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FCYCLEコミュの北海道Tour22

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 2022年、何とか再開できた北海道ツーリングの記録です。


1 2022/8/10(水) 中標津空港→開陽
2 8/11(木) 民宿地平線の根釧台地ベスト202km
3 8/12(金) 開陽→札友内
4 8/13(土) 札友内→勝山
5 8/14(日) 勝山→かなやま湖
6 8/15(月) かなやま湖→大村
7 8/16(火) 大村→仁宇布
8 8/17(水) 仁宇布→中川
9 8/18(木) 中川→浜鬼志別
10 8/19(金) 浜鬼志別→仁宇布
11 8/20(土) 仁宇布→大村
12 8/21(日) 大村→旭川空港

コメント(55)

 いつものように、陽差しが出始めると途端に面白いほど一気に辺りの気温が上がる。毎度の事ではあるものの、嘘だろと思うぐらい暑くなるのだ。昔から晴れた日がこんなに暑かったかなとも思う。晴れた日の素晴らしい風景は忘れられないし写真でも見ているのに、暑さの感覚そのものの記憶は全く残っていないのだ。しかし、汗が頭からだらだら垂れて目に入ったのは憶えているし、いつも宿に着いて風呂に入る前、身体と服が汗でベトベトの不快さも身体が憶えている。ということは、昔から今と同じように暑かったのだ。そういえば子供の頃、エアコンが着いていなかった家で、夏に暑かった記憶は全く残っていないのに、例えば台風直撃時、エアコン無しで窓という窓を閉め切っていた家の中が不快そのものだったことは鮮明に覚えている。台風が通り過ぎるまで、一家でじたばたせずに汗水流しつつひたすらじっと耐えていたこと、その耐えがたい時間の長かったこと。今、同じ家にはエアコンが着いている。長年使っていた1台目を昨年やっと替え、2台目はタイマー動作どころかスマホで外から監視操作できる。こういう未来を昔は期待すらできなかったし、今の便利さ快適さの関係が逆じゃないことを感謝せねば。風景に見入りつつも、暑いので妄想は止めどない。

 12:25、養老牛ながかわ商店着。この場所毎度のイベントで、自販機で缶コーヒーとする。
 まもなく、俣落辺りから抜きつ抜かれつ(というより抜かれた後お休み中にこちらが通過してゆく)だった自転車の2人組のうち、お一方がやって来た。ご挨拶して少しお話しする。中標津の会社員の方で、屈斜路湖岸の古丹でキャンプして1泊して帰ってくるとのこと。
 ちょうど一通りお話しが一段落したところで、もうお一方が旭新養老牛方面の彼方に現れた。頃合い良く、お先に出発させていただくことにした。

 その先、空はますます晴れ、気温はどんどん上がっていった。昨日眺めつつも通過していた上虹別までの牧草地展望ポイントや武佐岳登山口、中標津・標茶町界などで、各駅停車のようにことごとく立ち止まってゆく。
 ふと時刻を見ると、まだ出発したばかりなのにもう13時ではないか。そりゃそうだ、出発が10時半だったからな。イレギュラーな時間感覚はそもそもこの辺でこの時間に走ったことがあまり記憶に無いからかもしれない。それは、今までにあまり無かったお天気のパターンをそのまま反映しているのだと改めて気が付いた。
 虹別では、昨日の国道243合流点の手前から国道243の萩野へショートカットする農道へ。萩野まで丘一つを、国道243を通らなくてもいいこの道も久しぶりになってしまっている。近年、毎回開陽から札友内に向かってはいても、直接道道885から弟子屈方面へ向かうことが無かったからだ。
 短い区間でもあるし、前回通ったのはもういつだか忘れているし思い出す気にならない。開けた平地っぽい風景の印象とは裏腹に、登り総量は国道243経由とあまり変わらないこと、萩野近くでは森から熊が出そうな怖い雰囲気が漂うことは憶えていた。登り総量についてはあまり変わらないではなく、ほとんど変わらない事が今回よくわかった。そして熊が出そうな怖い雰囲気は、相変わらずだった。2つ着けている熊除け鈴だけが(心の)頼りである。

 萩野からはしばし国道243へ。通ってみれば、車は大変意外にも多くない、いや、少ない。思えばまだ8月12日。今年のお盆期間には入っていないし、今日はそもそも平日なのだ。
 まあそれでも路上は暑い。登りたったの50mで、汗がだらだら出てくるぐらいに暑い。暑いときに思考が逃げる先は、過去の記憶だ。ここは北海道初自転車の86年以来、根釧台地から出るときの道の印象が強い。あの時は暑かった。稜線付近に立っている電波塔も印象的であり、汗だくだったその時の不快さを思い出させてくれる。その時は養老牛のながかわ商店で、別海牛乳の三角パックを買ったんだったな。
 しばらくこの道を通らなかった時期もあったが、根釧台地を202kmコースで訪問するようになって以来開陽→札友内のパターンが崩しにくくなっているため、国道ながら他にあまり選択肢が無いこの道を通る機会がまた増えているのだった。
 スノーシェッドを抜けると仁田の牧草地だ。カーブした道が下ってゆく先、牧草地と樹海が続いてゆく摩周の山裾が彼方に拡がっているのが圧巻だ。たった50mの登りなのに。こういう展開を見ると、国道243もなかなか悪くないと思う。いや、屈斜路湖岸、美幌峠、美幌側白樺並木ののんびりした風景など、見所が多い道だと思う。とはいえ、2014年から弟子屈へ降りる経路としては、国道243ではなく予め仁田農免農道を選んでいる。
 仁田の分岐から仁田農免農道へ。牧場が数軒並ぶ仁田の集落へは下りが続く。牧草地から山裾の森へ直滑降、飛び込んでいくような感覚の道だ。もともと曇りでも開放感抜群なのが、晴れているとこの道は更に素晴らしい。今日ほど仁田で晴れているのは初めてかもしれない。特に近年、晴れの日でも開陽から根釧台地へ寄り道している間に雲が出てきて、ここまで来ると曇り始めていることが多いように思う。

 集落、畑から森、そしてまた畑へ。今日はそれにしても暑い。とにかく暑い。途中のちょっとした木陰がとにかく有り難い。
 距離が結構あるのに、弟子屈まで100mも下らないんだよな、と思っていると、確かに下りだと思って通っていた区間の大部分が、下っているのか何なのかわからないぐらいのかなり緩い下りであり、あまり実際に下っていないことがよく理解できた。いつも下りで通っているせいで、あまり下り量を意識していないのかもしれない

 最後は段丘部の森から、放り出されるように国道243へ。14:30、弟子屈着。またセイコーマートで何か喰ってくか。
 と思っていると、下った交差点の向こう側に蕎麦屋「福住」が見えた。福住はロードサイドのチェーン店、時々国道や道道で見かけている。しかしどこに福住があるということを憶えているほど存在している訳じゃなく、蕎麦を食べたいなどと思って都合良く道沿いに福住があるとか無いとか、そういう頻度で店を見かける訳でもない。店を見かけても、そういう時間じゃなかったり時間が無かったり、毎回その程度の出会いでしかない(でもよく考えたら、数年前中標津で1度寄っているかもしれない)。目の前に福住があり腹が減っていて時間もある今がチャンスだ。
 店に自転車を立てかけ、汗だくで店内へ。店内には冷房は無く、何とか辛うじて扇風機は動いていた。それでも今のところは直射日光を避けられるのと、冷たい氷入りのお茶が嬉しく有り難い。蕎麦はもちろん天ざるである。

 15:06、いつものセイコーマートへ。毎年お会いする店員さんに、今年もお会いできた。今年もというより去年は北海道に来れなかったので、2年振りの再会だった。
 店の前でアイスを食べたり缶コーヒーを飲んでいると、雲一つ無くなった空から、真上ではなく斜め上、というより正面に近い感覚の角度で直射日光が照りつけていて、熱い。どうしようか、これちょっとおかしいんじゃないかと思うぐらい熱い。熱いというより鋭く刺されるような厳しい光である。あまりうだうだせず、食べるものを食べたらすぐ出発することにした。

 厳しい陽差しは美羅尾から摩周湖外輪山の裾でも続いていた。空は晴れ渡り、札友内の国道243との合流点辺りで大変眺めが良い。弟子屈の市街が曇りでもこの辺で晴れる傾向はあるが、今日は特に陽差しが強く手前の牧草地、摩周湖の外輪山裾の眺めが鮮やかだ。

 15:40、鱒や着。お風呂に入れていただいて汗を流し一息付き、やっとこちらの世界に戻って来れたような気がした。晴れた後は暑かった1日だった。

 明日の天気予報は行程の全域で晴れか曇り。午前中、弟子屈は晴れるらしいので久々に津別峠で晴れるかもしれない。これはかなり嬉しい。一方、お昼から午後津別町と北見市は曇り、それ以外は薄曇り〜晴れ。最高気温は12時で25℃。15時で27℃なようだが、これならチミケップ湖訪問パートで暑くならずに大変都合がいい。欲を言えばチミケップ湖でだけ晴れてくれれば良いのだが、それはあまりに都合良過ぎというものだろう。
 問題は明後日だ。確実に雨が降りそうなのだ。発生したばかりの台風8号のせいで明日本州が大荒れになり、そしてそれが明後日北海道にやって来るのだ。勝山から芽登への道道55は久しぶりで楽しみだったし、いろいろと仕込みのあるコースでもあったのだが、もう有り難く休息日として楽しんでしまうという選択しか無いだろうな。
 既に、中止となった場合の輪行パターンは毎日準備してある。明後日の場合、勝山から南富良野への輪行は難度が高いと思っていた。どう行くのかわからなかったからだ。置戸から十勝へ向かう池北線は廃止されて久しいし、十勝から南富良野へは根室本線が運休になってからやはり数年経っている。旭川経由だと、早朝出発で何とか時間の辻褄が合えばいいなと思っていたら、NAVITIME検索ではあっさり池北線代行バスで置戸から池田、その次は根室本線で新得からは代行バスが出てきて驚かされたのであった。

■■■2022/11/12
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
北海道Tour22#4 2022/8/13(土) 札友内→常元

 4時。もう朝か、と思いながら起床。起きると身体も気持ちもしゃきっとするのは大変良い傾向だ。
 裏手の森で葉っぱに水滴のような音がしている。しかしそれが雨な訳が無いと思っていた。天気予報は曇りか晴れ、終日降水量0mmのみならず降水確率0%。すっかり津別峠に向かう気になれている。
 しかし、天気が悪い場合は不可抗力とし、今日の行程が津別峠経由じゃなくて美幌峠経由になるのは仕方無い、という気もしている。過去にそういうことはあった。もっと言えば、走らずに列車で輪行という選択肢もある。その場合も弟子屈に6時過ぎに着いて輪行を始める必要はある。どれも現地次第の定めとして悪あがきせず受け入れるべきだが、どの選択肢も出発する必要はある。などと思いながら出発に向け黙々着々と準備を進め、5時に屋外に出ることができた。順調だ。
 果たして宿の外は全く雨が降っていない。水滴の音は相変わらず続いている。それは森の葉っぱに着いた夜露が落ちる音のようだった。何の音でもいい、雨が降っていなくて熊が出なければ。全く問題無く、津別峠確定だ。
 自転車に荷物を積み、身体に日焼け止めを塗ったくり、更にムシペールを速攻で塗らねば。釧路川岸の森の中だけあり、油断すると蚊に刺されるのだ。速攻でムシペールを塗ったつもりが、脛辺りが痒いということは、早くもやられてしまったようだった。

 5:25、鱒や発。
 札友内の牧草地には、視界100mぐらいのけっこうな濃霧が漂っている。景色は全く見えない。牧草地のはずだったのが、いつの間にか釧路川沿いの森に入っているようだった。この辺り、何故か調子が乗って以前30km/hぐらいで常に走れたような気がする。今のところ25km/hぐらいで推移しているので、以前よりペースが落ちているのだろう。歳だなとは思うが、でも歳なのも意外に悪くないというのは本当の話だ。それに歳は不可抗力で誰にもやって来る。
 屈斜路の湖岸縁を乗りこえ、屈斜路湖湖岸区間へ。霧が濃く景色の雰囲気はややどんより気味だし、そもそも道の行く手からして遠くまで見えない。にも拘わらず独特ののんびりした雰囲気が、国道243の路上空間には感じられる。早朝で車がいないからというだけじゃない。国道としては落ち着ける良い道だと思う。しかし、美幌峠の国道243より津別峠・上里の道道588の方が、やはり圧倒的に静かで私的には好ましいとも思う。すみません気が多くて。いつか罰が当たるね。
 6:10、ウランコシ着。
 道道588分岐に近づくと、車がどどっと数台降りてきた。驚いた。この早朝に、あの静かな国道545から車が続けて数台も。過去の訪問ではあり得ないことだ。でも理由は想像できる。おそらく、近年有名になっている津別峠展望台の雲海を見に来たのだろう。あれだけ車が続けて降りてきたら、森の熊は奥に引っ込んでくれるかもしれない。そういう点では有り難く心強い。

 気温が低いせいか、道道588の直登区間でもその先森に入るまでも記憶より短く感じられた。森までは頭上が開けているので、この区間で陽差しが出ていないと随分楽なのかもしれない。それでも斜度は8%ぐらい。森に入る頃には既に汗だらだらになっていた。
 森に入っても斜度は厳しい。でも、ギヤを下げて落ちついて登ればいつもの坂であり、こちらが汗だらだらでも森の中のひんやりした空気は記憶通りだ。
 しばらく8〜9%で安定していた登り斜度は、少し登ると沢渡り部分や交換部で緩くなり、緩急が付き始める。これが気持ち上だいぶ助かる。そして標高が400mを越えると、森が開け始め、森の中から俄然涼しい風が通るようになる。道が貼り付く斜面の傾斜がより険しくなるため、木々がまばらになるせいだろうと思われる。この涼しい風も、毎回身体を随分楽にしてくれる。以前はこの辺から斜度が緩くなるように思っていたが、最近はもう斜度が少しも変わっていないことをプロフィールマップで見て知っている。まあ、全体的に地道にこつこつ登っていると、人生報われるものなのだ。いやいやいや、登れば登るほど厳しく際限無い峠も多いよ、等と思い直すのももう毎度の事。楽しい津別峠訪問なのだ。
 木々がまばらになった辺りから、頭上の霧が晴れてきた。そして森の中に、曇りとは明らかに違うニュアンスの明るい光が射している。天気予報通りの展開だ。こうなると晴れに向けてもう期待満々である。下の方は雲が溜まっていて何も見えない。今日の津別峠展望台は、晴れの雲海の景色を期待していいかもしれない。

 標高550m〜600mには、かつて2年ぐらい津別峠を通行止めにしていた崩落を復旧した箇所がある。斜面の木々が崩落通りに剥ぎ取られていて、つづら折れの下側の道から上側を見通せる、津別峠では珍しい場所だ。今日は全体的に見通しが良いので、上と下の位置関係がよく見える。屈斜路湖側は相変わらず霧の中だが、空には青い部分が見え始めている。登ってゆくにつれ、明らかに晴れてきているのだ。
 つづら折れで折り返した道が、山肌と峰部分を巻いてゆく。この辺で峠まで標高差100m。特に終盤は斜度が上がり、なかなか津別峠に着いてくれない。しかし今日は完全に雲の上に出たようだ。空は真っ青、陽差しは暑いものの標高が上がって暑さは全体的にだいぶ和らいでいて、緑の鮮やかさが登りを助けてくれる。森が言葉にならない何かで語りかけてくれるような気にさせられるのだ。

 8:00、津別峠着。これで今回も津別峠に来れた。水を飲んでクロワッサンをふたつ腹に押し込み、よし、そのまま行ける。必要以上に休むこと無くそのままふるさと林道区間へ。全体的に30第40台の頃よりペースは遅くなっているものの、この一連の流れが懐かしく嬉しい。

 ふるさと林道は流石の斜度10%以上、斜面を巻いてゆく登りは眺めからしてかなり厳しい。こちらもそんなことはわかっている。ここまで温存しておいたインナーローを投入、一気に脚の負担が下がるのが有り難い。
 途中までいつもより苦しくなく、淡々と登れているなと思っていた。ペースが良いのかもしれない。こりゃ久々の30分かなとも思った。しかし峰を巻いて次の直登区間で、GPSの電池が切れた。有り難く脚を停め、フロントバッグから電池ケースを出し、交換して再起動。すぐ時間が経つ。まあしかし、これが無くても35分かかっただろうな。
 何はともあれ、毎回、直前の根釧台地202kmコースで開陽台への登りを押したことへの引け目が解消される登りである。今回もここ登れたなおれは、という。これで今年後半も頑張れるのだ。

 展望台駐車場への一登り、最後の13%はやはりかなり厳しい。8:40、展望台到着。今年もここまで登れた、と脚を着いて眺める展望台は、一面の青空をバックに眩しい陽差しの中、相変わらず空に少し突き出るように建っているのであった。
 自転車は駐車場から上に上げてはいけないのは、去年と同じである。折角来たのに。従うけど4サイドならOKとかにしてくれよ、等とも思う。そして今回目新しいのは、展望台に入る扉の鍵が掛かっていることだ。開くのは9時という表示もある。年々何かと決まり事が厳しくなっているのは、津別峠が雲海で賑わっていることの証しかもしれない。かならず何かをしでかす輩がいるんだろう。
 9時まで20分。待とうかどうしようか。ガスで何も見えない年など、15分ぐらいで撤収してしまうのだ。まあしかし、時間はどうあれやれることから始めておこう。とりあえず展望台下の広場で、雲に埋め尽くされた屈斜路湖側の写真を撮りはじめた。ここ数年、屈斜路湖側は毎回視界20〜数10m程度だったのが、今年は随分落ち込んだところから雲海になっている。雲海の向こうに西別岳か何かが頭を出しているのが大変嬉しい。
 そのうち管理係さんらしき人が中から鍵を開けたり閉めたりし始めた。時間を見るとあっという間に10分経っていてもう8:50。9時まで待つことにした。

 展望台の一番上に登っても、屈斜路湖が雲で埋め尽くされていることには変わり無い。しかし、やはりその眺めは格別だ。
 まずは東側。本来屈斜路湖が拡がっているはずの眼下には、雲がたぷたぷ溜まっている。その向こうには、屈斜路湖外周の山々が頭だけ出している。更にその先、知床方面の山々がひときわ高く、奥へと続いている。野上峠を越えた斜里方面は晴れ渡っていて、平野部がよく見える。反対の西側は全く雲が無いので、外輪山に囲まれた真っ青な屈斜路湖の眺めを知る者としては、眼前の風景に雲が無い屈斜路湖を想像してしまう。しかし今の雲海も、これはこれで2022年の津別峠展望台と屈斜路湖そのものなのだ。
 一方、南側から西、北側へぐるっと見渡す阿寒方面や津別方面にはほとんど雲が無い。雄阿寒や雌阿寒の起伏や岩肌がくっきりと、のみならず大雪がシルエットだけじゃなくうっすらディティールまで見えるのはこれまでの訪問中初めてじゃないかと思う。以前津別峠展望台から初めて大雪を意識したのはいつだったか、もうすっかり忘れてしまっている(2010年だった)。雨で訪問を断念したり崩落で道道588が通行止めだったり、来れてもガスで景色が全く見れなかったり。思えばこの眺めに再び会えた今日まで長い年月だった。つい雲海に歓声を上げているて廻りの方に話しかけてしまう。
 できればずっと眺めていたい風景だ。でも、2〜3分も眺めていればあとは同じ、再び眺められたことそのものに大変満足できている。ここまでやってきてこの風景に会えた、それでいい。もう次の場所に向かうのには悔いは無い。そういう一連の、毎度の流れ全部を自分がまた今年も味わえたことに、もう感謝しかない。

 9:20、展望台発。この山深い場所から1時間後にはもう津別の町中に降りてしまっているのだ。毎回信じられないことではあるものの、それをやっている。
 さっき登ってきたばかりのふるさと林道区間をあっと言う間に道道588分岐へ。その後は山肌を巻いて高度を下げてゆく。見渡す山々は降りてゆくとともに近くの山肌になり、廻りの木々が密になって周囲の眺めが無くなった。そして谷間正面に見上げていた稜線部も谷間区間では見えなくなって、くねくねと急降下してゆく。

 山腹の森から上里に谷間に下りきって峠区間が終了。道道588は引き続き谷間のカラマツの森を下り始める。やはり山肌区間から降りてきて暑くはあるが、いつもほど暑くなっていないように思われる。いや、これが津別まで面白いように暑くなるんだよなと警戒し、上里で農家が現れた辺りからもあまり脚を回してペースを上げること無く、とにかく楽に下るままに下ってゆく。
 しかし、谷間一面に畑が拡がる美都を過ぎ、更に下って津別の営みが行く手に伺えるようになってきた豊永辺りでも、警戒しているほどには暑くなっていない。この晴れにしては。というより、これは天気予報通りの状態、最高気温27℃という状態そのものであるように思える。
 10:20、津別セイコーマート着。津別峠でも展望台でも食べているので、まだ腹は減ってない。とりあえずアイスに缶コーヒーで身体を冷やし、食糧のパンは不足しないように仕入れておく。
 空に雲が増えてきているものの、日向側の店の軒先から影になっている裏手へ避難が必要な程、暑い。やはり津別は暑いのだ。でも、過去の津別での暑さでは全然ましな方だ。走るのに全く問題無い。
 行けるかどうか心配だったチミケップ湖、これなら行けるんじゃあないのか。じゃ行こう。

 10:55、津別発。国道241で本岐へ8km。津別で増え始めていた雲は休憩中に増え、空は薄曇りからもう少し厚め低めの雲に覆われるようになっていた。チミケップ湖もこんな感じかもしれない。まあしかし、このまま行ってみましょう。
 風が無いのは大変有り難い。車が埃っぽいのが難儀する程度で、それは国道でいつものこと。今回はむしろ意外に少ない等と思うぐらいである。それでも、途中埃が目に入ってちょっと苦しんだ。
 谷間左の山が意外に早く近づいてきた。8km、意外にあっという間だな等と思っていたら、道が山にぶつかってからが本岐まで意外に長いのであった。8kmは8kmである。

 本岐で道道494へ。「訓子府方面通行止め」との看板が建っている。今年もチミケップ湖から先は道道682で最上・道道27経由なのか。まあ、現地でもう一度確認する必要があるな。
 狭い谷間の森と茂みに埋もれるように、畑や牧草地が断続する。交通量、道幅とも、やはり気持ちがほどけるように落ちつく道だ。天気は相変わらず薄曇りであるものの、薄日が出たと思っていたら陽差しが差しはじめまた雲に隠れ、その陽差しの時間がどんどん増えている。
 今日は津別峠の登りで涼しく展望台で晴れ、いつも暑い津別市街では薄曇り、そしてチミケップ湖へ向かうこの道で晴れつつある。横風気味の向かい風が多少強くなり始めてはいるが、かなり都合のいい、いや、虫が良い程の展開と言える。
 陽差しが出てくると例によって笑っちゃう程急速に気温が上がるのだが、耐えられなくなる前に路上に涼しい木陰が現れるのが、道道494の決定的に良いところだ。川が近いのも、木陰の涼しさに一役買っているかも知れない。
 途中で雲の多くはどこかに行ってしまった。天気は完全に晴れ基調である。当然日なたは段違いに暑い。

 ダート区間に入ると、辺りはぐっと涼しくなった。本岐からここまでずっと、ひょっとして2010年以来の青空チミケップ湖に会えるのではないかと思いながら進んできた。それがいよいよ現実になりそうだ。これだけ晴れるのは、熱中症になってしまった2010年以来である。あの時はこの坂を登れなかったんだよな、と鹿鳴の滝手前の坂で思い出す。今日は全然余裕だ。まあインナー併用ではある。

 12:35、チミケップ湖着。どう見ても木々の向こうに青空が見える。何度来ても会うことができなかった風景が、今目の前にある。晴れるとなればあきれるほどあっけらかんと、当たり前のように穏やかな天気だ。風も無いし、暑すぎるということも不穏な雲がどこかに盛り上がっているということもない。
 道道682合流点の、いつも自転車を立てる場所には車が停まっていた。毎度の自転車撮影ポイントを前にやや残念だが、まあいい。この先のキャンプ場まで、いくらでも撮影ポイントはある。それより、木々の間から見える湖岸が本当に青い。青空を映しているのだ。今日は札友内からここまでやってきて、それなりに晴れが続いていて、それなりに暑い。だから今急に晴れた訳じゃなくて、朝から続いている当たり前の天気であるということに何の不思議も無い。しかし激晴れだった2010年以来、チミケップ湖に来る度に曇りか雨ばかり。今だから言ってしまえば、前回など曇りから現れた青空に大喜びしていたのに。こんな文句の無い晴天のチミケップ湖に会える日が、遂にやって来たのだ。
 湖岸の道はいつも通りの極上ダートだ。それに加えて今日は、明るい木漏れ日きらきらに、森の向こうの青い湖面ちらちらで、風景が絶好調である。車は多少増えたような気はする。でも、決して多くはない。熊出没の看板が立っているので、むしろ車の通行は安心できるというものだ。
 まだお昼過ぎ、時間の心配は全く無い。安心感と満足しか無い。天国でダートをサイクリングする機会があれば、こんな感じの道なのかなとも思わせられる。
 チミケップホテルの前を通過して更に奥のキャンプ場へ進んでゆく。いつも静かに鳴いているチッチゼミは、何故か今回声を聞くことができなかった。ここ以外で聞いた記憶があまり無いし、あれはピンポイントの季節のものなのかもしれない。

 12:45、キャンプ場着。
 道道494の訓子府方面分岐には、相変わらず通行止めの看板が立っていた。ここまでの標識通り、そしてここ何年かと同じ。この後は最上まで道道692・開成橋まで道道27経由、その後は北見盆地経由決定だ。
 まあ、それは想定内ではある。それにしても「工事中のため通行止め」ではなく、「土砂崩落の危険のため通行止め」という看板を見ると、道道494訓子府方面はあまり積極的に通行止を解除しないような気もする。何年か前までチミケップ湖から出て行くのに好んで使っていた静かな良い道なので、やや残念な気がする。
 等と思うのは一瞬。何はともあれ、キャンプ場から湖岸へ、青空の下眩しいくらいの草地に脚を進めてゆく。今日のキャンプ場はテントが多い。やはり過去の訪問で一番多いんじゃないかと思う。幸い、いつもの木陰ポジションには誰もいない。木陰の対角線反対にキャンプ客のご家族連れがシートを敷いていらっしゃるものの、この際私的指定席に自転車を置かせていただく。

 晴れ、青空、夏の陽差し。打ち寄せる波は微風に吹かれて少しづつ変わってゆくようで、揺れる湖面の波は時々大きくなってまた静かになる。その間、大きなルリボシヤンマが空を悠然と、しかし素速く飛び回っている。羽音が時々ばちっと元気が良い。
 2010年以来12年振り、快晴のチミケップ湖だ。12年間、今日まで北海道に来れている事がとても嬉しく有り難い。そして来ることができていれば、こんな年もいつかは来るのだ、とまた思った。
 青い湖面に緑の草地の中で、心ゆくまで写真を撮って補給食などをのんびり食べ、気が付いたら1時間ぐらい経ちつつある。ずっとここにいれるならいたいけど、今日は札友内からやって来てこのあと置戸まで行く、というのが自分の旅なのである。この先も別の場所で新しい景色を楽しんで、また何時の日か再訪すればいい。こんな素敵な風景に会えた今回の旅、チミケップ湖の神様に感謝して先に進もう、という気になれた。
 それにしても、さっき津別峠展望台でもちょっと思ったのは、お正月の気象神社の晴れお守りがかなり効いているんじゃあないかということだ。長年道東を訪問する度曇りや雨が続いたのに、今日はあまりに展開が都合良すぎる。

 キャンプ場で水を満タンにいただき、13:35、キャンプ場発。
 道道682で最上の道道27までダートが6km。森の中には明るい木漏れ日が差していて、日なたの陽差しは結構鋭い。しかし森全体が涼しいので、1回半?ぐらいの丘越えを落ちついてのんびりゆっくり、それなりに時間は掛かるものの淡々とこなしてゆく。
 ところで、等ともったい付けるぐらいに、木々の間からちらちら見えるその気配から目を背けていた。これから向かう北見方面、いや、置戸方面の空が曇り始め、いつの間にかどんより真っ暗になっているのだ。雲の真下はどう見てもただごとでは済んでいなさそうだ。しかしあえて、今のところはあまり深刻に考えないことにしておく。考えたって雲が消えるわけじゃないしエスケープルートがある訳じゃないし、考えなかったら必ず雨に見舞われる訳でもない。気を揉むだけ無駄なことだ。
 ダートを抜け、更に下って14:20、最上で道道27に合流。開成峠はたったの登り80m。それでも登っている間はひたすら暑く、汗がだらだら出てきた。この間、空は雲っぽいものの意外に明るく、もう少し涼しくなって欲しいと心から思った程だった。
 開成峠を越えると、今まで山影で見えなかった行く手の空が真っ黒になっていることを知った。頭上はそれでも明るい。などと思っていると大粒の雨が落ちてきて、やべっと思ったところですぐ止んだ。その後も空気中に大粒の水滴が舞ってはいたものの、それが雨には至らない位で推移し続けた。助かったのかもしれない。ただ、暗い空に向かって下り続ける間、路面は黒々ぬらぬらとものすごく濡れていた。所々の水たまりもかなり大きい。明らかにたった今、ゲリラ豪雨が通過した後なのだ。そして黒雲は向かって右側へ去りつつある。西から東に通過していったのだ。

 14:45、開成橋着。チミケップ湖を13時半に出ても、やはりここまで1時間以上掛かるのだ。憶えておかねば。
 道道27が開成橋で置戸川を渡る手前で、分岐する道道50へ。道道50は、置戸へと続く北見盆地南側段丘裾、外周部担当の道道である。この後置戸まで、極力田舎っぽい静かな道を意図してGPSトラックを描いている。その狙い通りに交通量はぐっと少ない。例年北見から留辺蘂へ向かうのに通らざるを得ない、ここから山一つ北の谷間を通っている国道35で、交通量にげんなりさせられることを思い出す。道は玉ねぎ、じゃがいも、とうきび等々、野菜畑の中に続く。八百屋やスーパーなどで見かける北見産の野菜達がこういう所で生産されているのだと思うと、より美味しく食べられるというものだ。こういう道なら、北見盆地も通っていて楽しいのだ。
 開成橋近くでは豪雨が通過したばかりのように辺りはぬらぬら濡れていたが、その後すぐに路面が乾き、空は一旦晴れた。その後低くもりもりと勢いのいい雲が、次から次へとどんどん頭上を通過していた。

 訓子府の手前辺りで、道が2010年に通った道であることに気が付いた。まあ計画段階でそうだとは思っていたが。通りやすそうな裏道を選ぶと、同じ道になってしまうのだ。
 空には雲が増えてきていた。開成橋からそういう雲が増えたり減ったりする間に、雲の低さは次第に低くなっていて、一喜一憂しつつも何だかやばそうだな、とは思っていた。予想通り、置戸まであと10kmを切ったところで、遂に雨雲に捕まった。大粒のものすごい雨が急に滝のように降り始め、農家の車庫に避難させていただいたりした。まあしかし、こういう時は完全に雨が上がる前に走り始めないと、完全に雨が上がるのを待っていては時間が経つばかりでもあるのだ。
 雨が弱くなって景色が澄み始めたタイミングをみて出発すると、案の上200mぐらい進んだところで雨はかなり弱くなり、残っていた最後の水滴も置戸の手前で完全に消えた。というより、置戸では路面が生乾きである。あまり降らなかったのかもしれない。そういう場所に人々が集まって住み、それが町になっているんだろう。

 16:30、置戸着。置戸コミュニティホールぽっぽは元置戸駅。池北線が廃止されて20年以上、元置戸駅と鉄道の記憶は未だに置戸という町で大切なものなのかもしれない。などと思いながら明日陸別まで乗る予定のバス停を確認し、目に入った置戸ハイヤーを明日の8時、今夜の宿の勝山温泉ゆぅゆから置戸ぽっぽまで予約しておく。勝山温泉ゆぅゆと置戸コミュニティホールぽっぽ、ネーミングに似た感性が感じられる。タクシーはOTHの前まで来てくれるとのこと、この時点ではそれがどういうことなのかよくわかっていない。有り難くお言葉にしたがうことにしておく。
 また空が暗くなり始めている。もう宿まで10km、早く宿に向かって雨から避難せねば。

 セイコーマートに寄って明日の朝食ネタを仕入れ、16:50、置戸発。町外れ、国道242拓殖橋交差点を過ぎたところで、頭上から行く手の空まで急に真っ暗になっているのに気が付いた。道端を見ると、ちょっと避難するのをためらう茂みの中に廃屋がある。しかしこれがこの先市街地で最後の軒下だな、と思ったところで、間もなく大粒の雨がぱらつき始めた。というより、100mぐらい先の空気にいつの間にか壁みたいな霞みが現れている。いや、それは大雨の壁なのだった。やべえ、すげえぞこれ、と思う間もなくそれが素速く近づき、そのまま辺りは土砂降りに包まれてしまった。この間20〜30秒。
 速攻で雨具を着込み、予定コースの農道ではなく道道1050をそのまま先に進んでしまう。豪雨の中、向こうからやって来る対向車線の車が、あっという間にできた路上の水をかき分けワイパーが水を撥ね、通り過ぎてゆく。もう笑って脚を回しているしかない。
 幸い豪雨は10分ぐらいで何とか止んでくれた。それでもまだ低い雨雲の下、薄暗い北見盆地の縁、静かな畑の中に道道88は続いていった。
 雲は厚いものの少しは明るくなって雨が止み、谷間を挟む山が近づいてきて、勝山の交差点を過ぎると辺りが急に山っぽくなった。もう少し先で道道88はおもむろに山裾を登り始め、十勝へと向かってゆくのだ。
 17:25、勝山温泉ゆぅゆ着。温浴施設であるゆぅゆには、道道1050〜88で置戸から芽登へ向かった時やその逆の時、何度か立ち寄って自販機やソフトに助けられた。その頃ゆぅゆには私が宿泊できそうな施設は無かったと記憶している。この辺りでは以前もう少し先の鹿の子温泉に泊まったり、10年ぐらい前には置戸の元冬季学生寮にも泊まった。北見地方・十勝地方の間は経路が限られてどこも距離が長い。北見側山裾の置戸、もっと言えば置戸市街よりもう少し山裾寄りのこの辺りに宿があると、計画上行程上重宝するのだ。自転車で道道88を越える場合限定の便利さではあるものの、まあしかし以前からそういうことを思っていた。
 思いがあれこれ、ここに泊まる日が来たことは大変感慨深い。明日はここを出発して十勝に向かいたかった、と思う。ただ、今回一番の長丁場が運休になりほっとしていることも確かではある。

 もともと温浴施設のゆぅゆ本棟に宿泊室は無く、ゆぅゆ敷地内にログハウスのバンガローが2棟建っている。しかし今回私が泊まるのは、OTHと名付けられた定員2人のトレーラーハウスだ。OTHとはOketoTrailerHouseの略とのこと。
 フロントで受付を済ませ、鍵を貰ってOTHへ向かうと、2.25×5mぐらいのトレーラーハウスが4棟、芝生の中に置かれていた。というより据え付けられていた。トレーラーハウスの前まで舗装通路が設けられていて、タクシーに直付けしてもらえそうだ。
 中へ入ると内装も家具も真新しく、空調はあるし水廻りはあるし自炊設備もある。ゆぅゆの温泉はもちろん利用でき、シャワールームまであるのでその気になればここだけで汗を落とすことも可能だ。来ないは有り難く温泉に行くつもりではある。つまり、室内は通常のホテルの部屋と変わらない。そして考えてみると、細長い部屋の形の外がまるっきり屋外なのは大変楽しい。ガラス戸の外にバルコニーが付いていて木製の机と椅子が置いてあるので、長居する場合はバーベキューできそうだ。
 トレーラーの外側端部にはフックと、反対側には車両ナンバープレートが付いている。また、外から見ると水廻り部分に地面からコンクリートダクトというかシャフトが立上りで付いている。これらは明らかに建築確認申請回避のテクニックだ。建築確認申請というものはそれ程までに面倒であり、建築基準法はそれ程までに厳しいのである。そして建築確認申請をしない代わりに車両ナンバープレートが付いているのだ。
 などということは今の私には全く関係無い。快適にここ勝山で一晩過ごせること、そのことがこよなく有り難い。自転車はこの際室内に入れてしまうことにした。これなら明日解体して、タクシーにOTHの前で載せるのに大変便利である。カーテンや絨毯を汚さないように注意しないと。
 夕食はゆぅゆの食堂。メニューはまあ普通ではある。しかしツーリストが栄養をたっぷり補給して「美味しかった」とつぶやくのに何の不足も無い。美味しくお腹いっぱいになって、「結局おれは夕食を食って幸せになるために日中自転車で走るのかなあ」などと思いながら部屋に戻った。

 明日も楽しく走って南富良野に向かえると、更に有り難い。しかし天気予報を確認すると、午前中置戸町と足寄町で雨、輪行で通過する池田町と帯広市は曇りなのに、自転車行程としての経路の上士幌〜新得町ではお昼頃〜午後に雨。駄目押しで南富良野町で15時以降雨。つまり自転車での行程にすると、行く先々で通過時刻で雨になる。昨日の段階よりはましになっているものの、相変わらず最悪のパターンだ。
 それでは、大手を振って休ませていただきましょう。輪行の接続も時刻も準備してある。
 明後日は、南富良野町も美瑛町も午前中晴れ後曇りのようだ。むしろ明日休んでおき、久々の北落合とベベルイ基線に万全の体制で望むことができる。残念ながら、幾寅で毎回楽しみな美味しいなんぷカレーが、Webによると休止中とのこと。久しぶりの再会は叶えられなさそうだ。

■■■2022/11/26
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
北海道Tour22#5 2022/8/14(日) 常元→東鹿越

 とりあえず4時に起き、荷物の準備(というより店開きの片付け)と朝食を始める。輪行前提だろうが二度寝前提だろうが、近年私は普段から4時起きだし、寝坊すると時間を損した気分になるのだ。
 4時半過ぎにベッド脇のカーテンを開けてみると、何と雨の天気予報とは裏腹に、夜明けの空がけっこう爽やかに晴れているではないか。しかしこちらは既に輪行する気満々だ。それに、こんなもんに惑わされ悔しがる私ではない。案の上、6時半過ぎに再び外を見ると、空はすっかり低めの雲に覆われているのであった。

 昨日予約しておいたタクシーで7:50、ぱらつき始めた雨の中を勝山温泉ゆぅゆ発。雨に濡れる道道88を眺めるにつけ、つくづく昨日タクシーを予約していて良かったと思った。
 途中セイコーマートで、道東で使用済みの地形図やこの後多分道北でも使うことは無いと思われるフリースを送り返す。あっという間に旅程も今日で5日目だ。えっ、もう5日目?と思うものの、考えてみると5日目はこれから始まるのだし、ここまで4日間、初日はほとんど走ってないから実際には走行3日終了時点、とも捉えることができる。それなら走行8日の3日終了ということになり、これなら実際の感覚に合っている。
 楽しくても楽しくなくても、休暇でも仕事の間でも時間はとにかく驚かされる程どんどん過ぎてゆく。全輪行の今日も、その時その場所に来ていることに意味があることを意識し、1日終わって悔いを残さないよう過ごしたいものだ。

 8:05、置戸コミュニティホールぽっぽ着。
 置戸でこなすべき用事をセイコーマートで終えてしまったのは手際がよかったものの、バスの出発予定時刻が9時であることを確認したら、あとはバス出発まで1時間もある。しかしぼうっと過ごせるわけじゃないのが私の貧乏性だ。荷物のバッグ入れ換えやら行動予定の確認やらやることはいろいろある。それらが全部一段落した後は、雨がぱらつく外のバス停を避け、商工会議所側の比較的狭い軒下の階段に腰掛けて待つ。某検索アプリの言うとおりに、町外れのバス停でバスを待つようなことをしないで良かったと、つくづく思った。
 意外に早く時は過ぎていった。この間、置戸コミュニティホールに去来する人は地元のおばさんと若者の2名だけ。ハエのようにうるさい自称旅人が話しかけてくるようなことが無いのが大変有り難い。

 9:00ちょうど、小雨の中北見方面からおもむろに陸別行きの北見バスがやってきて、置戸発。バスの運転手さんには自転車別料金500円、陸別までお客さん乗ってこないからどこ乗せても良いよと言われた。お言葉に甘え、後部ドア脇の座席に輪行袋とともに陣取るとする。
 置戸の町外れ、拓殖橋で昨日通った道道88から陸別方面へ分岐、拓殖橋を渡った国道242はすぐに狭い谷に入り込んでいった。結局陸別の近くまでお客さんが乗ってくることは無く、それより想像以上に国道242が静かな道で道沿いが無人なのには驚かされた。
 池北峠を越えて小利別の手前までしばらく、いや、延々と狭い谷間と茂みと森の無人地帯が続いた。というか、停留所すら無い。その間交通量は皆無に近かった。国道なのにほとんど車が来ないのは特筆に値する。国道242のこの区間は、確か1989年に通ったことがあるはずだ。その時のこの道の印象は全く残っていない。この区間の次に通った同じ国道242の置戸・留辺蘂間の丘越え(と言い切るにはややボリュームがあるアップダウン)と、その後サロマ湖までの道道をいくつか乗り継いだ距離感と美しい畑の風景、そしてその先紋別・滝上まで延々国道239・273を走ったことしか憶えていない。あの頃はオホーツク街道とか言って国道239だって喜んで通っていたし、実際今より交通量は少なかった。そしてその後留辺蘂・置戸間と池田方面・陸別間は時々通ったことはあったものの、どちらも交通量皆無ということは無かった。
 これは良い道だと思った。しかし、道端の茂みや森は道を浸食しそうに濃い。熊が怖いようにも思われる。という私の妄想を余所に、現実として無人の森を淡々とバスは通り過ぎてゆくのだった。こりゃ、池北線が無くなるわけがよくわかる。その池北線も、もう廃止されて20年近く経っている。
 小利別にはかつて夢舎という有名なとほ宿があった。私は確か3回お世話になっている。宿主さんは今頃どうされているのだろう。
 9:41、陸別着。
 かつては元池北線の北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線陸別駅が道の駅と一体となっていた。そして道の駅に「オーロラハウス」という宿泊施設が併設されている。ここには2004年に泊まったことがある。十勝方面から道東へ向かう場合の交通の要所陸別にあり、小綺麗なホテルっぽい部屋に充実した食事、近くにセイコーマートがあり、宿としての印象は大変いい。ただ、自転車置場として指定された場所が、ツーリング用の愛車を置くのにはあまりにも陸別駅用通学自転車置場然としていたので、一度組み立てた自転車を再び輪行袋に詰めて一晩部屋置きしたことを憶えている。そんな事を思い出しつつ施設を外から眺めていた。自転車置場はその時と変わっていなかった。
 1989年に池北線が第3セクター化されたふるさと銀河線が、2006年に廃止されて16年。道の駅自体は今日は結構賑わっているようだ。やはりここも置戸コミュニティセンターぽっぽと同じく、元池北線(及びふるさと銀河線)の駅だった場所が地域での人と人のつながりの場となっていてそれを大切にし、活用しているのだ。例え鉄道の乗客が少なくて採算が成り立たなくても、地域にはそういう場所が必要なんだろうな。
 などという感傷の再確認は程々にしておく。今の所、池田までがっつり2時間近くかかる次のバスに乗るまでに、セイコーマートでの物資買い出しを進める方がミッションとしてよほど重要だ。トイレも済ませておく。
 10:00、十勝バス帯広行きで陸別発。バスは十勝バスに替わって、自転車料金は不要だった。お客さんは私を含め2人。輪行袋とともに最後部座席に腰を据えた。さあ2時間、どんと来い。

 帯広行きバスは国道242を足寄、本別、バスは時々元駅っぽい停留所に寄ってゆく。その度にこのバスがふるさと銀河線代行バスだったことを思い出し、古びて黒ずみつつある停留所の建物を眺めて鉄道が無くなってからも軽く10年以上経つことを思い出す。
 陸別から国道242には急に車が増えていた。しかしその状態で、以前この道を通った時の印象に対し違和感は無い。ということは、やはり陸別で急に車が増えるんだろうな。多分津別方面の道道51が合流したり、或いは陸別の町そのもので車が増えるのかもしれない。例え陸別に家が少ないように見えても。
 お客さんは陸別以降足寄までいなかったが、足寄郊外からやっと学生さんが数名所々で乗ってきた。池田まではまだ1時間以上かかる。ふるさと銀河線・池北線も、こういう感覚だったかもしれない。両線とも乗車したことはあるものの、十勝での車窓風景以外もうすっかり忘れてしまった。

 高島から先、バスは道道237へ入り込んだ。2006年に幕別から足寄へ向かうのに、私はこの道を経由した。同じ谷間に並行する国道242の裏道的ポジションにあるこの道は、道自体は静かで落ちついたとてもいい道だという印象がある。しかしいかんせんこの道を経由するために、国道242や天下の国道36など他の交通量が多い道を通る必要があり、もっと好ましい別の谷間を通るようになっていたためその後こちらは通っていなかった。今日はバスに乗っているため、国道242で車が増えて来たら居眠りしてしまえばいい。そして道道237でのんびり静かな風景を楽しみ、旅しているという気分になってしまえばいい。自転車じゃなくてバス行程であっても。

 辺りが段々明るくなってきたと思っていたら、池田まであと20分ぐらいになって、急に雲が切れて陽差しが現れていた。途端に窓から差し込む陽差しが、暑いというより熱い。外だけじゃなく、それまで冷房がやや肌寒かったバス車内まで一気に気温が上がり、驚くほどだ。直撃しないようにしていたエアコン吹出口の羽を変えて冷風を身体に当てる。
 池田市街で根室本線を跨線橋でオーバークロスする直前、おおぞらが走り去ってゆくのが見えた。その後何だか平べったく均一に2階建てと平屋が建っている印象の町中をぐるっと回り、11:58、池田駅到着。
 次に乗るおおぞら到着まで40分。その間に池田でのミッションがある。30年以上ぶりのレストランよねくら「十勝牛ワイン浸ステーキ弁当」だ。初渡道の1983年の前からずっと池田駅の駅弁だったこの弁当をいつか食べてやろうと思っていて、確かその後学生時代の渡道で念願を果たしこの弁当を食べた記憶もある。しかし学生には旅先での1食に1200円もかける訳にいかず、かなり奮発して買ったんだよな、確か。ということを、未だに4代前のキハ82特急おおぞらっぽい列車が描かれている弁当見本の包装紙を眺めて思い出した。
 結論から言えば、今日のレストランよねくらは大変混んでいて、これから弁当を注文して完成まで1時間以上掛かるとのことだった。もう少しリサーチしておいて予約しとけば良かったな。今回は縁が無かった、ということかもしれない。そして私の池田という町への訪問頻度を鑑みると、次回のチャレンジはまた30年後なのかもしれない。そしてこれで新得まで昼食がお預けとなってしまった。

 12:39、おおぞら6で新得へ。
 乗車したのは1号車のグリーン車。普通指定席と料金は\800しか違わない。愛するJR北海道支援のためにもこれぐらいはしておかないと、根室本線が廃止になったときに後悔してしまう。等と思うぐらい、北海道の多くの主要幹線は、先行きが危ぶまれるようになってしまった。偉そうなことを言っている私も、かつては北海道ワイド周遊券を徹底的に使い倒し、特急乗車は言うに及ばず夜行列車往復まで活用して宿泊費を浮かせていた。
 などと思いつつ眺めるおおぞらの車窓風景は、驚く程勢いよくびゅんびゅん過ぎ去っていった。十勝川、帯広周辺の高架区間、現代の都市化した帯広郊外、そして芽室から先、やっと十勝は昔ながらの緑一色になった。前任者のキハ283系よりスピードダウンしているはずなのに、帯広周辺の平野部、羽帯・御影・十勝清水と次第に高度を上げてゆく登り区間で、キハ261系1000番台の走りは大変快調だ。頑張れ頑張れ特急おおぞら!しかし池田から新得までずっと雨も降らずに薄曇りなのは、やや悔しいような気はしていた。遠景の山裾辺りが、ずっと濃い雲に隠れているのが救いだった。

 13:32、薄曇りの新得着。
 ここも初渡道の1983年以来2度目・3度目の印象が強い。新得という駅は、私にとって安心して駅寝できるホームグラウンドだった。かつてD51による旧狩勝峠越えの雰囲気が色濃く残っていたこの駅は、すっかり十勝の観光地然とした雰囲気の駅舎に建て替わっている。そして夜行列車の十勝がまりもに変わり、まりもが急行から特急になって廃止され、駅近くの風呂屋は温浴施設っぽく変わっている。それでも、未だに私に取って新得の、何だか帰ってきたなという親近感、安心感は変わらない。しかし実は、ここも2015年以来7年振りの訪問になっている。これだからじじいの旅は思い出ばかりで嫌だね。等と思うのはいち旅行者の一方的な勝手である。
 次の代行バス出発まで25分。さっき池田で昼食難民になっていたので、ここで昼食にしないと今日の宿まで携行食のパンだけになってしまう。幸い懐かしい新得蕎麦の売店が開いていた。初渡道時から思い出深いかしわそばに天ぷらをトッピング、これでレストランよねくらの借りは返せた。私はステーキの代わりに駅蕎麦で十二分に満足できるのである。どうだ。
 蕎麦を食べ終わった段階で代行バスの列にはまだ誰も並んでいない。そして急行八甲田や青函連絡船の頃から、こういう列になるべく早く並ぶのが、北海道旅行の鉄則だ。有り難く乗車場所の先頭に待機し、やがておもむろにやってきたバスではトランクがOKとのことなので、自転車を載せてもらう。代行バスでこれさえできれば、正直、キハ40で新狩勝峠を乗車するよりもう全てにおいて快適だと思われる。
 まあ、久しぶりにキハ40の新狩勝峠の登りを味わってみたかった気もするものの、多分もうそれは叶わないことだろう。JR北海道は新得・富良野間の根室本線廃止にノリノリなのだ。
 13:57、新得発。代行バスは国道38を狩勝峠までストレートに登ると思いきや、途中でサホロリゾートに立ち寄っていった。ここで乗客を拾えるのも、鉄道に比べた代行バスの大きなメリットだろうな。
 記憶より拡幅区間がやや増えたような気もする国道38を、悠然と余裕綽々でバスは登っていった。途中7合目を越えた辺りから大粒の雨が降り始め、狩勝峠で一旦ほぼ上がったものの、その後幾寅まで雨は大粒の本降りだったりぱったり止んだり。下るに連れ雨が上がるという訳でもないし、黒々濡れた路面と、かなり大きな水たまりでバスが盛大に水を跳ね上げるのを眺めるにつけ、やはり今日は輪行にして正解だったと思わざるを得ない。

 15:05、幾寅着。ここで代行バスを下車する。
 今日の宿はかなやま湖。代行バス終点、東鹿越の方が幾寅より近い。しかしもし東鹿越に着いた段階で雨が降っている場合、待合室で落ちついて輪行できるとは限らないし、宿まで雨中走行になってしまう。幸い今のところは空中に水滴が舞う程度ではあるものの、もう幾寅から宿までタクシーに乗る気まんまんになってしまっている。それに幾寅で下車すれば、セイコーマートに寄って明日の朝食ネタを仕入れることもできる。
 それよりも期待通り幾寅ハイヤーで、2018年にお会いした自転車乗りの社長さんに再びお会いでき、運転をお願いすることができたのは大変嬉しいことだった。ロード・MTB乗りでかなり締まったお身体の社長さんが、夏に発生するゴマフアブのように北海道にやって来て去ってゆく内地ツーリストの私を思いだしてくださったのも、とても嬉しいことだった。

 社長さんが運転して下さるタクシーは、かなやま湖南岸の森に続く東鹿越側の町道を通り、かなやま湖畔に向かっていった。その間、一旦空はかなり暗くなり、大粒の雨が少し降り、宿到着直前に突然雲が切れて陽射しが射し始めた。安心する訳には行かない不安定な天気である。陽差しが当たった緑を眺めるにつけ、今日の行程が輪行であることが残念な気になるものの、気を許す訳には行かないのもまた確かだ。
 乗車中には、2018年以来訪れていなかった幾寅の近況をいろいろと伺うこともできた。幾寅の道の駅に道内最大のモンベルアウトレットショップができたこと、道の駅が賑わいなこと、近くにマリオットが素泊まりの宿を作ったことなど、大変興味深いお話も伺うことができた。以前幾寅で立ち寄るのを楽しみにしていたお店の近況も伺った。営業再開まではまだ時間がかかりそうだ。北海道に来ていない2年間で、私の旅先事情は激変しているのだと実感した。また、東幾寅でこの春遭遇したという熊のお話には、やはり東鹿越から自走しないで良かったとか明日は絶対北岸の道道465を通ろうと思った。

 15:20、かなやま湖ログホテルラーチ着。アプローチは道道465から少し高い場所にあるので、タクシーで少し高度を得した気になれた。まあ、これぐらい得してもどうにもならないことはよくわかっている。
 かなやま湖で泊まるのは2004年以来、18年振りだ。2004年までに確か3回訪問した時には、このログホテルラーチと同じくかなやま湖キャンプ場に面するかなやま湖保養センターに泊まった。しかし数年前からかなやま湖保養センターは供食を止め、素泊まりとお風呂だけの宿になった。そのため、今回は、同じ南富良野町の第3セクターが経営主体となっていて食事が食べられるこちらのホテルにしたのだ。
 むしろこちらが、現在のかなやま湖保養センターのあるべき姿と言えるのかもしれない。いや、私が初めてかなやま湖保養センターに泊まった1998年から、確かログホテルラーチはあったように記憶している。宿泊料が高いのと、いつ電話を掛けても満室だったのでこちらを選ばなかったのだ。まさかここに泊まる日が来るとは、などと自分が考えていることそのものが驚きだ。
 などと感慨に耽りつつ、まずは共用棟のエントランス・ロビーでチェックイン手続きである。外部はコンクリート打ち放しとなっているロビー棟の建物は、内装に木材がゴージャスに使われている。絨毯はかなり毛が長く、これもかなりゴージャスだ。
 客室は更に豪華なのである。何と人生初のメゾネット客室、ベッドはロフトのような2階にある。そういえば予約時にそんな説明文を読んだ気もしていた。その時は毎日の行程を宿で繋いでゆくのに必死で、飯が食べられればどこでもいい、何でもしますぐらいの勢いだった。そこに宿があって宿泊予約できるということがひたすら有り難く、宿泊料が1泊2万以上などということは全く気にしていなかった。
 現実の客室はメゾネットでありながら1階が普段私が泊まるホテルの2倍ぐらい広い。輪行袋も部屋置が余裕で可能である。のみならず、明日の出発に向け自転車を室内で組立させていただいた。客室での輪行、しかも2日連続。なかなか痛快だ。もちろん悦に入ってるだけじゃなく、部屋は絶対汚してはいけない。メゾネット客室に見合う品格というものが、サイクリストにも求められるのである。そして私の行動は、このホテルにとってサイクリストの品格となってゆくのだ。緊張しつつも組み立てはぱぱっと完了、あとは明日の朝まで自転車は部屋置きだ。
 広い部屋なので、当然のように部屋にユニットバスが付いている。徒歩5分の場所?(という話だったが5分よりは掛かりそうなことを私は知っている)にかなやま湖保養センターがあり、その温泉大風呂も無料で利用できるとのこと。でも、あちらには以前3度泊まったし、風呂にはキャンプ客が押し寄せるのも知っているので、こちらで大きなユニットバスで脚を伸ばしてゆっくりする。
 1階ベランダは軒下が深く、バルコニーから芝生の向こうにカラマツ林、更にその奥にはかなやま湖湖面がちらちら伺える。素晴らしいと言っていい眺めだ。キャンプ場と懐かしい保養センターもよく見える。ひんやり涼しかった、晩夏の湖畔の夜を思い出す。
 道東某湖畔、1泊3万の某ホテルに何度か泊まった身としては、1泊2万円台前半など怖くも何ともない、などと考える自分にも驚きだ。2009年以来、毎年毎年同じような場所ばかり走っているようだが、私の経験値というものも確実に上がっているのかもしれない。まあ、この充実の内容を見れば、宿泊料は高すぎるとも思わない。それに、じじいの旅なんだから。学生時代汗みどろで国道を走りながら、「歳取ったらもっと楽にリッチな旅をしよう」と思っていたじゃないか。ゴージャスで何が悪い。

 夕暮れの空は晴れから曇りへと推移していった。まだ天気は安定していない。
 18時からお願いした夕食は、確かグレードのいい方だったっけ。当然の如く美味しく量もたっぷり、全く不満が無い。特筆すべきは水の美味しさである。自慢の水のようで、南富良野・麓郷水マップなる地図もいただく事ができた。ベベルイ基線周辺も2箇所描かれていた。明日通る予定なので、久しぶりに立寄り、水を汲んで下ろうと思った。
 明日の天気予報は曇り時々晴れ。特に午前中の南富良野町は7時から晴れになっている。北落合で晴れてくれるかもしれない、などと今回の旅程中これまでの好天と、高円寺気象神社の御利益をあてにして、甘い期待を抱いておく。
 問題は美瑛から仁宇布に向かう予定の明後日だ。美瑛町と愛別町と下川町で朝のうち曇りで9時頃から雨、美深町は1日中雨。降水量はずっと2〜3mm/hである。これなら全く何の躊躇も気後れも負い目も無く輪行決定だ。明日走って明後日はまた輪行、である。

■■■2023/1/12
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
北海道Tour22#6 2022/8/15(月) 東鹿越→大村

 南富良野町の天気予報は6時まで曇り、7時から13時まで晴れ。美瑛は12時以降晴れ。南富良野町から美瑛町へ向かう今日の行程を考えると、大変申し分無い。天気予報としては。
 4時、部屋の灯りを点けて2階から下階へ降り、出発準備開始。バルコニーの外、夜明けの森は霧の中だ。明るくなり始めた景色の色合いは青っぽく暗めで、晴天という感じではない。しかし雨が降ることは無いだろう。 昨日に続きカップ麺を部屋の電気ヒーターでお湯を沸かし、飲むように身体に押し込んでゆく。部屋の入口近く、昨日輪行袋から組み立てた自転車に、もちろん荷物積載も室内で落ちついて行うことができる。2018年以来訪れていない北落合が、10kmぐらいのところにあるのだ。行かねば、天気予報を信じて。

 5:25、かなやま湖ログホテルラーチ発。
 道道465でまずは幾寅へ。湖岸の森はまだ山影の中だ。茂みと森の中の道は広く、空気はひんやりしている。出発後の軽い起伏は、1986年に初めてこの湖岸の道を走ったときから恨めしく印象的だ。ちらちら見えるかなやま湖と木漏れ日の道にテンションを上げ、湖岸は平坦だと思って調子を上げていたところに起伏が現れ、息切れしたのだった。あの頃からおれはてきめんに坂に弱いな、と思う。登ったところで森が開け、道端で湖面を眺めることができるものの、その後森の中に平坦な道が続くようになって湖面は見えなくなった。
 湖岸の森が畑に変わってもうすぐ幾寅な筈なのに、畑沿いが結構長い。静かな道をとぼとぼ流す内、早朝だから森でも畑でもとにかく熊が出るかもしれない、という気になってしまう。
 6:00、幾寅着。山間の町、幾寅に朝日が当たり始めていはいるものの、まだ陽は高くない。交差点で何の気無しに道の駅の方向を眺め、とりあえず道の駅で缶コーヒーを飲むとする。隣の敷地に、昨日幾寅ハイヤー社長さんのお話で伺ったモンベルアウトレットストアの、木造っぽい店舗を確認できた。この時間なので当然の如く、お客さんがいるはずも無く、ひっそりと静かだ。振り返ると、交差点の向こうに3階建ての建物にMarriottの文字が見えた。あれが昨日幾寅ハイヤーの社長さんに伺った素泊まりのマリオットか。場所、雰囲気は悪くない。食事さえ何とかなれば、今後頼りにできるかもしれない。以前幾寅で泊まった坂井旅館やかなやま湖のログホテルラーチとともに。通常北海道Tourで使っているオホーツク内陸経由パターンの旅程だと幾寅に泊まる機会が無いので、またその必要ができたときにでも。

 引き続き北落合へ向かう。町外れからGPSトラックに従い、畑の中の農道から、根室本線を区間廃止に追い込みつつある水害がすっかり眺めを変えてしまった空知川を渡り、幾寅川の谷間へ入り込む。道の周囲が畑から、谷間の茂みに変わり、次第にじりじりっと高度を上げ始めるものの、本格的に登り始めるのはもう少し先だ。まだ6時台、朝の森に何か潜んでいそうな先入観がある。しかし、車が時々通ってくれているのが大変心強い。中にはトラックもいる。この早朝から北落合の農作業が始まっているのだろう。尚、こちらの道は北落合から幾寅に下って行く道だが、北落合から下ってゆくもう一つの道、落合方面には、この春熊が出たという話を昨日聞いている。
 東幾寅への分岐を過ぎ、狭い谷と幾間が道寅川だけになって道は登りが続く。斜度は決して急ではないものの、例によってゆっくりのんびり焦らず進むと、やがて前方に北落合の外周森が登場。憶えている風景の順番通りだ。そしてここまで、フロントバッグに地形図をセットしてはいても、あまり地形図を見ていない。我ながら驚きだ。今回、こういうことが多いように思う。北海道に2年振りに訪れて、景色に見入って新鮮な気分が感じられているように思う。自分のことなのだが。
 6:45、北落合中央着。
 空に雲が増えてきている。空の高い部分にうっすら、しかししっかり拡がっている薄曇りだ。薄い雲ではあるものの陽差しは遮られていて、風景全体に期待したような明るさは無い。少なくともすかっと青空という感じではない。そしてこの状態が、北落合にいる間に劇的に改善するとも考えにくい。
 でも、どんより曇りでなければ上々とも言える。何しろ、4年振りにまた北落合に来れているのだ。北落合に来れていること、そのこと自体が文句無しに心から嬉しい。ならば今日の北落合を存分に眺め、そこに身を置こう。
 北落合の小中学校はもう大分前から集会所に変わっている。建物の前には屋外散水栓がある。もしかしたら水が飲めるのかもしれない。今のところはまだボトルに水がほぼ満タンなので必要無いものの、憶えておこう。
 何は無くともこのまま680m地点を目指し、畑の中淡々と脚を進めてゆく。最高地点の標高は狩勝峠より高いし、それだけに開けた畑の農道は実は結構な登りである。ゆっくり進むのと共に、デスクトップの写真で見覚えがある風景が次々と現れ、通り過ぎてゆく。いつもの感覚がとても嬉しい、またここに来れた。

 7:20、680m地点着。
 いつもはお昼のこの場所、今日はまだ7時台だ。空に薄い雲が拡がり、陽差しは出そうで出ないものの、時々薄日が出てくれている。薄曇りではあるものの、過去に朝訪れた中では一番晴れているようにも思う。上々の北落合ではないか。
 今日は美瑛まで行けばいい。美瑛発北落合経由美瑛着だと、13時過ぎに幾寅に戻りなんぷカレーを食べて輪行作業を終え、15時に東幾寅から根室本線に乗っていた。今日はこの幾寅パートが丸まる無いので、行程全体として時間の余裕がかなりある。又来れた北落合の風景を前に、しばらく写真を撮ったり補給食をぱくついたり。自転車は汚れているし身なりは汗だくでも、大変贅沢な時間をのんびり存分に過ごすことができた。この後も、久しぶりの南富良野・美瑛コースを焦らずじっくり楽しもう。

 8:35、北落合発。往路ではえっちらおっちら、景色を眺めて楽しみつつゆっくりと登ってきた農免農道北落合線を、下りで一気に、というより一瞬で通過してしまう。毎度の事ながら登り斜度が改めてよくわかるというものだ。
 北落合中央を通り過ぎて幾寅へ下ってしまう前に、これも毎度の立寄り場所へ寄っておかなければならない。9:25、北落合共和着。1998年以来訪れている私的定点撮影地がある。最初来たときには20年以上も撮り続けようなんて思っていなかったが、丘にすっくと立つポプラの佇まいに魅かれて又来たくなって訪れていただけで、こんなことになってしまった。
 丘の上のポプラは今回も立っていてくれた。毎回その姿、そして周囲の木々が少しずつ成長していたり、畑の作物ががらっと変わっていたりした。また、以前道の行く手に建っていた小屋はいつの間にか無くなり、そもそもこの道にフェンスが設けられて入ることができない年もあった。今回はフェンスの扉が開いていて、普通に入ることができ、写真を撮ることができたのは有り難いことである。

 北落合中央に戻って幾寅へ。折角なので集会所で水を汲んでいこうかとは思ったものの、まだ水はある。
 下る途中、東幾寅分岐を過ぎた辺りで気が付くと、明らかに空が少しづつ晴れ始めている。もう少し待ったら青空が晴れ渡るのかもしれない。でもまあ、帰りかけて晴れ始めるのは毎度のパターンだし、これが今回の北落合だと捉えるのが適切だろう。また来れれば来よう。来れるチャンスを自分で逃さないようにするだけのことなのだ。

 10:10、幾寅着。三の山峠へ向かう前に、もう一度道の駅に立ち寄り、自販機やら用足しやらを済ませておく。道の駅は既にかなり混雑していて、昨日幾寅ハイヤーの社長さんに伺った通り、モンベルアウトレットへもひっきりなしに車が出入りしている。盛況と言っていい。南富良野町、いろいろと勝負に出ているね。
 案の上、幾寅に寄っている間に空はかなり晴れてきた。もはや10時台、照り返しのものすごい熱さは、根釧台地辺りの暑さの比じゃない。山奥とは言え道央エリアにやって来たことを感じる。昨日もし十勝を走ったら、もっと暑かっただろうな。
 10:25、幾寅発、国道38を三の山峠へ。暑い。幾寅から三の山峠まで、登りは115m。いつもの西達布側からだと170mなので、だいぶ登り量が少なく感じられる。そもそも行程全体で、美瑛スタートに比べて南富良野スタートだと登り区間と登り総量が少ないのだ。しかしそれでも暑いものは暑い。汗をだらだらにかいて、峠近く2・3箇所のカーブがまだ峠じゃないのが大変じれったい。
 峠付近の樹海の眺めは、記憶にある状態よりだいぶ木が育って視界が狭くなってきたように思う。或いはこれが前回訪問からの4年のブランクというものかもしれない。
 などと思いつつだだっと一気に下って森の中から開けた谷間へ。谷間は開けているが、まだ道は西達布へ下り続ける。盆地の谷間は陽差しを遮るものが無い。もう路上の照り返し熱風が暑い暑い。

 11:05、西達布しらはぎ着。東山へ向かう農道に曲がったところ、かつて泊まったことがある宿の看板が掛かっていない。荒れているという雰囲気は無いものの、或いは宿を閉めているのかもしれない。
 などという感傷とは裏腹に、西達布は私的に絶景一歩手前ぐらいの風景が連続する里である。国道38から少し登ると、道の両側に緩やかに波打つ起伏のある丘が拡がり始める。畑が丘を彩り、立木と農家がその中で風景のアクセントになっている。更に周囲の山が、適度な大きさの背景になっているのだ。
 しかし今日は暑くてふらふらになりそうだ。いや、折角西達布まで来れているのだ。今日は道を急ぐ必要は無いのだ。のんびり行こう、ゆっくりでいいよゆっくり、と念仏のように唱えながら丘を登って下って、記憶通りの順番に現れる風景を眺めてゆく。いつも立ち寄る東山の自販機には、寄らずに進む。まだ水は十分にあるし、暑い代わりに風景に脚を停める言い訳には事欠かないのだ。

 一旦平沢の丘へ登ってから集落へ下り、その後は麓郷との間の丘越えへ。ここも平沢からだと麓郷からより登りがずいぶん少なく、道の角度によって路上の木陰に避難しつつ登れたりして、今日は大変助かる。
 多少雲は出てきているものの、盆地の麓郷もやはりかなり暑い。12:15、麓郷着。
 麓郷の交差点は「北の国から」に出てきたせいで、立ち寄る必要があるような気に毎回させられる。とはいえ北海道山間の鉄道に全く縁が無い場所にしては、農協があって飲食店や食料品店がいくつかある比較的大きい町であり、セイコーマートが無いこと以外の立ち寄りネタに不足は無いことも確かだ。
 などと思いつついつも立ち寄る交差点の藤崎商店へ。以前、ここで比較的安く旅先から送りやすいジャガイモやアスパラを母に送ったことがあった。今回は満を持してメロンを送ることにした。お店にその旨お願いすると、冷蔵庫から試食用タッパーが出てきて4種類から選んでくれとのこと。どれも濃厚な味で悩ましかったものの、一番メロンぽい(と思った)味のを選んだ。美味しかったのみならず、その後1時間以上メロンの香りのげっぷが出てきたのには驚いた。こんなに香りが濃いとは。さすが富良野メロンである。

 12:30、麓郷発。麓郷木材を眺めて通過し、GPS画面を眺めて気が付いた。今日は布礼別まで短いながらも裏道経由コースを組んでいるんだった。
 布礼別では、以前入ったB&B布礼別がもう営業していない様子である。麓郷には1990年泊まったことはあるものの、布礼別に泊まったことは無い。私の夏の行程だと、どうしても美瑛か幾寅辺りの宿じゃないとコース分割上使いにくいし、B&B(宿泊と朝食のみの宿)のため夕食をどうするかは問題ではあったものの、一度泊まってみたかった宿だった。
 いよいよベベルイ基線へ。布礼別から前富良野岳の裾野をベベルイ基線まで75m程直登、その後ベベルイ基線が本幸まで緩い登りとなり、本幸までは100mの登りとなる。
 この暑いのに、布礼別を出ると広々とした畑に続く道に木陰は全く無い。自分で選んだコースだから仕方無い、と思っていたら、途中の畑で写真を撮っている間に、空に流れ続ける雲の量が次第に増え、強い陽差しが雲で翳り始めていることに気が付いた。陽差しが翳り始めたお陰もあり、直登区間はえっちらおっちらではあるものの比較的楽しく登ることができた。しかしこの雲、暑さ的には大変有り難いものの、風景的にはやや残念だ。ベベルイ基線を進んだ本幸では、曇ってしまうかもしれない。
 それはそうと、畑の中道に脚を停めていると、ベベルイ基線から降りてくる妙に車が多いことに気が付いた。この車の少なかった道で、2台連なってやって来るなんて、過去にはあり得なかったことだ。しかも1回や2回じゃなく、間隔を置きながらほぼ定常的に車がやって来るのである。おそらく途中のどこかかこの道自体が、どこかで紹介されたのかもしれない。

 以前、ベベルイ基線には高いカラマツに囲まれた道だという印象があった。しかし近年、区画毎にカラマツの伐採が進み、道の両側が高いカラマツに囲まれるような区間はむしろ短くなっている。伐採が済んだ区画には、幼木が植えられている所もある。この木が又森になる頃には、私は北海道に来ることはできなくなっているのかもしれない、等と思う。歳のせいか2年振りの北海道のせいか、やや長期的な視野に立ち感傷的な気分になることが多い、今回の北海道Tourである。
 最高地点を越えると、私的名所の本幸だ。動いていた雲が濃くなったり薄くなったりして次第に空全体を覆いつつあり、薄くなってゆく最後の陽差しに最後に間に合ったところだった。
 見たかった風景は、4年振り。木々が少しづつ大きくなって、多分それ以外にもまるっきり写真と同じじゃない。その少し違う風景にこの場所でまた会えることは、とても嬉しく有り難い。いつも自転車を立てかけて停める路端の赤白標識ポールは、今回は垂直な状態で出迎えてくれた。しかしやはりというか、根元にはばきっと曲がってまた真っ直ぐに直した痕跡が見られた。次曲がったら、また立て直すのかもしれない。
 4年振りの写真を一通り撮って、次はそろそろ何か食べたくなっている。お昼なので。携帯食のパンで済まそうと思えば、十分に可能な量のパンは持ってはいる。一方この場所にも、以前から十勝岳裾側の畑にジンギスカン店がある。というより以前から目を付けていたし、今日はここに行こうかとも思っていた。もっと言えば、到着見込み時刻やその後の行程も含め、行くしかないという位に都合の良いけるという気はする。
 しかし、ジンギスカン店には車が結構頻繁に出たり入ったりしている。かれこれ20年以上前だったか、帯広市郊外のジンギスカン白樺でお昼に1時間待たされたことを、私は未だに憶えている。今日もこのくっそ暑い中、店内であまり腹を減らして待ちたくない。それにくっそ暑くて、ジンギスカンの鉄鍋を想像するとげんなりしてきた。何もジンギスカンならここで焦って食べ急ぐことも無いのだ。明日ファームイントントで、最高のジンギスカンを食べることができる。
 上富良野に降りれば何か飲食店ぐらいあるだろう、と思ってぐぐってみると、果たしてラーメン・定食の食べられそうな何でも屋があった。今日の気分としてはこちらである。
 というわけで、本幸を後に東中へ下り始める。しかし本幸にいる間に、空には更に雲が出てきていた。もはや陽差しはすっかり隠れてしまい辺りは薄暗く、風も吹き始めている。空気中に水滴が舞い始めてもおかしくなさそうな雰囲気すら漂っている。少しは気温が下がったのだけが有り難い。

 13:50、上富良野着。インターネットで食堂を捜して2軒目、町外れの何でも屋へ。
 店内に冷房は効いていなかったものの、大変有り難く醤油チャーシューメンを頂いた。腹が減っているという以上に大変美味しく、やはり上富良野に降りてきて良かったと思った。北海道の地方の町で、ラーメン屋が意外という以上に美味しいことはよくあるような気がする。美瑛に昔そういうお店があったし、最近(と言っても2016年)鶴居の奥の布伏内でとても美味しいラーメン屋に驚かされている。
 扇風機に当たってはいたものの、やはりラーメンを食べると汗だくになった。美味しくラーメンを食べ終えて店の外に出ると、雲はますます低く降りてきていて空はもはや暗くなっていた。天気予報はこの後も日中は曇りではあるものの、現実はいつ雨が降り始めても不思議は無い。明日は終日雨、それもかなりしっかりと本降りのようだ。もしかすると、明日の雨が早まっているのかもしれない。北海道の中でも暑い地方であるこの辺り、天気関係で何が起こっても不思議ではない。
 14:20、上富良野発。
 風雲急を告げるような気象条件の下、最短コースを意図し富良野線沿いのダート含みの道へ向かう。しかし最短コースを意図しても、終盤の美馬牛周辺では無駄な丘越え谷越えと屈曲が多めである。わかってはいることではあるし美瑛の丘陵では当たり前で毎度の事でもある。ただ、今にしてみれば西側谷間の地味な道に向かっても良かったかもしれないとは思う。そしてどうせ無駄に登って下ってが多いのなら、新栄の丘には立ち寄ってしまうのである。例え旭岳の裾野が丸ごと雲で隠れていても。

 憩から美瑛市街に降り、再び西側の丘に登り返して、15:50、大村「ポテトの丘」到着。
 前回2019年に泊まって以来のこの宿、ここ10年ほど美瑛での私の定宿だ。以前はYHとして営業していて、ここ3年ぐらいはYHではなくドミトリー形式のペンションということになっていたのだが、2020年以降は「コロナ禍のため」として宿として営業していなかった。今年からコテージでの宿泊が営業再開となったのを、インターネット発表前に大変運良くたまたま知ることができ、急いで予約させていただいたのだ。
 今回は今晩と5日後の夜に宿泊をお願いしている。近年の私にとって、北海道Tourの最後に便利で落ち着ける旭川空港から帰れること、その前の晩を美瑛の静かな畑で過ごせることは大変重要な要素になっている。このため、2年振りにやっと来れた北海道Tourで再びこの宿に泊まれることは大変有り難く嬉しいことである。
 本棟とオーナーさんが以前と全くお変わりないのも、大変嬉しいことだ。今回泊まる部屋は、というより建物は、コロナ渦中に滞在施設として使っていたコテージとのこと。見かけ上は完全に普通の2階建てプレハブ長屋であり、自転車ツーリストの宿としてかなり豪華である。1階は食堂とキッチンと風呂、2階が寝室。一昨日と昨日に引き続き自転車は部屋置きで、明日の移動に備えた自転車輪行解体は部屋内での作業となった。これはもう立派に今年の芸風である。各宿で事情は異なれど、2年間のコロナ禍を経た道内各宿の現状を反映した出来事、と言えるのかもしれない。少なくとも、ここ2年間宿として営業していなかったここポテトの丘は、コロナ禍の影響をもろに受けていたことは間違いない。
 夕食はポテトの丘敷地内のブランルージュへ。この店、2019年の訪問時に食事がとても美味しかった、再訪が楽しみだったお店だ。YH時代から美味しい夕食を楽しみにポテトの丘YHに泊まっていた私にとって、ポテトの丘YHのコックさんが開かれているお店で食事を頂けた、とても懐かしく美味しく嬉しい美瑛宿泊なのだった。

 天気予報で明日はかなりしっかりした雨だということはわかっていたので、美瑛ハイヤーに電話して明日9時と21日7時の予約をお願いしておいた。食後に再び天気予報を見ると、明日の天気予報が悪化していた。北海道全域で終日雨、しかも降水量は行程予定全域で終日4mm/h。朝の美瑛も2〜3mm/hの雨だ。これなら駅まで自転車に乗りたくない。タクシーを予約しておいて本当に良かった。

■■■2023/1/29
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■■■高地 大輔
北海道Tour22#7 2022/8/16(火) 大村→仁宇布

 雨だろうと何だろうと朝はやって来る。4時に起きてカップ麺2つをメインディッシュに準備のような行動を進めてゆく。しかし、外では雨が、ざーざーと音が途切れない本降りだ。つくづく昨日タクシーを予約して良かったと思う。
 6時からのニュースで、JRの運休情報を知った。何と函館本線と根室本線が運休、つまり、一昨日良い気分で乗ったおおぞらととかちが運休になっているのである。原因はもちろん台風12号崩れの大雨だ。JR北海道の2大幹線が運休になっているほど、全道は大きな影響を受けているのだ。こういう状況で、今日乗る予定の宗谷本線はどうやら問題無く動くようだ。危ねえ危ねえ。
 しかし、JR北海道のサイトで運休情報を確認する過程で、今日乗る宗谷本線も、つい最近の8月10・11日に音威子府・筬島間で運休していたことが判明した。やはり大雨による被害が原因とのことで、線路の路盤がかなり綺麗にすかっとなくなってレールと枕木が宙ぶらりんに繋がっているいる写真と、12日から復旧したという記事を読むことができた。それだけの工事をわずか2日で済ませたのだから、むしろこちらに驚くべきかもしれない。頭が下がる。一昨日の15日に利用したおおぞらも、やはり12日に大雨の影響で一部が運休していたようだ。
 という具合に、今年も首の皮一枚で私の旅は繋がっているのだ、ということを理解した。今年も、というよりこういうことは、もう夏の北海道の常識になってしまったのかもしれない。

 サイドバッグをまとめてフロントバッグを閉め、輪行袋を玄関に置いてほぼ出発準備完了。8時からブランルージュで朝食だ。例によって朝食もとても美味しい。
 今日はもう7日目。とはいえ今日を含めて旅程はあと5日。例年の10日行程と今年の11日行程の差は1日だが、その1日はかなり大きい。例年11日行程にできる訳じゃないし、今年だって11日が可能そうならそれこそ半年以上かけて着々と全力を尽くして確保している、まさに血の1日だ。その11日行程で、これから道北を回り、また4日後にここに戻って来る。それが何だか不思議で非現実的で他人事の様にすら思えるほど、落ちついて不足の無い朝食を迎えることができている。しかしやはりそれは旅での現実であり、認識が追いつかないのは歳のせいなのかもしれない。とにかく明日以降も毎日の予定を粛々と着々とこなし、それが4日続いた後再びここに戻って来る計画なのである。そして時は刻一刻と過ぎてゆく。4日後だっていつかは、というより意外とすぐやって来るのだ。
 天気予報はこのあとずっと晴れの予定だ。そんなにうまい話は無いぞとは思うものの、今年の私には気象神社が付いている。期待はできる。

 8時50分に宿の前の広場に出た。外は軽く雨がぱらついている。ぱらついてる程度とは言え空は暗く、やはりこの雨の中を美瑛まで下るという気はせず、全く何の前提条件無しに自走かタクシーか選べと言われればやはりタクシーを選ぶだろう。
 9時に予約したタクシーは8:55にやって来た。サイドバッグはトランク、輪行袋は後部座席、フロントバッグと私は助手席で、昨日来たの道を美瑛の町へ。途中では雨が強くなったりして、やはりタクシーで良かったと思えた。
 雨がぱらつく美瑛駅で約1時間、列車を待つ。朝食を済ませたばかりなのに、手持ち無沙汰になって頭に浮かぶのは早くも食欲だ。何か軽いものでいいのだが、それでも軽いものも重いものも、手に入りそうなものは駅前広場の向こう側に洋菓子兼パン屋さんぐらいしか見つからない。どうせ何も買わずに出るんだろうなと思ってお店に入ると、やはり実際に食べたいと思うようなものは無い。お店のせいにしてはいけない、おれは何がしたいんだ一体。
 という一見手持ち無沙汰な時間と無駄な抵抗も、近年は旅先ならではの贅沢で有り難くかけがえのない時間として楽しめている。そして何より、いつかの大雨の時のように、待合室の床があめでびちょびちょということが無い旅先の安全が、大変ありがたい。何と言っても、今美瑛に来ているのだ。

 9:52、美瑛発。美瑛始発の2両編成は意外な位に混んでいる。富良野線、さすがJR北海道の数少ない黒字路線だ。
 10:26、旭川着。13時半過ぎのサロベツ1まで、3時間の旭川滞在だ。とはいえ旭川は雨。どうせ開店まで並ぶ必要がある蜂屋に向かう気はしないし、雨の街を放浪して、蜂屋以外のラーメン屋を新規開拓する気も無い。駅だけで何とかする必要がある。
 まずは江丹別蕎麦で蕎麦を食べ、イオンで昼食用のデリカ弁当を仕入れてから、この際駅ナカ食堂「菜の花」でラーメンを食べておく。イオンができて、旭川駅も大分潰しが利くようになった。
 その後ホームに登り、ベンチで少し30分ほど居眠りした。寝ている間にこちらのホームには特急大雪1が到着し、アイドリングのエンジン音を賑やかに鳴り響かせていた。大雪1は、昨年生田原から乗った183系の列車だ。183系も今年いよいよ引退だそうで、500番台が華々しく北斗で登場した時の白赤オレンジ塗装を復活させた車両もあると聞いている。そして183系の後釜は、あの地上最強の狭軌車両とJR北海道が断言した283系らしい。振り子機構さえ効いて、速度制限が無ければ最強なんだがなあ。

 13:35、サロベツ1で旭川発。一昨日のおおぞらに引き続き、無印キハ261系の先頭車、キロハ261のグリーン席に乗車した。JR北海道のグリーン席は、意外にも普通指定席プラス\800で乗車できる。愛するJR北海道のためなら決して高い金額ではない。そんなこと言いつつ、自分じゃ鉄道に乗らない旅をしているのだ。それぐらい列車に乗るときにはお布施しておきたい。お布施したくても、路線が無くなってしまっては元も子も無いし、宗谷本線はいつ区間廃止されても驚かないような状況にある。
 JR北海道の事情に依らず、無印261系の走りは特急料金に値する、なかなかいい走りだ。旭川から蘭留までの平地区間でパワフルに爆走し、塩狩峠もぐいぐい快調に攻めてゆく。ややおっとり気味に塩狩を通過するのは余裕を感じさせるし、和寒への下りで再びトップスピードに上げて、から士別、名寄と走り抜けてゆく。最高110km/hと思えないいい走りである。でも最高110km/hなんだよな。
 14:50、美深着。美深はやはり小雨である。デマンドバスまで1時間、待合室は終始鉄だらけだった。夏だけの訪問客という意味で、自分も似たようなものではある。それどころか鉄道で旅していた頃は、ワイド周遊券しか使っていなかったし。グリーン車に乗ったぐらいであまり大きな事は言えない。
 小雨の駅前広場に出てみたり缶コーヒーを煽ってみたり。待合室での1時間は徒然と過ぎ、時間になったらおもむろにデマンドバス5便がやってきた。こういうバスの挙動には、いつもバスって偉いなあと思う。15:50、美深発。
 美深の平野部、谷間入口の辺渓、そしてペンケニウプ川の谷間へ。2年前に自転車で通った記憶の早送り再生に比べてしまうとバスの走りはゆっくり気味ではあるものの、自転車での下り時間の2倍、30分で仁宇布に着いてしまう。まあそんなもんなのかもしれない。
 同乗した中学生っぽい少年は、やや大きな土産物袋を抱えていた。少年は仁宇布の交差点近く、里山留学の合宿所っぽい建物で降りていった。建物の中で「ただいま〜」という元気な声が聞こえた。

 16:20ファームイントント着。
 2年振りのファームイントントである。「高地さん、去年来なかったっけ」と女将さんに言われたが、いやいや5月に電話したファームイントント、その他の宿が営業しなさそうだったのが、去年北海道へ行くのを止めた理由の一つだったのだ。
 今回の私の部屋は珍しく牧草地側だ。山々を背景にした牧草地の眺めは、道内の宿でも最高級の部類に入るのではないかと思う。この眺めが早朝から存分に楽しめる部屋を、贅沢に一人で占領してしまうのは大変申し訳無い。でも、山側だって仁宇布の白樺の森なのだ。やはりここだけの、道北ならではの森なのである。
 まずは荷物を部屋に置いてから、明日の早朝出発に向けて玄関の庇下で自転車を組立て、その後は食堂の窓側に陣取ってアイスを頂く。コロナ禍になってから、私はビールを呑まなくなっているのだ。

 夕食は18時。待ちに待ったファームイントントのジンギスカンだ。
 夕食中には宿主さんから、来年以降は若い方に後進を譲るとのお話しを伺った。遂にこの日が来たか、とは思ったものの、実は前回辺りからそういう日が来るようなニュアンスのお話しは伺ってはいたので、大きな驚きは無い。基本的には宿は閉めることは無いとのことだが、ファームイントントの大きな楽しみがお二人にお会いしてお話しできることだったので、それは大変残念だ。しかし残念がるより、むしろこの宿に泊まれる現在を大切にせねば。近年、私の旅先で、長らくお世話になってきた宿がどんどん閉まっている。これはもう仕方の無いことである。これで2023年秋の北海道Tourと、その行き先はほぼ確定した。
 もうひとつ、熊について女将さんから驚愕の事実を伺った。明日は朝から晴れの予報である。6時に朝食を頂きその後出発するとなると、西尾峠は早朝と言っていい時間の通過だし、その先下り基調とは言え、上徳志別まで無人の森林を通過することになる。キタキツネにワシにエゾシカぐらいは普通に現れるだろう。熊には出てきてほしくない。
 今年は熊どうですか、と質問したところ、
「この辺では特に変わったことは無いが全道で熊が大変多い。特に道東、別海では牛を食べる熊が出ているらしい」
とのこと。通常ヒグマは乳牛を襲うことは無い。怖ろしい話だ。肉の味を覚えた熊は、人を襲うようになっても不思議じゃないし、過去にそういう熊が起こした事件がよく知られている。石川さんが熊除けの蜂スプレーを持たせてくれた理由がやっとわかった。この話を知っていたら…それでも202kmコースには出かけたかもしれないな。そして202kmコースは今年もとても素晴らしかったし。
 更にその後、秋頃にNHK特集でこの熊がOSO18として乳牛の被害が重なっていることがわかった。かなり用心深く素速い奴のようで、年末の段階でもまだ駆除されていないらしい。

■■■2023/2/5
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■■■高地 大輔
北海道Tour22#8 2022/8/17(水) 仁宇布→中川

 4時、牧草地側の窓から眺める仁宇布の空が絶好調だ。やった、天気予報通り。このまま天気予報通りだと夕方まで1日晴れることになっていて、明日も概ね晴れの予定だ。今回はついている。高円寺の気象神社、今後は毎年お参りする必要があるな。
 あとは問題無く出発するだけで、今日1日の素晴らしいツーリングが半分ぐらい約束されたようなものだ。いや、不測の事故には気を付ける必要がある。
 結局やることはどのような場合でも変わらず、まずは今できることを着々と進める必要がある。ツーリングと言っても気ままな旅なのではなく、行程も行動も予定に縛られることは多いのだということを、近年の私は気が付きつつある。まあしかし、昔からそういう制限は嫌いではなく、むしろ完全に気ままな、予定が無い100%アドリブの旅というのはニガテだった。
 などと頭の中では過去の旅を辿りつつ着々と出発準備を進めてゆく。5時から荷積みを開始、朝6時に準備していただける朝食が、いつもと同じように大変美味しい。しっかり食べて、これでお昼頃、中頓別のセイコーマートまで安心だ。

 6:45、仁宇布ファームイントント発。道道120の交差点へ下るまで、右には白い花が満開のソバ畑に左には静かに拡がる牧草地、明るく眩しい晴れの風景に脚が停まって仕方無い。今日は中川まで行けばいいだけなんだから、久しぶりの晴れの風景を、焦らずにたっぷり楽しまねば。
 交差点から道道120で仁宇布から北へ。数km先の西尾峠へと登ってゆく道道120は、盆地内でも実は緩く登り続けている。周囲が開けているために視覚的にはわかりにくいので、あまりにのろのろとしか登れていない自分が大変歯がゆい。まあ、明後日西尾峠から降りてきたら、仁宇布の盆地内でもけっこう下っていることが実感できるはずだ、確か。などと思いながらてれてれと、仁宇布の風景をじっくり味わいながら、盆地の縁へてれてれ進んでゆく。
 防風板の向こうには牧草地、畑、美幸線未成線の築堤、廃屋、そしてファームイントントの本体である松山農場。この道でも、近年夏に晴れたという記憶は少ない。全く晴れたことは無いとは言えないものの、晴れたのがいつだったかは少し考えても思い出せない。もう当分、夏に青空の仁宇布の牧草地や畑の風景には会えないんじゃあないかとすら思っていた。しかし今、目の前の風景のように、きりっと涼しい空気とともに青空の風景がそこにある場合は、極めて当たり前のごくごく普通の出来事のようにそこにあるのだ。それは一昨日の津別峠、チミケップ湖でも感じたことだった。
 等と考えながら松山農場を通過してゆく。もうお仕事真っ最中らしき軽トラと目が合ったので挨拶しておくと、挨拶を返してくれた。何年か前にファームイントントでご挨拶した、宿主さんの息子さんだったかもしれない。

 異常気象時通行止めのゲートから先、周囲は完全に森の中となる。そして道端の笹の中から、いつ熊が登場してもおかしくない雰囲気が漂い始める。ただ、今日の道道120には、時々車が通り過ぎる。時々ではあるものの、どうもこの場所のこの時間にしちゃあいつもより車が多いように思われるのだ。それも仁宇布方面からではなく歌登方面からやって来る。地元の人なのかそれとも観光客か、上徳志別まで20km以上無人地帯なので、多分観光客かなとは思う。観光客でも何でも、車が通っているなら分別のある熊は森の中に引っ込んでくれるだろう。実はそんなことがあるのかどうかはよく知らない。しかしこういうことで安心したい。というぐらいに周囲が山深く心細いのだ。
 西尾峠への登りは、仁宇布側は交差点からでもたったの90m。峠部分は鞍部になっているので、あっけなく緩々っと通過してしまう。目新しかったのは、近年やや老朽化が進んでいるように見えた丸太の峠名標が、今回遂に無くなってしまっていたことだった。初めて通った2000年から印象的な道標だったものの、私にとってはそれ以上に何か思い出があるという訳でもない。

 フーレップ川の谷間をひたすら下ってゆく。路面の端には濡れた跡がある。朝露的なものかもしれない。でも昨夜ここで雨が降っていたとしても、驚くようなことではない。雪が降っていたとしてもあまり驚かないだろう。それほど天気が不安定なこの山奥で、この深い森を青空とともに眺めることができている。今日、訪問できていることには感謝しかない。
 ただ、明るい陽差しに照らされた大森林に朗らかな表情が感じられても、圧迫感すら感じられる山深さが減っている訳ではない。下りに任せてそそくさと、なるべく速やかに通り過ぎようとしても、行く手には谷間と森が次から次へひたすら延々と現れ続ける。そして時々、道端に熊のかなり新しい糞が落ちていたりもする。茂みから狐がこちらを眺めていたり、路上にふらふら歩いている奴がこちらが近づいてもなかなか茂みに逃げ込まない。今年のトレンドとしては、鹿どもの人間に対する間合いがかなり近くなったと思う。路上の森林化が年々進んでいるのかもしれない等と考えていると、ますます熊がひょいっと現れそうで怖くなる。

 ひたすら森だけだった谷間の道に、音標へ続くダート道道880の分岐が現れた。ゲートは一応開いているものの、薄暗く鬱蒼とした森の中へ道が登ってゆくというだけの分岐である。その先天の川トンネルの手前、待避所に毛が生えたくらいの牽牛休憩所を通過。そして天の川トンネルを抜けると、織姫駐車場に閉鎖中のWCと休憩場のあずまやがある。少し先の道北スーパー林道分岐近くでは、炭焼き小屋のような森林管理小屋(なのかどうかは実は知らない)があり、森の茂みに埋もれそうな大曲の廃墟群を過ぎ、牧草地が現れる。こうして仁宇布、西尾峠から続いていた道以外完全に無人の森は、やっと少しづつ人の営みへ推移してゆくのであった。この間、陽差しは高く昇りつつあり、道は日なたの部分が増え始め、どんどん暑くなり始めていた。
 大曲の牧草地から下ると、谷間が拡がって辺りの広葉樹林が低くなり、周囲が突如開けて牧草地になった。久々の人里、上徳志別である。
 枝幸の山々に囲まれた盆地に牧草地が広々青々と拡がり、雲が勢いよく流れる青空から、日差しがカンカンに鋭く照りつけている。これだけ晴れるのは何年振りか、もう忘れてしまった。確か少なくとも10年振りぐらいの筈だと思う。晴れの風景はとても素晴らしく、もう一度と思って行程を組み、来る度に雨か曇りだったのだ。しかし、今回津別峠やチミケップ湖で思ったように、ここも晴れだとあまりにあっけらかんと何の不思議も無く、ごくごく普通に目の前に青空の明るい風景がある。
 元キャンプ場の元上徳志別小学校の南で、少し脚を停めることにした。背景に盆地を囲む山を望む牧草地がいい感じの、いつもの場所だ。こんな青空と眩しい陽差しとともにこの風景を眺めることができるチャンスは滅多に無い。
 脚を停めると、かなり暑くなっていることに気が付いた。走っていると気温は低いのに、陽差しがかなり厳しいために、直射日光と照り返しの両面焼きで暑いのである。北海道の晴れの日毎度の現象ではあるものの、まったく適度というものは無いのかと思わされるのも毎度の事。そしてこの先、お昼頃の暑さが思いやられる。晴れても厳しく雨でも厳しい現実に、毎日のように出たとこ勝負でお天道様を伺うしか無いのだ。まるで勤め人の毎日のようだ。
 乙忠部への道道1023分岐を過ぎると、再び志美宇丹へ緩い登りが始まった。延々と続く大森林の狭間に位置する二つの集落、上徳志別と志美宇丹。こよなくのんびりと静かな牧草地は、今日の青空の下ますます鮮やかで、夢のような風景だ。淡々と脚は進み、当たり前の様に景色が通り過ぎてゆく。大変勿体無く残念なような気もするものの、いや、これは最高に贅沢な時間なのだと考えるべきなのかもしれない。自転車旅行の実態には制限が多い。しかし、制限と制限の狭間で走っている間には何となく自由な気分を感じられるような気がすることも確かである。気分だけなのかもしれないが、そんな気分になれるだけでもいいじゃないかとも思う。
 暑いので止めどなく妄想しているうちに志美宇丹中央へ。今日は拡幅新道開通前に通っていた道道120旧道を経由し、晴れの風景を記憶に留めておくことにした。しかし、道端には人気が無くやや高い茂みが続いていた。いかにも熊が出てきそうで、現に数年前に志美宇丹で脇道のど真ん中に巨大なクマの糞(しかもほかほか)を見かけたこともあり、ちょっと怖くなってきた。やはりここは美しいだけじゃない、かなりの山奥なのだ。
 道道120に戻り、志美宇丹峠という名前が付いている盆地北端縁へ一登り、その後は辺渓内へ一下り。谷間に平地が現れた後は、歌登へと盆地を更に下ってゆく。歌登までまだあと8km。正面のポロヌプリ山が裾から稜線まですっきり見える。時刻は9:30。上徳志別・志美宇丹で時間をかけて牧草地をじっくり眺めたせいか、歌登盆地への到着はやや遅い。こういう時は曇りの方が却って順調だな、と思うのも晴れの日ならでは。ちょっと嬉しくもあるのが我ながら可笑しい。
 時間が遅目なので、歌登では珍しくセイコーマートに寄らず、そのまま次の兵知安峠へ向かうことにした。これぞ朝食をしっかり頂いたお陰で、まだ腹は全然減っていないので何の問題も無い。
 歌登市街手前の分岐で南回りの道へ分岐してみた。しかし、10年(ぐらい?)振りの道であることがわかったという以外に何かめぼしいものは無い。更に、何となく知っている道を通っている気分になっていたら、いつの間にか大回りする羽目になっていた。やはり見込みも無く気分で選んだ道に期待しすぎるものじゃない。まあしかし、青空の下行程にも時間にも問題が無い気楽なツーリングを、急がず焦らず、有り難く楽しむべきなんだろう。
 9:55、歌登道道120分岐着。次は兵知安峠だ。
 ほんの僅かであっても道が登りであれば、ここまでの下り基調に比べ途端にがくっとペースが落ちる。自分の走りに苦笑しつつ、歌登の盆地中央はやはり暑いのだとも思う。しかし私の場合だけかもしれないが、緩い登りでは体感時間が意外に早く過ぎてゆくのがありがたい。それは気分が退屈していないということである。
 それでも、牧草地が拡がっていた谷間が次第に狭くなり、リサイクルセンターを過ぎて谷底だけになり、道がぐいっと登り始めるまで、歌登から兵知安峠へ向かう谷間は記憶よりずっと長く感じられた。歌登から中頓別まで27km。当たり前の話ではある。この長い道が、リサイクルセンターから先は中頓別側の兵知安まで無人の森に続いてゆく。今日は空が晴れていて薄暗くないのは、やや心強いような気がする。
 それは気分だけであり、やはり道端にはところどころにかなり大きな新しい熊の糞がみられた。おおきな熊がのっしのっし夜中に道道120を横断してゆく光景を想像しつつも、熊のことはなるべく考えないでおこう、と思った。近年は特に、道北山間部の道道で大きな熊の糞に遭遇することが多くなっているように思う。
 峠への登り途中で空に雲が現れ、一気に拡がった。今すぐ雨になるような雲ではなく、むしろ明るく眩しく、時々陽差しが現れて暑さに耐えられなさそうになるところでまた太陽が雲に隠れる、というぐらいの雲である。まあただ、中頓別から先の知駒峠では、今日は空が晴れてくれないのかもしれない。

 峠から兵安への下り側には、道路を拡幅工事中の箇所があった。こんなに交通量が少ない道をどうするのかとは思うものの、崩落が起こりそうな場所ではある。崩れてもまだ道幅があって通れる、という崩落対策なのかもしれない。あるいは崩落復旧のついでなのかもしれない。そういう疑問と自答より、工事現場に人がいることが、リサイクルセンター以降全く無人の深い山中では大変心強い。こちらが盆休み期間物見遊山中のお仕事、少し恐縮でもある。
 谷間が延々と続いた後、やっと兵安で辺りが開けた。兵安は中頓別へ下ってゆく平地の終端だ。山に挟まれた牧草地には、半島先端や谷間の奥など端部に共通する凜とした雰囲気が感じられる。仁宇布や上徳志別、志美宇丹にも似ていて、静かで伸びやかな風景と山間近くの厳しい自然に向き合う生活を伺わせてくれる気がする。道北内陸の山奥から山奥を辿る、道道120ならではの風景と言えるかもしれない。
 中頓別へあと8km。一直線に谷間を下ってゆく道を望む辺りから、雲の合間に再び陽差しが現れ始め、途端にまた暑くなり始めた。帰りに晴れていれば、今度は中頓別側からこの道を通ることができるんだな、と思う。長い下りは、登りで更に長く感じられるんだろう。

 引き続き兵安、豊泉、僅かながらも中頓別へ平地は均等に下ってゆく。自転車だと、こんなに緩い下りでもペースが快調だ。
 11:50、中頓別着。そろそろ少し休憩しておく必要があるので、国道275沿いのセイコーマートへ。集中的に昼食系冷却系甘味系を補給吸収しておく。
 歌登到着からやや遅延ぎみではあったものの、中頓別到着がお昼前になってしまったことに少し驚いてしまう。ファームイントントで朝食を頂いたし上徳志別でかなりのんびりしたし、全体的に時間を喰う要素が満載ではある。しかしこんなに遅くなるぐらいだったかな。歳だしな。
 まあしかし、今日はこれから知駒峠を越えて中川まで行けばいいだけだし、このパターンは近年実績があるから余裕の見込みは裏付けは取れている。それに昔は下川発で道道120経由、知駒峠を越えた後抜海まで行っちゃったこともある。あの時は確か下川6時発で中頓別14時前だったな。それなら、今日の上徳志別立寄りを考えると、ペースとしてはそんなに不思議がるようなものでもない。それに、良く考えると仁宇布から中川までの工程として確かに脚は進んでいる。歳に悩みこむような状況じゃない。
 兵安から、曇りという範囲では空は大分明るくなっていた。一方、国道275が通っている中頓別まで下って来ても、相変わらず雲は多い。この後順当に予定通りだと、知駒峠へ向かうコースになっている。しかし知駒峠は、2年前の訪問時が晴れだった。そしてその時は、利尻富士を初めて眺められた程の私的過去最高の眺めだった。今、この天気で知駒峠に登ると、基本的には雲が増えると思われる。しかしSCWで確認すると、こんなに雲が厚く見えるのに、今のところほぼ薄曇り。この後午後はずっと晴れることになっている。本当かなあ。

 果たして今日知駒峠に脚を向ける価値があるのか、音威子府大回りで知駒峠は省略しちゃおうかなどと逡巡しながら、12:15、中頓別発。
 国道275で上駒へ。知駒峠への道道785の分岐が決断の時だ。最後の検討をするために立ち止まってみた。とりあえず、仁宇布から替えてないフロントバッグの地図を現位置を含む「敏音知」に替えた。
 気が付くと、いつの間にか動き始めていた低い雲に隙間ができていて、青空と陽差しが現れて急に辺りが暑くなり、またすぐ雲がやって来て隠れた。ほんの短い時間の出来事だった。しかし、これで心は決まった。知駒峠、行ってみようじゃないですか。代案の国道275・音威子府・国道40より全区間で車が少ないだろう。それに明らかに、辺りは明るくなりつつある。

 宗谷地方の峠はどこも非常に長い裾部分の後、低い峠を急に登り始めて下り、また長い裾を下ってゆくという構成のものが多い。知駒峠もその例に漏れず、麓区間では延々と緩い登りで谷間の牧草地を進み、裾から斜面の森に取付き、突如、そして5〜6%ぐらいで登り始めてゆく。
 100m程登った辺りで動いていた雲が切れ、空は急に晴れ始めた。そして道の外側には展望が一気に拡がった。山裾から緩やかに下ってゆく平地は濃淡の緑、そして低山が彼方の青いシルエットへ重なって続いてゆく。空間のど真ん中には、名峰敏音知が居座っている。前回、敏音知はそのすっきりと端正な姿を2001年以来に見せてくれたものの、すぐてっぺんに雲が掛かってしまった。印象的な美峰ながら、毎年の私の訪問時には、なかなかその姿を拝めない印象の山なのだ。それが今、雲は動きつつも、敏音知が遮られることが無い。そして雲はどんどん去り、少なくなっている。
 未だ標高は300m台なのに、周囲の山々は標高200m台とか100m台なので、低山の稜線と裾野に拡がる平地が一望なのだ。長い登りの間、全く退屈しない。というより勿体無いので、脚を停め停め敏音知を眺めて登ってゆく。
 きょろきょろ見回していたら、標高400mを越えた辺りで驚かされることがあった。東の遠景、と言ってもそれほど遠くでもない辺りに、平地と真っ青な海面が見えるのである。平野の雰囲気とその背景の山、海岸との位置関係に記憶がある、というより明らかに浜頓別南のオホーツク海である。何とオホーツク海を知駒峠の登りで眺めることができるのだ。そんなことは今まで聞いたことが無い。知駒峠の展望の素晴らしさを、前回以上に思い知ることができたのだった。

 稜線のスノーシェッドから山頂に建つTV通信設備の下へ、道はぐるっと回り込んでゆく。この通信設備のために、道道785はわざわざ越える必要の無い知駒峠越えなんていう経路を辿って問寒別へ下るのではないかと、私は毎回思っている。
 14:40、知駒峠通過。
 さあ次は下りの利尻富士だ。と思っていたら、これだけ空気が澄んでいたら間違いなく会えると思っていた利尻富士は、今回はそちら方面の海上だけがかなり霞んでいたようで、全く見えなかったのは意外だった。
 しかし手前の内陸部や真西側の海上は、基本的に晴れまくっている。オホーツク海を初めてこの道で眺めた満足とともに、真っ青な空の下明るい風景の中ををゆっくり落ちついて降りてゆく。中頓別であんなに知駒峠に脚を向けるかどうか迷っていたのに、蓋を開けてみれば嘘みたいに素晴らしい訪問となり、大変気分が良い。
 下りの途中では、またもや驚くべきものを発見した。路上にのっしのっし歩いている昆虫が、何とカブトムシの♀だった。もともと道内にいなかったカブトムシは、美瑛辺りではもう珍しくもなくなっていて、普通に死骸が路上に落ちていたりする。しかしこんな道北の北にもカブトムシがいることは知らなかった。
 道道785は均等な緩めの斜度で長い間斜面を下り続けた後、突如ほぼ真っ平らな開けた平地に放り出されるように着陸した。
 15:10、中問寒八線通過。問寒別までは約10km、前回も通った谷間北裾の農道は、牧草地と畑の中に続く、静かで落ち着いた良い道だ。向こうの山裾に点在する牧場を眺めていると、前回同様もう陽差しがすっかり赤い時間になりつつあることに気が付いた。
 あとは中川までもうずっと静かな道だ。ほぼ平地を20km。いやもうちょっとあるな。30kmは無いだろう。などともうすっかり気を抜いてゆっくりのんびり、脚を停め停め問寒別へ。この谷間を向こう側の道で初めて通った2008年、泡を食って問寒別まで脚を回して20分だったことを思いながら、もうあんな走りはできないだろうな、等と思う。しかしこんな平地でも、道端茂みの際には、かなり大きな熊の糞が落ちているのであった。さすが道北、平地でも気を抜けないね。

 16:00、問寒別着。道道541で80mぐらいの、宗谷本線沿いに迂回できなかったのかといつも思う軽い丘越えがややしんどいものの、わかっていればどうということもない登り下りだ。それに眺めが楽しみなソバ畑や牧草地も随所にある良い道だ。
 下りきって再び宗谷本線に合流し、歌内に到着。さああとは中川までひたすら平坦な山裾だ。という段階で、歌内で通行止めのフェンスが現れた。山裾とは言え何か危なっかしい崖に面している道じゃないはず。一体この平坦な道のどこが通れないんだろう。
 ここが通れないと、中川の手前まで国道40へ大回りする必要がある。つまり、中川の手前まで車の多い道を通らないといけない。仁宇布、上徳志別、志美宇丹、知駒峠、上問寒。素晴らしい風景に身を置けた今日の素敵な行程の〆として、何かそれは譲れないことであるように思えた。それに、通行止めのフェンスはA型+単管パイプ。あまり強い意志が感じられない。
 時間はある。本当に危険なら、引き返せば良いだけの話だ。「困った人ですねえ」などとつぶやきつつ、そのまま道道541を進んでみた。
 当該区間はすぐ近くだった。道が20〜30mぐらい、丸ごと20〜30cm程陥没していたのであった。宗谷本線を運休にしてしまったという、10日ぐらい前の豪雨の影響かもしれない。そろりそろり自転車を押して渡った先、向こう側のフェンスを抜けて通行止め区間が終了。

 すっかり赤い日差しの中を、地図も見ずに途中で天塩川の土手を大回り経由したり。ひたすらのんびりてれてれ下ってゆく。中川まであと何kmだったか、そんなこともうどうでもいい。天塩川河岸の平地を照らす陽差しは、さっきよりますます赤くなっている。風も大分涼しくなっていて、畑や牧草地で秋の虫カンタンの声が賑やかに鳴り響いている。8月ももう後半だしね。

 中川市街でセイコーマートに立寄り明日の朝食を仕入れ、16:55、中川ポンピラアクアリズイング着。
 毎回建物通用口のような軒下に自転車を停めるよう指示されていたこの宿でも、今回は何と自転車を部屋に入れることができた。自転車ツーリングの客が増えている影響らしい。
 部屋に荷物を降ろし、一息付いて眺める夕焼け空が見事だ。陽差しが厳しい中、しかし青空の中に身を置けた1日だったとは思い返しつつ、まずはとにかく風呂に入りたい。風呂は温泉なので、入りすぎないようにしないといけない。2020年のように腰痛に悩まされてしまう。

 夕食はレストランへ。前回はコロナ体制メニューでトンカツ定食を選んだ記憶がある。しかし今回、通常メニューで選んだのもトンカツ定食だ。まあ世の中、そんなもんなのかもしれない。

■■■2023/2/15
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
北海道Tour22#9 2022/8/18(木) 中川→浜鬼志別

 ポンピラアクアリズイング、今回の部屋は東向きの天塩川寄り。4時から始める朝食兼出発準備中、大きな窓から、夜から夜明けへと明るくなってゆく開けた空がよく見える。
 今のところ、空に雲は出ているものの晴れ基調だ。そして昨日の朝まで、今日は1日晴れということだった。しかし夕方の予報から、午後はオホーツク海側と内陸で曇りということに変わっていた。オホーツク海側で曇りなのは、珍しくないというよりむしろ当たり前だ。ということは、内陸でそこそこ晴れてくれるかどうかが、今日のコースの印象となりそうだ。
 曇り予報なのは午後であっても、午前中も空に雲は多いのかもしれない。しかし午後に晴れが延びてくれるなら、宗谷丘陵まで脚を延ばしてもいい。予報通り午後から曇る場合には、今日後半の、内陸からオホーツク沿岸方面へ向かう行程は、オホーツク海沿岸独特の寒々しいどんよりした曇り空の下になるだろう。どこへ行っても比較的近年訪れている場所ばかりなので、さっさと浜鬼志別に向かう方が良いかもしれない。
 要するに現地の空模様で判断する出たとこ勝負であり、判断を誤らないよう、また行程の進行・手持ち食糧とも宗谷丘陵訪問に備えておくべきだろう。それは例年、晴れ予報でも曇り予報でも変わらない心構えかもしれない。用心するような気分になっているのは、過去の晴れの日の風景に惑わされているのかもしれない。
 一方、2年前にツアー後半の道北パートで腰が痛くて仕方なくなった。今回、腰は痛くなっていない。その頃から日常でも腰痛対策に留意していた。結局、腰痛の原因は想像するしか無いものの、何か取り急ぎ心配する必要は無さそうでもある。

 5:35、中川ポンピラアクアリズイング発。
 補給食は昨日仕入れているので、スーパーやセイコーマートに寄る必要は無い。道道541ではなく、町の外側山裾、駅裏手を通る静かな道へ。山裾の茂みはすぐ終わり、市街地の生活道では朝日が明るく、小中学校のポプラ並木を明るく照らしている。
 市街地の一番北で宗谷本線を渡り、昨日通った道道541に合流。道道541が問寒別経由で上問寒の谷間へ向かい始める歌内まで北上してゆく。路面にかかる森の影は未だ長く、空気はまあまあ道北なりに涼しい。夜露がしっとりと、落ちついて静かな道端の茂みからカンタンの声が聞こえる。
 昨日通った天塩川土手が広々と素敵だったので、今朝も通ることにした。平地の道ながら、天塩川側には河岸の深い森が拡がっている。茂みから熊が出てきそうな気になっていると、熊注意の看板を見つけ、更にそいういう気になって仕方無い。道北もこの辺りだと、平地でも普通に熊が怖いように毎回感じている。ということは、やはりそういう雰囲気があるんだろうな。
 道に立ち止まって広々としたソバ畑を眺めているとスーパー宗谷が通過してしていった。時々鉄道車両が通る宗谷本線沿いに通っている道ということだけが、熊に対する安心材料だ。
 この辺りから早くも空を雲が覆い始め、陽差しが時々隠れ始めていた。やはり今日は曇るのか。

 問寒別から雄信内まで、宗谷本線沿いには道が途絶える箇所があり、この区間は何らかの道を通り抜けることはできない。このため、問寒別手前の歌内から雄信内まで回り道する必要があり、その回り道には国道40が10kmほど含まれる。
 歌内から国道40までは、天塩川河岸の牧草地に静かな細道が続く。この道はあまりに細く、整った線形でシンプルに牧草地と土手に続く、まるでおとぎの国の道のようなとても楽しく素敵な道だ。
 しかし国士からは天下の国道40だ。今朝の国道40は、いつもよりかなり車が少ない印象だ。対向車の風の影響が少なく、落ちついて走れていることは有り難い。ただ車が少ないように思えても、やはり国道40は国道40でしかなく、路上の雰囲気全体がどことなく国道然として愛想が無い。黙々と先へ進むことに専念してしまう道ではある。そういう道なのだと思う。昔はそんな道でも、好んで通っていたことも事実ではある。
 雄信内で再び宗谷本線沿いの道道256へ。路上が一気に静かに人なつこく変わり、再び道北平地の風景の中に戻れたような気分でサロベツ原野の東側山裾を北上してゆく。この頃になると、空はすっかり灰色の曇りに変わっていた。しかし雲は高い。晴れよりは薄暗いものの、気温は寒くなく、むしろ曇りとしては暑い方かもしれない。当面雨の心配は全く無いだろうと思えた。
 周囲の風景は広々と伸びやかである。しかし、特に何かとんがったものも無い。まだ時間は早い。今日の宿は鬼志別、行程には厳しいところなどは何も無く、焦る必要も無い。淡々と進んで、その時その時でできることをやればいいのだ。
 などと思っていると、南幌延を過ぎた辺りで、サロベツ原野北西の向こうに利尻富士が見えることに気が付いた。それも意外な大きさで、かなりくっきり見えるのだ。昨日は知駒峠のような高い場所でも、海上の霞で全然見えなかったのに。それに過去、この辺で利尻富士を意識したことは無い。こちらは曇りでも、あちらの海上方面の上空はかなり空気が澄んでいるのだろう。そう言えばいつだったか、豊富から抜海でゲリラ豪雨含みの変な天気だったのが、抜海から眺めた日本海上ではかなり晴れていることがあった。オホーツク海側でも道東の太平洋側でも、陸地と海上の天気が違うことはごく普通だ。天気予報では一見天気が安定しているように見えるが、やはり毎日天気は変わってゆくのだろう。

 8:05、幌延着。道道256沿いのセイコーマートへ。町外れではあるものの、ツーリスト的には町よりこちらの方が何かとツーリング中的な食糧を買いやすく、行程上幌延での経由地点として立寄りやすい。そのため、私にとってはここが幌延となっている。
 セイコーマートの軒下に座り、パンやら何やら食べたり飲んだりしながら思う。今セイコーマートの軒下で眺めている風景の建物も雰囲気も、時々眺める過去訪問時の写真の通りではある。あの時は暑かったな、等と思い出す。今日もそこそこ暑いんだが、空が雲に覆われていてやや薄暗い。晴れの日の画像より明るさ、鮮やかさはいろいろと地味だ。天気が違っていても、見慣れた画像の風景が目の前にあることは、それだけで何だか嬉しい。
 まだ8時。今日の夕方浜鬼志別の宿に辿り着くためには、必ずどこかを経由して北上する必要がある。ならば今曇ってはいても、予定コースの通りこのまま豊富町大規模草地育成牧場へ行ってみよう。折角今近くに来てるんだから。天気に何か新たな展開があれば御の字だし、曇りでも雨じゃなければ行くべき展望ポイントだ。

 8:25、豊富発。
 道北ではこの時期もう2学期が始まっている。登校中の小学生や緑のおばさんを眺めて町中を通過、道道121で北側丘陵への登りへ。
 町外れから急に始まる登りはしんどい印象はあるものの、実はせいぜい70mちょっと。登り始めてしまえばあっという間にピークを越えて北進へ、道北内陸部の丘陵に突入だ。大したことは無いのだが、大したボリュームじゃなくて峠でもないのに平地じゃない、という捉え所の無さがここの一番厄介な点かもしれない。
 北進ではゆめ地創館の敷地の前を通過してゆく。以前ここに計画されていたのは、放射性廃棄物埋め立て施設だった。北海道Tourの行程初日、当時の愛車片倉シルクのリアエンドが折れ、自転車を押してとぼとぼ歩いたのは1997年。既にここに埋め立て施設が計画されていたはずだ。それ以前から幌延にそういう計画があることを知っていたのに、その時そういう施設を見た記憶が全く無い。フレームが折れたショックが大きかったのかもしれない。それっぽい施設を意識し始めたのは比較的近年のことだと思う。
 等ということを考えるのは、近年この道が拡幅されて道の印象はがらっと変わってしまい、かつてエンドが折れた場所はどこだったか思い出せなくなりつつあるからだ。この辺だというのは線形で憶えてはいるものの。
 道道84を越え、次はいよいよ豊富町大規模草地育成牧場へ。
 鬱蒼としてやや心細いような茂みを谷底から丘の裾へと巻き、道が次第に高度を上げ始めるとともに、周囲の茂みは笹原に変わり、空間が拡がり始める。道端の近い場所に熊が潜んでいそうな雰囲気はとりあえず薄れてほっとするものの、木陰が全く無くなって今度は路上の温度があきれるほど一気に上がる。そして行く手の丘に向かう直登の登りは壁みたいに見える。身体も視覚も心を折る要素で一杯だ。
 ここはもう何度か来て雰囲気は知っている。大丈夫だ。ゆっくりゆっくり、落ちついて落ちついて。と自分に言い聞かせて自分のペースで登ってゆくと、実際には登りはあまり長くはない。まあ、こんな登りすいすい登れれば何の問題も無い話ではある。さっきの幌延から北進への登りと共通した、自分の走りの問題だな。
 などという些細な葛藤は、見下ろす谷間、そして緩いカーブや登り下りなど道の変曲点での、伸びやかに拡がる展望の前に吹き飛んでしまう。丘の起伏や空間の展開が、適切なボリュームとリズムだからなのか、自分の動きと共に周囲の区間が推移し、3D的にドラマチックに変わってゆくのである。ましてや笹原と牧草地。崖や谷底の小川、点在する森、向こうの丘に続く細道などが風景のディティールとして一望でき、見渡す地形をイメージしやすい。何だか見えない地形の裏側まで見えているように思えてしまうわかりやすさが、拡がり感に繋がっているのかもしれない。
 軽く登ったり下ったりしながら途中の広場を過ぎ、道は更に高度を上げてゆく。西側の丘の稜線上に、ところどころまたもや利尻富士が姿を見せてくれていることに気が付いた。ここでも見えたんだっけ、と思うほど、はっきりした姿である。その澄んだ眺めとは裏腹に、上空の空は全体的にうっすらと曇り、陽差しも薄い。
 丘の上で合流する豊富からの道には、私的展望ポイントがある。少し立ち寄ってみるものの、もはや空は完全に薄い雲で覆われてしまい、陽差しが消えた牧草地と丘陵の展望は寒々しくすらある。形は全く同じでも、かつての訪問で眺めることができた開放的な緑の世界を思い出すと、空間ボリュームそのものが変わっちゃったのではないかと思われるほどだ。まあしかし風景の見える感じより、この場所を再訪できてこの空間に身を置けること、そのことがとても有り難いことは確かなことだ。
 それが実感できれば十分だ。次へ進もう。

 丘の上から裾へと次第に道は高度を下げ、管理事務所前を通過して豊富町大規模草地育成牧場が終了、道道121に合流。道は牧場の農道から、幅広で平滑で丈夫なフェンスが続くローカル道道らしい雰囲気に変わった。今時のローカル道道は、ほとんど国道に近いと言っていいかもしれない。
 森、牧草地が続く丘陵の起伏は緩やかになり、風景の抑揚はさすがに薄れていた。いつもの道道121、私的名称道北縦貫道道の雰囲気そのものである。そして道道はそういう場所に通っているからか、再び空の雲が切れ、少し陽差しが出てくるようになってきた。再び暑くなったのみならず、向かい風が吹き始めている。
 有明からは再び道道121の迂回コース、農免農道で沼川へ。農道ではあるものの、沼川まで地図上では道道121経由と距離は変わらないように見えるし、登り標高差もあまり変わらないように見える。ツーリングお徳用農道なのである。
 「沼川まではこっちだよこっち」と思って農道に脚を向けてはいても、風景の登場順まで憶えている程この道を通り込んでいる訳ではない。デスクトップ写真で見慣れた風景が現れると、ここだったのか等と思わされるというぐらいの仲だ。

 11:20、沼川着。天気は相変わらず冴えないものの、やや暑い。
 沼川にセイコーマートは無いものの、小さくは無いA-COOPに飲食店がいくつかある。お昼前という時間を沼川で迎えるに当たり、持ち駒に不足は無い。そしてこの天気だと、この後急いで宗谷丘陵へ向かうという選択は無いような気がする。この先どこへ向かうにしても、半径20km以内に食事ができそうな場所はここ以外に無い。 とりあえず、満を持して既知の食堂サングリーンへ。確か前回も頂いたチャーシュー麺は、濃い色の醤油スープがストレートながらこくがあり、麺もチャーシューもしっかりと味わい豊かで大変美味しい。店内が暑くてしばらく汗が止まらないものの、まあ道北でこれだけ暑い日だと建物は対応できる作りになっていないんだろうな。
 食べ終えてからとりあえずA-COOPで物資を仕入れ、今食べたばかりなのに軒下でパンなど食べてみる。少しうだうだしたいんだろう、等と我ながら他人事の様に思う。
 さあ、ここまで先延ばししてきた今日この先の身の振り方は、今決断しなければならない。宗谷丘陵へ向かうか、一つ手前の道道1077経由でオホーツク沿岸に出るか、それとも最短の道道138小石峠経由で直接浜鬼志別に向かうか。とはいえ、雲は低く空を埋め尽くしている。この先雨が降るような天気予報ではないものの、喜び勇んで走り始めるというよりもう少し軒下で座るか、という気分にさせられる空模様だ。
 宗谷丘陵に向かうと、薄暗い空の下乱気流に揉まれて浜鬼志別に向かうことになるのかもしれない。帰路がオホーツク沿岸の国道237ではなく宗谷丘陵の道道884だとすると、同じような天気で更にアップダウンが10km以上。しかしだからと言って国道237でオホーツク沿岸を経由しても、天気は余り変わらないだろうし、アップダウンの代わりにこちらは車が通る。ならば静かな道の方が好ましい。そして、宗谷丘陵まで行かずに道道1077で東浦へ向かっても、その先浜鬼志別まで曇り空の下、国道237を20km以上通る必要がある。
 結局、天気で全部決まってしまうのだということを再確認しただけになった。宗谷丘陵で前回晴れたのは2019年。けっこう最近のことである。まだ奇跡の晴れを祈りつつ再訪するようなタイミングでもないように思われる。そういう大義名分が一杯ある。今日はおとなしく最短の小石峠経由で、もう宿に向かうことにした。まあ、道道137だと最短にも程がある位の最短だけどね。

 そこまで決めたところで、道路反対側の家から出てきたお婆さんが、プチトマト(とお饅頭)を持って行けと言う。さっきA-COOPで水を買い出しした時に、ちょうど要らないペットボトルを探しにA-COOPにやって来たお婆さんだ。私は水を自分のボトルに移したら元のペットボトルは要らないので、捨てるよりもそのままペットボトルをお譲りしたのだ。
 水をペットボトルから自分のボトルに移してとか言っているが、私の夏ボトルは20年近く前のセイコーマート謹製1.5lペットボトルである。元のボトルの方が余程グレードは高い。だから元のボトルを空になったというだけの理由で捨ててしまうのは残念だ。使って頂いてむしろ有り難いぐらいのものだ。それにこの先小石峠を越えて浜鬼志別に向かうだけの行程において、それまで全くイメージしていなかったプチトマトとお饅頭をどこでどのように食べるのか。自分のツーリングの中ですぐには位置づけられなかったのである。
 最初は荷物になるからと遠慮させていただいた。しかしお婆さんは、申し出を断られて露骨に悲しそうな表情をされた。これはご厚意をふいにしてはいけないと思い直し、いただいておいた。あまり考えずに食べてしまえばいいだけの話なのだ。
 結局どちらも宿で夕食までの間に有効に、しかも瞬殺でいただいた。「貴方にあげようと思って畑で今取ってきた」と仰ったプチトマトは濃厚なトマトっぽい味で素晴らしく美味しかったし、千秋庵のお饅頭もしっかりぽくぽくと密実な餡が大変美味しいお饅頭だった。次回沼川訪問時にはお礼にご挨拶せねば。

 12:00、沼川発。道道138へ
 小石峠は今回も曇りの峠道だ。しかし前回のように雨じゃないのは有り難い。と思っていると、鉱業所を過ぎたあたりから空気中に水がぱらつき始めた。天気予報では雨にならないとにことだし、空の明るさ的にも本降りにはならないだろうとは思う。しかし、標高は低いのにやはり一筋縄ではいかない峠だ。さすがオホーツク沿岸の山中である。
 道端の森はかなり鬱蒼と山深いものの、何しろ峠部分で167mの低い峠なので、谷間から峠へ登り始めるとあっという間に鞍部へ到達してしまう。鞍部で欺し峠が1回あることも、欺し峠から小石峠まで少し距離があることもわかっているし、一昨年雨の中を通ったばかりの道だ。峠周辺からの谷間に残っていた天北線の痕跡は、近年木々と茂みに完全に覆い尽くされ、伺いにくくなっている。
 峠から谷底へ下り、ほとんど平坦に近い下り基調の道を大分進み、軽い登り返しが現れ始めてやっと小石に着く。この距離感覚は一昨年登りで通ったときとは違う。登りの時の方が時間は掛かっているのに退屈していないから、時間と距離を短いように感じているのだ。とは言え、峠も低いが裾も長い、鬱蒼とした大森林とともに大変道北らしい峠であることに変わりは無い。
 小石でコーヒーを飲み、鬼志別でそのまま浜鬼志別を目指しかけ、思い直して牧草地の脇道へ。最短にも程があるというだけあり、この時点で何とまだ14時前。どうせ急ぐ行程ではない、と思って、国土宇237沿いの猿払漁協ホタテ売店への近道へ脚を向けることにした。こちらの方が確か海岸沿いの台地上で無駄にアップダウンがあるのだ。
 小石峠からの長い下りも近道の牧草地での無駄なアップダウンも海岸近くの強風も、夕方で薄暗いと何だか進行が遅いようないらいら感があって焦るのだが、急いでいなければどうと言うこと無くやり過ごし、すぐに通り過ぎてしまうのが我ながら可笑しい。

 台地の牧草地からオホーツク海へ向かって下り、14:15、浜鬼志別シネシンコで国道237に合流。
 やはりというか海岸にはかなり強い風が吹いている。そして宿方面へは向かい風だ。まあ、毎度の事だ。それにまだ14時台。全く支障無く、国道沿いの猿払漁協ホタテ売店へ向かうことにする。確かここからは宿方面だったはず。
 いつもお盆期間と重なってなかなか営業中に来れないこの売店、今回は目出度くお盆明けの営業中であった。まあお休みでも何でも通販という便利なものがあり、ホタテを買うだけなら全国どこでも可能だ。そしてお店には、今年は大きなサイズのものは無く、通販と同じサイズとのこと。それでもいいのだ、さすがは猿払のホタテで通販サイズでも十分以上に大きいし、訪問客としてはやっとこの店に来れてホタテを買える、そのことがとても嬉しい。

 お店を出ると国道237の路上では向かい風が強く、時速17km/hがせいぜい関の山だ。立ち止まるとそうでもないような気がする風なのに、走り始めるとまるで身を削るように吹き荒れているのだ。道端に立つ漁村の建物も、風を切り裂き高速で走り去る車も、凄いなと思う。
 こういう状況で4〜50kmも走ることを無駄な行為だとは思わないが、走りたいかそうでないかと言われれば、やはり走りたくない。つくづく宗谷丘陵へ脚を向けなくて良かったと思う。宗谷丘陵はまた晴れる日にでも。でも今回も2日前まで天気予報は晴れだったんだけどな。
 14:30、浜鬼志別着。宿まであと2kmぐらいだというのに、チェックイン開始まであと30分もある。明日の朝食物資を仕入れておく必要があるので、セイコーマートに立寄り、ついでに15時の間食も集中的にこなしておく。

 国道237が鬼志別川の谷間からオホーツク海沿岸の台地上に登ると、もう意外に近くにホテル猿払が見え始めた。何だ、浜鬼志別から2kmも無さそうじゃないか。
 14:55、ホテルさるふつ着。自転車を毎度の如く屋内のロビーに停めさせていただき、荷物を降ろしている間に15時になって、チェックインすることができた。

 さすがにここでは部屋内に自転車を置くことはできなかったものの、さっきまでの暴風が嘘のように静かな部屋は安堵感で一杯だ。明日の朝、この部屋を出るときには風は収まっているのだろうか。毎回そんな都合の良いことは起こらないので、望み薄ではあるものの、一応希望だけは持っておくことにする。それは毎日のことでもある。旅に飽きているわけじゃない。これこそ、11日行程ならではのたっぷり感である。
 とりあえず今この場所での人生として前向きに、お婆さんから頂いたプチトマト、お饅頭を一気に頂き、温泉へ入って汗を流した後は一寝入り。起きてもまだ夕食まで1時間以上ある。未だ明るいものの夕方なりに多少は薄暗くなってきた。窓の外、国道237方面を少し伺い、この時間になっても宿を目指して走っているなどということになっていなくて有り難い、とまた心から思う。おやじの旅には安らぎが必要なのだ。
 夕食はアラカルト、宿泊のセット定食より何だか好きなものを集中的に食べた気分になれるのである。たとえ実際に注文するのはやっぱり定食だとしても。

■■■2023/2/19
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■■■高地 大輔
北海道Tour22#10 2022/8/19(金) 浜鬼志別→仁宇布

 暗かった空が明るくなってきた。窓の外に見えるのは、夏でも何だか寒々しい印象があるオホーツク海と、やはり何だか寒々しい国道237だ。国道237にはナトリウムランプがあるから、夜でも見えてはいる。どちにしても、ホテルさるふつ毎度の朝の眺めである。
 部屋の中では国道237の車の音もオホーツク海の波の音も聞こえない。部屋からは一見静かな風景のように見えても、外に出ると常にかなり強い風が、しかも向かい風で吹いていてがくっと来るのも毎度の事だ。今日も今のところは風は無いように見える。でもそう見えるだけでいつも風は吹いているのだ。
 それよりも、今日はいつものように空に低く厚い雲がどんより垂れ込めていない。劇的に晴れている。天気予報は午前中オホーツク海側で晴れ、午後は道北全域で曇りではあるものの、降水確率は10%以下。曇っても、終日に渡って雨の心配は無さそうだ。朝の内は珍しく晴れのオホーツク海に会えるのかもしれない。でも、途中で曇り始めても全然おかしくない。何たって天気の不安定なオホーツク海沿岸なのだ。
 比較的穏当そうな今日の天気より、問題は明日だ。昨日まで晴れの天気予報だったのが、いつの間にか9時頃から雨が降るということになっている。しかもその後ほぼ終日降水量2〜3mm以上、お昼頃〜午後には4mmなどという数字もみられる。SCWを見直しても、私が通る予定の山間で、それまでずっと薄曇りぐらいなのが、8時過ぎから急に雨雲が発生することになっている。これだと明日は美深→美瑛の輪行決定だ。9時以降が雨なら、美深までは自走で下ることができるかもしれない。しかしこの天気予報が劇的に好転しない限り、今日が終日自転車行程の最終日ということになりそうだ。
 どういう事情があっても無くてもやることは同じ、今日も目一杯楽しんでおこう。

 外に出て、ポーチから建物が風除けにならない場所まで来ると、やはり今回も強い風が吹いていることがわかった。そして昨日同様、風向きは相変わらず向かい風方向だ。
 部屋からはあんなに静かな風景のように見えたのに、現実としては風がかなり強い。そして冷たい。これは猿払村、というよりオホーツク海沿岸北部ならではの特徴というものだろう。しかし空は晴れていて、辺りは例年に無い明るさだ。とりあえずフリースを着込み、内陸へ向かい始めるエサヌカ線の浅茅野まで希望を持って進もう。

 5:25、ホテルさるふつ発。わかりきってはいたものの、やはり国道238はかなり強い向かい風の中だ。それでも20km/h出ている。10km/半ばぐらいまで出なかった前回に比べると、ましなのかもしれない。もっともそのこと自体は出来事として憶えているだけで、体験としては見事に忘れてしまっている。今回も今は向かい風に苦しんでいても、そんなことはすぐ忘れてしまうんだろう。登り区間の厳しさ以上に。
 道、電線、台地上の茂みとオホーツク海。国道237にはそれだけの風景が続き、ライダーハウスやませ、芦野、猿払、スノーシェッドと目印ポイントが次々現れ、過ぎ去ってゆく。しかし、今朝のオホーツク海岸はいつもの薄暗く肌寒く彩度の低い風景ではない。明るい朝陽しに照らされて、コントラストぎとぎとの極彩色になっている。
 風は冷たいものの、フリースを着ていると汗が出る。決して寒くないのは、強い陽差しのせいだ。青空の中に低い雲がかなり早く飛んでいて、朝陽が出たり隠れたりしている。朝陽が出ると眩しくてちょっと困るほど、かなり強い陽差しだ。オホーツク海がいつもの鉛色じゃなく、空を映して凄い青になっている。海面にも朝日が反射しているし、雲も眩しい。視界の左側が全体的に眩しい。オホーツク沿岸でこれ程明るく晴れるのは、近年記憶が無い。
 国道238から浜猿払の集落を通り抜け、村道エサヌカ線へ。いよいよオホーツク海岸部のメインイベントだ。
 最初は海岸と茂みの境界に始まった道は、少しづつ段階的にクランクを繰り返して海岸の茂みから牧草地へ、そして内陸側へスライドして南下してゆく。
 この間終始相変わらず向かい風は強い。そして風景は、ほぼ正面から朝日に照らされていた。早朝とはいえ太陽光線はとても強い。まるで10時過ぎのように皮膚がぴりぴりするほどだ。
 写真を撮るために風の中で脚を停め、廻りが日なたになるのを待ってみた。雲はずっと速く動き続け、朝日が雲に隠れたり辺りをかっと照らしたりしながら、空の雲と地表の影がどんどん通過してゆく。空の青、海の青は凄い濃度の色になっている。そして朝日に照らされた牧草地は鮮やかに輝くようだ。
 この道の雰囲気は前から好きだったが、これほど晴れるのは初めてだと思う。いつもこの辺では曇ったり、青空が見えてもうっすら拡がった雲が、ぎりぎりで影が出ない程度に陽差しを遮り、全体として抑揚の無い風景である場合が多かった。今日は早朝であることも手伝ってか、風景全体のコントラストが強烈だ。広々とした海岸の風景ながら朝日が眩しい海側、朝日に照らされている内陸側で風景の雰囲気が違うのもいい。
 エサヌカ線が南下して内陸に推移すると共に海は見えなくなり、周囲は牧草地に変わった。まだエサヌカ線区間半分ぐらいのはず。空にはやや雲が増えてきているものの、相変わらず雲と、地表では日なたと日陰が、牧草地の彼方から代わりばんこにやって来ては通り過ぎていった。
 周囲が内陸に推移すると共に、視界の牧草地の端には森か茂みが続いていた。遠くではあっても、中から熊が出てきてにらみ合った挙げ句こちらに走り出してきたら、自転車では逃げ切れないだろう。しかし通過してゆく車とバイクは例年より明らかに多い。こういう時は車もバイクも心強い存在だ。そしてもっと言えば、道内ナンバーが目立つように思う。今年の北海道Tourでは、同じ印象をいろいろな場所で感じている。しかもややマニアックな場所が多い。恐らく、昨年の夏来れなかった人たちが、狙い定めて旅に来ているように思う。
 途中、内陸側の茂みの上に、見覚えのあるぎざぎざの山を見つけた。何と利尻富士である。エサヌカ線、いやオホーツク海側から利尻富士が見えるということを、宗谷地方を初めて自転車で走った1993年から約30年経って初めて知った。一昨日の知駒峠でオホーツク海が見えたことにも驚いたが、更にその上を行く驚きだ。今年は天気に恵まれている。今でも、今回最後の、気象神社の神様からの贈り物だったと思っている。
 そしてそれ以上に、旅程10日目の8月19日にして、未だに道北も猿払村のエサヌカ線で立ち尽くしていること、そのこと自体が驚きだ。これが11日行程の威力というものだ。

 浅茅野からは内陸方面へ向かう。GPSトラックに従い、国道237を渡って既知の道道710へ。クッチャロ湖岸の丘陵を反時計方向に回り込むのに、前回は別ルートの農免農道を通ったというだけの理由で、今回は道道710を使う。やや受動的なコース取りである。受動的とは言え、点在する牧場以外は森や茂みの中を通って退屈しない道だ。今朝は退屈しないというより、まだまだ早朝のため、森の中から熊が現れたらどうしようという心配が拭えない。
 内陸に向かったためか強風は弱まってくれていて、途中では未だ動き続ける雲が切れ、青空が見える場所もあった。クッチャロ湖外周の丘陵は、晴れたらその景色が夢見るように素晴らしいと聞いている。浜頓別南の国道275からそれらしき風景が伺えたこともあった。しかし、この湖岸区間自体は近年ほぼ毎年訪れているにも拘わらず毎回曇りか雨。晴れてくれたのは、エサヌカ線同様過去に記憶が無い。
 晴天はここまでだった。道が南西向きから南へ方向を変えるあたりから先、空はすっかり雲に覆われてしまった。そして道道84をクランク経由して金が丘へ向かう農道では、薄暗くなって水滴まで感じられるようになってしまった。やはりこの辺の天気は、なかなか一筋縄ではいかない。
 空が薄暗くなってきたので、常盤から予定していた短い裏道経由コースを止め、早々に下頓別から国道275へ乗り換えてしまう。
 寿トンネルは意外に軽々通過することができたものの、寿トンネルを挟む下頓別から中頓別まではやや長く感じられた。こういうのは単純に印象と実態が違うというだけの現象であり、特に好調とか不調とかは関係無いのかもしれない。
 8:25、中頓別着。セイコーマートはパスしてそのまま道道120へ。次にセイコーマートがある歌登の先には落ちついて休憩できる場所は無いから、歌登ではセイコーマートに寄っておく必要がある。ここでセイコーマートに寄っておく必要は無い。と進みかけて思い直し、セイコーマートで少し休憩してゆくことにした。出発から3時間経っている。今日は仁宇布まで行くだけなんだから、焦らない焦らない。空が暗くなっているので、さっきから気が急いているかもしれない。
 とはいえやはり空が暗いと、物資を腹に詰め込んでいても気はそぞろである。急ぐ必要は全く無い。今日は天気予報は終日曇りなんだから、落ちついて進めばいいのだ。とまた自分に言い聞かせる。

 休憩後は道道120へ。まるっきり一昨日通ったの逆走になるが、車が多い国道275へ向かう気はしないし、他のどの道も大回りで過去に通ったことがある。この道が最短距離で車が少ない、一番穏当なコースなのだ。
 しかし、今日は空がやや暗い。薄暗いと、兵知安峠区間では深い森から熊が出てきそうで心配なのである。一昨日は確か、峠から谷底に下った辺りで拡幅工事していたはずだ。車の少ない道を選んでいながら、自分で車の通行を頼りにしている。

 兵安で道道647が、国道275の秋田へ向けて分岐していった。兵知安峠が嫌なら、今ここで道道647へ向かうという選択肢がある。ただ、個人的に見かけた熊出没実績としては、より山深いこちらの道道120より、里に近い道道647の方が多いようにも思う。単に道道120が山深すぎて、人間向けの看板が立っていないというだけの話かもしれない。何にしても、どっちも山深いというのが適切な捉え方なんだろうな。
 牧草地を通り過ぎて谷は一気に狭くなった。そして森の谷底区間へ入ると、空が暗いだけあって雨が降ってきた。天気予報では雨の兆しは全く無いので、あくまで山間の現象だと自分に言い聞かせ、雨具を着てそのまま先へ。もはやここまで来たら、夕方には仁宇布に着くためにそれしか選択肢は無い。
 標高差たかだか200mも無いのに長い登りなのと、その登り斜度が段階的に上がってゆくのは一昨日下って来たばかりだからわかっている。低い峠なので、離陸したらもう峠は近い、等と思っていると肩透かしを食うのも毎度の事。標高は低くても何かと侮れないのは、道北の峠に共通した特徴だ。

 兵知安峠を越えて歌登側へ。稜線部分から急降下し、斜度が緩くなって谷底に降りたと思っても、まだまだ見上げる稜線部は谷底の道から遠くない。密な森も笹原もいかにも山深く、道北最北部ならではの険しい表情が漂っている。そんな土地にもちゃんと地名があり、川や山には名前が付いている。よくこの地に人々は住み着いたものだと思う。思えば宗谷丘陵の道道884だって、全通してまだ20年経ってないんだよな。
 しばらく下り続け、谷底が拡がり始めると陽差しが現れ始めた。例によって路上が途端に暑くなる。拡がった谷底の森が切れて牧草地が現れ、牧場が現れ、やっと人里に帰ってきた気分になった。

 11:05、歌登着。セイコーマートで休憩しておく。
 兵知安峠区間では雨まで降ったのに、ここ歌登では多少雲は出ているもののよく晴れている。そしてかなり暑い。山間が曇りか雨で歌登だけ晴れるのも、毎度の現象で珍しくない。この先、山間で再び雨になっても驚くようなことではないものの、穏当な過去実績の範囲で天気は推移してゆくだろう。そしてこのまま着々と進めば、穏当な時間に仁宇布に着けるだろう。
 まあ、毎度のパターンから外れることは無いだろう、と思う。
 11:35、歌登発。そのまま道道120へ。
 軽く向かい風気味に風が吹き始めている。しかも道の斜度はかなり緩いものの登りであり、さっきまでの下り基調のペースからがくっと速度が落ちる。一昨日はこの道を下ってきているので、その下り借金をあまり溜め込まずにここで返しているのだと思えば、仕方無いという気にもなる。
 向かい風と緩い登りと暑い照り返しが辛いと思っているうち、歌登の市街地を抜けて1〜2kmぐらいの辺りから速くも空がうっすらと霞っぽい雲に覆われ、日が陰り始めた。そして盆地から谷間に入る辺渓内手前辺りで、雲は完全に空に拡がった。やはり歌登だけ晴れていたのだろう。別に珍しくもない。雨さえ降らなければ、今日は御の字だ。
 そして曇りなので路上の気温が目に見えて下がり、志美宇丹峠への登りはやや楽になって助かる。しかし一昨日、晴天で牧草地が夢見るように輝いていた志美宇丹の盆地でも、今日は薄曇りのままだった。更に進んだ乙忠部への道道1023分岐手前ではもうすっかり雲が厚く低い。そして、志美宇丹と同じく素晴らしい牧草地の風景に出会えた上徳志別では、もはや薄暗くないのだけが救いというぐらいの曇りに変わっていた。
 再び谷間に入り、少し進んだ大曲への登りでは、再び空が明るくなって一気に気温が上がってきた。何と低い雲の合間に、青空まで現れ始めている。今日はこんな感じで天気が推移してゆくんだろうな。

 道北スーパー林道分岐から織姫休憩所。天の川トンネルを抜け、フーレップ川沿い区間へと森の中を延々と淡々と進んでゆく。その後雲は極端に低くならず、雨も降ることは無かった。想定範囲内の穏当な行程となっている。
 一昨日とは逆方向からゆっくり登ってゆく道は、地図で眺める以上に延々と、そして鬱蒼と深い森に囲まれている。熊が心配になり始める辺りで車がそこそこ通るので、安心感もある。ただ、キタキツネが例年にも増して馴れ馴れしくなっているのには閉口した。ガリガリに痩せた奴が、白昼堂々もう警戒すらせずに寄ってきたりもするのだ。そういう奴はエキノコックスを持っていそうでコワイので、追っ払う程である。

 延々と森が続いた後、道はおもむろに谷底から離陸し、西尾峠周辺の鞍部へ向かってゆく。だまし峠の後登りが一段落し、再び登りとなる登り構成がわかっていれば、その長い距離にじれったくならずに済む。それに、峠部分には枝幸町と美深町の町界が建っていることを知っていれば、鞍部のどこが峠なのか紛らわしいということも無い。ただ、歌登方面から長い登りを延々だらだらと登ってきた末に、以前建っていた丸太の西尾峠標が完全に無くなってしまっているのは、やはり何だか寂しいような気もしないでもない。峠標を新しく立てないのは、やはり西尾峠の名の由来が故西尾氏から来ているためなのか、などと余計なことを想像してしまう。

 峠から少し下りきると、仁宇布の盆地はここまでと同じく薄曇りである。陽差しが出ていないので、記録という以上に見覚えのある風景の写真を撮るには今ひとつだ。何と言ってもこの3日間、晴れの風景を一杯眺めた後なのだ。
 おとなしく粛々と、しかしあっという間に仁宇布の交差点へ下ってゆく。開けてはいてもけっこうな下りであるようで、一昨日のろのろだったのがやっと納得できた。こういうのも、登り下りに係る貸借関係の一環なのかもしれない。
 14:55、仁宇布着。
 トロッコの15時便には間に合うと思われるものの、今日はもうファームイントントへしけ込むことにした。牧草地やソバ畑を眺めながらてれてれ進んでゆく。薄曇りの風景ではあっても、明日は雨の予報なのだ。早く風呂に入ってすっきりして、食堂で明るい風景を少しでも多く眺め、記憶に焼き付けておこう。

 15:15、ファームイントント着。
 早速お風呂を頂き、食堂でアイスをいただきながら暮れなずむ牧草地を眺めて過ごす。
 夕食は美味しいジンギスカンだ。野菜をたっぷりいただいて、大変バランスが良い。

 雨だと思っていた明日の天気予報が、再び盛り返しつつあるようだった。下川町で雨は10時から、愛別町から旭川盆地で雨は午後からになっている。これなら明日の状況次第では、走って走れないことはないという展開があるかもしれない。
 こういう時はいくら思い悩んでも仕方無い。明日の天気予報と、ここ仁宇布での空模様で判断しよう。

■■■2023/2/19
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■■■高地 大輔
北海道Tour22#11 2022/8/20(土) 仁宇布→美瑛

 牧場向きの部屋の窓から、白み始めた朝の空に少し青い部分が見える。明るくなり始めた風景が、どんより暗いというより朝陽の色っぽく赤いようにも見える。
 SCWを確認してみると、10時から行程全域で弱い雨となるものの、9時までは薄曇りどころか晴れの部分もあり、むしろ好ましい。
 5時に再びSCWを見たら、行程全域の雨は11時からに変わっていた。しかしこの状態で10時から、下川辺りがピンポイントで雨っぽい。山深いところが順当に雨、というだけの話ではあるように見えるし、2〜3時間後に実際の天気が更に全体的に遅れて、下川周辺の雨も問題無くなるのかもしれない。そういうことは過去にはよくあった。
 直近の2019年にはファームイントント発名寄着で10時半過ぎ。あの時は下川から名寄がかなり強い追い風だったからもう少し時間が掛かるとしても、名寄着11時頃を見込めばいい。これなら雨に降られても、終盤だけだろう。
 どうする。等と思い悩んでもそうでなくても、できることはただ一つ。出発準備は進めておき、その時に空模様で決める、それだけだ。
 山間で雲が低ければ、1km先で天気なんて予想できないぐらい変わることもある。しかし事前予防策として安全側に転ぶことはできる。また来ればいいじゃん、という考え方もできるようになった。冷静で客観的な判断をできるだろう。多分。

 しかし6:00から朝食をいただいている間、山方面の雲はやや濃くなっているように見えた。このままだと今日はこのまま美深へ下ってその先は輪行、というのが妥当なぐらいに。
 6:30、仁宇布ファームイントント発。これは美深直行かな、と思いつつ外へ出てみると、やはり山方面の雲がかなり濃い。仁宇布を囲む稜線の向こうに、雨雲っぽいとろっとした雲がたぷんたぷんに溜まっているのである。あの中へ行くことは、避けられるものなら避けたい、と確実に言える程に。
 6:40、仁宇布交差点通過。交差点で下川方面の空をもう一度眺めておく。美深から美瑛へは輪行だから、あと1時間が今回の最終行程になるんだな。等と思いながらそのまま美深へ下ってゆく。下るだけとは言え事故に気を付けて、何の問題も無く下りきらねば。

 結局仁宇布の盆地内が一番空が明るかった。その先、高広辺りから空はかなりどんより曇り始め、下りきって谷間が開け始める辺渓でも晴れることは無かった。更に美深の盆地では水滴すら感じられるようになり、宗谷本線が見え始めると明らかに雨が降り始めたのであった。予報は遅れるより、むしろ早まったということだろう。山間へ脚を向けなくて良かったな。
 やや風雲急を告げつつある空の下、2019年から目を付けていた美深駅の裏口へ向かった。裏口は道が旭川方面のホームに直接突き当たっていて、自転車をそのまま屋根の下に移動して輪行作業ができる。旭川に向かう場合には、列車に乗る時荷物一式を担いで階段を登って下ってが不要になる。改札や切符売り場は稚内方面側の美深交通ターミナルにしか無いものの、用があれば荷物を持たずに階段で線路を渡って向こうに行けばいい。ここ、仁宇布訪問時に頻発している美深輪行が楽になるぞと、2019年の秋から目を付けていたのだ。
 7:40、美深駅着、そのまま自転車を解体開始する。8時に民間委託の切符売り場が営業を始めるので、一度作業を中断して旭川まで指定券をお願いしておく。当然グリーン車だ。お願いしておく、というのは美深は民間委託のために指定券端末が無いため、窓口の方が名寄駅に電話して切符を確保してくれるためだ。その間私は中断していた輪行作業を進め、作業が終わったらまた切符売り場に向かえばいい。

 9:01、サロベツ2で美深発。
 美深から旭川まで、何と僅か1時間20分足らず。4日前に逆方向で乗った時と同じく、名寄から先の走りは大変パワフルだ。特に和寒・旭川間。以前の120km/hから110km/hに減速したとはいえ、そういう感覚は感じられない力強い走りである。まあしかし、特急が速かろうと何だろうと、宗谷本線も石北本線同様並行する高速道路に次第に負けつつあるかもしれない。
 10:18、旭川着。
 天気は弱い雨というより、薄暗くはあるものの曇りである。じゃあ旭川から美瑛まで走れそうかと言えば、喜び勇んで自転車を組む気にもなれないビミョーな、微妙さが悔しい天気である。こんなことで悔しがる状況と、踏ん切りが付かない自分がやや腹立たしい。
 天気が冴えないので、荷物を置いてまで旭川の街に出ていく気にもなれない。宿のチェックインは15時から。どうせもう自転車は組み立てないんだから、美瑛には14時過ぎに着いてもいい。
 どうしよう、あと4時間。
 いっそのこと腰を落ち着けてしまえば、それはそれで2022年夏の旅の時間まっただ中、という気にもなれるかもしれない。なれるといいなと思い、例の如くコンコースからホームへ登り、ベンチで過ごすことにした。4時間を、旭川と美瑛で2時間ずつに振り分ければ、退屈感は多少薄めることができるかもしれない。
 などという意図でまずは富良野線ホームじゃなくて4日前に時間を潰した真ん中のホームへ。ちょうど毎度お馴染み特急大雪2が到着していて、それがまた懐かしい赤とオレンジの、183系500番台オリジナル塗装復活車だった。
 ただ、結論を言えば、やはり旭川駅では飽きて退屈した。屋根の下に鳴り響く、ディーゼルエンジンのアイドリング音にも辟易した。

 12:30、旭川発。富良野線で美瑛へ向かう。
 13:02、美瑛着。美瑛ではもう少し待合室で田舎っぽい気分になれるかと思っていた。しかし、大変おおきな誤算が私を待ち構えていた。曇り空の下、美瑛では例年風物詩として最終日に眺めている農業祭りが、絶賛開催中なのだった。
 タクシー乗り場が駅前からロータリーの向こうの美瑛ハイヤーとなり、お祭りの会場を回り込んで歩く必要があるのはまあいい。歌唱イベントの、町中に鳴り響くような大音響、特に重低音が響き渡って居眠りにも支障するほどだ。駅の待合室に座っていても耐えがたく、それは旅の時間が過ぎてゆく、などという生易しいものではない。これまで農業祭りは夕方にちらっとながめるだけで、お昼に出会ったことは無かったな、などと思うしか無い2時間となったのだった。かと言って空の雲は低く、どんより暗く、ずっと雨が時々降ったり止んだりしている。自転車を組み立ててどこかに行く、という感じではない。
 とは言え、過去には美深から美瑛へ輪行するパターンで、大雨の影響で宗谷本線の名寄旭川と富良野線が運休になり、首の皮一枚で美瑛に着けたこともあった。今日の各区間の状況には全く不満は無い。大義名分とともに休める状況に感謝すらしている。

 15:00、美瑛「ポテトの丘」着。
 部屋は5日前と同じコテージだ。食事も5日前と同じくレストランブランルージュ、リクエストしておいた鶏のキャベツ煮を頂く。やっと静かな、大変満足な最終日の夜だ。一人っきりのコテージも2回目は慣れたもの、寝てしまえばもう森の中一人だろうが何だろうが関係無い。明日は灼熱の東京、明後日はもう出勤なのだ。


 翌朝、空はからっと晴れた。荷物を早めにまとめ、7:50に予約したタクシーを待ちに、7:20にはもう外に出てしまう。荷物を置いて宿の前の道に出て、最後に美瑛の丘を見える範囲で見渡してみる。
 夏の朝らしく晴れ渡る美瑛の丘、背景の山々。畑や木が風にそよぎ、丘と谷、遠景の十勝岳が見渡せる。とてもいい気分だ。晴れだと最終日の印象が全然違う。やっと最終日に晴れているのだって、悔しいという気分は無い。
 タクシーに乗って旭川空港へ。あまりに晴れているので新栄の丘に寄ってもらった。また来れるときに、そのチャンスを逃さないようにしよう。

■■■2023/2/19
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■■■高地 大輔

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