半蔵門かきもの倶楽部コミュの第九回　おたけさん作　『さすらい』

初めての大地を踏みしめる。ここ数年、私は、この興奮の虜となっている。
昔から、未知の地を旅したいという思いはあった。その思いは、最初、虫取りにハマっていた幼稚園児の私が、ファーブルの存在を知ったときに生じた。私は、愛媛の片田舎で育ったので、野原を駆け巡れば多様な昆虫と出逢う。そんな野原にいる昆虫たちを捕まえたり、観察をしたりして、その生態をまとめあげた人間が遠い昔、フランスの南部の片田舎に存在したことを知り、世界の時空的な広がりを感じたのだった。
次に世界の広がりを感じたのは、RPGゲームでだった。そこには、幻想的な世界観が描かれていた。旧市街地に打ち捨てられてた魔王の城、妖精が棲まうジャングルの中に聳え立つ要塞、古代人が造り上げたとされる奇妙な空中庭園、古代兵器の機械が徘徊するピラミッド、本の怪物が棲まう古代図書館、巨大企業が支配する近未来的な都市、街や山、森が不自然に連続する時空の狭間。
そして、旅番組を通して、これらのモデルとなった遺跡や街が、現実世界に存在することを知り、世界を旅してみたいという思いは強まるばかりだった。
しかし、大学生になって、将来のことを考えないといけなくなってから、どうしたら世界を旅する仕事に就けるのかを考えるばかりで、実際に旅することが無いままであった。しかも、海外留学することができなかったため、そのような仕事には就けないと諦めてしまった。そのうちに、科学者になれば学会で世界中に行けると思い、研究に打ち込んだが、研究生活というものは思っていたよりも面白いものではなく、マウスに噛まれたことをきっかけに神経生理学の研究は向いていないと思い、その道も諦めてしまった。
そうして、妥協に妥協を重ねて、旅をしながらする予定だった小説の創作活動を、仕事をしながらすればいいという逃げに出ることにしたのだった。
そんな妥協から生じた社会人生活を送っていたある日、大学に残って文化人類学の研究をしていた友人が、インドに行って、公衆衛生と女神信仰の関連性を調べると言い始めた。何やらよく分からないテーマだったが、私は、海外に行くにはちょうどいい機会だと思い、その話に飛びついた。しかも、その時期がちょうど夏休み時期と重なっていたので、私は、彼と10日間近くインドを旅することになったのであった。

その旅がきっかけで、私は、今年もその友人と旅をすることにした。行き先は、中国。
本当は、欧州に行きたかったのだが、そこまで時間が取れなかったために、近場で、２人ともが行きたいと思った中国にしたのだった。
「まさか、この時期に中国に行くことになるとはね。」
北京行きの飛行機内で、友人が中国の英字紙を読みながら私に語りかける。私も思わず苦笑いした。ちょうど、この日の午前２時頃に、平和安全法制２法が成立したばかりだったのだ。まあ、昨今の流れからして分かっていたことではあったのだが、旅に出られる日程は、この時期しか無かった。
北京首都国際空港に着いて、まず最初に思ったのが、敷地の広さだった。北京市内に隣接しているにも関わらず、この空港は、出発地である関西国際空港に劣らないほどに広い。これだけの土地を首都近くに確保できる中国の国土の広さを思い知らされた。
そして、入国手続きを終え、まずはホテルを目指すことにして、空港から市内行きの電車に乗ると、友人の目に何かが留まったようで、少し小声で話しかけてくる。
「これは、スゴいね。日本ではあり得んことやろうな。」
見ると、車内に備え付けられた全てのテレビが、先日、中国国内で行われた軍事パレードの様子を延々と放送しており、国家主席の満面の笑みが、液晶画面に綺麗に映し出されていた。これを見て、私は、やはりこういう国なのだな、と思った反面、ホテルまでの地下鉄の車内でぶつかって来た中国人は、中国語で謝ってくれたし、エレベーター内でも“開”のボタンを押しているとお礼をちゃんと言ってくれ、意外にマナーが良いことに驚いてしまった。
そして、ホテルに荷物を置いた後、残りの時間で、不忍池のような観光地を廻り、そこで遭遇した３割くらいの中国人が、頭の上に花や木の芽のような飾りをつけていたことに驚いた。
翌日の午前中は、ディズニーランド並みに込み合っている紫禁城へ行き、５キロ四方くらいある広大な城の中を重い荷物を背負って廻り、くたくたになったところで、荷物を置くためにホテルは１カ所にすべきだということを２人で反省した。
「ほら、この曲。中島みゆきのルージュ。」
紫禁城を汗だくになりながら廻り終え、観光ガイドで紹介されていた広東料理の店に入ったとき、年に似合わず歌謡曲好きの友人が、やや興奮気味に店のBGMに反応した。中国の二胡か何かの楽器で演奏されているその曲が、中島みゆきの曲だというのだが、『時代』や『銀の龍の背に乗って』などくらいしか知らない私には、中島みゆきの曲かどうか判断がつかず、「ああ、そうね」と曖昧に返事をした。
「これって、ベトナムとかで、『恋人よ』が流行っているのと同じようなものかな。」
昔、テレビ番組でベトナム人が『恋人よ』を歌っているのを見たので、私が友人に聞いてみると、
「ああ、五輪真弓の『恋人よ』ね。そんな感じだろうね。」
と答え、その後、アジア圏で人気の歌謡曲とその傾向について色々と語ってくれた。
そんなことを話していると、店員さんが、水を出してくれたので、私は何も考えずに飲むと、けっこう熱いお湯であった。友人も飲んだらしく、「衛生上の問題なんかね。」と呟く。日本では、熱いお茶はあってもお湯を出されることは無いし、何よりこんな暑い日に、熱いお湯を出されることも無い。だが、それがこの国の文化だと思うと、世界が一様では無いのだということに気付かされ、少し豊かな気持ちになる。
この日の午後は、私の希望で美術館を廻る予定だったのだが、改装中で入ることができず、仕方が無いので、友人の希望で民族文化宮という少数民族の文化についての展示がなされているマニアックな場所を巡覧することになった。
しかし、そこでも想定外なことに、民族衣装などの一般の展示ではなく、特別展としてウイグル自治区の歩みについての展示がなされており、如何に戦後は貧しかった場所が、中国の中心地からの援助による開発で発展したかということが統計などが示されて、延々と語られていた。その合間合間に、年金手帳をもらって大喜びをする老人の写真や、真面目な生活態度が表彰された一般市民などの写真などが展示されており、政治的な意図を感じずにはいられなかった。
だが、興味深い内容ではあったので、見終わった後、民族文化宮を出て友人と展示について色々と喋りながら歩いていると、いきなり私は警官に中国語で呼び止められた。何を喋っているのか分からないので、私が困った顔をしていると、私服警官も集まって来て、私はすっかり取り囲まれてしまった。
“You can't speak Chinese?”
一人の警官がそう言ったので、私はそうだと答えると、警官たちは「えっ、中国人じゃないの？」というような困惑した表情を浮かべた。そして、パスポートの提示を求められたので、しぶしぶ見せると、警官たちは「なんだ、日本人か」という反応を見せて、すぐに解放してくれた。
警官たちがいなくなってから、友人と一緒に、なぜ、私だけ職質のようなことを受けたのかを考えたが、最終的には、私が、イスラム系の人が好きそうな真っ青な服を着ていたこと、髭を生やしていたこと、写真を撮りながら真剣にウイグルの展示を見ていたことから、警官たちがウイグル自治区の少数民族だと勘違いしたのだという結論に至った。
「じゃあ、テロを起こす人物かもしれないと思われたということか。」
「でしょうね。見た目が怪しいし。」
心外だったが、否定はできないので、私は「爆弾を持ってなくて良かったよ」と冗談を言い、そのまま歩いて目的地である大型書店を目指した。（ちなみに、この旅で、私は中国人（少数民族？）に間違えられ続け、地下鉄や街中で中国語で道を聞かれることが多発した。）
目的の書店は、日本の紀伊国屋やジュンク堂のような感じで、フロアごとに異なるジャンルの本を置いていた。１階は、人文科学系の本と雑誌などが置いてあったのだが、なぜか軍事関連の書籍が非常に多く、逆に、西洋哲学に関する本が異様に少なかった。また、ファッション誌については、日本の雑誌の中国版が多数置いてあったが、街中にいる男性の髪型の約９割は短髪で、女性も一昔前の、奇抜な格好をしている人が多いのは、如何なものかと思ってしまった。
驚いたのは、２階に置かれていた囲碁の本の豊富さだった。ゆうに千冊は越えており、そのフロアの５分の１程度は埋め尽くしている状態だった。
マンガについても面白く、肝心のマンガは、数えるほどの種類しか置いていないのに、マンガの描き方なる本が無数に置いてあるのだ。
そんな中、小説のコーナーに行ってみると、日本人作家の小説が、目立つところに多数置かれていたので驚いた。村上春樹や東野圭吾は、ほぼ全種類あるようだったし、湊かなえや北村薫などの現代の作家から、松本清張や太宰治、吉川英治など昔の作家まで、幅広い作品を中国語で扱っており、中でも、新発売として、高野和明の『ジェノサイド』が平積みされているのは、印象的だった。
次に、DVDを売っている店に入ると、ゴッドファーザーが『教父』だったり、「クルードさんちのはじめての冒険」という原始人のアニメ映画が『病狂的原始人』と訳されており、ズレを感じたが、街中が、映画『ピクセル（画素大戦）』や『ミニオンズ（小黄人大眼萌）』の広告で溢れていたのを考えると、中国人は映画が好きなのだと思った。雑誌にも映画を取り上げているものが多いように思えた。
その日の晩、飲み物などを買いに入った商店では、30代くらいの体格のいい男の店主が、日本語のドラマに釘付けになっていた。見たところ、日本では見たことの無い、日中戦争のドラマのようであったので、おそらく中国で作られたドラマなのだろうが、俳優の日本語のうまさから考えて、日本人の俳優が中国のドラマに出ているようであった。
その後に、バーに行こうという話になり、大使館が立ち並ぶ三里屯というエリアに行ったのだが、ショッピングモールのすぐ前が歓楽街になっており、ロシア系だと思われる美女がポールダンスをやっている店が数件あった。だが、店がガラス張りになっていて外から見えるために、わざわざ中に入ってみる必要がどれくらいあるのかが疑問だった。
適当に選んで入ったバーで、夜中の11時くらいまで、２人とも好きなミラン・クンデラなどの文学の話から、今回の旅で見た一番の美人についての話まで、適当な話をしていると、中国人の店員が英語で話しかけてきて、「中国人の女性はダメ。日本人の女の子は可愛い」ということを言ってきたが、店を出た後に、友人がそれについて「自分たちの悪口を言うのは良く無い」と憤慨し始めたので、私は宥めながら、観光ガイドに載っていた民族音楽を演奏しているバーに行ってみることにした。しかし、そこは潰れており、中で不良グループみたいな人たちがビリヤードを楽しんでいたので、私たちは、視線を合わせること無く、さっさと逃げて、ホテルに帰ることにした。
中国の地下鉄は、11時30分くらいまでしかしていないようで、終電ギリギリに乗ると、乗っている人は、一車両に２、３人くらいだった。日本の東西線や総武線であれば、こんな時間だと満員なのだが、中国は比較的遅く働くことは無いようで、友人と資源の有無は大きな違いなのかもしれないと話し合いながら、ホテルに戻った。
３日目、万里の長城を訪れたのだが、そこは中国人観光客でいっぱいになっていた。月曜日だったので、向こうも休みではないはずなのだが、３世代の家族連れが多く、長城の幅３メートルほどの通路は、人で溢れかえっており、前に進むことすらできなかった。
私がイメージする万里の長城とは、人の気配が無く、ただ延々と続いている防壁を、風情のある静かな環境で眺めるものであり、予定としては奥田民生の『さすらい』を聞きながら、昔を偲びつつ、城壁の上をゆったりと歩くつもりだったのだが、結局は、中国人を観に行ったようなものだった。
「絶対に中国人は、13億人じゃない。もっといるに決まってる。」
私が、そう毒づくと、友人は笑いながら、風景の写真を撮っていた。
結局、万里の長城で一番印象的だったのは、中国人のおばさん三姉妹だった。彼女たちは、まず、行きの駅舎の中で、誰がお金を支払うかの問題で、大声で騒ぎながら互いにお金を押し付け合っていた。そして、長女と思われるおばさんが、ゴミ箱に向かって唾を吐きかけているのを見た友人は、「あれは、スゴい」とよく分からない感動を受けていた。
あと、長距離を走る電車に乗る際は、改札から電車まで、運動会の短距離走状態になるので、脚に自身が無いと電車で座れないというのが、能力主義的で面白いと、走り終えた後に、友人と話し合った。
晩に入った点心の店は、18世紀から続いているそうで、「都一拠」という店名は、お忍びで来た清の乾隆帝が名付けたという由緒ある店であった。
込み合っていたので、50代くらいの日本人夫婦と同席することになり、いろいろ話を聞いていると、私たちと同い年くらいの息子がいて、どうもその息子が、就職が決まったものの、大学の語学の授業の単位を落として、就職が無しになってしまったようなのである。
「こんなことってあるんですかね。」
旦那さんの方の問いかけに、私は、「ひどい話ですよね。でも、僕らの大学でも、噂によると、そういう目に遭った人はいるみたいです。」と玉虫色の返事をしてしまった。どうも話を聞く限り、今は、その息子はパラサイトシングルになっているようだったので、本当は、私も困った家族をどうしていいか日々悩んでいる立場にあるので、深く話したい気持ちもあったのだが、旅先でそこまで話し込むのを相手も求めていないだろうから、話題を今後の旅程の話に替えてしまった。
その後、旦那さんの方が、ビールを奢ってくれるとのことだったので、せっかくのご厚意を断るのも良く無いと思い、頂くことにした。私は、ふと、自分たちを息子に重ねているのかもしれないなと思い、少し悲しい気持ちになった。
最終日は、友人の希望で盧溝橋に行くこととなった。盧溝橋と聞くと、戦争のことしか思い浮かばないのだが、実は、この橋、モンゴル帝国の時代に作られた歴史的な建造物であり、橋の欄干の上に、ポーズが異なった獅子の像が五百一体が並んでいるのは、見ていて面白く、洪水で橋が何度か壊されたために、像の作られた年代もまちまちで、それが歴史を点ではなく、層で感じさせてくれて、正直、中国人だらけの万里の長城よりも私は良かったと思っている。
そして、そこから五百メートルほど離れた場所にあるのが、友人が行きたがっていた抗日戦争記念館であった。ここも、紫禁城と同じくディズニーランド状態で、入場口には長蛇の列ができていた。幸い、待ち時間が長いのは団体用の入り口だったので、並ぶ時間は少なかったのだが、中国人たちは社会保障カードなるものを係員に見せており、そんなものを持っていない我々は焦ったのだが、パスポートを見せたところ、すんなり入ることができた。
中に入るなり待ち受けていたのは、高さ５メートル以上ある金色の人間の像であり、子どもから老人までの十数体もの像が並んでおり、圧巻されてしまった。
そして、展示は、時計回りで見て行くようになっていたのだが、中国人たちは出だしのところに置いてある標語のオブジェの前で記念撮影をしていた。何が書いてあるのだろうと英語版の方を読んでいると、人の良さそうなおばさんが中国語で何か言いながら、私にスマホを差し出してきた。中国語だったので理解できなかったものの、写真を撮ってくれということなのだろうと推測し、曖昧な中国語を喋り、写真を撮ることを引き受けた。写真を撮るとき、日本人だとバレると、おばさんに気まずい思いをさせてしまうと思うと、妙に手が振るえ、ピントが合わない。それでも何とか、２、３枚撮ってあげると、向こうが「謝謝」と言いながら近づいて来たので、私は、合っているかどうか分からない発音で、「いいえ、どういたしまして」と中国語で言うと、逃げるようにその場を離れた。この場面は、今回の旅で一番緊張した場面であり、インドでライフル銃を持った警官に追いかけられたのに匹敵していた。
この展示で印象的だったのは、感情的ではなく、当時の文書や新聞などの展示された資料に基づいて、できるだけ客観的に日本の侵略について語られていることであった。そして、それを眺めている中国人も特に感情も露わにする訳でもなく、美術館で絵画を鑑賞するような感じで静かに見ていた。
ときどき、中国人が、知り合い同士で一つの展示、特に活躍した英雄の紹介についてのところに集まって何か語り合っていたが、どうも中国では、この時代を扱ったドラマが多いようで、それに出ている人物の紹介を見つけて、この人とこの人の関係はこうで、ああで、というのを語り合っているようであった。その光景を見る限り、その人たちの感覚としては、日本でいう戦国時代や幕末の大河ドラマを見て、興味をもったという感じなのだろうと、友人に言ってみると、なかなか納得していた様子であった。
その後、お土産を買い漁り、空港近くのホテルにチェックインし、私は、疲れてダルいと主張する友人を部屋に置いて、買い出しに行った。
近くに、ガソリンスタンドに併設されたコンビニがあったので、その中に入ると、20代前半の夫婦と思われる男女がレジにおり、とても善良そうな笑顔をこちらに向けてくれた。しかし、その店には特に買いたい商品がなく、仕方なく、ビールだけ買おうとすると、レジで奥さんの方が慌て始めた。どうやら釣り銭が無いらしい。２人で何度もレジのお金を数えているが、無いものは無いのだ。
ここは、こちらがどうにかするしかないと考え、日本のコンビニと同じように保温機で温められている肉まんがあったので、それを買うことにした。そうすれば、見たところ、釣り銭は合うはずである。
だが、値段をレジに入力すると、一番安い肉まんを買ったのに、一番高い肉まんの値段になっている。私が文句を言うと、向こうは、これは一番高い肉まんだ、というような主張をしてきたので、10円くらいの差で争うのは馬鹿馬鹿しいと思い、折れてやることにした。
部屋に戻ると、友人が今度は買い物に行くと言い、部屋を出て行った。一人残された私が、肉まんを食べようとすると、冷たいことに気がついた。彼らは、保温機の電源を入れていなかったのだ。しかし、彼らと口論する語学力は無いし、何より彼らは見るからに善良そうだったので、こちらが悪いことをしている気分になるだろうと思い、仕方なく、袋に詰めた肉まんを湯煎で温めることにした。友人が戻ってくるまで、ずっと温め続けたのだが、彼が戻ってから食べてみると、中身は暖かく無く、変な味がしたので、そのまま捨ててしまった。
彼らは、なぜ、こうも無責任なのだろうか。私は、それを友人に聞くと、彼は、
「失うものが無いからじゃないかな。きっと、肉まん用のヒーターをずっとつけている金より、訴えられる可能性に賠償金額をかけた期待値の金額が低いんだ。」
と、道具的理性のような説明をする。そして、友人は、買って来たペットボトルのカフェオレに口を付けると、嫌な顔をした。私も、そのカフェオレを飲んでみたが、ミルクの味が変だったので、一口以上は飲むことができなかった。
「きっと営業時間以外で冷やす金がもったいなかったんだろうな。」
と私が言うと、友人は「そんなとこだろうな」と苦笑いして、アイスを食べ始めた。どうやら、アイスは普通に食べれたようで、これについては、品物が完全にダメになって売れなくなるので、ちゃんと常に冷やしているのだろうという結論に至った。ビールについても、冷やしたり、常温にしたりを繰り替えすことで、芳醇さが増すのか、普通に美味しく飲めた。
そうして、別途の上で寝転がりながらテレビを見ると、ハンガリー人の警官がシリアからの難民を押し返そうとしている映像が流れた。
「ドイツは難民をたくさん受け入れているみたいやね。でも、３割近くが偽装難民らしい。強制送還するのかな。」
アイスを食べながら、友人が私に尋ねる。
「強制送還もコストがかかるからな。どうするんやろうね。でも、一ついえるのは、受け入れをした人は善いことをしたと思っているということだろうな。」
そう答えてから、私は、エジプトの富豪が島を買って、そこを難民に提供しようとしているという話を思い出した。もし、その島に難民が集まったとして、彼らの食料や仕事はどうするのだろうか。富豪が全て用意するだろうか？　いや、しないだろう。きっと、富豪は善いことをしたと思える範囲で手を引いて、あとは何もしない。そういうものである。
世の中、善いことをしたがる人がいる。だが、それがダメな方向に働くことが多いというのが悲劇的なところだろう。たとえば、二次大戦前の宥和政策…などと、友人と話しながら、難民が延々と映るテレビ画面を見つめていた。
そして、私は、テレビに再びハンガリー人の警官たちが映ったのを見て、彼らは悪人に見えるかもしれないが、きっと責任ある存在なのだろうと思った。それは、ちょうど、先ほどの夫婦の逆なのだ。

旅から戻り、私は、別の友人の誘いで、フットサルに出た。そこで、ある人から、イベントのチラシを受け取った。それは、絵画展なのだが、内容がどう考えてもネズミ講のようなものであった。
私は思う。人間は、いつから人間を見るときに、その人を見なくなるのだろうか、と。子どもの頃、友だちは、ただ友だちとして存在した。しかし、だんだんと、他人というのは一緒にいるための存在になり、楽しむための存在になり、終いには、自分の目的を達成するための存在になってしまうことがある。そして、その流れは、ちょうど年を経るのと同じで、不可逆的だ。
私は、そこまで考えて、大学の教授が、「人間、年を経るにつれて、孤独になって行く」と語っていたのを思い出した。それは、友人たちと離れしまって連絡を取らなくなるからというだけで無く、自分の、世の中への見方が変わったりすることで生じる孤独も含む言葉だったのだろう。
そんなことを考えながら帰宅して、郵便受けを開けたとき、一つの茶封筒が入っていることに気付いた。私は、その心当たりの無い封筒を手に取り、送付人を見たとき、捨てたい気分になった。そこには特徴のある尊大な文字で、親父の名前が書かれていたのだ。そして、封筒の宛書きのところには、小学校のタイムカプセルの件であることが朱字で記されていた。
私は、ため息をつく。彼は、こうすることで、おそらく、この中に忍ばせているだろう手紙を読んでもらえると信じており、そうすることで、彼は孤独から救われるのだ。そして、仮に、私が封を開けなかったとしても、彼は、私がきっと開けると強く信じることで、孤独から救われた気持ちになるのである。
分かっていたことだが、彼も人間を目的の手段と考えている類いの人間なのだろう。まあ、私も含めて、人間そういうものなのかもしれないが、やはり、程度問題はあるのではないかと思ってしまう。
部屋に戻って、私は、その茶封筒を開封すること無く、クローゼットの奥底にしまった。そして、いつも通り、親父とは連絡も取らなかった。私は、彼が救われるのを望まない。そうでないと、何でも許してもらえると思っている彼は、自分の所業を反省しない。だから私は、長く続く孤独こそが彼に反省を与え、大人になる機会を与えると思っているので、そうなるようにしている。
きっと、こんなことをする私のことを酷い奴だと思う人もいるのだろう。しかし、善人であるが故に無責任になるよりは、私は責任ある悪人でありたいと思う。そういう生き方は、現代では、くだらない生き方なのかもしれないが、私はそういう生き方に妙に惹かれている。それを変える気も無い。しかし、こういう生き方が疲れるのは間違いなく、私は、この日も悪人であることに疲れながら眠りに就くのだった。

コメント(8)

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[1] mixiユーザー 10月04日 09:51

先日、中国に旅行に行ったので、そのことについて、私小説ということで書きました。旅日記という方が適切なのかもしれませんが、一応、私小説ということでお願いします。

[2] mixiユーザー 10月04日 23:08

"初めての大地を踏みしめる。"
いい書き出しですね。

"ここ数年、私は、この興奮の虜となっている。"
私は、と大きく出ましたね。

"虫取りにハマっていた幼稚園児"
で手前の現実に戻すギャップが現れましたが、展開として少し早いのではと思いました。

"RPGゲームでだった。"
ということも、人それぞれのRPGゲームがわりと強くあるので、個人的には避けたいと考えるところです。

マウスに噛まれた→海外留学できない
しびれて惹かれる展開です。

"逃げに出る"
は言わなくてもよいかも。
小説の中で実際に逃げに出ているので。

彼が話の中で登場するタイミングは良いかと。

１０日近くは、印象的なできごとなのであれば、１０日で良いのでは。

"その友人"
は、Ａとかでもシックリくるような。

"不忍池のような観光地"
頭に浮かびやすったです。

日本の歌謡曲の当地で認知度のアジアあるあるはひねりがあって余計にリアルさを感じました。

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長さとともに、きれいに並んだ時系列を感じ始め、小説だと思って日記を読まされてしまった感が否めません。

旅から戻ったあとのまとめの速さは理想的ですね。

全体の印象としては、やはり時系列を少しいじられたほうがよい小説になる気がします。

中国という雰囲気が儒教で説教臭いイメージが強いので、そこをズラしてくれるとスッキリしたかなと思いました。

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以上はすべて個人的な思い込みなので、同意されるところだけをご参考にしてください。
それでもなにかの手がかりになると幸いです。

[3] mixiユーザー 10月05日 11:47

旅行に行きたくなりました。
最後、親父と私にはどのような確執があるのでしょうか。

[5] mixiユーザー 10月05日 18:32

>>[2]
貴重なご意見、ありがとうございます！
たしかに、昔に戻すタイミングは早いですね。もう少し現代の軸で書くように工夫します。
ＲＰＧゲームも、人それぞれ思い浮かべるものが異なるということですよね？　固有名詞を入れるわけにもいかないし、となると、何らかの工夫が必要ですね。（そういう世界観に浸っていたという下地があることは伝えたいのです）
逃げに出る、というのは説明しなくても伝わりますね。。誰がどうみても、そうとしか解釈できないところは説明不要ですよね。僕は、描写をなるべく避けた簡素な文章を書きたいと思ってるので、勉強になります。
１０日近くは、実際どうだったかを数えるのが面倒でそうしてしまいました。ずぼらですみません。
その友人という表現は、僕も変えたほうが良いかなと思ってたのですが、偽名を付けるよりは、Aとかのほうが良いですかね。あまり最近の小説では見ない表現な気もしますが。

時系列ですか。旅の中の時系列というより、昔ばなしのところでしょうか。それとも旅の途中で昔ばなしを交互にいれるとかですかね。冗長さを抑えるのに、インドの話も挟もうと思ったのですが、紙幅の関係で諦めてしまいました･･･

中国が儒教・説教臭いというイメージを飛ばすような、中国人との出会いなんかをいれればよかったのですが（印象を変えたいな、という思いで書いたのはあります）、そういうのが無かったんですよね。。脚色して書くべきでしたね(笑)

[6] mixiユーザー 10月05日 18:38

>>[3]
旅行、良いですよね。海外にいくたびに思います。
特にツアーでなく、自分で宿とかとると、現地の生活をより見られるのが面白いです。

親父と私の確執は、詳しく書こうとも思ったのですが、重くなるので迷いました。警察沙汰など挙げるときりがないですが、現時点では、家族の面倒をみてないとこですかね。そういう文学的な作品も書きたくなるときがあるのですが、新人賞にでも出すことにして、ここではやめときます(笑)

[7] mixiユーザー 10月05日 18:45

昨年、中国に行き文中エピソードと同じ体験をしたので、思わず笑ってしまいました。
中国あるあるがいっぱい！

私小説と旅行記がほどよく混じり合っていてとても読みやすく、旅に出たくなりました。

[8] mixiユーザー 10月05日 18:48

>>[4]
面白く読んでいただけて、良かったです！
日本のメディアではあまり紹介しない中国の一面を紹介する、というイメージで書きました。淡々としているのも、情報を詰め込みたかったという作者のエゴによるものです(笑)

麺類やスープ、粥の温度がぬるいと思ってたら、そんな意識が彼らのなかにあったのですね！その代わり、餃子は熱かったです！（個人的には麺類があついほうが良いのですが）

親父の話は、私小説にすると、単行本一冊は書けると思います！もしかすると、指輪物語くらい書けるかもですね(笑)　

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