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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第二回テーマ ゆうた作 雪

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文字数は10000万文字以内に収めましたが(9750文字)、改行、スペースも文字としてカウントされるので本文だけでは収まりませんでした(笑)

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『雪』

【本編】
“寒いなぁ〜。風邪ひいちゃう”
 啓子は一人そんなことを呟きながら、このような重大事に、そのようなとぼけた思考回路になる自分に苦笑した。
 今は真冬の二月。ここは、標高二千メートルを超える蓮華山の頂上付近の山小屋の中。長野県北部に位置する雪山で有名な蓮華山は、毎年十一月から翌年の三月まで、五合目以上は登山禁止となる。
そのような蓮華山に、啓子はあえて五日前から登りはじめ、昨日の夜遅く、この山小屋に到着したのである。
 登り始めから昨日まで四日間の間、この山には珍しくほとんど降雪がなかった関係で、啓子はこの海抜千九百メートルを超えるこの山小屋に辿り着いた。
 元々、高校と大学時代はワンダーフォーゲル部に所属していた啓子にとって、登山自体はそんなに苦ではなかった。
 それでも、冬場は入山禁止になるこの雪山が楽なはずはなく、一般の人が、この啓子の行動を見たとしたら、それは自殺行為としか映らなかったであろう。

“まあ、実際にここで終わらせるつもりだったから、自殺と思われてもしょうがいないか”
 とにかく、無事に今いるこの山小屋に到着したが、ここにはほとんど何もない。
 食糧はゼロ。薪(たきぎ)はあるにあったが、半日も炉にくべたら終わってしまうほどしかなかった。
その薪を炉にくべた。が、それは一時間前にはつきてしまった。
 とりあえず、毛布にくるまって暖をとったが、他に暖房設備のない山小屋の中は、既に外気と変わらない気温になっていた。
 山小屋の外は、昨日までの奇跡が終わって猛吹雪だ。ここから抜け出すことなど叶わず、元々二日分ぐらいしか用意していなかった食糧は、三日前には底をつき、絶食もまるまる二日目に突入した。
 そのときの呟きがこの冒頭の言葉なのだから、啓子をよく知っている友人から言わせれば、天然の楽天家らしいと笑ったかもしれない。

“私、結構考えて生きているよ。もちろん、そう思わせないように振る舞ってきたけどね”
 啓子の形のいい唇の先が若干上がり、笑顔を形作った。
 その笑顔は、啓子の雪のように色白の顔色と相まって、まるで昔のおとぎ話に出てくる雪女か雪の女王をイメージさせるモノであった。
 実際に啓子の容姿は整っていた。
 他の女性を美人と呼ぶのは一般的には褒め言葉であるが、啓子を美人と呼称するのは、それは失礼に値する。
 死語を引っ張り出すような感じになるが、佳人或は、一歩譲っても麗人まで。
 それ以下の、例えば美人なんかで啓子を表現するのは、失礼極まりない話。
 本人がそう言えば傲岸、不遜の極みだが、周りが勝手にそう言っているのだから、それはしようがない。

“そう言えば、十八ぐらいの時にアーティストのHikaruちゃんに似ているって言われたっけ”
 啓子より二つ年上のHikaruがアーティストとしてメジャーデビューしたのが、十六の時。
 『奇跡の歌姫』と呼ばれた彼女は、トップクラスの歌唱力、自ら作詞作曲を手掛けるシンガーソングライターとしての優れた能力に加え、他を大きく引き離した美しい容姿を有していた。
 彼女は、二十六で結婚して、芸能界を引退するまで、常にトップで居続けた。
 彼女がメジャーデビューしてから引退するまでの十年間は、他のアイドル歌手にとっては暗黒時代そのものであったであろう。
 とにかく、海外でも歌が認められていたHikaruは、その当時、世界レベルではじまったイベントである『世界の美人ベスト一〇〇』にトータル五回選ばれている。
 日本で一番多くて三人、少ないときは一人選ばれるかどうかのこのイベントで、Hikaruは二回目の選抜で第五位になったのである。
 日本人が十位以内など、今世紀中はありえないと誰もが思った矢先の出来事であった。
 もちろん、その話題はテレビや新聞が連日のように報道し、日本でこの話題を知らない人がいたらお目にかかりたいぐらいの社会現象が起きたのである。
 ちなみにこれは、全くの余談である。
 そんなHikaruと啓子の間には何の繋がりもない。
 もちろん、当時、啓子もHikaruのことはテレビなどで二、三度は見たが、客観的に見て、そんなに似ているとも思えなかった。
 強いて共通点を挙げれば、どちらも綺麗すぎるという点……。
 とにかく、Hikaruが一回目の『世界の美人ベスト一〇〇』で、二十三位になったぐらいから、啓子は会う人会う人にHikaruに似ていると言われた。
 そう言われ続けた。
 いつも、『そんなことないですよぉ〜』とか照れくさそうに返してはいたが、内心では結構辟易していた。

“だって、私は啓子だよ。誰かに似ている私って、それ私じゃないじゃん”
 これが、その当時からの啓子の自論。
 普通に考えると最高の褒め言葉をいただいていたわけであるが、啓子から言わせれば、そんなものは褒め言葉でもなんでもない。評価するなら、私個人を評価してくれというわけだ。
 とにかく、Hikaruに似ているとHikaruが引退するまで言われ続けた啓子であったが、その中の一割程度の表現には、少し、ユーモアにとんだフレーズが含まれていたと啓子は感じていた。
 曰く『啓子さんって、歌手のHikaruさんに似ているって言われません? そう、Hikaruさんをもっと綺麗にしたような感じですかね』みたいな。
 言っている方は大まじめで、啓子がその時、感じていたユーモアは多分、どこにも含まれていないとは思うが……。
 啓子は今、三十五歳。
 結婚して七年目。七歳の娘と五歳の息子を持つお母さんでもある。
 とにかく、どんな奇跡の実演かは分からないけど、啓子はとにかく綺麗だった。
 『綺麗だった』の表現は啓子とその知人達には失礼な物言いだと思われるので、ここは、現在進行形に訂正しておく。
 兎角美人に生まれると、場合によっては、増長するケースもあるが、啓子は常に慎み深かった。
 聡明ではあるが、表面的にそう取り繕っているわけでなく、常に誰にでも優しかった。
 素直さと実直さが性格の根幹にあり、なにより彼女は人の幸福を自分の幸せと感じられるタイプ側の人間であった。
 そして、啓子のすごいところは、持ち前の直感と聡明な頭脳で、その自分の在りようをほぼ的確に把握しているという点であった。
 自分の魅力が分からない天然の美しさとは対極の位置にあるモノであった。
 啓子は今の夫である総一郎と結婚するまでに、四人の男性と付き合った。
 ここまでの話から、啓子ほどであれば、数十人ぐらいと付き合った経験があったと言われたとしても、誰も驚かないと思われるが、とにかく、啓子は合計で五人の男性と付き合ったのである。

“そう言えば、聡兄ちゃん元気してるかなぁ? あれっ?! これって、つまり終わる前の走馬灯的なモノ?”
 『聡兄ちゃん』と啓子は口にしたが、聡は肉親ではない。
 聡は啓子が付き合った男性の記念すべき一人目である。
 啓子と聡が出会ったのは、地元の保育園。
 啓子が四歳で入園した時、聡は年長の六歳であった。
 聡は後で親から聞いた話では、その地元の保育園のリーダー的存在で、友達や慕ってくる五歳、四歳のおちびちゃんたちも数多くいた。啓子が入園して三日目のこと。
『ねえ。僕と一緒に帰らない?』夕方、友達と一緒に母親の迎えを待っていた啓子に、聡が話しかけてきた。
『うん。いいよ』啓子は二つ返事で頷くと、聡と一緒にそのまま退園した。
 それを保育士さんは誰も見ていなかったので、啓子の母親が迎えにきたとき、大人はみんな、大パニックに陥った。
『私、あの時、貴女が見つからなくて、死にそうになったのだから……』これが母の後日談。
 この時、当然聡もいなかったが、しっかりしている聡は、この保育園で唯一、迎えなしで帰れる存在だった。
 母子家庭の聡の家は、母親が一日中仕事をしなければいけないという忙しすぎる環境であった。
 聡がしっかりしているのと、まだ当時の保育園がそれほど子供の安全面とか過敏に配慮しなくて済んだ時代背景での方策から、聡は一人で勝手に帰ることができた。
 多分、この日も保育士さんに一言言って、聡は帰ったと思われるが、まさか、一緒に啓子も帰ったとは、保育士さんの誰もが思わなかったのであろう。
 とにかく、啓子失踪から二時間後。聡に連れられた啓子が啓子の自宅に到着して一件落着した。
 理由は一緒に帰ったところまでは良かったが、二人とも保育園から啓子の家に帰るルートを知らなかった故、二時間かかったという。
 六歳と四歳の子供がルートも分からない啓子の家に二時間で辿り着いたのは、逆に奇跡のように思うが……。
 とにかく、その日以来、啓子と聡は一緒に家に帰ることになった。
 聡のお母さんが帰宅するのが午後八時。五時に聡の家か啓子の家に一緒に帰って、八時にどちらかの家にどちらかが帰るまでの三時間は聡と啓子の二人だけの時間であった。
 啓子のお母さんももちろん啓子の家にはいたが、元々淡白な性格の人なので、聡に啓子を任せっきりにして、買い物とかに出かけるし、聡の家に帰った時は、文字通り啓子と聡はずっと二人きりであった。
 啓子と聡の関係は、啓子が大学一年まで続いた。
 だから、当然、啓子の初キッスと初体験の相手は聡である。
 でも、いつかなんて覚えていない。
 キスは、啓子が入園してから初めての夏には、当たり前にやっていたし、初体験も、ホントに挿入したのは、多分小学校高学年だとは思うが、それまでも普通に抱き合っていたし……。
 まあ、聡明な二人からしたら、中に出したら、小学生の二人には重すぎる課題が発生することは知っていたから、そんなリスクは冒さなかった。
 その情報の出どころは、自分たちで自然に学んだのか、どちらかの母親が教えたのかは、もう今となっては誰にも分からない。
 でも、一つ確かなことは、形的には聡が啓子を帰り際に誘ったが、啓子からしてみれば、聡以外の男の子から同じ申し出があったら、四歳とは思えない丁重なお断りをしていたと思う。
 セレクトは啓子の方がしたというのが事実。
 理由は、『今まで生きた中――四年間だけど――その中で、パパの次に素敵な人』ってこと。
 そして、大学一年まで付き合ったのは、それ以上の人が現れなかっただけの話。
 二人目の彼――茂を初めて見たのは、大学に入学してから三か月目の六月。
 武道館での剣道の全国大会に友達に誘われて行った時。啓子と同じ都内の大学で、優勝候補筆頭と言われるその名門剣道部の主将を、異例の三年生で務めていたのが茂であった。
 結果は茂が個人と所属するその部の両方の優勝で終わったが、その時、啓子は茂の中に、日本の中世から近世にかけて活躍していた戦闘の民――モノノフを感じた。
 啓子の行動は素早かった。大会終了直後に、茂のいる剣道部の控室を訪ねたのである。
 いくらストイックで厳粛な剣道部でも、大学生の集まりである。
 大会終了後には、当然、打ち上げがある。優勝したのであるから、なおさらである。
 茂の人気と相まって、剣道部員五十人の他、同じ大学の女子たちも一緒に打ち上げに参加する。
 百人規模の打ち上げの打ち合わせを計画しているその控室に啓子とその友達は、一緒に打ち上げに参加させて欲しい旨を申し入れたのである。
 同じ都内とはいえ全く関係のない大学の二人。
 申し入れられた直後は、大いに戸惑った部員たちであったが、啓子の通う大学はお嬢様が通う有名な名門校であるし、それに加えて啓子の容姿は今更語るに及ばずだが、啓子の友人もそもそも啓子と一緒に遊んで、全然引け目を感じない友人なのだから、綺麗という言葉で表現したら却って失礼にあたるというレベル。
 そのような二人が自ら、打ち上げに参加したいと言ってきて、五十人の部員の中で、もし断ることができる者がいたとしたら、そのあまりに稀有な存在であろう。
 とにかく、無事に打ち上げに加わった啓子であったが、その時の啓子はいつもの彼女ではなかった。
 学校などの飲み会の席では、啓子は常に、そこにいる全員のそばに自ら赴き、お酌して、談笑する。
 美醜、男女の別なく平等にである。
 でも、この打ち上げは一発勝負。そして、ここにいる全員が或いは、今日限りの付き合いの可能性が高い。
 その二つの要素が啓子を大胆にさせた。
 人の幸せを第一義に考える啓子が、この時だけは自分のためだけに突っ走った。
 つまり、茂のそばに打ち上げの間中居続けたのである。ずっと茂だけを見つめて話す。お酌も茂だけ。打ち上げが始まって十分後には、茂の逞しい左の二の腕に、啓子の白魚のような右腕がしっかりと絡まっていた。
 当然、この打ち上げに参加した茂と同じ学校の五十人の女子の殺意の眼差しが、啓子一人に浴びせかけられたが、そんなことで、啓子が怯むはずがなかった。
 その殺意の目のことを予測できず、或はその視線に怯むようであったら、そもそも打ち上げへの参加を申し入れるはずがないのであるから……。
 結局、三次会まで続いた打ち上げの後、啓子と茂は都内のホテルで一夜を共にした。
 翌日、啓子は茂を連れて、大学の近くの喫茶店で聡と会った。
 啓子は茂の横に座り、呼び出した聡を向かい側に座らせた。その時の啓子の第一声。

“あの時は私も子供だったな。もう少し、落ち着いてからちゃんと説明すれば良かった”
『ごめんなさい。聡兄ちゃん。私、この茂さんと付き合うことにした』さすがの聡も五分間、沈黙していた。
『俺のことが嫌いになったか?』
『ううん。聡兄ちゃんは今でも大好き。でも、それ以上に茂さんを好きになったの』
『そうか。じゃあ、啓子。少し席を外してくれ。この茂さんと二人だけで話させてほしい。終わったら、呼ぶからちょっと、外で待ってくれ』
 啓子は素直に頷き、外に出た。
 三十分の後、聡は啓子が待っている喫茶店の外に出てきて、こう言った。
『啓子! 茂さんは良い男だ。俺自身もお前が惚れたのだから、まずまずだと自負していたが、俺はあくまでも良い人だ。おそらくどこまで行っても……。でも、茂さんは良い男だ。啓子に相応しい』
 それだけ、言うと聡は啓子の元を去って行った。
 そして、茂との付き合いが始まった。
 啓子が大学を卒業して、大手企業で勤めはじめて三年目。啓子二十五歳。啓子は茂と結婚するはずだった。
 しかし、唐突に茂以上の人に出会ってしまったのである。
 それが、三人目の彼――昴流(すばる)である。
 詳しい経緯等は省くとして、茂よりいい男を見つけてしまったからとしかそのことは説明できない。
 とりあえず、その昴流と半年付き合って、結婚する予定であったが、啓子の人生史上最悪であろう運命の悪戯が起こった。
 第四の彼である誠也と偶然、会ってしまったのである。それも昴流と付き合い始めて二か月後。
 この時は、啓子は生まれて初めて、それも本気で運命を呪った。
 啓子の中で、昴流の方が誠也より優れていれば、何ら問題ない。
 そのまま昴流との付き合いが続くだけ。
 誠也の方が昴流より優れていれば、それも何ら問題ない。
 昴流と別れて、誠也と付き合うだけ。
 むろん、二カ月で昴流と別れれば、啓子をちょっと知っていて悪意を持っている人の口さがない噂のネタになるだろうが、そんなことを毛ほども気にする啓子ではない。
 元々、聡から茂、茂から昴流へ移る際もタイムラグは一切ない。
 そんな啓子を見ている人々からすれば、絶対に二股の時期があったと勘ぐるはずである。しかし、それを気にする啓子ではない。
 しかし、運命の悪戯と呼んだのは、啓子の中で昴流と誠也は全くの同列だったのである。
 結局、啓子は生まれて初めて、二人の男と同時に付き合った。
 二人と付き合いだして二か月後。昴流と付き合い始めてから四か月後。啓子は昴流と誠也と同棲した。
 昴流の家に月曜日から水曜日。誠也の家に木曜日から土曜日まで、そして日曜日は一人で過ごした。

“あれって、現代版の通い婚?”
 とにかく、啓子は昴流と誠也の二人と結婚したが、それはあくまでも事実婚。
 残念ながら、重婚を禁止している日本の法律には、啓子の在りようを受け止める器量がなかった。
 子供も諦めた。
 生まれてくる子供は普通に結婚している子供に比べて、いろいろ法律上の制約を受ける。
 そして、どんな形であれ、二人と結婚している母親を持つという事実に。仮に子供本人が受け入れたとしても、社会が許さないであろう。
 それもそういうことに対しては、最も狭量で残酷な子供の社会が……。
 そして、法律の上での結婚を半ば諦めかけていた二十七歳の啓子の前に現れたのが、五人目の総一郎であった。
 総一郎と初めて出会ったのは、二十七歳の夏のある日曜日。
 日曜日ということだけを覚えているのは、日曜日は昴流と誠也のどちらとも付き合わずに、それ以外のことをしている唯一の曜日だからである。
 総一郎は、その時三十四歳。啓子より七つ上であった。
 身長は百六十二センチメートル。ちょっとぽっちゃりしており、少し頭も薄い。四十前半に見える普通のおじさんであった。
 これまで付き合っていた四人は、いずれもタイプは違うが、(むろん啓子は持ち前の洞察力で、中身で判断しているが)外見も人並みをはるかに凌駕するかっこいい部類に入った。
 それに対して、総一郎はパッと見で、普通のおじさんだった。でも、啓子は見抜いていた。

“総一郎を初めて見たとき、ついに辿り着いたと感じたっけ。そしてそれは今でも変わらないか”
 啓子にとって、彼氏とは自分を豊かにしてくれるパートナーであると同時に、自分を高めていくための目標であり、心を磨く砥石である。
 だから、常に上位の目標が見つかれば、躊躇なく新しい彼に移っていく。
 『乗り換える』は、語弊があろう。『浮気』は論外である。
 強いて表現すれば『卒業』。
 そこで、学ぶことを全て習得し、次の高みが存在したので、新たなことを学ぶためにそこに移った。

“でも、こんなの誰に言っても理解してもらえないだろうな”
 とにかく、そんな考え方をもった啓子が、半ば直感的に感じたのは、総一郎が終生かかって辿り着けるか否かの高い目標地点であり、つまりは終着地点なのであるということ。
 啓子は持ち前の行動力で、翌日には昴流と誠也の両者に全てを話し、関係を解消した。
 そして、翌々日から仕事以外の時間は、全て総一郎と共に過ごした。
 付き合って五か月後の秋の終わりには、総一郎と結婚した。
 法律に則った正式な結婚をである。
 結婚式場を予約するのに数か月を要することを考えれば、啓子が総一郎と初めて会った翌々日から、結婚を前提に話をすすめていた可能性は大いにあると思われる。
 啓子二十八歳。総一郎三十五歳である。
 結婚して一年目に長女が生まれ、それから二年後に長男が生まれた。
 二人は仲睦まじく、この幸せは永遠に続くと思われた。総一郎が若菜とさえ会わなければ……。
 総一郎が若菜と出会ったのは、啓子と結婚してから四年目の三十九の時。
 総一郎より二つ年上の若菜は、総一郎の会社に派遣社員として配属されたのであった。
 啓子が二人の関係に気づいたのは、それから半年の後。
 その時には総一郎と若菜は、啓子が気付くひと月前から毎月曜日に一緒にディナーをする仲であった。
 啓子に油断があったとすれば、それは総一郎の容姿である。
 結婚して、ますます髪が薄くなり、どう贔屓目に見ても普通の女の子が、気にするタイプではなかったからである。
 啓子の驕りだったかもしれない。総一郎の良さは自分にしか分からないという。
 四回連続して月曜日に一緒に会う仲の若菜さんという女性。
 啓子の疑問に何の隠し事もなく話した夫、総一郎の言葉から少し予兆を感じた啓子ではあったが、それでもまだ楽観視していた。
 そして、五回目の月曜日に啓子は総一郎と若菜と三人で食事をしようと提案をしたのであった。
 それは簡単に了承され、その日になった。
 あの時受けた衝撃は二度と啓子は忘れないだろう。
 啓子は、常識では計り知れない程の譲歩案を胸に秘めて若菜に会った。
 若菜との浮気を是としたのである。
 総一郎も一人の男。他の女の子に一時、惹かれるのもやむを得ない。
 むしろ、それを禁じて決定的な破綻に陥るのであれば、週一程度の別の女性との肉体関係は別に自分がとりたてて糾弾するほどの問題ではない。
 さらに言えば、総一郎と若菜も当然、四週連続月曜日に会う仲なら、既に肉体関係が出来ているという見立てを啓子はしていた。
 そして、若菜と出会った。だからこその衝撃であった。
 結論から言えば、二人はキスどころか手すら握っていない。
 普通の女性であれば、安堵するか、その言葉そのものを疑うかどちらかであるが、啓子は逆にその事実に戦慄した。
 総一郎と向かい合って座っている若菜と総一郎を繋ぐ見えない糸が見えたのである。
 むろん、それは比喩ではあるが、いわゆる『絆』であろう。
 そして、決定的だったのは、啓子自身が若菜を認めていたのである。
 もし若菜が男性であったら、自分は総一郎を卒業して、若菜と一緒になったであろうと……。
 初めて、啓子は自身のその直感が嘘であってほしいと切に願った。
 啓子は、それを実証するため、総一郎に席をしばらく外して、若菜と二人だけにしてほしいと頼んだ。
 総一郎は二つ返事で一旦、店の外に出た。
 これは、最初の彼である聡が、次の彼になる茂と二人になるよう啓子に頼んだシチュエーションそのものであった。
 啓子は二人きりになると単刀直入に若菜に尋ねた。
『若菜さんは、私の総一郎とどうしたいのですか?』
『一緒になりたいです』即答であった。
『でも、総一郎も貴女も他の方と結婚されていますよね?』
 これは総一郎から事前に聞かされていた情報である。
『私は総一郎さんと初めて食事に行った翌日に、夫に理由を説明しまして、今は離婚しています』
 啓子がとる手段と全く同じ。
『でも……、』

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コメント(1)

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“声嗄れていたなぁ。あの時は……”
『……総一郎が離婚するかは分からないではないですか? 総一郎は私と子供たちを深く愛しています。総一郎の意思は……』
 我ながら、何とベタなセリフを……。
『構いません。総一郎さんが私を選んでくれるまで、いつまでも待ちます』……。
 この後、どんな会話をしたか全く覚えていない。とにかく、総一郎を呼び戻して、とりあえず一時間程度食事して、具合が悪いと言って、若菜と別れた。
 総一郎との帰り道、啓子が言った言葉。
『女の人と二人きりで会うのは、もうやめて!』
 ホントは別の言葉を言いたかった。でも、それを言ったら、総一郎は啓子の元から去ってしまう。ギリギリ踏みとどまった末の言葉であったと思う。
 もちろん、この後も総一郎と若菜は会い続けた。
 でも、啓子の約束を頑なに守り、二人きりでは会っていなかった。これは総一郎の証言だが、それは真実だと思う。
 しかし、複数で会っても、総一郎と若菜の心は二人だけで繋がっていた。
 そして、ついにその日が来た。総一郎が啓子との離婚を申し出たのである。
 それも、総一郎自身の家や財産、一生働き続ける約束の上での得た給与全てを啓子に差し出すという条件で……。
 啓子の全面敗北が決まった瞬間であった。
 その時、啓子は着の身着のままで家を飛び出していた。
 そして、全てモノを外で揃えた上で、蓮華山に登り、この山小屋に辿り着いたのであった。
 この山には、一度だけ総一郎と来た。もしかしたら、総一郎はここに辿り着くかもしれない。
 その時は、大いに泣き崩れて、別れたら死ぬと叫び続けよう。そして、一生若菜さんと接触しないでとも……。
 優しい総一郎は必ず、啓子の元に戻るだろう。
 心は一生若菜さんと繋がったままかもしれないが、それでもそれ以外の総一郎は手にできる。
 でも、おそらくは総一郎はここには辿り着けない。場所は何も言っていないし、今はこの猛吹雪。そして、食料も暖もない啓子の命は今夜には確実に尽きる。
 ……でもこれでいいのだ。啓子はゆっくりと目を瞑った。

“これで、私は総一郎の心の中に永遠に生き続ける。
 もしかしたら、総一郎は良心の呵責から、若菜さんとは一緒にならないかも……。
 ……でも、仮に一緒になっても構わない。
 総一郎が若菜さんと暮らしても、常に私からは離れられない。
 若菜さんが総一郎と一緒に暮らしている以上、遠からず、総一郎は彼女の短所を知ることになる。
 でも、私はもう総一郎にそのような嫌な面を見せることは、絶対にない。
 それどころかますます私は美化されていく。
 そう、総一郎の中で私は神話になる……”
 啓子の意識はここまでだった。
 啓子は混沌とした永遠の眠りの中に沈んでいったのである。

(了)

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