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悪夢の書架コミュの切子硝子の塔

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自伝的虚実幻想日記小説は分裂して自律する三人の非存在にて語られる寓話あるいは酒場の法螺話にも似た奇妙な会話と描写と呼ぶありえない風景。

コメント(35)

 
切子硝子の塔 「序」
 
 この石積みの廃墟の中心に聳える塔から見渡すと、風景は二つに分かれる。
 ひとつは霧深い鏡のように凍り付いた混沌と、ときたまかいま見える立ち枯れた針葉樹の影が織りなす、近くあるいは遠い未来の風景であり、
 ひとつは万華鏡そのもののような、切子硝子の破片である過去のあらゆる断片がうごめく空であり海であり、まき散らしたカードのように変幻自在な組み合わせで世界の半分を満たしている過去である。
 塔はその狭間に浮かび、陽射しが作るぼんやりと輝く雲に覆われている。永遠の午後三時が生み出した明暗境界線。陽は沈まず、そして昇らない。だから私は眠ることなく塔の見張り台から動くこともない。言葉は色醒めて力を持たず、およそ全ての感情はここでは底冷えのする雑踏のように無力で、ただ瞬間瞬間にスパークする過去の奔流を眺望する行為に費やされる。(生命を黙読する?)
 反射望遠鏡の精巧なアクロマートは倒立した像を結ぶ。見張り台からずっと、僕はそんな自分を含むいろいろな現象を思うままに書き写そうと思う。烏の羽根のかわりにコンピュータのキーボードで。
 多くは未来から忍び寄る霧と静寂にかき消されてしまったり、黒い炎の底に沈んだまま眠っている生き物もいる。そう、僕は化け物であったり生け贄であったり陸に上がった魚のように生きていたと仮定する。風に干からび割れた木の葉のようでもあり、この星に落ちてきた金属の重い隕石だったり。「かたち」がなく色も匂いも見つからない僕という獣をどうやって見つけたらいいのだろう?

 この午後三時の塔で、なにが見つかるのだろう。
 未来の空からは、頬を撫でるような生暖かい風が吹いている。
 
切子硝子の塔 「ピオレ」
 
 ある時、僕は標高1,100mほどの谷間の村で、広い川沿いをバイクで走っていた。千曲川というのはそんな標高なのに河はすでに中流並の広さを誇っている。
 新鮮な空気(農薬入りだけど)を存分に吸い込み、レタス畑の測道に座り込んで煙草に火を付ける。鮮やかな竜のシルエットを描き、煙がみどりの風に溶けていった。気温はそれほどではないが、ここの日光はちょいと強烈だ。
 東京農業大学の学生がせっせと段ボールを組み立て、レタスを詰め込んでいた。実習は彼らが卒業するために必要なのだ。それをのんびりと眺めていられるのは自分の特異な仕事のせい。僕は人口5,000人の村の中にただ一軒の喫茶店で、コーヒーを淹れたりスパゲティやピザパイや何でも上手に作った。あまり幸福ではない家庭に育った人間は、料理が上手になる。
 ついでに、人付き合いが上手い。あきらかに嫌がらせをする客にでも、微笑んで答えることが出来る。悩みを聞いてやったり、喧嘩を仲裁したり、気の利いた皮肉でちくっとやったり。
「やっぱり東京から来た奴だ」という認識は狭い村の中ではあっという間に広まる。僕は僕でそれらしく髪を長く伸ばし、後で束ねていた。こうすれば初めて会った村民でも「変わっている」とひと目で解るからだ。
 その店の名前は「PIOLET」(ピオレ)という。マスターが登山家だったので、ピッケルを思いつき、英語の堪能な東京出身の奥さんがフランス語にしたらしい。そう悪い名前じゃない。「カトレア」とか「ルノアール」とかいう悪夢のような名前だったら目もあてられない。
 ピオレ店内の右奥にはスエーデン製の頑丈な暖炉があり、その周りに数人の常連さんが火かき棒を突っつき、悪態をつきつつ女や酒の話に余念がない。炎という物は不思議なもので、人々をゆったりと落ち着かせる効果を持つ。
 ピオレでは夕方を過ぎると酒も出す。僕は生ビールを注ぐキャリアがあったから、いつも極上の生ビールを注ぐことが出来た。きめ細やかな泡をナイフでスパッと切るのは楽しい。僕は8本のビールをまとめて持つことが出来たし、客はそんなささやかな演出で結構盛り上がる。
 ピオレはカウンター席とボックスが三つ、奥に大きめのボックスが並ぶ、適度な大きさで、奥のボックスの隣には千円で十枚のコインに変えることの出来るコインゲームも置いてあった。この村に唯一存在する賭博がそれ。だからピオレに来る客はそれこそ人種を問うことがなかった。
 とんでもない田舎だから、無論ピザのクラフトを売っているはずもなく、ピザの生地もソースも手作りだったから、商売としてはそこそこ胸を張ることの出来る味覚を提供することが出来た。リキュールもカルーアやクアントロウなどが揃っていて、うるさい客にはコーヒーに小さじ一杯のリキュールを加えることで満足して貰っていた。ささやかなインチキ。
                  *
 昼間の営業はほとんど僕一人でやっていた。かなり自由に。
 つまり、一度で良いから生クリームだけのパフェを食べたい男とか、酷い二日酔いの男にさりげなく檸檬だけを搾ったグラスを出してやることが出来た。この文化のない村の閉鎖的な世界に憂鬱になった若い娘達には、当時ぐんぐん人気を博しはじめたRCサクセションの曲をかけてやったりもした。
 朝起きてからの僕は食事をしてから部屋で詩や同人誌の漫画とか描きつつ、一日1時間ぐらいピアノを弾いたり、ギターで歌ったり、マスターの母親から聞いた山菜採りにふらりと出かけたりした。本当、土手を10mほど歩いただけで、抱えきれないほどの「ウド」が収穫できた。他にもタラの芽、ふきのとうなど、際限なくいくらでも山菜を堪能できる。
 ある意味、この村は裕福だった。本当の意味では、村人は極端に裕福だった。僕がいた頃でもその村の農協の売り上げは70億円。由井という名門になると学生のアルバイトを80人も雇っていた。信じられますか?日本のレタスの生産量の多くを占める収穫があったにも拘わらず、彼らはみんな「お金の使い方」を知らなかったのだ。
 
切子硝子の塔 「村人たちとその周辺」編集
 
 その日の昼間、客は二人だけだった。二人とも東京へ遊びに行く算段をしていた。年は40代から50代か、仕事着である。一人は角刈りにした精悍な顔をした男で、もう一人は髪の毛を洗ったことがあるのだろうかと考えさせられるくしゃくしゃの髪の毛をしている御仁だった。二人ともカウンターでコーヒーを飲んで喋っていた。日本全国そうであろうが、田舎の住宅は不自然なほど広いから、どうしても大声になるのだろう。
「おまん、いくらぐらい持ってゆく」
「へえ、80万ぐらいかの」
 いきなり口火を切った男がカウンターを平手でぴしりと叩いた。
「ばあか、東京ってとこは怖いところだぞ。おらんとうはこれだけ持ってゆく。」そして腹巻きの中からかさばった札束をカウンターに叩き置いた。そこには封を切っていない百万円の札束がふたつ山になっていた。
「去年、甲府でクラブに行ったときは150万もかかったぞ。いざという時どうする」
 僕は食器を洗う手を止めて、「甲府で150万……ですか。いったいどちらへ行ったんですか」
 腹巻きの男は傲慢な顔つきでふんぞり返り、僕を睨んだ。
「「赤と黒」とかいってたな。結構でかいところだった。」
「赤と黒」というのは甲府の高級キャバレーで、当時有名なところだった。どちらかというと会員制クラブに近く、生演奏のバンドまである。ウエイターは飲み物やオードブルを膝を曲げ片膝を床に立て供するという教育も行き届いたラウンジだ。
「いったい何を頼んだのですか」
「おう、めた持ってこいって言ってやった。まあろくな物じゃない。かたつむりとかべたべたした魚とか。果物は山盛り持ってきたな。」
「飲み物はどんな」
「そりゃお前、一番高いのを7本頼んだ……そばの客にも振る舞ったから、10〜2、3本てなとこかな。せっかく甲府まで出かけてケチなことも言ってられないし、見栄って物もあったしな。」
「へえ、たしかブランデーだったな、ありゃ」もう一人のもじゃもじゃ頭のおっさんがつぶやいた。
「それ、レミー・マルタンとか言いませんでしたか」
 おっさんは意を得たりとばかり頷いた。「それそれ、「レミ」とか言うやつ。なかなかうまかったぞ。家で飲んでいるレッドとはえらいちごお」
「最初、サイダーみたいのを飲ませられたな。あれ、好かん。」
 当時「赤と黒」でレミー・マルタンは一本最低でも7万円はしたはずだ。それを10本とすると単純に70万にもなる。背筋が寒くなる金額だ。そして「サイダー」というのは多分ドンペリだろう。それも多分ゴールドだ。なにしろ「めた持ってこい」と言われれば、当然の応対になるだろう。
「で、綺麗な姉ちゃんを何人もはべらせてな。楽団の音があまりうるさいので静かな曲にしてもらったな。いくらか包んで。」
 もじゃもじゃ頭がいやらしい顔をして「そうそう」と言った。
 「チップ」ってものがいるじゃん。でっけえおっぱいの隙間に突っ込んでやるんだ。2〜3万ぐらいだったかな。」
 二人は底が割れるほどの爆笑をした。
 こういうおっさんが何人も揃って東京のどこへ行くのだろうか。僕は空恐ろしくなった。
                  *
 僕がバイクで散歩していると(僕は免許を持っていなかった)奇妙な光景を見たことがある。畑のあぜ道を黒い物が大きく揺れながら走ってきたのだ。だんだん近づいて行くと、その車がリンカーン・コンチネンタルであることが解った。リンカーンは停止すると、後部のトランクから鍬や鋤やいろいろな農機具をおろしている。
 僕は興味を持ってリンカーンのおっさんに話しかけた。
「すごい車ですね、初めて見ました」
 背の低いその農夫は
「へえ、なにしろトランクが大きくての、はんではんで。便利なもんじゃ」
おっさんは煙草をくわえながら嬉しそうに
「ほんに、この車は馬力がすごくて、もう、飛ぶ飛ぶ」
 考えてみると、この村では恐ろしいほど外車が多い。その理由もそのうちに僕にも理解できるようになるのだが。
 
切子硝子の塔 「ZEROの憂鬱」
 
 世界の半分は濃いミストに包まれている。見え隠れする影は接眼レンズの丸い視界を行き来する。ほんの少しだけでも未来は見えるものだろうか?いつの日か霧が晴れ全てが見渡せる時、私はこの切子硝子の塔に居るのだろうか?どちらにしても約束された明日なんてありはしない。
 砕かれた鏡の過去には、絶え間ないイメージと歓喜と苦痛が織られている。過去の中には未来の匂いがする瞬間があるのは気のせいだろうか。世界は螺旋構造をしていて、二次元的には(つまりX軸とY軸に限定すれば)同じ場所と組み合わせが断層こそ違えど、そこには必ずある。僕が胸焦がれ愛した、この世界のどこかに居るかあるいは居ない人間の数はびっくりするぐらいだ。
 これは大体、僕の若い頃の放浪癖に起因する。残念なことに僕は人の名前を覚えるのが苦手だ。無意識のうちに覚えないのかも知れないが、「やあケンピ」と呼ばれたときには狼狽えることの方が多い。
                *
 僕が甲府に住みだしてまもなく、イラストレーション倶楽部「ZERO」というグループが県民会館地下ホールで展覧会をやっていた。僕の頭の中の嗅覚はかなり鋭い。僕のお決まりのパターンで、最初は嫌われ、やがて愛される。汚れたかっこをし、埃にまみれた足をゴムのサンダルに突っ込んでいても、僕にはいつでも自信があった。なんという向こう見ずな態度だったろう!僕は「ZERO」に入会を申し込んだ。後で聞いた話では、「あんな汚い人が入るのなら私やめる」といった女の子も居たそうだ。旧姓「丸茂」さん、あなたのことだ。近い将来に僕のファンになる君のことだ。
 結局会長の角田氏は僕と同じフレーバーを持った看板屋で、しばらく躊躇してから快く握手をしてくれた。こうして僕はいくつめか忘れてしまったステップを踏むことになる。
 
切子硝子の塔 「不確かな階段」
 
 見張り台からのその年代を観察すると、かなり密度が高く時間的な前後も混沌としている。孤独を愛し、詩や文章、数々のドローイング、イラストレーションにエレキ・ギター、コミックと酒と女。それらの活動が凝縮している。時間にしてはそれほど長い期間があったわけではないにも拘わらず、変化は流転して渦を巻き反射望遠鏡の視界からはみ出てしまう程に活動的だ。
 これらを羅針盤の上で書き写すのは、あまりにも時間的推移が複雑かつ変幻自在だ。だからそれら断片を年表のようにひとつの時間軸として表すのは不可能に近い。そもそもが世界の半分を埋め尽くしている過去の抽象的断片は、変幻自在な硝子の破片が織りなすゲシュタルトとして考えることが出来る。
 それらを稚拙でささやかな画面にして一つずつ描写してみよう。
                *
「ZERO」はイラスト好きのアマチュアのサークルだった。僕はほとんど収入がなかったが、ステンド・アートというものを教える立場だったし、実力を考えてもプロフェッショナルのひとりであることは否めない。
 だから「ZERO」のメンバーの作品群は僕にとってかなり稚拙な物だった。パブロ・ピカソのカリカチュアのようなもの、本人の後ろ姿を写した写真のフォト・モンタージュ、未来都市の風景、雑誌のパロディ、その他いろいろ。
 「ZERO」は年に一度展覧会を開く。他に、月一回の定例会、そして宴会。
 僕は当時ほとんどアル中だった。授業や仕事の無いときは、製図台で漫画を描きながら、トリスのポケット瓶をプラスティックのカップに注いで、昼間から喉を潤していた。気が向けばギターを弾いたりして、かなり自由に暇を消化していた。ちなみにその古いテナントの二階に僕は住んでいた。
 教室と工房を兼ねていた工房は、ショーウインドウを別として、雑然と散らかっていた。無数の硝子片、二液性の樹脂、計量パック、レコード、作業台、過熱機、何本ものZライト。安物の椅子がいくつか、近所のデパートの地下で売っているバケットが半分、カップ麺の容器や製図道具、その他いろいろ。掃除するほど綺麗な仕事場ではないので、ほったらかし。
 ある夕方にギターを弾いていたら、ある男がやってきた。近所の炉端焼きの店のマスターでオーナーだった男。彼は後にいろいろな形で僕と交錯する。
 
切子硝子の塔 「フィンガー・ダンス」
 
 国道20号線の蓬沢交差点から50mほどの所に、ボデガという店がある。
 ボデガは音楽スタジオで楽器のリペアと販売の他、やけに薄いコーヒーと、(マスターに言わせると「モカ・マタリ」という品種だった)コッペパンにベーコンとチリソースを挟んだ軽食もあり、まあ山梨県国中でロックをやっている人間なら認知度100%のちょっとしたサロンだった。(吹きだまりと表現した方が適切か?)この文化果つる土地で音楽スタジオを経営するのは大した度胸である。
 そこそこの成功を収めている理由は、経営者である人間が何一つ楽器が出来ないことに集約される。つまるところ、山梨でロック文化を定着させようとか何かをやろうって訳じゃなく、赤字経営で意地を張る必要がないのだ。基本的にいたって健全な経営をしており、山梨でロックをやりたい野郎どもが何度も、あるいは毎日をそこで過ごしていた。
 ただ、楽器や音楽のことに無知なために、「なんか凄い奴」を感じると、テクニックは別としてその男には一目を置くという傾向はあった。
 ある時、喫茶スペースで僕は誰でも弾いて良いことになっているギターを弾いていた。将来「プロペラ商会」のメンバーにもなった「ゴータマさん」(どことなく釈迦尊のような下ぶくれの顔をしていたので、僕が勝手に釈迦の本名ゴータマ・シッタルータと呼んだからだ。)いわく、僕にとってのギターは「ライナスの毛布」(スヌーピーの登場人物で、常に大事な毛布を持っている)みたいなものだと言われたが、まあ、その通りだ。とにかく僕は椅子に座ってギターを弾いていた。
 そのとき僕は友人と話をしながら、ギターを弾きつつ右手でコーヒーを吸い、煙草をくわえて蒸気機関車のように煙を漂わせ、友人と馬鹿話をしていた。しかしながら左手はずっと指板の上を叩きつつプリングしつつ、シカゴブルースばりのフレーズを刻んでいたんだ。なにしろ僕はブルース出身だから左手のタッチが異常に強い。右手のピックはごく軽く弦をトレースしているだけ。僕にとっては珍しくない。
 痛いほどの目線に気づいたのはそのとき。
 マスターは僕の左手を目を見開き、口をあんぐりと開けて立ちつくしていた。なんだか地震でも来たみたいだ。
 僕はその時から山梨で一番ホットなギタリストとして広く知られるようになった。そしてまた知らない人から挨拶を受けることになる。やれやれ。
 
切子硝子の塔 「形をつくるもの」
 
 僕の絵画に関するキャリアは長い。最初に油絵を描いたのは小学校2年生の時。静物画から始まった。初めてデッサンを習ったのもその頃。僕の母親は僕と妹の二人にある種「英才教育」を施した。僕は絵画で、妹はピアノ。
 残念ながら妹は中学校でバレーボウル部に所属していたとき、ひどく手首を痛めてしまい、ピアノを弾くことが出来なくなった。(と言っても彼女はスポーツ万能で学力もずば抜けていて、「健康優良児」という肩書きを持っていたが)結果的には僕がピアノも弾くことになった。武道百般というが、僕は芸術百般になってしまったわけ。まあ、自己流だからそこそこの技術しか恵まれなかったが、歌うために必要な伴奏には十分だったろう。僕は声変わりが始まる前にはカウンター・テナーで、その後3オクターブ近い声域を持つことになった。
 さて、絵画の分野では一線美術や二科展などもう覚えていないほど賞状が積み上げられた。ついでに読書家で、母親や叔父に沢山の本を与えられ片っ端から本を読んだ。僕が育った日野市は市長が読書家だった事もあり、おそらくは日本一の図書館設備を誇っていたせいで、高校に入る前に四畳半をバケツにして一杯ぐらいの本を読破したと思う。結果的に音楽と物語は絵画を描くときに大きな力を与える事になる。描こうとするその前に、出来上がるイメージがはっきり見えていたから。ちなみに僕の父親は小説家崩れであり、多少はその才能が遺伝していたのかもしれない。
 高校に入る時には通学路の途中にある「アトリエ・フラン」という所で本格的に木炭のデッサンを習うことになる。週2回、二時間ばかりのデッサン教育はかなり楽しく、僕は高校一年で「芸大・美大受験コース」に編入するが、残念なことに僕の実力にかなう相手は居なかった。そのため、僕は吉祥寺の「アトリエ・フラン」から高円寺にある阿佐ヶ谷美術学園の「受験準備科」に行くことになり、ようやく自分より力のある先輩達に恵まれることになる。
 「デッサン」は芸術とか個性などとはほど遠い次元であるのに気づいたのはそのころだ。デッサンはどの面よりどの面の方が暗い、もしくは大きい・小さいを統合する(あるいは説明する)技法で、実に数学的だ。教師に直された時に「このデッサンは私の感性とは違う」とかのたまう連中を見ると、蹴り飛ばしてやりたくなる衝動が起きるのは今でも少なからずある。
 そんな風にデッサンを数学していても、何故か他人とは異なる部分がある。それこそが個性とか才能と呼ばれる物なのだと知るのにそんなに時間はかからなかった。個性という物はそんな簡単にスポイルされるものではない。
 
切子硝子の塔 「コバルトの空を駆ける」
 
 夏の夜はむせかえるような熱に満たされていた。大気はディーゼルエンジンから絶え間なく吐き出される排気に満たされ、騒音は絶えがたいほど。
 僕と理一は混雑する国道16号線の交差点で止まったトラックの高い運転室に這い登り、東名高速道路に行く車を探していた。国道16号線は実にトラックの多い所だ。ようやく東名高速に入る予定のトラックを見つけて、いそいそと乗り込んだ。当時はヒッチハイクがそれほど珍しくもなく、ドライバーは大抵一人で孤独な仕事をしていたものだ。
 三人掛けの運転席の後には簡易ベッド。運転手はトラックの運転手によくありがちな、世話好きで心根の優しさがそれと解るタイプの無精髭で小太りの男だった。
 「東名高速のドライブインで下ろして貰えますか?」
 「俺は沼津までだから…うん、あそこかな」
 「出来れば大きいところが良いんですけど」
 運転手はちょっと考えるようにして「まあ、適当に…」
 それから僕らはプロ野球や競馬の話をした。僕はヒッチハイクをする時には前もってスポーツ新聞を買い込み、ネタを仕入れて出発する。やがて駒門PAで下ろして貰い、僕はお礼にセブンスターを二箱彼に渡した。
 さて、僕らは大阪ナンバーか京都ナンバーのトラックを探し、待ち続ける。お目当てのトラックは空荷でピカピカの日野のトラックだった。運転手は気が乗らない感じだったが、口の上手い僕が適当な嘘を織り交ぜながら(要するにヨイショですな)承諾させた。僕はそこそこ美形だったし、口は滑らかだ。理一は接客業にはまったく向いていないし、姿形も無骨でぶっきらぼう。だけど、お互い足りない部分を補っている。例えば僕が絶望するような事態になっても、理一はそれを「こんな事が起きた楽しみ」に置き換えてしまう。
 そのトラックは日野自動車の新車で、大阪まで納車する予定だった。
 不思議なことに日野自動車の本社は僕たちの住む日野市にあり、自転車なら10分もあれば行ける。僕は内心しめた、と思った。話題ならいくらでもあるのだから。新品のトラックは流れる光の中を疾走する。
 その運転手は何故か横座りで僕らの方を向いて、ちらちらと正面を見ていた。(妙な姿勢で運転する人だな)と気になっていたが、話をするうちに彼が長年の座り仕事のために「痔」を煩っていることを知った。僕はことさらに心配そうな顔をして痔の苦しさを延々とつきあわされる事になる。それから沢山の四方山話。特にパチンコの話で盛り上がった。「ダイアナ」のチューリップの上の方に入れないで下に入れるにはとか、「大三元」は全開になってもすぐ閉まって心臓に悪いとか、いろいろ。
 「でも、パチンコって結局儲かりませんよね」
 僕は頭上に天使が通り過ぎるのを感じた。それと理一に対する猛烈な怒りと諦め。こいつはいつもピンポイントで最悪の状態を作り上げる。
 運転手はしばらく黙ったあと、「まあ……そうだな」と呟いた。急上昇した脈拍が安堵のためにゆっくり坂を下る。そう、理一はいつでも本当のことを言う男だ。この世では本当のことを言ってはいけないのだ。あの世でいくらでも本当のことを言えばいい。誰も気にしないから。こうやって理一は「事件」をまたひとつ追加することになったわけで、温厚な運転手に恵まれたのは「幸運」と呼べるかも知れない。
 僕らは浜松でいったん下車し、道路に並べられた円錐状のゴムの先をガソリンタンクの蓋に突っ込み、トラックに積んであった一斗缶のガソリンを入れる手伝いをした。もしかしたらこの役目に立つために僕たちを乗せたのかな?と考えてみたりする。
                *
 夜が明ける前の青黒い空は大好きだ。溶け込んでしまいたくなる。やがて黎明が差し込んで世界は眠りから覚め、緑の山々が眩しく光り始める。
 1カートンのセブンスターを運転手のおっさんに手渡し、丁重なお礼を言って(理一を背中に回してね)僕らは京都東インターのそばでトラックを降りた。清々しい朝に上手い空気を思い切り吸い込んで、ガードレールを超えて京阪電車の駅までぶらぶら歩き、のどかな田園の中を三条京阪駅まで電車に乗った。三条大橋にたどり着いたときはなんだかランナーズ・ハイな気分。
 鴨川までおりて、朝食代わりのグレープフルーツを取り出したとき、手が滑って川に落としてしまった。理一が思いっきり追いかける。僕も追いかける。京都の熱い陽射しは容赦なく僕らを直撃し、光にくらくらと目眩する。しかしグレープフルーツはどんどん流れてゆくのだ。
 
切子硝子の塔 「オリーブ・グリーンの迷宮」
 
「だいたい肝心な物から紛失してしまうものだな。」
 だいぶ前から僕は独り言を唱えている。それに気がついたのはついさっきのことだ。一人で長時間何かをしていると、もう一人の自分が目を覚ます。
 整理してみよう。まず僕は深い樹木の密生した山奥にひとりでいる。これは隊付としてボーイスカウトの面倒を見る、シニア・スカウトの一泊を予定しているハイクであって、山のてっぺんにあるはずの「茶屋池」を目指して歩いている。
 最初は地図に山道として記載されているはずの道がなかった。道はおそらく近いうちに林道として整備されると考えられる大量の倒木だった。しかもその倒木はどれも抱えきれないぐらいの巨大なものばかりで、踏破するのは大変なことだった。樹木を乗り越え、くぐり抜け、足を取られて転倒を繰り返した。距離にして10kmはあっただろうか。 
 そして倒木が終わった所に道はなかった。戻ることは考えられなかった。池にさえ着いてしまえば同僚と落ち合い、一泊してから楽なアクセスで帰ることが出来るはずだ。そして僕は異常に密生した森の中に足を踏み入れた。そこから悪夢が始まった。等高線を読みながらコンパスを手に通勤時の満員電車並の困難な移動を続け、山崩れで削り取られたような大きな溝に転がりこみ、気がついたときには地図とコンパスを無くしていた。今が一番必要なときにこそ人は物を無くしてしまうものなのか。
 「大丈夫だ、大丈夫だ。とにかく昇れ。それが基本だ」
 足首に来ている鈍痛に歯をくい締めてもう何度目かの登山を試す。が、またしてもぎゅうぎゅうに詰まった樹木に行く手をはばまれる。樹木の壁の隙間を探して右へ右へと移動する。しばらくすると水の音が聞こえる。沢が大地の割れ目を作っていた。ぬるぬるのべとべと。
 慎重に降りはじめたが、足首が言うことを聞かず、僕は一瞬空を跳んだ。反射的にそばにあった木を握ったが激痛に驚いて手を離してしまった。それは5cmぐらいのトゲをびっしり生やしたタラの木だった。たちまち僕は岩に体を強打した。
 痛みで一瞬気を失ってしまった僕の目に入っていたのは濡れて暗い岩であり、沢にまでびっしり張り出している一面の木の枝だった。
 「沢を登ったらいけるかな」上流を見上げたが、詳しく調べる必要もない程に不可能。ハーケンとザイルが必要だ。「じゃあ、下ったら」これも調べる必要がなかった。考え込んで周りを見回すと、岩が震えるように動いている。そこらじゅうに。三角形の頭を持つ30cmぐらいのマムシだ。岩肌すべてにマムシがうごめいている。
 一体全体どうやって沢の向こう側へ昇れたのか、不思議だ。ただ、気がついたら足を引きずりながら樹木の隙間を探していた。右手の痛みだけではなく、腕と足に小さな傷が無数にある。岩に打ち付けた背中がじわじわと痛み始め、息をするのも苦しくなってきた。ここで僕はそれだけは認めない言葉を口にした。
 「これが…遭難ってやつか」
 
切子硝子の塔 「昼下がりの安息」
 
 煌めくプリズムのように薔薇色の破片となって散りばめられた「キリコ」(そう呼ぶことにした──悪くはない。)にフォーカスする時間に疲れ、展望台の階下にある書斎に降りて所在なく歩く時がある。今がそうだ。
 バーントアンバーに灼けた天球儀、秩序のない膨大な書籍、歩を進めるたびに軋む板の床が鳴る音を聞く。樫のスモーカーズ・チェア、100号は描けそうな直立したイーゼル、それだけでジャクソン・ブロックの絵画のようにも見えるパレット、紫檀の頑丈な机の上に散らばった書きかけの詩の原稿に添えられたモンブランの「B」。
 愛用のストレートのパイプにチェリーブランデーを染みこませたHALF&HALFの刻み煙草を詰め込み、武蔵野火薬庫「ぐわらん堂」のマッチで火を灯す。まったく、パイプを上手に使いこなすまでどれだけの時間が必要だったか。かつての文豪は、男は手のひらに包む温もりがあれば生きていける、と書いた。確かにパイプほど孤独の似合う物はない。ついでに人と会話する時も、話を聞くのが上手になるし、考えもまとまるし答える言葉を慎重に選ぶことも出来る。欧州の老人が聡明であることが多いのは、多分この効果によって紡ぎ出されたものではないだろうか。
 壁には一つだけ額に入れた絵が飾られている。それは「真珠の耳飾の少女」というヨハネス・フェルメールの代表作のひとつだ。フェルメールの絵は世界に ──20点あるかないか。レンブラントと同じ時代の画家だが、この二人は非常に作品の傾向が似通っている。それは薄暗い部屋に淡く落とされた光や、闇の中に浮かぶ魅力的な容貌だったり、いずれも「光」をいかに上手に使うかにかかっている。
            *
 この世界の半分を覆う深い霧に人影がひとつ、うっすらと歪んで見えた。
 もうそう遠い話ではなくなりそうだ。悲しくはない。寂しくなるだけだ。
 
切子硝子の塔 「落下する海辺で」
 
「ちょっと待て。人生楽しいこともある」「君の親御さんは泣いているぞ」
 潮風に晒されてささくれた立て看板が青い影を落としている。かつてこんなに垂直に切り立った崖には出会ったことがない。なるほど、人生の終焉にこの崖はふさわしい。のぞき込んだ崖の下は波濤が紫や水色、翠の色彩をたたえて華麗に模様を描いている。なるほどね。
            *
 僕は昨日の昼下がり、新宿発大原行きへの電車に揺られてこの大原にやってきた。
 なんで大原かっていうと、多分につげ義春の影響が強い。彼が実際に幼少時をここで過ごしたから、もしかしたら彼の描く世界の片鱗がのぞけるかも知れないし。それにザックには寝袋とウイスキーがある。このふたつと少々の金があれば、僕は何処にだって行ける。僕は「旅行」は苦手だけど、「旅」は得意だ。風みたいに心が軽い。
            *
 ところがびっくり。この街はまさにつげ義春の描く世界そのままだった。八幡岬へと続く道から強引に路地に迷い込む。(街ってのは迷うのが楽しみだ──知らないもの、あるいは面白い物、その街の裏側が見える)幅が1メートルちょいの路地では裸のまま寝ている老人の背中が壁のひとつになっていた。ウミネコはそのまま「にゃあ」と鳴き、「海猫」は沈黙する。どちらも港町には欠かせない生物だ。
 それに加えて沈みかけ苔むした岩の階段や、貧しい街の象徴でもある朽ち果てるがままになっている鳥居なんかがあると、気分が出てくる。どう頑張っても判読不能な石碑、昼なお暗い木立、遠く聞こえる波の砕けるざわめき。
            *
 八幡岬の頂上を巡るように遊歩道みたいなものがあった。一つの祠があり、狐が奉られている。石の大きな狐、木彫りを彩色した狐、小さな瀬戸物の狐。どれもお喋りだ。別に狐がお喋りする訳もなく、狐が僕を喋らしているのだ。ようこそここへ。太陽はすっかり傾き、もうお眠りなさいと言う。僕は崖の上に建つ大きな石碑のまわりの芝生にねっころがる。うん、ここでいい。
 目の前は命を吸い込むような本物の暗黒。思いついたように渦を巻く風はこの世のものでは無くなっている。なにかうごめく怪物のような管楽器の響き。
 僕は缶詰を開けてウイスキーを啜った。熱いよろこびが体の芯を暖める。
 海がほのかに光り始めた。多分烏賊漁だろうか、船は煌々と輝き海の波間を照らしていた。月も星もない夜に、空中を跳ぶ船の夢に包まれて自分勝手なランボーは眠りに落ちてゆく。落下する時の無重力感。
 
切子硝子の塔 「ヲグラフォンレコードの黎明期」
 
 ある時君は僕と一緒にお茶の水駅から駿河台へ向かう「楽器店通り」を歩いて、ギブソンやフェンダー、ギルドとマーチンに見とれていた。石橋楽器に入ると、「このクライベイビーの音聞かせてくれねえかな」店員に言うと「おいケンピ、何か弾いてみろよ」と僕のケツをピシャリと叩いた。そう、君はいつでもこんな風にバンカラで横柄な態度を隠さなかった。僕が「ホワイトルーム」をやると、「ふむふむ、やっぱ違うジャン。そこらへんのワウワウとはよお」と言ってさらりとクライベイビーを買ってしまった。そう、理由はどうあれ君は金持ちだった。
            *
 そして石橋楽器のバッグを手にどんどん歩く。とにかくどんどん歩くのだ。いい加減に苦しくなった僕は「オグラ、何処へ行くんだよ」と根を上げた。「へたれ言ってんじゃねえよ。アキバだよあ・き・ば、すぐそこじゃん」そしてまたどんどん歩く。僕は歩くのには慣れてるけど、買い物は苦手なのだ。
 秋葉原にたどり着くと、今度はローラー作戦のようにこの路地に入り、あの路地に入り、僕には訳のわからない金属板やトランジスタやら真空管などを買い込んでゆく。買うのに付き合うだけでも大変なのに、しかも君はいちいち値切るんだからたまったもんじゃない。
 ある店でオグラは立ち止まり「んん〜!これこれ」と店に乗り込む。そこでは色々なメーカー(一流品から名もないものまで)の裸スピーカーが並んでいる。「オグラ!俺もう休む!」と言い捨てて自動販売機でファンタを買って道に座り、やさぐれた。
 今も昔も秋葉原という所には魔性の磁力みたいなものがある。オグラは「ハム」の免許を持っていて、器用に「ト」と「ツー」だけで全国に友人が居る。オグラはパソコン通信以前からのネットワーカーだった。
            *
 30分ほどするとオグラはにこにこして大荷物を持って出てきた。「おい、こっち持ってくれよ」それはふたつの直径38cmもの大きなスピーカーで、段ボール箱からはみ出していた。「へっへっへ、コーラルのツイン・コーン。○○dbの○○khzまで広帯域に○○○○もうバッチリだぜえ」オグラは興奮して、とにかくスピーカー一個を僕に渡した。これが意外と重い。当たり前だ。でっかい磁石が入って居るんだから。
「よおし、買い物が済んだ」晴れ晴れとした表情でオグラは振り返って僕を見た。
「ケンピ、海を見にいかねえ?」
 
切子硝子の塔 「昔々あるところに」
 
 太陽の内側に入ったぐらい素晴らしく煌めくキリコがある。また、見るかげもなく暗鬱な──考えたくもないキリコもある。それは人としてこの世界に棲むもの全てにおいて逃れられない宿命だろう。風は暖かくもあり、冷たいように。
 敢えて使いたくない言葉だが、「過去の幸福」こそ最も冷酷なものだ。なにしろ失って多くの時間が過ぎて、初めて知ることが出来るからだ。人はそうやって失われたものを反芻し、深い傷を抱えて歩くしかない生き物だ。
 ただ、僕の場合、ちょっと普通の人より過酷かもしれない──誰もが自分のことをそう考えているようにね。
             *
 煌めく時間を文字にするのは、はなはだ辛い。でも、書かなくては忘れ去られてしまうし、僕だってその時間を共有したんだ、という奇妙な乾きもある。
 幸福な時間が煌めくほどに「影」となる不幸の力場は強くなる。多くの老人が昔の話をするのがその証拠であり、また彼らの義務でもある。
「昔々あるところに」から始まる物語は素晴らしい。もちろん「もし〜だったら」も悪くないけど前者ほどではない。だから、これからしばらくの間そんな調子になる。
「昔々あるところに」。
 
切子硝子の塔 「聖地をつくりだす錬金術」
 
 僕は目を覚ますと、煙草に火を付ける。ぼんやりした頭で窓に釘で打ち付けた毛布をめくり、窓を開けてふうって煙を吐く。薄曇りの空に蛍光灯のような安っぽい太陽が浮かんでいた。目の下にやっぱりぼんやりと流れている腐った小川に煙草を指で弾く。穏やかな弧を描いて、煙草は川の中に消えていった。
             *
 別に何があるって事でもないけど、国分寺の南にある下宿に住みついて、半年が過ぎた。ここからだと西武線を乗り継いで僕の通っている学校にも近く、「適度な田舎」ぐらいが僕には心地良い。
 第二次世界大戦の空襲をよくぞ生き残った、という二階建てのボロ屋の南西二階角部屋は、あがた森魚が好んで住んでいそうな昭和のレトロにも通じる、確実に傾いたぼろぼろの住み家──というよりは「巣」に近いかも。トイレ、──というより「便所」と堂々と宣言できる「ぼっとん」の音も侘びのある環境であった。
 四畳半プラスささやかな台所のある下宿はそれでもみんな住んでいた。不思議なのはまったく交友がなかったのは何故だろう?
             *
 僕はここに「聖地」を作り上げた。大きな工芸用の机には角の所にすっぽり収まる円弧がありそこに僕は座った。奥にはスピーカーにターンテーブル、うずたかく積まれた書籍。同人誌の為に書き散らした詩や散文。すぐ目の前が制作中の漫画。ぐるっと右を見ればイーゼルとカンバス。左を見ればギターにベース。そして右の手にはサントリーのジンを注いだグラスがあり、口にはジタンの煙草が垂れ下がっている。
 なんという甘美で満たされた聖地よ。それに彼──ピッチカート・ラ・ぺー。思いっきり太った猫と暮らしていた。
             *
 経済的にはとっくに破綻していたが、小麦粉と塩、ショウガで作るナン(なこといったらインド人から怒られそうだが)でささやかに暮らしていた。
 そして聖地に住んだ間の物語──すなわち「キメラ」をすこしづつ書き写してみよう。
この見張り台からずっと──遙かに見える断片はなかなか面白いし、僕が忘れていたことを、思い出せるように。
 
切子硝子の塔 「空襲と爆撃」
 
 初夏の夕方、彼らは僕が「卵入りサッポロ一番」という豪勢なものを半分ほど食べたときにドアを蹴り破るような勢いでやってきた。
「貴様を拉致する」
 そうやってホセ(東京農大在学・移住研究会)と杉野(東京農大在学)が右と左を持ち上げ、トクサン(東京農大在学・バングラディッシュからネパールを歩いたがアメーバ赤痢とマラリアに冒されて肝臓に虫持ち)は僕のラーメンの残りを牛乳みたいに飲み込んだ。生きているといろんな目に遭うものだ。これは事故だから諦めろと僕の頭の方からサイレンがこだまする。むかし杉野には殺されかけたことがあるので、諦めきれなくても諦める方が得策だ。
             *
 杉野が運転するギャランの後部座敷に積み込まれ、あっという間に20号線をかっとぶ。こんな危険で凶暴なドライバーに免許を与えた教習所はどこだ。多分教官をかつあげるか握手したか。奴の握力はもの凄い。簡単に指を折られるだろう。
 なにしろ山道では1速と2速しか使わないし、下り坂ではエンジンを切ってしまう。だらりんこ、だらりんこと車は走る。とにかく赤信号に向かってゆく時にはのろのろ運転して「絶対に止まらない」。「トイレのために降りる」なんてとても不可能だ。「強い奴には巻かれろ」という言葉をこれほど具体的に証明した男を他に知らない。
             *
 僕を拉致した理由はいたって簡単だ。
 山梨県の韮崎にある「ひまわり農場」というコミューンに行ったことのある人間は僕以外手近にいなかったから。つまり唯の道案内役である。
「さあどっちだ」信号の20mほど前で振り返って笑って僕に振り返る。この男は「笑っている」時が一番怖ろしいことを思い出した。
「えと、さっき駅をくぐったから右。そしたら141号線に出れる。んじゃないかな、多分。」「多分んんんん?」笑い顔が近づいてくる。
「いや、間違いなく」
 昼間のうちでもやっとたどり着けるのに、こんな夜でもう。と思ったが口に出さない。「沈黙は金」というのが彼の前では実に具現化されている。
             *
 決め手は中央高速の灯りだけ。あの赤い橋が見つかれば……
「あったあ」僕は寒気から久しぶりに解放された。
「道の左側に小さなトンネル。そうそう、そのまま」
思い出した。林道に入ってからは、それからが問題だ。なにしろ葡萄畑だらけで道は蜘蛛の巣のように縦横に走っている。分かれ道が近づいてきた。
「どっちだ」
 ホセもトクサンも一緒になって「どっちだどっちだ」と歌い始める。
 僕は記憶を必死になって半ばカンで叫んだ。
「左だー!」
「左だ、ひ、だ、り」歌うなよ。
 とにかく一回も車が止まることなく、僕らはキャンプファイアーが焚かれ、おおぜいの人間の気配がしている。
             *
 友人で元農業大学で「ひまわり農場・技術担当」のクボちゃんが僕を迎えてくれた。「ひさしぶりだな、ケンピ。元気してる?」
「死ぬかと思った。ところで何で集まってるの?」
 クボちゃんは日焼けで真っ黒になった顔で微笑んでる。
「今日で終わりなんだよ、ひまわり農場は、さ。」
 ぼくは何も言えなかった。
 
切子硝子の塔 「高原の灼熱」
 
 夏はいつも清里にいた。学校は24時間年末年始なしの時空間だったので、夏のうちにお金を貯めなくてはならなかったからね。
 で、何をしていたのかというと客に先生づらして釉薬や顔料の使い方をアドバイスし、あるいは窯で炎と戦っていた。だから清里ならではの爽やかさを楽しむ事は出来なかったのだから馬鹿馬鹿しい。夜のささやかな酒宴がせいぜい。たまには「何か面白いことないかな」で胸一杯になってる女子高生たちとロック(レストラン)に行ってビールを飲んだりしたけどもね。
             *
 僕の勉強というのは実際アルバイトばかり。ほんとにいろんな仕事をやった。多すぎてあきれるぐらい。だからどんな場合でもすんなりとこなすことが出来た。だから清里の「楽焼屋」でも、接客・教育・技術・経理とオールマイティに働ける。
 その頃の僕はと言えば、三年間にわたる蜜月を過ごした彼女と別れ、ちょっとやけくそだったかも知れない。東京も飽き飽きしてたから、気分直しには「清里生活」はぐっとくる。また、ノンノだかアンアンだかが「日本のニューイングランド」なぞと紹介した時で、山ほど人がやってきたのはいいが当時の清里には遊ぶところなんてない。
 キープ協会の清泉寮でソフトクリームを食べて牧場を眺めて馬にでも乗ればそれでだいたい終わってしまうのだ。
 わかりやすく言えば観光客には膨大な「暇」が発生する。この暇を埋めるだけの観光アイテムがほとんど無い。
 そこで「楽焼屋」という、暇を潰すには絶好の場所に集まってくる。混んでいるときには立ったまま絵の具を塗りたくる人まで現れた。
             *
 以上が伏線。
 清里の馬鹿話は、切子硝子の塔での観測には時間がかかるのだ。
 
切子硝子の塔 「哲学の壁」
 
 僕らは京都にいるときは必ず「蒔野先生」のお宅で眠りについた。学生であれば300円で誰でも暖かい布団の中で、のびのびとね。この300円ってのが、泊まる方にしても適度な安心感に繋がっている。なにしろ大邸宅で、いったい幾つ部屋があったのか、今では知るよしもないが、とりあえず邸宅から見える全ては全部「蒔野」の所有する土地で、それも永観堂だったからその資産価値は計り知れない。(京都では北に行くほど土地の値段が高くなる。)
 話では「越中長岡藩」の直系である由緒正しき名家で、どうも一般の職には就いたことがないらしい。息子もしかり。僕たちの言う「蒔野先生」は当時家庭裁判所の調停委員をやっていたという。
 蒔野先生の容貌はおかっぱにした白髪とピンクのオーバーオール。短躯でぴょんぴょん跳びはねる。由緒ある人はトリッキーな人が多い。
             *
 昼間はあちこち歩いて、拾得でやっているバンドを見ながら(後でわかったことだが、デビュー前の憂歌団だった)杏の酒など飲んで、蒔野宅に集まるのが夕暮れ。ここはもう風呂に入ってジグザグでビールでも、という話になる。蒔野邸から一番近い銭湯は「哲学の道」を歩いて左側なのだが、途中に「哲学の壁」がある。だから僕がいないときは遠回りしてでも避けているのだ。
 では「哲学の壁」とはなにか?と言うと、ひとりの老人である。ゆったりとした大島紬、もぐもぐ云う口元、雪駄履き、鶴のような首を皺だらけにした、ただの老人。そして丈夫そうな杖。これの一括は夏でも樹木が立ち枯れるごとく鋭い。
             *
 僕らが哲学の道を行くと、強烈に杖を道に叩き付け、「存在とはなんぞや!」と、とおせんぼするのだ。
 これはタイミングが勝負。少しでも間が空いたら「馬鹿者!」と怒られるのだ。
 僕のみ素早く「吾思う、ゆえに酒飲む」なんて言ってやると「よおし!」と言って杖は戻り、壁が消える。それとなくみんなで「哲学じじい」と呼んでいた。
 京都の銭湯は35円で市営だ。床は全部竹で敷き詰められている。清々しい、清潔で良い気持ちの湯だ。
             *
 蒔野邸では300円の他に、「論文」を書かなくてはならない。特に要求されてはいないけど、書いた方が断然お得だ。
 だから僕は「三条大橋等間隔の法則」として作成した。
 つまりカップルAが中央部にあった場合、左右は等間隔で、カップルBが入った場合は左端とA、B、右端の間隔は3分割され、そこでカップルCが……なんて調子。だから僕の京都はさらに楽しくなる。
「存在とはなんぞや!」
「ザーサイとは違う!」とかね。
 
切子硝子の塔 「渓谷にこだまする哀愁の旋律」
 
「梁川」は山梨県の大月から二つほど東京側の小さな駅だ。
 この駅を下車して国道20号線を東に向かい、右に降りて畑を抜けると吊り橋がある。近代的なちゃんとした鉄とワイヤーで作られた橋。というのも、大月周辺にはちゃんとしてない橋が多い。個人や部落で勝手に手作りしてしまうからだ。錆びたワイヤー、腐った木の板は虫歯のように欠けている。まあ、その話はちょっと置いておこう。
 その橋を渡った左手に、桂川の河川敷に勝手に(まあ、無法に)建てられたベニヤ板のバンガロー群がある。そこが僕らのスタジオだった。
               *
 普通の都市にある貸しスタジオもたまに使うけど、とにかくみんな貧乏だったから、コンサート前に集中して借りるなどという贅沢は夢のまた夢。ドラマーの家は原野のはじっこで、少々の音なら何とかなったけど六畳の部屋に六人のメンバーというのも無理というもの。それで「梁川で二泊三日強行練習」になったわけ。シールドが抜けてるな、と思って手で拾おうとしたら長さ80cmぐらいのオオムカデであったり、スリリングな場所だけど、何しろ音が出せた。桂川渓谷の底なんだから住民など居る訳がない。一応管理しているお爺ちゃんがいるんだけど、その家には水平距離でなく「標高」で数えた方が早いなんてものでね。
               *
 僕たちはブルースバンドだった。当時「金のない奴はブルースをやれ」的な風潮があり、実際僕らは「四人囃子」みたいになりたいなーって思いながらも「ジュニア・ウェルズ」やら「アルバート・キング」やら「バディ・ガイ」なんて、主にシカゴブルースを中心にナンバーを増やしていった。
 練習に集中するのは午後から。終わりはなんとなく酒が入って食って飲んで、それでおしまい。食事はだいたい僕が作った。みんな口うるさい上くせになにもしなかったし、メンバーの他についてきた友人で食通の作る無謀な料理を封じ込める目的も兼ねていた。
 その食通の作る料理はこんな風──
「今夜は烏賊ちゃんこだ!」
「おおおー」みんな。
「ようし、あと烏賊があれば。おい、頼んでいた烏賊を出せ」
「はいな」
「おい、これは冷凍烏賊じゃないか!ワタが入ってない!」
「だって、それしか……」
「仕方ない、とにかく作ろう!」
 食通の予定では烏賊のスミをたっぶりとぶちかけ、野菜と煮込み、さらに牛乳と砂糖を入れるという大それた大河浪漫鍋。ところが肝心のイカスミが無いのだ。出来上がった鍋、想像できる?
               *
 ある夜、もうゲロが出そうになるまで練習して、「もう金輪際ブルースは聴きたくねー」ってまでとことん練習して、「もう明日帰るんだから、今夜は大いに飲もう」と、ちょっと油断した。
 誰かの声を呼んでいたような気がする。電灯の下で一升瓶をラッパ飲みしているのも覚えている。小便をしようとして「ひゅっ」と重力が無くなったことも、なんとなく。「おーい、ケンピが死んだあ」とか騒いでるざわめきも。
 次の日は実に爽やかな朝に目覚めた。なぜか別の棟での朝。
 傍らの布団には見事にゲロが貼りついていて、立ち上がろうとしたらパンツが重い。すなわち僕は「嘔吐・小便・脱糞」の豪華三点セットでの急性アルコール中毒一歩手前だったようだ。川に入ってじゃぶじゃぶ身体を洗い、爽やかにみんなの眠るバンガローへ行った。「おはよう!」ってね。
 帰る時、サイドギターの井上が指さして「おまえ、昨日あそこから落ちたんだぞ」と言われて振り仰ぐと、高さ6〜7m程の切り立った崖があった。眩しかったなあ。
 「また合おうぜ」僕らは坂を下りていった。
 
切子硝子の塔 「チキジョージの輪舞」
 
 吉祥寺だって?そりゃあ素敵なところさ。
 僕が初めて吉祥寺の街に足を踏み入れたのは、高校受験の時だった。今じゃ考えられないけど、サンロードだってなかったんだ。アーケードなんてなくて、見上げると天井は青い空ばかり。でも、あの独特の匂いはしたね。ちょいといかしたフレーバー。
               *
 で、ちゃんと受験に合格してから毎日吉祥寺の街を歩いたものさ。学校は井の頭公園から一番歩いて近いところだったし、すごく自由な校風で、もちろん私服だし。半年ぐらいで女の子はみんな化粧を初め、男はだいたい長髪になる。僕なんか緑色のメッシュなんてしてた。一番長いときで腰まで伸びたし、椅子に座って立つときに髪の毛がお尻に踏まれてひっつれたぐらいだ。
               *
 御殿山って森林があって、そこを抜けて街に行く。自然と都会がなんともうまく溶け合って、すっごく気持ちいい。雨の日も風の日も、もちろんお日様がとびきり機嫌のいいときも、森は踊り、笑い、静まり、闇に沈んだり。
 僕らはそこに住む妖精ってわけ。いや、冗談じゃなく。
               *
 高校の二年生になると僕には彼女が出来た。中学の時の美術部の後輩で、みどりって女の子だ。彼女は中学の時に僕に惚れて、彼女の友人がわざわざ説得に来たりして。
 僕はそっちの方に鈍感だから、みどりが同じ高校に来るなんてびっくりしたけれど、彼女のお父さんは僕らの高校の大先輩だった。
 それって運命だけじゃないような気がする。ちがう?
               *
 僕は今でもそうだけど、やたらと自由だ。首輪をつけるにはちょっと手間がかかる。
 自分から告白するなんて経験は一回もない。だから高校一年の時にすでに僕のファンクラブがあったなんて知ったのは随分大人になってからだ。音楽室でピアノを弾きながら「明日に架ける橋」なんか歌っている時にはいつも椅子にぽつりぽつり女の子が聴いていたんだから、気がついても良さそうなものなのにね。
 幸福なときは幸福に気づかないものさ。いつだって。
               *
 高校の時ひそかについたあだ名が「芸術の百貨店」。美術と文学、とりわけ音楽は飛び抜けていた。音楽の授業を始めたときに、よく声域を確かめるじゃない。僕の時には教師の顔色が変わるのが面白かった。一番高い声が出たとき、教師はピアノをやめた。
 「すごいね」だって。だから僕は言ってやった。
 「先生、下の方がまだ出ます」
               *
 ひときわ破滅的な僕の青春は始まったばかり。それまでちょっと、くすぐったい物語もしてみよう。この塔から見える、それはそれは楽しいキリコの破片。
 
切子硝子の塔 「青き林檎の幸福な夜」
 
 吉祥寺の夜は、こんな風にやってくる。
               *
 いまでも面影が残るごちゃごちゃした商店街にもぐり込み、怪しげなバーやスナックと汚い便所を共有するベニヤ板の居酒屋「三楽」に入る。ぐるっとカウンターが廻るだけで一切の虚飾がないその店に僕はよく行った。友人のリイチもここがお気に入りで、よく会って一緒に飲んだ。
 お客のほとんどは「疲れた」おっさんたち。高度成長期の波に乗り遅れ、妻や子供にむしられるだけむしられた、戦争を知っている悲しい世代。
 この店にはそんなおっさんたちがそれぞれに孤立して、通夜のような静けさの中、じっとベニヤ板のカウンターを見つめながら杯を重ねている。
 酒は安い醸造用アルコールの入った日本酒に決まっている。つまみは豚のもつ煮以外には考えられない。他には冷やしトマトとオニオンスライスぐらい。その豚のもつ煮は時として毛が着いたまま出てくるちょっとデンジャラスな逸品。
 長いこと居座る客はいない。世間の剣呑な風にさらされた兵隊たちの安息を長時間許すほど社会も家族も寛容ではない。
               *
 「三楽」をあとにすると、そのすぐ近くにある「源氏」へ足が向かう。「源氏」は友人たちの涙ぐましい努力とはした金で見つかった、吉祥寺で一番安くビールが飲める店だ。今から考えるとキリンのアンテナショップみたいなものだったのかも知れない。とにかくそこへ行くと必ず友人たちがとぐろを巻いている。友人の「顔面」がでかい頭とでかい声でこっちだこっちだと手招きをする。
               *
 この友達たちはどうやってできたかというと、不思議なもので僕がボトルネックだ。私立明星学園と三多摩に広く分布する公立高校を結びつけているのは僕ただ一人なのだ。つきあいの核となるものはリイチ・ユーキ・オグラ、それに僕という四人で、中学校の同級生。リイチとユーキは小学校からのつきあいになる。
 この四人がそれぞれ持っている友人ネットワークを使っていつの間にかこんなかたちになるのだけど、極めて個性的な集団になった原因は「顔面」をはじめとする明星学園のネットワーク。つまり僕のせいだ。
               *
 酔いが回ってくると僕とブヨは抱き合ってキスし、源氏のマスターがびっこを曳きながら、おまえらこれをやるから男同士キスするのはやめろと言い、マグロのぶつ切りをくれる。だいたいこれだけ集まって腹がふくれて安い厚揚げしか頼まなかったのだから考えてみるとマスターはかなり懐の広い人だったなと、今にして思う。
               *
 さてと。こういった段取りで夜の吉祥寺は始まり、ここからが大変なことなのだが、それはまたの観測に委ねよう。
 
切子硝子の塔 「悪徳の栄え・饗宴の巻」
 
 ねえ君、危険な匂いってドキドキしない?悪の華の芳香に心を震わせた事ってないかい?もし、ないと答える君は嘘つきだ。善人面した偽善者だ。この世で魅力あるものは全て危険と悪によって生まれる。すべての快楽は切り立った崖の上になりたつものだ。ギュスターブ・クリムトの「接吻」のように。
               *
 僕は快楽を貪るために生きてきたし、これからもそのつもり。光ある幸福のために不幸という影があるように、影を思う存分呼吸しなければ光ある物は見つからない。
 僕は小さな頃から本能的に悪に寄り添う傾向があった。まだ僕が10歳ぐらいの時、「元先生」という人が僕をいろんな所へ連れて行った。
 暗闇の中に変化する噴水に赤や青や紫色の光を当てる暗闇の喫茶店。運ばれてくる煌めく花火をさしたアイスクリーム。コーヒーを軽くかきまぜて、伝うように縁からクリームを滴らせて作るマーブル。立ったまま両手に持った紅茶とミルクを空中で交じらせてカップに注ぐミルクティー。上野の新聞紙を被って食べる焼き肉や新宿の中村屋のカレー、浅草のどぜう鍋。たくさんの街路のとめどない散策。
 とくに興味があった、新宿の妖精達「フーテン」の群れ。何度か僕は元先生を店に待たせたまま「フーテン」の溜まっている街路に紛れ込んだ。何を話したのかは覚えていないけど、僕は一生懸命話をした。みんなが僕の頭を撫でてくれて、なんか認められたみたいで嬉しかったな。
               *
 だから「怪しいな」と思うところには必ず顔を出した。たくさんの失敗もあったけど、いくつかはドキドキする場所を見つけることが出来た。
 国分寺の「ほら貝」は話に聞いただけだったけど、すぐに飛び込んだ。
 その時厨房をやっていたのはヒッピーの世界では有名な山尾三省で、厨房の後には彼好みの仏壇がしつらえてあった。カウンターと小さなボックス席がならぶ本当に小さな店だったけど、危険と悪が奏でる芳香はとびきり僕の鼻に来た。二階のバーの壊れた冷蔵庫から絶えず水が漏れて、ひいき目に見ても綺麗とは言いかねる張り紙だらけの汚い店で、窓際の煤けた瓶に「諏訪之瀬島特製・エイヒレ」とあり、なるほど干物のようなものが詰まっている。
 かかっている音楽は60年代フラワーチルドレン関係とネイティブな民族音楽。「ホット・ツナ」という、ジェファーソン・エアプレーンのギタリスト、ヨーマ・コウコナンとベーシストのジャック・キャサディのユニットは一回聞いてすぐに好きになった。同じ匂いがするからかな。
               *
 土曜日の夜のほら貝は満員で、なじみのある葉っぱが燃える匂いが立ちこめて、それは大変な騒ぎ。誰かが一回踊り出すと、堰を切ったようにみんなが踊り出す。その中でとびきりずば抜けてハイに踊りまくる「オッタカ」という、アラブ人のようなインド人のようなイタリア人のような、大きな体格で髭と胸毛を皮膚のように着こなした男と僕は友達になった。
 彼は危険と悪を誰よりも愛すジャンキーだった。
               *
 ある土曜日の夕方、国分寺駅に向かって歩いていたら、「ケンピ!」と遠くから呼び止められた。ほんとうにオッタカの声は身体にふさわしく大きい。それからオッタカと武蔵屋という居酒屋に入って酒を飲んだ。そこはざるに入ったキャベツが食べ放題の焼鳥屋で、オッタカはざる二つばかりカラにした。定員の青年も、「その手の」香りがする。部族の連中は昼間はとてもおとなしい。
 それから「ほら貝」に行っていつもの乱痴気騒ぎ。パイプが回るわ焼酎も回ればデュープキスにまるだしのおっぱいに埋もれて息も出来ないほどだ。でも僕は慣れるのが早い。誰とでも馴染んでしまう。
 いいことなのか、悪いことなのか。どうか悪いことでありますように。
 
切子硝子の塔 「悪徳の栄え・漆黒の巻」
 
 ねえ君、危険な匂いってドキドキしない?悪の華の芳香に心を震わせた事ってないかい?もし、ないと答える君は嘘つきだ。善人面した偽善者だ。この世で魅力あるものは全て危険と悪によって生まれる。すべての快楽は橋の上で襲われる恐怖と隣り合わせだ。エドヴァルド・ムンクの「叫び」のように。
               *
 ほら貝を後にした僕とオッタカは国立駅にたどり着き、くんずほぐれず鉄道沿いの道を西に向けて歩いていた。宵闇の空の下、ところどころの電球だけが道路を照らしている。オッタカは財布から塩酸エフェドリンを舐め、僕はウイスキーのポケット瓶で口唇を濡らしていた。
 オッタカは天才的な楽天主義者で、快楽至上主義者であった。こんなに短時間に僕の心の壁を乗り越えてきた例を僕は知らない。彼は山尾三省に代表されるような「部族」の連中ともまったく違う。オッタカはヒッピーじゃないし、オッタカには精神性はない。ただあからさまに自分の欲望に従っているだけだ。でも、なかなか出来る事じゃない。
 だから、道の傍らに広がった雑木林の中に引きずり込まれた時も、別にびっくりはしなかった。ただ僕が他の人間にどう見えるかを僕が考えていなかっただけ。まだ18歳の男の子だってことを忘れていた僕が間抜けなのだ。漆黒の中の卵は甘い吐息になり、肌を心地良く滑る。溶けたアイスクリームみたいになった僕は心のままに開かれてゆく。オッタカの獣じみた息づかいがぼくの耳たぶをくすぐった。
 幸運なのか、残念だったかはわからないけど、それから僕はちょっとそっちに遊びに出かけることになる。それもまた、別の話。
               *
 すっきりしてご機嫌になったオッタカは、僕を抱きかかえるように大きく古い木造二階建てのアパートに入った。なんて大きな玄関。多分学生の密度が日本で最も高い街であるから、東京商業大学(今の一橋大学)のころの名残じゃないかと思う。
 出てきたのは小柄で貧相な、しかし明らかにどこかへ魂を落とし物しちゃった男だった。「あ、あ、明日の天気図ね、作るから」といいながら精密に描かれた天気図を取り替えているところだった。「だ、誰もいないよ」
 この男は毎朝真剣にラジオ局の気圧の朗読を書き写しているらしい。彼の顔からはそれ以外に何も読み取れなかった。多分このアパートでは彼は別段変わらない男なのだろう。僕の嗅覚が囁いた。
               *
 その道を少しばかり西に向かうと、左側に木造の長屋のような家が並ぶ。
 オッタカは出てきた女性に「オー!けいこっ」と言うと文字通り外国人のように細い彼女を抱きしめた。「キヨシロー、居る?」「居ないんだけど、お茶ぐらいのんでって」狭い廊下を進むと、片側に改造された赤い照明に照らされた暗い部屋がある。スネアドラムとウッドベース。これはスタジオらしい。
 少しばかり酔いの醒めた僕は、ここがRCサクセションの本拠地であり、忌野清四郎ことキヨシローの住居であることがわかった。話を聞くと、RC のギタリストであるケンチが警察に捕まり、キヨシローが身柄を引き受けに行ったらしい。彼女の言葉のはしばしに山中ジョー、山口不二夫の名前が出てくる。言わずと知れた日本音楽会のしたたかなジャンキーで知られている連中だ。
               *
 それから・・・随分歩いた。そこらへんから僕の記憶が怪しくなっている。へとへとになったところで、都民住宅のような安っぽい文化住宅の並ぶ界隈に出て、その一軒に入った。
 その部屋は視界がほとんどなかった。もうもうたるガンジャの煙。仏壇のお香焚きにどっさり葉っぱが積まれているだけでなく、プラスチックの部分を外したパイプもどんどん回ってくる。何度も何度も同じ会話が繰り返される。僕の癖ってやつ。頭の中心からサップグリーンにインディゴを混ぜたみたいなどす黒い炎が溢れ出すどんどんどんどん堕ちて浮かび漂う月の影は明るくなり金色の絨毯が乾いたトウモロコシ畑になる。
 つぎに気がついたのは熱い陽射しの下にいた。立川のどこか。
 僕は中央線の線路を求めて歩き続けてゆく。
 
切子硝子の塔 「暗いほど青く深い空の下で」 上
 
 その日僕は二日酔いだった。
 しかも長距離バスに揺られていたのだから、ますますしんどい。濡れたタオルで頭を冷やしながら、昨日の夜のことを思い出す。
               *
 夕食が終わった後、5人部屋で友人とトランプなどして平和に高校二年生の修学旅行をやっていたのだが、この山里の旅館を抜け出し、仙台近郊の街の酒屋まで酒を買ってきた奴がいたのだ。それも一人二人じゃなく、オーバーに言えばまさに旅団となって酒の買い付けに行ってきたのだから我が高校は自由を通り越して無法だ。
 さてそれでは、とウイスキーを飲んでしまった。最初は良い気分だったけど、少々分裂気味である僕のピンク色の脳みそは暴走を始めてしまう。結果、サントリーレッドのWサイズをあらかた飲み干してしまった。最後はボトルを両手で抱えてがぶ飲みした。
 その後の記憶はおぼろげだが、見回りに来た教師相手にダーウィンの進化論について論争したり、ノーブラの女の子の胸をわしづかみにしたり、歩いてもなぜか左側にばかり転んでしまったり、悪口を言った同級生のところにご注進に行った友人が委託されて思いっきり殴りにきたり、最後は窓から壮絶に吐いて眠ったらしい。
               *
 というわけで、長距離バスに乗っている。殴られた頬が若干熱っているが、ずいぶん手加減をしてくれたようだ。あいつが思いきり殴るとコンクリートをも砕く。入学したての頃、態度の悪い奴が教室の廊下側の壁にもたれているのを見て、廊下側に回ってモルタルの壁を突き破って殴ったぐらいもの凄い。殴られていて変な話だが、その友人に感謝した。そういえばモルタル越しに殴られたやつは二度と学校に来なかったな。切子硝子の塔で観測を続けた人なら覚えているかも知れない。無敵の破壊者、その友人の名前は杉野だ。
 そんなことをぼんやりと考えてはいたが、曇った空といつまでも続く森の緑が流れるうちに、バスの振動も心地良くなり、僕は濡れタオルを眼にあてたまま眠ってしまった。
 
切子硝子の塔 「暗いほど青く深い空の下で」 下
 
 目が覚めてみると、バスが止まっている。座席は重篤な潔癖性で有名な奴がひとり手袋をしたまま座っているのみで、後は運転手もあわせてスッカラカンだ。残っているやつは、以前一度こいつの肩を叩いだけで「わああああ!」と絶叫されて驚いたことがあるので、そいつには構わないで外へ出た。
 空は暗いほど青くなって吸い込まれそう。昨日吐いたのが功を奏したか、気分は素晴らしくクリアだ。狭い国道を挟んで民家や朽ち果てた雑貨屋が並ぶ見事な田舎。多分仙台から花巻に行く途中だろう。
 止まっているバスは一台だけで、強い陽射しを避けるようにして軒下にクラスの連中がだらだらとより固まっている。僕は友人の一人にこの事態を問うた。
 要するにエンジントラブルで、僕らのクラスだけ取り残され、現在代替のバスを用意している最中であるとの事。僕はニヤリとしたね。
               *
 僕はこういった「名前のない」町が大好きだ。目の前に広がった物語を読むのに躊躇する人間はいない。あっというまに僕は路地に飛び込んだ。
 古びた琺瑯のキンチョールの看板、道に描かれた蝋石の記号、壁に埋め込まれた太い木の形そのままの梁、錆びた自転車、木製の電柱、哀れなほど痩せ細った野良犬。
 腐りかけた板塀をこつこつ叩きながら歩いていると、やがて古いコンクリートで出来た工場が真っ暗な闇の口を開いているのを見つけて入った。僕はこういう不思議、あるいは不明なものを知りたがる。だから勝手に入る。
               *
 そこはやっぱり工場のようで、古びた金属製の小さなプールぐらいの大きさの浴槽みたいなものが淡く冷たい冷気を発していた。
「お父ちゃん?」(東北弁だったが忘れた。以下同じ)
 奥の障子紙を開けて、一人の少女が立っている。釣り上げられた若鮎のような健康美に満ちあふれている。出るべき所は出ているし、切れ長の眼をした、かなりの美少女だ。中学三年ってとこかな。
「あれ?お姉ちゃん、どこの人?」考えて見れば当たり前だ。髪の毛は胸まで伸び、前髪をおかっぱにしているから太い眉毛も見えないし、僕は痩せてて身長もそこそこあるので、遠目にはほとんど間違いなく女に見える。
「お兄ちゃんだけどね。バスが故障して変わりのバスを待ってる」
「お兄ちゃんって、え!おとこおおおおお!」
 少女は眼をまんまるにして驚愕のボディランゲージで立ちすくんだ。
「もしかして、東京から来た?」
「うん、そうだけど。東京って言っても吉祥寺」彼女の興味はあからさまに僕の頭のてっぺんからベルボトムの擦り切れた裾まで見つめていた。
 気恥ずかしくなった僕は彼女に言った。
「で、ここは何をするところなのかな?」
               *
 そこは「アイスキャンディー」の製造工場だった。浴槽の中には青いアイスキャンディーがぎっしり詰まっている。正直、あんまり旨くなさそうだ。
「このキャンディー売って貰える?」
「ええ!もちろんです!」彼女は肉付きの良い見事な足をぴょんぴょんさせて、
「いくつ買います?一本20円。」こらまた随分低価格だ。まあ製造元という事もあるけれど、そもそもキャンディーの原価なんてほとんどタダで、冷凍と流通にお金がかかるのだろう。とりあえず10本貰うことにする。袋詰めにしたアイスキャンディーを貰って200円渡すと、彼女は色々と聞きたがった。そりゃそうだろう。東京どころか日本全国でもこれだけ風変わりな高校生はいない。他には自由学園だけだ。
「お兄さん、学生でそんなに髪の毛伸ばしても怒られないの?」僕はちょっと煤けた天井を見上げて考えるふり。
「怒られるよ」
 路地を戻る僕が振り返ると、彼女は僕の背中をずっと見送っていた。
 このアイスキャンディーの色はあの空から貰うのかも知れない。
 暗いほど青く深い空はどこまでも続いていた。
 
切子硝子の塔 「閃光の舞台に立つ耐え難い不安と恍惚」 上
 
 なんだこれは?と思ったね。なにしろ自分の身体が勝手に動き出すんだから。指から背筋、足までがガタガタと震えている。これに似た感じ、覚えている。子供の時にコンセントで悪戯していたときに感じた感電の時と同じ。ガクンガクンと律動するショック。
 かたわらにいた友人の袖野が震える僕の身体を抱え、「けんぴ、やめてもいいんだぞ」と囁きかける。──いや、違う。──「恥ずかしい事じゃないよ」違う、違う、違う、違う!
 僕は血に飢えていた。目の前にいる二千人の心臓をわしづかみにしたい、耐え難い欲求が身体の中を駆けめぐっていた。血が逆流し冷たい汗が滴り落ちる絶え間ない戦慄は生まれて初めて僕に訪れた「武者震い」なのだ。知らなかった。これがそれなのか。「勝てる」という疑うべき事無い確信。ステージの言葉は聞こえないが、僕が呼ばれたのは間違いない。
 僕はギターを片手に立ち上がった。そして白い閃光の中へ一歩を踏み出した。
               *
「なあ、けんぴ、俺にギター教えてくれよ」
 11年生の僕(つまり高校二年生)はモルタルの安普請の薄汚れた階段に座って高橋和己の「邪宗門」を読んでいたが、振り仰いでびっくりした。沓見だったからだ。
 沓見といえば音痴、リズム音痴、音程も1オクターブがせいぜいで、音楽の世界から考えるとヘレン・ケラーに等しい。その男がギターを覚えたいと言うのだから事は深刻だ。
「けんぴ、お前今度のサマーランドのコンサートに出るんだろ?」
「ああ。花沢が勝手に決めてきた。」
「俺も出たいんだよ。詩はいっぱいあるんだ。ほら、ギターも買った」彼が手に持っていたのは新品のガットギターだった。ガットギターというのはクラシックやフラメンコには向いているが、なにしろネックの幅が広いので素人には扱いにくい。
「なあ、お前オリンピックの棒高跳び選手になれる自信ある?」「いや、ない」「ならやめておけ」僕は「邪宗門」に戻った。
 彼は僕の下の階段に回り込みこう言った。
「俺は日本のボブ・ディランになるんだ」彼の目は多少ロンパリだ。
 
切子硝子の塔 「閃光の舞台に立つ耐え難い不安と恍惚」 下
 
 それから三日間、特訓をした。Amを力ずくで押さえさせ、そのままずっと右手で弦をピッキングさせる。少しでも指が一弦に触れたら容赦なく頭を平手打ちした。
「指が痛えよお」「当たり前だ。苦難なくして技術は身に付かない」
 ようやくAmが押さえられるようになったのは二日後だった。
 さてどうするか。ワンコードの曲は「名前のない馬」があるが、構造は実に難解を極める。基本的にAmを覚えたらDmとEが押さえられないとならないが、この調子では一ヶ月はかかる。ではどうするか。そう、Gだ。AmとG、あるいはDmとCというのは結構ある。しかも融通が利く。僕は沓見の指を強引にオープンGに固めた。
 しかし、いくらやっても人差し指と中指が2-3-4弦に触れてしまうのだ。どうやったら弦に触れないですむか。ちょいと閃いた。ようは弦の上に指が無ければいい。
 僕は彼に一弦を人差し指で、六弦を親指で押さえさせた。五弦は無視。二つのコードを交互に弾けるようになったのは初めて三日後だった。
               *
 ステージは幅30mぐらいだったろうか。とにかく大きい。その当時としては珍しくちゃんとしたPAが揃っていた。ステージの後には大きくPANASONICとあり、ステージの前面は広大な芝生があり、そこにびっしり観客が座っている。
 司会は落合恵子。出演者は南こうせつとかぐや姫、シモンズなどなど。予定ではアーチストとアーチストの間に「パナソニック・フォークコンテスト」が行われ、出演したミュージシャンが優勝二名を決めるという内容だったのだが、ここでわが明星学園フォーク村の実質的なリーダーはこれをよしとせず、「うちの高校は格が違うからへたくそな高校生と一緒にしないでもらいたい」と強硬に言い張り、結果、僕たちは南こうせつとかぐや姫を「前座」にしてしまった。
 後に日本放送から出演依頼が来たときもこいつは「来て欲しいならそっちから来るのが筋だ」と言い張り、日本放送の担当を学校に呼びつけたりするのだが、それはまた別の話。
               *
 確かに他の高校生は凡庸だった。演奏はとても上手だけど、訴える「何か」が影も形もない。特に日比谷高校の学生が歌ったサイモンとガーファンクルなんて最低だった。楽譜通りの正確な演奏、正確な発声。僕にはガラクタにしか聞こえなかった。レンタルのスーツみたいな白々しい空虚、あるいはよくできたマリオネット。
 かぐや姫のあと、ちょうど日暮れになり宵闇が訪れる。最高のタイミング。八王子の田舎だから、空気は森の清々しい芳香に満ちている。沓見が「もういやだ」という曲をがなりたてていた。三拍子だったり、五拍子だったりするけれど、とにかく一曲出来たのだから拍手。
 ステージの上に立つと強力なスポットライトで客は見えない。ただ空気が熱くてそれを感じる。落合恵子が「わあ、凄いギターですねえ」と近寄ってきて、そのお面のような厚化粧を覚えているが、もうそこらへんから僕の記憶は途切れている。
 曲は「聖怨夜曲」。あがた森魚のカバーだけど、そんなことを知っている人はここにはいない。僕は歌い、叫び、かき鳴らした。最後の限界まで引っ張った声の途中で脇腹が激痛を発したことだけは覚えている。その時、会場には僕の声だけが響いていた。二千人の心臓をわしづかみにした達成感に僕は満たされたんだ。
 一緒に来たフォーク村の娘の話では、僕は胸まである長髪を振り乱しながら狂ったように歌い、震えるように叫び、最後は両膝をついたという。「グランドファンクみたいだったよ」そりゃどうも。
 そのままステージで審査が行われ、シモンズの二人が笑いながら僕を指さしている。二人の目は熱狂的な独特の光に輝いていた。
               *
 と言うわけで僕は優勝し、当時はまだまだ高価だったラジオカセットを商品に貰った。帰りの満員バスの中で、後輩がフォーク村に寄付しろと言っていたが、誰が渡すものか。これはラジカセでもあるがトロフィーでもあるからだ。

 しかし、なにより驚いたのはもう一人の優勝を沓見が手にしたことだ。
切子硝子の塔 「蓄音機の再生」
 
 この切子硝子の塔で観測発表して来たキメラの破片には、色気のある物語はあまりなかった。別に避けていた訳でもなく、たまたま観測しなかっただけ。ただ、金の糸を紡ぐような脆い作業がそれほど面白いとは思わなかったから。退屈な観測は時間の浪費でもあるしね。
 だから、それを「K」という少年の形をした蓄音機にして再生してみよう。恋や愛を語るには分析や観測という単純にして明快な方法では無粋な結果になりかねない。それは観測者の技量の問題ではなく、もっと繊細でノーブルな、異なる次元の扱いになるからだ。
               *
 蓄音機の再生は一曲というよりは楽章の一部と表現した方が手っ取り早い。もっと端的に表現するならば詩編の数ページと半分の所に栞が挟まって中断していると考えてくれ。針が飛んで先に滑り、あるいはぎこちない雑音にまみれて再生が繰り返される。なんとも他に表現する方法を持たないのはとても不幸なことだが、危うい精神の少年を蓄音機というフィルタで漉し取ることでそこそこのワインが出来上がる。
 味や香りは神様にまかせるしかない。どんなに伝統や技術のあるワイナリーでもそう言ったことは運まかせなのが現実というものだ。さて?どんな出来損ないのお酢になっても文句は言わないでほしいな。
               *
「K」が目覚めたとき、教室の隣の席には黒人とのハーフの女の子が座っていた。縮れた髪の毛を短く切り、似合わない水玉模様のワンピースを着たタカラベさんというその少女と「K」なぜか仲が良かったようだ。小学校一年生の彼はなにかと調子はずれで誰とも話すこともなく、いつも鼻水をスケッチブックになすりつけ、学校と住む団地の途中にある公園のベンチに座って鳥のようなものや猫のようなものを黒いクレパスで細かくスケッチブックに書き付けていた。同級生が雑草を結んだ罠に面白いようにかかり、いつも膝には生傷が絶えなかった。
 タカラベさんに「K」が恋していたとは思えない。
 ただ、一緒に居るとなんだか安心して喋ることが出来た。母親以外には味わったことのない安堵感に包まれていたようだ。タカラベさんはそんな風に、生まれつき母親になる才能を持っていたのか、それはわからない。陽だまりの暖かい教室の中で「K」は喋り、タカラベさんはいつも相槌を打ちながらそれを聞いてやっていた。軋む木製の工作のような堅い椅子に座った二人はつかの間の幸せを共有していた。
               *
「K」は多くの小学校一年生と同じように漫画が大好きだった。いつもランドセルに「少年サンデー」とか「少年マガジン」とか隠し持っていた。
 ある日教室の机の上に「K」の忘れていった少年サンデーが置いてあり、その表紙には「タカラベ」「タカラベ」と、無数にカタカナが書き付けられていた。「K」がそれに気がつくのと同時に、少年たちがどっと笑い、「タカラベー!」「タカラベー」と囃し立てた。残念なことに「K」はなんで少年たちが騒ぐのかちっとも理解できなかった。
 ただいつものように黙って鼻水をすすり、ぼんやりと黒板を見上げていただけだ。ただ、その日からは「K」がいつもクラスメイトにつけられていた「おとこおんな」という言葉が消滅したのを知った。
               *
 そう、「K」はやたらと眼がでっかくて、ほとんど顔の半分をその面積を占めていたと言ってもいい。そのくせ口は小さくて薄いピンク色の花びらのようだった。クラスでも二番目か三番目ぐらいに背が低かったし、ほとんど丸刈りか坊ちゃん頭だった少年たちの中で一番髪の毛が長かった。「K」は床屋が大嫌いだったから、ということもあったけど、芸術好きの母親の趣味でもあったようだ。「K」の母親はなんでもかんでも新しい物や珍しいことに夢中になる女で、「K」をオモチャにしていた節がある。
               *
 コークスの燃える粘鉄のストーブに灯が灯る頃、授業が始まる前にたかはし先生が教壇に手をついて話し始めた。
「タカラベさんはおうちの都合で、昨日転校しました。みんなには、ありがとう、と言っていました」
「K」は隣にいるはずのタカラベさんの席が綺麗に片付けられ、しんと静まりかえっているのをぼんやりと見つめていた。理科の時間も、算数の時間も、国語の時間も、何もしないでずっとあおくつめたい机を見つめていた。
               *
 次の日の朝、「K」は家にも学校にも公園にも、どこにもいなかった。
 
切子硝子の塔 「Kの崩壊」 上
 
「K」は失踪した翌日のゆうが
 「K」は失踪した翌日のゆうが
  「K」は失踪した翌日のゆうが
    「K」は失踪した翌日のゆうが
     「K」は失踪した翌日のゆうが
夕方、20キロも離れた隣町の小さな公園で保護された。
 母親が駆けつけたとき、「K」は四人乗りのブランコの向かいに座った巡査と揺られていて、なんとか機嫌を取ろうとしている巡査の声に黙って頷いている。肩にかけられた巡査の皮製のジャンバーが肩に重く、「K」は泣きべそをかいていた。母親は何度も何度も巡査にお礼を言って、「K」を家に連れて帰った。木枯らしの中を流れてゆくハイヤーの窓からの風景は冷たくて、迫ってくる宵闇は枯れた並木道に群青色の帳を下ろしていた。
 家では父親の鉄拳が向けられた銃口のように待っているのを「K」は知ら
 家では父親の鉄拳が向けられた銃口のように待っているのを「K」は知
 家では父親の鉄拳が向けられた銃口のように待っているのを「K」は

               *
 さて、蓄音機を修理する間、この切子硝子の塔から今後の放送予定、あるいは寸評、さもなくば解読を試みよう。幸いこの切子硝子の塔を建設したブーチン・サトシコフ氏が休暇で帰っている。普段は奇怪な数学を象形文字で記載するのを生業としているが、古物にも詳しい。アキバノヤルスクの街の隅々まで知っているからね。
 音源のライナーノーツが古くなって虫が喰い、解読は難しいが、「K」の父親は完全に偏執病であったことは確かだ。「K」が生まれたときの出産費用、粉ミルク、買い入れた衣料の明細、教材の実費、運動靴や体育着から給食費、食費に占める割合から算出した養育費、果ては「K」のために使った時間を時給計算し、感情を害された事件を訴訟の対象として金額に換算している。
 それを正確な活字のような5ミリ角の文字でノートを埋め尽くし、段ボール箱に整理していた事が明確に判断できる材料にはいとまがない。不思議なのは「K」の毎日の靴磨きや玄関の掃除、夜中でも買いに行かせる煙草とかお茶くみに関する記述は微塵も見つからない。実際には快感を覚えていた暴力も「教育指導」という名目でこれも借金として計上していたようだ。
 実際に「K」の父親はいかなる時でもその時点での「K」が持つ原罪のようにお前には今日まで七十二万五千六百十一円の金がかかっていると正確に告知し、大きくなったら必ずそれを返さなくてはならないと言われ続けていた事は簡単に推測できる。
 驚嘆に値するが、先進的にも父親はその後の高度成長経済期と共に変動相場制を導入しており、事あるごとに将来の借金返済義務を言い渡している。すなわち、「K」の負債は膨れあがる一方であり、物心着いた頃にはすでに破産した状態であり、逃れることの出来ない蟻地獄の中に沈んでいた。
 そのため自然に「K」はお金というものが不幸しかもたらされないこととして極めて幼少の時代から心に刻み込まれ、消費というものを怖ろしく恐れ、一家で外食しなくてはならないときには脅迫的な恐怖でメニューを極めて高速に解析し、最も安価なものを選ぶ程に追いつめられていた。むろん、スケッチブックを買うお金なんかも「消費」の範疇だ。無理無理。
 
切子硝子の塔 「Kの崩壊」 下
 
 また、小学校一年の記念すべき家出から始まって、何度も家出を繰り返しているが、保護されるたびに父親から今お前が家出するというのなら今すぐ百三十七万五千七百五十五円を払えと言い渡された上に柔道三段の技で締め倒され、その教育指導料金がさらに上乗せされてゆくんだからたまらない。
 また、肝心の母親だが、これは詳細は省くが大変な状態にあり、逮捕されたり釈放されたりを繰り返していたため、家には母親の血のつながっていない「K」にとっての祖母と乳児である妹しかおらず、もちろん祖母は孫のために口出しできるような器量は持ち合わせていなかった。相談できる友人もなく、母親の状態に対する父親の憎悪が仮想的な母親の影である──彼は母親似だったしね。この古い写真からでもかなりの美人だ──「K」に向けられることにもなり、状況はさらに悪化する。
 本人が消費を嫌っても、残念なことに物体というものはどうしても「消費」する。擦り切れた運動具や紛失した算盤や穴の開いた靴を申告することも出来ず、また当時──昭和三十年代──貧乏人は犬同様に扱われていた社会であったため、貧乏人、あるいはそれに類するものと判断されたのも不幸につながった。同級生から豚のように蔑まれた。男子からは暴力、女子からは自分より不幸な者を軽蔑する愉しみ──蜜の味ってやつだな。結果、教科書を隠され、ノートは破り捨てられ、辞書なんて焼却炉の中で炎といい仲になった。授業で立ち往生する「K」にはさらに「劣等生」のラベルが発行されることになる。
 現代では想像も出来ないことだが、教師自らがあからさまに「K」を差別し、あろうことかそれを楽しんだ。駄目押しに朝礼で全校生徒に「K」君とは遊ばないようにと宣言した。これによって「K」は占領下の朝鮮よりも酷い絶望的な状態に転落することになる。ある意味、アウシュビッツのホロコーストより怖ろしい。ユダヤ人たちにはまだ「恐怖」って助け船があったけど、「K」にはそれさえ許されてなかったんだ。憐れだね。
               *
 家に帰る苦痛、学校に行く苦痛、失踪も不可能になった苦痛、お金という苦痛、教師に嘘を申告する苦痛、友人の居ない苦痛、知的興味の対象であったスケッチブックや漫画の「購入」という恐怖による苦痛、頼るべき母親を失った苦痛、体力もなくいいわけも出来ない、そもそもは率直な──愚鈍と言っていいぐらい馬鹿正直な「K」の選択は実に簡単な結果を招くことになった。「K」は「言葉」と言葉に類するもの、つまり「表情」とか「動作」、耳から聞こえる「反応」をほぼ同時に失うことになる。これがどういうことかと言うと、そう、歩くこともままならない。
               *
 さて、蓄音機の方はどうもさすがのサトシコフ氏もお手上げのようだ。代わりになる再生機をアキバノヤルスクで見つけてきて貰おう。いや、たいして時間がかかるものでもないから、少し休ませて貰う。といっても、木曜か金曜の夜には運が良ければ再生できるかも知れない。
 アッシュビイのローズティーがあるが、この時間だ。ワインというのは食前の嗜みというものだし、シェリー酒というほどの猥褻な気分でもない。おっと失礼。女性が多かったな。では、ギリシャのブランデーでメタクサ、というんだが、こんな夜には向いてるね。
 サトシコフ、ごくろうさん。君ももう若くしてなら結婚だって出来る年になったんだ。一杯つきあわないか?駄目かい。子供の時に日本酒をがぶ飲みして布団の中で吐いたのがまだ忘れられないのかね。ああ、ブランデーグラスをもうひとつ。
 で、君の感想を聞きたいんだが、いいかね?
 
切子硝子の塔 「Kの覚醒2」 上
 
 お日様がふたつある。左側の方が小さいけど、ふたつある。だからこんなに明るいのかな。でも、明るければ明るいほど影が暗くなるのはなんでなんだろう?黒いクレパスで塗りつぶしたみたいに。なぜだろう。
               *
 「K」が団地の中にある公園に座って蟻の軍隊が行進して行くのを見つめていると、足下の煉瓦道にひとつの青い影が落ちた。言葉を失っている「K」は焦燥感に襲われ、眼をきつくつむった。そして、ゆっくりと大きな人影の暖かくて大きな掌が「K」の頭を撫で、慈しむように「K」の顔を柔らかく包み、顔を上に向かせた。「K」は空虚な瞳のまま、じっとその人の瞳を覗き込んだ。
 丸顔で、髪を半ば失ったその小柄な初老の紳士は、「K」が見たこともない上等の背広を着て、優しい声で何度も何度も「K」に暖かい言葉を囁きかけた。やがて「K」の状態がなんであるのかを知ると、怖ろしい顔をした。教科書で見た仏像みたいな顔だな、と「K」は思った。
 「K」の「足長おじさん」は、こうやって現れた。
               *
 「K」を乗せたタクシーが街角を曲がるまで、「K」の父親は頭を深く垂れ、最敬礼したまま見えなくなった。タクシーはそう遠くない隣の町へと道を疾走してゆく。
 そこは、変わった匂いに満ちているコンクリートの部屋だった。
 高い天井と、北向きの窓。そして山のように折り重なった茶色のイーゼル。床にはところどころ色々な絵の具が固まっている。そして、台の上には神々しいほど白い石膏像が様々なポーズで何体も置いてあった。「足長おじさん」は中年の髭を生やした男としばし問答を続け、「K」を指さした。その「髭」はため息まじりに「K」の座る椅子の前にイーゼルを立てかけ、四角い大きなボール紙で出来た板にざらざらした紙をクリップで留めた。
 「髭」は子供にもわかりやすく、この紙が「木炭紙」であることを教え、どうすればいいのか丁寧に教えてくれた。「K」は、自分が何をするのか、ここでやっと理解した。本当に絵なんて描いていいの?
 
切子硝子の塔 「Kの覚醒2」 下
 
 さて、「レコード・プレイヤー」はいたって快調のようだ。高音質は望めないが、なに、聞こえるだけで良しとしよう。でも鳴るのはラブ・ソングなはずなのに、出てくる音はチャイコフスキーの「悲愴」もしくはロドリーゴのアランフェス協奏曲第二楽章だ。これはちょっと困ったね。多分指輪物語の約束 ──ホビットの話──読まなければ先に進めない。そんなところかな?まあ、時間はあるのだから慌てることもない。
 この「再生」というかたちでの観測はやってみると非常に興味深い効果が認められる。それは「視覚の変異」だ。知っての通り、パブロ・ピカソが一時期凝っていた「立体派」のアプローチに似ていると言えばわかりやすいかな?二次平原で立体の説明は出来る。しかし、それも本当の立体ではないし、本当の立体も人でも獣でもありゃしない。楽譜は非常に良くできたプログラムだけど、あくまでおおまかな道筋を示す物で、その記号を読んだ人がどう考えるかで演奏自体は自由に行われる。舟から見下ろしたオオウミガメの姿と海底の岩陰から望むオオウミガメとはおのずと違って見えるものだ。
 「足長おじさん」というのはG先生の事だ。闇に葬られた歴史を生きた人で、いま彼を知る者は非常に少ない。まあ、それはまたの機会に委ねよう。きりがないからね。
 「K」は普通に生きようとした結果、さんざんな──いままでも、それからも──悪夢が待っているようだが、G先生は賢明にも「普通じゃない生き方」の方が「K」には向いていると判断したようだ。G先生は「K」をいろいろな所に連れて行く事になる。彼に世界を見せようとした。彼はある理由で子供がいなかったから、ことのほか「K」を可愛がった。良くできた話だけど、実際によくある話だ。ちょっと風変わりであるにしても。
               *
 手っ取り早くラブ・ソングが始まるように、「K」が過ごした小学校時代をざっとではあるが要約してみよう。このアルバムのライナーノーツはもう分厚くって頭が痛くなる。
 「K」は小学三年生で転校する。その新興住宅地の人口が急速に膨れあがった結果の新設校だ。クラスはわずかにふたつ──小規模の学校にあるように、教師もいたって少ない。その結果、「K」は三年から六年までの四年間をひとりの担任で過ごすことになるが、これがまた「K」の傷口に塩をすり込むような、とんでもない教師だった。とにかくその教師は「K」を憎んでいた。四年間で一回も「K」を指した事はなかった。例外を除いて。
 例外とは「授業参観」だ。授業参観の時には「知能の遅れた餓鬼」として演出しようとたくらみ、習った事もない難しい朗読などを「K」にさせた。残念ながら「K」はすらすらと読んでしまう。それが気に入らない。だから、「お前、文字が読めたんだ。知らなかったなあ」などと、参観した父兄に強く「K」がいかに馬鹿で、クラスのみんなに迷惑をかけているようなアピールをした。「K」の両親が共働きで参観できないのをいいことに、言いたい放題「K」を罵倒した。
 その教師が「K」を特に嫌ったのは、知能テストの結果にも原因があったようだ。そう、「K」のIQは常識はずれに極めて高く、国から役人がやってきたくらいで、「落ちこぼれの劣等生」にしたくて堪らなかった彼のプライドを著しく傷つけた。
 加えて、美術教師がやはり激しく「K」を憎んでいた。「K」が隠していた賞状の一枚が手違いで学校に送り届けられてしまったのだ。それはよりにもよって「二科展」一般公募の入賞賞状だったのだから、「K」はどこまでも運が悪い。「K」にとって学校は文字通り地獄と化した。ちなみに美術教師が「K」に与えていた評価は5段階評価で「2」であった。笑い事じゃないけど、どうしても笑っちゃうね。
 皮肉なことに、学校が嫌な分だけデッサンと油絵に夢中になり、小学校四年生から入ったカブ・スカウト(ボーイスカウトの年少版)で初めて本当の「友人」というものが生まれることになる。一生の友人──実際にそうなったけど──に恵まれる。徐々にではあるが、「K」の牢獄に陽が当たり始めた。同時に、勉強をしない分だけ本を読みあさっていた。彼の住む街は日本最高の図書館設備があったのだ。
               *
 ふう。とにかくこれでラブ・ソングが鳴り出すようになった。お疲れさん。
 長くて退屈な解説はこれでおしまい。あと少しの「再生」のあと、今度は自分から話し出すだろう。脆くて危険な青春の始まり。まあ、これほど歪んだ少年時代を過ごした「K」の恋愛感情とはどんな風に始まるのだろう?
 
切子硝子の塔 「Kの狂気と再生」 上
 
 小学生の3年生ぐらいから、奇妙な欲望が「K」の心の中に育っていた。
 それは「不当に卑下される」「差別され、阻害される」「理由のない暴力に晒される」事への甘い快感だ。クラスメイトの作った夏休みの工作を壊してしまった少年たちが、たまたまそばに立っていただけの「K」に罪をなすりつけ、複数のクラスメイトに殴られたり頭をバケツの中に突っ込まれたりする事に、一切の言い訳をしないでなされるままに傷つけられる事に、甘美な陶酔感を持つようになった。淫らで限りなく幸福な快楽。「K」はそんな時、人知れず陰茎を勃起させていた。
 「取り残される恐怖」や「忘れられた約束」も、「K」の心を柔らかく満たしていった。また訪れた痛みに酔うように。
 「壊されること」への異常な快感は、長い時間をかけて描いた油絵を父親に破られたりした時には、一種のエクスタシーにまで登りつめる事になる。毎日欠かすことなく食事中に飛んでくる裏拳に鼻血を流しながら、「傷ついて駄目になって行く自分」を「K」は心から楽しんでいた。「食事」という儀式はただ、殴られるためだけのものだった。トイレに行って、鼻血と嘔吐を繰り返すだけ。胃が絞られるきゅっとした快感に鳥肌が立って、「K」はどろどろに溶けていった。素晴らしい恍惚と光に包まれたまま、「K」は思いっきり壁のタイルに頭をぶつけ続けた。
 やがてその欲望が満たされないときには自傷を始めた。建物の狭い隙間の中で、自分の布団の中で、誰もいない原地の草陰に隠れて、いつでも身体のどこかにかさぶたや軽い火傷を欠かすことがなかった。読む本もフランダースの犬みたいに主人公が死んでしまうような物を選んだ。精一杯生きて、その代償を得られなかった物語を。
 
切子硝子の塔 「Kの狂気と再生」 下
 
 壊れちゃえ。手も足もばらばらになって道路に散らばっちゃえ。影みたいに薄くなってつぶれちゃえ。腐った肉を犬に食べられちゃえ。一番大事な指も潰れちゃえばいい。目がぼんやりした光しか見えなくなってしまえばいい、心を動かす美しい音楽なんて聴く耳なんていらない。いなくなるんだ。消えて空から死んだ、ばらばらに散らばった僕が見たい。なんてかわいそうな肉と骨、生きられなかった僕が腐って、蛆虫に食われて、誰にも覚えられることなくだれもかれもが僕を早く忘れてしまえばいい。誰かが気がついて泣いてくれるかな。僕のかけらを拾ってくれるのかな。校庭の砂粒みたいになにもかもめちゃくちゃになって、誰も彼もが僕を覚えていなくなるのかな。ぼくは、ぼくは、ぼくはだあれにもなれないし、ぼくであることもなくなるんだ錆びたナイフがぎりぎり皮を裂いてゆく人じゃないのに赤い血が赤い血が赤い血が止まらないからぼくのおちんちんから出る白くてねばねばしたのも僕がぜんぶのんで、おしりの穴に頭を突っ込んでそして出てきた口の中からまたおしりのなかにはいって裏返しになって紅かったり黒かったりしたものをいっぱいいっぱい散らばせて、ひからびてくだらない塵になって風でばらばらになりたい。
 誰か僕を殴ってよ。誰か僕を踏みつけてよ。誰か僕を知らない街に置き去りにしてよ。誰か僕を酷い目に遭わせてよ。誰か僕をめちゃくちゃにしてよ。つばを吐きかけて、動物みたいに小屋の中に閉じこめてみんなの見せ物にして、笑ってよ。笑ってよ笑ってよ。かわいそうだって、憐れんでキャベツの屑を喉に押し込んで窒息して死んでしまうまで人形みたいに人形みたいに壊れたあわれな人形みたいにしてよ。なんで涙が流れるんだろう。涙なんて、そんなの贅沢じゃないか。僕は僕はもうなにも感じたくなることで、自由になりたいんだ。でも、自由ってどんなんだろう?何も持たないこと。自分も持っていないこと。自分も事も知らないこと。なにもないこと。
               *
 ある日「K」は美しい並木道の突き当たりにある教会にいた。身につけたことのない紺色の制服。首に巻いた緑と黄色のシルクで出来たネッカチーフの後ろには十字架が描かれていた。
 同じく紺色の半ズボンに、カーキ色のストッキング。冷たくて気持ちの良い木の床を踏んで、「K」は一番前の宣誓台の上に両足を揃えていた。
 美しい百合の花をデザインした旗がクロスの緑色の旗と交差している。
 荘厳なオルガンの音。「K」は二本の指を立てて祭壇に敬礼をした。
 輝くステンドグラスの光が床にくっきりと映っている。機械的に動く自分の身体が不思議だった。そして、自分より先に宣誓を済ませた美しい少年を横目でとらえていた。
 その気持ちが「K」にはわからなかった。心臓がどきどきして、経験したことのない胸の苦しさをかろうじて覚えている。
 「K」よりも白い肌を持ち、切れ長の素晴らしい瞳。見たこともない強固な意志を秘めたその表情。まるで夢のような美しい少年は「K」の破滅的に崩壊した意識を包み込むような強いなにかを持っている。「K」は生まれて初めて、心が震える事を知った。自然に涙が流れた。
 これはなんなんだろう?という疑問さえ浮かばなかった。ただただ、その神の光を放つ少年に目が釘付けになった。奇跡のような少年に。
 彼は僕のまなざしに気がついて、かすかに微笑んだ。ああ、その美しさと寛容をなんて言葉にしたらいいんだろう?彼は僕より二ヶ月ほど先に生まれた少年だった。
               *
 「K」の初恋はまさしく具現化した。ただ、男の子同士だっただけ。
 でも、それのどこがいけないんだろう?

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