ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

詩は表現ではないコミュの合評2 作品5

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 春の夜

積み残した足の爪をつかむ。むちりと縫い上げる夜の道のひびにも、爛れた枝の上から叩きつけた鳥の声が、振り落としている葉を拾った。差し出しても、冷たい手はそれを押しやる。生きていることを解ることのできない獣。夜の色より黒い獣は、ひびを踏みしめた春の足首の目印になり、跳ね上がる夜の空気は、薄汚れた窓を突き抜け部屋を満たしていく。鳥の軽さになった獣は隠れる場所もなくし、食べたいものがどこにもないと、ただ飢えている。

コメント(11)

作品3とモチーフかぶってますが、そのまま行きました。
よろしくお願いします。
わお、いいですね。

生きていることを解らずとも
生きてしまっているのだという感じがいいです。

モチーフがかぶっていると言っても
リファレンスはだいぶ違うんじゃないでしょうか。
ここにある距離は夜明けへの距離でしょうし。

もちろん、すべての隠喩系をがばっと理解できるわけではありませんが
これはこのくらい解らないほうがよさそう。
だって、獣もよく解ってないんですから。
おー! これはいいですねぇ。俺の詩なんかよりよほどいい(笑)。
すごく好きです。

隠喩、というか、語彙と語彙のつながりが精錬されてる感じで、読んでいてどんどん引き込まれます。「跳ね上がる夜の空気」とか、すごくいい。言葉がきちんと言葉以上のものを発揮している。

あと、「ひび」は、罅と日々を掛けてるのかなぁ、と、推測。
ともあれ、良いものを読ませていただきました。
最初、ああ新しいのが出たんだ、と開いてみたら、簡単に読めなさそうだったので、しばらく放置してしまいました。
実を言うと、人間が出てこない詩は、ちょっと苦手です。
この詩を読んだとき、そこに存在を感じる人間はもろ作者ひとりで、その「我」に息がつまりそうでした。
同じ世界、同じファンタジーを読者と共有できる語り部ではなく、詩を作る作者を感じすぎました。

言葉の「精錬」ということは、読者が判断したり推測したりすることではなく、作者の意志と選択に拠っていると思います。読者の私が感じたのは、注意深く選び取られたであろう、キラリと光る言葉のある一方で、選びすぎたためか緒を失ってしまった言葉がぶらりとしているということ。

その不透明さがイイ、という感じ方もあると思いますが、私には苦手な味でした。ごめんなさい。良いとか悪いとかいうこととは全然違いますが、好みの点で言うと、「同じモチーフ」と作者が言う、いとうさんの詩の方が好きです。でも、そんなに大騒ぎするほど同じモチーフでもないような気がします。

もう少し、肩の力を抜いてもいいんじゃないかな、とは思いました。
私は読むのに疲れてしまって、まずは感想らしい感想よりも「で?」と思ってしまったので。
あえてテニヲハを歪めた詩文に、読者意識よりも詩作の姿勢ばかりが見えてしまいます。
意志はわかりますが、意味がわかりません、という部分が多くて。


この詩ひとつに関わることではありませんが、改めて感じたことがあります。
詩を書くとき、言葉を選ぶのは当たり前のことです。そうでしょう?
今回の詩評全体に妙な違和感を感じるのは、作者の言葉選びが杜撰なのではないかというような、僭越な指摘がまかり通っているように感じることです。褒め言葉が並んでいる今回、さらに強くそう感じました。
何のための詩評なのか、改めて、よく考えてみたいものですね。

“でも結局、読むアナタが快感を感じれば、好きと思えれば、何かを思い出したり感じたりできれば、それでいいんです。詩の価値は、アナタにしか決められないものではありませんか。”

今回の合評の初めから感じていたモヤモヤが落ち着くところは、結局ソレなのか〜、と、今回の批評を読んで思いました。ソレは私の意見とぴったり重なりますが、なんだか残念な気がしてなりません。
帽子屋さんの意見はとてもまっとうに思う。

ただ、言葉はひとつで意味をなすものではなくて
むしろ、出てきた言葉と飲み込まれた言葉を
等分につないでいくところで、意味が出てくると思うと
作者の意図しないところでつながってしまった飲み込まれた言葉や
つながるはずだったのに途切れてしまった出てきた言葉が
あるなら、それはやはり言葉が不用意だったと言うべきです。

好きなものは好き、
美しいものは美しい、と言えなければ
それは評の基本的なよりどころを失ってしまうでしょう。
評は基本的に評者のものです。

ただし、これは鑑賞ではありません。
鑑賞なら提出された作品を材料にして、
別の風景を持ち出してみたりとか、別の感情を持ち出して
作品の幅を広げる、という作業もあるかとは思いますが
たぶん、ここはそこまで内容にかけていく場所ではないのでしょう。
それが「表現ではない」ということのひとつの意味でもあろうと思ってます。

尻馬に乗るようで、なんなんですが、
この作品も突き詰めて内容を見たら、ある意味
当たり前の日常的風景だろうと、僕は思う訳で
そういう点で「で?」という感想はありうるな、と思います。
「私」の苦悩のひとつには違いないので。

傷を象徴的に外化するというよりは
傷をある情景画に託しているだけで、
読み手に手渡すというような身振りはないわけですから。
(エッコさんの発言を受けて、ネガティブな表現になっていますが
僕自身は詩は情景画に近づくものだと思ってます)

一方で、この作品は別の読み方を許さないだけの
強度は確実に持っており、その強度を支えてるのは
この作品を構築する言葉のつらなりです。
そこを評価して「よい」と僕は言います。

「あえてテニヲハを歪め」たこの作品の「詩作者」の「我」に
「息が詰まりそう」だ
と帽子屋さんが言うのもこれも評として正しい。
ただ、たぶん、ここではこの先の「で?」という
感想に落ち着くところまでは述べないことになっているのだと思います。

それは均一な空間を目指したユニバーサル空間が
建築の様式としては立派なものだとされても
実は住みにくいとかいうのに似ている気もします。

うーん、時間がなくなってきました。
詩が開かれたものであるべきかどうか、と言ったら
開かれたものでないなら、意味はないでしょう。
住まわれない家もあまり意味はないでしょう。

一方で、住まわれない家も存在するし、
それが別の感銘をあたえもするし、
教会は神父しかいなくても、
それで十分だったりします。

住まわれるべき家として建築されたなら
住まわれなければいけませんが、
この作品のリファレンスはたぶん、そうではないのです。
小さな礼拝堂としてあらかじめ、設計されるべき
たぐいのものなので、仕方ないように思います。

教会も信者の人でさえ、
週に一回行けばいいので、そんなもんじゃないでしょうか。

走り書きですいません。
まぁ、違和感のある人はいっぱいいると思いますよ(笑)。
このコミュ自体、ある面において特殊なコミュだと考えているので。


説明文にあるように、

「思いをそのまま言葉にすればそれが詩です」
などと言った言説に眉を顰めるあなたへ。

この場所はこういう性質を持っています。
もっとぶっちゃけて言えば、
“現代詩”に傾倒している、
あるいは普遍的に接している人たちのためのコミュだと思っています。
そのような意図で立ち上げています。
だからこそ、トップにも、

注:入沢康夫コミュではありません。そして何故入沢康夫という名前が出てくるのかわからない人は来てもあまり意味がありません。来るなという意味ではなく、知りましょうという、励みとして。

という注意書き(?)が掲げられています。



もちろん、そういった傾向に逆に首を傾げる人たちもいっぱいいます。
そういった人たちを、私自身は否定するつもりはありませんし、
そういった場所に対して残念に思ったりはしません。
ただ、詩に対する接し方、向いている角度が違うだけであって、
それは、結局「違う」だけだと思っています。


いろんな場所にいろんな人がいっぱいいて、
お互いが自分のスタンスから他のスタンスを否定し合うのではなく、
他のスタンスの意識を汲み取り合えるのが、
一番だと思っています。
テツさま、いとうさま、帽子屋エッコさま
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

この作品をアップして読み返した瞬間、モニターに殴りいれましたよ、自分。どーしてこう、詰めが甘いんかな。
そしてみなさまからその通りの批評を頂き、反省しきりです。

自分、人と人との関係について、基本的に作品に書くことはありません。人は人とのかかわりの中だけで生きているとは思えない。今日のお天気や鳥の声や突然襲う落葉とかそういった事柄が人を支えている部分はとても大きいだろうと。
そして作品に共感するのではなく体験して欲しいと願っているわけですが、それには「話し手」の存在って邪魔です。それを意識させたら終わりです。この作品は一本調子に進みすぎていて、これじゃあどうしたってこれを語っている奴がいると読者の意識が向いちまいますよね。最悪です。

作品に喩も意図もないし、まして寓意はない。ただ、この情景を体験してほしい。それを達成するには、あまりに腑に落ちそうな構成になってしまっていて、非常にまずい。アップする前の段階で気付けよなんですが。なんで、こう距離を置くことができんのか。

あと言葉について。「死んだ言葉」に対する嗅覚は中川いさみは無理としても施川ユウキくらいには鼻が利かないと、詩を書く行為をするってのは恥ずかしいだろうと思います。自分の状態は、「非常に恥ずかしい」ところにいるなあ。

“でも結局、読むアナタが快感を感じれば、好きと思えれば、何かを思い出したり感じたりできれば、それでいいんです。詩の価値は、アナタにしか決められないものではありませんか。”

これって、凄い荒行ですよね。新たな作品を前にするたび何の指針もないまま、常に自分に問いつつ、どこにこの一歩を踏み出すべきか決めるなんて。自分は自分に対して平然とうそを尽くし、それが簡単に通ると、どんどん杜撰なうそを渡してくる。
だから、上の言葉のような行為をするには、この決定は本当に自分が下したものなのか、下したいと願った形なのか。どこまでも問い続けなければいけない。
それは耐え難い苦行ですよ。だから人は詩論を求めるし、他人の批評も聞きたがるんだと思います。自分は本当に自分を欺いていないのか。これが自分の望んだ答えなのか。少しでもそれを求める指針にするために。

最後に、あつかましいお願いですが、この場を借りて自分の所属している同人誌の紹介とか、してもよろしいでしょうか。お答えお待ちしております。
どもです。
同人誌の紹介等、全然かまいません。好きにやっちゃってください。


> あまりに腑に落ちそうな構成になってしまっていて、非常にまずい。

とありますが、腑に落ちる楽しみってのもあると思います(笑)。
むしろ自分はそういところに惹かれるのかもしれない。
だから自分の作品も、そういう作りになっちゃう、、とか(笑)。
いとうさま、さっそくですが、お言葉に甘えさせていただきます。

自分が編集作業に加わっている同人誌「プラスマイナス」では常に会員を募集しております。購読のみも可ですが、こういったコミュで紹介させていただく機会を得ましたので、ぜひ作品の投稿をしていただければと思います。

編集、会員関連のサイト及び出版物には以下のようなものがあります。ご参考までに。
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/
これは自分のサイトです。「プラスマイナス」に発表した自分の作品と会員の深雪さんの作品を載せてます。こちらのトップページで同人誌「プラスマイナス」の概要説明もしております。
http://members.jcom.home.ne.jp/goomin/
こちらは会員の琴似景さんのサイトです。「プラスマイナス」誌上で発表された作品が公開されてます。
出版物には「プラスマイナス」で発表した作品をまとめた平嶋千恵さんの「おうちのちこちゃん」(新風舎発行)があります。

投稿作品はB6白黒コピーで発表可能なものでしたらなんでもOKです。要約すると、会員も編集も「こんな作品に出会ったことないよ」という衝撃を求めているということです。目指せ、場違いといいましょうか。

奇数月で本誌、偶数月で本誌への感想や会員の近況報告などを乗せたペーパーを発行してます。ちなみに購読料は6ヶ月で1800円です。前払いをお願いいたしております。作品掲載には別途掲載料(必要経費分として)が必要です。今までの15年間、抜けがあったことはありませんので、そこは実績から信用していただくしかないかと。
舞台裏を明かしますと、その昔、少年写真新聞社で発行していた「ぽえむ」という、主に小、中、高校生などを対象とした詩の投稿雑誌出身者が編集、会員に多数(?)おります。

ご希望でしたら見本誌を送ることも可能ですので(すみません実費分はいただきます)お気軽にメッセージを、しまのりつこまで送りつけてください。よろしくお願いいたします。

改めまして、いとうさまには紹介の機会を与えていただきましたこと、感謝いたします。
いとうさま

腑に落ちそうな構成というのは、自分の作品の狙いにとっては邪魔だということです。
作品を読んで腑に落ちる感覚をもつのは、自分決して、嫌いじゃありません。
どもども。
ま、というわけで第2回もなんとか終わった感じです。
数名脱落者も出ましたが、
それもまた良い思い出ということで(笑)。


合評会、しばらくは主催しません。
が、やりたい方は勝手に集まってやっててください(笑)。
その他の企画等も、もちろん、
テキトーにトピック立ち上げて遊んでてかまいません。
よろしくお願いします。

あと、私事で恐縮ですが、
詩学の7月号から、投稿欄の撰者を受け持つことになりました。
一応、ご報告まで。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

詩は表現ではない 更新情報

詩は表現ではないのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング