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歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]コミュの『井伊直弼』暗殺の銃の行方(^O^).1

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「桜田門外の変」で暗殺された『井伊直弼』は、幕末という激動の時代に翻弄され 消えていった人物の1人です(^O^)
「桜田門外の変」
は、時代の転換期を象徴する事件として 現在まで 語り継がれています(^O^)
この事件には、もうひとつの 真相があったのではないかと言われています(^O^)人差し指
歴史の表舞台には登場しない ある人物が関わっていたのではにいかと 言われてるんです(・◇・)?
しかも その人物は、暗殺という事件の核心部分に 大きく関わる役目を担っていたそうです(^O^)人差し指
大まかに 流れを追ってみます(^O^)人差し指
幕末の政治を 不安定にした理由ひとつは、“将軍の後継者問題”でした(^。^;)
1853(嘉永6)年 『ペリー』が来航し、幕府が 大揺れに揺れてる時
第13代将軍に就任したのは、『徳川家慶(いえのぶ)』の息子『家定(いえさだ)』でした(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
『家定』は、心身に障害があり 実質的に政治を動かすことは不可能(^。^;)
そこで、すぐに次の将軍を立てる必要がありました(^O^)
おりしも、アメリカ総領事『ハリス』が1857年10月に
“通商条約”
を結ぶことを強く主張してきました(^O^)人差し指
1858年のはじめに幕府は、条約調印を決めますが 実際に調印するためには、勅許(ちょっきょ)が必要なため、老中『堀田正睦(ほった まさよし)』が上京します(^O^)
しかし、『家定』では この難問に対処出来ないため、早急に次の将軍を決める必要があったのです(^。^;)
後継者の順番で言えば、『家定』の いとこになる『慶福(よしとみ)』が後継者なんですが、『慶福(よしとみ)』は この時、まだ 10歳で、将軍としての実権を持つことは 現実的には全く不可能でした(^。^;)
そこで、水戸藩の『徳川斉昭(とくがわ なりあき)』の子どもで、徳川御三卿のひとつ 一橋家の養子となった『慶喜(よしのぶ)』を擁立しようとする動きが 高まります(^O^)電球
『慶喜』を推すのは、越前藩主『松平慶永(まつだいら よしなが)』や『慶喜』の父親の『徳川斉昭』、薩摩藩主『島津斉彬(しまづ なりあきら)』の 一橋派と言われる一派でした(^O^)
これに対して『慶喜』は、紀伊藩主だったために 南紀派と呼ばれました(^O^)
そしてこの南紀派に加わって大きな力になったのが、彦根藩主だった『井伊直弼(いい なおすけ)』だったのです(^O^)

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