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数学基礎論コミュの数学基礎論の今後

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数学基礎論って数学の中では微妙な立場ですよね。
どちらかというと哲学や情報屋さんの方に人気があるかも。
人間の思考対象とか学問などについて、根本的に考えようとすると
避けられないジャンルとは思っているのですが。

そんな基礎論に未来はあるのでしょうか。
今後発展するブレイクスルーはあるのかなー。
みなさんどう思います?

コメント(10)

無限大は基礎論最大の問題でもあり面白いですね。

人間のmindの普遍性を考えると、logicでは何でも論じられるかもしれま
せんが、semanticな理解という点では人間が知覚できるものから類推
できるものでないと、共通の感覚をshareするのが難しいかと思います。

その点でinfinite mindについてコンセンサスを得るのは難しいのでは
ないかと思います。とはいえinfinite mindがどういったものかを探って
行くのは興味深いですね。
>4:わさビーフさん

言語を用いて考えはじめると厄介ですよね(ではどうやって言語なしで考えられるでしょう?)。たとえば,

>原始人の頭の中に、「朝の赤くて丸い食べられるもの、昼の赤くて丸い食べられるもの、夜の赤くて丸い食べられるものが存在するだけ」というイメージではなく、

「朝」「赤い」「丸い」「昼」「夜」はどうなるのでしょう?

>「リンゴが三つある」というイメージが存在し始める。

そのとたん,「「リンゴが三つある」というイメージ」を「リンゴが三つある」と言語で表したとき,なにかがずれはじめるように思います…。

同様に,たとえば,

1.0 は自然数である。
2.x が自然数ならば,(x)' も自然数である。
3.有限回の操作で1.2.によって自然数であることが確かめられるもののみが自然数である。

の「1」「2」「3」「有限回」とはなにか…?
現代において、ロジックはあくまで数学の一分野だと思いますよ?
少なくとも、私が大学で習っているのは、数学としてのロジックです。

他の分野の人が『微分可能』を扱うのと同じように、『証明可能』を扱っています。

もちろん、哲学として数学基礎論を扱う人もいるのですが、私には関心がありません。
> わさビーフさん

>とはいえ、僕には難しくて、そんなことを言っているとこの話をわかりやすく話すことはできないんです・・・・。

わさビーフさんにとってだけ難しすぎるわけではなくもともと「数,名前を発見した瞬間」を言語で表現するのが困難で,さらに言うと,その瞬間に至るプロセスはとらえ難いのではないかと思うのです。

現実を言語でとらえた瞬間それは現実ではなくなる。逆に現実についての思考が言語でなされるなら,現実は対象にはできないが「現実についての思考」の言語での表現を形式化すれば,形式化された「現実についての思考」は思考の対象となる。「名前,数を発見した瞬間」に至るプロセスは不可知がも知れません。しかし「名前,数」が言語のなかでどのような振る舞いをすれか?についてはかなりきちんと議論ができる…。
> 原始人の頭の中に、「朝の赤くて丸い食べられるもの、昼の赤くて丸い食べられるもの、夜の赤くて丸い食べられるものが存在するだけ」というイメージではなく、「リンゴが三つある」というイメージが存在し始める。
> そこで、どのくらい食べ物が残っているかのイメージを持つため、確かに、この世の中のものは一つとして同じものはないかもしれないが、しかしこのものは、赤くて丸い食べられるものであることは共通しているのでこれをリンゴと呼ぼうじゃないか。物に名前が付いた瞬間。
> 同じものが一個だけでなく一個よりたくさんある場合。たくさんなのか少ないのか。量を表す必要性に駆られる。1の次2、2の次3と数を発明しなければ、いられなくなる。数が発見された瞬間。

ここで、注意しなければならないことは「リンゴが三つある」というイメージという言葉化(記号化)された「数」には、個別的な意味と集合的な意味の両方を持っていることです。
日常の「数」の用法に於いても、数は「基数」と「順序数」の両方の意味を持っています。したがって、私たちが物の集合を数えるとき、実際にはこの二つの概念を混同していることは、興味深いことであります。そして、数え方の基本として、「一つのもの」と「二つのもの」…の差を認めることが要求される場合の数えることの重要性は、数えられる集合の対象(リンゴ)と(イメージという)言葉化(記号化)された数との間に一対一の対応づけを行うという過程であると思われます。そこで、「数字」として常に記号が意味されることによって一対一対応の数学的概念の情報化が形成されたならば、「数」という言葉(記号)はいくらかの数字によって記号化された概念を示すようになったと言えます。それにより、私たちは単に物の集合が「どれだけ(基数)」ということに関心を持つだけでなく、(その集合の基数を確かめる過程で)順序的に(自然数でもって)数えることで対象を順序づけることとなります。

参考文献:
R・L・ワイダー著『数学の文化人類学』海鳥社
C・V・ニューサム著『数学的思考の発展 数学的論述を中心にして』現代数学社
A・K・サポー著『数学のあけぼの ギリシャの数学と哲学の源流を探る』東京図書
銀林浩・森毅・共著『現代数学への道』国土社
銀林浩著『量の世界』麥書房
田村二郎『量と数の理論』日本評論社
倉田令次郎「量の諸理論と諸問題 1.小島理論と一次線形空間」(「数学セミナー」誌 1980年5月号)
>9:慧遠(EON)さん
>そして、数え方の基本として、「一つのもの」と「二つのもの」…の差を認めることが要求される場合の数えることの重要性は、数えられる集合の対象(リンゴ)と(イメージという)言葉化(記号化)された数との間に一対一の対応づけを行うという過程であると思われます。

それは「どれだけ(基数)」についてのプロセスでしょうか?それとも順序数についてのプロセスでしょうか?

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