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FCYCLEコミュの四国Tour17

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四国Tour17#1 2017/5/1 高知龍馬空港→小松

高知空港→土佐山田→河口→郷の峰峠→小松
83km ルートラボ>http://yahoo.jp/jRZWC0

 9:35、高知龍馬空港着、荷物を受け取ると9:55。いくら5時台に家を出ても到着はどうしても10時前だが、これは仕方無い。

 自転車を組立て、10:25、高知空港発。
 空は天気予報通りの晴れ。微風がからっと涼しく、緑が少ない空港でも明るい日差しに新緑が鮮やかでうきうきする。5月の緑と明るさには、何か心をかき立てるものがあると思う。
 やや広めの空港取付道路では、信号待ちの車が数台連なっている。こちらは早々に細い脇道から用水路沿いに北へ向かう1本道へ。農道を舗装しただけのようなこの道は、少し北で県道31となり、土佐山田を経由して高知平野北部の谷間へ続いてゆく。空港から山間までの平穏な道を探していたら、すっと一直線に北へ向かう道が目に着き、GPSトラックに組み込んだのだ。近年はこの方法で平地の幹線道路をしばらく走るということがとても少なくなり、非常に助かっている。

 細道を北上してゆくと、田んぼや草むら、集落の緑が道と一体化しているように近く、その色が高知空港より遙かに明るく軽やかに感じられるのが大変嬉しい。
 空港近くの平野部だというのに、四国特有の、田んぼや農家敷地を囲む石垣があちこちに目立つ。水が張られてはいるものの、まだ田植えが済んでいない田んぼからは、蛙の声が賑やかだ。サナエトンボの姿も見られる。もう10時過ぎ、追い風気味の風はからっと爽やかだが、日差しはやや暑く、自分は今ツーリングに来ているのだと実感する。
 細道は高知東部自動車道をくぐり、国道55と交叉で通過。次第に幅が拡がって、普通のローカル県道風の表情になっていった。ただ、車はと言えば乗用車や軽トラがのんびり通るばかり。のんびりと緩めの良い道だ。

 高知空港から土佐山田までは1/5万地形図縦半分未満。意外に早く北側の山々が近づいてきた。
 土佐山田で10mぐらいの低い大地に乗り上げると、周りは住宅地に入ったのか、明らかに住宅の密度が増した。家並みには、昭和の木造民家が高度経済成長もバブルも経由せずに時を経たような、落ち着いた伝統在来工法の民家が目立つ。住宅メーカーや新建材より、地元の大工さんが作る方が安い土地柄なのかもしれない。土讃本線を渡るとそんな住宅地が町中に変わり、セブンイレブンを発見。食材や水を補給し、11:00、土佐山田発。
 町中を出てやや交通量の増えた県道31から、GPSに従い脇道へ。少し先で折り返すように西へ向かう県道31とは、三角形の二辺と一辺の関係にある細道で、ショートカットする。ルートラボで何となく選んでつなげた細道は、初っぱなからしてダートだったり、路面が舗装に戻ってからも畑や田んぼの中で心配なぐらいに細くなったり、土手へ登って川を渡ったり。かなりのんびりと開放感のある道だ。
 再び近づいてきた県道31の北側、久礼田の集落で道沿いに自販機を発見。これから向かう山間区間に向けて少し脚を停めてみる。自転車を停めたところで、販売機が「合田鮮魚店」という店に立っていることに気が付いた。もしやと思って店に尋ねると、やはりじゃこ天を売っていたので、有り難く仕入れておく。

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四国Tour17#1 2017/5/1 高知龍馬空港→小松-2

 久札田西からおもむろに県道33の谷間へ。まずは本日1発目、標高400mの峠越えだ。
 宍崎でほんの数百mぐらい重複する国道32は北側の山中へ去ってゆき、西へ向かうこちらの谷間は比較的静かになった。すぐに谷が狭くなり、片側1車線ずつの道巾は1車線に替わった。脚にも次第に坂の抵抗を感じ始め、フロントをセンターに入れてのんびり進むことにする。今日はどうせ10時発なので、というより今回の四国では全体的に余裕をみた行程にしてあるので、気分は楽だ。いつものように余裕の無い行程に胃を痛めながら、ノンストップで進まなくてもいいし、もうそんな走り方はできない。

 奈路で谷底から斜面へと道が折り返すと、道幅は更に細くなり、もはや単なる集落の細道となった。斜度も上がって汗が出始めたが、いや、まだまだ風は優しい。明るい緑を眺めながら夏はこんなもんじゃないよと思う。それに斜度はせいぜい7%止りだ。集落から杉の森へ入ると周りは涼しく、小さな沢の脇では更にひんやりとした空気が有り難い。沢の風が有り難い季節になった、と思う。
 登り途中の細道には、田野々、中谷、上倉と、農家や畑の手入れが行き届いて全体的に小綺麗な集落と、森が峠まで断続した。農家の庭先には、この季節らしく、鯉幟も目立つ。大きなものを一発揚げる家、庭一杯に小さな鯉幟を沢山揚げる家。子供の成長への大きな希望、美しい農村の平和な家庭、新緑に包まれた日本の5月が存分に感じられる。住んで暮らすことにはいろいろあるのだとも思うが、ツーリングにはつくづく来て良かった。

 峠の下り側も、蟹越・竹崎・土居と、渓谷に集落と森が断続した。
 大分下った川戸の道端、落ち着けそうなやや広い木陰で少し休憩することにした。もうお昼。やや放置気味っぽい廃校を川の向こうに眺めながら、コンビニおにぎりとさっき買ったじゃこ天をここで食べておく。じゃこ天はごぼう入り、素朴でなかなか美味しい。
 日なたはやや暑いが木陰は涼しい。風がどこかからカジカの声を運んできてくれている。下ってくるに連れ川幅は拡がっていたが、その透明度はなかなかで、カワトンボやサナエトンボも路上にしばしば登場。50を越えても田舎道はステキだ。

 12:20、土佐山西川川戸発。
 もと村役場がある土佐山からも谷間自体はどんどん下ってゆくのだが、途中の向屋敷から県道33は貯水池の土佐鏡湖へ向けて軽く登り返しとなる。
 湖を乗り越え、川口へ急降下すると、標高はもはや10m台。さっき400m以上まで登ったのに、今度は740mまでまた登り返しだ。まあ良かれと思ってそういうコースを組んでしまっているのだし、時間はたっぷりある。

 川口からは県道6で郷の峰峠へ。山間の町はすぐに終り、県道6は丁寧に手入れされた農村や畑と森が断続する渓谷の田舎道となった。つくづくこういう道をのんびり走りたくて、四国へやってきたのだのと、また思わせられる。
 14:00、湧き水を見つけて小休止。朝から意外に道端の湧き水が多い。集落が続くので自販機にも困らない。そして車は少ないが皆無というわけでもない。山間の美しい風景を眺めながら、人里でのんびり落ち着いてツーリング、いや、旅ができる道。そして宿は(私の知る範囲では)お遍路さん対応のためか一人旅に優しい。四国、まさにツーリング天国である。

 こちらの谷間はさっきより周囲の山が高く、峠へ向かってやはり終始5〜7%止まりの斜度で高度を上げてゆく。そして最後まで集落と森は断続した。
 白岩、谷口、トキト、それ以降の数々の集落には、少々空屋や休耕田畑もみられるものの、最後まで小綺麗な美しい集落が続いた。そして斜度が緩い代わりに、時々つづら折れが登場するのも、さっきの県道33と似た傾向だ。トキト、トチガナロ、コオナロとカタカナの集落もみられるのが、高知や愛媛の特徴かもしれない。

 のんびり登って15時を過ぎるとピーク部分も間近、日差しはやや傾き色は赤味を帯び、その日差しで新緑は、透けるような光り輝くような色に変わり始めていた。
 道は標高745mのピークを越え、明るい杉林の中を下り始めた。こちらの下り側で杉主体の森を明るく感じられるのは、斜面の落ち込み方がかなり急なので木々の外側がすぐ開けていて、谷がざっと300〜500m程度は落ち込んでいるのがちらちら見えるためだ。深い谷底には、やや広めの道が日差しに照らされて大きくカーブしていた。こちらは山中の細道でも、谷底まで下ればああいう道が続いているのだろう。こちらは森の中なのである程度の安心感はあるものの、やはりできることなら早くこの稜線近くの区間から谷底に下ってしまいたい。

四国Tour17#1 2017/5/1 高知龍馬空港→小松-3

 明るい杉の森をしばらく下り、15:50、郷の峰峠を通過。「国道439」という文字と↑が描かれた細道と交叉したとき、森の向こうに見下ろしていた深い谷間の広い道が何だったか、やっとわかった。あれは国道439だ。2001年、雨の与作を、私は郷の峰トンネルで通過したのだ。
 標高615mの郷の峰峠から先は、再び760mまで登り返しとなる。100m以上登り返しなのは事前のルートラボ計画でわかっているものの、16時過ぎの登り返しが気持ち的にはやや厳しい。そして今日の宿、大川村小松までは、下り基調とは言えまだまだ距離がある。宿到着は17時を過ぎるかもしれない。
 登り返しの序盤では、峰石原の集落で一気に森が開けた。周囲の斜面集落が手前の山腹にぐるっと続き、谷底ま全く見えないほど落ち込んでいるようだ。谷間の向こう、振り返る方向には、さっきの郷の峰峠らしき稜線凹部が見える。そこから谷間の反対側には、一面杉の森の山肌が、真っ正面に立ちはだかっていた。さすがに600m以上の展望は見応え十分だ。

 峰石原から稜線を回り込み、北の斜面へ。森の向こうに外側の山々をちらちら眺めつつ、標高750mを越えた道はおもむろに下り始めた。登り同様に下りも斜度は比較的緩めで、下っていて怖くなる程の斜度ではない。
 あくまで順当な斜度の長い長い下りが続き、いつの間にか降りてきた谷底には、渓流から渓谷に変わった川原が更に延々と続いた。「瀬戸川渓谷」という看板も所々にみられる。谷間の空気はいかにも山奥らしくきりっと涼しい。モミジを始め淡い新緑の落葉樹が多く、きっと紅葉が見事なのだろうと思う。しかし、車でもここまで来るのはしんどいかもしれない。自転車では楽しい細道県道6は、車だと何かと気を遣うだろう。それに逆方向の本山からだって、結構な山間だ。
 下っても下っても、瀬戸川渓谷は延々と続いた。GPSの道の形と地図で自分の位置はわかるので、さめうら湖までの距離も大体把握はできているのだが、それにしても山深い場所だ。もうこの先さめうら湖まで下り基調に任せるだけと思っていると、期待に反して最大数10m程度の登り返しも現れた。しかし、登り返しと共に川幅が谷底一杯に拡がって、やっと湖が登場。そして七尾、細野とようやく空き家が多めの集落が断続しはじめた。

 大川橋でさめうら湖を渡り、17:25、小松「筒井旅館」着。
 小松は標高340m、さめうら湖岸に張り付く大変小さな集落だ。しかし村役場がある。大川村は日本一人口が少ない村であり、「筒井旅館」はその役場の隣に建っている。食堂も併設していて、東京で言えば帝国ホテルのポジションにあるような旅館だ。

 商人宿っぽい部屋からは、目の前のダム湖と対岸に壁のように聳える山々、そして明るい夕方の空がよく見えた。部屋は少し暑いぐらいで、早速網戸にしてからお風呂で汗を流すことにした。
 高知県西部では日中29℃まで気温が上がったとのこと。なるほど。暑かったわけだ。しかしここ小松では、夜から早朝は冷えるらしい。夕食には猪鍋も出た。
 明日の天気予報は晴れだが、出発前5日までは晴れ続きだった天気予報が、明後日が曇り後雨にあっかしていた。まあ、明日が晴れならとりあえずは問題無い。明後日の話はまた明日考えればいい。

■■■2017/5/21
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔


2017/5/2 四国Tour17#2 小松→下畑野乙-1

小松→日ノ浦→寒風山隧道→土小屋→河口→七鳥→下畑野乙
103km
ルートラボ>http://yahoo.jp/2EQokq

 4時半前。確かに外の空気はきりっと冷えていたものの、震える程ではない。それよりも東京に比べて明るくなるのが30分以上遅いことが、知ってはいても新鮮だ。そして、明るくなってきた早朝の空が澄み切っているのが有り難く感動的だ。
 空が明るくなってきても、山に隠れて日差しはまだ谷間に射してこない。真っ青な明るい空と真っ青な山影を、さめうら湖が鏡のように映しているのがまたいい。この宿に泊まって良かったと、心から思った。
 今日は町道瓶ヶ森線で四国山脈を越え、愛媛県の久万高原町へ向かう。1500mまではほぼ一発登り。その後も四国山地稜線の道、町道瓶ヶ森線で多少アップダウンはあるものの、基本的には1700mを越える最高地点まで登り基調が続く。今シーズン的に標高1700mまで登るのは初めてだ。更に、一眼レフとレンズ4本を持った状態でこれだけ高いところに登るのも過去初めてだ。ややびびっているので時間はたっぷり取っているし、今日のこの快晴なら天気は全く心配無い。何を見ても素晴らしいと書いてある程の展望にも期待できる。

 朝食は6時半。おにぎりを貰って、6:50小松「筒井旅館」発。
 流石にもう日差しが谷間を照らしていて、朝日はまばゆく、辺りはすっかり明るい。小松外れの橋で渡る、さめうら湖支流の谷間に思わず脚が停まる。奥の山肌は日なたで山肌の緑が明るく輝き、手前の日陰の山肌は相変わらず青く見える影の中だ。
 県道17では、新緑、水、青空、眩しい朝日ときりっと涼しい影が静かな道に続き、上流側に進むにつれ、山の表情は山深さを増していった。今朝は初っぱなから既に脚がなかなか進まない。
 時々対岸に渡る橋が現れた。県道17は湖岸の森に続く一本道なので、分岐そのものが新鮮だし、赤く塗られた橋の鉄骨が谷間の緑に映え、まるで「渡ってくださいよ」と言わんばかりだ。こちらも計画時には少しでも静かな道がいいと思ったので、対岸の県道285を今日のトラックデータとしてGPSに入れては来ている。しかし実際にはこちらの県道17で十分静かというか、静かすぎて行く手に猿がうじゃうじゃしている程。あちらはずっと森の中、全く人気が感じられなくてなんだか恐ろしい。さすがは日本最小人口の村だ。

 気が付くと見下ろす貯水池が次第に狭くなり、谷底の川原に巨大な岩がごろごろし始めた。そのまま山肌に張り付き、県道17はダム湖から川に戻った吉野川を遡ってゆく。対岸の岩場には、時々旧道らしき道の痕跡を見つけることができた。こちらとそんなに距離は離れていないが、岩越え谷越えの道に先人のご苦労が忍ばれる痕跡だった。
 谷間に現れた小集落、上小南川を過ぎて、急峻な山肌、谷底の荒々しい岩と透明度の高い吉野川が、奥へ奥へと続いてゆく。県道17も、登りではあるが急に斜度を上げるわけでもなく、かといって谷底に降りることも無く、淡々と谷間を遡ってゆく。谷間が深いので、既にかなり高いはずの日差しは道の向きと山の位置によって時々遮られ、まだ山影は青く見えた。日陰では空気はきりっと涼しく、木陰では木漏れ日の緑に染まるようで、日向では鋭い日差しで一気に気温が上がった。
 この先標高1000m以上の区間へ臨むにあたり、極上の天気であると言えた。
2017/5/2 四国Tour17#2 小松→下畑野乙-2


 道沿いに民家が登場し、続いて山腹へ登ってゆく道、山肌や道沿いの民家がぱらぱら断続し始め、8:00、日ノ浦着。
 大橋ダムを見上げて小休止とする。谷間に立ちはだかるコンクリートの壁が経年で黒ずんで、谷間の地形と一体化しつつあるような威容である。
 筒井旅館を出てから1時間以上経っている。距離は15kmぐらい、200m程登ってはいるものの、時間はやや掛かり気味である。しかしここまで、吉野川の素晴らしい風景をたのしめている。つくづく余裕を持った計画で良かったと思った。こんなところで急いだって簡単に距離を稼げるものではないし、こういう風景をじっくり楽しむために四国へ来たのだ。
 日ノ浦の集落を過ぎ、再び谷間は険しくなり始めた。この後、少し国道194を経由してから寒風山へ取り付くはずだ。一体国道194と県道17がどのような形で合流するのかと思っていたら、唐突に道の行く手に、ずばーんとやや幅広い国道194が横切るのが見えた。反対側の谷間には、コンクリート舗装の激坂が山に貼り付くように登ってゆく。地形図やその辺の古い看板によると、それは国道194の旧道のようだ。手持ちの昭和61年版地形図「日比原」で細道の国道194が既に拡幅済みなのは、ルートラボやツーリングマップルを見てわかっている。実際の道も、やや多めの交通量で谷底を直線や大きなカーブでどんどん遡る、幅広の今風の道だ。地形図「日比原」の、未拡幅の道を通ってみたかった気はするものの、現状の国道194でもぎりぎり許容範囲内の交通量と思われた。並行する吉野川は相変わらず清らかだし、たかだか数kmの国道より、むしろもうすぐ始まる登り区間開始がそろそろ気になり始めていた。

 行く手に高速道路のように立派なトンネル入口が見えてきた。看板には「寒風山トンネル」、そして全長「5123m」と読める。国道トンネルのはずなのにそんなに長いのか。北海道道南各所のあの長い海岸岸壁トンネルでも、2000mなんてのは希なのに。ましてやこちらは山岳トンネルだ。後で調べると、一般国道では日本最長のトンネルらしい。これから向かうのはその旧道でもある。そして、正面に立ちはだかる山がその寒風山であることが理解できた。
 寒風山トンネルを眺めつつ、こちらは旧道へ。標高710mから標高1110mの寒風山隧道まで標高差400m、斜度は7%程度、つづら折れが11段+最後に3段。森の中ではつづら折れの上段、下段とも、2段先、時には3段先までよく見える。さすがは11段。荷物が多い今日は特に、優しい斜度が有り難い。最初は谷底の杉の森、離陸が始まると杉と若葉色の木漏れ日の中。車はこの手の旧道にしちゃやや多い。県外ナンバーが多く、おそらく物好きな人がGWだというのでやってきているのだろう。私も人のことは言えたものではない。つづら折れ上段側、下段側とも、2段先、時には3段先までよく見える。さすがは11段。
 標高800mを越えた辺りから、生い茂っていた新緑は若葉に替わり、900mを超えるとちょりちょり気味の新芽に替わった。そしてその辺りから山肌が急になったためか、木々の外に展望が開け始めた。寒風山は、空の中に突き出るぎざぎざの稜線が大変荒々しい。寒風山から東に続く、笹に覆われた山は、その通りの名前の笹ヶ森だ。脚を停める口実に、道の向きと山の形を照合する。
 後半、周囲の森が一気に開けた。これから向かう町道瓶ヶ森線が、正面の山肌を斜め一直線に横切っている。地形図の等高線から予想はしていたが、あの感じだと斜度はここまでよりキビシイはず。そりゃあすぐ先の寒風山隧道まで400m登り、その先とりあえず1500超まで400mちょっと、やっと半分なのだ。更にその先に、100m単位で登り返しが何回かある。まあのんびり行こう。

2017/5/2 四国Tour17#2 小松→下畑野乙-3



 9:50、寒風山隧道着。
 標高1110mのトンネルは、ここまでの道幅と同じく、トンネルも狭い入口だ。入口には係員が立っていた。道巾が狭いので、もしかしたら長いトンネルの対面通行制限を行っているのかもしれない。この手の長めで高めで狭いトンネルによく見られるように、白い切みたいなガスが吐き出されているのも通行調整を行っているのが大変ものものしい。それでも昔はこの狭いトンネルが、高知県と愛媛県を結んでいたのだ。
 入口手前には掘立小屋の茶屋と便所、そして水場もある。あまりあてにしてはいなかった茶屋は、今のところは営業していないようだった。寒風山の神様がくれる水を、有り難くボトルに頂いておく。
 寒風山隧道前の広場の向こう、これから向かうべき道と「町道瓶ヶ森線」という看板が見えた。冬期は通行止めになるという看板も立っているが、もちろん今日は通行可能だ。

 身体があまり冷えないうちに町道瓶ヶ森線突入。
 道の外側に木々は低く、やっと新芽が出てきたところ。外側の景色がちらちら眺められて、基本的に開放感一杯だ。所々で周囲の展望が開けて周囲の山々を見下ろし、さっき見上げていた笹ヶ森〜寒風山はもう真っ正面からよく見える。しかし、谷底は落ち込み、谷間が見えにくいほどだ。
 進むと共に道の斜度は次第に上がりつつあった。1200m、1300mと、明らかにさっきの旧道以上のペースで、標高がぐいぐい上がってゆく。1300m以上では斜度は10%、またはそれ以上となった。さすが町道。
 気が付くと風がかなり冷たい。1400m以上では山肌に目立って岩場が増え始め、道端に残雪が普通に現れるようになった。

 とりあえず標高1500mの最初のピークを越えた。登りは最初の一段落、この後下りと登り返し含みで、最終的に標高1700m段階的に登り詰めてゆくはずだ。下り始めた道は、細かく入り組んだ山肌を短いトンネルで抜けてゆく。道が狭いためその入口は小さく、入口は小径トンネルで時々みられる側面が垂直で、そして内部では素掘りの岩肌が露出していた。
 ここまでトンネルが無かったのに2〜3本連続して短いトンネルが現れ、またそのトンネル自体が特徴的なことは、道が次の段階に入ったことを物語っていた。2〜3本トンネルを抜けると、登り返し始めた道の前方は一気に開けた。ここまで狭い道をひたすら登ってきただけのつもりだったのが、一気に開けた空間の中に放り出されたのが理解できた。
 前方には山々の稜線が続き、稜線付近の切り立った岩場に道が貼り付いて、奥へ奥へと登っていた。道の周囲はやはりかなり切り立った岩場で、木々が全く無いために上空から谷底へ完全に一体の空間が真っ逆さまに落ち込んでゆく。開けた空間の中に続く道は、まさに空中の道そのものだ。岩肌はここまでとは荒々しさのレベルが違い、空間の大きさによる開放感より、その中での自分の高さに恐怖すら感じる。凄い迫力の風景に、ただただ圧倒されていた。こんな道は見たことが無い。西日本にはこんな道があるのか。

 荒々しい岩山の伊予富士の下で、標高は再び1500mを越えた。前へ続く稜線の少し先、岩肌から笹原に変わった次の頂は西黒森。町道瓶ヶ森線もそのまま稜線近くを横切り、西黒森の下でへの字を描いている。あの辺が1620m、2度目のピークのはずだ。その後一度1500m台へ下ってから、まだ1700m台へ登り返すことになっている。天気も時間も全く問題は無いのに、登りがキツそうというより風景が何となく怖くて、さっきから不安と言っていい気分だ。つくづく晴れで良かった。これで小雨だった日にゃあ。
 西黒森を巻いたその向こうはまだ見えない。しかし地形図によると、まだまだ稜線区間の半分にも来ていないはずだ。果たして標高1620mのピークから先、眺めや地形図の通りに道はけっこう勢いよく下り始めた。こちらも先のことはあまり考えず、いや、多少はどきどきしつつ、下るに任せて稜線近くを回り込んでいった。
2017/5/2 四国Tour17#2 小松→下畑野乙-4


 次第に見え始めた次の稜線は、何とまだまだしばらく、というよりはるか彼方へ延々と、稜線は同じような高さで続いていた。いや、上下しながら少しずつ高度を上げていっているっぽい。その稜線に、岩山の険しい表情と所々に続く道が見えた。
 愕然とした。言うまでも無く、地形図通りに、まだ稜線区間の半分も来ていないことが良く理解できた。まさにこれからもう一度1500mぐらいまで下ってから、再度瓶ヶ森下の1700mまで登り返すのである。いや、瓶ヶ森自体は地形図で眺める限りそんなに遙か彼方というわけではない。むしろその先の、下り基調区間にあるシラサ峠、よさこい峠、土小屋までのアップダウンを、甘く見ていたのかもしれない。それほど、事前計画での印象と、目の前の風景は違っているのだった。
 落ち着け。まだお昼だ。何とでもなる。

 落ち着いて、というより全てを心静かに受け入れる気になって腹を据え、空中に浮かぶような周囲の山々を見下ろし、次々に姿を変える行く手の荒々しい岩山、稜線近くに続いてゆく行く手の道を眺め、ゆっくりゆっくり焦らずに脚を進めていった。やはり瓶ヶ森は意外にもそう遠くではなく、12:40、瓶ヶ森下着。標高1720m、今日の最高地点だ。
 少し向こうに、道が行く手の稜線を乗り越えているのが見えた、その向こうで稜線自体はまだ更に高度を上げてゆくようだ。しかし、ここが町道瓶ヶ森線の最高地点のはず。
 果たして稜線の向こうにも下りは続いていた。一度落ち込む稜線を挟み、正面に小持権現山がぶつかりそうに迫っていたが、道は意外にも小持権現山へ登り返すこと無くあっさりいつの間にか山肌を巻き、更に上下に開けた空間の中をつづら折れで一気に100m下っていった。落ち込む道の外の高度感、これから現れる登り返しには少しどきどきしていたものの、結局最初のルートラボの印象通り、もうシラサ峠への下り基調区間に入ることができていたのだった。

 シラサ峠には「山荘しらさ」という建物があり、ここで「JAZZを聴きながらカフェでゆっくり休憩」できるとツーリングマップルには書いてあった。ちょうどお昼を過ぎたところで腹は減りつつあり、立ち寄る時間には事欠かない。しかし、肝心の建物に人気が全く無いのでは仕方無い。ここでの昼食をあてにしていなくて良かった。昼食自体は、この先面河渓まで下ってしまえばどこかに何かが必ずあるだろう。
 シラサ峠から再び登り返しが始まった。少し下っただけで身体が冷え、登りがしんどくなっているものの、例によって例の如く目一杯ペースを下げて進めばいいだけの話。そして周囲には木々が復活。迫力ありすぎの風景が、少しはごく普通の稜線林道の風景に戻って、気持ちも落ち着いた。
 阿伊吹山を巻いて下り始めた道は、よさこい峠と少し先の名野川越を通過後、またもや登り返しに移行。もう次のピークは瓶ヶ森線終端の土小屋。これが瓶ヶ森線では最後の100m登り返しのはずだ。ぐっと斜度が上がった岩肌の登りは、しかし所詮120m、そして予定通りの順当な登り返し。まだかまだかと思っているとすぐじゃなくても、腹を据えてじっくり行けば、意外に早く前方に駐車場が、その向こうに建物が見え始めた。
 13:30、土小屋着。町道瓶ヶ森線、ど迫力の道だった。
2017/5/2 四国Tour17#2 小松→下畑野乙-5


 今日はもう石鎚スカイランを標高400mの七鳥まで下り、200m登り返して宿に着けばいい。距離はあまり把握していないが、200m登り返しは宿手前まで約10km一発。石鎚スカイライン途中の100m登り返し以外はひたすら下るだけ、極めて単純な、そして楽そうな行程だ。
 このような状況で何とまだ13時半。レストハウスには「軽食」という文字がみられる。渡りに船、もう何か食べるしか無い。石鎚山登山口もあるが、石鎚山往復の時間を確認する気持ちは全く無い。まあ、後で調べたら片道2時間だったし。
 肉うどんを頂き、出会ったロード乗りから行く手の情報収集後、更にぽかぽかの屋外でソフトを追加。13:50、土小屋発。

 道の名前は県道12に替わり、道幅はかなり広めの対向1車線ずつ。車もまあそれなりに多い。石鎚スカイラインは、ここまでの瓶ヶ森線とは一応一続きではあるものの、もはや全く別のテイストの道だ。谷底が見えにくいぐらいにかなり切り立った山腹も、もう森の中。しかし、つづら折れや山肌くねくねで豪快に下ってゆく間、ところどころで森が開けて、西日本最高峰の石鎚山を真横にばっちり見上げることができた。さすがに石鎚スカイラインと名乗るだけの道である。
 途中、標高900m辺りから登り返しが始まった。知ってはいても、たかだか100mぐらいの登り返しはもう結構しんどい。しかし、登り始め以外斜度は緩く、それにまだ14時過ぎ。この先まだ600m下り、宿まで最後の200mだけ登り返しという段階での14時なのである。
 再び下りが始めると、もうそれからは下り一辺倒。斜度が急すぎて速度を上げにくいということ無く、あれよあれよという間にどんどん地形図上での位置を進め、そして高度も下がってゆく。標高800mぐらいから目に見えて木々に緑が復活、周囲は再び賑やかな春の森に替わった。
 標高670mで石鎚スカイライン区間も終了。仰々しい料金所の痕跡を出口で眺めるのがなんとなく楽しみだったものの、実際には既に建て替えられたばかりなのか、新しい鳥居が建っていた。

 面河川の谷間を県道12は更に下り続けた。川面と谷間は次第に深く、広くなり、険しいという印象しか無かった周囲の山々は低く、山肌も森も畑も常緑樹の濃い緑と新緑ばかり。道幅は広いものの、道端には石垣が目立つ集落が断続した。
 村の駅おもごで小休止し、またもやソフトをいただいた後、15:00、村の駅おもご発。

 河口からしばし国道494へ。ほんの少し大回りに見えるのみならず、その先の県道12と212の重複区間を明日も通る予定だが、宿まで登り返しが一番少ない経路である。渓谷には落葉樹が多く、新緑が赤みを帯び始めた日差しで鮮やかだ。渓谷のまっただ中、時々分岐する旧道では、道巾が4m程に狭くなった。そういう区間がボトルネックになっているのか、車はさっきの県道12より余程少ない。400番台国道の面目躍如である。
 七鳥から県道12へ。宿まではもう10km、最後の200m登り返しだけだ。とはいえ時々拡幅済の静かな細道に、森や渓谷、軒を掠めるような集落、基本的にはもうこぢんまりと穏やかな空間が続く。登り基調で少しずつ、次第に高度を上げ、最後は100mぐらいの緩いゴルフ場越えへ。ピーク部分には国民宿舎があった。こちらも計画時には検討したんだよな、と思う。

 16:40下畑野乙「民宿和佐野」着。周囲は田んぼが山間に拡がり、蛙の声がよく聞こえる。私にとって蛙の声は、5月の旅の楽しみなのだ。宿もいかにも農家風だし、周囲も昨日の大川村「筒井旅館」よりよほど里っぽいが、標高は遙かに高い610mなのが面白いところだ。

 明日の天気予報は、高知県仁淀川町で曇りのち雨。出発前の1日中晴れ予報から大分悪化していた。予定としては長年の懸案「とろめき」訪問、そしてやや謎めいた「石神峠」訪問の二本柱となっているが、午後雨だとすると、標高1000m超の石神峠は割愛せざるを得ないかもしれない。そしたら、明日はむしろ喜んで大手を振って休んでしまえばいい。今日一杯登った瓶ヶ森線の印象は、それほど強かったのであった。
 田んぼの蛙けろけろを聞きながら、まだ明るい19時に早々と就寝。幸せな1日であった。

■■■2017/5/26
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■■■高地 大輔
2017/5/3 四国Tour17#3 下畑野川→長者-1

下畑野川→河口→中黒岩→七鳥→長崎→とろめき→日野浦→森→長者
72km
ルートラボ>http://yahoo.jp/Uj9hRc


 一昨日夜の段階で、5/3の天気予報は晴れ後曇り。ところが昨夜曇り後雨に変わった。そして今朝、空は午前中すら心配になるほどのどんより曇りである。雲が低く暗いのだ。少なくとも今日後半の石神峠は、もう最初から行かない方向で考える方がいいかもしれない。まあ天気予報が不安定なので、現地へ行ってみたら何の問題も無いのかもしれない。
 問題は前半のとろめき訪問だ。ここは2001年の四国Tour01で、既に地形図にその地名を見つけて興味を持っていた。その後16年間に2回四国を訪れているが、未だとろめきを訪れていないのは、訪れるのは簡単なようで面倒しか言いようが無い場所だからだと思う。このため、今年は計画初期の段階で、とろめきを訪れることを目的とし、そういうコースと日程にしたのだ。だから、何としても訪問したい。小雨ぐらいなら何とか。

 6:50、「民宿和佐路」発。
 畑野川の町へ下り、県道209へ。9km先、国道33と合流する河口まで有枝川のやや狭い谷間を約140m、かなり穏やかな下りである。
 県道209では、道端に迫るように水が張られた田植え前の田んぼと隅々まで丁寧に手入れされた小綺麗な農村が、狭い渓谷の森と代わる代わる現れた。鏡のような水面に映る山々をはじめ、人々の暮らしと地形、季節が一つになった風景に、この谷の営みとその歳月が感じられた。河合は落ち着いて何とも小綺麗な集落だった。また、集落で60m標高を下げる中野村では、つづら折れで折り返す道沿いに斜面の農村らしさを眺めることができた。一方、河合、中野村、本村では人々は住んでいるものの、やや廃屋が目立つように思われた。全体的には事前の計画や地形図通り、ほとんど登り返しが無くかなり経済的に脚を進めつつ、静かな春の農村風景を楽しむことができた道だった。

 国道33は流石の二桁国道、しかも30番台。一言で言えば、やはり車が多い。地形そのものや谷間の構成は県道と変わらなくても、やはり道路空間というか道の範囲が決定的に慌ただしく、なんだか埃っぽい。実際に車が立てる埃が目に入って難儀する。そして、県道209の本村辺りから雨未満の水滴が空気中に漂い始めていた。
 中黒岩で県道212へ分岐する直前、「面河渓まで20km」の標識を発見。土小屋までは37kmもあるとのこと。昨日は800mぐらいの標高差を下ったせいか距離の印象は全く無い。むしろ距離感覚が無かったことが驚きだ。
 県道212からは、面河川に沿って再び緩やかな登りが始まる。国道33と似たような道幅ながら、やはり決定的に車の量、埃っぽさが少なく、渓谷という言葉が自然に頭に浮かぶ。

 昨日通ったばかりの県道12との短い重複区間で昨日も眺めた七鳥の町並みを今朝は逆方向から辿り、町中で国道494方面へ。すぐに県道210が分岐、今日最初の(というよりこのまま石神峠に行かなければ最大で最後の)纏まった登りが始まった。
 さっき通った県道212と県道番号で2番違いの県道210は、打って変わってほとんど林道の森の中の細道だ。中腹下手辺りからは本物の林道となる。7%程度の斜度で淡々と高度を上げてゆく道の周りは杉と広葉樹に覆われ、殆ど展望は開けない。そして晴れならいざ知らず今日はやや薄暗い曇りなので、木漏れ日きらきらという感じではない。たまに木々の外側が見えないことも無いものの、国道494の谷間方面が雲に包まれているのが見えるだけだ。とりあえずこちらには雨は降らないで欲しい。
 県道210については、林道と分かれてから山肌を少し屈曲した後、急斜面をまともに直登する計画路線っぽい破線がGPSの画面には描かれている。しかしいくら直登するにしても、この絵だと斜度20%以上、程というものがある。
2017/5/3 四国Tour17#3 下畑野川→長者-2


 中腹では急斜面に築かれた石垣、数軒の民家が現れた。蓑川の集落だ。石垣で段々が造られた田んぼは、急斜面のためひとつひとつがやや小さく、様々な形で重なって斜面を登っている。どこの田んぼも水が張られたばかりでまだ泥水色、例によって蛙が賑やかだ。農家の庭先も、道沿いの狭い平らな部分を存分に活用するためか、道ぎりぎりまで軒、納屋、薪置き場にそして様々なものが露出している。道沿いに森と農家は断続して現れ、上手からは集落の全体像が眺められた。
 この後、周囲の森が次第に開け始め、標高850m辺りで一気に周囲の山々の展望が拡がる場所も登場。石鎚山らしき、ずいぶん遠くにある山も眺めることができた。空の色は相変わらずあまり明るくないものの、北側は比較的雲が高いように思われた。県道212の破線が登ってきて再び林道と合流する場所も確認できた。道端の荒れ地には合流点ぐらいは作れそうな空間が確保されていて、その先は杉林がまるごと伐採された禿げ山部分が斜面をストレートに下っていた。やはりこの斜度じゃまともな道にはならなさそうなのだが、まだラフな計画なのかもしれない。

 峠部分からは再び杉の森へ。密ではあるが梢が高くやや明るめの木立をしばらくきりもみ状態のように下ると、民家が断続した後森が開けた。二箆(ふたつの)の集落だ。
 空は相変わらずどんよりだ。谷を挟んだ正面の山には、多分1000m辺りから上に濃厚な雲がまとわりついてる。南下するにつれ、雲は増えているようにも思う。この先、更に南の石神山が標高1000m程度。もう少し時間が経った現地では、絶対行けなさそうじゃないかもしれない。でももう決めた。無理して石神峠に行くのはやめよう。

 集落の分岐から、まずは「うつぎょう」「よらきれ」方面訪問だ。
 うつぎょう、よらきれとは、とろめきを初めて地形図で発見したとき、その近くでやはり目を引いた二つの地名である。平仮名の名前もさることながら、語感も相当に異彩を放っていた。航空写真ではもう集落らしいものは全くみられず、手前の集落からはかなりしんどそうな斜度で登る必要がありそうなことを、今回の計画時に確認できていたので、行ければ行こう、ぐらいに思っていた。そして今、問題無く行けそうなので行ってみよう。
 置俵、そして谷底の長崎はかなり山奥の集落ながら、畦の線を描く石垣はびしっと揺るぎなく、農家の庭先には春の花が一杯だ。鯉幟も所々でみられる。人々の暮らし、営みが感じられる農家の生活空間を訪れている、という気分になる。こういう道を走りに来たんだよな、とおもわせてくれる道が、今回のコースには多い。長崎では石垣上の低い軒の農家、やはり石垣の狭く不整形な田んぼ、そして農家の軒先に積まれた薪等、さすがに谷間奥の一番山深い雰囲気が一杯だ。
 集落の一番奥から、いよいようつぎょうへの登りが始まっていた。しかし、見上げる登り斜度はかなりやはり激しい。途中から斜度は更に激しくなるはずだし、その登りを20分ぐらい汗水垂らして登った森まっただ中で「ここがうつぎょうか。よし、いよいよ次はよらきれだ」などとつぶやくのも、かなり億劫であるように思えた。
 あまり悩まず、ここは次のとろめきに向かうことにした。

 県道210に戻って森の中を更に下り、いよいよとろめきへの分岐へ。
 意外にごく普通の林道同士の分岐っぽいその場所には、「トロメキ稲村林道」という表示があった。稲村とは下手の山腹の集落のようだ。地図上ではその稲村との間で線が描かれていないので、多分道は未開通なのだろう。
 森の中を谷底へ下る途中、舗装道路の分岐が登場。谷の下手方面に向かう道だ。地図にもルートラボにもこんな道は無かったぞ。もしやこれは県道33方面へ直接下る道なのではないかと思った。帰りにでも通れれば、登り返しが少なくて済むのかもしれない。

 トロメキ稲村林道は一度谷底へ下り、反対側の10%の登り返しの後、すぐにとろめきに到着した。集落手前の激坂の一番上には林道開通記念碑があり、集落へは斜度が緩くなっていた。
 山腹急斜面に張り付いた畑、田んぼ、そして石垣の農家。ごく小さい集落ではあるが、景色の前後上下方向への拡がりと変化は、よくここまで土地を使いこなしているなという驚きに満ちている。農家も石垣も畑も田んぼも、ここまでの集落と同じく丁寧に手入れされ、実用的で小綺麗な雰囲気がある。
 集落の一番奥まで行ってみた。まあ奥と言ってもすぐそこではある。林道の折り返し、再び10%を越えそうな斜度で山中へ登ってゆく手前から振り返るとろめきの拡がりが、狭い谷間の急斜面から空へ開けていた。それはまるで下界と空の接する場所であるように。
2017/5/3 四国Tour17#3 下畑野川→長者-3


 現実には、谷間下手の上空にますます濃い雲が次第に高度を下げてきているようだ。もう11時半過ぎ。念願のとろめきに訪問できたことだし、次は国道33沿いに適当な昼食場所を探すか。確かツーリングマップルに何か書いてあったし、何か食べられる店があるといいな。
 帰り道はさっきの分岐で迷うこと無く下り方面へ。途中ところどころで森が切れ、今日ここまで眺めたどの集落より急斜面の田んぼ、そして黒藤川の集落が現れた。急斜面への貼り付き度が見事で、ところどころで脚が停まる程。有名な長野県の秋葉街道方面、日本のチロルと呼ばれる下栗に勝るとも劣らないようにも思えた。
 しばらく中腹をやや緩めの下り基調で横切っていた道に、上から県道210が降りてきて合流し、そのまま民家、畑や田んぼの間をどんどん降りていった。途中から空気中に水滴を感じ始めた。相変わらず、というか前方南側の山々にかかる雲の色はますます濃くなっていて、頭上も雲の動きが結構速い。これは間違い無く降りそうだ。というより、いつ頃から降り出すのか、という次元に推移していた。

 12:00、下りきった日野浦で朝に通った国道33に合流。私にとって16年間の懸案を達成したここまでの寄り道は、国道33ではわずか数kmの移動距離である。
 合流点に「土居のうまいもん」という名前の飲食店兼土産物屋を発見。ちょうど水滴は明らかな小雨のぱらぱらに変わりつつあった。まあそうでなくてもちょうどお昼、そろそろ腹が減ってきていたところなので、迷わずお店へ。
 国道33は深い谷間の渓谷に通っている。道の周囲にはまとまった平地は無く、この店も軒のすぐ外はもう国道33である。店先の車の通行を眺めつつ、ラーメン大盛り、ソフトを連続で頂く。
 再び、石神山は無いなあと思う。というよりこれは、天気のせいにしているが、その実態は計画時にノリノリで軽薄に詰め込みすぎたコースをやっぱりこなせないということではないのか。全く逃げ道が無かった昨日の亀が森林道と違い、現実的で楽ちんなエスケープルートもちゃんと確保しているし。なんだか恥ずかしく恨めしい。下方修正の理由がはっきりしているのは、むしろ有り難いのかもしれない。

 店を出ると、意外にも影ができるぐらいに辺りは明るい。とりあえず出発にはいいタイミングだ。12:30、「土居のうまいもん」発。
 国道33は、面河川の深い谷間に続いてゆく。川幅は二桁国道なりにやや広く、切り立った山の緑に挟まれ、谷底の川原にごつごつごろごろ荒々しい岩場と青い水面が見応え一杯だ。しかしやはり、路上はなんだか埃っぽい。通常ならこれもツーリング許容範囲、何とかぎりぎり上限かもしれない。昔ならこれぐらいは楽しんで走れていたとも思う。しかし、一昨日からの素敵な細道の数々は、既に私を細道しか走れない身体に変えてしまっていた。
 落出で国道494の巨大ループが折り返して山中へ消えていった。地図では高低差100mを一気に駆け上がるこの道の脇に旧道らしき細道がつづら折れで急斜面を登っている。実際に眺める細道も、新道とは無関係の楽しそうな道に見えた。しかし今、目の前の旧道で登り返してまた下ってくる気はしない。対岸に少し登り返して高地休場、なんていう名前の集落もあるのだが、やはりもう無駄に登る気は無い。計画時、無責任にいろいろ考えていた自分が恥ずかしい。

 面河川は大渡ダム湖となり、国道33は湖岸を数10m程度の比較的穏当な高低差で推移しつつ東へ向かってゆく。数10mとは言え登り返しはしんどい。相変わらず道はやや埃っぽく車は多い。
 低い雲の動きは早いようで、雲が切れて青空が見えた後、雨具着替えが必要になるぐらいの通り雨が降った。雨具を着てしばらくすると、再び雨は止んだ。全体的に天気はかなり不安定と言えた。石神峠への道、別枝大橋では、ダム湖となっている広川巾を渡る細く長い橋と、対岸に畑や農家が断続する楽しそうな雰囲気が漂う道が見えた。ここで石神峠へ向かわないのは残念な気もする。いや、やはりしんどい気持ちの方が先行しているし、天気のせいにしてしまえるうちにもう有り難く天気のせいにして通過することにした。

2017/5/3 四国Tour17#3 下畑野川→長者-4


 大渡ダム大橋から対岸へ。赤い鉄骨トラスが見事だったので地形図を見直してみると、対岸に細道を発見したのだ。あまりアップダウンも無さそうだし、大渡ダムの向こうでは国道439へ直接下れそうだ。実は一つ手前の別枝大橋から、既にこの細道に向かうことはできたようだった。
 再び空は心配になるぐらいに雲の色が濃く、全体的に暗くなっていた。対岸の道はやはり静かで、桜並木は青々とし、湖面が間近だ。
 ダムの先で谷が一気に100m落ち込む。水が一杯で広々としたダム湖から打って変わって急に落ち込んだ谷底を見下ろし、つくづく登りじゃなくて良かった、などと思う。前回ここを通った2001年は雨の中。国道439との重複区間を終えて100m登ってゆく国道33を国道439から見上げて、「とろめきは立ち寄るという訳にはいかない場所だな」などと考えていたことも思い出した。

 谷底の小さな町、森で国道439に合流。町中は国道439が未拡幅で、「百貨店」という名前の万屋、古式騒然とした木造理髪店、幅員6m程度の橋などがいかにも旧道然としている。与作ルールてんこ盛りだと思った。
 町を出ると道幅は拡がって、与作というより国道439というか、ごく普通の田舎国道となる。道と川と森だけの長者川の谷間を淡々と少し遡ると、「えっ、こんなに近いの、この時刻で」という距離で、14:10、長者着。少し手前から雨が降り始めていて、雨の到着となった。

 長者という場所は、国道439と県道18の分岐点から少し下手の谷間の集落だ。国道439は谷底で、東側の山肌をつづら折れで大峠へ向かって登ってゆく細道の県道18に、民家の記号が群がるように貼り付いて描かれている。どこをどうみても、細道沿いの斜面集落っぽいなと思っていた。
 実際にも、谷底の国道439沿いには公共施設はあるものの、実際に多くの人が住んでいるのはむしろ急斜面だった。谷底から斜面を駆け上るように何段も積み上げられた石垣の段々、更に上に急斜面にびっしり貼り付く集落は、まるで戦国時代の砦のようでもある。季節柄か谷間には数十の鯉のぼりが掛かっている。ここまでの国道439で、「だんだんの里 長者」と看板が出ていた、その「だんだん」の意味をようやく理解できた。
 これは見事な斜面地集落だ。こんな素敵な場所に、今日泊まることができるのだ。確か前回、雨の中でこの風景を眺めて、しかしその時はまだまだ先の窪川へ向けてそろそろ焦り始めていていたために、立ち止まって景色を眺めることもできなかったことを思い出した。つくづくその時の自分が可哀想になってきた。まあその時の失敗があるからこそ、今日余裕ある計画ができていると言える。
 しかし、今はまた雨が降り始めていた。見上げる空は、相変わらずどんより薄暗く、雲はますます低い。普通、15時以降が宿到着の常識的な時間である。ここは素敵な景色を眺めながら、やはりここまでの看板で目を引かれていた農家レストランで2度目の昼食を頂いて時間を潰そうと思ったものの、水曜日は営業していないようだ。そこで宿に電話すると、もう問題無く入れるとのこと。ありがたい。

 田んぼのつづら折れの急斜面をインナーロー投入で這い上がり、集落の中へ。細道県道18の両側に密集した集落がほんとに続いていた。いや、これは町並みと言っていい。急斜面で狭くなってしまう敷地故か、民家はしばしば3階建てである。道に迫る建物が、狭い道をますます狭く感じさせる。こんな山間にこんな町があるとは。
 登ってわかったが、下から眺めると一見田んぼに見えた石垣の段々は畑が主体だった。ただ、田んぼもあるので、カエルの声が谷間に響いていた。今夜も蛙けろけろの中で眠れそうだ。

 14:25、「高木旅館」到着。
 早めの到着だが、今日はもういいのだ。部屋からの段々の展望は楽しみだったが、薄暗い障子を開けると、そこは段々とは反対の上手側、隣地への擁壁が間近に立ちはだかるドライエリア状態。再び障子を閉め、風呂の後は早々にビールを呑んでひっくり返った。
 ざーっという音で目が覚めた。15時半前、音がするほどの雨が降っていた。どういう事情があろうと、今日は早仕舞いで正解なのだった。

■■■2017/6/11
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■■■高地 大輔
2017/5/4 四国Tour17#4 長者→西川角-1
長者→矢筈峠→新田→布施坂→寺野→西川角
75km ルートラボ>http://yahoo.jp/SIfwq7


 雨が止んだ5時過ぎ。早朝の長者散歩に出かけてみた。
 宿の前の県道18を、まずは上手へ向かう。地形だけで言えば山の斜面をつづら折れで離陸してゆくこの道、目の前の景色だけで言えば落ちついた町中の路地であり、何故この二つの要素が一つになっているのか、興味深い風景にはやはり何か興味深い理由が有るのではないかと思う。とにかく畑も町並みも、徹底的に斜面に貼り付いているのが見事だ。しかしあまり遠くまで行かないうちに空がかなり暗くなってきたので、宿まで戻ることにした。
 今日のコースは、国道439で矢筈峠を越え、まずは四国カルスト裾の県道304、そして四万十川ならぬ四万川沿いに県道2へ。その後は県道25から国道439細道区間再訪、最後に国道194から四万十川上流部の谷間を宿までのんびり下るコースを計画してある。手っ取り早く言えば、檮原方面川沿い細道の大回り道周遊と、四万十川上流部の再訪である。ボリュームもそこそこあるはずだった。
 しかし天気予報は出発前は晴れだったのに、昨日の段階で既に雨後曇りとなっている。しかも昨日の午後から今朝にかけて、予報はどんどん悪化し続け、今はここ仁淀川村で午前中雨の予報となった。まあもともと降水量の多い高知で山間でこの季節、雨なのは当たり前だということはわかってはいる。

 7:15 長者乙「高木旅館」発。町の出口で谷間を少し見渡し、晴れの日の再訪を誓う。谷間に掛かった鯉幟も、今日は雨でしっとり垂れ下がっていた。
 町の少し先で県道18は国道439に合流。昨日最後の区間の続きで、長者川沿いにごく普通のローカル国道が続くが、ところどころで旧道が分岐し、拡幅新道がトンネルでばんばんショートカットする屈曲した谷間を、舐めるように大回りしている。最初のうちはそんな旧道へ脚を向けていた。集落があるからか旧道区間に寂れた雰囲気は無く、静かで落ちついた田舎道が楽しめた。しかしそんな旧道周回は、霧粒が雨粒に変わるに至り、新道トンネルへの待避に替わっていった。

 低い機器音を発する石灰運搬コンベアをくぐり、矢筈峠手前の太郎田へ。空中歩廊のようなこの石灰コンベア、地図で見ると昨日訪れる予定だった石神峠から、何と須崎まで延々と山中に続いているのだ。そういえば2011年の訪問でも、須崎からの県道317でこのコンベアを見かけたことを思い出した。2001年にもこの場所で、雨の中でこのコンベアを見上げている。過去の旅と同じような場所に出かけていると、何かと過去の旅と繋がる物事が見つかるものだ、と思った。
 太郎田で拡幅新道が終了、ぐっと細くなった国道439は峠へ登り始めた。取付部分がやや急な他、基本的に斜度7%程度の杉の森。ほとんど景色が開けないものの、時々小集落が現れた。また、森が切れる場所では切り立つ山々が雨雲に霞む、幽玄たる装いが眺められた。霞が晴れていれば、更に見事なのだろうとも思う。一方森の中では、雨に濡れた路上に真っ赤なサワガニがひょこひょこ出動していた。2001年の訪問時にも、与作の所々でサワガニを見かけたことを思い出す。立ち止まって眺めると、威嚇のためかこちらに向かってはさみを振り上げるのが可愛らしい。いや、当人達は上から迫る脅威といえばほぼ100%鳥、嘴攻撃に対する最後の抵抗なのだ。驚かせて申し訳ない。

 8:45、矢筈トンネル着。雨、トンネル内に煙る霧、ナトリウムランプが、またもやここも2001年の記憶のままだ。トンネル入口で分岐する当時の四万十林道は、いつの間にか目出度く全線県道378となっている。入口から見える部分は舗装化されているものの、まあこれもほとんど2001年のままだ。
 自分はと言えば、長者からここまで1時間半もかかってしまっている。昨日森から長者まで30分。2001年は森から長者まで1時間半だった。昨日今日と途中で雨具を着たり旧道を経由したり自販機で必要以上に休憩したり、かなりのんびりしてはいるものの、これが今の実力かもしれない。まあ2001年の時は焦ってたしな。思い出すに付け自分がかわいそうになってくる。今日は2001年と同じく雨は降っているものの、時間たっぷり、安心感一杯の行程だ。人間いつかはこういう日が来るのだ、真面目に地道にやっていれば。
2017/5/4 四国Tour17#4 長者→西川角-2


 矢筈トンネルまでは山腹だったのに、トンネルの向こうは地形ががらっと変わって狭い谷間まっただ中。すぐに谷底へ降りてしまった。森も杉ではなく広葉樹が主役で、路上に梢が伸びて雨に煙る新緑が生き生きと魅力的だ。しかし雨が強くなり始めたらそうも言ってられない。
 しばらく未拡幅の林道然とした細道が、谷底の森に続いた。寺川から集落が現れ始め、唐突に与作は拡幅済区間に移行。やや拡がって見通しが良くなった谷間を、与作は更にどんどん下ってゆく。この期に及んでも、周囲の山々の道から100mぐらい上は、もう完全に雲に煙っていた。
 これでは本来のコースの山間方面にはとても向かえない。チャンスがあったら行ってみようと思っていた芳生野の四国カルストへの県道48、続いて郷内で本来のコースの県道304への分岐、両方とも何の迷いも無く続けて通過。どうせ高いところへ登ったり谷間が狭くなったら雨だ。それに激坂だしな。次回、晴れそうな時期にちゃんと姫鶴高原で泊まる計画を立てて再訪したい。
 下り斜度が落ちついてほぼ平坦になると、谷間の屈曲は全体的に大きくなったが、くねくね度は相変わらずだ。変化のある地形、景色の中を、晴れの日に走りたかったと思う。しかし天気は雨でも、山肌は相変わらず落葉樹も常緑樹も若葉が色とりどり、水が張られてまだ田植えしていない田んぼでカエルが賑やかだ。農村で自販機を見つけて立ち止まると、地元の方が声を掛けてくれた。

 10:00、新田着。与作のほぼ全区間が、遂に私的既済区間となった。ほぼというのは、徳島近郊の一部で数km迂回する県道を、高知県の豊永から本山で吉野川対岸の県道113・262を20kmほど経由しているからだが、両方とも与作に車が増える区間なので、自分としてはこの区間の与作に興味は無い。ともあれ2001年から始まった与作分割払い最後の区間の矢筈峠〜新田、細道は峠下りでそこそこ残っていたし、拡幅済み区間も静かでのどかな道だった。
 新田を2011年に訪れた時、国道195沿いのヤマザキデイリーで、確かおにぎりぐらいは食べたような気もする。そしてここのおにぎりや弁当には、有り難い以上美味しい系方面のいい印象がある。今朝高木旅館でたっぷり朝食を食べているので、まだ弁当を食べる気にならないものの、どういうわけか軽く寒気がしていたので、カップ麺にコンビニコーヒー、暖か系を集中投与。
 何とか凌げるぐらいに身体が落ち着いたところで、この先の身の振り方を検討せねば。国道197の谷間まで降りてきても雲がかなり低く濃く、少し標高が上がったり谷間に入り込むとすぐ雨が降り始めそうなので、今日の目玉コースは全てあきらめる必要がある。しかししばらく天気はこの調子でも、今日の宿の四万十町では15時頃から曇りの予報になってはいる。それなら、2001年から興味があった、もうあと10数kmの「道の駅布施坂」辺りで早めのお昼にして、午後は四万十川上流をのんびりてれてれ流し、早めに窪川手前の宿に着いてしまう方がいいかもしれない。四万十川上流部のやや開けた谷間なら、雨が強まる事はないだろう。それで行こう。
2017/5/4 四国Tour17#4 長者→西川角-3


 10:30、新田発。谷間の行く手はかなり煙っている。やはり今日は最短コースで窪川へ向かうのがいいのかもしれない。
 国道197は、与作より大分交通量が多い。昨日の国道33と較べると国道33の方が少し多いぐらいだが、まあそれぐらいに車が多い。谷間自体の風景は諸々の県道とそう変わらないような気もするものの、道の外側に自分の意識が向かいにくい。国道の空間を車の気流に乗って、なんとなくしかしひたすら、黙々淡々粛々と、そんな国道走りが続いた。
 四万十川上流部の谷間と交叉する船戸は、源流の森から農村の小川に変わった四万十川が、急斜面を駆け下りて多少は開けた谷底の拡がりに下りきる場所で、構えの立派な民家や宿が県道沿いに並んでいる。こんな場所で一度のんびり泊まってみたいものだ。四万十川の谷間ではあるものの、道の駅布施坂はもう少し先なので、まずは県道19への分岐は通過。
 県道378分岐のヤマザキデイリーには記憶があった。雨の中ここでいよいよ暗くなり始め、1分1分を気にしつつ休憩した場所だった。その先では国道197旧道への分岐が登場。旧道はくねくねで、新道は旧道と付かず離れずぐらいの全く別の道なのである。まあそんなことは四国や紀伊半島の今時の国道では当たり前のことだ。

 布施坂トンネルを抜けると、何と山腹のまっただ中。谷間を渡る橋など、山々と雲海を見下ろす空中の道と言ってもいい程である。船戸はこぢんまりした里の外れだったのに。あまりに違いすぎる。
 雲に覆われた山の森に、くねくね続く細道と茶畑がよく見えた。地形図には布施坂と書いてある。あっちが旧道、本家の布施坂なのだ。峠ではなく坂自体に名前が付いているところが、いかにも四国の道らしい。それでも峠部分に拘り、峠部分を布施坂峠なんて呼んでいる人もいるかもしれない。
 11:05、道の駅布施坂着。道の駅はトンネル出口からすぐ近くの山腹まっただ中、意外な道の意外な場所に立地していて印象的だ。
 自分はと言えば、昼前だがもう全然昼食OKである。まずは道の駅の食堂で角煮ラーメンを注文。店の外で雨具を脱ぎ、自転車を裏手の食堂から見えやすい場所へ移動。
 ラーメンを待つ間、落ちついて地図でも眺めることにする。さっき見下ろした国道197旧道は、実はさっき通った船戸から分岐していた道だった。旧道の峠は船戸からほとんど登らず、峠のすぐ下では別の道が分岐。分岐した道は再び稜線を越え、四万十川の支流へ戻っているではないか。登り返しは100mも無さそうだ。もちろん未済経路である。そして、この先船戸へ戻って向かうつもりだった四万十川の谷間に続く県道19とは、数km先の寺野で合流していた。
 県道19は景色が素晴らしいことはわかっているのだが、2011年、つまり前回の四国で通っている。そして昼飯を食べている間に雨は弱く、空はやや明るくなり始めているような気もする。山間へ向かうとは言え、これぐらいの迂回は全く問題無いだろう。これで行こう。

 角煮ラーメンの後、唐揚単品、更にソフトと集中的にがっつき、道の駅には長居しすぎた。12:20、道の駅布施坂発。
 船戸へ戻り、国道195旧道でまたもや布施坂側へ。旧道の峠から下り、地図の通りに分岐した県道377では、雨が再び強く降り始めた。標高は450m、さっきの道の駅布施坂は400mぐらいだった。400mちょっと上ぐらいに雨天の境があるのかもしれない。
 布施坂側は山中の道だったのに、峠部分の向こう、四万十町側の程落では、すぐに再びあきれるぐらいに開けた集落まっただ中となった。それは布施坂・船戸と同じパターンだ。
 雨の中ではあったが、谷口、寺本、新改と、のんびり穏やかな四万十上流らしい農村風景が続いた。「ちかやの」などという平仮名集落もみられた。しかし雨は更に強まって、どこかの軒下で少し休みたい気分になっていた。
2017/5/4 四国Tour17#4 長者→西川角-4

 寺野で当初のコース、船戸から四万十川とともに下ってくる県道19に合流。寺野は2011年に須崎から訪れている。県道どうしの交差点なのに生活道みたいな道、ラジオ体操の音楽が流れる早朝の小学校など、楽しい田舎道の雰囲気が印象的だった。今日は県道19を下流方面へ。こちらの道は2001年以来となる。
 四万十川の谷間を国道197が横切る船戸は標高400m、寺野は標高300m。船戸から寺野への8kmで、四万十川は100m下っていることになる。一方、寺野から先、四万十川の谷間は下りが完全に一段落。標高300〜200の窪川まで、上流部なのに窪川以降の中下流より余程平地っぽい広い谷間が続くのだ。四万十川の大きな特徴のひとつと言える。
 2001年の訪問時は、この辺りでもう18時半過ぎ。もともと雨で薄暗いのにそろそろ日没時依然として刻を過ぎ、辺りは目に見えてどんどん暗くなり始めていた。のんびりしたいい風景だなとは思いつつ、宿までまだあと20kmぐらい、ひたすら気が急いて焦っていた。今日、この道ののんびりと穏やかな、ちょっと拍子抜けするぐらいに普通っぽい農村風景に、記憶が全く無い。余程何も目に入らなかったのだ。
 ゆっくり風景を見逃さないように進みたい、僅かだが下り基調だし。と思っていたら、神母野で軒の深い商店を発見。依然として雨は本降りなので、大きな軒下は有り難かったが、あまり休憩時に食べでがありそうなものは無かった。まあ、缶コーヒー程度飲めれば、宿までもう何の不自由は無い。

 奈路から竹原には、四万十川が屈曲して一気に40m標高を下げる渓谷がある。河岸に山肌が切り立ち、谷間の集落は途切れ、県道19は河岸の小山を乗り越えて屈曲部をショートカットする。この四万十川沿いには珍しい登りで、2001年の訪問では真っ暗な森で路上の石に乗り上げてパンクしてしまった。既に200kmを走っていてやや疲れていて、坂でしんどくて先行きを焦り、更にインフレータを道中で紛失していてパンク修理もできない。雨中の修羅場だった。16年来のトラウマ区間なのである。
 前回しんどかった坂は、今日通ってみればたったの40m程度。ピーク付近で改めて四万十川を見下ろすと、この風景には確かに記憶がある。

 次第に谷間全体は拡がっていった。栗の木辺りから窪川にも近づいていることもあるためか、四万十川東岸の県道19の交通量は増え始めた。ちょうどいい具合に西岸へ向かう県道322へコースをとってある。それに宿は西岸側だ。
 県道322は県道19の裏道的なポジションにあるようで、かなり静かな細道だ。そもそも西岸自体が東岸に比べ、どちらかと言えばそういうポジションであるようだ。かつて西岸には窪川から木材運搬用の鉄道が通っていたらしく、道はあくまで鉄道風に平坦に道幅にしては整った線形で、河岸の集落や田んぼ、畑、山裾の森を通り抜けてゆく。雨はかなり弱くなり、もう小雨ぐらいになっていた。ただ、やはり雨具は手放せない。
 寺野から20km下って来てつくづく思ったのは、四万十川流域の農村風景と四万十川上流部の雰囲気は一体であるということだ。草むらや竹藪に鬱蒼と覆われた川岸は、どこかにニホンカワウソぐらい住んでいそうな雰囲気が一杯で、一見のんびりとごく普通の農村風景を緩めに彩り、その表情を決定付けているように思えた。「最後の清流」と呼ばれる四万十川だが、護岸箇所が全く無いかというと決してそうではない。それに今回出発前に知ったことだが、ダムも実は窪川の下流側に一つあるらしい。しかし、その清流純度よりも、流域農村と川が一体となった風景にこそ、四万十川ならではの特徴があるように思えたのだった。

 米奥で2001年と2004年に泊まった四万十の宿(現在休業中)こと松井商店のおばさんを再訪、作屋で仁井田米を家に送り、15:35、西川角「四万十川ほとりの宿」着。
 到着段階で雨は一段落し、道は乾き始めていたものの、16時過ぎには再び雨が降ってきた。明日の天気は曇り後晴れで、明後日は雨後晴れ。最終日は晴れらしいが、やはり出発前の天気予報から次第に、そしてかなり悪化していると言えた。まあ、明日午後の土佐清水での晴れを期待したい。
 宿は外人のお遍路さんと同泊で、更に夜には別棟に広島の家族連れが到着。楽しい晩ご飯となった。

■■■2017/6/18
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■■■高地 大輔
2017/5/5 四国Tour17#5 西川角→下長谷-1

西川角→替坂本→黒石→窪川→家地川→打井川→おんじ→住次郎→中村→来栖野→下長谷
119km ルートラボ>http://yahoo.jp/RxJFnn


 夜が明けても、空はどんよりと低い。山の低いところに雲がかかっているし、そもそも小雨が降っている。天気予報は今日こそ9時から晴れ。今の天気にその兆しは全く無い。これから晴れるのだろうとは思う。
 今日のコースも計画段階での仕込みは多い。窪川の台地から200m下る太平洋岸の加江、四万十川中流で唯一国道381から離れる家地川、奥内井川から黒潮町の太平洋岸への内陸部、そして土佐清水方面内陸の三原村。小ネタばかりだが切れ目無く盛りだくさんだ。ただ今日までの行程を考えると、風景を眺める時間が確保できていることが楽しさに直結している。
 午前中9時頃まで雨っぽい今日の天気予報を前提に考えると、前半の加江への約40kmの寄り道は、太平洋や森の中の道で雨や曇りかもしれない。そして大回りなだけに後半の工程への影響は大きく、単純に距離を稼ぐための行程になってしまいそうに思えた。ならば加江経由を丸ごと止めて、その分お昼前からの県道55で山奥の農村風景をのんびり眺めればいいではないか。太平洋の風景だって、今日は黒潮町から中村まで海沿いに細道GPSトラックを細かく組んでいる。
 最終的には分岐点の天気で判断しよう。

 雨具を着て、スイス人のお遍路さんと広島からのご家族に挨拶し、6:40、西川角「四万十川ほとりの宿」発。
 荷物を積んでいる間、雨は止んだ。道はまだ黒々と濡れていて山裾の雲がまだ残っているのに、いつの間にか上空の雲が薄くなって全体的に青い色が見え始めている。これなら今日こそは天気予報どおり、9時頃から晴れるのだろう。
 川角橋で四万十川東岸へ渡り、東川角でコーヒーを飲み、雨具を脱ぐことにした。朝にペースのとっかかりが悪いことへの言い訳のようなものだ。どうせ今日はまだあまり大した登りは無い。
 県道323で四万十川支流の谷間、「魚の川」方面へ。地名に道道と平仮名が入っているのが面白い。まだ山裾に低く残る低い雲の切れ間から日差しが現れ、しっとり濡れた風景全体が斜光線にきらきら輝き始めた。雲の下に日差しが射すと、空全体が乱反射して、幽玄たる陰影を雨上がりの風景に加え、気温が一気に上がり始めた。と思っていると、速い雲の動きで日差しはすぐに隠れた。路面はまだぬらっと濡れていた。今は晴れ始めているこの場所も、間違い無くついさっきまで雨が降っていたのだ。

 龍石トンネルを抜け、替坂本から県道326に乗り換え、再び小山越えで大井川の谷間へ。雲は相変わらず早く動いているものの、辺りは明るくなったり暗くなったりして、青空が現れたと思ったら軽い雨がぱらついたり止んだりしていた。平野から谷間に入ると、まだ天気は不安定なようだ。加江方面への寄り道コースはあまり悩まずに見送り決定、下り方面へ。
 弘見からは県道325へ乗り換えて黒石へ。この辺り、320番周辺の県道番号が連続する。黒石は農業大学校がある小さな町だ。またもや缶コーヒーで休憩中、空が再び晴れ、みるみるうちに青空は拡がり始めた。この先に向けて大変に希望が持てる。お昼過ぎの太平洋岸では美しい海岸線に出会えるかもしれない。朝の加江経由を諦めて余裕ができた分、2011年に感動的だった中村→土佐清水の太平洋西岸岸壁に向かってもいいだろう。最終的に三原村で18時の夕食に間に合えばいいのだ。

2017/5/5 四国Tour17#5 西川角→下長谷-2


 黒石からは小さい峠を越えて窪川へ。5、60mのちょい坂には、ちょこざいに「藤の越」等という名前が付いている。あっという間に通り過ぎた藤の越の向こうは、早朝からここまでずっと濡れていた路面が乾いていた。こんなに小さい坂に峠的な名前が付けられているその位置づけには、そういうそれなりの理由があるのかもしれない。
 町には裏側から例によって細道GPSトラック頼りで入り込み、8:30、窪川駅前着。2004年以来の窪川駅も街中の興味津々の鰻屋もそのまま通過、市街地から土佐くろしお鉄道沿いに四万十川岸の細道へ。

 四万十川の両岸には低山が迫り、平地っぽい窪川以北の風景から雰囲気が一変していた。窪川から江川崎まで、四万十川は中流域に移行すると言っていい。しかし岸辺には相変わらず鬱蒼とした茂みが多く、まるでニホンカワウソが潜んでいそうなのも相変わらずだ。
 国道381対岸の南岸、山裾に張り付く静かな細道を進んでゆく。しかし、若井から新田へはその細道が少し途切れてしまうので、他人事で眺めていた北岸の国道381を少し経由する必要がある。国道ならではの気流に乗れるというか平滑な路面のお陰というか、ペースはぐっと上がるし、それでいて交通量は目くじらを立てるほど多くないとは言え、やはり幅の広い道そのものが楽しめない。一方、空の雲が明らかに低くなり始め、空には青い部分が全く無くなっていた。今日は本当にこれから晴れるのかと少し不安になりつつ、息を止めるように新田を目指す。
 新田から再び南岸の道が復活するので、野地橋を渡って県道329へ。一方、四万十川が南へ大きく屈曲するため、国道381はしばし四万十川を離れてショートカットする。この間、四万十川は唯一のダム、通称家地川ダムで川面を8m程下げる。四万十川にもダムのようなものはあるのだということを、実は今回初めて知った。ただ、8mという落差はダムにしては少ない。家地川ダムは正確には佐賀堰堤と言い、堤高が低いのと魚道が確保されているとのことで、本当はダムではないらしい。しかしそういえばさっきから川幅がやたらと広くなり、川というより湖のように水がたぷんたぷんになっていた。
 ちなみに窪川から四万十川にしばし並行していた土佐くろしお鉄道は、若井から四万十川をしばし離れ、何とループ線で大きく標高を下げる。そしてループ線の途中でJR予土線が土佐くろしお鉄道から分岐し、再び家地川で四万十川に合流している。窪川から宿毛へ向かうのが土佐くろしお鉄道宿毛線、窪川から宇和島へ向かうのが予土線という位置づけであり、両線が分岐するのが窪川ではなく山中でいきなり分岐するという、他ではあまり見かけない路線構成となっている。
 四万十川にJR予土線が合流する前に、国道381も再び北岸に合流し、再び四万十川、JR予土線、国道381が揃って、江川崎まで一緒に西へ向かって行くことになる。

 通ってしまえばあっという間の家地川ダム。一応コンクリートでダムっぽい構造物が作られていはいるものの、「実はダムではありません」という事情も一応納得はできるし、これしきで四万十川の清流の度合いを下げるのも少し可哀想な気はする。そして、下流側の風景も、若井辺りのダム上流側とあまり変わらない。ただ、川の水量はかなり減った。この辺りはNHKの古いドキュメンタリーで見かけたことを覚えている。悠然と流れる川の雰囲気と地形の空撮が印象的だったので、多分ここで間違い無いと思う。昭和40年代後半の映像と現状は、未舗装だった道が舗装に替わっていることが違うぐらいである。
2017/5/5 四国Tour17#5 西川角→下長谷-3

 引き続き南岸の細道の後、打井川で分岐して県道55で南側の内陸へ。四万十川の谷間から打って変わって、打井川の谷間はかなり狭く、常緑樹が南国らしく密に生い茂っている。
 内井川の分岐には、これから向かう県道55の二つの小さい峠の二つ目、四万十市・黒潮町界の四万十市側が全面通行止めで、平成29年6月まで工事期間であるとの表示が早々と出ていた。もしその通りだと、県道55からは予定コースの黒潮町には出られない。迂回コースとして県道367へ、住次郎からは国道439に合流してそのまま中村を目指すしかない。住次郎から中村は2011年に訪れていて、国道439の中でも徳島近郊と並んで国道439らしくない、やや裁けた風景が20km以上続くことがわかっている。
 その通行止め情報がこんな手前から出ている。たかだか看板風情がなかなかどうして人の気持ちを見透かすように、「通行止めなんですからね」と念を押しているような気がする。まあしかしこういう場合の常として、そしてリカバリーの可能性を考慮した今日の現実的な選択肢としても、そのまま行ってみるしかないのである。

 同じく内井川の分岐辺りから看板が出ていた「海洋堂かっぱ館」と「海洋堂ホビー館」は、このマイナーな県道55沿いの施設にしてはけっこう賑わっているように思えた。ホビー館に至っては路上に交通整理係までいた。その時はテーマパークみたいなものかと思っていたが、帰ってから調べてみると、海洋堂とはフィギュアの人気メーカーだとのこと。新築ジブリ系っぽい海洋堂かっぱ堂、続いて廃校リニューアルっぽい海洋堂ホビー館を過ぎると、県道55はぐっと細くなった。森が道に覆い被さり、狭い田んぼや畑が狭い道と一体の空間になる、細道県道らしい風景がやっと現れてくれた。
 山間の集落、奥内井川で県道55は隣の谷間への峠越えへ向かう。内井川の谷間をそのまま遡る道は、県道367と名前が変わり、番号の上では県道55から分岐する形になっている。この奥内井川の分岐で、さっき看板が出ていた通行止めの実態が明らかになった。まず通行止め看板に写真が付いているのに驚いた。そしてその写真は、崩落土砂がつづら折れの2段に渡って完全に道を覆っているものだった。これなら歩いたって通れないという、全面通行止めだということが大変わかりやすい。場所もちゃんと描かれていた。それは四万十市と黒潮町の境界である峠部分の四万十市側、峠へ向かって道が谷底から離陸を始めるつづら折れ部分のようだ。工事期間はと言えば平成29年度6月末まで。黒潮町の海岸を通って中村に行きたかったが、今日は住次郎経由確定だ。ここまでやらないとこの道を訪れる人は納得しないのかもしれない。まあ、私も人のことは言えない。

 県道55は狭い田んぼの脇をぐいぐい登り、更に杉の森をぐいぐい登る。とはいえせいぜい標高差140m。峠というより海岸の丘陵らしい丘を越える越えだ。房総半島でこういう峠はよく見かけるような気もする。峠部分には鳥撃場という名前が付いている。正確に言えば、名前の付いている場所は峠というより峠の周辺ということのようだ。鳥撃場とは、誰かお偉いさんが鳥を撃ちに来たのだろうか。四国には何かと面白そうな場所が多いとまたもや思う。
 谷底の森が開け、下りきった集落の名前は平仮名で「おんじ」。斜面に作られた田んぼの土手の間を道はすり抜け、県道55と県道367の分岐に到着。分岐手前の田んぼで農作業をされていたおじさんから、この先の道について情報収集のヒアリングをしておく。結論を言えば、やはり県道55はもうしばらく全面通行止めになっているようだ、とのこと。
 しかし、少し先で分岐に出ていた看板は、ここまでの情報を覆すものだった。何と「本日通行止め解除」と書いてある。GWに間に合うように、あの崩落土砂を撤去したのだろうか。ならば行くしか無いだろう。後ろでおじさんが怪訝そうな顔をしているような気もするが、まあいい。
2017/5/5 四国Tour17#5 西川角→下長谷-4


 先に進むと、すぐに崩落復旧工事の鋼矢板土留めが現れた。明らかに件の崩落通行止め箇所とは別の場所だ。通過してからふと、「ひょっとして通行解除ってこれのことか」と思った。そうかもしれない。まあ今はとにかく先へ進んでみよう。可能性が1%でもあればそれに懸けるのがデュエリストだとある人から聞いている。私はデュエリストではないが、今は1%の可能性に懸けてみたい。
 20分ぐらい進む間、いつの間にか次第に道の斜度は上がり、落ち枝や小落石が目立ち始めた。さすがになんだか雲行きが危ういと思い始めた檜の畝(これも地名)から、斜度がぐっと厳しくなり、すぐ写真通りの崩落が登場。
 まるっきり写真通り、道は全面的に、かつ盛大に崩落土砂が被っていた。今ここで写真の通りだと、この上にあるつづら折れのもう一段上でも通行不能なのは明らかだ。結局看板通り、崩落土砂はまだ全く撤去されていないのだった。そして「本日崩落通行止め解除」は、やはりさっきの場所だったのだと思われる。来年の6月一杯までにこの道は通行可能になるんだろうな、きっと。
 というわけで県道55を逆戻り。戻ってみると下りがしばらく続き、ここまで結構登っていたことに改めて気が付いた。

 おんじからは県道367へ。こちらではさっきの奥内井川での県道55と367の関係とは逆に、県道367がそのまま谷間を下ってゆく道となっているのが面白い。
 常六、中が市、大つえ、片魚口、竹奈路、長瀬と小さな集落が、くねくね屈曲する後川の小さな谷間に続いた。私のような自転車ツーリングには適度な狭さの道と谷間にのどかな風景が適度な風景の変と共に続き、本来はとても楽しいだろうと思わせられる道だ。しかし、おんじから少し下った辺りから、雨がぱらぱら降り始めていた。昼から晴れるのではなかったのか、などと考えるのも無駄だ。見ればわかるだろう、雨なんだよ。それに楽しみだった黒潮町海岸区間を通れないこと、これから既済の、しかもあまり楽しくない道をしばらく走らなければならないこと。気分は冴えない。こういう時には中村で何か美味しい物でも食べて、気分を晴らしたい。
 住次郎で国道439へ合流すると、やはり前回2011年訪問時の記憶通りにすぐに道巾が拡がった。更にこの先、記憶によると、国道439は全国に名だたる酷道与作というよりごく普通の地方幹線道であり、もう中村へ近づくにつれ地形なりに辺りはごく普通に開けてゆくだけだ。中村を通過したという事象と中村の街の風景以外、具体的にどこがどうだったとかが全く印象に残っていないのである。今回も残念ながらほぼその通りの展開で、それでも谷間が少し拡がった蕨岡で脇道へ入り込んではみたものの、あまり悪あがきの余地は無く基本的に国道439そのもので中村に向かう必要があった。たださすがは国道沿い、住次郎の先から雨は完全に上がり、その後天気が終始安定していたのは助かった。
 というよりもうお昼過ぎである。一体いつになったら予報通りに晴れるのか。もう晴れに期待する気は完全に失せているが。

 13:00、中村着。朝に前倒しで下方修正しているので、時間はたっぷりある。太平洋西岸に向かおうか。いや、それじゃ住次郎からの国道439に引き続き、まるっきり2011年と同じ行程になってしまう。しかも今日は曇りである。海岸線へ脚を向けてもどんよりと低い雲に冴えない色の海、荒々しい岩場に、毎日雨で参っている気持ちが更に打ちのめされそうだ。それに前回あんなに感動的だった海岸の道に、冴えない天気の日に再訪してしまうと、美しい思い出が冴えない風景で上書きされてしまう。何より、今日は未済経路へ向かうべきだろう。
 中村から先、予定通り県道346に向かうとすると、やはり時間は余り気味だ。もう三原村まで、あと30kmも無いのだ。どこかお店に入って何かうまいものでも食べて気晴らしにしたい。こういう時には地元の然るべき方から教えていただくのが一番だ。街中のローソンで買い物ついでに普通の主婦っぽい店員さんにヒアリングしたところ、国道439沿いの「一風」を紹介してもらい、四万十産(養殖だが)の鰻丼をいただく事ができた。ふわっとたっぷりで、味わい豊かな大変美味しい四万十鰻だった。
2017/5/5 四国Tour17#5 西川角→下長谷-5


 14:00、中村発。県道346の四万十川橋から西岸の平地へ。ここへ来てまたもや雲は暗くなっていた。今日はついに晴れなかったことになるのかもしれない。もう宿まで直行しよう。
 四万十河岸では昔ながらの町並み、中村宿毛道路近くではいきなり今時の幹線道路風ロードサイド店まっただ中、最後は中村宿毛道路の高架下に沿ってとぼとぼと県道346は西側の山裾へ。同じ一続きの県道346沿いにめまぐるしく変わる沿道風景の一見奇妙な取り合わせに、時代に翻弄される地方主要都市というようなものを見た気分になった。
 そんな感傷とは全く別に、山裾から谷間に入ると県道346は急激に峠越え系細道に替わり、谷底の川沿いに高度を上げ、密森を名無し峠へ離陸していった。名無し峠の標高は330m。さっきの鳥撃越の方が標高そのものは高いが、こちらは四万十川河口近くからの登り始めで標高差は320mぐらい。それでもそんなもんではあるものの、間違い無く今日最大の登りである。
 周囲の密林はなかなか眺めは開けない。しかし、静かで落ち着いた道である。ややしっとり気味の路面には、サワガニもひょこひょこ登場した。そして、そうこうするうち空は少し明るくなり始めていた。

 峠の向こう側は登りの半分ぐらいの下りで、狼内で下りが終わって唐突に森の中から田んぼに出た。狭い山間の田んぼではなく、いきなり拡がったにしては開けている谷間である。雲は相変わらず多いものの、辺りは直接太陽に照らされ、日なたになっていた。
 山裾のT字路で、太平洋岸へと下ってゆく県道346とはお別れして、三原中心部へ向かう県道県道46へ脚を進める。高知県南西部に訪れる観光客のほとんどは、中村・宿毛から海岸沿いに足摺岬や土佐清水へ向かうと思われる。かく言う私も、今回の旅程を計画するまで、海岸沿いの中村・宿毛・土佐清水に囲まれた内陸山間に、こんな農地が拡がっているとは思いもしなかった。しかし意外にも、ここ三原の谷間は、田んぼや畑が山間の平地一杯に拡がり、道も比較的しっかりしている。つまり、農業に対して機能的に整備された場所であるように思えた。

 三原の谷間全体は全体として曲がりくねっているものの、三原の中心部や今日の宿の下長谷へも、もう一続きの谷間だ。このまま宿には向かえるのだが、折角日差しが出てきた。まだ15時過ぎ。
 屈曲した谷間の平地はあくまで山間、終始農業に適した程度の広さであり、安定感や落ち着きが感じられる空間であるものの、迫力やら変化という観点からはやや物足りない。かといって天気は今すぐ悪化しそうにもなく、緊急に身の振り方を決める必然性に三原の谷間を隅々まで走り回るのだ、などという気がもりもり沸いてくる訳でもない。
 というわけでやや受動的に三原中心部と下長谷への分岐へ脚を進める途中、ちょうどいい具合に上長谷で手持ちの地図に出ていない道を発見。道は谷間を挟む山の片方へ向かっていて、山の向こうは三原村の中心部だ。つまり、山をトンネルで抜けて。町へショートカットする道っぽい。そう言えば「三原のじまんや」という物産館があるんだった。何か物産館で食べられるかもしれない。
 というわけで15:40、三原着。物産館「三原のじまんや」に寄ってみるものの、軽食コーナーは16時で営業終了らしく、もう店じまいに入っていた。そして夕方の物産館には、宿到着を目前にしたワタクシ的には全体的にちょっとボリューム多めのラインナップが待ち構えていた。もう少し暖かく、もう少し小腹系のものが食べたかったのだが、と思ってやっと、自分は何か具体的に食べたかった訳ではなかったことに気が付いた。
 雲は相変わらず早めに動いていて、空は再び暗くなり始めていた。徹底的に手持ち無沙汰な寄り道になってしまったものの、宿ももう近くだし、どぶろくが待っている。

 16:05 下長谷「農家民宿 くろうさぎ」着。
 お米の味が濃厚などぶろくを頂き、風呂に入って一寝入り。気が付くと、夕方になってやっと空は晴れ始めていた。近所へ少し散歩に出かけてみると、まだ雲は早く動いていたものの、大分低くなった夕方の日差しが、雲を物ともせず鋭く差し込んできていた。田植えが終わったばかりの田んぼも、山々を映した水面も、夕方の日差しで眩しく鮮やかだ。
 明日の予報は6時の三原だけ雨でその後は晴れ。宿毛市の平田へ下ってしまえばもう晴れているかもしれない。そういう予定に対し、希望と確信が持てる展開だ。明日こそ予定通りの山間細道へ向かおう。その後は16年振りの宇和海だ。

■■■2017/6/28
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
2017/5/6 四国Tour17#6 下長谷→高山-1

下長谷→平井→平野→津島→宇和島→吉田→明浜→高山
140km ルートラボ>http://yahoo.jp/R0n2DP


 昨夜あれだけ星が出ていたのに、夜が明けてみるとなかなか明るくならないほど雲が低く垂れ込めていた。しかも、折角の田舎の朝なので外を軽くお散歩しようと出かけてみたら、雨まで降り始めた。
 今日の天気予報は三原で7時から晴れ。宿毛は9時から、宇和島は1日じゅう晴れの予報である。ほんとか、信じるぞ、とは思っても、これだけ毎日当日の朝予報に裏切られていると、流石の私も何が起こってもあまり驚かない気分だ。

 朝食中、雨は普通に本降りに変わった。三原の天気予報も現状を勘案したのか、いきなり朝のうち雨、10時頃から1日曇りに変わっていた。宿毛はそれでも9時から晴れのまま、宇和島は午後から晴れの予報だ。まあそれぐらい時間が経っていて、ここ三原から離れたら、確かに三原の現状はどうあれ、何とも言えないとは思える。
 朝食後、雨が弱まるのを待っていても雨が弱まる気配は全く無い。というか、宿毛へ出たら晴れるというパターンなのかもしれない、天気予報の通りなら。それならいくら待ってもあまり意味は無いだろう。どっちにしても、出発は早い方がいいのだ。今朝も雨具を着て、7:25、下長谷「農家民宿 くろうさぎ」発。

 県道21から昨日通らなかった町道の来栖野トンネルを経由、三原市街の先から地形図にもGPSにも載っていない新しい道へ。町外れの交差点は、実は宿毛方面へのかなり緩い峠である。のみならず、一応土佐清水・足摺岬を先端とする半島の東岸、西岸への分水嶺的な場所となっている。町中からはほとんど登らず、とても峠という気がしない峠部分の先では、しかしながら峠だけあって、突如平野部の平井へ約200mの下りが始まる。初っぱなの森の後、一旦下り斜度は落ち着き、中筋川ダムによる貯水池「ホタル湖」が登場。小さい湖ながら、落ち込んだダム湖の周囲には旧道がくねくねしているのが、湖上の陸地を飛石のように橋で横切って行くこちらの道からよく見える。また、新道には湖上で意外に細い道が合流している。小ネタ的見所のひとつひとつは興味深いものの、さすがに出発直後だし、まだこの辺でのんびりするわけには行かない。それに雨も降っている。
 ダムから先の下りは、地図上での距離に比べてやや長く感じられた。その分、いきなり平野が開けて突如平井に到着。標高の割には彫りが深い地形なのかもしれない。
 ようやく雨は上がったものの、雲はかなり低く空気は湿っぽく、晴れにはまだ程遠い。宿毛はすぐ近くなので、この辺りは9時頃、いきなり低い雲が切れて晴れ始めるのかもしれない。しかしこれから向かう県道4の谷間は標高は低いものの、海沿い平地の宿毛に比べて晴れ始めるのは遅れるかもしれない。何しろ、三原を出てからここまで晴れる兆しが全く無い。まあ何がどうでも、今のところ雨が上がっている。このまま進み続けるのに、何の変更理由も無い。

 中筋川の土手から畑の裏手みたいな道を、例によって裏道GPSトラックで繋いでいつの間にか通過。8:05、平井から県道353へ。軽い丘越えの後、隣の谷間の平野で県道4に合流。ここから今日前半の山間コースだ。早速谷間が狭くなってきたと思ったら、下坂本で空気中の湿気が細かい霧に替わった。しかもけっこう密度が濃い。未だに路面は乾くことは無く、雲も低くて暗い。9時から晴れの天気予報通りに晴れ始める兆しはまだ全く無い。

 坂本からはダム新道への登りとなる。標高は100m未満なのに一気に辺りは山深くなった。例によって私の地形図では坂本ダムが建設中だが、もう完全にダムは完成後ある程度の時間が経過していて、県道4もダム湖外周の幅広新道に切り替わっている。山肌が切り立って入り組み、深く落ち込んだ貯水池とで作られた上下奥行に掘りが深い空間はダイナミックな変化と共に見応えがあり、ところどころで脚が停まる。対岸に見える旧道っぽくて林道っぽい細道は静かそうで、晴れていればあっちの道も良かったな、等と思う。
 しかし天気の現状は、さっき麓で漂い始めた霧粒がますます大きくなり、坂本ダムを過ぎた辺りから雨と呼んで全く差し支えないものに変わり、更に湖岸を奥に進むにつれてけっこうな本降りの雨となっていた。こちらも晴れるはずという希望的観測があり、次第に強くなった雨に、完全に雨具を着るタイミングを逃してしまっていた。しかし雨具を着るのに都合がいいような、施設っぽい建物や民家、湖岸っぽい展望あずまやや適切な木陰も全く現れなかった。気温の高さと登り基調の道と化繊の衣服により、辛うじて体温が下がること無く助かっていた。
2017/5/6 四国Tour17#6 下長谷→高山-2


 9:30、横平でやっと無人ガソリンスタンドが登場。雨宿りにかなり具合のいい屋根もある。ここでようやく雨具を着ることができた。
 落ちついてからスマホで天気予報を再チェック。さあ、本当に今日はこの後晴れるのかな。と、やはり例によって天気予報は朝の状態から悪化していて、宿毛は雨後曇り、宇和島は曇り後昼から晴れに変わっていた。今ここは宿毛の山間で、天気は明らかに朝より悪化しているし、雨後曇りなんて生やさしいものではなさそうだ。山間だから天気が悪いのか。それならあり得る話だ。
 今朝の三原では考えてもいなかったが、もしこのまま雨が続くとすると、この先県道4の谷間から分岐する山間の県道286〜県道46の訪問は諦めるほうがいい。つまり3日連続の下方修正になってしまう。
 それに、県道286〜県道46へ向かわずにこのまま県道4継続で岩松へ向かうと、中駄馬〜岩松が丸々2011年の経路と重複してしまう。過去経路との重複自体は私のツーリングでいつものことなのだが、今日はその後、宇和海区間がほとんど2001年のコースの再訪となるため、せめて岩松で重複しないよう、県道286〜県道46のコースを加えたというのに。まあ前回の宇和海は16年前。去年とかの訪問ではないので、新鮮味自体はそれほど損なわれないかもしれないが。

 横平で坂本貯水池区間が終わり、道は谷底へ降り始めた。上日平で川原に続いていた道は谷間が狭くなると共に森に突入、ぐっと狭くなって対向1車線に。森の入口には「寛平ロード」という看板が立っていて、間寛平の似顔絵まで描かれている。何かのいわれがあるに違いない。寛平ちゃんか、おれも好きだよ、等とも思う。しかし雨は相変わらず本降り、あまり1箇所に立ち止まる気はしない。
 渓谷の広葉樹林は、斜度は緩いものの山側の岩場が荒々しく露出して野趣溢れる雰囲気だ。道が細いためか、車はあまり来ない。森の中にも相変わらず雨が降り続いていたものの、新緑が喜んでいるように鮮やかだ。晴れの日の木漏れ日はきっと素晴らしいのだろう、と思う。いい渓谷だ。

 渓谷が終わると再び谷間が少し拡がって、井の谷、中出井と小さな集落が登場。道は中出井から拡幅工事が上流側へと始まっていて、上出井から拡幅済み区間となった。しかし坂本貯水池以降の登りの緩さは相変わらずだ。場所自体はもう結構な山間である。
 犬除では向かうはずだった県道286の分岐が遂に登場。分岐してゆく県道286は林道かと思う程かなりの細道だ。その県道286が向かって行く谷間は、もう100mぐらい上が雲の中。かなり簡単に諦めが付いた。
 中駄馬からは2011の再訪区間。その時向かった大峠林道が分岐してゆくのが感慨深い。素掘りの豪快なトンネルだった大峠トンネルと、道全体、特に黒尊側での身体を染めてしまうような山深さを思い出す。今は大峠トンネルは落石のおそれがあって通行止めらしい。そして、黒尊から登り返す黒尊スーパー林道も、今のところゲートから先が通行止めのようだ。旅先の道も出来事も、一期一会だと思わされることが多い今日この頃だ。
 その中駄馬からほぼ2011年との重複コースだ。御内は年賀状に写真を使ったほどの、雨上がりの朝の農村風景が印象的だった。しかし今日は薄暗い空の下、かつて写真を撮った場所も通過してから振り返って気がつく始末で、なんだか気分は冴えない再訪だ。気持ちを切り替えて今日は今日の旅をしなさい、というツーリングの神様のお達しかもしれない。
 岩松までもう12km。県道4で平野・岩松間は44kmなので、もうかなり岩松に近づいている。しかしこの道全体のピークは、御内の岩松側の端にある。集落の端っこがまるでお皿の縁のように、宿毛からここまで延々と緩い谷を遡ってきた中筋川と、ここから先一気に岩松へと下ってゆく岩松川の分水嶺となっているのだ。峠部分の標高はわずか280m。こkまで谷間自体は切り立った山に囲まれていただけに、珍しい道である。四国は地名も地形も奥が深い。
2017/5/6 四国Tour17#6 下長谷→高山-3


 道が下り始めると、周りは集落から森に替わった。しかし急な斜度はすぐ7%程度に落ちつき、田んぼが狭い谷底の道端に続き始めた。御内までの登りがあまりに緩かったためか、こんな下りでも結構急に見える。いや、確か2011年の朝の登りは結構しんどかったはずだ。
 下っても下っても、谷の幅はあまり拡がらない。やっと下りが緩くなって谷間が拡がり始めた上芋地谷で標高30m台。まだそう広くない谷間の、それにしちゃ広い岩松川が、山々に挟まれた谷の中でどこか悠然とした表情を醸している。海そのものは手前の山に遮られてまだ見えないのに、谷間の標高がもう海岸に近いせいか、まるで川が落ちついた池みたいなのだ。いつもながら、というよりこの川を眺めるのが3度目で、岩松の谷間全体の風景を、岩松川が特徴付けていることにやっと気が付いた。
 11時過ぎでもう宇和島市の海岸沿いなのに、晴れそうな気配は全く無い。天気予報は昼以降晴れなんじゃなかったのか。

 県道が平地に降りきった段階で県道4を降りて裏道へ。11:15、岩松着。
 岩松という町は陸地に深く入り込んだ狭い北灘湾に面している。鉄道は通っていないものの、宇和島から宿毛までの町としては中の大ぐらいの規模だ。裏道で市街地を通過していると、2011年に泊まった三好旅館が登場。改めて眺める旅館は、なかなか堂々と由緒正しい。いかにも町の宿っぽい構えである。そして町中の細道とは言え、順当に旧道っぽい道に面している。思えばなかなかいい宿だった。
 岩松川を渡って宇和海沿いの県道37へ。津島では県道沿いの「南楽園」という観光施設の看板や、道の両側にスポーツ関係・学校関連施設が目立つ。歩道部分にもトロピカルな樹木が並木状に植えられ、全体的にバブル期のリゾート地っぽい雰囲気が漂っている。前回2001年には南楽園近くのアメリカンロードサイド的なカフェテリアでアメリカンな軽食を食べ、それが宇和島以南の宇和海沿岸に続く県道37のやや弱い印象を、ちょっと裁けた印象にすり替えていた。
 もうお昼前。これから宇和島まで、宇和海の海岸沿いで食事できそうな店は記憶に無い。前回の訪問から16年経っているので、もしかしたらその後コンビニぐらいはできているかもしれないが、今は昼食のタイミングには悪くない。しかし、県道37沿いに以前立ち寄ったような軽食施設は見つからない。私的に津島の印象はアメリカンな軽食(もちろん実態とは全く違います)なので、軽食そのものの喫緊の必然性とは別に何か肩すかしを喰った気分だ。
 しかしここで何か探さなくても、この先の宇和海沿いには小さい漁村が延々と断続する。どこかでじゃこ天ぐらいは食べられるだろう。そもそも宇和海再訪の大きな目的の一つが、揚げたてのじゃこ天を地元漁村で食べることなのだから。
 というわけで南楽園近くでは缶コーヒー休憩程度でお茶を濁すことにした。自転車を停めたついでに天気予報を見直すと、宇和島の晴れは15時からに変わっていた。15時に宇和島に行ったら結局雨が降り始めるのかもしれない。まあ、毎日の事だ。

 南楽園の先で軽く半島を越えると、景色は津島外れの何でもかんでも南国リゾート風から落ちついた小漁村へと完全に、一気に入れ替わった。
 宇和海の入り組んだリアス式海岸に、県道37は続いてゆく。道沿いには漁村が断続し、小さな湾毎に漁港がある。内海には波が無く、小さな漁船がおびただしく浮かぶ狭い空間も手伝い、池のように静かな親しみやすさが感じられる。時間帯によっては漁船がことごとく出撃し、さぞかし賑やかなのだろう。小さな漁村の一つ一つは古びてはいるが全く寂れていない。そして海岸ぎりぎりに続く道と小さな漁村の小さく密集した民家、道ぎりぎりまで迫る海面とびっしり並ぶ小さな漁船や海上の船小屋(のような小屋)は一体の生活空間を作っていた。
2017/5/6 四国Tour17#6 下長谷→高山-4


 漁村のひとつ、国永で、「大山かまぼこ店」というお店を発見。お昼時で仕事が一段落しているような静かな雰囲気を醸しているお店構えに、これは絶対じゃこ天を売っているお店だろうと思った。残念ながらお店自体は閉まっていたものの、対面の生協売店に目当ての大山かまぼこ店製じゃこ天が売っていた。
 2001年の宇和海訪問時に、八幡浜〜明浜のどこかで食べたじゃこ天が忘れられず、その後いろいろな場所でじゃこ天を探しては食べてみたものの、その時を越える味には会えていなかった。そのため、宇和海の漁村で食べるじゃこ天には大きな期待があったのだ。6枚も買ってしまった大山かまぼこ店のじゃこ天は、果たして独特の豊かな塩味に揚げたて特有のぷりぷり食感が期待を裏切らない絶品だった。ただ、これに味を占めてその後も併せて合計13枚ものじゃこ天を食べた結果、夕食時にはやや胸焼け気味になってしまった。

 漁村が切れると、海岸から立ち上がる山が道に迫り始めた。山肌は夏みかん系の畑で一杯だ。空は相変わらず薄暗いものの海は島のような山を映し、そうでなくても入り組んだ海岸線を舐めるように辿るために、ほぼ常に前方か海側に陸地が見える。
 基本的に海岸際に続く道には、あまりアップダウンは無い。しかしやはり時々半島越えはあった。前回の記憶と言ってももう16年前。それに何度か現れた坂はせいぜい40m、最大でも80m弱ぐらい。地形をよく眺めて等高線を数えないと把握しづらいぐらいなのだった。
 宇和島までの間、終始天気は冴えなかった。更に宇和島に近づくと、空はやや暗くなってきたような気がした。もしかしたら、まさかの雨の宇和海になるかもしれない。そうなったら宇和島から伊予吉田へ各停でも使うか。しかし、今日ここまで輪行解体無しでずっと来ているためか、フロントバッグ+サドルバッグだけの軽装でも、なんだか輪行作業そのものが非常に面倒臭く思えた。それに空は暗く水滴はぱらつくことはあっても、雨具が必要になるような雨は結局降らなかった。
 居心地が良い内海の道でも、この天気では事前にルートラボのトラックを準備していた半島ピストンに向かう気はしない。それに時々写真を撮る度に時間を費やしたお陰で、結局半島への分岐ではことごとくそのまま宇和島を目指すことになった。まあ分岐から道が結構登っているのも見えたし。

 14:20、宇和島道の駅「きなんせ広場」着。敷地を贅沢に使い、やや慌ただしい国道56から奥まった立地としている道の駅だ。しかしその入口はが分散していて、更に駐車場が建物の敷地と分かれているためか、直感的に建物に入りづらい面がある。しかも、オープンカフェ的場所が裏手に設けられている。国道56から離して建てた意図は賛同できるものの、ひたすら配置が気になって、更にきょろきょろ人気の無い場所をうろつくあやしいおやじにも気を取られ、あまり落ち着けない休憩となった。

 14:50、宇和島発。やや寂れた町から山沿いの落ちついた旧市街を経由して県道274へ。ここから明浜までしばらく未済経路となる。
 市街地を抜けたところでやっと日が射してきた。と思ったら、急に空の雲が一気にどこかへ飛んでいってしまい、ちょっとした丘越えで汗が噴き出るほど。これを待っていたのだ。空の青さ、蜜柑畑の緑に、丘越え途中で思わず脚が停まる。ちょうど15時。やっと天気予報が当たってくれたのだ。
 丘の向こうの吉田側、海岸へ降りる森の途中では、宇和海と吉田の町を見渡すことができた。細道の木陰に木漏れ日が差し、見渡す海の色は晴れた空を映して明るく青く、湾の向こうの山も明るく照らされ、全体的に風景が軽やかで陰影豊かだ。吉田の町が谷を登ってゆくのも、海岸沿いに漁村が続いてゆくのもよく見える。人の営みで、明るい眺めが更に明るく感じられた。眺めと居心地の良さに、しばし脚が停まる。

 吉田は漁業関係施設やホテルなどが多い。吉田湾に貼り付いた町の栄えっぷりはややノスタルジックな味わいで、岩松から宇和海を辿ってきた身には程良く賑やかだ。宇和島は栄えすぎていて、高速道路やロードサイド店舗の大きすぎて人間生活っぽくない空間感覚、港湾施設の錆や色褪せたペンキがハードボイルドすぎて都会っぽすぎる。それらは間違い無く人間生活に必要な物なのだが、具体的な人の生活というより何か都会という大きな生き物の体臭とか垢みたいなものというか、旅の中では浮いた風景だったと、吉田の明るい港の風景を前に思わされる。

2017/5/6 四国Tour17#6 下長谷→高山-5


 吉田港の一番奥で折り返すように県道314へ。道の海側が開け、狭く奥まった湾や建物がびっしり並んだ対岸の営みがよく見える。気が付くと、もはや空には雲がほとんど無くなっていた。こうなると色彩はひたすら明るく軽やかだ。赤みの帯びた光が尚更鮮やかで、そろそろ夕方の潮風が涼しく感じられる。
 現れては過ぎてゆく漁村は、民家の壁にしても建具にしても、古びてはいるが精密でよく手入れされている。単に風景が美しいというより元気な漁村というか、民家の板壁や家の脇に置かれた網、そんなものののひとつひとつに人々の営みや暮らしが身近に感じられる。

 岬先端の大良までいくらも無いものの、そこまで脚を延ばすのはためらわれた。いや、単に次から次へと入れ替わる地形と風景にすっかり夢中になっていて、脚を先に進める方を選んだだけの話かもしれない。とにかくもう明浜湾に向かうことにした。中浦で県道273へ分岐、40m弱の半島越えと内陸部の蜜柑畑を経由。
 筋で再び海岸へ。再び海岸の漁村を縫って市道は明浜湾の奥へ向かってゆく。さすがに市道だけあり、道幅はかなり細い。湾に面した海岸線の道で、ここまで細い道は今まで通ったことが無い程だ。道幅なりに漁村は小さく、小さい集落なりに漁船も小さい。その漁船はびっしり道に接するように浮かんでいた。道が細いからか、道の空間が海面にとても近いような気分になる。
 集落が途切れると岸辺の森が道に迫ってきた。そして海の向こうに、明浜湾対岸の明浜の漁村がよく見える。空も海も真っ青で、緑が鮮やかだ。しばらく風景に眺め入っていたいが、もう17時。
 風景が鮮やかに輝いて見えるのは、日差しが横から強く当たっていて、光の色が赤みがかっているからだ。外海へ向かう道の正面に、太陽が眩しい。本格的に夕方になってきた。地図で明浜から今日の宿がある高山までの距離を再確認しておくと、意外に距離がある。淡々と進めば夕食に遅れる心配は全く無いものの、淡々と進む必要はある。

 畔屋から、海岸の道は国道378となった。相変わらず小綺麗な木造住宅が目立つ町中は賑やかで、ここまでの宇和海に見ることができなかった町の風格も感じられるのは流石に国道の面目躍如だ。
 ここから再び2001年に訪れた区間の再訪であり、16年前でもはやイメージしか残っていない、一番印象的だった宇和海のイメージと、目の前の風景がぴったり合った。そしてこの道はずっと八幡浜へ続いているのだ、という気分になった。

 17:15、白浦着。もう夕方がどんどん進む時間帯である。
 与村井、深浦、俵津、狩浜と漁村が断続した後、最後は岸壁の70m登りへ。少し高度が上がると、外海方面に浮かぶ半島や小島の影が見え始めた。豊後水道の向こうの九州本島もうっすらと見えるような気がする。
 青から夕方のオレンジに変わりつつある空の曖昧な色、曖昧な色を照らす海の色、大分涼しくなってきた海の風。もう全部いい。朝からいろいろと諦めることが多かった今日の行程だったが、最後の2時間ぐらいで全部、今日までの雨続きも含めて挽回してしまった。この時間に、夕食まで時間に余裕を持った気持ちで訪れることができて良かったと、心から思う。そして小綺麗な民家、集落の元気な生活感は、今回のツーリングで見かけた農村と共通していて、本州の私が訪れる多くの農村では過疎化に飲まれて消えつつある日本の暮らしそのものだったように思えた。

 18:10、高山「民宿 故郷」着。
 地図で見てわかってはいたが、湾の砂浜に面して、大変に素晴らしい立地である。湾にはキャンプ場に温浴施設にこの宿しかない。そしてこの場所、元は炭鉱だったらしい。この宿については民宿とは名乗っているものの、レジャー施設の一員的な宿なのかもしれない。
 「夕食はお風呂の後でもいいですよ」とのことで風呂に入ろうとすると、風呂は徒歩5分の温浴施設を利用するとのこと。風呂が別の場所とは聞いていないが、まあよくあることだ。むしろこの素晴らしい立地で四国最後の夜を過ごせることが有り難い。
 夕食は、事前に聞いていたとおりにゴージャスなものだった。特に郷土料理との「日向めし」。鯛の切り身刺身と出汁とろろが掛かった卵かけご飯がその実態で、普通盛りで大変にボリュームがある食べ物だった。

■■■2017/7/4
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔
2017/5/7 四国Tour17#7 高山→八幡浜-1
高山→八幡浜
50km ルートラボ>http://yahoo.jp/OQoZZm


 盛りだくさんだった今回のツーリングもいよいよ最終日。松山空港発は14時半。ここから逆算してゆくと、まあ最低でも14時には空港に着きたい。できれば道後温泉に入りたい。というわけで松山着のタイムリミットは大体12時となる。
 八幡浜から松山までは鉄道輪行になるが、ここでは特急宇和海でJR四国が世界に誇る2000系の爆走を楽しみたい。そして、八幡浜や宇和海沿いではできれば揚げたてのじゃこ天を食べたい。特急宇和海は1時間当たり1本で、八幡浜発は毎時18分、松山着は約1時間。つまり、八幡浜発11:18で松山着は12:18、昼食時間は全く無いし全体的にぎりぎりすぎてちょっと厳しいが、何とか辻褄は合う。八幡浜10:18だと松山11:18。これだと松山駅から道後温泉まで30分、温泉30分、空港までまあ1時間として13時半前。飯を食べたら14時半の飛行機には余裕ゼロでぴったり。これなら松山か空港で余裕ができて、お昼も食べられるだろう。更に1時間早い列車だと更に余裕はできるものの、八幡浜到着を早める必要がある。
 とりあえず八幡浜10:18に乗ることを考えると、50km先の八幡浜へ10時着。出発7時で八幡浜まで3時間で行けないことは無いと思うが、やはり宇和海の素晴らしい景色を前にして、余裕の無い行程で後悔しないようにしたい。というわけで出発はやや早めの6時ということになった。当然6時に出発できるように起きなければならない。

 自転車に荷物を積んでから、宿の前の国道378を海側に渡ってみた。さすがは四国、5時半過ぎなのにまだ完全に明るくなっていない。しかし、決して寒くはない。今日の天気予報は、というより今日こそは本当に晴れそうなのだが、一方黄砂もやって来るとのこと。砂浜に向かって外海を眺めると、遠くの島影はややぼんやりと淡いシルエットで、空も透明感が無い。天気というより典型的な黄砂の影響だとは思うものの、これは晴れというより曇りなのではないか、という気はする。
 やはり最後まですっきり晴れとは行かないのだった。

 5:45高山「民宿 故郷」発。高山を出るとしばらく海岸が岩場となって集落が途切れ眺める風景は道、海、岸壁、遠景と構成要素が単純になる。たとえ空がどんより気味でも、海面は静かだ。毎日7時前のスタートだったせいか早朝の空気が爽やかに感じられる。ましてや宇和海の海風だ。
 田之浜を過ぎると、明浜・八幡浜間で一番大きな半島の突端部を越える、国道378最大の登りへ。海岸部の登りは登り総量の見通しがいいので何となく視覚的にしんどいものの、最高地点でも標高120mちょっと。宇和海区間のこういう坂は、今回の計画段階ではことごとく忘れていたのだった。
 登ってみればまあ順当に120mなりの登りだし、小半島横断系細道県道にありがちな直登や10%勾配も無く、経路短縮の命題と基準勾配7%を守りつつ、細かく入り組んだ山肌に律儀に道が貼り付いてゆく。そんな岬越えの道には、確かに少しだけ16年前の訪問時の記憶があるように思えた。

 最高地点を回り込んで半島の北岸へ。道が下り始めると、今までにも増してみかん畑と、運搬用のリフトや小さい倉庫が道端に目立ち始めた。山肌のみかん畑が、昨日通ってきた宇和島南部より、この辺りには多いように思われる。2001年も蜜柑畑がこの区間で印象的だった。
 下りきった漁村の下泊で自販機を発見、コーヒー休憩とする。6:45、空の雲はやや厚いものの、今のところはまあまあ順調だ。そしてこの先もう大した登りは無い。10時の特急宇和海はまずイタダキだろう。松山以降の自由度が拡がった。

 皆江、蔵貫浦、有太刀と静かな内海の小さな湾に賑やかな漁村が断続する。入り組んだ海岸線に切り立つ緑の山、海には小さな漁船がびっしりと停泊している。西伊豆やどこかのリアス式海岸線で見ているような景色ではあるが、これだけ平坦に細道が続き、これだけ漁村が賑わっている場所は、実はあまり他ではみかけない風景であるように思われる。そしてやはりここまで見てきた農村風景と、どこか雰囲気が共通している。
2017/5/7 四国Tour17#7 高山→八幡浜-2


 三瓶は八幡浜までで最大規模の漁港だ。小さな奥まった湾に、ここまでの漁村にも増して密集した賑やかな民家や商店、漁業関係施設が続く。湾の一番奥から折り返す港には、やや大きな船が泊まっていた。宇和島以来ここまで見なかった大きな船であるのみならず、何と客船だ。そういえばこれだけ大きな港も宇和島以来だ。港にはドラマや1970年代の映画で見かけるような木造の乗り場もみられた。宇和海に浮かぶ島へ向かう船なのかもしれない。
 ようやく日差しが現れ、空も一気に青っぽくなってきた。日差しが出ると海、山の色が一気に鮮やかになる。行程的には相変わらず順調だし、最終日ぐらいこのまま最後まで晴れてほしい。

 垣生、二及、長早、周木と三瓶湾から再び外海側へ。中程度の半島越えは、多少登り下りはあってももう40mも登らないし、地図ではしばらく集落が途切れても、正面には宇和海の海岸線、海上には比較的間近に島が見えていて、普通半島の先端部で感じられる先端の風景というか、強烈な陸地と海の境界というような緊張感は無い。
 穴井はそう大きな規模の漁村ではないが、賑わい、生活感の密度が濃厚に感じられ始めた。それは明らかに八幡浜が近づいていることの現れであるように思えた。真網代は穴井より更に大きな規模の、賑やかな漁港である。道端には「真穴みかん」の文字が見えた。真穴みかん、そういえば確かに真穴はこの辺りだった。真穴みかんとはこの辺りで採れるみかんである。酸味と甘みがバランス良く濃厚な味で、1個1個に赤い小さなシールが貼ってある。私の地元では冬の12月一杯ぐらいまで売っていて、美味しくて毎年の冬の楽しみにしているのだ。

 竜崎、ねずみ島という名前の小さい島は、そう思って見れば確かに丸い背中の鼠みたいにも見える。そういう地名にも、親しみ深い人の営みが感じられるようになってきた。
 上泊、川名津で、漁村は更に賑やかになった。さっきから漁村が賑やかになっているが、木造民家や生活空間と一体になった道の風景が都市化しているというより、落ちついた生活感、雰囲気のままそれらの密度が上がるという方向なのが特徴的だ。やはりそれは、元気な漁村の姿であるように見える。2001年は八幡浜から南下したこの道、今回津島、宇和島から逆方向に辿ってみても、前回印象的だった八幡浜〜明浜がやはり独特の落ち着きと活気を兼ね備えた風景となっていることが確認できた。

 合田から栗野浦は八幡浜までもう最後の港町。朝日に照らされて明るい港町の上に、半島の山を乗り越えて八幡浜へ向かう道が見える。地形図によると標高差は60mぐらい、見上げる道に車は決して少ないわけじゃない。半島を乗り越えて港から八幡浜に入るあっちの道は、確か前回通っている。道がどんなだったかは思い出せないが、半島を越えてから向こうでもう1回20m程の登って下ってがある。
 登り総量、短縮効果、車の量などを考えると、海から離れて内陸部を越え、最短距離で八幡浜の裏手に出る国道378の榎峠でいいんじゃないかという気がしてきた。

 というわけで脚を向けた榎峠はしかしながらやはり車は多かった。直登気味の登り坂では真上から日差しが現れ、汗が一気に吹き出してきた。やはり失敗だったかもしれないとは思いつつ、下り始めれば想像以上にすぐに八幡浜の町中に到着してしまった。
 8:40、八幡浜着。前半曇りだったお陰で、高山から3時間掛からなかった。輪行して切符を買って駅前の売店でじゃこ天を食べて30分、余裕たっぷりかつ必要以上に時間を持て余すことが無かった。半島越えだったら、もう少し時間の余裕が無かったかもしれない。

 八幡浜を出発した宇和海8号では、今年から順次引退予定の2000系が、最高の走りを見せてくれた。登りなのに、しかも速度を出せば出すほど加速がいい。カーブ連続の線形も、相変わらずぐいんぐいんの振り子で物ともしない。いったいどういう奴なんだ、もうこんな熱い走りをする車両は当分現れないだろう、と思う。私が次に特急宇和海に乗るときは、多分もう新型の2600系に変わっていることだろう。2600系は通称なんちゃって振り子の車体傾斜装置で傾斜角度1.5°らしいが、2000系同等の走りが本当にできるのだろうか、とも要らぬ心配をする。
 松山では念願の道後温泉本館へ。まあホテルの日帰り湯でも雰囲気はあるので悪くないんだが、やはり木造本館は価値がある。西湯の方がぬるくて好みなのも相変わらずだった。

■■■2017/7/4
■■■http://takachi.no-ip.com/
■■■高地 大輔

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