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歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]コミュの偉大な探検家『間宮林蔵』.2(^O^)

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江戸での『林蔵』は、幕府の役人で測量家の『村上島之允(むらかみ しまのじょう)』に師事していました(^O^)メモ
1799年 幕府の命により、蝦夷地へ初めての調査隊として派遣されますε=ε=┏( ・_・)┛
当時の日本は、ロシアの脅威を感じ始めはていた頃で、北方への関心が高まっていました(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
この調査で、松前を拠点に 2年かけて北方領土まで調査しました(^O^)人差し指
これが、後の樺太発見の下地になったそうです(^O^)
また、偶然に 全国実測図作成のために測量に来ていた『伊能忠敬(いのう ただたか)』と 師弟関係を結んだことも、大きな収穫だったのでしょう(^O^)人差し指
そして、1808年 『林蔵』は『松田伝十郎』とともに樺太調査に出発しますε=ε=┏( ・_・)┛あせあせ(飛び散る汗)
この調査は、前年に択捉島(えとろふとう)で ロシアが襲撃事件を起こした「フヴォストフ事件」を受け、樺太におけるロシア勢力を知るため 必要に迫られてのものでした(^_^;)
2人は、アイヌ人の案内で 『林蔵』は東から、『伝十郎』は西から北上することになります(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
実は先に 樺太が島であることを発見したのは、『伝十郎』でした(^O^)
しかし『林蔵』は 一旦 調査から戻った後、再び樺太を目指して北端からシベリアへ渡り 島を大陸から再確認します(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
そしてロシアや中国の調査も済ませ、完璧な形で 幕府に報告しました(^O^)
『伝十郎』を出し抜いた形になりましたが、幕府は『林蔵』の報告を 喜びました(^O^)
『林蔵』が、28歳のときでした(^O^)人差し指
厳寒の地で、16ヵ月に渡り 調査を続けた勇気を称賛され、『林蔵』は 一躍有名になりました(^O^)
農民出身ながら、武士以上に尊敬される地位についたことは 『林蔵』本人も誇らしく思っていたでしょう(^O^)ぴかぴか(新しい)
しかし、晩年の『林蔵』は もうひとつの“顔”を 疑われるようになるんです(^O^)

コメント(2)

樺太が島だった〜と、発見した人……ホントは伝十郎だったのニャ(@_@)手柄独り占めはアカンゼヨ

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