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国旗の重みコミュの日本は愛に飢えた子供  伊沢満ブログ

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●1. 他国と陸続きではない故に、私達には外敵の意識が希薄ですが、時代はもはや四方の海の要塞を無力化してしまいました。私達は、日本という国に生を受け、そのことを当たり前にして育ちますが、もう一度自らの意志で日本人たらんと志す時期が必要です。日の本の民としての自覚と覚悟です。この日本が好きだと胸を張って言える子が多くなった時、日本は蘇る。 (下記・伊沢満ブログ・末尾記述)

■自衛隊、離島奪還想定し演習…3万4千人参加へ (読売新聞 - 10月28日 19:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2630348


今の日本は、親に見捨てられリストカットという自損行為を繰り返す子供。自分を傷めつけることに倒錯した快感を覚え、褒められれば居心地悪く、慌てて否定しにかかる。社会を斜めに見下ろして批判をすることが知識の証だとでも思っているかのような病んだ状態にある。物事をネガティブに評価することが、&ネガティブにしか評価できないことが知的であるわけがない。病んでいることの何よりの証しなのだが、そのことに気づくことすら出来ない。その巨大且つ典型的な、存在・組織・症例者が、日本マスゴミ。


■日本は愛に飢えた子供      (伊沢満ブログ)
  物事を斜めに見下ろすことしかできず、
  到底、批評批判のレベルに至らない稚拙な自見解を開陳して、
  己の知識・知性の誇示だと倒錯に浸ってる。
  そんなナイーブピープルが闊歩してる社会。

(注) 以下、全9段落。 段落番号は降順に付番した仮番号。
                              
●9. 親に愛されたことのない子は自分の愛し方を知らない。国を愛せない人は自らを愛するすべを知らない。自らを愛することを知らぬ人は、他者を愛せない。あたかも愛の酸欠状態に今、日本は陥っているようです。先の敗戦で国家として、国民としての自信が潰(つい)えた所へ、GHQの日本弱体化政策(WGIP・http://goo.gl/7rLhU)がのしかかり、そこに中国と朝鮮半島が相乗りして来たという構図です。彼らが日本人に植えつけたのは「罪悪感」でした。お前たちは悪い戦争をしてアジアの人々を苦しめた。だから永遠に償い続けなければならない。そう吹き込まれながら、自虐の毒を注入され続け、更にその手助けをする日本人達がいた。左翼病の患者と日教組。今の日本はあたかも、親に見捨てられ、リストカットという自損行為を繰り返す子供。自分を傷めつけることに倒錯した快感を覚え、褒められれば居心地悪く、慌てて否定しにかかる。日本を斜めに見下ろし批判することが知識人の証だとでも思っているかの様な病んだ状態にあります。

●8. そこから立ち直るためには、まず太平洋戦争とも大東亜戦争とも言われるあの戦争を一から洗い直す必要があります。戦争はよくない。だが歴史の必然として戦争は現実にある。戦争をするしないというのは、必ずしも選択の範疇にはありません。外交上の奸計の瀑流に呑み込まれ、やむにやまれず受けて立たねばならぬこともある。東京裁判を冷静に見直すと、しょせん戦勝国側の一方的立場でなされた裁判だということが解ります。日本が勝っていれば立場は逆転していました。戦争に於いては負けたほうが罪人の役割を引き受けるのです。アメリカには二度にわたって非戦闘員を大量殺戮した原爆の負い目がありますから、それを糊塗する目的もあったでしょう、日本帝国の「悪事」を脚色捏造して、それを利用したのが中国と韓国・北朝鮮。

●7. しかしあれから68年が経ちました。アメリカとは軍事同盟を結ぶ間柄。しかし相変わらず日本を断罪し続け、金をもぎとって行くのが中国と韓国。彼らは日本を極悪人のごとく言い立てますが、それは彼らの利益を生み出す方便に過ぎず、この2ヶ国以外で日本を断罪してやまない国が他にあるでしょうか。たとえばマレーシアの中学校国定歴史教科書は、国の歴史の始めが、日本軍のコタバル上陸の日です。英国からの輝かしい独立の日。日本の戦争は「アジア人によるアジア人のためのアジア」を取り戻す戦いであったと教えられます。教科書には明治天皇の御真影が掲げられています。これらのことは日本人には教えられません。

●6. このようなことを記すのは、決して戦争賛美ではありません。武力には武力で応じざるを得なかった時代背景というのがあります。白人による植民地政策からアジアを開放したという、もう一つの視点を忘れてはなりません。ちょっと調べれば、マレーシアのみならず幾多の国々や名だたる人々が日本のあの戦いに共感と感謝の念を捧げてくれていることが簡単に解るのですが、それらは一切教えられません。日本を愛して下さる国々のほうが圧倒的に多いのに、憎む国のことしか教えられない不健康さ。日本に於ける小中高教科書の惨憺たる様は息を呑むほどです。いったい、どんな日本を憎む人たちが作っているのか。大学の入試問題も時として偏っています。母国への侮蔑、罪悪感を基本に、左翼教授の手で問題が作成されることがある。テレビをつければ自虐史観。教えこまれる子どもたちがどういう大人に育つのか。祖国への愛と誇りを知らぬまま育った最たる世代が団塊の世代で、国家観のいびつさは尋常ならず、自らが教えられた歴史にもう一つ別の光を当てて検証し直してみる柔軟性など微塵もありません。あの戦争に唾吐きかけることは、戦い抜いた自らの祖父や父、耐えぬいた祖母や母を足蹴にするに等しいことなのに。現在の平和が、誰かの死によって贖われたものなのだという意識すらない。

●5. 今まで教え込まれた一切をいったん脇に置いて、南京大虐殺、日韓併合、従軍慰安婦、強制連行など「自分の目で」虚心坦懐に学ばれることをお勧めしたい。きっと、思わぬ真実が立ち現れ驚かれるのではないだろうか。筆者の拙い歴史観を押し付ける気はないけれど、物事には二つの側面があり、教育の場では二通りの見方が提示されなければそれは偏った教育と言うべきでしょう。日教組の勢力が弱まるにつれ、日本毀損教育のボルテージはやや下がったとはいえ、今度は韓流というソフトでくるみながら、またまた従軍慰安婦その他の「日帝の悪」とやらを押し付けて来ています。その一方国内では日本の良さは教えられません。海の要塞に守られて、特有に育ちあがった日本文化は世界に一輪の花です。ハーバード大学の国際政治学者サミュエル・ハンチントン教授は世界を7つの文明に分けました。当初は日本文明を当然、中華文明に区分けしようとします。ところがどうしても、出来ないのですね。日本文化が突出して異色なのです。世界を7つに色分けすると、この小さな日本列島だけ色が異なるのです。誇らしく見事な地図です。私達のご先祖が築きあげて下さった財産です。

●4. 日本固有の文化がいかに繊細優美で洗練の極みであるか、逐一語りたいですが紙幅が足りません。靖國神社さんへお参りさせていただくたび、私が心打たれるのは軍馬や犬、鳩までもが祀られていて、ある日は軍馬の足元に人参が供えられているのを目にしました。これこそが日本人の本来の心根です。戦場という荒々しさの中にも、一点の優しさを見失わぬ民族、それが日本人であります。それと共に、この日本人が・・・私達の遠からぬ先祖が南京で大量に無意味に人を殺すなどあり得ないと確信します。支那人を治療していたり、食料を配給したり、子どもにキャラメルを配ったり遊んだり、また支那の無名戦士の墓に詣でて最大の敬意でお辞儀をしている日本帝国陸軍兵士たちの写真が残されてますが、それ以上に、大虐殺などなかった、と言い切れるのは、我が身にも流れる、覆いようもない大和の民としてのDNAへの信頼感でありましょう。生きとし生けるもの全てに共感する感受性。供養は動物のみならず針にも人形にも行き渡ります。

●3. 戦闘中ですから、何もなかったとは強弁しません。しかし喧伝される如き「大虐殺」は物理的にもあり得ない。私達の祖父に父に、汚名を着せてはなりません。当時、現地にいた方々の証言を得られることが、だんだん難しくなるにつれ、残された者たちが、先人の汚名を雪ぎ続けねばなりません。それが、私どもの幸せを願って散ってくださった方々へのせめてものご供養ではないでしょうか。

●2. 国旗が厭だ、国歌は歌わぬという教師という名の公務員が裁判に訴え出てます。「侵略」を口実に彼らが国旗国歌を忌避するならば、現在進行形で侵略が行われている中国でこそ同じ事を訴えるべきでしょう。結果は投獄です。命懸けるほどの覚悟も無く、日本という祖国の寛容さにつけ入るが如き彼らの振る舞いは卑怯です。他国の無法ぶりは看過して、自国を過剰に打ち据え苛む。病んでいます。どうしてこのような輩と、靖國神社参拝に口を出してくる中韓の無礼が許されて来たのか、その時々の政府の責任ですが、それにしても病的なほどの腰の引け方です。考えられる原因は3つ。
(1) 敗戦後の無気力が尾を引いて習い性と化してしまった。
(2) 中韓からのキックバックで肥え太っている政治家が居はしないか。
(3) 政治家が必ずしも本来の日本人ではなく、彼らが忠誠を尽くすべき母国は日本ではないのではないか。

●1. 他国と陸続きではない故に、私達には外敵の意識が希薄ですが、時代はもはや四方の海の要塞を無力化してしまいました。私達は、日本という国に生を受け、そのことを当たり前にして育ちますが、もう一度自らの意志で日本人たらんと志す時期が必要です。日の本の民としての自覚と覚悟です。この日本が好きだと胸を張って言える子が多くなった時、日本は蘇る。

以上、http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/bed264011cf67930a80f1ddfc1006f93



■美しい国 日本 "太陽は昇る"   http://www.youtube.com/watch?v=SmW1nzXPihA
このYouTubeのBGMは、PS2ゲームソフト『大神』(made i n Japan・http://goo.gl/gGBhT
で使われてる曲(作曲者は日本人)。
関連音楽CD: 
『大神 オリジナル・サウンドトラック』 - 全218曲を収録した5枚組。
『大神 ピアノ・アレンジ』 - 作中に使用された曲を10曲ピアノアレンジ。
『大神 名曲集サウンドトラックCD』- Wii版発売時に予約特典として同梱。
『大神 五重之音調』- PS3版リリース時に同時発売。作中で使用された12曲をアレンジして再収録。

Q: PS2のゲーム、大神の作曲者は?
A: 近藤嶺(こんどうれい・http://goo.gl/FucNpx・30才)。サウンドクリエイター。映画、TV番組、ゲーム音楽、ポップスなど、ジャンルを越えて作曲編曲、演奏、サウンドプロデュースを手掛ける。ゲームでは「大神」はじめ、PS2「義経記」、「戦国BASARA」シリーズ、PS3「デビルメイクライ4」、DS「ノスタルジオの風」、PS3「べヨネッタ」を担当した。

コメント(12)

 
無知・無関心が国を滅ぼす。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5533371&id=71162698
心の武装、知の武装、武の武装。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5533371&id=72044968
朝日を産んだWGIP 日本サヨク&WGIPについて
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=75094839&comm_id=5533371

世代を超えるDNA 2002年日韓共催W杯の記憶
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5533371&id=62542794
学生団体 未来創世の会
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5533371&id=71745739

5分動画 日本人に伝えたい事
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日本人の宗教観。 世界一しなやかな宗教国家=日本。
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警察・自衛隊に 小さな声援
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特亜と民度が違うガーナ大統領の発言
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覚醒した美しい日本女性。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5533371&id=72776116
教育勅語 & 戦後教育を乗り越えて
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日本マスゴミのレベルは5歳と10歳の口げんか。
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日本は侵略国家ではない。 8.15と大東亜戦争
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5533371&id=65817457
 
ねずさんの ひとりごと
http://nezu621.blog7.fc2.com/
 
●常に平和を望みながらも危機には機敏に対応する日本 (13段落)

13. 日本は古代から現代にいたるまで、ずっと天皇を中心とした治政の国家です。ですから、鎌倉幕府も足利幕府も織田豊臣の時代も徳川時代も、それらはいわゆる政権交替であって、日本の国のカタチは変わっていません。そうはいっても、たとえば江戸時代は諸藩のことを「国」とよんでいました。国という字は、日本国という意味と、上野国、下総国というように、諸藩やそれぞれの地域という意味の、両方に使われていましたが、これは「国」という字が、ある程度の独立した行政単位を示す意味で用いられていたからです。そしてそれぞれの国は、各「家」が、これを統治していました。その「家」の最大のものが徳川家で、日本列島のだいたい3分の1くらいを領土として所有し、圧倒的軍事力と経済力、そして政治的影響力を行使していました。これが江戸幕藩体制です。

12. 徳川家の幕藩体制構築にあたっての理念は、兎にも角にもこの国から「いくさ」をなくすことでした。ですからそのために、全国の諸大名の配置も変えたし、大名には江戸に人質を置くことを強制し、さらには参勤交代を義務づけて、諸大名の財力と抵抗力を削ぐということも行われていました。その「参勤交代」が、実は秀吉の時代の朝鮮征伐に、全国の大名がいくさ仕度で九州にまで狩り出されたことの変形であるというお話は、先日書かせていただきました。こうした徳川の政治体制によって、日本の民衆は、いくさのない、江戸270年の太平の世をすごすことができました。家康は、なによりも「いくさ」のない世の中を希求し、そしてそれを完全に実現したわけです。

11. それにしても、徳川家の平和への願いは徹底していました。たとえば、全国の武士たちがヒゲをはやすことまで、事実上禁じています。男がヒゲを生やすのは武威を張り、徳川の天下に危害を及ぼす目的を持ったものだ、というのです。ですから江戸時代の武士たちは、ヒゲを伸ばさなかったし、幕末の志士たちも当時の写真をみれば、誰もヒゲを伸ばしていません。
明治になってから、諸外国との兼ね合いから、一時的に政府のお役人などがヒゲを伸ばすようになりましたが、それも大正、昭和には廃れました。ですから大東亜戦争の頃の軍人さんや閣僚などをみても、誰もヒゲを伸ばしていません。

10. 幕末から明治にかけての日本の最大の願いは、欧米列強と対等な関係を築くというところにありましたが、そのために鹿鳴館を開設したり、宮中のおもてなし料理をフランス料理にしたりと、日本はまさに涙ぐましい努力をしていたわけで、その延長線上に、欧米の閣僚や高官たちがヒゲを伸ばしていることから、日本も明治の一時的にヒゲを伸ばしただけのことです。しかしそれさえも、明治の終わり頃に不平等条約が解消されると、日本の閣僚も軍人さんも、一般の民衆も、ヒゲを伸ばすことをやめています。明治の後年から昭和初期にかけての日本の強さは、まさに世界を震撼させたほどのものですが、どれだけ強くても、日本の願いは常に平和そのもの、いくさのない世の中にあり、武威を張ることを是とはしていなかったということが、そのような姿からも見て取ることができます。そしてその伝統は、やはり徳川270年の治政にあったといえます。

09. その徳川幕藩体制が崩壊したのは、外圧によるものでした。その外圧のなかで、とりわけ大きなきっかけとなる影響を持ったといわれているのが、ペリーによる黒船来航でしたが、そのペリー来航について、あたかもペリーが突然やってきたため日本中が大慌てしたようなことを書いている教科書などがあります。しかしそれは間違いです。実際には、米国からペリー艦隊が日本に開国を求めてやって来ることを、ペリーが米国を出発したことからはじまって、何隻の艦隊で来るのか、乗組員は何名か、大砲の数はいくつか、船名は何と言うのか、どういうルートでやってくるのか、いまどこにいるのか等の情報を、それこそ現代の台風情報のように、幕府も全国の諸藩の武士たちも、つぶさにとっていました。
 
08. 問題は、そのペリーがどこに入港するかで、もちろん幕府は長崎に来させるつもりでいたのですが、それが東京湾(江戸湾)にやってきてしまった。江戸湾にやってきたということが問題になったのでって、外国使節が来たということが問題になったのではありません。これも以前に書かせていただいたことですが、江戸湾は、当時の江戸の町に食料を運ぶ、メイン海上ルートです。江戸には250万人の人が住んでいます。その250万人が、毎日、朝晩二食の食事をするわけです。つまり1日あたり500万食です。もしペリーが、1ヶ月江戸湾を封鎖したら、1億5000万食分の食料の供給が止まるのです。そんな備蓄は、幕府にありません。ということは、江戸市民が飢えて死ぬという結果をもたらすのです。だから「たった四杯で夜も寝られず」というくらい、幕府は慌てました。それだけのことです。

07. では、ペリーが原因でないなら、攘夷運動は何故起こったのかというと、直接の引き金は、むしろ阿片戦争にあります。強大な東洋の大帝国であるはずの支那の清王朝が、欧米のごくひとにぎりの艦隊の軍事力の前に、あえなく敗北してしまった。敗北した清王朝では、白人たちが支那人たちをまるで家畜のように扱ってる。その脅威が、日本にも迫っている。そういう事実を目の前に突きつけられて、それでも平和ボケしているのは、現代日本人くらいなもので、当時の武士たちは、ものすごい危機感を持って、「日本はどうするんだ?」となったわけです。そういうところに、ペリーが幕府の制止をふりきって、いきなり江戸湾に侵入してきたわけです。阿片戦争と同じ光景が、現実の課題となったのです。

06. これについて、「当時の武士たちは、どうして鉄の船が海に浮かぶのかと驚いた」などと、アホなことを書いている学者や小説家がいますが、鉄の船なら信長が本願寺攻めのときに作っています。日本人にとって、そんなものはさしてめずらしいものでもない。もちろん、黒船がやってきたとき、弁当持参で物見遊山の黒船見物に出かけた庶民が多くいましたから、そうした中には「あんな真っ黒い鉄の船が、どうして海にうかぶんじゃろうか」などと、半ば驚き、半ば大喜びしていた人たちもいたことでしょう。そうした人々と、当時の施政者たちを混同するのは、ちょっといきすぎた話です。もっというなら、おなじく幕末に日本にやってきたロシアのフリゲート艦ディアナ号は、駿河湾で沈没していますが、これと同じ船を、またたくまに伊豆の船大工たちが作ってしまっています。同じ船を造ったということは、それくらいの船をつくる技術も、当時の日本にはすでにあった、ということです。技術そのものについては、なにも驚くこともなかった。ただ、蒸気で動く船というところについては、たいへんな驚きと興味を抱いたというのが、現実の話です。

05. なるほど江戸時代、日本は鎖国していました。ただ、鎖国していても、武士たちは海外の諸情報を実はつぶさにキャッチアップしていました。その情報力は、むしろテレビや新聞といったメディアが駆使できていながら偏向情報しか与えられず、あきめくらになっている現代日本人より遙かに鋭敏なものであったといえるでしょう。さて、欧米列強による植民地支配の恐怖を見せつけられた日本人は、欧米の夷敵を打ち払うためには、国内が藩ごとに独立していては此の国を守れないのではないかという強烈な問題意識を持ちました。実際、長州、薩摩はそれぞれ独自に黒船に戦いを挑み、あっという間に粉砕されてしまっています。ならばこのうえは幕藩体制を完全廃止し、国民総力戦が可能な統一日本政府を構築するしかない。というのが攘夷派となり、幕藩体制のまま統一政府化すべきだというのが佐幕派となって戊辰戦争になりました。

04. そのなかで、会津藩が、どうして最後まで頑強に抵抗したのか。それは「藩主の松平容保が、婿養子だったからそうせざるを得なかったのだ」などと、これまたアホな見解を書いている本や小説がありますが、これまた大きな間違いです。殿様がおかしなことを言い出せば、殿様を座敷牢に押込めてしまうというのが、江戸時代の武家の習慣です。つまり、会津藩が頑強に抵抗したのは、殿様のご意思というだけのものでなく、藩をあげての意思であったということです。ではなぜ、会津藩士たちが、そのような見解に至ったか。これについては、西郷頼母が、はっきりと書きのこしています。要約すると「武家は民を守るためのものであり、民が安心して暮らせるように仕向けるのが武家の役割である。国を護るために戦うのは、まさに武士の仕事であって、そのために民をつかうなどということはもってのほか」というわけです。

03. 要するに幕末戊辰戦争は、国民皆兵論か、あくまでも武家専従論かの違いがもとになっているとみることができます。武士は民のために平素から腰に2本の刀を差しているわけです。その武士が、いざ戦いとなったら、農民や町民たちに武器を持たせて闘わせ、自分たちはその裏でのうのうと生きるなどということは、武家としての一分が立たない。そんなものは卑怯者のすることであると、これが武士の筋ですし、その意味で会津や二本松は、まさに武家としての筋道を最後まで通して戦ったわけです。もっとも、いわゆる農民兵については、幕府もこれを用いて陸軍を編成したりしていますから、幕府内でも様々な議論はあったわけで、そのあたりが話をややこしくしています。けれど、戊辰戦争が、単に尊王攘夷と鎖国佐幕の争いというだけの話ではなかった、そこに思想哲学の戦いがあったということは、学校で教えてよいものなのではないかと思います。ただ、国を守ると言う戦力という意味においては、結果からみれば、国民皆兵の方が、もちろん戦力的脅威となりうるわけで、その意味においては、戊辰戦争は、「筋」より「実力」が勝った戦いといえるかもしれません。

02. こうして新たな政治体制として構築されたのが大日本帝国です。ですから大日本帝国は何よりも実力を重んじました。戊辰戦争の敵であっても新たな政治体制の中に必要な人材をどんどん取り込みました。明治政府は実力本位の政府であったわけです。もちろん薩長閥のような不条理も内包しています。しかしそう言う事は人の世では或る程度仕方ない部分です。明治政府の実力主義の考え方は四民平等の政策となり、そして日本人としての白人種との対等意識と相俟って、世界に向けて人種の平等を高らかにうたいあげる日本の政策となりました。そして日本は、世界の有色人種を植民地として支配する白人国家に対して、真正面から戦いを挑んで行くことになるわけです。

01. 教育の根本にあるべきものは人間としての品格を育てるということです。いまは亜流とされている真摯な日本人の歴史観も、あと数年したら間違いなく日本の主流となると思うし、100年後には世界の常識となっていくであろうと、私は思っています。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2054.html

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