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日本未来の党コミュの嘉田知事の未来

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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/618480/
 衆院選の大惨敗がすべてを象徴しているようにも思える。日本未来の党代表を務める滋賀県の嘉田由紀子知事へのバッシングがどうにも収まりそうにない。「水と油」のはずの小沢一郎氏と組んでの党立ち上げ、県政をないがしろにしかねない「二足のわらじ」の継続、そして年の瀬に勃発した分党騒動…。高い県民人気を誇り、関西の首長の間でも存在感を示していた嘉田氏だが、どこをどう間違ったのか。今や支持者離れが進み、県議会の批判にさらされ、その求心力は急激に低下している。

 ■新党結成で多くのもの失った…
 「大変ショックだ。票が動かなかった」
 衆院選の開票結果が出た直後、嘉田氏はうつろな表情でこう敗因を分析するのが精いっぱいだった。
 「小沢ファンと嘉田ファンが分極化してしまった」「未来立ち上げが小沢氏の関与した『できレース』に見えてしまった」…。その後も口をついて出るのは“恨み節”のようなコメントばかり。幾度となくのぞんだ記者会見でも表情に精彩を欠いた。
 その未来の党も、嘉田氏が選挙後に提案した阿部知子副代表を共同代表とする人事案に対し、小沢氏系の議員らが反対するなど、内部のゴタゴタが表面化。ついには分党が決まった。小沢氏の周囲で幾度となく繰り返されてきた“政争”がここでも見られ、嘉田氏のイメージはますます悪くなった。
 衆院選の大惨敗がすべてを象徴しているようにも思える。日本未来の党代表を務める滋賀県の嘉田由紀子知事へのバッシングがどうにも収まりそうにない。「水と油」のはずの小沢一郎氏と組んでの党立ち上げ、県政をないがしろにしかねない「二足のわらじ」の継続、そして年の瀬に勃発した分党騒動…。高い県民人気を誇り、関西の首長の間でも存在感を示していた嘉田氏だが、どこをどう間違ったのか。今や支持者離れが進み、県議会の批判にさらされ、その求心力は急激に低下している。(藤原直樹、浜田慎太郎)

 ■新党結成で多くのもの失った…
 「大変ショックだ。票が動かなかった」
 衆院選の開票結果が出た直後、嘉田氏はうつろな表情でこう敗因を分析するのが精いっぱいだった。
 「小沢ファンと嘉田ファンが分極化してしまった」「未来立ち上げが小沢氏の関与した『できレース』に見えてしまった」…。その後も口をついて出るのは“恨み節”のようなコメントばかり。幾度となくのぞんだ記者会見でも表情に精彩を欠いた。
 その未来の党も、嘉田氏が選挙後に提案した阿部知子副代表を共同代表とする人事案に対し、小沢氏系の議員らが反対するなど、内部のゴタゴタが表面化。ついには分党が決まった。小沢氏の周囲で幾度となく繰り返されてきた“政争”がここでも見られ、嘉田氏のイメージはますます悪くなった。
 今となっては遅いが、お膝元の滋賀県では「嘉田氏は新党結成で多くのものを失った。政界への“色気”など出すべきではなかった」(ある政党関係者)との声も聞かれる。

 ■寝首かかれた
 衆院選の公示(12月4日)が迫る中、駆け込みで結成された未来の党。そもそものスタートからして“つまづき”続きだった。
 「新党立ち上げは聞いていなかった。小沢氏と組むのは裏切りだ」
 嘉田氏を支える目的で平成18年に結成された地域政党「対話でつなごう滋賀の会(対話の会)」の関係者は、嘉田氏が同党を結成し、代表に就任したことに怒りを隠さなかった。嘉田氏支持層の“小沢アレルギー”は相当なもので、対話の会は早々と「自主投票」を決定し、未来と距離を置くことを決めた。
 嘉田氏と近く、24年1月の選挙で当選し、史上最年少女性市長となった大津市の越直美市長も「小沢氏は手を替え品を替え政党を替え、長年都合のいいことを言って、いろいろな問題を先送りにした。国民をだましてきた人と一緒になるのは残念だ」と断じた。
 そうした反発を予想していたのか、未来の党立ち上げは県民はおろか支持団体にも秘密裏に進められた。嘉田氏が大津市内で琵琶湖をバックに記者会見し、新党結成を発表したのは公示1週間前の11月27日。卒原発を柱とした基本政策を打ち出し、「放射能汚染から琵琶湖を守る」と高らかに宣言したが、唐突感は否めなかった。
 この時、小沢氏の関与について多くが語られることはなく、嘉田氏は「各政党に呼びかけ、理念が一致した党と組む『この指止まれ方式』だ」と話した。
 ところが、同日中に小沢氏の「国民の生活が第一」や亀井静香氏らの「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」などが合流の意向を表明。各党の動きは、支持者の目には「裏で小沢氏が糸を操っている」と映った。実際、嘉田氏は後日、小沢氏とは9月以降に3回会っていたことを明かしている。
 こうした動きに、県議会で「知事与党」として連携する民主の関係者は「政権への逆風にさらされるなか、衆院選前の突然の発表。寝首をかかれた思いだ」と憤った。

 ■相次ぐ「二足のわらじ」批判
 党代表となった嘉田氏は衆院選期間中、公認候補の応援のため全国を飛び回った。県によると、11月29日から12月20日までの間に、嘉田氏が公務にあたった日数は11日、時間は73時間で、いずれも前年同時期の約半分だった。職員と面談や協議をした回数も63回で、こちらも前年の半分程度。こうした姿勢には各方面から批判が相次いだ。
 対話の会代表の清水鉄次県議は「兼務は無理」、同会幹部も「知事の責任を放り出しており、支持できない」と突き放した。県庁には県民から電話やメールで700件を超える意見が寄せられ、半数以上が「県政に支障が出る」「県の利益にならない」「責任放棄だ」と批判的なものだった。
 北朝鮮が事実上の長距離弾道ミサイルを発射した12月12日も嘉田氏は遊説で県庁を離れていたため、県議会の佐野高典議長は、知事として責任ある行動を取るよう文書で申し入れた。滋賀県彦根市の獅山向洋市長も「党首として選挙活動を行う嘉田氏に県民の税金から給与を支払ってはいけない」と主張し、知事給与の支払い停止を求める住民監査請求を県に起こした。

 ■維新との違い
 これらの批判を押さえ込むには、衆院選での勝利が一番だったが、未来は61人の前職を含む121人を擁立したにもかかわらず、当選したのはわずかに9人。大惨敗だった。
 未来は嘉田氏の地元の滋賀県では選挙区に候補者を立てなかったが、比例代表の得票数も県内全得票数の12%程度と伸び悩んだ。同じ「第三極」として注目された日本維新の会の半分程度で、「嘉田人気」のかげりを感じさせた。
 一方の維新は公示前の11議席を大幅に上回る54議席を獲得。地盤の大阪府内では19選挙区に14人を擁立。12人が当選し、残る2人も比例で復活を果たすなど、未来とは対照的な結果となった。
 維新は代表代行を橋下徹・大阪市長、幹事長を松井一郎・大阪府知事が務め、両氏は嘉田氏と同様、衆院選期間中は全国を遊説で飛び回った。しかし、批判の声が一部では出たものの、府市ともに議会で維新が多数を占めるため、大きな声にはならなかった。
 一方、滋賀県議会は嘉田氏が知事就任以来、対立を繰り返している自民が過半数を占める。しかも、衆院選で自民は滋賀県内4選挙区を独占。自民関係者は「知事選での『嘉田票』は大きく減少していることが明らかになった。求心力は低下している」と話す。

 ■1カ月で地に落ちる
 衆院選後、嘉田氏を待っていたのは県議会の容赦ない追及だった。県議会本会議は12月19日に再開され、一般質問で自民の小寺裕雄議員が「県益を大きく損ねている」、公明の梅村正議員が「上司が二足のわらじをはいていることで、職員の士気が低下する」、みんなの党の蔦田恵子議員が「小沢氏の関与は明らかで、経緯を正直に説明すべきだ」などと追及。議会は12月26日、国政政党と知事職兼務の解消を求める決議案を賛成多数で可決した。
 しかし嘉田氏は分党後、阿部氏と共同代表に就く意向で、兼務をやめる意思はないようだ。選挙中は「県知事がここまで存在感を出したら県民にマイナスにはならない。全国に滋賀の存在感を示せるのは大きな価値がある」と強調、議会でも「インターネットや電話を使い、東京に頻繁に行くことは想定していない」と説明してきただけに、何とか国政へのつながりを保っていたいのかもしれない。ただ嘉田氏が国政に意欲を燃やすほど、お膝元で支持離れが進む皮肉な結果となっている。
 「小沢氏と組んだことの影響が予想以上に大きい。見通しが甘かった」(政党関係者)。嘉田氏が「もったいない」を掲げて18年7月に初当選して以来、約6年半かけて築き上げた県内地盤は、わずか1カ月で大きく揺らいでいる。

コメント(7)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130103/k10014562471000.html
滋賀県の嘉田知事は、日本未来の党の代表を兼務していることに県議会から批判が強まっていることを受けて、近く、党の代表を退く意向を固めました。
滋賀県の嘉田知事が、去年11月下旬に日本未来の党の代表に就任して以降、滋賀県議会では、知事と代表との兼務は困難だとして嘉田知事への批判が相次ぎ、先月26日には、兼務をやめるよう求める決議が賛成多数で可決されました。
こうした状況を受けて、嘉田知事は、近く、党の代表を退く意向を固めました。
嘉田知事としては、県の来年度・平成25年度の予算案などを審議する定例県議会を来月に控え、知事の職務に専念するとともに、みずからへの批判をかわすねらいがあるものとみられます。
日本未来の党は、先の衆議院選挙のあと、党の役員人事を巡って意見対立が激しくなり、結成から1か月で、嘉田知事らの「日本未来の党」と小沢一郎氏らの「生活の党」の2つに分党しました。
嘉田知事が代表を退く意向を固めたことで、日本未来の党は、今後、嘉田氏と行動を共にしてきた阿部知子衆議院議員を中心に党運営が行われる見通しです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130104/plc13010411260007-n1.htm
 政治団体「日本未来の党」の代表を辞任する意向を固めていた嘉田由紀子滋賀県知事は4日、滋賀県庁で職員向けに行った仕事始めのあいさつで、代表辞任を正式に表明した。
 嘉田氏はあいさつの中で、辞任の理由などについて「先月26日に県議会で議決いただいた知事と政党代表の兼務解消を求める決議を重く受け止め、政治団体の代表の役割を後任の方に譲らせていただきたいと考えている」と述べた。
 さらに、自身の国政関与について「原発リスクの高い滋賀県の安全と安心のために立ち上がったが、結果的に多くの県民にご心配をおかけしたことをおわびする」と述べた。
 未来の新代表には、阿部知子衆院議員が就き、嘉田氏は顧問に就任する見通しだ。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130103/plt1301031822002-n1.htm
 生活の党の森裕子代表は3日、嘉田由紀子滋賀県知事が日本未来の党代表を近く辞任する意向を固めたことについて「聞いていなかったので、ただ驚いているばかりだ」と述べるにとどめた。共同通信の取材に答えた。
 別の生活の党幹部は「当初(知事と党代表は)両立すると言っていたが、何だったのか。もともとのビジョンがよく分からない」と語った。
 日本未来などとともに先の衆院選を「第三極」として戦った日本維新の会では、橋下徹大阪市長、松井一郎大阪府知事がそれぞれ代表代行、幹事長を務める。日本維新に所属する大阪府議は「橋下氏らも二足のわらじを履いているが、市議会、府議会をしっかり固めており、県議会と対立してきた嘉田氏とは状況が全く違う」と指摘した。
 同時に「嘉田氏は完全な投げ出しだ。覚悟もなく流れに身を任せていただけではないのか」と突き放した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130113-00000037-asahi-pol
 滋賀県の嘉田由紀子知事は13日、大津市での後援会新年会で講演し、昨年12月の総選挙に向け日本未来の党結党を表明する3日前の同11月24日に小沢一郎衆院議員と会談し、「時間がない」「国政にかかわり得ない」と難色を示したのに対し「あなたが出てくれたら100人通る(当選する)」と説得され、結党を決断した、と明かした。
 嘉田氏は「後から思えば信じるべきではなかったが信じてしまった」と改めて陳謝した。嘉田氏によると、小沢氏とは結党までに3回ほど関西地方で会い、「(嘉田氏が初当選した)2006年の知事選の時に私はあなたを応援したかった」との話を切り出され、結党を促されたという。
 嘉田氏は総選挙では未来の候補者の多くが小選挙区で民主党と競合し、原発ゼロが十分争点にならなかったとし、「負けるべくして負けた」と述べた。講演後には記者団に「(結党前に)候補者リストを見ていたら100議席取れるなんて信じない」と話し、競合が多いことが分かっていれば、党の代表に就かなかったとの考えも示した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130120-00000029-mai-pol
 旧「日本未来の党」の分裂で、小沢一郎氏らの「生活の党」とたもとを分かった政治団体「日本未来の党」の総会が20日、東京都内で開かれた。滋賀県の嘉田由紀子知事が知事職に専念するために共同代表を辞任し、衆院議員の阿部知子共同代表が単独で代表となることを正式決定。「卒原発」を引き続き掲げ、今夏の参院選では野党間で連携し、重点選挙区で候補を擁立する方針を確認した。
 嘉田氏は総会で、「国民の期待に十分沿えず、分党し、私が代表を辞退することをおわびしたい」と陳謝。阿部氏は「私たちは政党要件を失った。でも、政治の原点に立ち返るいいスタートをしたい」と語った。幹事長は阿部氏が兼務する。
 旧未来は昨年の衆院選で121人の公認候補を擁立したが、現未来で活動するのは11人にとどまる。11人のうち現職は阿部氏だけで、残りは山田正彦、辻恵両前衆院議員と、飯田哲也前代表代行ら新人候補8人。国会では他党との統一会派を目指す。
http://dot.asahi.com/news/politics/2013011600002.html
 昨年11月に結党した日本未来の党が、わずか1カ月余りで分党した。昨年12月の衆院選で衆院の議席が62から9に激減し、お家騒動が勃発。年の瀬も押し迫る中、衆参合わせた17議員のうち、小沢氏系の15人は「生活の党」(森ゆうこ代表)、阿部知子衆院議員は「日本未来の党」、亀井静香議員は「みどりの風」(共同代表は谷岡郁子参院議員ら)に参加する形で3分裂した。
 26日午後に、飯田哲也代表代行(当時)が小沢一郎氏と分党の協議をしたが、国政の世界は甘くなかった。「選挙に7、8億円かかった。年内に分党問題を決着できなければ、そちらが負債も引き継ぐことになる」と小沢氏側にすごまれ、未来の党は結局、生活系に乗っ取られる形となったのだ。
 小沢氏側は旧未来を生活に党名変更して継承することにこだわった。それを成就した結果、生活の党は今年、約8億6500万円の政党交付金を手にする。一方、看板と阿部議員だけが残った未来の党は、国政政党の資格を失って単なる政治団体となり、交付金は入ってこない。
 嘉田氏はこう言う。「未来の党は衆院選で得票率2%以上を取っていたので、議員が阿部さん1人になっても、1月1日まで未来の党を維持すれば、国政政党の資格を確保できました。しかし、平和主義者の私はけんかが苦手なので、仕方ないなと……。この結果は、相手がどうこうというより、私の判断が甘かったために招いたと反省しています」。

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