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chopstick undergroundコミュの映画POP評 ロスト イン トランスレーション

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きみがストレンジャーの時、街の人々は奇妙に見える


ドアーズ/ストレンジ デイズ




ニューヨークJFK発 成田新国際空港行き。

12時間のフライトと、13時間の時差をこえてたどり着くと、東京は夜の七時、八時、九時、十時…いや、あるいはもっと深い時間の東京であるにしろ、その眩いゆりかごの中は眠りを知らない。

京葉道路から首都高速七号線。
都心環状線がゆるやかな起伏を見せはじめると、夜の新宿が顔を覗かせ、慌ただしく呼吸をしている。

街は人々の群れを常に吸い込んでは吐き出して、色とりどりの電飾がアスファルトを突きやぶって隆起を続ける、猥雑で奇妙な、生きた、絵画だ。

それは視線の端から端へと流れ、消え、また立ち現れた時に、幾何学模様に何度も更新され、まるで永遠のエクスキューズみたいに、死ねない、色めいた都市の抽象。

男はタクシーのバックシートに座り、窓ガラス越しに「夜の東京」を眺めている。

男はアメリカから時差をこえて、仕事の為に今夜、ひとり来日したのだった。

ボブ ハリス。

男は70年代のハリウッドで活躍し、一世を風靡した俳優だったが、世の常、入れ代わりと新しい流行を追い求める業界のふるいに落とされ、すっかり「過去の人」と語られるようになってしまった。

今はもう華やかな映画業界は遠ざかり、50歳を過ぎたボブ ハリスが抱える孤独感とはまるで無縁に、まるですべてはなかったことにするかのように、異国の夜は騒がしい肢体を、彼の眼前でひろげている。

200万ドルの高額なギャラで、仕事の為の来日であったが、彼にとってこの滞在は、決して心踊るような時間にはならないことを彼自身が予感している。

いつしか彼の髪、手足、靴のソールにまでゆっくりと憂鬱な孤独が影を落として、それは彼の所有物として、心に深い年輪のように、消えがたい、皺を刻んだ。

その男、ボブ ハリスの憂鬱は、金で癒えるたぐいのものではなく、彼自身だけが理解している、人に伝えることがとても難しい、繊細で困難な、問題の発露であった。

タクシーは西新宿、パークハイアットホテルを目指してネオンサインの洪水を泳いで行く。

そのサイケデリックな電飾の波を、ひとつひとつ手に掬って、確かめるように凝視しながら、ボブ ハリスは彼が広告を務める予定のサントリーウィスキー響の看板を見つける。

「古い友に逢うように」ライトアップされたひときわ大きな看板にはそんなありふれたキャッチコピーが添えられている。彼の微笑する横顔とウィスキーグラスのモノクローム。

異国の夜に体験する夢のような既視感を覚えて、彼はモノクロームの横顔の自分を、流れては消えていくネオンサインの夜を、タクシーのバックシートから眩しそうに見つめている。




ソフィア コッポラ/ロスト イン トランスレーション


映画史にこれからも残り、また輝き続けるであろうあの名作、ゴッドファーザーシリーズの監督でおなじみ、フランシス フォード コッポラ。その才気溢れる血を受け継いだ、娘であるソフィア コッポラによる脚本監督作品 lost in translation
低予算で作られた作品ながら、当時のアカデミー賞四部門にノミネートされて、脚本賞を本作が受賞。

主人公ボブ ハリスを演じるのはビル マーレイ。ヒロインのシャーロットにはスカーレット ヨハンソン。

家族にも仕事にも、ある程度恵まれながらもミドルエイジクライシスを感じている落ち目の俳優と、人生や結婚に意義を見出せず、自己不全感を抱える若妻シャーロットの、異国の地東京で出会ったふたりのアメリカ人が繰り広げる、小さな冒険の物語。そしてほんの一瞬間の、孤独な魂の束の間の邂逅。

私たちの国日本、首都東京を外部の視点から捉えていて、それはある種デフォルメ、湾曲とも受け取れる。
私たち日本人、つまり内部の観点からは、異質な東京として映るかもしれないが、わたしはこの「外部の視点」こそ物作りの最も重要な着眼ほかならないと思っている。
おなじように外部からの視点で東京の夜を見事にとらえた映画作品でアッバス キアロスタミの「ライク サムワン イン ラブ」があるが、わたしはソフィア コッポラの撮った東京の夜が好きだ。

猥雑で白々しく、無関心だが騒々しい都市と人々。それは資本主義のモニュメントであり、人工的な美しさを集積した、歴史の最終形態として進化を遂げる、まばゆい光りを放つ夜の姿だ。

冒頭で引用したドアーズのストレンジ デイズは、外部の視点についての曲であると言っても過言ではないと思う。
そして外部である、異物である、という感覚は、事物の本質を暴き出す、装置的な役割りを担う感性であると信じている。

この映画をラブストーリーと受け取るか、ヒューマンドラマと観るかは個人の感性で分かれそうだけど、ラストシーンは何度観てもグッと胸にくるものがある。
そして下着にTシャツ姿のスカーレット ヨハンソンは、何度観ても「萌え」の二文字が胸にせまりくる。


lost in translation

このタイトルを、日本語に置き換えるのは難しい。
翻訳に困る、通訳が困難、などが直訳としては適当らしい。

言葉も文化も違う異国の地で、コミュニケーションのもどかしさを感じるふたりのアメリカ人。
そのふたりが所有している個別の憂鬱、個人的な孤独感。それは例え家族、友人、大切なひとであろうとも、言葉にして伝えることはとても難しい。言葉に翻訳する過程で、多くの意味は失われ、消えさっていってしまう。
だがわたしたちは言葉を用いて、語ることでしか、言葉には、意味には、近づけない。

lost in translation
あの気持ちの良いラストシーンを見ていると、東京の雑踏の中から、そんなささやきが聞こえる気がする。




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