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南京大虐殺論コミュの大虐殺など存在しない

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南京陥落70年「再検証」出版相次ぐ

 南京攻略戦の関連書籍の出版が相次いでいる。東京日日新聞の“百人斬り”記事によって銃殺刑に処された野田毅少尉が生前につづった『野田日記』が近く刊行されるほか、日中関係史、戦史、死傷者数の検証など多様な観点からの出版ラッシュだ。南京陥落(1937年12月13日)から間もなく70年。「大虐殺」説に基づく米映画が話題になるなど虚構が“事実”として広まるなか、きちんと史実を再検証しようという機運が高まっている。(桑原聡、牛田久美)

 『野田日記』は、直筆の7冊を遺族が保管していたものを展転社が書籍化。公開を前提とせず書き留められていたもので、出来事を活写した一次資料として貴重なものと校了前から予約が相次いでいるという。同社からは11月末に『「百人斬り訴訟」裁判記録集』も刊行された。

 南京事件の犠牲者数を4万人とみる実証史家、秦郁彦氏は『南京事件−「虐殺」の構造』(中公新書)の増補版を出版。“ニセ写真”の実証で知られる東中野修道氏は、一次資料で行軍を再現した『再現南京戦』(草思社)を刊行した。

 近現代史研究家の阿羅健一氏による『再検証 南京で本当は何が起こったのか』(徳間書店)は、国民党による「戦時宣伝」から「南京大虐殺」という虚構が生み出され、独り歩きを続けるプロセスの解明を試みていて興味深い。

 「大虐殺など存在しない。蒋介石の宣伝工作によるでっちあげだった」と阿羅氏は指摘する。東京裁判では、欧米の特派員のリポートや宣教師の証言が「大虐殺」の証拠とされた。だが、彼らが国民党に抱き込まれ、反日宣伝工作をしていたことなどが近年の研究で判明している。

 「毛沢東は、国民党の戦時宣伝だったことを知っていたから、1976年に死ぬまで『南京大虐殺』という言葉を口にしなかった。中国がこれを外交カードとして使うようになったのは、トウ小平が実権を握った80年代からです」

 79年3月に発行された中国の中学用の歴史教科書のどこにも「南京大虐殺」の記述はない。教科書に初めて記述が登場するのは81年。「日本軍は南京を占領すると狂ったように大規模な殺戮(さつりく)を展開した。(中略)殺害された者は30万人を下らなかった」という内容だった。

 日本でも、東京裁判終了後、20年あまりの間、「南京大虐殺」が報じられることはなかった。それは「南京攻略戦の周辺現場にいた人々が新聞社の中核にいたため」だという。「南京大虐殺」が再び注目を集めたのは昭和46(1971)年に本多勝一氏が朝日新聞に連載した「中国の旅」がきっかけだった。

 「本多氏以前にも『南京大虐殺』があったと信じるジャーナリストや学者が中国側に証言や史料を求めていた。こうした日本人の要求で、中国側は外交カードになると考え、『虚構』を『事実』とする準備を進めていった」(阿羅氏)

 南京攻略戦については「大虐殺」の存在を前提にした米ドキュメンタリー映画「南京」がアカデミー賞の有力候補に挙げられて話題になっている。歴史的事実がどうであるのか、冷静に見極めたい。

 ■南京攻略戦 旧日本軍が中華民国首都・南京を攻撃した戦闘。中国側はその際に虐殺、略奪などが行われたと主張。死者数は当初「2万人」とされたが、中国側発表は「20万人」「30万人」と次第に膨れあがった。しかし、証拠とされるものは誇張や偽装だったことが実証的研究で明らかになっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071208-00000902-san-soci

コメント(131)

平成4(1992)年4月に岡山国民文化懇談会(代表・三宅將之氏)で開かれた森王琢氏の講演記録です。

http://www.history.gr.jp/~nanking/moriou.html

賛否両論、色んな見方ができるでしょうが、ご参考までに・・・。


>投降兵がどう言う性質の兵隊達であったのか・・・

この検証は、必要なことだと思います。
戦争はやるかやられるかの真剣勝負です。
身の危険を感じる要因があれば、捕虜を殺害することもあり得ます。

・・・外地で日本人捕虜が殺害されたことも、
そういう目で見る必要もあるんだな・・・と改めて感じています。
亡くなった祖父が口癖のように「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言っていましたが、こればかりは納得いかないですよね。
>>114
Chieiさん貴重な情報どうもありがとうございます
やはり軍服を脱ぎ捨てて、ゲリラ化したんですね・・・
これは国際違反だし、殺されても文句言えないのに
それを虐殺などと煽るなんて・・・

中国人って、昔も今もこおゆうのうまいですよね・・・
Chieiさん
貴重な御話有り難うございます。これで、南京についての資料に真実性が増しました。
あぁー・・やっぱりこういう証言は説得力ありますねぇ。
貴重な証言です。
数々の証拠の信憑性が増しましたね。
遅ればせながら、ここへ参戦させていただきたいと思います。
自分は「南京大虐殺などありえない」と考えている者です。
宜しくお願い致します。
中国や韓国からもナメられ続けてますな。
証拠もないのに「南京大虐殺」「従軍慰安婦」を認め「教科書」すら言われるがまま変更。ODAで多額の援助をしてるのに靖国参拝などすれば両国の機嫌を損ねるからと大半の大臣は遠慮。
日本はアメリカのポチなのですが飼い主もどこまで面倒見てくれるのかすら不明。
都合よく利用されてそのうち捨てられると思ってますが。

日本て何でこんな国になってしまったのでしょう?
「やってないもんはやってない!お前らシナ人のチベット・ウィグル人への虐殺行為はじゃあ何だ!?台湾に対しての態度はなんだ?異常な反日教育は何の目的だ!?」と言ってくれる政治家は出てこないのでしょうか?
違うトピで挙げておいたのを再掲します。

松井大将は、南京攻略を前にして、国際法学者 齋藤良衛博士を招いて助言を受け「南京攻略要項」を指令していた。その内容は、七項目からなり、「不法行為等絶対ニ無カラシムルヲ要ス」とか「中立地帯(安全区)ニハ必要ノ外立入ヲ禁シ所要ノ地点ニ歩哨ヲ配置ス」」「外国権益ノ位置等ヲ徹底セシメ絶対ニ過誤ナキヲ期シ」「略奪行為ヲナシ又不注意ト雖モ火ヲ失スルモノハ厳罰ニ処ス」などと不法行為の厳禁を松井大将自らも厳命していた。
さらに松井大将は、南京城攻撃を前にして、上海派遣軍と第十軍の末端兵士に対しても訓戒を次のように述べている。
「南京ハ中国ノ首都テアル之カ攻略ハ世界的事件テアル故ニ慎重ニ研究シテ日本ノ名誉ヲ一層発揮シ中国民衆ノ信頼ヲ増ス様ニセヨ特ニ敵軍ト雖モ抗戦意志ヲ失ヒタル者及一般官民ニ対シテハ寛容慈悲ノ態度ヲ取リ之ヲ宣撫愛護セヨ」

で、東京裁判の松井大将に対する訴因を見てみよう。
A項(A級)戦犯として処刑された七名の中で、松井大将以外の六名は、事後法の「平和に対する罪」(A項)の訴因三十六項目の中で、二〜六が有罪になっている。ところが、松井大将は「平和に対する罪」の訴因三十六項目すべて無罪であった。
そして、松井大将は、「通例の戦争犯罪」の訴因五十五項(俘虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反)の一つだけが有罪で処刑されたのである。
お解りか?「南京大虐殺」などがあれば、人道上看過できない犯罪として松井大将は「平和に対する罪」と「人道に対する罪」がすべて無罪にはなりえない。

これだけでも「南京大虐殺」など有り得ない。
南京での戦闘は1937年12月にありました。まあここで大虐殺があったとされたわけですが、それは、1945年の東京裁判まで、触れられる事はありませんでした。いや、「日本軍の中国での蛮行」の一つとして(中国での蛮行全体で)非難決議がされた事はありましたが、1941年に仏領インドネシア(今のベトナム)に日本軍が侵攻した時には、経済制裁がなされてます。まあ、つまりは、インドネシアでそんだけ悪い事やったってことですが、それでも、「大虐殺」とはいいません。
つまりは、日本軍は中国、南京で人殺しをやった事はまあ確かな事なわけですけど、それでも、経済制裁をくらう程のことではないという事です。つまり、「大虐殺」は無かったという事です。

ここでは初めてかもしれません。よろしくお願いします。

仏領インドシナ進駐とその後の経済制裁は、忠告を無視された米英がキレたという印象が強いので、中華民国以外にあまり関係のなかった南京事件と同列に考えるのは無理があるような気がしますが。
しかし南京事件があったとしたなら、その後の国際連盟や各国のリアクションの無さは説明がつかないので、当時の南京で周囲の耳目を集めるような「虐殺」はなかったのではないか、と考えるのが自然だと思われます。

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