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歴史を楽しく学ぶ会[江戸編]コミュの禄高が少なくても、与力や同心が贅沢出来た( ・・?)[江戸]

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町奉行所で働く与力(よりき)は、およそ200石取りで お金がま口財布に換えれば、70両程度(^-^)現在の貨幣価値にして、560万円(年収)ですから それほど高級取りだったとは いえませんね(;^_^A
>でも、与力は かなり贅沢をしていました( ̄^ ̄)与力とその家族が住む八丁堀の屋敷では、多くの女中を使っていたし 衣装にも凝っていましたし、食事レストランもかなりの御馳走を食べてましたo(^-^)o与力の実際の年収は70両どころではなく、300〜500両(単純に、4〜7倍)程度は あったといわれてます(^-^)
>与力がそんな稼ぎを得られたのは、役得によるもの(^-^)大名・大商人らが、金品を“付け届け”してちたんですo(^-^)o何か揉め事があったときには、よしなに処理してほしいという思惑が、その付け届けには込められていました(^-^)付け届けとは、現在でいう“賄賂”みたいなものです(^-^)
>どんな揉め事が多かったと言うと、大名の場合 参勤交代のため 多くの家臣が江戸に在住していました( ̄^ ̄)彼らは江戸の町人から田舎者とバカにされがちで、喧嘩を売られることがありました(;^_^A
>その際、家臣が頭に血をのぼらせて刃傷沙汰になり、それが幕府上層部に知れれば大問題になりかねないからです(;^_^Aその為、事件現場を仕切る与力に穏便な形で収めてもらおうと考えて こういう形になったんです(;^_^A
>そこで、江戸在住の大名は 付け届けをして与力と親密な関係を築こうとしたんです(^-^)大商人も、同じことです(^-^)与力は、大名・大商人の揉め事相談役といった存在だったんです( ̄^ ̄)
>300家もの大名や多数の商人らが、50人の与力に金品や地方特産品を贈るのですから、与力の懐は膨らむばかりでした(^O^)当時、贈収賄は御法度ではなかったから、いくら貰おうが問題はなかったんですo(^-^)o

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