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歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]コミュの海の百万石2『銭屋五兵衛』?(^O^)「松前藩のやり方」

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この事件を重く見た松前藩は、4代目の飛騨屋が請け負っていた「厚岸(あつけし)」「霧多布(きりたっぷ)」「クナシリ」「宗谷」の4場所を 取り上げ、藩の直営にしました(`o´)
しかし、実際には 飛騨屋の下請けをしていた『村山伝兵衛(むらやま でんべい)』に やりくりを任せ、運上金を払わせていました(^_^;)
『伝兵衛』が カラフトに進出したのは、1790(寛政2)年のことです(^_^;)
『伝兵衛』の商いの場所は、35ヶ所に及び 2500両の運上金を納めるようになりますo(^-^)o
しかし、長くは続かず 『伝兵衛』を嫉む者が 事業を潰そうと、切り崩しにかかります(`o´)
大坂の商人『小山権兵衛(こやま ごんべえ)』は、松前藩に賄賂を使い 「宗谷」「斜里(しゃり)「カラフト」の3つの場所を横取り(`o´)人差し指
さらに松前藩は、『伝兵衛』が 200両で請け負っていた「増毛(ましけ)」「苫前(とままえ)」の鮭漁場を、700両で請け負うという江戸の商人に譲るために 取り上げ、「厚岸」「根室」「クナシリ」の3場所も 運上金を増やすと言ってきた江戸の小林屋と 南部の熊野屋に請け負わせただくでなく、『伝兵衛』から 「長者丸(松前藩が無料で貸していた船)」も 取り上げてしまいました(^_^;)
『伝兵衛』さんは、財産をまとめて 大坂へ行くことを考えてました(^_^;)
しかし、松前藩は 『伝兵衛』さんに 言い掛かりをつけ 財産を没収したんです(^_^;)
さらには、追放されてしまいます(>_<)
『飛騨屋久兵衛』と、『村山伝兵衛』の相次ぐ没落に変わって 『高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ』が 蝦夷地を代表する豪商への道を歩き出すんですo(^-^)o
ロシアは、1804(文化元)年に 長崎に使節団を送り、通商を求めますが 幕府は応じませんでした(`o´)人差し指
ロシア勢力を警戒した幕府は、1807(文化4)年、松前藩から 蝦夷地を取り上げ 直接 治めることにします(^_^;)
1811(文化8)年 4月10日過ぎ、伊助「旦那、完成しましたぜo(^-^)o」
五兵衛「おお〜っ、立派なもんだ(^O^)ぴかぴか(新しい)
次兵衛「見違えてしまうほどですな(^O^)」
しかし、なんといっても 120石積みの船(^O^)
乗員は、船頭(せんどう)を含めて 3人(^O^)あせあせ(飛び散る汗)
五兵衛「この船に 名前をつけないとな(^O^)そうだ“宝栄丸(ほうえいまる)にしよう」

コメント(2)

ほうえいまる(*^^*)いいですねぇ〜
松前藩といえば、家老だった蠣崎波響は永倉新八の縁戚にあたる人(^_^)で絵も描く画家。
観光協会から、タイムスリップした少女と波響が出会い、松前藩の歴史を語るという漫画が出ているそう。
松前藩のできる経過なども描かれているらしいですよ(*^^*)ちょっと読んでみたいなぁ


波響の絵も、ここにアップしたいですが、スマホじゃ、できないのです(T^T)
なるほど(^_^;)
絵は、見たよ(^O^)
ありがとうね(^O^)

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