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国旗の重みコミュの5月5日。何故「子供の日」?

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●「鯉のぼり」  文部省唱歌  作詞者不詳  作曲者・弘田龍太郎
http://www.youtube.com/watch?v=TLd-ddmb1u8
1. 甍の波と雲の波  重なる波の中空を 橘かおる朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり
2, 開ける広き其の口に 舟をも呑まん様見えて ゆたかに振う尾鰭には  物に動ぜぬ姿あり
3. 百瀬の滝を登りなば 忽ち竜になりぬべき わが身に似よや男子と 空に躍るや鯉のぼり

鯉のぼり・弘田龍太郎(wikipedia・http://goo.gl/wYtRn)より。

鯉のぼり の 「のぼり」 は、 
旗&幟(のぼり)の「幟」 と 鯉の滝登りの「登り」  を併せ持つネーミング(掛詞ネーミング)?


こちらは、「こいのぼり」。
「こいのぼり」の作詞者は近藤宮子さん。昭和6年頃作詞。作詞・作曲が仕事 (ゼニ儲け) と、余り意識されて無い頃の話。 > http://nazenani-komichi.net/2096.html

コメント(6)

「子供の日」とは。

5月5日は「端午の節句」とも呼ばれ、中国発祥の厄祓い行事と、田植えをする女性のための日本古来の神事が結びついた季節の行事だった。これが、江戸幕府によって「五節句」の一つに定められ、男の子が強くたくましく成長して立身出世することを願う行事として定着していった。やがて、大東亜戦争終止3年後の昭和23年。「国民の祝日に関する法律」で「子供の人格を重んじ、子供の幸福を図ると共に、母に感謝する」日として「子供の日」が制定された。「5月5日」と言う「節句」としては男子の立身出世を祈る日だけども、「子供の日」は男女区別無くお祝いする日。そして母に感謝する日でもあるという。

あぁそれで、「母の日」が五月の第2or3日曜日に成ってるんでしょう。ここらあたりはGHQがねじ込んだこじつけだろうと分かります。兎に角この「国民の祝日に関する法律」の制定時は日本にGHQがド厚かましく居座ってましたので、コイツらが日本の祝日名称を「とことん変名させました」からね。コイツらは今上陛下のお誕生日に「己達が勝手に罪人にしたてあげた日本の指導者を処刑する」し、ほんとクソな野郎どもです。白人ども。 とりま、「子供の日」云々「母の日」云々自体は、まぁまぁ悪くは無いので、アメ公の横暴も、この件については許してあげますわ。
●なぜ「鯉のぼり」を揚げるようになったのか。
まず。 のぼり(幟)とは何か?   補足) 幟・・・のぼり。  旗・・・はた。
 
旗は、極論すれば竿(棒)に付けた布きれ。国旗を見ればOK。幟は次の通り。  幟(のぼり)は「昇り旗」の略。 丈が長く幅の狭い布の横に、多くの乳(ち・竿を通す輪)をつけ竿に通し、立てて標識とする。戦陣・祭典・儀式などに用いる。 「鯉のぼり」はこの一種。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1160685301

武家時代、将軍に男子が生まれると旗指物(はたしもの・家紋の付いた旗・http://kotobank.jp/word/%E6%97%97%E6%8C%87%E7%89%A9)や幟(のぼり)を立てて祝う風習があった。これが一般の武家にも広がり、男子が生まれた印として「幟」を立てるように成った。  その後、江戸庶民の間で「鯉の滝登り」で立身出世の象徴と成った「鯉」を「幟」にする発想が生まれ、武家の「幟」に対して、町人の「鯉幟」が揚げられるように成った。このあたりの「町人魂」が可愛いですね。今の日本社会での「お隣のお嬢さんがピアノ習い始めたからうちはエレクトーン」という気質などからも、連綿と息づく日本民族のDNAだと分かります。

とりま、当時は乳幼児の死亡率が高かったため、健やかな健康を祈る気持ちの表れだったのでしょう。なにせ「人の誕生自体」が「母子共に命がけの慶事」だったし、その後の健やかな成長にも、今とは比べものにならないくらい「数多のハードル」が立ちふさがったでしょうので。  天皇→公家→町人。or、将軍→武家→町人。 日本はこうして、雅な文化が上から下に流れていくのですな。シナチョンのように、殴り合い・だましあい、ばかりしてる野蛮でドアホな歴史では無いので、日本の歴史は。
平成25年5月5日 産経抄
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130505/edc13050503090000-n1.htm
 「身を立て名をあげ やよはげめよ」。卒業式の定番だった『仰げば尊し』のこのフレーズにくると、目頭が熱くなってしまうという人は多い。子供たちの健やかな成長と将来の成功を祈ってきた先達たちの思いが直に伝わってくるからだろうか。 ▼同じことは大正2年の尋常小学唱歌『鯉のぼり』の3番の歌詞にも言える。「百瀬(ももせ)の滝を登りなば たちまち竜になりぬべき わが身に似よや男子(おのこご)と…」。中国の伝説で激流を登りきった鯉は竜になる。その鯉のように、子供が竜を目指すことを願っているのである。 ▼5月5日の端午の節句に「こいのぼり」を揚げるようになったのは江戸時代からだといわれる。初め武家が家紋の入った旗指物(はたさしもの)や幟(のぼり)を門口に並べ立てた。これにならって町人たちが鯉の幟を立て始めたのだという。いずれも子供たちの「立身出世」を祈っていた。 ▼武士たちはもはや武功を立てる時代ではなくなった。だが武術や学問に励むことで禄高を上げることができた。立身である。町人たちも技術や商売を学び家業に精出すことで、家産を増やした。こちらを出世と呼んだ(産経新聞社『教科書が教えない歴史』)という。 ▼前の同僚で現白鴎大教授、高畑昭男さんは昨日の本紙コラムで、サッチャー元英首相の最大の功績を次のように指摘している。「努力すれば誰でも成功できる公平な競争社会を築こうとしたことだろう」。今の日本にも最も欠けていることだと見ていい。 ▼薫風の空を泳ぐ「こいのぼり」は実に爽やかだ。一方で幟に秘められた歴史も思い返してみたい。明治維新という改革の奇跡的成功や日露戦争の勝利の陰には立身出世を目指し、武士や町人が競い合った江戸時代の蓄積があった。そう言えるからだ。
平成25年5月5日 正平調 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/column/seihei/201305/0005963041.shtml
 今日は「こどもの日」。たくさんの笑顔が街にあふれるだろうが、大人が子どもに帰る日であってもいい。そんな思いで、大人の皆さんへささやかな提案を◆絵本を人生で3度読もう。そう提唱する人がいる。ノンフィクション作家の柳田邦男さんである。最初は幼いとき、2度目は子どもへの読み聞かせで、3度目は人生の後半にさしかかったころ◆心労が重なって疲れていたとき、柳田さんは何げなく数冊の絵本を買った。読みながら気持ちが穏やかになるのを感じたと、「絵本の力」(岩波書店)にある。忙しくて忘れていた大切なことを絵本で思いだす。だから「大人こそ絵本を」と説く◆柳田さんが紹介する一つに、ユリ・シュルヴィッツ作「おとうさんの ちず」(あすなろ書房)がある。貧しくてパンも満足に食べられないのに、父が世界地図を買ってきた。腹を立てながら、少年は地図をながめる。するとひもじさが消えて、不思議な気分になっていく、という話である◆柳田さんはこの世界地図を子どもの心に父がまく種、と読んだ。子どもが育っていく大事な時期、まかなければならない種があると。絵本を読みながら、自分はどうだったかと思う。多忙を言い訳に大事なことをしてこなかったのでは…という悔いが、チクリと胸を刺す◆5月5日を、大人が絵本を読む日にしたらどうだろう。きっと家のどこかで読まれるのを待っている。

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