ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

半蔵門かきもの倶楽部コミュの第六回 肉作 寮規

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 港区のとある地区にO県の所有する学生寮があった。築五十年は過ぎ、老朽化が進んで周囲の高級住宅地との調和は全くとれていない。ここに暮らすことが許されるのは、O県出身の大学生だけだ。いわゆる県人寮と呼ばれる宿舎であった。そんなところに今年の四月から住み始めた、山崎アキラは七月にしてすでに音を上げ始めていた。まだ住んで四ヶ月しか経っていないが、退寮届けを出そうと思ったことは一度や二度ではなかった。その度に思いとどまったのは親からの説得があったからだった。寮の運営はO県の経費で賄われているため、学生やその保護者が出すのは入寮費のみで、入寮時に納入するだけで良かった。その額はたったの一万五千円である。寮を出て、一人暮らしをすると賃料と水道光熱費だけで都内であればひと月で十万円はくだらないだろう。山崎の両親にとって、学費だけでも家計が火の車なのに、それに加えて息子の生活費を捻出するとなると、生命保険があっても足りない。とにかく、寮を出ることは許されない経済状況にあったのだ。
 山崎が寮を出たいと思うのはひとえに寮の規則の厳しさにあった。勉学のために上京したと言っても、遊びたい盛りの大学生である。アルバイトやサークル、コンパと誘惑は次から次へと押し寄せてくる。ところが、大学の先輩に誘われて飲みに行って、二次会があっても、山崎は急いで帰らねばならない理由があった。寮の門限である。どんなに楽しくても、門限が枷となった。門限のせいで、うまくいきかけていた合コンを不意にしたことは数知れない。門限が適用されない事案は学問の場合だけと寮の規則では定められていた。所属するゼミの夜間演習、研究室における深夜実験などがそれに当たる。深夜アルバイトも学費を稼ぐもの以外は認められていない。外泊に関しても、旅行に行く場合は行き先や随行者のことを、前もって指定の雛形を使い寮に提出しなければならなかった。突発的に生じるような、行きずりの外泊は認められていないのである。彼女のいない山崎にとっては突発的な外泊ができないことは憂慮すべき問題ではなかったが、同室の藤田ケイスケにとっては死活問題だった。
「彼女に会いてーよ」
 藤田にはつい最近彼女ができた。山崎と同じく、この春から東京に来たばかりだがやることは山崎よりも早かった。一人暮らしの彼女の家に入り浸りたいところなのだろうが、寮の規則がそれを阻んでいた。彼女とデートしていい雰囲気になり、ラブホテルにしけ込もうにも門限の壁が藤田の前に立ちはだかるのだ。そんなもの破ってしまえばいいものだが、寮の規則に違反すると、退寮処分という罰を食らってしまう。山崎も藤田も寮生のほとんどの親の経済状況を考えれば、退寮処分というのは最悪の事態であり、最も避けるべきことなのであった。もちろん一発退寮という無慈悲なものではない。一年間に累積十回の違反で退寮になる。ただ、無断外泊は一度で三回分の違反量になり、リスクが高いのだ。何気ない行動で違反切符を切られることのある寮生活においては、一度に三回分の違反はかなりの痛手である。だからこそ、藤田はなかなか踏み切れないでいたのだ。一度くらい禁を犯して、彼女の元に行きたい。ラブホテルに泊まり、貪るように乙女の体を堪能したい。その悶々とした、べたつくような欲望は当然同室の山崎に伝染していた。
「俺も彼女が欲しい」
 山崎がぼやいたその言葉は藤田には届いていなかった。彼はすでに眠りに落ち、おそらく彼女と夢の中で愛し合っていることだろう。山崎もいやらしい妄想を限界まで広げながら、いつのまにか眠寝ていた。しかし、山崎の夢には女はおろか人が一人も出てこなかった。誰もいない寮に一人で暮らす、そういう虚しい夢だった。

 山崎は大学の生協でアルバイトをしている。理由は時給が比較的高いこと、変な客がいないこと、門限に間に合うことである。それら三つの理由に加えて、最近アルバイトが楽しくなる理由が一つあった。それは同じレジに入る、近藤ゆりの存在だった。近藤は同じ学年だったが、学部が違った。そのため、アルバイトを同時期に始めてはいたものの、話すことなどほとんどなかったが、つい先日、近藤から話しかけてくれたのだ。近藤は山崎を自身が入ったテニスサークルに誘ってくれた。入学以来サークル活動には無頓着だった山崎も、可愛らしい近藤に声を掛けられ入会を決心した。さらに背中を押したのは、同じ部屋の藤田の存在だ。藤田ばかりがいい気になるのは許せない。そんな気持ちに山崎はなっていた。
「バイト終わったら、サークルのラウンジ行かない?」
 客のほとんどいない、レジカウンターの中で近藤が山崎に話しかけたきた。こうしてバイト仲間同士、自由に会話できるのもこのバイトの利点である。そのうち店内に蛍の光が流れ、山崎達は閉店準備に入った。テスト週間になった七月の客は少なかった。閉店時刻ちょうどに仕事を終えた二人は、サークルの仲間たちが集うたまり場へ向かった。山崎の入ったテニスサークルは構内でも五本の指に入る規模だった。すぐに先輩や同級生がみつかった。
「お疲れ。二人とも同じとこでバイトしてんの?」
「こいつら、付き合ってんすよ」
 口々に山崎と近藤を囃し立てる声が聞こえた。近藤は顔を真っ赤にしながら、強く否定もせずに、同学年の女子のところに寄っていた。
「ありゃ、やれるぞ」
 話しかけてきたのは二年生の先輩だった。山崎はそのアドバイスに浮き足立った。
「いけますかね。俺。頑張ります」
 帰り際、その先輩が山崎にコンドームを渡してくれた。山崎は勇気をもらった気がした。意を決して、近藤を食事に誘った。サークルの仲間たちは二人のそういう空気を機敏に察知して、いつの間にかいなくなっていた。
「いいよ。どこ行く?」
 食事をしながらの時間は瞬く間に過ぎていった。テーブルの向かいに座る近藤が遠いくらいだった。こんな時間をもっと近距離で毎日堪能している藤田が羨ましいと山崎は思った。店を出ると、山崎も近藤も何も言わず同じ方向に歩き出した。そちらには駅と近藤のマンションがある。近藤は大学の近くにマンションを借りていた。ここから歩いて帰れる場所にある。
「帰っちゃうの?」
「ごめん、俺寮だから門限あるんだ。なんかダサイけどさ」
 寮の話は事前にしていた。今なら藤田の気持ちが痛いほどわかった。
「そっか。じゃあまた明日。あとでLINEするね」
 近藤は、山崎が地下鉄の階段を降りて見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。

 いつもより遅めに寮に着いた。それでも門限の時間には十分に間に合った。玄関で出迎えてくれるのは、天井に付けられた古ぼけた防犯カメラだけだ。部屋では藤田が珍しく勉強机に向かっていた。テスト週間だからだろう。
「女とデートでもしてたのか?バイト帰りにしては遅いなと思って」
「ああ。サークルの女子といっしょに飯食ってたよ」
 先輩からもらったコンドームを見せて、近藤とのことを話した。夏が本格的に始まろうとしているのか、外の蝉が必要以上にうるさい。
「それは残念だったな。話聞いてると、いけそうじゃんその女。お前も彼女作っちゃえよ」
「俺は慎重派だから。もう少し外堀を埋めてからな」
「まあそれは個人の自由だからな。俺は明日でテスト最終日だから、その後はまたデートだ。明日こそ、やってやるよ」
 山崎もテストに備え、勉強机に向かった。藤田の方は一段落着いたのか、風呂に行ってくると言い部屋を出た。共同風呂が寮の地下にはあった。ただし湯が出るのは深夜〇時までだった。それ以降は冷たい水しか出ない。この時期ならいいが、真冬は地獄だと先輩たちが言っていた。三十分くらい経って、藤田が風呂から戻ってきた。藤田は開口一番、山崎に風呂場での出来事を告げた。
「やっちまったぜ、山崎。風呂で懲罰をカウントされたよ」
 藤田はどうやら寮規の違反をしてしまったようだ。
「お前、また流し湯せずに入ったのか?」
「したつもりだったんだけどな。相手が悪かった。懲罰委員会の先輩が湯船にいて、流す部位と面積が不適切だって言うんだ。で、その場の寮生も味方につけて、俺の分が悪くなった」
 風呂場でも規則がはっきりしていた。備え付けのシャワーは先輩優先、寮生が風呂に入ってきたときは挨拶をする、使った椅子と桶はセットにして直すなど、枚挙に暇がないほどの細かい規定がある。その一つに湯船に浸かる前の決まりがあり、今回藤田はそれを破ってしまったのだ。
「お前、これで五回目か?」
「いや、六回目だと思う」
 藤田には後四回分の猶予が残されていた。それがリセットされるには来年の四月を待たなければならない。このペースでいくと藤田の退寮はかなり危険視されるべきものだった。当然、一度に三回分カウントされる無断外泊などできようはずもない。
「お前まだ勉強するのか?終わったら電気消してくれよ。俺はムカつくからもう寝る」
 藤田がベッドに横になったのを見て、山崎は勉強に区切りを付けて風呂に行くことにした。時間も〇時を回ったところだった。部屋の電気を消して、真っ暗な寮の中を歩いて地下に向かう。寮生達が暮らしているはずなのに、そしてみんなテスト週間できっと夜遅くまで勉強しているはずなのに、その気配が山崎にはほとんど感じられなかった。風呂場にも寮生は皆無だった。広い湯船を独占できるものの、何となく寂しい。山崎は誰に憚ることなくシャワーを使い、冷たい水で体を流して、湯船に飛び込んだ。

 朝、山崎が目覚めたのはドアをノックする音がやけに凶暴だったせいだ。その音で同室の藤田も目を覚ました。
「はい、何ですか、こんな朝っぱらから」
ドアの方に向けて返事をすると、先輩が中に入ってきた。
「今週のゴミ当番お前らの部屋だろ?今日、燃えるゴミだぞ」
「すいません。すぐやります」
「もう他のやつがやってくれたよ。規則は規則だから懲罰取るからな」
 こうして山崎と藤田にはプラス一回の違反が加算された。山崎はまだ三回だったが、藤田は昨夜に引き続きということで、七回目ということになる。寮の各階にはゴミ当番制度なるものがあり、週代わりで隣の部屋に掃除当番が回される。今週は山崎と藤田の部屋の番であったが、すっかり忘れていた。寮生の中で最も違反を切られるのが、このゴミ当番忘れだった。朝からツイてないという落胆の色を浮かべて、山崎と藤田は食堂に向かった。藤田は一限目からテストだという。急いで食事を済ませると先に部屋に戻って行った。山崎は午後にテストが一本あるだけだったので、ゆっくりと朝のひとときを過ごした。食堂の窓から外を眺めると、中庭の木々の剪定を寮長が行っていた。樹の枝を切るため、普通の鋏よりも頑丈そうなこしらえの鋏だった。それでスパスパと枝を落としていく。人の首くらいならあれで簡単に切れることだろう。まばらにいたはずの寮生が、いつのまにか食堂から消えていた。朝九時になろうとしている。九時過ぎまで食事をするのは規則違反になる。山崎は急いで食器の載ったトレイをカウンター越しに返し、食堂を出た。
 部屋に戻ると藤田はすでに出掛けた後だった。山崎もテスト勉強をしようと椅子に座ると、携帯に通知が来ていることに気づいた。近藤からだった。
「いっしょに図書館で勉強しない?」
 山崎は迷わず、了承の返事をした。広げた勉強道具一式をかばんに詰め込み、寮を出た。寮の玄関から外に出る時、中庭が少し見えた。そこに寮長が屹立していた。自分で切った木の出来栄えを眺めているのだろう。今度は花壇の手入れをするのか、真っ赤な花の苗が足元にあった。山崎の目にはそれが、綺麗な花ではなく赤い鮮血のように見えなくもなかった。

 近藤とは大学の正門の前で待ち合わせた。山崎が着いたときもうそこには近藤が待っていた。家が近いから当然だろう。自由な一人暮らしをしている近藤のことがうらやましかった。
「どう勉強の方は?私、今日終わればもう夏休みだよ」
「俺も午後のテストが最後。レポートはもう出し終えたから、俺も夏休みだよ」
 隣に並んで歩くと近藤の甘い匂いを強く感じた。そそるというのはこういうことかと山崎は得心した。近藤を独占したい。何もかも投げ出して、二人きりになりたい。そういう衝動に駆られる。もちろん理性で抑えるわけではあったが、山崎は健全ではない妄想を近藤を目の前にして膨らみに膨らませていた。近藤に心を見抜く超能力があれば、ここでフラれることは必至であろう。図書館の中でも絶えず横に座る近藤が気になって仕方がなかった。
「大丈夫?さっきから全然はかどってないよね?」
「そ、そうだね。お腹が空いて、それどころじゃないというか」
「そっか。確かに言われてみれば。そろそろご飯いく?この時間なら学食もまだ混んでなさそうだし」
 山崎は近藤の提案に乗ることにした。今頃、藤田はテストを終えて、彼女と二人で昼ごはんを食べているだろうか。それとも、真っ昼間からお互いの体を貪るためにラブホテルに出掛けているだろうか。こっちは図書館でデートして、学食で健全な食事を摂るのだ。お互いの境遇に天と地ほどの差があると山崎は一人で嘆いたが、まんざらでもない心地ではあった。
 学食ではトレイを持って、好きな惣菜やおかずを取って、レジで会計した。近藤はパスタのレーンで、たらこスパゲティを注文していた。いかにも女子という感じの食事内容に山崎は愛しさを感じていた。山崎は自分が恋をしていることを自覚した。そしてこれを成就させるには、大胆さも必要ながら、もう少し仲良くなってからがいいと思った。テストが終わったら、今度はデートに誘おう。そしてその時、告白し、同室の藤田に並び立つ。そんなプランを頭に描きながら、座席を確保した山崎は手を振って、会計を済ませた近藤を席に呼び寄せた。
「お盆の前にね、サークルで新一年生を歓迎するパーティがあるんだってさ。この前、先輩が言ってた」
「へえ、楽しみだね」
「うん、すごく楽しみ。でもね、一年の男子はちょっと大変みたい」
「え、何が?手伝いとかが多いってこと?」
「そういうのじゃないんだけどね。仮装の一種というか一発芸というか」
 一発芸ならば寮の歓迎コンパでもやらされているので慣れていた。山崎はそこで、流行りの芸人のモノマネをしたのだ。男子寮ではウケたが、女子も多いサークルで同じようにウケるとは限らなかった。山崎はそれに関して真剣に悩みだした。
「そんな考えるようなことじゃないよ。もうやることは決まってるんだって。伝統だって聞いたよ」
「伝統?何するの?」
「去年やった人の画像を見せてもらったんだけどね、これこれ」
 近藤はフェイスブックを開き、該当の画像を見せてくれた。そこには山崎も知っている先輩がいたが、出で立ちがいつもと違う。
「女装してるの、これ」
 どうやらサークルに入った一年生の男子は、化粧を施され、女性物の衣服を纏わされ、女装するというのが伝統らしい。
「山崎くん、化粧したら私より、化けるかもね」
「え、そんなことはないんじゃない」
 近藤の顔をまじまじと見て山崎は答えた。自分がこんなに可愛くなれるはずがない。
「ゆり?次のテストで教えて欲しいところがあるんだけど」
 近藤の下の名前を呼ぶ声がしたので、山崎はそちらに顔を向けた。そこには女子が何人かいた。きっと近藤と同じ講義を取っているのだろう。
「山崎くん、ごめん。私、そろそろ教室でみんなと勉強しに行くね。また連絡する」
「おう。俺も連絡する。テスト頑張ろうね」
 突然やってきたデートのチャンスはこうして終わりを告げた。また会いたければ、誘えばいいのだ。そう気持ちを切り替えて、目の前のテストにだけ集中することにした。山崎も少し早かったが、トレイを片付けて、教室に向かった。
 
 テストが終わった後、近藤に会いたい気持ちが湧き出ていたが、あえて連絡はせずにそのまま寮に帰った。しつこい奴だとは思われたくなかった。とりあえず今日の戦績については藤田に共有したかった。あいつの自慢話を聞かされるのは癪だが、それも仕方ないだろう。ここは先人のアドバイスでももらっておいた方が得だと山崎は前向きに考えていた。ところが、寮に帰り、食堂で食事を済ませ、風呂も入り、部屋で本を読んでいても藤田は帰ってこなかった。刻一刻と門限の時間は迫っていた。藤田に残された、違反の猶予を考えると心配だった。ぎりぎりに帰ってくることはよくあった。山崎自身もそれを経験していた。最寄り駅に午後十時五十分に着く電車があるのだ。それに乗っていた場合、駅からダッシュすればなんとか間に合うのだ。ひょっとすると藤田は今、近所を猛然と走っているのかもしれない。山崎はそう信じて待っていたが、ついに、門限の午後十一時を過ぎても藤田は帰ってこなかった。携帯から連絡しても、返事はない。
 翌日、目が覚めて、藤田の方のベッドを見ても、そこには空の布団があるだけだった。藤田は規則を犯して外泊したのだ。寮に届け出が出された場合、寮長がプリントアウトして、玄関のホワイトボードに日付と名前が貼られることになっていた。しかし、そこに藤田の名前はない。山崎は食堂へ向かうのが億劫だった。というのも、ここで藤田がいないことが発覚するためだ。食事中、懲罰委員が周り、二人一組で食事を摂っていない場合、相方の所在を確認されるのだ。このシステムによって、無断外泊がばれるというわけだ。もちろん、山崎が嘘をつけばいいが、部屋にいない以上、すぐにバレる嘘をつけば山崎も連帯責任を負わされる。山崎は素直に、藤田が昨日から帰っていないことを懲罰委員の先輩に告げた。彼はそれを聞くと、ノートに何かメモし、重苦しい顔で食堂から出て行った。山崎は早く、食堂から出たくて、味がしない朝の食事を、無理やり胃に押し込んだ。夏休みが来たというのに、気分は陰鬱だった。

 三日経っても藤田は寮に帰って来なかった。今までこんなことはなかった。流石に心配になった山崎は寮長に相談することにした。寮長は玄関の掃除をしており、脚立に上がって防犯カメラの埃を払っているところだった。古臭い防犯カメラの配線は、天井を伝い寮長室に入り込んでいた。山崎が声を掛けると、寮長はゆっくりと下りて、山崎が思いもしないことを口にした。
「安心しなさい。藤田くんは帰省中だよ。先週、ご家族に不幸があってね。急遽、大学のテストが終わった後、帰省したんだ」
 山崎は寮長の言葉を聞いて納得することにしたが、携帯の連絡がつかないことが気になった。よほど死別が応え、連絡もままならない状況なのだろうか。そう考えれば確かに筋は通る。山崎は藤田のことは一旦、忘れることにした。無事であれば何の問題もない。問題こそは自分にあった。それは、今日これから近藤とデートするということだった。そして、山崎は告白を考えていた。待ち合わせまで時間がなかった。山崎は一番お洒落だと思える服を選んで着た。こういう時に藤田がいればアドバイスもくれるというのに、大事な時にいない。財布と携帯がカバンにあるのを確認して、山崎は部屋を出た。玄関で靴を履いていると、寮長が外の花壇に、プランタから花を移し替えているのが見えた。花の名前は知らなかったが、またしても赤い花だった。とても鮮やかで、外の日差しと相まって、目に焼きつくようだった。寮長に行ってきますと挨拶して、山崎は駅まで急いだ。

 サークルのイベント当日、山崎は近藤と六本木で待ち合わせた。西麻布のクラブを貸しきって行われるそうで最寄りの六本木駅前から近藤と歩いて向かった。
「なんか、ドキドキするよね」
 山崎は隣に彼女になった近藤がいるだけで有頂天だった。願わくば、今日も門限に悩まされることなく、深夜までみんなと騒ぎたいところだったが、恐らくメインの余興である女装が終われば、山崎はそそくさと帰ることになるだろう。だんだんと諦めに近いものを持ち始めていた。
 クラブの入り口でボーイにサークル名を告げると大きな扉が開き、中に入ることができた。
「ラブラブだね二人とも。でも、ここで一年生の男子は女装があるからあっちの部屋に行ってね。近藤さんはあっちのフロアで」
 女の先輩に連れられて入った部屋には見知った顔が何人かいた。冷房の良く効いた部屋だった。
 化粧を担当するのは二年生の女子の先輩達だった。化粧品が順番に顔に塗られていった。鏡の前にある山崎の顔は確かに女のそれになった。
「山崎くん、ロング派?ショート派?近藤さんがロングだからロングでいっとこうか」
 先輩がカツラを箱から取り出して山崎に手渡した。次は服装だった。普通に女子が着るのよりワンサイズ上のものが部屋のハンガーラックに用意されていた。化粧を施してくれた先輩が服もチョイスしてくれた。
「山崎、お前、いい感じだな。ホントに女みてえだ」
 周りの女装した同期の男子にそう言われた。こうして準備が整った山崎達は、メインフロアに連れて行かれた。最初に来た時から、すでに一時間半以上が経過していた。女装した男子による余興はファッションショー形式で行われ、名前を呼ばれてから順番にステージに上がっていった。司会をしている先輩は酔っているのかとても饒舌だ。明らかに山崎だけ抜きん出て綺麗だったからだろうか、司会の声が上ずっていた。ステージから下を見ると、最前列に近藤がいた。携帯で写真を撮るのに必死そうだ。全員がステージに並び終えると今度は投票が始まった。一番綺麗なのは誰かという投票だった。結果は何となくわかっていた。山崎が最も得票数を得て、優勝ということになった。司会の先輩が寄ってきて、山崎にマイクをパスした。
「今日はありがとうございました。自分にまさかこういう才能があるとは思っていませんでした。女装趣味に走ってしまいそうです」
 会場内が笑いで震えた。山崎にはそれが快感だった。
「ただ、ご存知の方も多いとは思いますが、私山崎は現在、男子寮に住んでおりまして、門限がございますので、このままステージを降りますと、そのままの勢いで帰ります。本日は誠にありがとうございました」
 寮とか門限とかという言葉でもまた笑いが起きた。ここにいる人間はきっと、そういう抑圧された生活をしていないのだろう。変わった新入生だと思って笑ったのかもしれない。それでも山崎は楽しかった。
「その格好のまま帰るのかよ」
 再びマイクを手にした司会の先輩が声を張り上げた。山崎はその声を背にし、本当にそのままの格好で出口に向かった。近藤が荷物を持って来てくれた。駅まで送ってくれるという。
「優勝できて良かったね。でも、ホントにこれで電車乗るの?」
 時刻は午後十時半だった。門限まで三十分しかない。格好や顔は女には見えるのだろうが仕草は男のままだった。行き交う人々が山崎と近藤を冷やかすように見ていた。しかし、恥ずかしさを捨てて帰らなければ懲罰を取られてしまう。近藤とその場で別れるのは名残惜しかったが、またデートをする約束をして山崎は電車に乗った。どうにか門限に間に合う時刻に最寄り駅まで着いた。ただ余裕はないので改札を抜けたら、山崎は走り出した。美女が走り抜ける様を皆が注目しているようだったが、山崎は無我夢中で走った。寮に着いた時、幸いにして玄関にも部屋まで続く廊下にも人はいなかった。この格好を見られるのは何かと恥ずかしい。山崎は勢いそのままに部屋へと流れ込んだ。
 部屋が広く感じられた。それもそのはずだ。今朝まであった藤田の荷物がごっそりと消えていた。備え付けの勉強机の上に冊子だけが残されている。山崎は女装の格好からジャージ姿に着替えた。カツラも取ってその辺に置く。藤田の机に残された冊子を手に取ってみた。かなり古いもので薄汚れている。表紙には寮の名前があり、一枚めくると「寮規」と記されていた。罰則規定が順に書いてあり、最初のページにある一番重い違反のところで山崎の目は止まった。
「女人禁制。即退寮」
 山崎はドアの外に気配を感じた。入り口の防犯カメラの映像は、女の格好をした人物が山崎の部屋に入り込むまでを映しているに違いない。山崎は防犯カメラの配線を思い出した。それを見ることができるのは他ならない、寮長だけだった。

コメント(17)

ホラー小説を目指しました。(怪奇と青春という感じでしょうか)
大学生が主人公で、大学と学生寮での生活が舞台です。
メインキャラは主人公の山崎と同じ部屋の藤田、それから山崎の彼女である近藤です。
>>[2]
感想ありがとうございます。
山崎と近藤が付き合うのは、中盤にデートを控え、「山崎は告白を考えていた」というのがありますので、ここで告白し、成功して付き合いだしたと考えられます。(告白シーン自体は直接描かれていません)そして、次のシーン展開では、何日か経過し、サークルの女装イベントに移行しています。



最初はユーモラスな作品だと思って読みますが、改めて読むと怖いですね。
ホラーを匂わせるには少しヒントが弱い気もしましたが。
「寮規」と「猟奇」は掛けているのでしょうか?
>>[4]
感想ありがとうございます。
寮規というタイトルは、ダブルミーニングで「寮のルール」と「猟奇的」を掛けています。言葉遊びですけど。
確かに「ゾッとする」結末で、そういう意味ではホラーなのかもしれない。
しかし、料理の仕方によっては充分官能の要素が増す作品だなぁと思いました。

私、こういうの好きですよわーい(嬉しい顔)

山崎君は最初「女装」することにかなり抵抗していて(嫌悪さえ感じていて)それが周囲の「策謀」によって女装そのものに快感を見出していくという線。
同室の藤田君が半ば理不尽とも思われる仕打ちを受ける中でだんだん「普通」でなくなっていくのを目の当たりにする線。

この二つの線の撚り合わせ……かな。
>>[6]
感想ありがとうございます。
官能の線は自分でも苦手な部分ではあるので、今後勉強していこうと思います。
>>[8]だよ?さん
感想ありがとうございます。
中途半端な感じを無くすを次回の課題としようと思います。
主人公と先輩の会話やコンドームを渡すシーンなど、リアリティがあり、その人物がなぜその行動をとるか等について、全体的に違和感が全く無く、読んでいてすっと入ってきました。男たちの考えが単純で、でも実際こんな感じなんだよな、と男子寮に入ったことないですが、僕は納得させられました。
文章がテンポよく、読みやすかったですし、恋愛としての話がありつつ、オチがちゃんと付いていて読みごたえもあり、面白かったです。
>>[10]さん
感想ありがとうございます。
殺人はありませんが、男子寮は大体こんな感じです。(綺麗なマンションみたいな寮はわかりませんが)
今日はお疲れ様でした。
遅ればせながらですが、感想を書きます。
面白かったし、大学生活を思い出しました。
ただ、淡々と一本調子に物語が進んでいく感じがしたのと、登場人物のキャラを立たせたりすると、もっと抑揚があって読者としてはリズム感をつけて読めるかなと思いました。

読み手の立場的に、「笑う話」「怖い話」「ほのぼのする話」などのテーマがちゃんとわかりやすくなっていて、「この話はこういう雰囲気のお話なんだよ」という誘導があれば安心して読めると思います。
猟奇と寮規をかけたり、コンドームと近藤さんをかけたりするのもユーモラスで面白かったのですが、そのユーモアは、全体の雰囲気とどうマッチしているのか?というのが読者としてわかりやすいほうが、いいのかなと個人的には思います。
と、そういう感じの意見を葵さんの小説にも書かせていただきましたが、あくまでも個人の意見なので、そういうユーモアが散りばめれてるのが好きという方もおられるとは思います。
>>[12]
感想ありがとうございます。
今回、微妙な点を次回少しでも改善します。
ユーモアも美点の一つとして磨きを掛けられたらいいなと思います。
>>[14]
感想ありがとうございます。
次回はバランス良く書いてみようと思います。
>>[16]だよ?さん
近藤とコンドームは掛かってないです。
六本木を馬鹿が走り抜けるのは、確かに面白いですね。ユーモアって取り入れるのが難しいですよね、自分では、読み返して笑えた時に採用、として取り入れるようにしています。

ログインすると、残り4件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

半蔵門かきもの倶楽部 更新情報

半蔵門かきもの倶楽部のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。