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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第二回テーマ/れとろ作/「転身物語」

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                               転身物語

 生い茂る針葉樹の木々以外に生命の気配がないその森は、ガラス細工のようだった。密集した枝葉は陽光を遮り、遠目にもその内に分け入っても、緑ではなく黒々としてみえる。
 生命を受け入れることを拒み、育むことを放棄したいびつな森。
 その森に至る道を知るのは、導師ロド唯一人だった。
 ゆえにこの地は「忘れられた森」と呼ばれる。
 導師ロドが忘れられた森を訪うのも、唯一つの目的のために限られていた。
 学院生の卒業試練のため、である。
「よいか、ユリィよ」
 忘れられた森の深淵部―――すなわち闇の中央で導師ロドは厳かに告げる。
「これが学院生最後の試練となる。おぬしは九夜をこの森で過ごさねばならぬ」
 対する学院生ユリィは答えることはおろか、うなずくことすらできなかった。
 すでにユリィの魂は肉体を離れ、一個の精となっていたからだ。導師ロドの術式によって。
 精は自らの意志でなにかを為すことができない。食事も眠りも必要としない。森に来たのも、導師ロドの腰に下げた瓶に入れられ、運ばれてであった。
 ただ、感じ、思考することのみが精に許されていた。
「さて、この森にはお主の瞑想を妨げる何者も存在しない。木々のささやきに魂を澄ませよ。はじめはその意味を汲み取ることは難しかろう。闇に心をこらすがよい。九の昼と九の夜を経るうち、次第にささやきはおぬしの心を照らし、必ずや進むべき道を示すであろう」
 導師ロドはもの言わぬ精に訓示を与えた。
 しかるのち、朽ちた巨樹の大きなうろに精となりしユリィを閉じこめ、九夜の後再び相まみえんと告げ、静かに森を去る。

 十日ぶりに再会した肉体の感覚にユリィはまだなじめずにいた。
「宙に浮いてるみたいだ。いや、地の底に縛りつけられてるみたいな気もする。どっちかな」
 独りごちた。口を開いてモノをしゃべるのが新鮮な気がして、しばらくの間は思うことは何でも口に出してみる。
「っと、ぼうっとしてる場合じゃないな。早く行かないと。またじい様方に小言を喰らう」
 ユリィは本人のいないところでは、導師ロドや学院教官達を、少々の侮蔑を込めて「じい様方」と呼んでいた。
 取り戻した肉体の感覚にはまだなじめない。けれど、長いいとまは許されていなかった。
 忘れられた森で得た霊感が薄れる前に、教官達に報告に行くのがしきたりだった。肉体に魂を戻された時、導師ロドからもなるべく早く来るように念を押されていた。
 おぼつかない足取りでユリィは学院の廊下を歩き、その奥へ向かった。

 卒業試練の報告は「転身の間」と仰々しく名づけられた一室で行われる。
 その部屋には学院生の顔を照らすためのろうそくが一本あるのみで、四方には闇が広がっている。ユリィは、昼夜を問わず暗がりに覆われていた忘れられた森のことを思い出した。
 ―――じい様方は、よほど暗いところがお好きらしい。
 さすがにこれは口には出さず、胸中でつぶやく。
 暗い室内がどれほどの広さがあるのか正確なところは分からないが、自分を取り囲む教官達の存在をユリィははっきりと感じた。
―――十、いや、もっといるか。
精となり、九夜を過ごした経験が、周囲の気配に対する感覚を鋭敏にしていた。
「告げよ」
 たった一語。闇の奥、ユリィの正面から声がした。導師ロドのものではない。
 部屋を占める闇が質量をもってのしかかってくるような、重厚な響きだった。
 学院生が入学以来一度もその姿を見ることのない、学院最高指導者、至聖ルブリヨのものだろう、とユリィは直感した。
 臆することなく、ユリィは静かに返す。
「わたしは人間に転身します」
 闇に散らばった教官達の気配が、動揺にうごめいた。
 構わずにユリィは淡々と言葉を継ぐ。
「忘れられた森で聞いた木々のささやきは私に諭しました。人々はいまや、信ずべき神々の姿を見失った哀れな仔羊の群れと化している。盲目のままさ迷い、心満ちることなく飢え、渇き、互いに争いあっている。この私が人の身となり、彼らを導き、安らぎを与えるように、と」
 闇の奥から唸り声が幾つか重なって聞こえた。
 教官達も学院生も、ユリィが学院卒業後、神々の座に席を連ねることを誰一人疑っていなかった。学院在中のうちに、それだけの資格をユリィは十分に有していた。
 学院書庫には彼だけしか解読できなかった古代の伝承詩が占める一角がある。あらゆる魔術を一度聞いただけで習得した。口頭試問で教官達を論破したことは一度や二度ではなかった。卒業を間近にひかえた今となっては、彼に指導を与える資格を持つ者は導師ロド唯一人となっていた。
 その学院きっての優等生ユリィが人の身を選ぶことなど、誰も考えた者はなかった。
「ユリィよ。もし、人となれば、気の遠くなる程の時間をかけてこの学院で学んだ事がらの大半をおぬしは失わねばならん。何故なら、それらは人の魂が理解できる範疇を超え出ているからだ」
 姿は見えないが導師ロドの声だった。
「かまいません。学院を発つなら、荷は少ないほうがいい」
 気負うことなく、ユリィは答える。教理問答の試験を受けている時のように、その声音にはいささかの揺らぎも淀みもない。
「だが、人々を説き、教え導こうとすれば、無知なる人々は因習にしがみつき、おぬしを責めたてるだろう。やがては偽りの王とあだなされ、罪人とともに十字に架けられることともなろう」
「……それは予見ですか」
「そうだ」
 導師ロドの口調に、ユリィの翻意をうながそうとする意図は感じられなかった。必要な確認事項を口にしているだけ、そんな淡々とした調子だ。
 だが、このような念押しをすること自体、ユリィの身を案じている証であった。
「それもかまいません。どうせ人の身となれば、閃光のように儚い命です。ならば、その一かけらまでも人々を導くために捧げたい」
「覚悟のほど、よく分かった」
 再び闇の奥、至聖ルブリヨのものとおぼしき声がした。それで決定だった。
 もとより、忘れられた森で得られた霊感は絶対である。教官達の動揺ははや収まり、導師ロドの気配もその中にまぎれていた。
 誰一人、ユリィの内心を知りえなかった。また、知ろうと努めたものもない。
 彼が口にした通り、人の命は短い。神々の一座を担う資格を有する優秀な学院生が人の身に堕ちたことなど、彼らはすぐに忘れてしまうだろう。
 ユリィは一礼し、「転身の間」を去った。

 足早に学院を出た。
 もうこの場所に戻ることはない。そう思って振り返ってみても、なんの感慨も湧かなかった。
 いち早く卒業試練を終えた彼に学院生が浴びせる、紋切り型の祝福の言葉に一々返答する気になれなかった。どうせ彼らは、ユリィが人の身に堕ちることを選び、神々の座が一つ空いたことを内心喜んでいるだけだ、と知っていたからだ。
「何も変える気概はないくせに、つまらない競争心だけはある」
 疲れた声でユリィはつぶやく。彼の心はもう学院にはなかった。わずらわしいもの全てを振りきるように退散する。
 が、学院が見えなくなるところまで歩くと、彼の足取りはゆったりしたものに変わった。
 訪ねたい場所があった。けれど、わざと回り道をして時間を稼ぐ。
 気が進まないのではない。むしろ、すぐにでも会いに行きたかった。
 けれど、転身の間での経緯を一から話すのが面倒だった。だから噂が相手の元へ届くまで時間を潰すことにした。
 学院一の優等生が、あろうことか人の身に堕ちることを選んだなどという刺激的な噂は、瞬く間にこの停滞した世界を駆け巡ることだろう。
 翼ある言葉が相手の耳に届まで十分な時間をおいたのち、ユリィはたずねた。
 冬の世界を統べる、氷の女王の元を。

 そこには氷の宮廷も、玉座も、広間もない。ただ小さな居館に寝台と腰かけ椅子が二つあるだけだ。
 ユリィはためらわず、椅子の片方に座る。そうして、主が現れるのを待った。召使もいなければ、呼び鈴もない。ただ、待った。
 冷気がうずまき、青い風となる。風はユリィとは対面の椅子の上でつむじを巻き、やがてはじけた。一瞬のちには、椅子に腰かける女王の姿が現れる。
「よくたずねてくださいました、ユリィ。学院の試練でお疲れでしょう」
「うん、疲れたよ、ヨナ」
 甘えたようにユリィは言う。
「もう試練はすべて終えられたのですか?」
「そうだよ。聞いてない?」
 聞いてないはずがない、と確信しながらも、話を促すためにユリィは問う。噂話は凍えた大地を渡り、すべて氷の女王の元に届くはずだ。
「……人の身をお選びになった、と」
「うん、そう」
 女王ヨナがその言葉を口にするのにわずかに逡巡したのにたいし、ユリィは何でもないことのように軽くうなずく。
「人間達の嘆き、悲しみを幻視された、と聞いてますが」
「―――あんなのは全部嘘っぱちさ」
 ユリィは皮肉げに笑った。けれどその瞳の色は冷笑とはほど遠く、今にも消え入りそうな小さな灯が揺れていた。
「うろの中は、ただ寒くて、暗くて、寂しかった」
「まぁ」
 ヨナは驚きに口元に手をやった。学院の生徒がこんなにもあけすけな弱音を吐くのを聞くのは初めてのことだった。それも、その知力と胆力と勇気を誰もが褒め称える、学院きっての優等生の口から聞くとは。ユリィが人の身に転身すると聞いた時より驚きは大きかった。
 けれど、侮蔑の思いは欠片も湧かなかった。
「さみしかったんだよ」
 繰り返しささやく。言葉にした通り、どこか甘えたげなまなざしでユリィはヨナに身を寄せた。
 ヨナは何と声をかけたらいいのか分からず、その髪をそっとなでた。
「あったかい」
「まさか」
 ユリィのつぶやきに、さすがにヨナは苦笑した。その肌は永久に溶けない雪よりもなお冷たい。そのヨナに向かって「あたたかい」などという変わり者はユリィだけだ。
「―――笑ったね。でもほんとのことだよ」
 ユリィはさらに体重をヨナに預けながら、吐息をもらすようなささやきで言う。
「教官方との問答が嘘だとおっしゃるなら、何故人の身になろうなどとお思いに?」
 話を逸らして、ヨナは尋ねた。
「分からない?」
 意外そうにユリィは聞き返す。ヨナは本心から「分からない」と答える。
「君に会ったからだよ、ヨナ」
「わたし……ですか?」
 困惑するヨナ。
「そうだよ。君に会わなければ、人になろうなんて思いつきもしなかった」
 思いもよらないのはヨナの方も同じだった。自分のどこに人間への転身を促す要素があるというのか。人間のことなど、口にすらしていないはずだ。
 けれどもユリィは、ヨナの物問いたげな視線にすぐに答えなかった。ただ、髪をなでるその手に身を任せていた。
 ややあって、ぽつりと言う。
「僕が出会った君は暖炉にくべる物語に飢えて、いつも凍えていた」
「凍えるものですか。わたしは氷の女王です」
 ユリィは口の中で微かに笑う。
「じゃあ、言葉を変えよう。君は退屈している、そうじゃないかい?」
「分からないわ。―――そうかもしれない」
「でも、今の僕じゃ、君の心を芯まであっためる物語は生み出せない。学院生のままじゃ……。ましてや神々になんてなってしまったら、惑星が一つ生まれて消滅するほどの時が流れたって、何も変わりはしない」
 ユリィの言葉に少しずつ熱がこもる。言葉だけでなく、腕の中に抱いた彼の身体も熱くなっていくように、ヨナには感じられた。
「僕は人になって、うろの中で感じた宝物みたいな寂しさを誰かと分け合う。痛みを感じて、苦しんで、もがいて、物語を生む」
 そして、そっと顔を見上げ、ヨナの瞳を優しく見すえ、言う。
「僕がヨナの退屈をまぎらわすよ。命をかけてね」
「まあ。まさか、そのために人の身を選んだとおっしゃるの」
「そうだよ。人の命は短くても、僕の生んだ物語はきっと君をあたためつづける」
 ユリィの熱がヨナの胸を射抜く。けれど、困惑は晴れなかった。
「わたしには分からない。
―――でも約束しましょう。決して目をそらさない、人になったあなたの生命を最期まで見届けましょう」
 そうすれば少しは理解できるのかもしれない。ユリィの胸に燃え盛る炎の正体を。ヨナは心の中でそうつぶやく。
「―――ありがとう」
 話を終えても、ユリィは立ち上がろうとしなかった。ヨナの膝に頭を預け、そのまままどろみそうにも見えた。
「もうおたちになるの?」
 ヨナの方から訊く。が、ユリィは赤子がむずかるように首を振った。
「ううん。どこにも行かない。人に生まれ変わるその瞬間まで、僕はヨナの傍にいる」
「まあ」
「祭典も儀式も全部サボる。もう学院生じゃないんだ。僕の勝手だよ」
「けれど、みなあなたを探すでしょう」
「そうだね。だからヨナ。僕達の姿を隠して」
 ヨナは返事をしなかった。うなずくこともなかった。
 わずかの間、ためらう。が、やがて意を決したように、腕をそっと振った。
 と、空一面が真っ白に染まる。ユリィとヨナの姿も白の世界に紛れた。
「あぁ。もっと、もっと降らせて。この停まった世界を埋め尽くすくらい、もっと」
 ユリィの呼び掛けに呼応するように、白い雪は加速し、降り積もる。
「あなたが人の身に生まれ、命を散らすその時まで、この雪は決して溶けないでしょう。わたしは誰にも邪魔されることなく、あなたを見守り続ける―――」
 宙に生まれたその言葉も、すぐに凍った大地に抱かれ、埋もれていく。

 氷の女王の居館は真っ白な世界の地下深くへと潜る。

 その所在が分かる者はもう誰もいない。

コメント(2)

タイトルだけ丸ぱくりしてますが、ギリシア古典神話文学の名著、オウィディウスの転身物語とはほとんど無関係な内容です。あしからず。

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