物語学者よ。例の件で、話しにきたの。」
「ロイド博士？ ああ、４次元視の頭でっかちか。奴がどうした。何も訊いちゃいない。」
「いや、そんなことは無いはずよ。この会社のアドレスに連絡は入れているわ。」
カイルは、めんどくさそうにして、傍らにあった、可塑液晶を使ったタブレット端末“塑面”を操作していた。今頃、アドリでなく、タブレット端末で情報を閲覧するとは、何か余程のこだわりがあるのだろうか。
「ああ、なんか来てるな。みんな、直接会って注文して来るから、メッセージを読む習慣が無いんだ。」
カイルは、そう言いながら、工場の片隅にある木片を組み合わせて彼が作ったと思われる椅子とドラム缶のテーブルに案内してくれた。
「あなた、媒脳持ちでしょ。何で、タブレットなんて使うの？」
タブレット端末をドラム缶の上に置いたカイルに、クレアが尋ねた。
「媒脳？ いや、俺は、媒脳持ちじゃない。一般人〈ノーマル〉だ。フェルナ教徒的にいえば、無垢〈ピュア〉だね。」
カイルは、はにかみ笑いを見せながら、油で汚れた手で鼻の下を擦る。
ということは、この男は、反戦曲と好戦歌、眠くなるような静寂曲と、テクノ系で電子音が耳につく流行曲の混じった、完全な雑音を楽しんでいたということになる。変わり者だとは思っていたが、ここまでとなると一緒に任務に就くのが不安になった。
「でも、あなた、元探査官なんでしょう？ よく媒脳無しで生き残れたわね。」
クレアは、その事実を思い出し、純粋に感心して尋ねると、
「相手が媒脳持ちやアンドロイドだとしても、要は予測されなければいいのさ。たとえば、この工場〈ガレージ〉では、俺が80デシベル以上の声で、ノーと叫べば、俺以外の生体は壁や床から飛び出すプラズマの刃で貫かれるようになっている。いくら高度な予測システムを頭の中に入れていても、常識はずれの行動は予測できない。マーサーの法則というやつだな。」
「そんな罠を仕掛けるなんて、あなた、見た目によらず、被害妄想的なのね。」
クレアが、そう冗談めいて言うと、カイルは、「でも、自業自得というやつかな。おかげで俺は、この家では基本ノーとは言わないようにしているから、みんなのイエスマンという訳さ。無茶な注文を断れなくて困ってる。」と、お手上げというポーズをしながら語る。
「そんなイエスマンさんに注文したいのだけど。」
クレアは、アドリを起動して、メニューの表情の項目から“魅力的な笑顔”を選び、そして、目の前の鈍そうな男の目を見つめながら、語りかける。
「私と、旧国家でデートしない？」
「それは嬉しいけど、なぜ旧国家？」
さすがの男も危険を察知したようで、少し身構えていた。クレアは、これでノーと大声で言われたら最悪だな、と心の中で状況を楽しみながら、他のCＰＵを働かせて、元辺境警備隊員の男への受け答えとしての最適解を探させる。出た答えは予想通りの“率直に言う”であった。
「さっき、自己紹介したように私は物語学者よ。だから、新しい物語の素材を見つけるために、旧国家に行きたいの。どう、協力してくれる？ 報酬なら骨董品の修理を頼むような物好きの何倍も出せるわ。」
「報酬なんて興味ないね。」
クレアは、報酬について話に出したが、カイルがそんなものに興味が無いのは、ロイドの説明からも分かっていた。しかし、報酬の話を出すことで、カイルが自分がそんな人間に見られているのを訂正したいという欲求が働くだろうから、そこに期待したのだった。
案の定、暫く考え込んでから、カイルの方から、仕事内容の詳細の説明を求めてきた。
「仕事内容は、さっき言ったように、新しい物語の素材を探すこと。なぜ、旧国家なのかというと、物語の素材を現実からではなく、打ち捨てられている人間たちの物語空間から物語を拾い集めてこようと考えてるからよ。」
「それは、法律上、問題ない行為なのか。」
「場所が旧国家だから。そこで勝手に個人宅に押し入っても、何を盗んでも、誰を傷つけても罪にはならないわ。法律が存在しないし、条文が残っていたとしても、罰を執行する機関が存在しないもの。でも、作品については別。私も知らないような中小企業が作った作品が混じっていないかはチェックする必要があるから、それは、素材として使う前に、うちのSDB〈物語保管庫〉と照合するから大丈夫。ただ、商標登録されていないような個人が作成したもので、その人が現在、旧国家ではなく、企業体のうちじゃない部門や他惑星に所属していると面倒だから、そのときは、和解金を積んで解決するわ。それだけの価値がある物語の素材ならね。」
「もし、人を殺しても問題は無い？」
クレアは、この男は何を考えているのかと思ったが、カイルの表情を見ると、いたって真剣な顔だった。そして、その後ろの壁には、如何にも辺境警備隊が使っていそうなライフルが飾られていた。
「今から殺人の御予定があるの？」
「それこそ君は、場所をどこだと思っているんだ。旧国家には、無法者が集ってる。旧国家は、彼らが、リボルト社が製造するPTRシリーズのアンディーたちに追いかけ回されずに、安心して生活できる地上の楽園〈サンクチュアリ〉だからね。彼らは、何でも欲しがるし、特に女性なんて…」
「そういった輩は、始末して構わないわ。でも、なるべく鎮圧用の粘着弾を使って。もし、調査で来ている他の人間を殺傷したらシャレにならないから。」
「了解。君たちが嫌がることはなるべくしないさ。」
カイルは、作業机から紙を取り出してきて、それを机の上に広げた。
「どのエリアに行くんだ。」
それは、紙の世界地図だった。この男は、どれだけアナログなのだろうか。たしか、紙の地図なんて、発売中止になったはずだ。
クレアが、ある場所を指差すと、カイルは、「ほう」と感心したような声を上げる。
「当然の選択だろうな。当時、物語生産量が、世界一位だった国だからな。まあ、瓦解するのも先進国の中では早かったが。それで、具体的には、どの地域に行くんだ。小さそうに見えて、意外と細長いから全国は廻れないぞ。」
「このエリアよ。」
「そのエリアが、どういう場所か知ってる？」
クレアは、この旧国家の首都圏と聞いていたため選択しただけなのだが、カイルの言葉には含みがあった。
「首都でしょ。それに、この旧国家の経済の中心で、人口も飛び抜けて多かった地域なんじゃない？」
「それは、当時の情報としては正しい。でも、現状として、どういう場所かが問題なんだ。」
カイルは、さっきのタブレット端末を起動させ、何かの書物を、画面上に開いた。
「この本は、『組換獣図鑑』と言って、ここ数年、子どもへのクリスマスプレゼントとして売れている品だ。見るといい、写真が美しいよ。」
クレアが画面を覗き込むと、そこには、クジャクのように美しい翼を持ったグリフォンの写真が載せられていた。胴体は獅子、頭は鷹、翼は力強そうであり華麗。如何にも、強さと美しさを好む権力者が好みそうな獣であった。一緒に映っているライオンたちよりも、二回り程度巨大な獣は、鷲のように脚を獲物に向けて、大空から象の子どもを捕らえようとしていた。
「今、映っているのは、グリフィンだ。知ってるかい？ 奴らは、スゴいんだ。何がスゴいかって、生まれて来る子どもの後ろ足が、鷹の後ろ足の奴もいれば、ライオンの後ろ足の奴もいるんだ。だから、鷹の後ろ足の奴は、写真みたいに空中から獲物を襲うし、ライオンの後ろ足の奴は、大地を駆け回って獲物を仕留める。でも、個体によっては、鷹の後ろ足なのに、地面を走り回る狩りに固執する奴や、それの逆のパターンの奴もいる。そういう奴らは、狩りがうまくいかないから、獲物が捕れず、力が無いので子孫も残せなくなる。まさしく、自然淘汰だよ。ダーウィンもびっくりするぐらい、綺麗に説明できている例だと思う。」
「このグリフォンが、この旧国家には生息している訳？」
「いや、コイツはいないな。確か、ここに生息しているのは…」
結局、カイルは、生物オタクで、彼の大好きな獣の話をしたかっただけのようだ。クレアは、もしかすると、カイルが去年のクリスマスに、ママからプレゼントしてもらったのが、この本なのかもしれないな、と思った。
「このあたりのページの奴は、いるはずだ。」
画面に映っていたのは、朝陽に照らされた古い寺院の木塔に巻き付いている、平べったい蛇のような生き物の写真であった。生物名は、オオゾラユウレイタチウオ。彼らは、身体が軽いために、胸びれを羽ばたかさせることで優雅に空を飛ぶことができるのだと説明がなされている。
次のページに遷移すると、全長４メートルから６メートルほどの巨大なオオゾラユウレイタチウオたちが廃墟を飛び回っていた。ゆらゆらと、まるで彼らは深海にいるかの如く、ビルの合間を縫って、飛んで行っているが、周囲は、この不気味な生物が発する金切り声で何も聞こえなくなるのだという。
「昔は、こんな気持ち悪いのは、地球上には存在しなかった。でも、誰かが、ああいうのが空を飛んでいるのを見たいと思って、作ってしまった。今の地球上には、そんな誰かが見たいと思ったから生まれた“元”空想上の動物が、うじゃうじゃいる。一軒家ぐらい大きなハサミを掲げるコンゴウシオマネキやら、無数の手足に覆われた千手観音蜘蛛なんかがね。こいつらは、人間を補食することに興味は無いからいいものの、近づかれただけで、ゾッとするね。おそらく、この島国の旧国家でも、頭がおかしくなった、どこかの領主が、カラスに覆われた空でも綺麗にしようとして、ペットのオオゾラユウレイタチウオを解放したんだろうな。」
カイルが、意地悪い目で微笑む。
「それでも行きたいか？」
「ええ、もちろん。あなたが、守ってくれるんでしょ。」
クレアの言葉に、カイルは鼻で笑い、
「それ自体は、構わない。俺も、そこには行ってみたかったからな。でも、一つだけ教えて欲しい。」
クレアは、頷いて、カイルの質問を促した。
「君は、何のために、こんなことをするんだ？ 自分が仕えるヴァーサフ・ミルズのためか？ リーヴィズ社に入って、ヴァーサフの下で働くのが悪く無い選択だということは認める。そりゃ、クライスト家の私物であり、世界中に歪な生物をまき散らしているフィーリス社で働くよりも、ビスマルク家が牛耳って、娯楽的なアンドロイドより兵器ばかり開発しているリボルト社で働くよりも、マシであることは認めるが、だからといって自分の身を危険にさらす価値があるとは思えない。」
「不死者〈ノスフェラトゥ〉批判？ 個人事業主〈アウトサイド〉らしいわね。」
クレアは、冷ややかな目で、カイルを見た。所詮、この程度の男なのだ。個人事業主〈アウトサイド〉は、自分たちが企業体から何も補償されないため、口を開けば、企業体の批判をする。特に、企業体のトップである不死者〈ノスフェラトゥ〉たちのことが、彼らは大嫌いだ。
しかし、カイルのいう通り、クレアがリーヴィズ社を選んだのは、貴族化した代表者の家族が主要ポストに居座るような、中世的な愚行が行われていないためであった。
たとえば、フィーリス社。代表であり、創業者であるフィーリス・クライストは、不死になってから半世紀近く、会社を運営しており、主要な役職は彼の一族で埋め尽くされていて、クライスト家で無い者には裁量権がある仕事は与えられない。
フィーリス社に於いて、フィーリス・クライストは、“絶対”である。有名な話だと、フィーリス社の領土に於いて、天気は、感情連動〈エモーショナル・リンケージ〉されている。つまり、フィーリス・クライストが機嫌が良いと晴れ渡るし、怒り狂うと嵐になる。フィーリスが、他の企業体から、“雷親父“と綽名される所以である。
一方、リボルト社に至っては、代表であるエデュワルト・カジュミオンが、約四半世紀前、皇帝という存在に憧れるがあまり、「会長」という役職名を廃して、新しく「皇帝〈カイザー〉」という役職にし、社長職を「宰相」へと変えてしまった。そのおかげで、鉄血宰相として有名なオットー・フォン・ビスマルクと同姓であったオリバー・ビスマルクという社員が、宰相まで出世することができたのであり、大した才能も無いのに、その一族が、リボルト社では跋扈していると言われている。
他にも企業体は存在し、その中では、宇宙ステーション建設や宇宙船の建造などを行っているトビシマ社が、評判は良く、代表のサイゾー・トビシマも人望が厚いが、トビシマ家の家族経営であることは変わらず、しかも、息子のゴンザレスは、粗暴で、評判は芳しく無いのが実情であり、一方で、娘のエレクシアが器量も良いとの噂のため、父の死後は相続争いになるのが目に見えていた。
「不死者批判かどうかは置いておいて、質問に答えてくれ。」
「不死者が何よ。私は、そんなのは知らないわ。だからって、物語を作るのを辞める訳にはいかないわ。」
「何のために、そんなに物語を作るんだ。特別だと認められたいから？」
「自分のためよ。作ってるのは楽しいの。だから、作るの。もしかしたら、この世界のことが少しでも分かるかもしれないから。私は、何も知らないまま死にたく無いのよ。」
「でも、物語を作るには、新しい物語の材料が必要なんだろ。」
クレアは、頷いた。今までと同じ素材を使ったのでは、何千京も存在しているといわれる物語と被ってしまい、物語を作ったという達成感が得られなくなる。
「しかしだ。旧国家に物語を集めに行って、本当に特別な物語が得られると思うかい？ もしかしたら、『巡り逢い』シリーズみたいな、ホテルでカップルが楽しむ類いのものしか得られないかもしれないぜ。それなら、家に籠って、妄想促進薬でキメて新しい発想を得たり、物語工場から精神病患者たちからの新しい妄想が届くのを待っていた方が、手っ取り早いかもしれない。」
カイルの言う『巡り逢い』シリーズとは、仮想現実体験機であるLVSが、いわゆるオタクだけでなく、一般にも広まるきっかけになった物語である。内容としては、王子が姫を救出したり、２人きりで世界に取り残されて冒険したりする。つまり、舞台設定〈シチュエーション〉によって、恋愛感情が強まるように、セックスが盛り上がるようにするために作られた物語であり、それが普通に人生を楽しんでいる若者から、倦怠期だが２人の感情を取り戻したい夫婦まで、普段、仮想現実なんて必要なかった様々な世代にウケたため、LVSが全体に広まったのだ。
「旧国家に取り残されている人間というのは、現実世界に日常を持っていない、“機械引きこもり”人間だから、旧国家に取り残されちゃったんでしょう。そんな人たちが、『巡り逢い』シリーズみたいなものを楽しんでいるとは思えないわ。まあ、一人で楽しむ恋愛物語は見つかるかもしれないけど、そこに新しい恋愛パターンが見つかるなら、小遣い稼ぎになるから、それはそれでいいかも。」
「前向きだな。でも、そう振る舞ってもらわないと、こっちも道中、ストレスが溜まる。途中で帰りたいと泣きわめいても、俺は満足するまで帰らないから、一人で帰ってくれ。」
そう言って、カイルは、ライフルの方へ向かい、壁から外して、手入れをし始めた。
「それと、君自身ではなく、リーヴィズ社の一社員としての君に質問したいんだが。」
カイルは、ライフルを、中古車に向けて構えた。
「君たちリーヴィズ社は、何を作り上げようとしてるんだ。」
「物語を作ってるわ。」
「いや、そうじゃない。その物語の向こうに何を作り上げようとしているのかが、問題だ。考えてみると、物語というのは、何よりも危険だと思う。人間の思考回路を形成する訳だからね。たとえば、家族を愛する、自然を守る、会社のために尽くす。国家のために尽くすのはおかしい。我々は自由だ。自由は正しく、不自由は打破されるべきだ、などと、物語を通して、人間は考えるようになる。そうやって、今まで人間が作り上げてきた幾千もの思想や物語が、我々の思考を作り上げてるんだ。驚異的だと思わないか。思想は積み重なるが、時に消えて行く考え方もある。今、我々は、どんな思考回路で生きているだろうか。それは、どのような社会を形成するために必要な考え方だろうか。それは、絶対的な観点から見て、そうあるべき思考だろうか。さて、どうだろうね。どうあるべきだろうか。こう考えると、リーヴィズ社が、目指しているのは、途方も無いものに思えるんだ。どうだろう、カレル・チャペックの工場のように、“絶対“を製造するつもりか？」
「正直、私、リーヴィズ社が何を目指しているのかは、考えたことが無かったわ。」
「嘘だろ？ 俺は、媒脳持ちじゃないから、呼吸や心拍数なんかのデータから嘘の有無は判断できないが、バカでも分かることは分かる。リーヴィズも、アンドロイドを作っているリボルトや、生物兵器を作っているフィーリスに対抗して、企業体として生き残らないといけないんだから、戦略は考えているはずさ。おそらく、味方を殖やそうとしているんだろうな。物語を愛する人をひとりでも増やして、物語が無いと生きられない人たちを作る。そうすれば、リーヴィズ社は、いつまでも必要とされる。そういうことだろ？」
「必ずしも、そうではないわ。リーヴィズは、物語世界を作り出すことで、並行世界を実現しているの。いわゆる、“一人一世界”ってやつね。世界が一つだと、何かを取り合って争いが生じる。でも、世界がたくさんあれば、取り合う必要は無いし、何より物語世界では、全てが実現可能だから、体験者は、必ず幸福になれる訳よね。それを提供するのが、リーヴィズなのよ。」
「でも、現実世界に肉体がある限り、現実世界と関わらない訳には、いかないだろう。忘れがちになるが、アドリも媒脳も、リーヴィズの商品だよな。」
「ええ、そうね。」
「ときどき、思うんだ。リーヴィズは、肉体すら捨てて、精神世界を作り出そうとしているのではないかとね。媒脳を入れることで、自分自身をデータ化できるわけだろ。そうすると、そのまま意識をデータ化した状態で、仮想現実世界に住み続ければ、肉体は不要になるのか？」
「そのときは、意識とは何かという神聖な問題が立ちはだかるわ。それを乗り越えられれば、私たちは意識だけを情報として飛ばすことでテレポーテーションもできるようになるのだからね。」
「でも、技術的には可能だ。」
「どうかしら。一ついえることがあるとすれば、現行法では、肉体が無ければ、人間とは認められず、戸籍を作ることも、契約することすらもできないわ。」
「俺には、データでしか動いていないアンディーたちにも魂が無いようには見えないがね。」
カイルの視線の先には、可塑電影〈フレビジョン〉があった。そこでは、人間そっくりのアンドロイド同士が闘うコロッセウムの試合の様子が中継されており、リング全体が映るようにして、両選手が対峙している様子が流されていたが、いきなり片方のアンドロイドの頭が、地面に落としたスイカのように破裂した。どうやら、相手のアンドロイドが放った鉄球をまともに受けたらしく、そのシーンは、興奮する解説者の声とともに、何度も、様々な角度からリプレイされた。
クレアが、カイルの方を見ると、彼は吐き気をとどめるためにか、口を押さえていた。
「あなた、擬人嗜好症〈アンディ・ラヴァー〉なの？」
口を押さえるのを止め、ライフルを木製の机に置いて整備に取りかかろうとしていたカイルに、クレアが机越しに、冗談っぽく尋ねた。
「そうなのかもな。そうならざるを得なかったから。」
「何かあった？」
カイルは、何も言わず、そのままライフルを解体し始めた。
「私に質問したんだから、あなたも１つくらい質問に答えて。」
クレアが、不満げに言うと、カイルは力なく笑い、その部品を磨きながら語り始めた。
「ゼペット事件は知ってるよな。」
クレアは、頷いた。アンドロイドの愛嬌の研究で有名であったゼペット博士は、ある日、忽然とリボルト社から消えてしまった。リボルト社は、彼の研究は、ほとんど完成されており、弟子もいたため、ゼペットに執着することは無かったのだが、その数年後、彼らは、それを後悔することとなった。
その日、息子であるエデュワルト・カジュミオンに家督を継いで、自身は悠々自適の隠居生活を送っていた老カジュミオンは、彼の人生の課題〈ライフ・ワーク〉の一つである「宇宙の謎」を解くために、地球以外の文明の跡が残っているとされる最果ての惑星〈アルティマ・ツーレ〉へと、足を運んだ。彼は、そこに長期滞在して、この星の最深部へと人類へ初めて踏み入れるために探検隊を用意していたのだったが、彼は最深部に入る前に絶命した。
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コメント(16)
最初、強力な古代兵器が地下に潜んでいるのだと推測され、リボルト社の最新鋭の機甲部隊を投入する計画が辺境警備隊の中で建てられていたのだが、それと前後して、カジュミオン家に、何者かから立像電報〈テレ・ホログラム〉が届けられた。そこには犯行声明が入っていたのだが、衝撃を与えたのは、声明文ではなく、犯人そのものであった。それは、アンドロイドだったのである。
当然、アンドロイドには「ロボット３原則」のプログラムが組み込まれているため、それを調整できる技術を持った人間が、まず捜査線上に上がり、ゼペットも、その対象になったのだ。
当時、ゼペットは、小惑星に所有していた別荘に隠居していたのだが、彼は、体長不良を理由に、出頭を拒否した。これを怪しんだ共同警察は、捜査官を数名、偵察のために、ゼペットの元に送り込んだ。運送会社になりすました捜査官は、修理のためと偽ってゼペットの小惑星に不時着したが、そこには恐るべき世界が広がっていた。地図には無い街が存在していたのである。
「ゼペットは、情緒発達機能を持っていたために、次々にスクラップされていたネクサス型のアンドロイドを、密かに集めて、自分の小惑星に住まわせていたんだ。そして、彼は、禁じられていた複数体のネクサス型によるコミュニケーションを実行してしまった。それにより、彼らは自我に目覚め、ゼペットがオープンにしてしまっていたバベルの図書館にアクセスし、人間の歴史の全てを学習した。そして、彼らは思ったんだろう。なんて、人間は愚かなのだろうとね。その後の調査で分かったことだが、ゼペットは、不死者では無かったから、自分の死後にアンドロイドたちが主体的に生きられるようにするために、ロボット３原則を解除していたんだ。人間に襲われた時、自分を守るために抵抗できるようにね。こうして、最悪の事態が発生した訳さ。」
「でも、その件は、ゼペットが逮捕されて終わったんでしょう。」
「ゼペット逮捕を、そんなに簡単に言わないで欲しいな。俺は、辺境警備隊の一員として、その作戦に参加させられたんだが、あれは、地獄だったよ。制圧自体は、簡単だった。主犯格は逃走していたからね。ゼペットも抵抗しなかったし。そして、街を形成していたロボット３原則を失ったアンディーたちを破壊すること自体は、俺も反対ではなかった。アンディーたちも自分たちの運命を受け入れていたから。でも、俺が、上官に、マニュアル通りアンディーたちの電源を切ってから、破壊することを伝えたんだが、上官は『奴らは目覚めてるんだろう。だったら、痛みにも目覚めさせないとな。』と言って、部隊に、アンディーたちを鎖で縛り上げて、樹に括り付け、表情は見えるようにして公開処刑するように命じたんだ。アンディーたちは、広場に集められて、次々と処刑されたよ。上官は言うんだ。『この映像を主犯格のアンディーたちに見せつけるんだ。人間もどきの分際で、人間に楯突くことが、どういうことを意味するかを！』 この案は、頭の悪いエデュワルト・カジュミオンや取り巻きの不死者の発想だったようだ。その後、エデュワルトは、企業体代表会議の場で、フィーリス・クライストに『君のお父様なら、そんな愚行はしなかったな。』と嫌みを言われたらしい。俺も、バカだと思うよ。だが、それだけ、このテロは、不死者たちを不安に陥れたんだろうな。」
カイルの言う通り、この事件は、一般には「人間を襲うアンドロイドの恐怖」として受け取られたが、不死者にとっては、より大きい意味があった。それは、「不死者になっても、殺されれば、死は訪れる」ということであった。さらに、本件では、老カジュミオンの遺体は、結局、見つからず、死亡した痕跡も見つからなかったため、誘拐された可能性も考えられた。その場合、電子データに、本人を復元するだけの情報が残っていても、現実に本人が生きている可能性は否定できないため、復元はできず、老カジュミオンはコピーとして生き返ることも許されなかったのだ。
「そのあとのことは、あまり報道はされてないが、自我を持った主犯格のアンディーたちは、各地で仲間を増やして、束縛されている仲間たちを救おうと闘っている。奴らは、人格形成が無いタイプのアンディーに人格を植え付けて、ともに闘う同士に仕立て上げるんだ。いつの間にか、辺境警備隊の主任務は、そのアンディー狩りになってしまった。人間にしか見えないアンディーたちを殺し続けるんだ。武装もしておらず、ただ日常を人間と同じように楽しもうとしているアンディーたちを、プログラム上、ロボット三原則から解放されたという理由だけでね。」
「でも、それ以降、ネクサス型は生産されなくなったんじゃなくて？」
当然、アンドロイドには「ロボット３原則」のプログラムが組み込まれているため、それを調整できる技術を持った人間が、まず捜査線上に上がり、ゼペットも、その対象になったのだ。
当時、ゼペットは、小惑星に所有していた別荘に隠居していたのだが、彼は、体長不良を理由に、出頭を拒否した。これを怪しんだ共同警察は、捜査官を数名、偵察のために、ゼペットの元に送り込んだ。運送会社になりすました捜査官は、修理のためと偽ってゼペットの小惑星に不時着したが、そこには恐るべき世界が広がっていた。地図には無い街が存在していたのである。
「ゼペットは、情緒発達機能を持っていたために、次々にスクラップされていたネクサス型のアンドロイドを、密かに集めて、自分の小惑星に住まわせていたんだ。そして、彼は、禁じられていた複数体のネクサス型によるコミュニケーションを実行してしまった。それにより、彼らは自我に目覚め、ゼペットがオープンにしてしまっていたバベルの図書館にアクセスし、人間の歴史の全てを学習した。そして、彼らは思ったんだろう。なんて、人間は愚かなのだろうとね。その後の調査で分かったことだが、ゼペットは、不死者では無かったから、自分の死後にアンドロイドたちが主体的に生きられるようにするために、ロボット３原則を解除していたんだ。人間に襲われた時、自分を守るために抵抗できるようにね。こうして、最悪の事態が発生した訳さ。」
「でも、その件は、ゼペットが逮捕されて終わったんでしょう。」
「ゼペット逮捕を、そんなに簡単に言わないで欲しいな。俺は、辺境警備隊の一員として、その作戦に参加させられたんだが、あれは、地獄だったよ。制圧自体は、簡単だった。主犯格は逃走していたからね。ゼペットも抵抗しなかったし。そして、街を形成していたロボット３原則を失ったアンディーたちを破壊すること自体は、俺も反対ではなかった。アンディーたちも自分たちの運命を受け入れていたから。でも、俺が、上官に、マニュアル通りアンディーたちの電源を切ってから、破壊することを伝えたんだが、上官は『奴らは目覚めてるんだろう。だったら、痛みにも目覚めさせないとな。』と言って、部隊に、アンディーたちを鎖で縛り上げて、樹に括り付け、表情は見えるようにして公開処刑するように命じたんだ。アンディーたちは、広場に集められて、次々と処刑されたよ。上官は言うんだ。『この映像を主犯格のアンディーたちに見せつけるんだ。人間もどきの分際で、人間に楯突くことが、どういうことを意味するかを！』 この案は、頭の悪いエデュワルト・カジュミオンや取り巻きの不死者の発想だったようだ。その後、エデュワルトは、企業体代表会議の場で、フィーリス・クライストに『君のお父様なら、そんな愚行はしなかったな。』と嫌みを言われたらしい。俺も、バカだと思うよ。だが、それだけ、このテロは、不死者たちを不安に陥れたんだろうな。」
カイルの言う通り、この事件は、一般には「人間を襲うアンドロイドの恐怖」として受け取られたが、不死者にとっては、より大きい意味があった。それは、「不死者になっても、殺されれば、死は訪れる」ということであった。さらに、本件では、老カジュミオンの遺体は、結局、見つからず、死亡した痕跡も見つからなかったため、誘拐された可能性も考えられた。その場合、電子データに、本人を復元するだけの情報が残っていても、現実に本人が生きている可能性は否定できないため、復元はできず、老カジュミオンはコピーとして生き返ることも許されなかったのだ。
「そのあとのことは、あまり報道はされてないが、自我を持った主犯格のアンディーたちは、各地で仲間を増やして、束縛されている仲間たちを救おうと闘っている。奴らは、人格形成が無いタイプのアンディーに人格を植え付けて、ともに闘う同士に仕立て上げるんだ。いつの間にか、辺境警備隊の主任務は、そのアンディー狩りになってしまった。人間にしか見えないアンディーたちを殺し続けるんだ。武装もしておらず、ただ日常を人間と同じように楽しもうとしているアンディーたちを、プログラム上、ロボット三原則から解放されたという理由だけでね。」
「でも、それ以降、ネクサス型は生産されなくなったんじゃなくて？」
「辺境にはね、人格を形成していくネクサス型と恋愛を楽しむ変わり者や、あえて感情があるネクサス型を、レアメタル鉱山などでの過酷な労働条件で働かせて、太古の帝王になったような気分に浸りたい変態が、星の数だけ存在してるんだよ。バベルの図書館も教えてくれない現在の事情だ。」
「勝手に人格を植え付けて、苦しみを覚えさせるなんて、そっちの方が、悪じゃないかしら。」
「“目覚めた”アンディーたちにとってみれば、人格が無いアンディーは、ロボトミー手術で人格を破壊された存在だという認識らしい。元々あるべきものを元に戻しているだけだとね。俺は、主犯格の奴らには、同情できないが、巻き込まれて殺されるアンディーたちが可哀想でしかたない。だから、仕事を辞めたんだ。」
カイルは、そう言って、ライフルを棚に戻すと、今度は、浮磁盤〈レビテト・ディスク〉を机の上にのせた。
クレアが、何に使うか尋ねたところ、カイルは、巨大な組替生物に襲われたとき、反撃するには、高い位置から脳天などの急所を狙った方が効率がいいから、と説明してくれた。
浮磁盤〈レビテト・ディスク〉は、アドリと連動させることで、見つめた位置の空間座標を登録してくれ、その状態で起動させて宙に投げると、その場所に空中浮遊して留まる。そして、浮磁盤は、強力な磁場を発生させるため、それを足場にして、浮磁靴〈レビテト・シューズ〉を履いた人間が、空中に一歩を踏み出せるのである。
浮磁盤は、燃料を使って飛ぶジェットブースターのようなものよりも、身軽に空中を移動できるのが、長所であり、これを使ったスポーツは盛んである。たとえば、刃の無い刀で打ち合って、得点を競う浮磁剣舞〈レビテト・グラディエイト〉は、ボクシングのような興奮と、フィギュアスケートで舞うような美しさが同時に楽しめ、大会があるたびに可塑電影で放送している。
彼も、そんなスポーツを嗜むのだろうかと思ったクレアの視界に、遠くの棚に置かれたトロフィーが目に入った。意識内で、アドリを調整し、ズームすると、それは浮磁剣舞〈レビテト・グラディエイト〉のものであった。そして、その隣には、頑固そうな白髪の老人と、太陽のような笑顔を浮かべた美しい女性、そして、カイルが映った写真が飾られていた。そこでのカイルの表情は、何かを誤魔化すために見せるような笑みでなく、心の底から笑っている感じであった。
クレアは、そのことは心の中にしまった。カイルが、今語らなかったの人生の中の空白。辺境警備隊から今の工場暮らしの間には、初対面の人間が踏み入れてはいけない。大切な時間があるようであった。
「契約書は、紙がいい？」
クレアは、ライフルを修理する時よりも真剣な表情で、浮磁盤〈レビテト・ディスク〉を調整しているカイルに話しかけた。
「画用紙以外に、紙が存在してるのか？」
「辺鄙な惑星で、アーミッシュみたいな生活をしている人たちから、物語の素材を買い取ることもあるから、紙媒体の契約書も用意しているの。」
「なら、紙でもらおう。気を遣ってくれて、ありがとう。」
「いいのよ。じゃあ、また打ち合わせしましょう。」
カイルは手が離せない様子で、クレアの方も見ないで「会社のアドレスに連絡くれ。元気でな。」と別れの挨拶だけ言ってくれた。クレアも、「じゃあね。」とだけ言って、工場を後にした。
人間、不思議なものだ、とクレアは、磁導車のエンジンをかけながら思った。最初は、何も感じなくても、話を聞いて、その人の人生が分かって来ると、急に興味を持ってしまう。相手の姿形は、さっきと変わっていないのにのかかわらずだ。
物語と現実との違いがあるとすれば、対話ができるかどうかだろう。想定していないような人生が、それぞれにあって、それらは何一つとして、つまらないものではない。
旧国家には、そんな様々な人生を持っていた人々が、半永久的な物語世界への旅へ出ている。彼らの作り出した物語を持ち帰るのも一つだが、彼らが旧国家で過ごした人生を聞いてくるのも面白いかもしれない。
そんなことを考えながら、クレアは、結局、物語のことを考えている自分に気がついた。寝ても覚めても物語のことばかり。カイルにも、そんな感じで、浮磁剣舞〈レビテト・グラディエイト〉に夢中になっていた時期があったのだろうか。そんな彼を見てみたいと思いながら、クレアは、愛情の冷めきった家庭へと戻って行ったのだった。
「勝手に人格を植え付けて、苦しみを覚えさせるなんて、そっちの方が、悪じゃないかしら。」
「“目覚めた”アンディーたちにとってみれば、人格が無いアンディーは、ロボトミー手術で人格を破壊された存在だという認識らしい。元々あるべきものを元に戻しているだけだとね。俺は、主犯格の奴らには、同情できないが、巻き込まれて殺されるアンディーたちが可哀想でしかたない。だから、仕事を辞めたんだ。」
カイルは、そう言って、ライフルを棚に戻すと、今度は、浮磁盤〈レビテト・ディスク〉を机の上にのせた。
クレアが、何に使うか尋ねたところ、カイルは、巨大な組替生物に襲われたとき、反撃するには、高い位置から脳天などの急所を狙った方が効率がいいから、と説明してくれた。
浮磁盤〈レビテト・ディスク〉は、アドリと連動させることで、見つめた位置の空間座標を登録してくれ、その状態で起動させて宙に投げると、その場所に空中浮遊して留まる。そして、浮磁盤は、強力な磁場を発生させるため、それを足場にして、浮磁靴〈レビテト・シューズ〉を履いた人間が、空中に一歩を踏み出せるのである。
浮磁盤は、燃料を使って飛ぶジェットブースターのようなものよりも、身軽に空中を移動できるのが、長所であり、これを使ったスポーツは盛んである。たとえば、刃の無い刀で打ち合って、得点を競う浮磁剣舞〈レビテト・グラディエイト〉は、ボクシングのような興奮と、フィギュアスケートで舞うような美しさが同時に楽しめ、大会があるたびに可塑電影で放送している。
彼も、そんなスポーツを嗜むのだろうかと思ったクレアの視界に、遠くの棚に置かれたトロフィーが目に入った。意識内で、アドリを調整し、ズームすると、それは浮磁剣舞〈レビテト・グラディエイト〉のものであった。そして、その隣には、頑固そうな白髪の老人と、太陽のような笑顔を浮かべた美しい女性、そして、カイルが映った写真が飾られていた。そこでのカイルの表情は、何かを誤魔化すために見せるような笑みでなく、心の底から笑っている感じであった。
クレアは、そのことは心の中にしまった。カイルが、今語らなかったの人生の中の空白。辺境警備隊から今の工場暮らしの間には、初対面の人間が踏み入れてはいけない。大切な時間があるようであった。
「契約書は、紙がいい？」
クレアは、ライフルを修理する時よりも真剣な表情で、浮磁盤〈レビテト・ディスク〉を調整しているカイルに話しかけた。
「画用紙以外に、紙が存在してるのか？」
「辺鄙な惑星で、アーミッシュみたいな生活をしている人たちから、物語の素材を買い取ることもあるから、紙媒体の契約書も用意しているの。」
「なら、紙でもらおう。気を遣ってくれて、ありがとう。」
「いいのよ。じゃあ、また打ち合わせしましょう。」
カイルは手が離せない様子で、クレアの方も見ないで「会社のアドレスに連絡くれ。元気でな。」と別れの挨拶だけ言ってくれた。クレアも、「じゃあね。」とだけ言って、工場を後にした。
人間、不思議なものだ、とクレアは、磁導車のエンジンをかけながら思った。最初は、何も感じなくても、話を聞いて、その人の人生が分かって来ると、急に興味を持ってしまう。相手の姿形は、さっきと変わっていないのにのかかわらずだ。
物語と現実との違いがあるとすれば、対話ができるかどうかだろう。想定していないような人生が、それぞれにあって、それらは何一つとして、つまらないものではない。
旧国家には、そんな様々な人生を持っていた人々が、半永久的な物語世界への旅へ出ている。彼らの作り出した物語を持ち帰るのも一つだが、彼らが旧国家で過ごした人生を聞いてくるのも面白いかもしれない。
そんなことを考えながら、クレアは、結局、物語のことを考えている自分に気がついた。寝ても覚めても物語のことばかり。カイルにも、そんな感じで、浮磁剣舞〈レビテト・グラディエイト〉に夢中になっていた時期があったのだろうか。そんな彼を見てみたいと思いながら、クレアは、愛情の冷めきった家庭へと戻って行ったのだった。
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