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聖書研究入門編・中級編・上級編コミュの神のみ声を求めて―真の改革とは? その2

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前回に続いてもう少し加えておきたいと思います。

イエス・キリストについて・・・・キリストは、偉大な宗教改革者です。

ユダとイスラエルの二つの王国が滅び、神のイスラエルと呼ばれた人々は、バビロニアの捕囚となり、周辺諸国へ散らされましたが、なおも彼らの中には、選民意識が強く存在していました。しかし、彼らは異教の諸国に住むうちにそれらの影響を受け、真の神の崇拝からだんだんそれていくようになりました。この時代には、多くの預言者たちが殺されました。なぜなら、彼らは、イスラエルの悪を暴露したためでした。

世界情勢は、ローマ時代へ移り、エルサレムに残るユダヤ人たちは、あいかわらず、選民意識と傲慢によって、真の崇拝からは程遠い状態でした。キリストが来られた時、このように多くのユダヤ人はローマの圧制に苦しんでいました。収税人たちは、民に法外な税を課していて、ローマを利用して自分のふところをこやしていました。民は、彼らを売国奴と軽べつしていたのです。マタイやザアカイがいました。

また祭司や役人たちは、民を欺き、商人達と手を組んで、宗教を利用して、私腹を肥やし、きらびやかな衣装を着て、威張りちらし、敬虔ぶっていました。民は心を癒されるどころか、心身ともに苦しみのどん底にいました。そして、民の叫びは聞かれ、預言どおり、キリストは、来臨されました。

キリストの働きは、主に伝道でしたが、神殿で働く、精神の腐った祭司や役人たちは、本来の自分の責務を忘れていました。そのような人々にキリストは警告を与えられ多くの反感を買いました。正しいことを言えば、サタンは彼らを利用し圧力をかけます。
キリストは、もちろん、彼らを愛されていて、彼らが悔い改めに導かれ、本来の心からの愛の奉仕に基づく働きをなすように期待されたのですが、彼らは、今で言う逆切れし、キリストを殺すことにしたのです。自分たちに不都合だったからです。

キリストの生涯を知るだけでも、真の改革を垣間見ることができますが、
世界の宗教史は、ずっとその連続でした。ヨーロッパには、み言葉聖書に従った生き方をする人々は、殺害されてきました。なぜなら、彼らの生き方が正しかったからです。彼らの言い分が正しく、それを正しくないとするものが権力を握ってきたからでした。

サタンは、歴史を通じ、人々を欺く方法を研究してきました。その結果、迫害をしても、信者が多くなることを知ったので、それをやめて、別の方法にしたのです。サタンも聖書を知っています。キリストが40日試みを受けられたとき、サタンは、キリストに聖書から問いかけました。しかしキリストは、それに勝利されました。「・・・と書かれている」と言われることによってです。

 サタンは、カトリックを利用し、安息日を利用することで、多くの自称クリスチャンたちを日曜日礼拝に導き、第4条に違反させることに成功してきました。このことに気づいている人々は本当に少ないです。
多くの牧師たちは知っていても、信者には話さない、話すことができないのです。話せば、自分の立場が悪くなるからです。聖書と神学は別物です。

 「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。 」(テモテ第二3:12)

パウロはローマ書の中で、律法、つまり義の普遍性、信仰による義、また律法と罪の支配からの解放をも説いています。彼の各書には、その核となるキリストが説かれています。

天で審判が現在行われていますが、その基準は、神の律法、つまり十戒です。この律法は踏みにじられ、第4条はあからさまに、日曜日に変更されました。
律法は義を要求し、義は悪を裁きます。しかし、キリストの恵みによって、そこに憐れみが同時に
存在するようになりました。これが、キリストの偉大さです。ですからキリストへの信仰が必要です。
キリストの必要性を感じることがポイントです。

律法の義は、死を要求しますが、キリストを信じる信仰に対する憐れみが、死から解放します。

<次のように書いてある、/「義人はいない、ひとりもいない。 >−ローマ3:10

では、どのように生き残れるのか。

<神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。 >−ローマ1:17

キリストを信じる信仰によって、生き残るのです。


**ローマ3:
<20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。
22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、
24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、
26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである。
28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。>


何だか、まとまりがなくなってしまいましたが・・・・

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。 」-マタイ5:17〜18

「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。 」−ヨハネ14:15
「わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」-ヨハネ14:21

天には見えない住民がいますが、彼らは父とみ子のいましめを守っています。
地もそのようになることが、お二人と、天の住民たちのみこころです。

アーメン!!












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