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南京大虐殺論コミュのなぜ南京大虐殺は捏造されたのか?

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南京大虐殺記念館、信憑性乏しい写真3枚を撤去
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081217/acd0812172107008-n1.htm
ザ・レイプ・オブ・南京にも出ていた南京大虐殺の象徴とも言える写真が信憑性が乏しいので撤去ですと

初めて南京大虐殺が表に出たのは1937年11月頃、宣伝工作員のベイツが、日本軍による市民殺害の嘘レポートをダーディン等の新聞記者たちに渡した

1945年〜1948年、東京裁判で反論の余地なく一方的に裁かれる
動画でも言ってるように何故、証拠もないのに東京裁判で裁かれたのかは、アメリカは東京大空襲や原爆などで大虐殺を行いましたが、敗戦国の日本を絶対の悪にしなくてはいけなかったため、東京大空襲+原爆の死傷者と同等かそれ以上の虐殺を日本が行ったことにしなければいけなかったからです

※ちなみにアメリカが東京大空襲を行った本当の理由は日本の未来の希望である女と子供を殺すためです
空襲を行ったアメリカ兵が2人も証言をしております

そして次に表に出てきたのがなんと戦後から25年以上経った1971年に反日新聞の朝日に登場
あれだけの大虐殺なのに戦後、ほとんど話題に上がらないのはおかしいですよね

学者は証拠写真として出ているものを鑑定すれば、全て偽造だと見抜けると言っています

もう今更議論するまでもなく嘘であることは間違いないんですが、東京裁判はアメリカが行ったため今まで逆らうことができなかったんでしょう
しかし、すでに戦後60年も経っているんで、戦争で戦った旧日本兵がより多く生きているうちに日本の名誉を回復したいですね

コメント(122)

>>81

「全くの虚偽であると認めることはできない」は
百人斬りが「あった」ではないですよ。

あったか、なかったか、昔過ぎてわかんねーよ、
ってことですね。

常識無いんですね。
>80
小野さんが調査してた物件をまとめたツクモ派の番組でしたっけ?

観たことありますけど、「その手帳から大虐殺を想像してみた」って感じにまとまってるだけで、どうしてもソレがあったという方向に辿り着く事ができませんでした。
戦争を嫌悪する気持ちは十分理解できますが、いつまでも済んだ話をネタとした“ゆすり”“たかり”を許すわけにはいかないと思うのです。

日中共同声明
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html

論争の継続は、出版業界の利益維持のために意図的に演出されているものなんだと思いますよ。
> リング屋@FreeJapanさん

兵士たちすら物資の不足食糧難で困っているのに捕虜を生かしておく余裕は当時の日本軍にはないでしょう。したらまずは捕虜をなんとかしなければならないただ捕虜を生かして解放する行為は反逆行為にあたり自分が捕虜の立場になる

でも捕虜の分の食糧や物資はないそして生かすこともできない捕虜と兵士たちの人数を減らし食糧と物資の数に合わせて現状を乗り越えたい

捕虜は戦いでは足手まといになるまた、捕虜を幽閉しておく場所もないそして何日間にわけて少しずつ虐殺を繰り返し人数を減らした。



日本側は虐殺の事実を伏せておきたいが中国側それにたいして怒りがあった

だから虐殺はあった、虐殺はまったくないという両極端な論争がはじまり、今は日本兵の戦中日記などの資料が発見されてきて中間派の研究者が新たな南京大虐殺の説を唱えたからさらに論争が激化したと思います。


それに私みたい争い事を知らない者が語れる分けない話であり、また頭が悪い無知なメスがなんかほざいている程度にしか受け入れないでしょう


このトッピクは30万人説と30万人以下説の2つ以外の説は端から受け入れる気なんてないから堂々巡りの議論が繰り返されているだけ
>85
>それに私みたい争い事を知らない者が語れる分けない話であり

そういうスタンスはすごく自然で良いですね♪
>>85

>このトッピクは30万人説と30万人以下説の2つ以外の説は端から受け入れる気なんてないから堂々巡りの議論が繰り返されているだけ

誰かも指摘してたけど、中共はあくまで「30万人」で決めてる訳よ。
あと、東京裁判でも「30万人が殺害された」という事が言われた事も書いた。
で、俺が書いた>>35を見てもらえば、堂々巡りの議論を「させている」のは
どういう人か解かるよね?
ここでの議論は正直どうでも良いのですが、
>万川集海さん
「親邦」を調べもせずに「親しいの意味だ」と頑張っていた貴方が、ここでは他人の無知をあげつらい「味噌汁で顔を洗って出直してこい」と暴言を吐いておられる。情けない男ですね。私は貴方の様な人が心底大嫌いです。
>>85 2009年04月05日 11:46 ReRera

>日本側は虐殺の事実を伏せておきたいが中国側それにたいして怒りがあった

これはReReraさんが考えたんですか?
初めて聞きました。

>だから虐殺はあった、虐殺はまったくないという両極端な論争がはじまり、今は日本兵の戦中日記などの資料が発見されてきて中間派の研究者が新たな南京大虐殺の説を唱えたからさらに論争が激化したと思います。

何度も言いますが虐殺がなかったなどとは、ここの誰も言ってませんね。
南京攻略戦が行われたことは間違いありません。
新たな説を含めて、南京攻略戦の歴史を検証し議論することは
とてもいいことだと思います。

た だ し

何度も言いますがここで議論しているのはいわゆる「南京大虐殺」であり
中共側の主張する「南京30万人大屠殺」という事件についてです。

Silver_PONさんの言葉を借りれば

>「南京大虐殺」というのは、「1937年12月から数ヵ月の間に南京にて30万人の中国人の非戦闘員が正当な理由無く殺害された」事を指します。

このような事です。
こんなことは無かったし、あの記念館で語られるようなことは
捏造だと言っているんですよ。
(新たな南京大虐殺の説と言う時点で理論が破綻している気もしますが・・・)


>このトッピクは30万人説と30万人以下説の2つ以外の説は端から受け入れる気なんてないから堂々巡りの議論が繰り返されているだけ

ここは、1937年の南京攻略戦において、何があったかを議論
する場では無いように思います。
(この辺は詳しく議論されているトピがいっぱいありますね)
明らかな捏造である「南京30万人大屠殺」がなぜ捏造されたのか
についての議論なのではないでしょうか?

私は日本の為にがんばって戦ってくれた先達が、中国共産党に
利用され貶められることは許せないことだと思っていますので、
南京大虐殺の捏造を勉強することによって汚名が晴れていけばと
考えています。

ちなみに、ReReraさんに同じことを何度か言っている以外は
どこも堂々巡りしてないと思いますけど・・・。
>>89

あなたはmixiに何を期待しているのでしょうか?w
まぁここで議論したから何かが変わるのかというと何も変わらないかもしれません
今まで中国と韓国は散々この問題を引き出して日本を言いなりにしてきました
しかし、田母神氏が現れたことにより、日本人の意識が確実に変わってきたと思います
もし中国人に侵略国家だと言われようと言い返すことができます
そのために議論は必要なのです
>>88

即貴方が主張した物とは、まったく違った文意である事を証明したことがそんなに悔しかったのですか?
即死になっていましたからね、ケンさんの主張は
議論が白熱するのはいいのですが、ここで日本人同士争っていても意味がありません
あると思っている人はその証拠をあげ、ないと思っている人はないことを証明していけばいいです
ないという証拠はないのですから今ある証拠を否定していくしか方法はありません
悪口の言い合いはやめましょう
>>85
>>兵士たちすら物資の不足食糧難で困っているのに捕虜を生かしておく余裕は当時の日本軍にはないでしょう。したらまずは捕虜をなんとかしなければならないただ捕虜を生かして解放する行為は反逆行為にあたり自分が捕虜の立場になる

>>でも捕虜の分の食糧や物資はないそして生かすこともできない捕虜と兵士たちの人数を減らし食糧と物資の数に合わせて現状を乗り越えたい

>>捕虜は戦いでは足手まといになるまた、捕虜を幽閉しておく場所もないそして何日間にわけて少しずつ虐殺を繰り返し人数を減らした。

( ´∀`)σこれらのことについて、ソースとされるものはなんですか?現状では貴方の妄想です。

>>また頭が悪い無知なメスがなんかほざいている程度にしか受け入れないでしょう
( ´∀`)σ情報ソースがしっかりと明示され、論理的に正しい論の展開を行えば、だれもが貴方を頭の悪いメスとは思わないでしょう。
現状では、情報ソースの明示が行われず、論理的とは言いがたい私小説が並んでいるので貴方を・・・・・・・・・・・・・・・・・
皆様が正しいですね


頭のいい方々ばっかりですね
>万川集海
私の主張のどこが即死なのですか?

私は満洲国は日本の傀儡であったと主張し、それは「親邦」という言葉からも伺えると考え傅儀の「建国十年に際し賜りたる証書」を引用しました。
貴方はその「親邦」という言葉を調べもせずに「親しいの意味だ」といちゃもんをつけてきて赤っ恥をかいただけです。

貴方は私が主張した「満洲国は日本の傀儡であった」という主張に対して何一つ反論していないですよ。
強弁はおやめなさい。
>万川集海さん
上記コメントを読み返すと敬称が抜けておりました。訂正してお詫び申し上げます。
又トピずれで皆様に御迷惑をおかけし申し訳ありません。
以後の書き込みは自粛致します。
>万川集海さん
反論がございましたら件のコミュにてお待ち申し上げております。
元トピで即死させたと記憶していますがね。まあトピズレなのでここではなく、もとの場所に誘導をお願いします、どこで話をしたのか覚えていないのでね。
>万川集海さん
少なくとも私は一・二年以内でしたら誰と何処で何に関する議論をしたかは大体把握しております。
私を即死させた記憶はあるのにそれがどこであったかは全く覚えておられないのですね。それでしたら貴方の「即死させた」も記憶違いです。
「日本愛国主義」コミュ内の「満洲建国の意義」というトピです。お待ち申し上げております。

再三のトピずれ、重ねて御容赦下さい。
>>97
あほな嫌味以外に能がないの?
そういわれても仕方がない文章書いている間に。
どこの何から持ってきたかを明示すべきだと思いますが?
>>104
103からのコメントはコノトピの話題です。
ここに張って良いかわからないですが。。。

不適切であれば削除願います。
No1


No2
http://www.youtube.com/watch?v=sWCX_4G8_sc&feature=related

No3
http://www.youtube.com/watch?v=cBVKXguI-0k&feature=related

No4
http://www.youtube.com/watch?v=W6r8EyoaZvI&feature=related
米・ソ・中、連合国が、戦後亜細亜支配をするためには、
日本が悪辣な悪党でなければならなかった。

日本の治世・統治が善政だったとすると、
日本支配を否定し、米ソが日本に入れ替わる大義名分がないから。

戦時中から、一環して米英・中ソは情報を操作していました。
それが良くわかるのは、毛沢東伝的な伝説がいかに捏造されたかという一連の経緯でしょう。
支那なんて昔から、同じようなものでしょ。現政権が前政権を悪辣にプロパガンダにするのは、今に始まったことではない。一番古いのは封神演義だ。武王が帝しんに取って代わっただけで帝しんはあんな暴君じゃないよ。
支那のどの王朝最後の天子はとてつもなく酷い暴君が目立つけど、本当はそれほど酷くないよ。どの王朝も似たようなもんだと思うよ。
いろいろとても勉強になります。
しかし、マスコミはなぜ南京の真実をあまり報道しないのでしょうか。
やはりアメリカの圧力があるのかしら。
戦争とは人間を狂わせる。悪魔が取り付くのでしょうか。
http://bit.ly/RgMfsx
>>[112] naraoka氏
↓米ロスの高校教科書副読本では犠牲者の数が40万人に到達したそうだが…
http://mainichi.jp/area/news/20121025ddq041030016000c.html
あのアイリスチャンですら30万人だぞ?こりゃお手上げ万歳グリコだな。
>>[113] 40万だとか30万だとか、土地の値段じゃないのだから想像で言うのは変だよね。
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。
一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、
日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損害を被った。

十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、
与えられていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。

上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、
補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、
中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、
南京への進撃途上ですでに掠奪・強姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。

十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、徹底的な掃討を行い、
投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民をその巻き添えにし、
略奪・強姦・放火を重ねた。
さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任、
中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。

犠牲者数については中国側の公式見解は三十万人とするが、
戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二月初めまでの期間をとれば、
十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。

この事件は「シカゴ・デイリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、
「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十八日付)などによって報道され、
国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、
日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。
同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され、
南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。

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