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みことばに生きるコミュの創世記解説

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 旧約聖書、創世記の解説です。

50章もある、膨大な書ですので、簡単には終わりません。
また、あまり標準的でオーソドックスな解説でもありません。
時々、他の書物を参考にしますが、主観的、直感的な解説になってしまうことをご容赦ください。

LOGOS

コメント(328)

●ヤコブ知らせを聞き茫然自失
創世記
45:25 彼らはエジプトから上ってカナンの地に入り、父ヤコブのもとへ行って、
45:26 彼に言った、「ヨセフはなお生きていてエジプト全国のつかさです」。ヤコブは気が遠くなった。彼らの言うことが信じられなかったからである。
45:27 そこで彼らはヨセフが語った言葉を残らず彼に告げた。父ヤコブはヨセフが自分を乗せるために送った車を見て元気づいた。
45:28 そしてイスラエルは言った、「満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう」。口語訳

ヨセフの兄弟たちは、考えもしなかった結末を迎え、不思議な神の摂理に恐れながらも、喜びつつカナンの地へ向かいました。しばらくぶりで郷里についた兄弟たちはヤコブに一尾始終を語ったことでしょう。父ヤコブは彼らの報告を聞きながら、あまりの展開にそれらを一気には信じられず、「気が遠くなった」(口語訳と新共同訳)、「ぼんやりしていた」(新改訳)、つまりその言葉についていけない状態になったと書かれています。しかし、さすがに長年の風雪に耐えてきたヤコブです。ヨセフが自分を歓迎していることや、パロの贈ってくれた車などを見て、夢心地から覚めて気を取り直し元気づいたのでした。しばらくして元気を取り戻したヤコブは、
「満足だ。わが子ヨセフがまだ生きている。わたしは死ぬ前に行って彼を見よう」。(口語訳)
「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」(新改訳)
「よかった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。わたしは行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい。」(新共同訳)
といいましたが、すでに老境にありながらも新しい希望が湧いてきたのでした。
●ベエルシバでの啓示
創世記
46:1 イスラエルはその持ち物をことごとく携えて旅立ち、ベエルシバに行って、父イサクの神に犠牲をささげた。
46:2 この時、神は夜の幻のうちにイスラエルに語って言われた、「ヤコブよ、ヤコブよ」。彼は言った、「ここにいます」。
46:3 神は言われた、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。
46:4 わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。ヨセフが手ずからあなたの目を閉じるであろう」。口語訳

 ヨセフと兄弟たちの和解が成立し、これまでのヨセフ物語は急展開しました。カナンの飢饉という不幸が、実は全世界的飢饉の結果であることがわかり、ヨセフのとった対策が、結果的にヤコブをパロの支配するエジプトへと導くことになっていきました。すべて神の摂理の中にあることといえばそれまでですが、生活上の必要から、やむなく進むヤコブとその一家・一族をとうとうエジプト下りへと導いていきました。
 ヤコブは、エジプトへ下る前、ベエルシバで神の指示を仰いでいます。それは、約束のカナンの地を継承する身としては重大な決断であったに違いありません。神への礼拝の後、神のみことばがありました。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。 わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。ヨセフが手ずからあなたの目を閉じるであろう」(46:2〜4口語訳)。
 ヤコブにとって転換点におけるこの神の認証のことばは、何よりも大きな安心であり保証になったことでしょう。
●ヤコブ、エジプトへ
46:5 そしてヤコブはベエルシバを立った。イスラエルの子らはヤコブを乗せるためにパロの送った車に、父ヤコブと幼な子たちと妻たちを乗せ、
46:6 またその家畜とカナンの地で得た財産を携え、ヤコブとその子孫は皆ともにエジプトへ行った。
46:7 こうしてヤコブはその子と、孫および娘と孫娘などその子孫をみな連れて、エジプトへ行った。口語訳

 ついにヤコブはエジプトへ向かって旅立ちました。これは老境にあるヤコブにとって一大決心の結果でした。
 日本でも高齢化時代になって、海外で老後を過ごす人の話が盛り上がった時期がありました。当時の外務省が力を入れて、オーストラリア、スペイン、東南アジアなどでの老後の生活についてかなり宣伝されたことがありました。その結果退職後海外で過ごす日本人もかなりあるようです。
 ヤコブは、決してカナンの地を捨ててしまったわけではありません。アブラハム以来3代目にして、約束の地からみれば異国の地へと落ち延びる感覚は、無念さや不安も伴ったかもしれません。しかし、神の御心はどこにあったでしょうか。それはヤコブの子孫たちが肥沃なゴセンの地を得てそこで繁栄し、大きな民となることの環境選びであったのかもしれません。いずれにせよヤコブはただ、「その子と、孫および娘と孫娘などその子孫をみな連れて、エジプトへ行った」のでした。
●ヤコブ一族のエジプト行き
創世記46章8〜27節
「イスラエルの子らでエジプトへ行った者の名は次のとおりである。すなわちヤコブとその子らであるが、ヤコブの長子はルベン。」(創世記46章8節 以下略)

 エジプトへ下ったヤコブ一族が列挙されています。ヤコブの子どもたちは、4人の母親から産まれていますので、母親ごとの分類をしています。ヤコブにとって正妻はラケルと考えていたことは、過去の行動からみても明らかです。しかし、一旦その姉のレアそれから、レアとラケルの側女2人がヤコブの子どもを産んだ結果、その子どもたちも一族の中に数えられ、嗣業が与えられようになりました。ここでヤコブの子孫を検証してみます。

 レアの子どもたちは、長男ルベンと4人の孫たちで計5名。シメオンと孫5名そばめの子1名合わせて計7名。レビと孫3名で計4名、ユダの子ら5名ひ孫2名計7名。イッサカルと子ら4名で計5名。ゼブルンとその子3名で計4名。さらにレアの娘デナ1名。以上で、レアの子と孫とひ孫たちは、合計33名でした。各々の妻たち6名はヤコブの血統ではないので数えられず名前も記されていません。しかしデナは女性でも数えられています。

 レアの側女ジルバの子どもたちは、ガドとその子7名で計8名。アセルとその子ら4名妹1名さらにひ孫2名を入れて計8名。計16名で同じくガドとアセルの妻の名はありません。

 ヤコブの正妻ラケルの子たちは、ヨセフには妻アセナテの2名の子合わせて3名、ベニヤミンは、子らと合わせて11名、計14名。二人の妻は数えられていません。

 ラケルの側女ビルハによる子どもたちは、ダンと孫1名で2名、ナフタリと孫たち4名で5名、計7名。以上を合計すると70名。(この統計の中にヤコブ自身は数に入っていません。)

「ヤコブと共にエジプトへ行ったすべての者、すなわち彼の身から出た者はヤコブの子らの妻をのぞいて、合わせて六十六人であった。エジプトでヨセフに生れた子がふたりあった。エジプトへ行ったヤコブの家の者は合わせて七十人であった。」(46:26〜27)
 ここで66人がエジプトへ行った者とあるのは、上のリストのうち、すでにエジプトに来ていたヨセフとその子どもマナセとエフライムとヤコブ自身の計4名が除かれた数と考えられます。しかも、妻たち女の子(デナを除く)たちは数に入っていませんから、実際にはさらに多かったことでしょう。
 出エジプト記1章5節にはヤコブの子孫を70名としており、ヤコブを含めています。また申命記10章22節でも「先祖たちは70名」といっています。それは70というキリのいい数でくくった結果と思われます。
 さらに、若くして死んだはずのエルやオナンとか、ベニヤミンの子の孫の名前も含まれ(民数記26:40)ていたりします。この統計は、ある注解書ではカナンの地を所有する際の「権利書」的な意味をもつといわれるほどで、いわゆる日本的にいえばエジプトへ下ったヤコブの一族の「たてまえ」のリストであることがわかります。
●ヨセフ、ゴセンの地でヤコブに会う
創世記
46:28 さてヤコブはユダをさきにヨセフにつかわして、ゴセンで会おうと言わせた。そして彼らはゴセンの地へ行った。
46:29 ヨセフは車を整えて、父イスラエルを迎えるためにゴセンに上り、父に会い、そのくびを抱き、くびをかかえて久しく泣いた。
46:30 時に、イスラエルはヨセフに言った、「あなたがなお生きていて、わたしはあなたの顔を見たので今は死んでもよい」。口語訳

 ヤコブがエジプトに着いたとき、ヤコブは自分の名代としてユダをヨセフの元へ遣わしました。それで、ゴセンの地で会うと言わせたのでした(新改訳では「ゴシェンへの道を示させた」となります)。これは高齢のヤコブがいきなりヨセフの前に出るよりも、東洋的な配慮として、根回しをしたのでした。あのペニエルにおいて、兄エサウを迎えるときどれほどの神経を用いたことかを思い起こしてください。ヤコブの配慮は浅薄ではなく、考え抜かれた老獪さがありました。ここに来てそれは必要ないと思われますが、相手は一大帝国の王と宰相(総理大臣)ですから、決して軽はずみな応対で、自らを低く評価されてもいけないことを心得ていたからでしょう。ゴセンの地にヨセフを呼ぶ形を取ったのです。
 ここで、ユダはヤコブのスポークスマンの役目を取っています。長男ルベンはすでにその立場を失っていることがわかります。これから後、ユダ族はイスラエルの中での先頭集団へとなっていくのでしょう。いや、エジプトを出た結果そうなっていきますが、この物語にも、ユダ優先の兆しが影を落としているという見方も出てくるわけです。
 さて、ヨセフは父を迎えにゴセンの地へと向かいます。そのとき車を用意して父の高齢者の弱さに対して配慮をいたします。これは、高齢者になってみなければわからない箇所であるかもしれません。徒歩とろばまたはラクダ輸送が普通の時、馬で引く車のような輸送手段はエジプト人たちの好むところだったのかもしれません。馬車はエジプト人の先進性を示しているともいえます。
 ヤコブすなわちイスラエルはヨセフと再会しました。互いに抱き合い(ハグを交わし)、涙とともに再会を喜びました。「あなたがなお生きていて、わたしはあなたの顔を見たので今は死んでもよい」ということばはヤコブの本音でしょう。それほどヨセフはヤコブにとっての子宝であったことがわかります。
●羊を飼う者
創世記
46:31 ヨセフは兄弟たちと父の家族とに言った、「わたしは上ってパロに言おう、『カナンの地にいたわたしの兄弟たちと父の家族とがわたしの所へきました。
46:32 この者らは羊を飼う者、家畜の牧者で、その羊、牛および持ち物をみな携えてきました』。
46:33 もしパロがあなたがたを召して、『あなたがたの職業は何か』と言われたら、
46:34 『しもべらは幼い時から、ずっと家畜の牧者です。われわれも、われわれの先祖もそうです』と言いなさい。そうすればあなたがたはゴセンの地に住むことができましょう。羊飼はすべて、エジプトびとの忌む者だからです」。口語訳

ヨセフは兄弟たちと父に会い、パロに家族の到着を報告することを告げました。また、パロが召してきたならば、職業の質問には『家畜の牧者、羊を飼う者とうように』と教えました。ゴセンの地はナイル川の肥沃なデルタ地帯にあったので、家畜を養い育てるには豊富な牧草地があったと思われます。そこに一族を導くのは、ヨセフの智恵でありました。当時のエジプト人たちは、牧畜を職業とする人々を忌み嫌ったということが記されています。
 飢饉のためにエジプトへやって来たヤコブ一族でしたが、当時は飢饉の終わるまでの短期の滞留を考えていたことでしょう。しかし、歴史を支配される神の摂理によって、この後出エジプトまでは、400年ほどの期間が経つことになります。当初は寄留者でしたが、やがて王朝が変わり、終わり頃には奴隷の身へと追いやられることになるとは、誰も考えが及ばなかったことでしょう。
●パロとの会見
47:1 ヨセフは行って、パロに言った、「わたしの父と兄弟たち、その羊、牛およびすべての持ち物がカナンの地からきて、今ゴセンの地におります」。
47:2 そしてその兄弟のうちの五人を連れて行って、パロに会わせた。
47:3 パロはヨセフの兄弟たちに言った、「あなたがたの職業は何か」。彼らはパロに言った、「しもべらは羊を飼う者です。われわれも、われわれの先祖もそうです」。
47:4 彼らはまたパロに言った、「この国に寄留しようとしてきました。カナンの地はききんが激しく、しもべらの群れのための牧草がないのです。どうかしもべらをゴセンの地に住ませてください」。口語訳

ヨセフはエジプトにやって来た兄弟たちの中から5人を選んで、パロと会見をさせました。
するとパロは、ヨセフの兄弟たちに問いました。「あなたがたの職業は何か」と。兄弟たちは、「しもべらは羊を飼う者です。われわれも、われわれの先祖もそうです」といい、この国に寄留するためにカナンからやって来ました。牧草のあるゴセンの地に住まわせてくださいと言いました。
●パロの許可
創世記
47:5 パロはヨセフに言った、「あなたの父と兄弟たちとがあなたのところにきた。
47:6 エジプトの地はあなたの前にある。地の最も良い所にあなたの父と兄弟たちとを住ませなさい。ゴセンの地に彼らを住ませなさい。もしあなたが彼らのうちに有能な者があるのを知っているなら、その者にわたしの家畜をつかさどらせなさい」。口語訳

パロは、ヨセフがイスラエル人つまり、ヤコブの子であり牧羊者たちの息子であることを知っていた上であえて夢の解明者であること、さらにそれが神の恵みと智恵によるものであることを知って、宰相に抜擢したのですから、その父親を優遇しようとする理解のある態度でした。そしてエジプトの肥沃地帯でるゴセンを指定してそこに住むことを、改めて許可いたしました。これは王立の私有地を借りるようなことで、日本でいわば徳川時代の天領、明治時代なら国立公園か御用邸のある御用地のような考えられというのは、ちょっとオーバーな言い方ですが、それに近いのです。それほどパロはヨセフに故にヤコブ一族を優遇したことになるのです。さらのパロの家畜の管理者に就職することも許したのでした。なんという厚遇でしょうか。
●パロと謁見するヤコブ
創世記
47:7 そこでヨセフは父ヤコブを導いてパロの前に立たせた。ヤコブはパロを祝福した。
47:8 パロはヤコブに言った、「あなたの年はいくつか」。
47:9 ヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。
47:10 ヤコブはパロを祝福し、パロの前を去った。口語訳

ヨセフは、ヤコブを連れてパロの前に出るようにしました。パロはエジプトの帝王、ヤコブは選ばれた神の家族の族長です。エジプトの王の謁見に対しては、怖じ惑うことはありません。むしろ年長であるために、長老の立場でかえってパロを祝福しています。(ただ、この祝福は、単に「あいさつ(新改訳)」にすぎない語(ワィエパーレク)ということですが、英語聖書は一様に「祝福した」と翻訳していると舟喜信は新聖書注解に書いています。口語訳は「祝福した」、新共同訳は「祝福の言葉を述べた」と英語訳に準じた形となっています。
ヤコブは、このとき130歳となっていました。歳を問われてその過去を振り返り、正直にへりくだり「わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」と言っています。これは、特に自己憐憫ということではなく、過去の自分の失敗も含めて自戒し反省し、へりくだった言葉を述べたといえます。王に対して高齢を誇っても、それはただ見苦しいことですから、立場をわきまえて挨拶をしたのでしょう。以上の結果、エジプトのイスラエル寄留もまた祝福されたスタートなりました。
●豊穣な寄留地
創世記
47:11 ヨセフはパロの命じたように、父と兄弟たちとのすまいを定め、彼らにエジプトの国で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。
47:12 またヨセフは父と兄弟たちと父の全家とに、家族の数にしたがい、食物を与えて養った。口語訳

ヨセフはイスラエルの一族のためゴセンの地を得させて、ラメセスという当時の極上の土地を割り当てました。この結果、飢饉の中にあっても、一族は家畜ともども困窮することはありませんでした。ラメセスはゴセン(ゴシェン)を示す別名です。
●ヨセフの政策
創世記47:13〜26節(聖句は省略)

「ヨセフの管理は不正で残酷なように見えるけども、現在のわれわれの頭で考えてはいけない。ヨセフの目的は、ファラオの権利を取りもどすことであった。旧王朝(前28〜26世紀)のファラオは、絶対の王であり、大地主はファラオの下男であった。この制度によって、ナイルの水も管理できた。中世王朝(前22〜18世紀)になると、大名制度が出来、新王朝になると、この大名制度が消え、ファラオと神殿が地主となった。」
(バルバロ訳聖書の注)
「原理的にはすべての土地も家畜も人間もパロのものであった。またエジプトの歴史のある期間はこれが事実であった。しかし王朝の力の弱まった期間は個人の財産や企業が主導権を握っていた。このききんはむかしの専制政治が再興する手段となった。ただ一つの例外は祭司たちの土地で(22節)支配階級もここには手を触れることができなかった。」
(ウェスレアン聖書注解)
「ヨセフの農業、経済政策は、飢饉から人を救うという対症療法的な領域を越えて、将来のための構造改革に及ぶ。当時の政治の形態にふさわしく、財産のパロへの集中という形をとるが、実際には一種の社会主義政策のための国有化方式と見てよいのではないか。皮相的には民衆の弱みを利用しての富の集中化のように見えるが、人々はヨセフの賢明な政策の故に生き延びられることを喜び、買ってくださいとヨセフに求める形で土地を提供している。(以下略)」(新聖書注解)

いずれも、ヨセフのききんにおける政策を、パロの権限の拡大と民衆とともに危機を乗り越えようとする施策であることを説明しています。神のご支配のもとにヨセフは、与えられた賜物をふんだんに発揮していった場面でした。
●ヤコブ死の床での埋葬の遺言
創世記
47:27 さてイスラエルはエジプトの国でゴセンの地に住み、そこで財産を得、子を生み、大いにふえた。
47:28 ヤコブはエジプトの国で十七年生きながらえた。ヤコブのよわいの日は百四十七年であった。
47:29 イスラエルは死ぬ時が近づいたので、その子ヨセフを呼んで言った、「もしわたしがあなたの前に恵みを得るなら、どうか手をわたしのももの下に入れて誓い、親切と誠実とをもってわたしを取り扱ってください。どうかわたしをエジプトには葬らないでください。
47:30 わたしが先祖たちと共に眠るときには、わたしをエジプトから運び出して先祖たちの墓に葬ってください」。ヨセフは言った、「あなたの言われたようにいたします」。
47:31 ヤコブがまた、「わたしに誓ってください」と言ったので、彼は誓った。イスラエルは床のかしらで拝んだ。口語訳

 エジプトに移住したヤコブは、その後17年間生きたとあります。その生涯は147年でした。死の日が近づいたとき、ヨセフを呼び、誓約を求めました。それは、ヨセフに事後のことを頼むというだけでなく、エジプトの土にならないように、エジプトに葬らないでほしいということでした。このことによって、ヤコブは先祖アブラハム、イサクに語られた神の約束の地への望郷の念が強かったことがわかります。そこで、ヤコブの葬儀は、カナンの地への葬ることを約束させたのでした。ヤコブはエジプトに移ったからといっても、エジプトに属する者となったわけではないのです。ヤコブ自身がそのことを一番よく自覚していたのでした。祖父アブラハム、祖母サラ、父イサクたちと同じ先祖の墓に葬ってほしいというのは極く自然な願いであったと思われます。、
 ヨセフはヤコブを安らかに眠らせるために、そのことを約束して言いました。「あなたの言われたようにいたします」と。しかも、それを確かなものとするために、ヤコブは誓約を求めましたので、ヨセフは誓いました。「手をももの下に」置くのは特に子孫との関係で誓約するときの誓いのしるしです。アブラハムもそうしました(創24:2)。
 そのあと、「イスラエルは床のかしらで拝んだ(口語訳)」とありますが、これは、70人訳では「杖にすがって」という訳で、ヘブル11:21は70人訳の引用に従っています。
その他「イスラエルは床に寝たまま、おじぎをした」は新改訳。「イスラエルは、寝台の枕もとで感謝を表した」は新共同訳。いずれも少しニュアンスが違いますが、床に寝たままのヤコブが、床の柱にすがり、また自分の杖も頼りにし、また、場合によっては寝たままでベッドの柱を頼りに深いお辞儀と礼拝を捧げたことも考えられます。どれが正しい日本語の訳と決めるこは難しいところです。
●ヤコブの最期の床
創世記
48:1 これらの事の後に、「あなたの父は、いま病気です」とヨセフに告げる者があったので、彼はふたりの子、マナセとエフライムとを連れて行った。
48:2 時に人がヤコブに告げて、「あなたの子ヨセフがあなたのもとにきました」と言ったので、イスラエルは努めて床の上にすわった。
口語訳

ヤコブの死期が近づき、ヨセフのところにその容態の知らせが来ました。「あなたの父は、いま病気です」とは、臨終が近いと言うことでしょう。ヨセフは二人の息子を連れて、ヤコブのもとへと行きました。床の上で、ヨセフを迎えた父ヤコブは、孫に当たるマナセとエフライムが見えたどうかはわかりません。しかし、ヤコブの意識は、まだはっきりとしていました。
●エフライムとマナセの祝福
創世記
48:11 そしてイスラエルはヨセフに言った、「あなたの顔が見られようとは思わなかったのに、神はあなたの子らをもわたしに見させてくださった」。
48:12 そこでヨセフは彼らをヤコブのひざの間から取り出し、地に伏して拝した。
48:13 ヨセフはエフライムを右の手に取ってイスラエルの左の手に向かわせ、マナセを左の手に取ってイスラエルの右の手に向かわせ、ふたりを近寄らせた。
48:14 すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。
48:15 そしてヨセフを祝福して言った、
「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、
生れてからきょうまでわたしを養われた神、
48:16 すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、
この子供たちを祝福してください。またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、
彼らによって唱えられますように、
また彼らが地の上にふえひろがりますように」。口語訳

ヤコブがヨセフの子らが側に来たことを知って喜びましたので、ヨセフはヤコブの前で神に礼拝し、続いて二人の子らにヤコブの手を置いて祝福の祈りをしてほしいと求めました。
右手をマナセ、左手をエフライムと置くようにヤコブに近づけました。
 それは右手は長子の特権で、左手はそれに続く恵みという形になっていたのです。ところが、どういうわけかヤコブは、その手を左右入れ替えたのです。つまり右手を弟のエフライムの上に、左手を長子マナセの上に置き換えたのでした。
 続いてヤコブは、二人のため、すなわちヨセフ一族のために祝福を祈りました。
 神を3重に呼び、先祖の仕えた神、自分を養われた神、すべての災いから救われた神
に祈りました。それは子どもたちの中にも、先祖アブラハム、イサクの名が覚えられ、また子孫が続いて与えられて繁栄するようにと求めたのでした。
●ヨセフの訂正を拒むヤコブ
創世記
48:17 ヨセフは父が右の手をエフライムの頭に置いているのを見て不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。
48:18 そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。
48:19 父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。口語訳

ヤコブは、ヨセフの子どもの頭に手置いたのですが、ヨセフの考えとは違ってしまいました。マナセが長子なので右手に移そうとしましたが、ヤコブは間違えてそうしたのではなく、確信をもって逆に手を置いたのでした。ここでも弟が兄よりも「大いなる者となる」と言われたのでした。
 イスラエルのこれまでを振り返ると、イシマエルではなくイサクが、エサウではなくヤコブが、そしてここでまた、マナセではなくエフライムが、より祝福されていることがわかります。明白な理由はわかりませんが、長幼の序よりも、信仰と服従の原理が祝福の前提となっているように思えます。
(4月21日の分としてこの箇所が欠落しましたので後追いで追加します。)失礼しました。

●ヤコブの回顧
創世記
48:3 そしてヤコブはヨセフに言った、「先に全能の神がカナンの地ルズでわたしに現れ、わたしを祝福して、
48:4 言われた、『わたしはおまえに多くの子を得させ、おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる』。
48:5 エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします。
48:6 ただし彼らの後にあなたに生れた子らはあなたのものとなります。しかし、その嗣業はその兄弟の名で呼ばれるでしょう。
48:7 わたしがパダンから帰って来る途中ラケルはカナンの地で死に、わたしは悲しんだ。そこはエフラタに行くまでには、なお隔たりがあった。わたしはエフラタ、すなわちベツレヘムへ行く道のかたわらに彼女を葬った」。

ヤコブは、自分の生涯を省みてヨセフに感慨深く述べています。それは、カナンの地で最初に顕現されたとき、ルズはすなわちベテルにおいてですが(創28:19)、そのときの祝福を回顧しました。それは子孫の繁栄と土地所有の約束のことばでした。それから、エジプト下りの前の段階でヨセフに生まれた二人の子、エフライムとマナセを他のヨセフの異母兄弟たちと同じ子孫と数えると言いました、それによってヨセフの嗣業は2倍になったようなものです。このときに、イスラエルの12部族からヨセフの変わりにエフライムとマナセの名で加わるようになったといえます。
 最後にヤコブは愛妻のラケル、すなわちヨセフの母の死について回顧し、ベツレヘムへの途上に埋葬したことを告げました。

●ヤコブは孫たちに気づく
48:8 ところで、イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。
48:9 ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。
48:10 イスラエルの目は老齢のゆえに、かすんで見えなかったが、ヨセフが彼らを父の所に近寄らせたので、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。

ヤコブの目はかすんでいて、よく見えなかったようですが、二人の孫に気がつきました。
そこで、ヨセフの願いで、二人の孫を祝福することになりましたが、まず、二人を近寄らせヤコブは「口づけし、抱いた」のでした。
●エフライムとマナセの祝福の祈り
創世記
48:20 こうして彼はこの日、彼らを祝福して言った、
「あなたを指して、イスラエルは、
人を祝福して言うであろう、
『神があなたをエフライムのごとく、
またマナセのごとくにせられるように』」。
このように、彼はエフライムをマナセの先に立てた。

ヤコブは恐らく意識的にヤコブとイスラエルの名を使い分けて言ったものと考えられます。
「○○のごとくにされる」ということは、「○○がすばらしく祝されているので、その人のようになりたい」ということを意味しているのです。エフライムはそのように人の嘱望するような部族となって祝福を受けることでしょう。またマナセもそうなるでしょう、と祝福を述べました。
「二人の子の名は祝福を語る場合の格言にまでなった」とは舟喜『新聖書注解』の注です。
●ヤコブの希望
48:21 イスラエルはまたヨセフに言った、「わたしはやがて死にます。しかし、神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう。
48:22 なおわたしは一つの分を兄弟よりも多くあなたに与える。これはわたしがつるぎと弓とを持ってアモリびとの手から取ったものである」。口語訳

ヤコブは自らの死を予測しながら、ヨセフや子孫たちとの別れを思い、預言的といえる次章の祝福のことばを語り出しましたが、その前にヨセフには、「神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう。」と民族の出エジプトの希望を述べています。さらにヨセフの受ける分は、12人の中で2倍となり、実際にはヨセフではなくヨセフの子エフライムとマナセをそれぞれ親ヨセフと同じ嗣業をもつようにするといい残しました。
●ヤコブの祝福
創世記
49:1 ヤコブはその子らを呼んで言った、「集まりなさい。後の日に、あなたがたの上に起ることを、告げましょう、
49:2 ヤコブの子らよ、集まって聞け。父イスラエルのことばを聞け。口語訳

創世記の最後を飾るヤコブの祝福の祈りの歌が始まります。
その生涯の終わりに子どもたちを集めて、「集まりなさい。後の日に、あなたがたの上に起ることを、告げましょう、ヤコブの子らよ、集まって聞け。父イスラエルのことばを聞け」と、これほど自信に溢れた宣言も少ないと思います。
●ルベンに対して
創世記
49:3 ルベンよ、あなたはわが長子、
わが勢い、わが力のはじめ、
威光のすぐれた者、権力のすぐれた者。
49:4 しかし、沸き立つ水のようだから、
もはや、すぐれた者ではあり得ない。あなたは父の床に上って汚した。ああ、あなたはわが寝床に上った。口語訳

ラケルをと願ったにもかかわらず、図らずもレアと結ばれたヤコブでしたが、神は子どもを与えて祝福されました。その長子がルベンでした。しかし、彼は長じてヤコブの愛妻ラケルが死んだ後、ラケルの側女であり異母兄弟のダン、ナフタリの母ビルハ、つまりヤコブの妻と同衾し、寝床を汚してしまいました。それは長男として恥ずかしいことでした。その結果ルベンは長子の特権を失い、主にユダが兄弟のなかで信頼を受けていくようになりました。同族間の倫理を破り、信頼を失ったばかりか父に「もはやすぐれた者ではあり得ない」といわれることほど、あわれなことはないでしょう。残念なことです。
●ユダへ
創世記
49:8 ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる。あなたの手は敵のくびを押え、
父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。
49:9 ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり、
雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。
49:10 つえはユダを離れず、
立法者のつえはその足の間を離れることなく、
シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。
49:11 彼はそのろばの子をぶどうの木につなぎ、
その雌ろばの子を良きぶどうの木につなぐ。彼はその衣服をぶどう酒で洗い、
その着物をぶどうの汁で洗うであろう。
49:12 その目はぶどう酒によって赤く、
その歯は乳によって白い。 口語訳

 ユダは、「誉め称える、讃美する」という名の意味をもつレアの息子です。「獅子の子」と呼ばれているように、兄弟たちすべてがユダを称え従うような一族となるといいました。確かに、この部族からダビデが出、またその子孫から救い主イエスが誕生されたのです。しかしそれは、遙か500年も1000年も経過してのことで、この段階では、ヨセフ族の祝福の方がはるかに現実的な預言でありました。それはすなわち、ユダの杖(彫刻された杖で、牧者王のしるし、王権を指す)は離れないといわれました。
 「シロ」が来るまでの、「シロ」とは、その意味がよくわかっていないのですが、「彼が自分の所有のところに来るまで」というような意訳がもっともらしい説明となるようです。
彼とは「メシヤ」のことです。その後の詩の内容は、豊かさの表現で、来るべき者が来てからの生活は繁栄そのものとなると預言しました。
●ゼブルンへ
創世記
49:13 ゼブルンは海べに住み、
舟の泊まる港となって、
その境はシドンに及ぶであろう。口語訳

ゼブルンは、レアの6番目の子です(創30:19ー20)が、ヤコブの10番目の子です。。「神は良い賜物をくださった」と喜びました。名前は「共に住む」という意味です。
イッサカルという5番目の兄がいますが、それを差し置いて先に祝福されています。
なにかわけがあるのでしょうか。ゼブルンの地は地中海とガリラヤ湖に挟まれた地です。イッサカル、ナフタリと合わせて新約の時代にはガリラヤ州と呼ばれるようになった地です。ここでは、海沿いに住むとありますが、海沿いは他国民が占領していて、アシェルが割り当てられますが、進撃が実行出来なくて、アシェルはゼブルンに吸収されたのではないでしょうか。海岸沿いはフェニキヤの支配下に落ちていきました。シドンとの境界争いが大変であったと思われます。
「ゼブルン、ナフタリの地」はイザヤ9:1でメシアの光が上る異邦人の地と預言されました。
●イッサカルへ
創世記
49:14 イッサカルはたくましいろば、
彼は羊のおりの間に伏している。
49:15 彼は定住の地を見て良しとし、
その国を見て楽しとした。彼はその肩を下げてにない、
奴隷となって追い使われる。口語訳

イッサカルとは、「報酬を与える、弁償する」の意味です。レアは「神は私に報酬をくださった」(創31:18)といってその名を付けたのでした。しかし、ヤコブはあまり見栄えの良いことばを残してはいません。むしろ、定住として希望した地中海に近い土地は、シドンの勢いに負けて、そこの奴隷として働かされることを預言しました。「たくましいろば(ゲヘル・カモール)」これは「骨のろば、つまり強い骨を持った労役にのみ適したろば」のことで、それに成り下がってしまうというのです。「羊のおりの間に(ミシャ・パティーム)伏している」は「二つの鞍袋」との訳されるので、背に荷物をいっぱい詰めて動けなくなっている状況か(フォン・ラート)、ほしい物をたくさん背に持って満足している状況かはよくわからない。新改訳では「羊のおりの間に」と訳しています。その場合は、文字通り羊の檻のおおいところに住むということですが、文脈には合わないと『新聖書注解、創世記(舟喜)』には書いてあります。
●ダンへ
創世記
49:16 ダンはおのれの民をさばくであろう、
イスラエルのほかの部族のように。
49:17 ダンは道のかたわらのへび、
道のほとりのまむし。馬のかかとをかんで、
乗る者をうしろに落すであろう。
49:18 主よ、わたしはあなたの救を待ち望む。口語訳

ダンは「ヤーディーン」で「裁き人」の意味があります。自分の民をさばくとは、政治的自主性を示す(舟喜)。
ダンについての預言は、あまり芳しい物ではありません。ダンの英雄はサムソンですがこの場合も、士師記でかなり詳しくとりあげられているものの、厳密にいえば、反面教師のような面があります。ダン族は、割り当て地を移動して、イスラエル北部に新しく自分たちで土地を見つけていますが、、これも自己主張の現れであるといえます。しかも、神の宮に「自分たちのために」彫像を立てましたが、これもモーセの禁止事項を破り続ける部族ということになります(士師記18章参照)。さらに、黙示録に新しい時代の12部族のリストがありますが、なぜかダンの名は見あたりません。ここではエフライムとマナセの名も消えてヨセフの名が復活しています。12部族といっても、ヤコブの子と、ヨシュア時代と黙示録のリストではかなりの変遷というか異動が見られます。
「道のほとりのまむし」云々というくだりは、良い意味では「ペリシテの攻撃に対して、蛇のように機敏に戦い、戦車に乗った敵を後ろに落とす」(フランシスコ会訳)もありますが、他には「偽キリスト出現の預言」に当たるのではないか(聞いた話で出所不明)などがあります。
●ガド、アセル、ナフタリへ
創世記
49:19 ガドには略奪者が迫る。しかし彼はかえって敵のかかとに迫るであろう。口語訳

ガドはレアの女奴隷ジルパの最初の子で「幸運が来た」ということで「幸運」と名付けたのでした。ガド族はヨルダン東岸に住みますが、それだけ外敵からの攻撃を受けやすかったので、「攻撃性ではない軍事的な強さが暗示されている」(舟喜)とあります。

49:20 アセルはその食物がゆたかで、王の美味をいだすであろう。口語訳

アセル(アシェル)は、ガドの次に生まれたジルパの子です。この名は「しあわせ者」という意味ですが、「地中海側のもっとも豊かな地に住むアシェル族は、その名のとおり幸せでありました。「王の美味」は、王のための食べ物というよりも、「王の食べるような種類の食物」という意味であろうと舟喜は注解に記している。

49:21 ナフタリは放たれた雌じか、彼は美しい子じかを生むであろう。口語訳

ナフタリは、ガリラヤ湖の西に面した地区です。士師記では、バラクが、外敵のカナンの王からイスラエルを守りました。(士師記4〜5章参照)ナフタリはラケルの女奴隷ビルはの第2子です。名の意味は「争う、格闘」という意味です。
●ヨセフへ
創世記
49:22 ヨセフは実を結ぶ若木、
泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、かきねを越えるであろう。
49:23 射る者は彼を激しく攻め、
彼を射、彼をいたく悩ました。
49:24 しかし彼の弓はなお強く、
彼の腕は素早い。これはヤコブの全能者の手により、
イスラエルの岩なる牧者の名により、
49:25 あなたを助ける父の神により、
また上なる天の祝福、
下に横たわる淵の祝福、
乳ぶさと胎の祝福をもって、
あなたを恵まれる全能者による。
49:26 あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、
永久の丘の賜物にまさる。これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、
その兄弟たちの君たる者の頭の頂に帰する。口語訳

 ヨセフの祝福のことばは、一番分量が長いのではないかと思います。注解書は「美しい表現でヨセフとその部族へのこの上ないほどの祝福が語られている。しかし、ユダの場合のような預言の具体性は欠けている。ヘブル語にははっきりしない要素が多いため、多様な解釈が試みられて来た箇所。(『新聖書注解、創世記(舟貴)』p263)
 ヨセフが隆盛を誇った時代は、出エジプトまでで、その後は、ユダへ主導権が移っているように思えます。また、ユダ中心のイスラエル統一の賢王ダビデに続く3代で南北に分かれていく歴史を知っている者としては、ダビデ系の南ユダとヨセフ系の来たエフライム、マナセとに2分していく将来を考えると、ヨセフにはやはり、当時の威光に基づく祝福とそれに続く恵みが語られていると思えてなりません。

ともかく、これまでは「動物」にたとえてきたヤコブであったが、ここではヨセフを枝を張り実を結ぶ木として「植物」に例えているところが、意味深いです。彼の生涯である、ヨセフの悩み、ヨセフの誘惑、そしてヨセフの凱旋をまとめて、生涯の祝福を歌い上げているともいえます。
●ベニヤミンへ
創世記
49:27 ベニヤミンはかき裂くおおかみ、
朝にその獲物を食らい、
夕にその分捕物を分けるであろう」。
49:28 すべてこれらはイスラエルの十二の部族である。そしてこれは彼らの父が彼らに語り、彼らを祝福したもので、彼は祝福すべきところに従って、彼らおのおのを祝福した。口語訳

最後は、末っ子ベニヤミンへのことばです。単に祝福のことばというよりも、その部族の勇猛果敢で戦闘的な性質(勇気)を称えた預言になっています。ベニヤミンからはエホデ(左利きのエフデ=新改訳、士師記3:15)やイスラエル初代のサウル王(1サムエル11章)を輩出しています。
以上をヤコブが語り終える際の総括として、先祖からの祝福を各々に従って12部族を祝福したのでした。

●族長ヤコブの最期
創世記
49:29 彼はまた彼らに命じて言った、「わたしはわが民に加えられようとしている。あなたがたはヘテびとエフロンの畑にあるほら穴に、わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください。
49:30 そのほら穴はカナンの地のマムレの東にあるマクペラの畑にあり、アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買い取り、所有の墓地としたもので、
49:31 そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った。
49:32 あの畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々から買ったものです」。
49:33 こうしてヤコブは子らに命じ終って、足を床におさめ、息絶えて、その民に加えられた。口語訳

イスラエル・ヤコブの生涯の終わる日がやって来ました。アブラハム、イサクに次いで3人目の族長としての生涯をいよいよ閉じようとしております。
ヤコブの願いは、自らの亡きがらをエジプトの地ではなく、父たちの埋葬されたカナンの地マムレ(ヘブロン)の東にあるマクペラの畑にある洞穴に葬ってほしいということでした。ヤコブ自身が、「イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った」ところです。
 そのほら穴は、アブラハムがヘテ(ヒッタイト)人エフロンから買い取った土地で、イスラエルたちの所有している唯一の土地でした。彼らは遊牧の牧羊者で、固定した土地を持たなかったのですが、墓地はこのようにヘテ人(外国人)から購入しておりました。このことについて、ヤコブは29〜33節の間に3回も言及しております(29、30、32節)。
旧約聖書(創世記)では、死ぬことを「わが民に加えられる」また「自分の民に加えられた」といっています。天に帰りそこで民が集結しているとでも言いたいようです。
そして、ついに「足を床におさめ、息絶えて、その民に加えられた。(口語訳)」のでした。
●ヤコブの最期
創世記
50:1 ヨセフは父の顔に伏して泣き、口づけした。
50:2 そしてヨセフは彼のしもべである医者たちに、父に薬を塗ることを命じたので、医者たちはイスラエルに薬を塗った。
50:3 このために四十日を費した。薬を塗るにはこれほどの日数を要するのである。エジプトびとは七十日の間、彼のために泣いた。口語訳

巨星墜つ、ということばがありますが、創世記の中の1等星であるアブラハム、イサク、ヤコブの内、3代目のヤコブの地上を去る日がやってきました。
最期に及んで、ヨセフはヤコブにお別れのキスを致しました。日本ではこの習慣はありませんが、堅く手を握りしめること、大声でその名を呼ぶなどは行われています。
ヤコブ・イスラエルが冷たくなったとき、ヨセフはエジプトの習慣であるミイラにするためでしょうか、亡きがらへ薬を塗ることを命じました。このために40日がかかったとあります。その処理は手の混んだものであったと思われます。その結果、エジプトでは70日の服喪をおこなったと記されています。
ヤコブの生涯を省みますと、大変苦労の多い人生でありました。若き日より最期まで創世記は主な生涯を書き残しております。こうした信仰の巨人は、後代まで語り継がれ、読み継がれることでしょう。
●レアの葬り(追加)
創世記49:31 そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った。口語訳
同49:31 そこには、アブラハムとその妻サラとが葬られ、そこに、イサクと妻リベカも葬られ、そこに私はレアを葬った。新改訳

ここには、「わたしはまたそこにレアを葬った。」という、記事があります。これは、これまで出てこなかった内容です。レアは、ヤコブの最初の妻(ヤコブにとっては第2番目に考えていたのですが)でした。その子らの中から、後に重要となる第4子ユダが出現します。ラケルは最愛の妻としてヤコブには正妻でしたが、ベニヤミンの出産に際して難産のため一命を失いベツレヘムへの途次に葬られました。それは既に明記されています。(創35:16〜20)
そこで、レアの葬りについては初めての言及で、ヤコブはカナンにおいてレアを相手にして生活をし、長生きをした妻を第2の正妻として考えてきたことが分かります。その死について、ここで初めて「マクペラのほら穴」へ先祖と共に葬られたということを述べているからです。ラケルの早世がなければ、これは、どうなったことか分かりません。こうしてレアは、結果としてはユダの母として、イスラエルにとって確固とした立場を認められたことが分かります。文書批評の立場からは、「マクペラの墓に葬った」という箇所はP典の加筆と考えていますが、それについてはここでは論議いたしません。
●葬送の許可をパロに
創世記
50:4 彼のために泣く日が過ぎて、ヨセフはパロの家の者に言った、「今もしわたしがあなたがたの前に恵みを得るなら、どうかパロに伝えてください。
50:5 『わたしの父はわたしに誓わせて言いました「わたしはやがて死にます。カナンの地に、わたしが掘って置いた墓に葬ってください」。それで、どうかわたしを上って行かせ、父を葬らせてください。そうすれば、わたしはまた帰ってきます』」。
50:6 パロは言った、「あなたの父があなたに誓わせたように上って行って彼を葬りなさい」。口語訳

泣く日の期間が過ぎるとは、40日の薬を塗る期間、70日の嘆きの期間とありますから70日以上になったときでしょう。また書き遅れましたが、薬を塗るのにエジプトのミイラ作成の専門家を使わず、ヨセフのもとにいる医者にたのんだのは、エジプトの宗教儀式や呪術的な要素を避けるためであったと『新聖書注解』にありました。
それらの日が過ぎた後、ヨセフはパロの家の者に、死者の野辺送りとしてカナンへ出向き亡き父の遺言の通りに先祖たちの墓に葬るために行かせてくださいと伝言しました。
パロはこの要請を快く受け止めて、ヨセフに葬送の許可を出しました。このような、パロとの良い関係は、神の恵みの結果であることは言うまでもありません。
●ヤコブの葬り
創世記
50:7 そこでヨセフは父を葬るために上って行った。彼と共に上った者はパロのもろもろの家来たち、パロの家の長老たち、エジプトの国のもろもろの長老たち、
50:8 ヨセフの全家とその兄弟たち及びその父の家族であった。ただ子供と羊と牛はゴセンの地に残した。
50:9 また戦車と騎兵も彼と共に上ったので、その行列はたいそう盛んであった。
50:10 彼らはヨルダンの向こうのアタデの打ち場に行き着いて、そこで大いに嘆き、非常に悲しんだ。そしてヨセフは七日の間父のために嘆いた。
50:11 その地の住民、カナンびとがアタデの打ち場の嘆きを見て、「これはエジプトびとの大いなる嘆きだ」と言ったので、その所の名はアベル・ミツライムと呼ばれた。これはヨルダンの向こうにある。
50:12 ヤコブの子らは命じられたようにヤコブにおこなった。
50:13 すなわちその子らは彼をカナンの地へ運んで行って、マクペラの畑のほら穴に葬った。このほら穴はマムレの東にあって、アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買って、所有の墓地としたものである。
50:14 ヨセフは父を葬った後、その兄弟たち及びすべて父を葬るために一緒に上った者と共にエジプトに帰った。

ヤコブの葬式は、エジプト国王のお墨付きとなって、大層大掛かりなものとなりました。ヨセフが喪主であるため、パロは簡素にはできなかったに違いありません。パロの家来や長老たち、エジプト各国の長老や、ヨセフとヤコブの子たちの総勢を加え、戦車や騎兵までもが加わると、カナンの地までの移送は大変な行列となったことでしょう。
「ヨルダンの向こうの地アダデの打ち場」で、まず、7日間嘆きのときが持たれ、大いなる嘆きからアベル・ミツライムと呼ばれたのでした。その後、アブラハムが購入したイスラエルの族長の墓地であるマクペラのほら穴に葬ったのでした。聖書は、そこからエジプトへの帰国までを記しています。
●赦しの再確認
創世記
50:15 ヨセフの兄弟たちは父の死んだのを見て言った、「ヨセフはことによるとわれわれを憎んで、われわれが彼にしたすべての悪に、仕返しするに違いない」。
50:16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った、「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました、
50:17 『おまえたちはヨセフに言いなさい、「あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください」』。今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」。ヨセフはこの言葉を聞いて泣いた。
50:18 やがて兄弟たちもきて、彼の前に伏して言った、「このとおり、わたしたちはあなたのしもべです」。
50:19 ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。
50:20 あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。
50:21 それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親切に語った。

 ヨセフの兄弟たちの心の底には、父の死んだ後ヨセフがこれまでの扱いから豹変して、自分たちを訴え、報復するのではないかとの絶えざる思い煩いがあったようです。これまでのヨセフの寛大な扱いを受ければ受けるほど、悲しいことにまともには受けられない、こんなことでは済まされないだろうという、自分たちのやったことの罪の大きさに、心が苦しんでいたのでしょう。
 その不安を解消するために、ヤコブのことばを添えて、自分たちの「お詫び」の手紙をヨセフに届けました。つまり「あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください」と父ヤコブがいいました。そこで、私たち兄弟もお願いします。「今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」と。
 ヨセフは兄弟たちの自発的な悔い改めと赦しを求めて来たことに感動して涙しました。そのうち兄弟たちがヨセフのところにきて、その前にひれ伏し、「私たちはしもべです」と言いました。それに対するヨセフのことばは、ヨセフ物語の最後にふさわしい名言でした。
「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。」
何という美しい神への信頼、またその神のみこころの理解でしょうか。神と共に歩いたヨセフならでは、このような神のとらえ方は出来なかったことでしょう。
 ヨセフの美しい心は神への賛歌だけではありませんでした。目の前にいる兄弟を、ある意味では哀れみ慈しみ(愛して)「それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親切に語った。(50:21)
 これは、ヨセフの倫理的勝利の宣言でした。新約のパウロも書いていますが「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:21)
のことばを思い起こします。
 霊的な世界では、倫理的、霊的に優れている人が、そうでない人の前に指導者となるのがよくわかる一幕でした。
●ヨセフの死
創世記
50:22 このようにしてヨセフは父の家族と共にエジプトに住んだ。そしてヨセフは百十年生きながらえた。
50:23 ヨセフはエフライムの三代の子孫を見た。マナセの子マキルの子らも生れてヨセフのひざの上に置かれた。
50:24 ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしはやがて死にます。神は必ずあなたがたを顧みて、この国から連れ出し、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に導き上られるでしょう」。
50:25 さらにヨセフは、「神は必ずあなたがたを顧みられる。その時、あなたがたはわたしの骨をここから携え上りなさい」と言ってイスラエルの子らに誓わせた。
50:26 こうしてヨセフは百十歳で死んだ。彼らはこれに薬を塗り、棺に納めて、エジプトに置いた。

ヤコブの死後も、ヨセフはヤコブの子らであり兄弟である父の家族と一緒にエジプトに住みました。ヨセフの生涯は110年、ヤコブの147年には及びませんが、エフライムとマナセの子孫を見ることが出来ました。
 最期が来たとき、ヨセフは、自分の骨を携えて行くように指示を致しました。これは
新約聖書ヘブル人の手紙11章22節「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。」と書いています。
 時代が変わり、イスラエルは先祖たちに誓われた地に導き上るとの希望を抱いてエジプトの地で死んでいきました。
<終わり>

*長らく読んでいただきました、「創世記解説」をひとまずこれにて終了いたします。
ご愛読感謝申し上げます。  LOGOS
>>[3]

神が天地創造をなさる前に、闇と混沌の世界だけはあったんじゃないかということでしょうか。
>>[4]

天地創造がなされる前は、神と闇とが分離して、いわば二つながらに存在していたと考えるべきでしょうか。
それとも、天地創造以前には神のみがあったと考えるべきでしょうか。
78910様

 神が、天地を創造される前は、宇宙という空間は「無」であったと考えられます。
創造の神は「無から有」を創造されたと、考えられています。

それでは無であるなら、神もいなかったのかというと、そうではありません。
かみは、永遠から永遠に存在されると考えられます。
したがって、創造によりあらゆる、神以外の存在ができたというわけです。

   LOGOS
>>[325]

神は自分以外が無であることに耐えられなかったのでしょうか。
それとも飽きたのでしょうか。
あるいは何か目的が心に浮かんで、創造を開始なされたのでしょうか。
それともそれ以外の、創造の理由があったのでしょうか。
創世記6-2 神の子らは人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。


まるで神の子は男子しかいないかのような記述ですね。創世記の作者は男子として、どうしても男子目線で書いてしまうことから逃れられなかったのでしょうか。
一切の制約のない神の意識のみが初めにあって、神がみずからさまざまな制約・対立関係にあるさまざまなものを秩序だてて後から後から生み出したところに出来上がったのがこの世界、万物である
ということでしょうか。

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