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花の東京淳八会コミュの玉川上水の話

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西武拝島線は西武新宿線の小平と拝島を結ぶ支線です。小平から4つ目の駅が玉川上水です。立川市の北のはずれで武蔵村山市と接しています。ここに1980年から住んでいます。もちろん玉川上水の清流が流れており、私は「玉川上水の自然保護を考える会」のメンバーです。月2回の清掃活動などに参加しています。
玉川上水は1654年に出来ました。江戸幕府が開かれてから50年、人口増加で江戸は水不足に悩んでいました。幕府は多摩川の水を引くことを計画し、これを羽村在住の富農加藤庄右衛門・清右衛門の兄弟が14ケ月かけて掘削(羽村から四谷大木戸まで全長43キロ)完成させました。高低差わずか92m、ポンプの無い時代です、勾配の正確な測量が求められます。夜暗くなってから提灯の明かりを基準に測量したと言われています。兄弟は功績を認められ「玉川」姓を名乗ることを許されます。
工事は決して順調ではありませんでした。最初、取水口には国立市の青柳が選ばれました。そして武蔵野の一帯から多くの農民がかりだされ、測量は夜を待って提灯竿を立てて続けられましたが、府中の近くまできたとき水の流れにくい地層に出会って失敗。二度自の取水ロは(青梅線沿線の)福生村が選ばれましたが、熊川辺で、水が地下へもぐり込むという「武蔵野の逃げ水」に出会ってまた失敗。三度目は兄弟が住む羽村が選ばれました。幸い今度はなんの障害物にも出会わず、水路は羽村から福生へ砂川へと伸び、小金井、田無、三鷹、吉祥寺、高井戸、代々木を経て、ついに分水地の四谷大木戸に達しました。
幕府から受けた工費(八千両、今の金額で約二百億円)が下高井戸までで尽きてしまいました。その後いくら幕府に増額を願い出ても認められず、やむなく兄弟は田畑や家を売ってその費用をまかなったといわれます。
四谷大木戸からは、地下に埋められた木管や石管で、市中の各所に分水されました。長屋のかみさんたちが井戸端会議をするのは、地下水を汲む井戸ではなく、多摩川の水を上水道で持ち込み分配されていたのです。技術は進んでいたんですねぇ。
玉川上水は長い間、飲み水として、農業用水として、多くの人びとの命を支えた文化財産であり、また雑木林とともに武蔵野の自然財産です。ところが都市開発の波は急速に進み、すでに三鷹あたりまで埋めたてられ、さらにその上流も暗渠にする計画が進んでいます。太宰治が入水自殺したのは三鷹駅のすぐ下流ですが、この辺りはもう暗渠になっています。
多摩川から取水する羽村堰は、桜の名所です。今は小河内ダムが出来たせいで水量が減り迫力が無くなっていますが、多摩川が大きく彎曲する風景は、雄大であっただろうと思います。青梅線羽村駅から約10分で行けます。

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