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聖書研究入門編・中級編・上級編コミュの【1/22 金曜日 「さらなる考察」】

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この士師記やサムエル記を読んでも、聖書の登場人物を美化したり、彼らの罪を隠したりするような記述がありません。聖書全体は、本当に人々の罪を赤裸々に記録しています。
私たちは聖書を読むことによって、彼らの人生から多くを学ぶことができます。

つまり原因と結果の関係において、彼らはどのような原因によってどんな結果を味わうことになったかです。そこには、必ず神の存在がなおざりにされていました。律法を守らないと残念な結果をもたらしたということなのです。

私たちは、神にかたどって創造されていますが、ただいたずらに神は私たちをそのように造られたのではありませんでした。神のみわざには必ずお目的がおありでした。
神の被造物が創造者に対して、反逆するとはおかしな話です。しかも、私たちには自由意志と自由選択権も与えられています。

エリの息子たちとサムエルを比較するような表現について、次のような注解が書かれていました。

★サム上2:12(口語訳)
2:12 さて、エリの子らは、よこしまな人々で、主を恐れなかった。

★同上(新共同訳)
2:12 エリの息子はならず者で、主を知ろうとしなかった。

口語訳では「よこしまな人で主を恐れない」、新共同訳では、「ならず者で主をしろうとしない」者であったと描かれています。

 『聖書時代の生活において、系譜は重要な役割を果たしていました。

この1行の中で、「エリの息子」が今や「ベリアルの息子」です。

「ベリアル」というのは意味深い言葉で、さまざまな形や文脈で用いられるのですが、たいての場合、否定的な意味を持っています。・・・・・

「ベリアル」という語そのものは、「無価値な」「役に立たない」という意味で、他の箇所(代下13:7、王上21:13)でも、エリの息子たちに関してと同様の形(「ならず者)」で用いられています。

箴言6:12では、この言葉は「悪を行う者」と同一視されており、ほかの古代近東の文献の中では、サタンの別名とみなされています。

聖書の中では、ほとんどすべての使い方が否定的なようです。
・・・・・・・・
 神にかたどって造られた人間として、彼らは一つの目的のために、意味を持つように創造されました。

しかし聖書によると、この人たちは無価値も同然な者、「無価値な息子」たちでした。

なんと悲劇的な人生の浪費でしょう。私たちは主のために存在し、主にとって意味と目的のあることをす

るのか、それとも最終的に無価値であるか、いずれかなのです。このことは、私たちの全存在と生きる

目的が主によってのみ、もたらせることを考えるなら、道理にかなっています。』(SSガイド31ページ)



★『私たちは主のために存在し、主にとって意味と目的のあることをす

るのか、それとも最終的に無価値であるか、いずれかなのです。』


最終的に無価値ということは捨てられる、ということです。神は創造者で、主権者です。 いらなくなった器、無価値なを壊す権限をお持ちです。

それは大争闘の結果は、すでにわかっていますが、まだ歴史の途中経過にあるこの時代、私たちの選択は自分の責任であり、善と悪、神の側につくのかサタンの側につくかの大争闘の渦中にあります。

すでに世の終わりは見え隠れしています・・・・

私たち一人ひとりの最終決定は、永遠の命か、永遠の死かのいずれかという二つに一つ、非常に重要な時代に生きています。

アーメン!!





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