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改憲阻止!民治主義を_市民の会コミュの集団的自衛権容認の解釈廃憲

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◆◇◆ 追記(2015/06/21) 開始◆◇◆
(ソース:
孫崎享のつぶやき
「日本政治の劣化を食い止めようー国民が主役の政治をー」(天木、植草、孫崎、森田参加)での講演要旨
2015-06-13 06:55
http://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar810772)より抜粋
*−−−引用開始−−−*

6月12日衆議院第一議員会館にて、第2回「日本政治の行方を考える市民と国会議員の勉強会」が開催され、天木直人、植草一秀、孫崎 享。森田 実が話をした。
Aその際、私の行った講演の骨子。

1:日本の政治は今、危機的状況にある。

 それは、少し学べば、ほとんど全ての人が、日本が間違った方向に行っていることがわかる。そしてその間違いは将来に大きい禍根を残す。そんなことは誰にもわかることだ。

具体的にみてみよう。

(1) 集団的自衛権は日本防衛のためではない。

アメリカの戦略のために自衛隊を海外で使うためのものである。

それは日本の安全に資さない。それだけではなく、日本国内へのテロを招く、日本人、企業へのテロの危険性を増す。アフガニスタン戦争では銃の撃ちあいで兵士が死んでいるのではない。路肩などに置くIED(即製爆発装置)での死亡が50%以上になっている。いつ、どこでも簡単にテロ行為がなされる。

さらにイラク戦争、アフガニスタン戦争、リビアへの攻撃、シリアへの攻撃をみれば、地域と世界の安全を壊している。

 こんな軍事協力に何故いかなければならないか。

 日本の周辺の安全保障環境が危うくなっているというなら、何故集団的自衛権で自衛隊を世界各地に分散させて、日本の守りを手薄くしようなんて言うのは全く論理にあわない。

米国の軍事行動は自国に利益があると判断した時に行動する。

*−−−引用終了−−−*
◆◇◆ 追記(2015/06/21) 終了◆◇◆


待て!。一体、日本人民とはいかなるアイデンティティを持っているのか、日本人一人一人が考える必要がある。それからの議論だ。集団的自衛権行使などという【戦争推進路線】を行くのは。

http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=38378433&id=1912022344

*----上記日記の展開--------*

■集団自衛権、論議再開へ=17日に安保法制懇
(時事通信社 - 09月16日 15:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2579634


待て!。

一体、日本人民とは日本国憲法の前に立って

いかなるアイデンティティを持っているのか、

日本人民とはどういう思考をするのが日本人民なのか。

【日本人民なら】 【=(イコール)】 【こういう考え方を基盤として、原則として持っている】


という日本人民が日本人民である条件、自己同一性を、すなわち日本人民のアイデンティティを


日本人民一人一人が考える必要がある。


それからの議論だ。集団的自衛権行使などという【戦争推進路線】を行くのは。



●【集団的自衛権というのは、米国がする戦争に日本が駆り出されるということだ。】


戦争は、儲けたい奴らがいて、儲けたいから戦争をする、というのが現代の米国がらみの戦争だ。戦争になるように企画、演出、脚本を書いて、自作自演もやる戦争劇場一家が米国の独占資本のする戦争だ。
集団的自衛権というのは、米国がする戦争に日本が駆り出されるということだ。
世界中どこへでも行くことになるのだ。



●【こうした生き様は、根本的に、今の日本国憲法は認めていない。】

今の日本国憲法は、
はっきりと、

主権在民、
基本的人権の尊重、
平和主義
この三つを三大原則として貫いている。
国家にこれを守らなければならないと、国家を縛っている。

これを守らない国家は、日本国憲法の国家ではないのだ。
日本国憲法の前に犯罪国家なのだ。

その犯罪国家に従う日本人民になれ、というのが集団的自衛権の行使容認ということなのだ。

当然、日本国憲法が、これが日本人の原点ですよ、日本人民といえば、こういう思考をするのが日本人民なんですよ、という日本人民であることの原点、アイデンティティ、自己同一性、というものが根底からひっくり返る。

だからこそ、集団的自衛権を議論するときは、日本人が日本人とはなにか、という日本人の原点、日本人のアイデンティティ、日本人であることの自己同一性というものを、胸に手を当てて考えなければならないのだ。

単に集団的自衛権を認める認めないといううわべの議論でなく、
日本人民であることの根本的な生き様を、アイデンティティを考えなければ集団的自衛権の行使などということは決定できないのだ。

日本人であることをやめるのですか?

日本国憲法下の日本人であることをやめますか?

という問題なのだ。



●【多くの国民は現日本国憲法のもとでの、自分のアイデンティティを認識していない。】

憲法が保障した日本人民の在り方と、今の現実の自分の人間としての在り方の乖離がある。

日本国憲法に敵対している<対米隷属自民党政権>、<独占資本隷属政治勢力>、<そのようなろくでもない勢力の傀儡政権>により、
日本はズタズタに憲法を切り刻んで骨抜きにしてきた。

だから、今の日本人民は、

憲法が保障した人権を享受していない。

今の日本人民は日本国憲法が保障したそんな立派な人権を享受していない。

この乖離に、
「自分ってなんなのか」日本人は見失っている。
日本人民は日本人民としての原点、自己同一性を失っている。
日本人としてのアイデンティティを喪失しているのだ。

アイデンティティなき人間が、集団的自衛権を論じ、決定するなど断じてやってはならない。思考能力のない人間が、決定するのと同じだ。


憲法は憲法、自分は自分、という乖離のまま、

すなわち、憲法の前に立ち、日本人民としての己のアイデンティティを自覚していないまま、

憲法に対して、これが日本人民であり、これが日本人民としての真っ当な人間としての姿だという自己同一性を持ってないまま、原点を持っていないまま、


集団的自衛権を論じ、決定するなど断じてやってはならない。思考能力のない人間が、決定するのと同じだ。




●【多くの日本人は改憲したときはじめて日本人民のアイデンティティに気づくだろう。だがそれは<非常に低レベルなアイデンティティ>の自覚だろう。】


多くの日本人は改憲したときはじめて
<【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】以前の現日本国憲法のもとでの日本人民のアイデンティティ>はなんだったのか、遅れて知ることになるだろう。

あるいは未来永劫気づかずに映画『猿の惑星』の人間のように、人間のアイデンティティを持たぬまま滅んでいくのかもしれない。

アイデンティティなき日本人は、
改憲したときにはじめて
<【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】以前の現日本国憲法のもとでの日本人民のアイデンティティ>に気付く。
その時こう思うだろう。

「なあんだ、【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】の理念が、
実は2013年当時も実質的には改憲以前に一足早く、日本国民を支配していたのか。」

「日本国憲法を差し置いてこれが、
【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】の理念が、
日本人のアイデンティティとなっていたのか。」

そして改憲して
「これでようやく自己同一性が得られた」
「己がどういうもの何か分かった」と。

不自由で、主権なき人民の身分にふさわしい憲法となり、
ようやく
「自分の実態にふさわしい自己同一性が獲得できた。」と。


日本人民は、奴隷だ。日本人民は政府の犬だ。
それが日本人民のアイデンティティだ、原点だ、自己同一性だ、
そう自覚するだろう。





●【自民党憲法の<自由と人権>】


そこには、【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】には、
主権在民などの言葉はあるが、言葉のみで、理念としての主権在民など持っていない。

元首は<天皇>という<特別職公務員の一人>であり、

【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】は
基本的に<特別職公務員のお許しの出た範囲でのみ
日本人民に自由や人権を許可している。
そんな人民を縛る法律になっている。

近代立憲主義は人民が政府を縛るものだが、
【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】は近代立憲主義ではなく、
逆に国家が憲法により人民を縛り上げるものとなっている。
近代立憲主義の憲法に値しない。


犬をつないでおくように人間の首には見えない鎖がつながれ、
その<鎖の長さ>の分だけの自由があり、人権がある。
それが【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】の自由と人権だ。

特別職公務員の胸下三寸の手加減で、
すなわち<特別職公務員の手>で、
決められた【自由の鎖の長さ】、【人権という鎖の長さ】。


【自由とは、人権とは、
特別職公務員によって人間の首にかけられた鎖の長さにほかならない】
という【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】の自由と人権の理念。


すなわち、【主権者が特別職公務員】の憲法。

そこには、【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】には、
主権在民などの言葉はあるが、言葉のみで、理念としての主権在民など持っていない。



●【「主権在民」。しかしその実態は「主権在・特別職公務員」。】


主権が特別職公務員であるにもかかわらず、
その【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】のもとでは「主権在民です」と答えなければならない。
そう成文憲法に書いてあるから。

「主権在民です」と答えながら、主権在・特別職公務員であるという実態。


このちぐはぐさは、しかし、今も同じだ。

自由と人権に覚醒したことのない日本人民なれば。
アイデンティティに自覚したことのない日本人民なれば。
主権在民など全く切実に欲したことも享受したこともない日本人民なれば。



●【主権在・特別職公務員】


来たるべき【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】の時代に、「主権在民です」と答えながら、<主権在・特別職公務員である>という実態を生きても、
多くの日本人はさして違和感など感じないのだろう。

【アンチ日本国憲法(自民党憲法)】の理念は、
完全に主権在・特別職公務員であり、
国民のアイデンティティ、自己同一性は、自由も人権も首につながれた鎖の長さの分だけの自由と人権であり、
鎖の一方は特別職公務員にしっかりと握られているということだ。

【制限付き「主権在民」】=【主権在・特別職公務員】。
実質的に人民は主権を喪失していると憲法がうたっている。



●【日本人民がアイデンティティを獲得するときはいつか。それはどんなアイデンティティか。その時、特別職公務員が狙っているモノは何か。】


奴隷は奴隷として名実ともに奴隷の烙印を押されて人間牧場の入り口の門を施錠されて、
はじめて、アイデンティティを得るのか。

「ああ、俺は初めて自分がだれだかわかった。ああよかった。おれは奴隷だ。犬さ。奴隷というアイデンティティを自覚できてはじめて自己同一性を確保した。」と。


情けない限りだ。行き先は、大量殺戮の墓場だ。
特別職公務員の主権は、しっかりと、大量殺戮の墓場に焦点を合わせている。
自由と人権を鎖でつないだからには、次は命を差し出せということになる。
自由と人権さえ奪えば、命など特別職公務員の意のままだ。

恐怖の銃口と拷問を前に、従うことになるか、
カルトの洗脳教育を受けて、自ら命を差し出すロボットになるか、
二つに一つだ。

もはや、人間のアイデンティティはそこにはない。

集団的自衛権容認の日本人民のアイデンティティとはそういうものだ。

(了)

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