ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]コミュの海の百万石2『銭屋五兵衛』?(^O^)「悲しき事実」

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
商人は、交易だけでなく 沢山の木材や 漁業資源に目をつけ、開発にあたりました(^O^)
勿論、運上金を納めてです(^O^)ドル袋
こうした商人を、“場所請負人(ばしょ うけおいにん)”といいました(^O^)
彼らは、利益を求めるあまりに アイヌ を騙し 僅かな賃金で、無理やり働かせるなどし 暮らしを圧迫(^_^;)
1774(安永3)年 『五兵衛』が生まれた翌年、『飛騨屋久兵衛(ひだや きゅうべえ)』の クナシリ場所で、事件は起きました(」゜□゜)」あせあせ(飛び散る汗)
『久兵衛』の配下たちの やり方に、クナシリアイヌの不満が爆発し 暴動になり 交易所と船を襲いました(>_<)
『久兵衛』は その後7年間、クナシリでの交易を中止し 大損失を被ってます(>_<)
さらに1778(安永7)年には、飛騨屋が漁場を経営していた霧多布(きりたっぷ)場所のノカマップに ウルップ島からやってきたロシア人が数十人、武器を手に上陸ε=ε=┏( ・_・)┛
ロシア人たちは、交易を求めてきたんですε=ε=┏( ・_・)┛彼らは翌年も 厚岸(あつけし)に交易の返事をもらいにきます(^O^)
松前藩の代表は、彼らと会い 交易を断りました(^O^)理由は簡単、幕府の厳しい鎖国のせいです(^_^;)
この出来事を、松前藩は 幕府に報告しませんでした(^_^;)
ところが、長崎の外人から この事が漏れて、噂になりました(^_^;)
仙台の藩医『工藤平助(くどう へいすけ)』は、この噂をもとにして 「赤蝦夷風説考(あかえぞ ふうせつこう)」という本本を出版しました(^O^)手(パー)
蝦夷地を 松前藩に任してきた幕府も、『近藤重蔵(こんどう じゅうぞう)』や『最上徳内(もがみ とくない)』らを、調査隊として送り込みましたε=ε=┏( ・_・)┛
『久兵衛』に 使用人の不始末をなすりつけ、大金の支払いを命じたり 山を取り上げたり、厳しく抑えつけていきました(>_<)松前藩にとって、『久兵衛』は 厄介な邪魔者でしかありませんでした(>_<)あせあせ(飛び散る汗)
『久兵衛』は、松前藩の身勝手な振る舞いを 幕府に訴え 裁判で争われ、『久兵衛』は、松前藩との裁判に勝利しますが その3年後の1784(天明4)年に、48歳で亡くなります(>_<)あせあせ(飛び散る汗)
『久兵衛』の死から5年後、クナシリ島と知床半島のアイヌが 飛騨屋の支配人や船を襲って 多くの商人を殺害する事件が起きましたげっそり
“寛政蝦夷の乱”ですげっそり

コメント(2)

最北の藩、松前藩は北海道の多くの権利を独占したですね

アイヌの人々にとってはとても不公平なことばかりを押し付けました。

乾鮭100本に対して米俵1俵という取引など……それも藩の財政が苦しくなるともっと少なくしていったとか

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

歴史を楽しく学ぶ会[江戸編] 更新情報

歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング