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新日本の価値観コミュの歴史とその意味

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ザクセンハウゼンにガス室など存在しない
R(ルドルフ):ザクセンハウゼンは首都ベルリンの郊外北にあります。建物の土台が発掘されており、その一つがガス室として使われたとされています。ザクセンハウゼン強制収容所の衛生保健施設の残滓に付けられている記念プレートには、「ガス室と頸部射撃施設」とあります。


L(聴衆):それでは、ガス室があるとされている建物を解体したのは誰なのですか?
R:ザクセンハウゼンでは、東ドイツの共産主義者のフォルクス・ポリツァイ(人民警察)が1952年にこの建物を解体しました[1]。

L:言い換えると、彼らは、ナチスのとてつもない邪悪さと自分たちの主張の正しさを立証することができる唯一の証拠を破壊してしまったのですね?
R:そのとおりです。

L:むしろ、彼らは自分たちの悪意の証拠を破壊してしまったのではないでしょうか。
R:そこで何が破壊されたとしても、それは証拠なのです。証拠が消え去り、何も証明できなくなってしまったのです。ドイツの歴史学会の重鎮ヴェルナー・マーザー教授博士は、それ例外の理由からも、ザクセンハウゼンにガス室が実在した証拠はきわめて疑わしいと指摘しています。彼は、1947年のソ連軍事法廷の裁判記録を引用していますが、それを見ると、被告たちは、熱狂的かつ誇りを持って囚人の大量殺戮に取り組んでいたことを法廷の前で自白するように、裁判以前にあらかじめ訓練を受けていたことがわかります[2]。被告たちのこのような振る舞いは、彼らが事前に洗脳されていたことを示唆しています。

「歴史学修正主義研究会ホームページより
        ルドルフ氏のホロコースト講義試訳抜粋」

  本日目が覚めたら珍しく雲行きが怪しく外が淀んでいた
 ために僕はザクセンハウゼン強制収容所へ訪れることを
 決めた。かの有名なるアウシュビッツと同様に第二次
 大戦中、ナチス政権のもとで多数のユダヤ人
 政治犯とされた民間人などが監禁、強制労働、そして
 虐殺を強いられた収容所である。その様な場所を
 訪れるのに、燃え盛る夏の炎天下は向かず、まして
 過酷な冬場では厳し過ぎると僕は判断し、ちょうど曇り
 がかった今日の日を選ぶこととなった。

  収容所の様子、詳細について書くことは割愛する。
 実際、多数の人から収容所のことについて
 を聞いていたからさほどに
 驚くことはなかったし、人体実験室や処刑場に直面してみれば
 さすがに肝を冷やされる思いをしたが、家に帰り
 インターネット上にて上記の文章を読んだ際の方が
 その収容所の意味に関してインパクトは強いものになった
 からだ。

  ソ連軍の報告によれば、ザクセンハウゼン収容所にて
 およそ八十万人が殺されたと記されているらしい。
 しかしルドルフ氏は、それは虚言だと論文で反論している。
 確かに八十万人という数字に裏付けの根拠があるわけでは
 なさそうだ。だが、ここで重要なのは数字の正確さでは
 ないと僕は感じるし、それはルドルフ氏も承知のことだろう。

  歴史の曖昧さは、人間というものの不完全さ、曖昧さを
 もろに露呈しているからおもしろいと僕は思う。
 以前、大学時代に学園祭でこんなことがあった。
 僕のゼミの同期が、ある展示会にて南京大虐殺を
 テーマとして取り上げていたので、僕はそこを訪れ
 彼女の話を親身に聞いた。彼女は日本で歪んで伝えられ
 続けたその事件の詳細を暴きたく、南京大虐殺にて
 殺された人数の正確数を大々的に提示し、日本軍の犯した
 罪を糾弾しようとする意図でそれをしていた。
  
  僕は途中までは頷きながら彼女の話を聞いていたが
 途中でなにやらわだかまりのようなものを感じ始め
 最終的には議論となってしまった。僕が納得いかなかった 
 のは、彼女の主張する南京大虐殺の事実というものに
 頑に固執する姿勢であった。当時の僕にはそのメリットたるが
 まったく見えず、未来につながる建設的なる意図も
 曖昧に感じられたのだ。要するに左翼派の主張としては
 日本の戦争責任が十分に賠償されていないと
 言いたいのだろうが、殺害されたのは五十万人ではなく
 実際は八十万人であると主張したところで、それは
 歴史的な見地で大した差異があるとは僕には思えないのだ。
 いや、これは決して日本の戦争責任追及をするべきで
 ないと言っているわけではない。証拠の残っている範囲
 において、糾弾されるべき余地は戦後六十年たっても
 残されているはずである。

  ただ、歴史の教科書において、数などの差異はほとんど無視 
 して構わないものだと僕は思う。織田信長が桶狭間の合戦にて
 今川軍を破ったのは、軍三千をもってだったのか
 それとも実際は千騎を要してのことだったのか、
 はたまた五千だったのか、重要なのはそのいかに
 少数であるかではなく、当時無名であった尾張織田家が
 駿府の大名今川家を破ったという事実そのものであろう。
 数が残すはインパクトのみであり、それは必ずしも
 事実とは言えないのではなかろうか。
  
  現在、世界の歴史たるはメディアが中心となって
 構築されている。メディアの重視は事実よりもインパクトで
 あることは自明の理であり、そうなると今後の歴史は
 数先攻で進み、それに事実が付随していくという 
 逆転現象で進んで行くのかもしれない。

  9.11のテロで五千人余りの人が亡くなったことは
 皆が承知だが、イラク戦争開戦後、どれほどの人命が
 失われているのか誰も詳しくは知らない。
 二十一世紀の歴史の教科書は、メディアが創るといっても
 過言ではないだろう。
 さて、皆さんは歴史というものをどう思うだろうか?
 

コメント(2)

>歴史の教科書において、数などの差異はほとんど無視して構わないものだと僕は思う。

その歴史的事実について何を伝えるかによって重要性はでてくるのではないかな。 南京大虐殺やホロコーストという歴史的大惨事があり、そういった事が今後無い様に建設的な議論をするという面において数は確かに重要では無いだろう。ただ、南京大虐殺やホロコースト等歴史的にみて比較的新しくましてや遺族や関係者が現在まで何らかの影響を受けているという側面では、当事国(者)同士の主張で被害者数が合わないというのはあながち無視できないだろう。 特に加害者(国)が賠償責任を軽減するために被害者数を少なく見積もっていると考えられる余地がほんの少しでもあれば被害者(国)の立場からみるとそれは非常に腹立たしいとおもう。 又南京事件については日本と中国間で被害者数の見解に違いがあり、それについて論争が未だに行われているという事自体が「歴史的事件」として近代史の教科書にでも掲載されるべきではないだろうか。 

つまり僕が言いたいのは、歴史はあらゆる側面をもっており、一方の側面においては数は余り重要ではないかもしれないが、別の側面においては数こそが重要性を持つという事。 勿論あーこれさんの言うように数はインパクトを残すがゆえに物事の本質を歪曲して伝えてしまう事もあるだろう。 それにメディアは常にインパクトのある話題に固執する為インパクトの無い話題は報道されない(しない)。 メディアが今後歴史の教科書に残る「歴史」を話題性のみで選ぶ事の無いように期待したいと僕は思いマス。

っていうかさ、せめてあーこれさんだけでもおれの「はじめまして」のスレにコメント残してくれ。 投げっぱなしみたいで非常に恥ずかしいw
 
 事件の当事者にとってそれら政府や他機関の隠蔽工作は
許されないものだろう。よって当事者がその数やら詳細に
ついて追求する点についてはその正当性、意味たるを十分に
理解できる。僕が懸念することとしては、第三者的な国民が
どのような教育を受け、歴史を認識していくかってことかな。
 日本という国は、現在なにやら自己主張やら自己責任意識に
というものに乏しいという実態があるから、歴史なんていうとそれは後世の歴史家が勝手に書き留めて成すものだと信じているのかもしれないが、歴史とは数十年後、及び数百年後我々自身が成した行いによって成されるものだ。現在のままメディアに任せっきりでは情けないと思うね。他人事という言葉があるが、他人事とはつまり自分の鏡だという意識が根付いて欲しい。
 おっと、はじめましてのスレはスルーするのがおもしろそう
だったから、僕はほっておくよ(笑 どなたか書き込んで欲しいもんだね。

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