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改正版 Vivid 和訳コミュのLesson8

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Part1

 「私」(筆者である乙武洋匡【おとたけ ひろただ】さん、以下同)と母との対面は「私の誕生日から1ヶ月後に初めて許された。
赤ん坊を見た母は「かわいい」と言って喜んだ。
1976年4月6日、「私」は手も足もなく誕生した。
しかし、両親は「私」に生涯があるからといって世間から隠すこともなく、いつも連れて外出した。
両親は「私」を養護学校には入れないで、教育委員会を説得し普通の小学校に入学させた。
両親のどちらかがいつも一緒でなければならなかった。

Part2

 担任の高木先生はクラスメートが「私」を特別扱いすることを許さなかった。
一人で出来ることは何でも「私」に覚えさせた。
そのうち、電動車イスがなくても動けるようになった。
弘法山(こうぼう)への遠足のとき、高木先生がクラスに向かって「今回は、乙ちゃんは参加出来ない」と言うと、皆は、「不公平だ」と声を上げ、私も一緒に行くことが決まった。
皆とても疲れたが、山の山頂で食べたおにぎりの美味しさは忘れられない。

Part3

 障害者とそうでない人々とのキャップをうめ、障壁を取り除くには子供のころから障害者と一緒に暮らし、偏見をなくすことが必要である。
「私」はスポーツ、特に野球がいちばん好きだ。友達は、「私」が打ったら別の人が走るなどの「乙ちゃんルール」を決めてくれて一緒にプレー出来た。
障害なくできて、「私」はプロの野球選手になりたいとすら思った。
中学校ではバスケットボール部に入った。だれよりも低い位置のドリブルで「私」はドリブルの名人でだった。
高校ではアメリカンフットボールのチームに加わり、記録係などで貢献した。
「私」はみんなと同じ学校生活を楽しんだ。
他人を受け入れることも学ぶべきだ。偏見の多い日本社会では障害者は生きにくい。

Part4

 障害者をかわいそうだと思うことは正しいだろうか。
障害者をまったく感じないで生きている「私」のような人もいるのだ。
人にはそれぞれ異なる役割がある。「誰でも違いがあってもかまわない」ーこれが社会に対して「私」の言いたいごとである。






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