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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第4回?テーマ ゆうた作 「遺言」

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『遺言』 作者:ゆうた

【本編】
 男は死の淵を彷徨っていた。
 男にはもうすぐ自分の命が尽きるのは分かっていた。
 しかし、今すぐに死ぬわけにはいかない。
 あの男にこれだけは伝えなければ死ねない。
 それを伝えることに意味があるとは思えないが、それでも死の間際の、最後の言葉だ。
 男は受け止めてくれるはずだ。
 そしてその言葉を守ってくれるはずだ。何がなんでも……。
 そう思わなければ、安心して死ねない。
 死に際の言葉――そう『遺言』は、それほどの重みがあって然るべきだ。
「ただいま、内府様がご到着なされました」
 取次の家臣の言葉が、伏見城のこの一室に響き渡った。待ち望んでいた男がやってきた。最後の言葉を伝えるべき男が……。
 そう、その男――内府(ないふ)、つまり内大臣こと、徳川家康が……。
 取次の家臣の言葉で、今まで目を閉じていたその男は、目を開けた。
 瞼は開いたものの、夕刻の淡い光は差し込んでくるものの、ほとんど何もぼやけて見えない。そこには数人の人々がいるのは、気配で分かるが、起き上ることさえままならない。
 一瞬ここがどこかも定かでなくなるが、次の瞬間、最後に自分がすべきことに、はっと気づき気丈にも、すぐ横にいた女人に声をかける。
「淀。わしを起こしてくれ」
「なりませぬ。太閤殿下。お体にさわります」
「よい。わしの命はもうすぐ潰える。最後に内府に伝えねば……」
 それだけ話すのに息も絶え絶えの状態であった。
「分かりました。私が横で支えましょう。殿下はお気兼ねなく、お語らい下され」
 そう言うと、一人の男が、その死の淵の小柄な男の身体を横から抱き上げ、上半身を起き上らせた。
「かたじけない。利家殿。貴殿だけは、いつどのような時にもわしを支えてくれる」
 小柄な男――太閤殿下こと豊臣秀吉は、目に涙をためながら、旧友であり、今は加賀百万石の大大名である前田利家にこう呟いた。
 豊臣秀吉が前田利家に支えられて半身を起き上らせた直後、伏見城の一室であるこの部屋に、内大臣、徳川家康が入ってきた。
「殿下! お体にさわります。どうか横になっていただかねば……」
 家康は入ってくるなり、慌ててそう言った。
「よい。内府殿、お気を遣われるな。今日は気分が良い。わしは内府殿と話がしたいのだ」
 そう秀吉は言いながら、家康の演技とは思えない今の場の慌てぶりに苦笑しながらも、それが自然体でできる家康の大きさに改めて感じ入った。いや、今は畏怖と感じられるほどであった。
 しかし、先ほどまで起き上るのもやっとであった秀吉も、ことここに至って、平静に語れるところは、やはり一浪人武士から、太閤殿下という位人臣を極めるほどの男にまで成り上がったほどのモノは伊達ではないと言ったところであろうか。
「内府殿」
「はい。殿下」
「小牧、長久手が懐かしいのぉ〜」
「そうですな。殿下。後にも先にも、殿下と私が知力と胆力をつくし尽くして戦ったのは、あの一戦だけでしたな」
「結局、あの戦いは内府に軍配が上がったの。今でもわしがあれほど煮え湯を飲まされたのはあの時だけじゃ。くやしい限りじゃ」
「しかし、その後の外交戦略で、この内府は、殿下の前に膝を屈することとなりました。結局、最後は殿下の勝ちではござりませんか」
 内府の話はいつも心地よい。これが家康の懐の深さであろう。
「最後はわしの勝ちか。そう言えば、内府との和議の後は歯ごたえのない戦(いくさ)ばかりじゃったの。長曾我部も島津も、北条も最上も伊達も、一人としてわしの心胆を寒かしめるほども者はおらなんだ。最後に勝ったのはわしということになるのかの……」
「それが証拠に、殿下はついに日ノ本を統一されたではありませんか。右府様(織田信長のこと)が成し遂げられなかった戦国時代を終焉させたのは、他ならぬ殿下でありますぞ」
 家康は満面の笑みを顔全体で表現していた。
「……最後に勝ったのはわしなのか……?」
 秀吉は、誰にも聞こえないようそう呟いていた。今、死の際で秀吉は初めて後悔をしていた。
 何故、関東の北条を平らげ、戦わずして落ちた奥州をもってして満足をしなかったのか?
 奥州を平定したのが天正一八年(西暦一五九〇年)。あれから今日(こんにち)まで八年の歳月があった。これだけの歳月があれば、十分に豊臣政権を盤石なものにできたはずである。
 しかし、この八年間に自分がしたこととはなにか。
 子供に恵まれなかったという不幸が後々に尾を引いているが、それでも、最初の子供を失ったのち、自分の甥の秀次を盛り立てていけば何ら問題なかった。
 秀次は確かに、何かを成すべき者としては、少々物足りない人物であったが、秀吉の作り上げた地盤を守っていくという面に関して、問題がある人物ではなかった。むしろ、自分で事が成し遂げられない分、今あるものを守っていくことに対しては従順である。
 そんな秀次を、秀吉は自害に追いやった。
 次子である秀頼が誕生したのもその原因ではあるが、それでも秀吉が秀次をどこまでも推していれば何ら問題がなかった。秀頼に政権を継がせたいという気持ちが、中途半端な形でいつまでもあったのが最大の要因である。
 内的なそのような事情に、さらに朝鮮及び明(現在の中国)への遠征という外的要因が付加される。
 個々の戦闘能力でいえば、倭(やまと)民族は、朝鮮民族及び中華民族よりはるかに優れている。
 しかし、問題は敵地の領土の広大さと、それに伴う人口の差である。
 各地で勝ちはおさめるものの、その都度戦線は長く伸びきり、補給が届かないという深刻な事態に陥った。
 結局、二度に渡る明出兵は大失敗に終わるのは、歴史の通りである。
 今秀吉の後継者は五歳に満たない秀頼ただ一人である。
「内府殿!」
「はい。殿下」
「お願いです。わしの亡き後は、内府殿が秀頼を盛り立てて、この豊臣家を支えて下され」
「むろんです、殿下。この内府が身命を賭して、秀頼様を盛り立てていきましょう。だからご安心ください」
 家康のこの快諾に、秀吉は逆に居ても立っても居られない心地となった。
「内府殿。たのみますぞ。本当にたのみますぞ」
 小柄な秀吉が、家康の大きな腹に頭を擦り付けんばかりに何度も何度もその言葉を繰り返した。
「殿下。もったいない程のお言葉。この内府、誓いは決して破りません!」
 家康の言葉を聞くたびに秀吉は、ますます不安になり、そして自身の心は言葉と真逆にますます冷めていくのを敏感に感じ取っていた。
 自分が主君である織田信長の死後、行ってきた行為の数々をこの場で思い返していたのである。
 信長が本能寺で明智光秀に倒されたのち、秀吉は光秀を討ち果たしたことにより、その後のいわゆる清州会議で主導権を得ることに成功した。
 信長と共に亡くなった信長の長男である信忠の子――わずか二歳の三法師(後の秀信)の後継者となったのである。
 その後、それに不満を持つ信長の三男である信孝とその後継者である織田家筆頭家老の柴田勝家を滅ぼし、さらに次男信雄とも戦い、その実権を奪った。
 結局、信雄も自分が推した秀信でさえも今では、一大名に成り下がっている。
 織田家を盛り立てるより、戦のない世界を構築するにはやむを得ない事情だったのである。その道理を秀吉は十分すぎるほど理解している。
 自分亡きあと、幼子の秀頼を盛り立てて豊臣家を存続させる。それも、家の存続のみならず、日ノ本の覇者の系譜として豊臣家を存続させ続ける。
 今の状況下において、それは無理な話であった。
 秀吉にとって、戦国時代の終焉を本気で望むのであれば、今、日ノ本で最も実力のある徳川家康に政権を譲るのが、最上の選択であった。
 しかし、老いた秀吉にそれは出来なかった。
 秀頼の親としてそれは出来なかった。
 そして、最後の際(きわ)の言葉が、家康の懇願以外に残されていなかった。
 そして、その安らかさを永遠に得ることのない益体のない懇願は、秀吉の力が尽きるまで続けられ、翌日、太閤殿下秀吉は身罷った。
 ある書物には全てを成し遂げた安らかな笑顔であったと記されていた。
【完】

【あとがき】
 秀吉が亡くなった翌年、五大老の一人で家康に次ぐ実力者である前田利家が死去した。
 豊臣家と家康の調整役を行っていた利家が亡くなったことにより、家康の他の大名への影響力は益々大きくなっていった。
 その状況に対して、同じく五大老の一人である上杉景勝が家康への叛意を露わにする。
 家康も上杉征伐に大坂を発つが、その隙を狙って、五奉行の一人である石田光成が、友人の大谷吉継を巻き込んで挙兵する。
 これが世に名高い関ヶ原の合戦を引き起こし、結果、わずか一日で勝敗が決した。
 この戦いで石田三成方西軍が敗北したことにより、豊臣家は一大名の地位に転落する。
 それでも豊臣家にはまだ存続していく道が残されたわけだが、事態を正確に把握できない豊臣家臣団によって、大坂城から退去しない豊臣家は、関ヶ原の後、改易された大名やその家臣、或は秀吉によって禁止されていたキリスト教徒とそれを背後で操る列強諸国の、江戸幕府転覆の旗頭(シンボル)として祭り上げられた。
 家康は、自分の存命中に事態の打開を図るべく、ついに大坂城を攻撃。冬の陣、夏の陣の二回に渡る戦いで、大坂城は落城。豊臣家は滅亡した。
 秀吉の死から十七年後。関ヶ原の戦いから十五年後の出来事であった。
 結果、江戸幕府の成立により、戦国時代は完全に終焉し、以後、二百六十五年に及ぶ長期政権となったのは、皆様、ご存知のことと思う。
 以下は作者の見解であるが、西暦一八五六年のペリー率いる黒船の来航がきっかけで江戸幕府はその幕を閉じることになるが、それは外部からの列強という圧力に対抗するための処置として起こった出来事であるので、江戸幕府は内政事情の崩壊による滅亡ではない。
 歴史にifは禁句であるが、もし、ペリーが来航しなければ、江戸幕府はその先何百年、日本の政治を担い続けていたであろうか。

コメント(15)

短編ではありますが、初めて歴史ものを執筆してみました。
大学生の時に愛用した日本史辞典を片手に、何とか書き上げてみました。
ファンタジーものと違い、あまり適当なことは書けないのがきつかったですが、それでも充実感はあります。
結局、一時から書き始めて、四時過ぎには書き終わるという、一気に突き抜けた感があります。
こんなに一気に書いたのは、何年振りだろうって感じです^^

この作品を、レトロさんに捧げます^^
全体的に歴史のおさらいになったかなぁという印象です。
歴史ものの難しさですよね。史実に沿わなきゃいけないけど、魅力的な異説もたくさんありますし。あくまでも小説であり、フィクションであるならば、もっとぶっ飛んでもいいのかな、と思います。

ラスト付近は花の慶次を思い出しました。ちなみに、ちょっと長い漫画ですがへうげものがこの時代を描いた作品で、信長や秀吉の最期の場面があまりにも素晴らしいので、時間が許せば一読なされてはいかがでしょうか?
これもありなのかと、私はカルチャーショックを受けました。
>>[2]
返しが遅くなって申し訳ございません。
コメントありがとうございました。
僕もこちらのジャンルの方が、自分の性に合っていると思っているので、嬉しいコメントです^^
ありがとうございました。
>>[3]
返しが遅くなりました。申し訳ございません
コメントありがとうございました。
やっぱり僕はこちらの作風ですかね(笑)
恋愛ものも書いていて、面白かったですけど、まだ表現において、躊躇する自分を感じていました。
しかし、また挑戦してみますね^^ 作風の幅を広げる意味においても……
ありがとうございました

PS れとろさんのは残念ながら参加できませんが、よろしくお伝え下さい^^
>>[4]
返しのコメントが遅くなりました。申し訳ございません。
コメントありがとうございました。
歴史ものの異説作品もいずれは書いてみたいと思っておりますが、今の自分にはまだ力不足を感じます。
史実を押さえつつ、設定を見据えつつの、想像への発展……これは僕にとって永遠の課題かもしれません(笑)
でも、目指してみます^^

最後のへうげものを機会があれば、一読してみます
ありがとうございました。
お会いできないの残念です。
けど、作品を捧げるならもっと御利益ありそうなものに捧げましょうよ〜。それこそ、内府殿とか。

老いの虚しさ、執着の悲しみを感じる作品でした。
晩節を汚した感があるせいでどこか軽んじられる風潮がありますが、秀吉はもっともっと評価されてしかるべき大人物だと、個人的には思っています。

山岡荘八の『徳川家康』が好きで、今十二巻で止まってますがそろそろ再開しようかな、と思っています。
逆説的な見方ではありますが、戦国時代とはこの偉大な統治者に三百年続く太平の世を築かせるために、みんなで彼を鍛えぬいた時代でもあったのかな、とも考えています。

まあ、僕の中の戦国大名No.1は武田信玄で、これは譲れないのですが…。
>>[8]
横槍ですが、全く同感です。
信長があって、秀吉があって、家康がいる。秀吉の朝鮮出兵が失敗したからこそ、武士の削減という方法に辿り着いたように思います。

やはり長生きというのは天下取りには重要ですね。秀吉も利家もいない、北条、武田は滅び、毛利、長宗我部も人材がいない、島津、伊達は遠すぎる。
なんだが全ての運が家康に味方しています。

ちなみに、私が一番好きな武将は蒲生氏郷です。
実は歴史小説は苦手で、ぱっと見たときに尻込みをしてしまったのですが……ゆうたさんの小説は、たとえ苦手なジャンルであっても、読み始めるとするする読めるところがすごいと思います!

でもやはり、本能寺〜のところで個人名がバーッと出てくるところは、非・歴女の私には二回読まないと理解できず、初めは教科書を読んでるように感じてしまいました。

ちなみに、恋愛がメインテーマじゃなくなってからは読むのが大変なのですが、よしながふみのマンガ『大奥』の最新刊、本日読了したことをご報告します。
自分も歴史小説は苦手な方なんですが、うまく総括してくれた感じがあり、さらっと読めました。

苦手な人も読ませることができるのも、ゆうたさんの実力なんでしょうね。

ゆうさんと少々重なりますが、健康で長生きできる上に、忍耐力も必要というのは、いつの時代も変わらないなぁと考えさせられました。

様々なジャンルにチャレンジし続けるゆうたさん、次回作も楽しみにしています。
>>[8]
レスが大変遅くなって申し訳ございません。
僕も山岡荘八の徳川家康を中学の時に読ませていただきました。
今読むとまた違う思いがもてるのかなって思います。
武田信玄はいいですね^^ 是非、れとろさんと歴史語りしたいです

最後にお読みいただきまして、ありがとうございました。
>>[10]
レスが遅くなって申し訳ございません。
歴史物は、同じような名前が出てくるので、慣れないうちは大変だと思います。
苦手分野にもかかわらず、読了していただいてありがとうございます。
また、お会いできる時を楽しみにしております
>>[11]
コメントありがとうございます。そしてお読みいただきましてありがとうございます。
また、違うジャンルに挑戦してみます^^
次回のテーマ…すごすぎです(笑)

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