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悪の根源は邪宗にありコミュの社団法人 実践倫理宏正会 破折

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主婦を狙った「宗教ではありません」という勧誘に注意!


■宏正会の五箇条は単なる処世訓

宏正会では、上廣哲彦が創唱した「朝の誓」が、古今東西すべての宗教・哲学・思想の根本となる「倫理」であるというが、

それら五箇条は単なる人生訓・処世訓にしか過ぎないものであり、人生訓・処世訓を掲げる点は、ひとのみち教団や倫理研究所・PL教団などと共通している。

たとえば「三つの恩」として、親・師・社会の恩を知ることを挙げ、
その恩に報ずることが、喜んで進んで働くことだとしている。

この三つの恩なるものは、仏教で説く「三宝(仏・法・僧)」・「父母」・「一切衆生」・「国主」の恩という「四恩」と同様のもので、内容的には、まったく仏教の四恩に及ばない代物である。


■早起きは人の幸不幸を決するものではない

宏正会は、早朝五時の集会に会員を参加させるため早起きを強制しているが、
それと人生の幸不幸とは因果関係はない。

早起きのためには健康上、早寝しなければならないが、宏正会がいうように、世の中全体が朝五時を基軸とした生活をするようになったら、

医療関係者や警備員・工事関係者など、真夜中の作業に従事する人は、どうなるであろうか。
宏正会のいうように、これらの人は不幸になるであろうか。

所詮、宏正会でいう早起きは、少人数の団体の論理であり、社会全体を貫く真理や倫理になりえないものであって、むしろ社会の構成や秩序を乱すものといわなければならない。

また地域によっては、午前五時の集会に参加するため、毎朝三時から四時に起床しなければ間に合わない家庭もあり、
そのため、家庭のなかでさまざまな問題が起こり、家庭不和の原因にもなっている。


■社団法人を装う宗教団体

実践倫理宏正会が社団法上なのは、特定の神を立てることが独善的・排他性につながるため宗教性を脱色したというが、
これは「ひとのみち教団」の弾圧事件から得た処世の智恵であり、勢力拡大のための手段と考えられる。

実際、宏正会からの被害を受けた人たちは、同会会員たちが勧誘の際「実践倫理宏正会は社団法人なので、宗教団体ではありません」と述べたと証言している。

したがって、社団法人の体裁を取っているのは、一般人の宗教に対する警戒心をかわすための手段であることは明白である。

また、宏正会のなかで、会長の上廣父子は絶対的な立場にあり、その姿や言動は新興宗教の教祖と何ら変わらない。


■実践倫理の本の普及拡大を、倫理の実践とする欺瞞

宏正会では、朝起会参加を実践活動の初門とし、同会出版物を頒布する実践活動を倫理の実践と位置づけている。

そのため、当初は倫理道徳を学ぶ目的で入会した人も、次第に会の出版物販売員のような状態になり、ついにはノルマを果たすことが倫理実践の証であるかのように錯覚するようになっている。

こうして会員を営利のために用兵とすることは、明らかに欺瞞行為といわなければならない。


■宏正会の「実践倫理」は、西洋の実践哲学や東洋の道徳倫理とは無縁のもの

上廣榮治は、五五周年式典で

「古今東西すべての宗教、思想、政治理論などは・・・万民に苦痛と苦難と不幸をもたらす結果となったことだけは紛れもない事実」

「私どもの言う万民の仕合わせとは・・・宗教や思想、民族や国籍の違いをすべて乗り越え、文字通りの万人一人一人の仕合わせを言うのであります」

「倫理力によらないかぎり、人は絶対に仕合わせには生きられない」
(倫風六〇三)
と述べ、

榮治が説く「倫理」こそが、すべての宗教・思想を超越する真理であると主張し、ここで「倫理力」なる造語を用いている。

このような理論は、上廣独自のもので、まさに上廣教というべきである。

榮治は、さまざまな文献から自分の意に合った言葉を抽出し、倫理として示しているが、
それら一つひとつを比較検討したりすることもなく、ただ単に耳当たりのよいものばかりを並べただけで、終始一貫した体系的な理論は持たない。

宏正会の倫理はあくまでも、会長上廣榮治の意に叶った私見で、西洋の実践哲学とも、東洋の道徳倫理とも、異質のものというべきである。

コメント(1)

家の両親していました。
家族崩壊しました

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