ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

詩は表現ではないコミュの合評2  作品4

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「甘い訪れ」



甘い訪れの中で
くちずさむ歌は
虹を描いて
君のもとに届く

暖かい
しずくになって
君を潤せたら
そう願う歌

私ごと
青空を大地を
君が包んでいる
君が訪れた或る日

甘い訪れの中で
目を閉じて
声に出すよ
私の歌

虹を描いて
君のもとに届くんだ

コメント(11)

まぁ、何を出すか迷ったんですが
とりわけ素直に、素直に。
ごめんなさい。作品スクロールで作者のコメントも地続きで読んでしまいました。
「素直に」しかも「とりわけ」ほー。

ほんとうか、青年。(テツさまのことではありません。あくまでも詩作品に対しての発言です)
あんた素直って言葉をもう一度よく考え直せ。それと「或る日」って表記はなんだ。こういうのを馬脚が出た、言わないか?

ほんとうにこの言葉を「君のもとに届」けたいのか。いや届けたいんだろう。下心はわかる。だが、これが素直な言葉なのか。

誠実なんて高尚な言葉は使いません。
「正直」と「素直」には喩が陳腐すぎてすまないが天と地との開きがある。
なので、ここに「正直」さを自分は見つけられなかったぞ、青年。(しつこいようですが作者にではありません)というのは言い掛かりというものだろう。

でも自分、身近にこんな扱いをされたお嬢さんがいたら、速攻虹を切り落とさせていただきます。「素直」な男の言い草なんか、いちいち聞くな。腰が据わってないんだよ。あんたがその気になったら、素直さなんてへろっとそれこそ虹のように(たびたび陳腐ですみません)消えてなくなるぞ。

あとに残るのは無責任だけだ。それか自己憐憫な。

以上、ババアの戯言でした。

この「私」は、ほんとうに伝えたいことがあるんだろうか。この「歌」を何度も何度も反芻して君を潤せるような思いが、「私」には本当に存在するのか。
「素直」は形式だ。ここに書かれているのが恋愛なのだとしたら特に、ものごっつ質悪い形式。
この作品は、その形式を(当面でも)守ろうとする覚悟さえないような下支えの無い言葉のつらなりとしか、読めなかった。
それがどこから来るのか、考察しなけりゃ意味ねーだろーなんですよね。すんません。

どこら辺だろう。

いきなり「君のもとに届く」とか言い切っているあたりか。
しかも「虹」。いや届かないだろう、それは。遠くにいてねって歌っているようにしか見えんぞ、青年。
包んでくれるのはいいけどさー、うるさいのはやなんだよね。
でもほら、「私」は心広いから「君」に上げるものはちゃんと用意してるよ。これで潤ってよ、とか。

「素直」を選ぶなら、馬脚は出すな。「正直」でいたいなら「私」も「君」も問い続けろ。
またしても、作品評じゃないですか? うーむ。

先陣切りました。死ぬときも前のめりで、が自分の隠れた信条ではあるので、皆様の作品評をこれからじっくり読ませていただきたいと思います。
いやはや、こういうのは叩かれるほうが楽しいですな。
ありがとうございます。

評が出そろうまで反応をおさえたほうが
後の方が書きやすいというのはあると思うんですが、
まぁ、言うタイミングというのを逃すと
言えなくなってしまいますし、何より忘れっぽいので
今のうちに書いておきましょう。

でも、あれですよ、
確かに話者と作者は一応別物で、
そういう配慮もしていただいておりますが
まぁ、きっとこういう姿勢というのは僕自身のものですわ。
僕自身はこのところちゃんと恋愛しておりませんですが
「女々しい」だの「もっと腹を据えろ」だの
わーわー言われとります。
性格なんだからしゃーないやろ、と思うんですが
まー、女々しいのは事実でしょうなぁ。
(閑話休題)

「或る日」というのは確かに素直じゃない表記ではありますね。
それは字面というか、「青空と大地」だなんて
だいそれたものを持ち出してしまった
(身の丈を超えたものを持ち出してしまった)
結果ではあるでしょう。
ただ、まぁ、話は身の丈を超えているので
僕は指摘されてもこれは直せないなぁと思ったりします。

全体的にしまのさんの評には納得しておりますが
ただ、ひとつだけ気になるのは
「包む」のは私ではなくって、君です。
しまのさんが青年を「私」に当ててるなら
「私」の軟弱さ、軽薄さ、嘘つきを指摘する文脈の中で
「包むのはいいけどうるさいのはやなんだよね」、というよりは
「勝手に包まれた気になってんじゃないよ、ボケ」というほうが
正しいように思います。

まぁ、僕もどの辺が問題あるかとか
もう少し、自分の意図にそった形で指摘することはできますが
この作品の意図に関しては、やっぱり、
もう少し評がそろってからにしましょう。

でも、この歌は、やっぱり好きなんです。
だから、恋愛がうまくできないのかもしれないです(笑

しまのさんの評は酷評ですが立ち位置が明確でとても楽しいです。
あらためましてありがとうございました。
テツさま

「勝手に包まれた気になってんじゃない」という突っ込みは自分にはなかったです。
いや前提として彼女の行動はどんなものかまったくわからないので、「私」が包まれていると感じているならそれはそれでいいと思う。

でも「私」は包まれることに快感は覚えてもそれが違った形になったら、きっと反応を変えるんだろうなという予感が満ちていたので、上の様な表現になりました。

それと「女々しい」恋愛は女はしないよ。って思いっきり蛇足っすね。
かわいい歌だな〜、というのが第一印象です。
リフレインがあるし、もしかしてメロディもあるのかな、と思いました。
普通に朗読してみると(してみました)、小気味よいリズムがあるように思います。
第一連はステキな幕開きだと思います。滑り出し快調、という感じ。
が、以降の連は、そのリズムが目に見える連とあまりかみ合っていないように感じました。
ひとつ例に取ると、第二連の四行は、私にはこうなるほうがなめらかに思えます。

暖かいしずくになって
君を潤せたら

そう願う歌


口に出したとききれいに聞こえるので、言葉の順序はたぶんこれで作者さん的には完成しているのでしょうが、目で追って読んだときには、少したどたどしく感じる部分もあったので、必ずしも一連四行でなくてもいいんじゃないかしら、と感じました。

内容については、この歌に登場する「君」も「私」も、とても遠くに感じます。
君と私の間にも、彼らと私たち現実の読者の間にも、かなりな距離がある。
詩の世界と読者の間の距離は、たぶんここに歌われているのが「私」の願望だからなんだろうな〜、と思います。「私」の願望であり憧れである「君」は、さらに遠い。そんな印象です。
詩の語彙を取り出せば、「そう願う歌」であり「或る日」なのだから、願望であろうと読めました。時制も混じり合っていますしね。
作者の一言コメントを見ると、素直な願望という意味かと思います。

詩は怒りだという言葉がありましたよね、作者のいわゆる怒りが噴き出したりつぶやかれたりした詩のほうが、私なんかは引きずられやすいです。マイナスな感情が皆無な詩は、なかなか心を乗せて読むのが難しいことがあります。歌われているのが願望となればなおさらで、どこを自分の心に引っかければいいのかとまどうことがあります。
この詩も、つるりとなめらかなものがふわふわ浮いているような印象で、上手につかまえることができませんでした。
登場する一つ一つの語彙は本当にきれいな言葉ばかりで、子供の頃にきれいなものを集めていた缶の中身のようです。でも、そのうちのどれか一つでも、もっと地に足がついた言葉だったら、読者としてはもうちょっと詩に近づけたかも、と思います。作者が意図した詩の世界が、それでは壊れてしまうのかもしれないけど。

なので、入り込めずにけっこう距離をおいたまま読んでいる自分がいます。
「私」と「君」の関係は、恋愛と見るには「私」が受け身でありすぎるように感じます。その「歌」が虹を描くのはステキですが、どんなメッセージがこめられるべき歌なのか、わからない。「君」は訪れてくれて、世界を包み込むほどの幸福に「私」を包んでくれる。「私」はそんな天人のような「君」をどう潤したいのでしょう(え? 笑)、「君」は単体ですばらしい人のようなのに、「私」の歌は必要ですか? 歌が届くことさえも、「私」の願望? この二人の関係は、「私」から「君」への一方的なあこがれ? 「君」は観念の中だけの人?
そうして読んでいくと、本当に勝手な感想ですが、「私」はひとりぼっちなのかなあ、と淋しさを感じてしまいました。こんなに明るい言葉を読んで、虚無感を感じる。それは、寂しいことです。作者はそんな意図持ってないと思いたいです。そんなことを伝えるためにこういう言葉を連ねるのは、あまりにニヒルですものね。

かわいい歌ですが、読者の私がこの詩を愛おしく感じるためには、「私」の想いでも「君」その人でも良いけれど、もう少し、汚い地上に降りてきていただかなくては、と思いました。
「素直」とありますが、本当に、素直だ(笑)。

どこまで書こうか、悩んでます。
文字だけの場所なので、下手に書くと、ニュアンスを上手く伝えられない。

まず、イメージの甘さが気になる。
フレーズがどこかで見たような、そんなもので構成されていて、
作者自身の言葉、作者から出てきた言葉、イメージ、
そのような箇所が見当たらないように感じてます。
この作品は本当に作者を通過して生まれてきたのだろうか。
読んでいてその点がどうしても気になってしまう。


んー、とりあえずここまで。
ん。てな感じで、
何名か脱落している模様なので、
しまのりつこさん、次、作品提出お願いいたします。
とりあえず、この作品についてから。
それから応答に入ります。

まず、この作品を書こうと思ったのは
とある日記サイトで知り合った女の子の
恋愛模様がとてもかわいらしくて、
ある時の写真があまりにも美しかったので
その時の印象で勢いで、書きました。
(もう、たぶん一年くらい前になるのかな、
だから、細かいところの意図は改めて考えて話しています)

なので、自分としては
女の子目線のつもりだったりします。
(これがひとつの嘘くささの元凶だったりする気もします)

それと、これは私がどうするという歌ではなくて
純粋に感謝であって、それ以上でもそれ以下でもありません。
私より先に君が私を訪れ、私を包む、という
そういう前提があったうえで、君と、君の訪れに感謝する
という図を考えています。

そういうわけで、時制が「訪れた」だけ
過去なのですが「或る日」はかえって抽象的すぎですね。
これは不用意でした。
たぶん、その時は語呂でもってかれたのだろうかと。
その前の「包んでいる」あたりが無時制なのは
「君の訪れ」が場所を超え、時間を超え、
私の世界ごとを包んでいるのだという意識で
そう選びました。
ただ、この選択も混乱を招いていることは否めません。

おそらく、君の訪れに対しての内実に対して
僕が全く関心を払っていなかった、ということなんでしょう。
そこを書ければ図もはっきりしてくるはずで、
虚空に消えていく願望でないという主張も通るように
なるのではないかと思います。

そこはやっぱり自分自身の恋愛でないから
そういう想像が働かなかったのだというか、
自分の恋愛でないにしても、そこを創造するのが
フレーズを借り物のままにしてしまうかどうかの別れ目だったんでしょう。

リズムに関しては「歌」として
作ろうと思ったので、それなりに気を使ったはずですが
エッコさんの提案は検討してたような気もします。
字面と読むリズムをあわせるなら
「そう願う歌」は一行あけて「つぶやくように」という
指示つきで出してもよかったのですが、
そうした時に「私の願い」が強調されるのが怖かったのです。
君がまず先で、それに対する感謝が、必然的に、ついてくるだけなので。

でも、こうして評を眺めてから考え直してみるに
その背景として考えているのがどうであれ、
ここにあるのはまず「願い」であるということです。
文字組を変える云々、の問題ではなく、先にも言ったように
根本的に「君」へのリアリティが足りていないということです。

それと、この作品は視点が微妙に歪んでいます。
実のところ、一番最初はもっと遠いところから書くつもりでした。
動機が他人の恋愛なので、というのと
「私」を超えて存在する「君」への感謝ということもあって
全部無時制で書くつもりで、情感よりは情景にしたいと思ってました。

だから、一番最初が
「君のもとに届く」という断定にも響く言葉になっています。
ただ、それが書き進めるうちに、
「私」の願望が膨らんでしまって、
(結局、僕が見ていたのはこれだけだったのです)
「私」の意志で歌を届けるのだということになってしまっています。
これを書き終えた時には内容に負けたな、という気持ちになったのを覚えています。
それで僕にとっては印象深い愛すべき失敗作になったわけで
改めて人の目で評価してもらおうと思ったわけです。

思い切って「私」に潜り込んでしまうということも考えましたが
部外者がそこまで潜り込むことは、何か
悪いことのような気がしてできませんでした。

ただ、それ以前に、「私」の願望を書きたかったんだと
もっと素直に考えた方がよかったのかもしれません。
意識して幸せの上澄みだけをとろうとした時に、
「私」のエゴイスティックさに「私」が無自覚であるというのは
ある意味、そういうものだとは思うのですが、
書き手として、それがエゴイスティックであったとしても
擁護するんだという別の意識を持って
「私」の願望を提出するべきでした。

まぁ、でもこういう作品って滅多に書かないもんですから
また、こんなモチベーションが来る時があるのか分かりませんが
改めて考えることができて、とても有意義でした。
おつきあいいただきありがとうございます。
テツ様

ご本人の解説を読んでというわけではないのです。評をのせてから、もうちょっと付け足したいと思っていたことがあり、もう十分かき乱している自分ですが、もう一言をお許し願います。

自分が上で「君に届く」を批判めいて取り上げていますが、それはあくまでその後の腰の引けた表現からの否定で、「素直」な恋愛を書こうとするならここを引かないってのが、自然ではないでしょうか。

表現からもテツさまの意図からも「若い」「未熟」(けなしているわけではありません。そういう状態であるというだけのことです)な「私」が恋愛したら、素直に「ついに歴史上初めて真の恋愛感情というものを、『私』が発見したんだ」位の意気込みになりませんか?

素直な恋愛ってのはそういうものではないのか。思春期の自分の周囲にいた友人たちやクラスメートを思い出すとそう思えてなりません。身の丈を越えない恋愛感情なんて「素直」ではありえない。

もっと「おいおい、どこに行くんだ」という表現こそが「素直」な恋愛を名乗れるんでは。腰の引けっぷりというか、他人事な感覚に、うそ臭いぞ青年、ついでに胡散臭いという感慨が付きまとったというのか。

可愛い言葉は不気味さと紙一重ってところまで行って欲しかったな。この辺りが自分の素直な感想です。
ええ、えぇ。
それゆえの無自覚なエゴイスティックさを擁護しなければいけない、
という発言であります。

ただ、僕は歴史もいらないと思うほうですが。
そして、私もいらないと思うほうだったりします。
身の丈は超えるものです、が超越の方向へ
完成としての球体の方向へ進みたかったりします。
(虹の円形はそういう形です)

むしろ僕は引きまくることのほうが
エゴイスティックだと思ってたりもするのかもしれません。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

詩は表現ではない 更新情報

詩は表現ではないのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング