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戦国時代/戦国武将コミュの浅井長政について

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〜お江の父として〜

ご存知の通り長政は、2011年大河ドラマ主人公「お江」の父であります。過去の大河でも多くは出演せず、今回では父長政をどう描かれるのかとても興味深いと思います。

2011年大河/江〜姫たちの戦国〜 http://mixi.jp/view_community.pl?id=4326351
└◆人物特集03--浅井長政http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44848820&comm_id=4326351

ここでは、浅井長政の人物像について語っていただくトピックです。
皆様がご存知の長政についてどんどん書き込んでください。

コメント(80)

>24
>西美濃勢が信長寄りに振る舞う度に領地が油阪で通じることになり、互いに挑発を繰り返していた。

この一文が分かりにくいと思うけど、『油阪』は『油坂峠』のことだよ。
油坂峠とは?
----quote----
油坂峠は昔から越前と美濃を結ぶ大切な峠だった。美濃の白鳥町は標高365m、油坂トンネル(油坂峠)は標高780m、越前側の東市布の標高は638mある。峠までの水平距離は両者ともほぼ同じである。峠に登る苦しさは、標高差の大小によって決まるわけで、白鳥町の方が420m、東市布の方が150mあるので、白鳥町からの登りの方が苦しいわけである。
旧道は向小駄良(向小俵とも書いた)から直登したので、勾配も強く、油汗を流し、油坂峠と言われるようになった。今は旧街道は通らないが、峠には文政4年(1811)に原左次郎によって句碑が建てられている。
----unquote-----
http://www.geocities.jp/sazanami2121/newpage64.htm
>keatonさん

なるほど。漢字で分けられていたんですね。全く詳しくないので勉強になります。
アザイの初見が1613年っていうことは、アサイっぽいですね。
かな書きの手紙みたいな新たな一次史料が発掘されれば確定できるんですが、可能性は低いでしょうね。
>>42
いさお様

あやふやな知識で、重ね重ね申し訳ありませんw
ただ、今の辞書類の多くは「あざい」となっているので、大河などはそっちの読みで脚本書くと思いますw

個人的には、京極家関連文書での扱いから、土着の一族だとは思うのですが…。
これほど出自が不明というのも、あれだけの勢力としては珍しい例ですねw
朝倉は、道三に追放された美濃の土岐氏や、信長に追放された斉藤氏を保護していて、織田とは敵対関係になっていたと思います。

どなたか一次資料をお持ちの方いないでしょうか?
>keatonさん

いえいえ、ありがたいです。
確かに亮政の頃でさえ不明なことが多いですよね。
>>44

まっつん様

朝倉氏が斎藤氏を保護していたとの点につき。

竜興に関しては、『大日本史料』の10編17冊 天正元年8月13日条に、朝倉軍の一員として信長に斬られたとの記述がありました。
「義景の諸将及び前美濃守護治部大輔斎藤竜興等を斬り、敦賀に到る」

済みません、一次資料は分かりません。
ご参考までw
横から失礼しましたw
 > 40
 カエル様

 詳しい歴史事実はわかりませんが、
 悪い関係が長く続いてきた場合、お互いが対等な立場で
 関係修復(謝罪等)を図っても表面上だけで根底は崩せないかなと思います。。。
 まして、当時の家格からいったら朝倉家の方が圧倒的に上ですから、
 大国のエゴと小国のテロと一緒で相容れないと思います。
 まあそれが因縁というものだと思いますが・・・。

 かなり浅い知識ですみません。。。
  
  


ちょっとスレ違い気味に久政の話を、、


どちらかというと暗愚という評価ですが、
六角との従属に誓い同盟(長政が当時賢政を名乗る、長政の正室は六角家臣の娘等)も当時の状況(朝倉の低迷、六角定頼の全盛期、京極・斉藤からの攻撃)から考えると妥当です。亮政から家臣を完全に支配下に置くため内政は急務でしたし、これで近年言われている「朝倉義景は六角からの養子説」が本当であったら浅井としては窮地ですね。彼はさしたる武名はありませんが、浅井氏が信長と姉川など戦えたのは彼が浅井氏を戦国大名へと成長させたからかもしれません。

観音寺騒動で六角氏は大分弱体化したので、お家騒動も、その後も久政がある程度発言権を持っていたとすれば六角から離れるための猿芝居だったかもしれませんね。

トピは長政ですけど、浅井長政を語る上では切り離せない久政。信長の野望など歴史ゲームなどでは非常に脆弱な武将となっています。彼を皆さんはどう捉えているのか興味がありますね。
> 武州さん
加賀の一揆によって朝倉が動けなかったのではないでしょうか?
義景は若年ですし、宗滴は一揆鎮圧の際病死です。
となると美濃か六角かとなります。上記のように六角には定頼がいたので六角にしたのでしょう。
従う代わりに京極領の支配を認めさせたのかもしれません。

織田と結んだのは六角からの独立後ですね、美濃は織田に牽制させ浅井は近江の支配強化を目論んだのではないでしょうか。
大河ドラマでは前半の重要なポジションになりそうだな。浅井家・・・

個人的見解ではやたらめったらダメ君主と評価されているやつは注意して考えるべき・・・歴史は勝者のものでもあるから特に昔は・・・

まぁ、それはそうとして大河では「浅井井頼」はでるのかな?結構脚本家にとっては美味しい(?)存在だからねこの人は
自分の記憶違いかも知れませんが…

市と長政(婚姻前だから賢政かな?)の婚姻の約束って信長の美濃攻略中じゃなかったですっけ?

市の輿入れは信長の美濃占領後だったような…


間違ってたらすいません
m(_ _)m
続けて失礼しますm(_ _)m
ドクロの話が有りましたが真言密教でドクロに漆を塗って死者を弔う方法があるらしいです…何の本だったか忘れましたがオカルト色の濃い話でした(笑)あせあせ(飛び散る汗)
浅井三姉妹の大河の配役と脚本が決まったようです。
江 上野樹里
淀 宮沢りえ
初 水川あさみ
脚本 篤姫の脚本した人

女性用大河になることは予想してたけど。古参の大河ファンには受け入れられないだろうな。


ソース
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/04/12/02.html
>>56
なぜだろう…少し脚本が不安になってきた…主に天地人的な意味で
> 睦月無岳さん
今年の大河と坂之上の雲に金を使ってるので、篤姫みたいな低コスト大河になるのは確定かと思います。
戦には期待しないほうがよさそうです。


私は浅井三姉妹は全員下げマン傾向があるし、気位が高いだけで古来日本の女性の美しさと掛け離れている感じして、嫌いなんで、最初から期待はしてないです。
>>雲隠れさん
うん、そうだ。その通りだ。あまり戦は期待してないけど、脚本家は時代考証を大きく無視した人だと聞いたことあるから、話が矛盾しないかという点で心配になっていた。

お初さんはむしろ典型的な明石のような上げマンだと思うけど…関が原的な意味で。
気位の高いのだめ・・・・

浅井の外交戦略って、ほとんど真田昌幸のそれに近い気はしますね。
「お前本当はどこに属してんの?」
と言われつつも、本人ケロッとしてそうなw
ぶっちゃけ野良田の戦いはなかったと思います。
浅井「長」政と織田信「長」の関連について少々。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1884222996&owner_id=55761909
諸説ありますね。

私が息子と会話するときは大抵アサイですが、正直どちらも正解というか、どっちでも良い感じです。

ちょっと話がずれますが、五奉行の石田をイシタではなくイシダ、増田をマスダではなくマシタと読ませる根拠ってあるのかな?と。
>>[66]

私も基本的には石田はイシダです。
しかし何を根拠に?と問われると答えられません。

私の友人は金田と書いてカネタと発音し、織田もヲタと読ませる史料が存在します。
浅井が『あざい』だと、朝倉は『あざくら』にはならないのでしょうか?
>>[69]

或いはアサグラかも。

問題は日頃我々が何気なく使っている(発音している)呼び名にちゃんとした根拠があるのか?という部分に個人的関心があります。
>>[70]

恐らく調べれば色々と出てくるとは思いますね。

明石全登みたいに読み方がはっきりしない人もいれば、真田幸隆のように最近まで勘違いされていた奴もいますし(正しくは確かコウリュウだったと思います)。
同じ兵庫県養父市に『浅野』という地名があるのですが、こちらは『あざの』です。浅野長政もあるいは『あざのながまさ』かもしれませんね?
長生きしてたら、浅井さんが表裏ヒキョウの者と言われていたかもですね
長生きしてたら、浅井さんが表裏ヒキョウの者と言われていたかもですね

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