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宇宙の外ってどうなってるの?コミュの世界は、心の世界と物質の世界に分かれている

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皆さん、こんばんは。dondonです。わーい(嬉しい顔)

「心はあたかもサーチライトのように脳全体を飛び回り、情報を引き出している」という、脳の神経細胞の研究でノーベル賞を受賞したジョン・エクルズ[1903〜1997] http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1059.html ≪※カール・ポパー&ジョン・エクルズ『自我と脳』上・下(1986 思索社)Karl R. Popper and John C. Eccles : The Self and Its Brain 西脇与作・大西裕 訳≫ の主張に対して、随伴現象説(※「このニューロンはこのように活動し、あのニューロンはこのように活動する・・・・・・」と記述すること、つまり方程式をつくることで心のすべてが解明できるという考え。「脳の機能の最小単位・ニューロンの活動に随伴して[つき従って]心が生じる」という唯物的な考え方)を信ずる科学者たちは「それは熱力学の第1法則に反する」と反論しています。「熱力学の第1法則」とは、別名「エネルギー保存の法則」とも呼ばれています。

例えば自動車は、ガソリンを燃やすことによって生じる熱エネルギーで走ります。電球は、電池の電気エネルギーを光に変えます。私たち人間も、食物のエネルギーによって生命を維持します。つまり「エネルギー保存の法則」とは、「あるエネルギーが別のエネルギーに変化する」という理論です。

さらにアインシュタインは、物質もエネルギーからできていることを、自らが構築した相対性理論から導きました(E=mc2)。エネルギーどうしの変化だけではなく、物質そのものをエネルギーに変えることができ、逆にエネルギーを物質に変えることができるというわけです。

つまりエネルギー保存の法則とは、「無から有は生じない」という理論なのです。脳も物質である以上、動かすにはエネルギーが必要です。ペンローズ[1931〜] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA が「心の影」と称したように、心が原因となってニューロンを発火させているとするのなら、心が脳にエネルギーを供給していることになります。

心は物質ではありません。従って、物質的には「無」です。「無から有は生じない、よって物質的には無である心が、脳にエネルギーを供給できるはずがない」というのが、随伴現象説を信じる人々の反論の主旨なのです。

ところがエクルズは、量子力学を用いてこの反論を見事にかわしてしまいました。量子力学の基本法則である不確定性原理を解くと、次のようなことが導かれるのです。

エネルギーの誤差×時間の誤差=一定

(定性的な表現としては、運動量と位置、エネルギーと時刻などの組が、同時にかつ正確に測定することが不可能という原理。1927年にハイゼンベルクが提唱した。量子力学の中核の一つ。定量的に言えば、[位置と運動量の例を取れば]位置の不確定性の大きさと運動量の不確定性の大きさの積がプランク定数に比例するというもの)。

ここで時間の誤差をゼロとしてみましょう。つまり「瞬間」ということです。この時、エネルギーの誤差は「無限大」となります。要は「ほんの一瞬であるならば、そこに物質があろうとなかろうと、いくらでも多くのエネルギーが得られる」というわけです。

この理論は、分子や原子レベルの、ごく小さい世界でしか通用しません。ですから、私たちの日常生活では「無限のエネルギー」を手に入れることは不可能です。しかしエクルズは、「ニューロンとニューロンの継ぎ目(シナプス)の部分で情報を伝えているエクソサイトーシスという突起は、非常に小さな領域なので、量子力学が十分適用できる」と説明しました。つまり、心という「物質的には無」である存在が、物質であるニューロンにエネルギーを供給できることを見事に示したのです。

これらの事実から、エクルズは次のように結論づけています。

「世界は、心の世界と物質の世界に分かれており、物質世界の一部である人間の脳と、心の世界の一部である人間の心との間には、密接な相互作用が存在する」

物質ではない心が物質世界に存在すると考えるのは、非科学的な主張です。エクルズがいうように、心は心の世界に属し、脳は物質世界に属すると考える方が、科学的であり論理的です。

では、私たちが死んでしまったら、私たちの心はどうなるのでしょう。

心が心の世界に属している以上、肉体が死んだとしても、心はそのまま心の世界に居続けると考えるのが自然です。その世界こそ、一般的に死後の世界や霊界と呼ばれている所ではないでしょうかexclamation & questionコーヒーひよこ魚波

コメント(8)

個人的に、
肉体はPC本体で、
心はネットワークに接続されたPC内データの様に考えていました。
なんだか近い物を感じ、驚きました。

死→個の容器だった肉体の崩壊
その後、心はネットワークに収容される
そのネットワークは霊界と言われたり、ネットワーク内に漂う死者の心をキャッチしてしまうと「幽霊を見た」なんてなったり。
また、新たな肉体に接続された心には、多くの心の混ざったものがインストールされ、そこに以前の個の要素が多く含まれると「前世」という物が影響してくる。みたいな。

エリック@HEXVOIDさん☆
>個人的に、
肉体はPC本体で、
心はネットワークに接続されたPC内データの様に考えていました。

 いやむしろ心の本体は、今でも、そのネットワークの彼方のアーカイブ領域にあって、PCとしての身体にインストールされるてのはドライバとかだけ、…ということはないでしょうか?

 つまり、我々(心)は、ここに居ると錯覚しているだけで、地球から遥かに離れた時空から、量子干渉による通信により、この身体を遠隔操作しているわけです。

 肉体の死は、PCがクラッシュして、アクセスが切れ、再接続が不可能になる状態に近いかもしれません。

 …が、何故そんな込み入ったことになっているのかは不明ですね。まぁ、それは、“心のセンター”を、想定されるあらゆる破壊から守り、安全に維持するためなのでしょうか?しかし、憑依現象などは一種のハッキングだったのかも知れませんね考えてる顔

 “心のセンター”がハッキングを受けた場合は、肉体の死よりヤバいことになるのかな、…。
>物質ではない心が物質世界に存在すると考えるのは、非科学的な主張です。エクルズがいうように、心は心の世界に属し、脳は物質世界に属すると考える方が、科学的であり論理的です。

 果たして、そうでしょうか?
 残念なことにエクルズは「物質には物質世界の法則がある」ことは認めていますが、「心には心の世界の法則がある」とまでは言っていないようです。
 そもそも、そうした法則があるかどうか、までは考えていません。
 つまり、心のメカニズムについては触れず、あくまでも神秘的なものとしてしか扱っていないわけで、「科学的であり論理的である」と言うからには、このへんをきちんと論じておくべきでは、と思います。
 このままでは「心と物質とは違う」と言っているだけで、どこがどう違うのか、とか心の世界には、物質とは違う、何か別の法則が成り立っているのか(いないのか)という、一番知りたい肝心な部分の答えが見えてきません。


心は脳が機能してなんぼだから、死んだら心の世界もなにも…
皆さん、コメント、どうも、有難うございますexclamation ×2dondonです。わーい(嬉しい顔)

皆さん、良く考えておられるんですねexclamation ×2ほっとした顔コーヒー

僕も、もっと考え、実践していきますexclamation ×2ひよこ魚波
 物質も“特殊な心の状態”かも知れません。

 つまり、物質と呼ばれるものも、もっとも客観的かつ安定して再生可能な、“記憶-それ自体”とでもいうものではないか、…と。

 物質は、集合的無意識の“記憶機能それ自体”と考えてもいいように思うのです。

 そう考えると、物心二元論が避けられるメリットがある気がします。

 物心二元論の何がまずいかというと、物の世界がなくとも、心だけでも“独立の世界”が成立してしまうので、物がある必然性がなくなるわけです。

 もし、物が広い意味での“心のメモリー機能”であるとすれば、物の世界がある必然性が理解できます。

 記憶が、ころころと都合によって変わると、記憶として全然役に立たなくなるわけですが、心から見て、一定の法則と手続きによってしか変えられない“物質というもの”は、記憶形態としては、やはり最高の形態なのではないでしょうか?!
 さて、恐れおおくもノーベル賞学者であるジョン・エクルズの論理に、無謀にも「それはおかしいのではないか?」とぼくが感じたわけを記述してみます。
 以下は、すべて文中からの抜粋で、ぼくの考えは加えていません。

 
 ・心が脳にエネルギーを供給している。
 ・エネルギー=質量
 (アインシュタインは、物質もエネルギーからできていることを、自らが構築した相対性理論から導きました(E=mc2)。エネルギーどうしの変化だけではなく、物質そのものをエネルギーに変えることができ、逆にエネルギーを物質に変えることができるというわけです。.....文中より抜粋 )
 ここから導き出される結論は、本来

 ・ゆえに、「心」は質量を持っている   なのですが、しかし


 ・「心」は物質的には無である
 ・量子論により、無からエネルギーを生み出すことができる と書いてあります。
  さらに

 ・物質ではない心が物質世界に存在すると考えるのは、非科学的な主張です。エクルズがいうように、心は心の世界に属し、脳は物質世界に属すると考える方が、科学的であり論理的です。(文中より抜粋)

 なぜか、このへんから急に「心」の定義があいまいになってきます。
 心=脳を動かすエネルギー=質量=物質世界の存在  ではなかったのだろうか?

 最終的に

>心が心の世界に属している以上、肉体が死んだとしても、心はそのまま心の世界に居続けると考えるのが自然です。

 というのが結論になるわけですが、この論理の展開もかなりアクロバティックで、なぜそれが自然なのかはわかりません。
 「心はそのまま心の世界に居続けると考えるのが自然」ならば、物質である脳と相互作用することはない筈です。
 そして結局、「心とはなにか?」は不明のままです。

 ぼくでなくとも「あれ?結局ジョン・エクルズはなにを言いたかったんだ?」とあっけにとられるのではないでしょうか。

 



 

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