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一生勉強、そして努力 コミュの[娯楽/ビジネス心理学] 説得するときの腕組みはNG、他

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○説得するときの腕組みはNG

「あなたは、ふだん腕組みをしますか?」と問われた人が、「いいえ」と答えながら、腕組みをしていたという笑い話しがある。
それほど、人は無意識のうちに腕組みをしているものだが、心理学的には、腕組みをすると、それだけで人から警戒され、嫌われる原因になりかねないとういうから注意が必要だ。

心理学者のマッキンリーらの研究によると、相手を説得するときの姿勢には、「オープン・ポジション」と「クローズド・ポジション」の二通りがあり、両者は人を説得するさいに大きな違いを生む。
当然ながら、「クローズド・ポジション」では、相手を説得しにくく、その代表が腕組みのポーズだと指摘している。

腕組みは、胸を閉じ、自分をガードする形であり、無意識のうちに相手を拒絶するポーズといえる。
確かに、そういう姿勢では、言葉では相手を説得していても、納得させるのは難しいだろう。そればかりか、相手から「傲慢な態度」「お説教」と拒絶されかねない。

一方、「オープン・ポジション」の基本姿勢は、正面を向き、両足をやや開き、手の平を相手に見せるポーズである。

○ 相手を責めずに「私が困るんだ」と言う

自分の意見や考えの伝え方は、「あなたメッセージ」と「私メッセージ」の二つに分けられる。例えば、上司が部下のミスを𠮟る場面で、「あれほど相談しろと言ったのに、君はなぜ自分勝手に判断したんだ」というのは、「あなたメッセージ」。「君は」と相手を主語にして、ミスした部下を責める言い方である。

これに対して、「私メッセージ」では、「相談なく、自分で勝手に判断されると、困ることもあるんだよ」という𠮟り方になる。「私」が主語で、私が困難な状況に陥ることを相手に伝えるコミュニケーション法だ。(アイメッセージとも言う)

両方の言い方を比べたとき、𠮟られる側の印象はどうだろうか。「あなたメッセージ」のほうが、明らかにきつく聞こえ、人間関係上の摩擦を起こすことがわかるだろう。
一方、「私メッセージ」は、相手を受け入れつつ、事実だけを問題にするメッセージといえ、気持ちが相手に伝わりやすくなる。

とりわけ、部下から性格がきつい、怖いと恐れられている上司は、「私メッセージ」をうまく使えば、メッセージをうまく伝えられ、相手を上手に説得できるはずである。

○「細かく即座にほめる」これがモチベーションアップの秘訣

ある会社で、営業一課は、二課に業績で大差をつけられていた。その原因を探ると、課長の部下への対応の違いではないかということがわかってきた。
一課の課長は、仕事をほとんど部下に丸投げしていたのだ。たとえば、一週間や一ヶ月という期限を区切ると、その間はほとんどノータッチ。部下に自由に仕事をさせていた。

一方、二課の課長は、少なくとも三日に一度は、状況を報告させ、その成果をほめたり、逆にうまくいかないときは改善策をアドバイスして、早めの対策を講じていた。
この課長の対応の差が、業績の大きな違いにつながっていたわけだ。
これは、「即時確認」がいかに有効かということの証明といえる。心理学の実験でも、仕事や勉強の細かな一区切りがつくたびに、即座に評価を与えると、作業能力や学習力が上がるという結果がでている。

つまり、人は、一つの仕事を完了したとき、すぐにほめられると、やる気が高まり、上司や指導者に対して大きな好感を覚える傾向があるのだ。
プロ野球では、優勝を争うような大事な試合では、社長賞や監督賞を出して、選手のやる気を引き出すことがある。

仕事や勉強では、いちいちボーナスを出すわけにはいかないが、ほめ言葉をかけるだけでも、かなりの効果を期待できる。

○ 厳しいことを言うときは、ほめ言葉で締めくくれ

たとえば、部下に「今度の仕事は厳しいけれど、君なら大丈夫だよ」というのと、「君なら大丈夫だと思うけど、今度の仕事は厳しいからなあ」と言うのでは、受け止めるほうの印象はまったく違ってくる。

いくらほめ言葉を添えても、最後に悲観的な話しをすれば、「だから、あまり期待していないよ」と言ったのと同じになってしまう。
期待をかけているのなら、「今度の仕事は厳しいけれど、君なら大丈夫だよ」と、最後をほめ言葉で結ぶことだ。

「終わりよければ、すべてよし」という言葉がある。前段で多少厳しいことを言っても、終わりにほめ言葉で結べば、あなたの激励の気持ちはしっかり伝わるはずである。

○ 人前でほめると逆効果なときがある

ある高校生が、高校総体に出場。みごと全国一位になったようなとき、たいていの高校では、全校生徒の前で、その偉業をたたえるだろう。他の生徒も、素直に拍手を送るにちがいない。
しかし、地元の地区大会で入賞した程度なのに、全校生徒の前でほめられたら、周りの生徒から大ブーイングだろう。

「なぜ、地区大会で入賞した程度で、あいつだけがほめられるのか」と腹を立てる生徒も現れるに違いない。
といえば、「そんなこと当然だろう」という人が多いだろうが、意外に学校や会社では、これと似たようなことが頻繁に起きている。

教師や上司が「ほめてやらねば」と無理にほめていると、結果的にそれ意外の人たちから反感・嫉妬を買うことが少なくないのだ。
それによって、ほめられた生徒や社員まで、イヤな思いをすることにもなりかねない。
とかく、人前で、人をほめるのは難しい。個別に呼んでほめるほうが、ほめられる人のためにもなる。

○ 大阪で巨人の話しをするヤツにビジネスはできない

東京の人が商談で大阪に行ったとき、「ジャイアンツファン」であることを公言してはいけないというのは、ビジネスのイロハ。
熱狂的な阪神ファンがあふれている大阪では、「巨人」とか「ジャイアンツ」と口にするだけで、「話しが合わん」と、商談どころではなくなることがある。

といえば、「そんな大げさな」と笑う人がいるかもしれないが、ウソだと思うなら実際に試してみればいい。無事に、何ごともなく帰れることを祈るだけである。

ふだん、私たちは、じつに他愛もないことでも、話しが合わないと、「あの人とは話しが合わない」とか「気が合わない」と感じる。
そして、そういう小さな相違点、違和感が重なると、やがてはお互い相手を避けるようになってしまう。

これは、相手との食い違いが、不快感を生じさせるからである。もちろん、相手との違いが、その人にとって小さなことであれば、気にせずつき合うこともできるだろう。
しかし、大阪人にとっての阪神タイガースのように、その人にとって優先順位の高いことで話しが合わなければ、その不快な気持ちが行動や態度に直結することになる。

この心理傾向をめぐって、アメリカで、被験者に架空の人物のプロフィールを見せる実験が行われたことがある。
そのプロフィールには、文学やスポーツの好み、宗教などが記され、意図的に被験者の好みと同じにしたり、違えてあった。そして、その人物に対する評価を聞いたところ、被験者と似ているところが多いほど、架空の人物への好意は増すという結果が出た。

人の好き嫌いは複雑なようでいて、基本的なところでは、話しが合う人に好意を抱き、話しの合わない人を避ける傾向があるというわけだ。

○ 相手の性格にレッテルを貼ると失敗する

ビジネスマンには、もらった名刺に「黒ぶちメガネ。右目下に小さなホクロ」「丸顔。エルメスのネクタイ」などと、メモしておく人がいる。
特徴を記入しておくと、後々どんな人だったか思い出しやすいというわけだ。

しかし、見た目の特徴はメモに残しても、してはいけないのが、相手に人格上、性格上の「レッテル」を貼ること。とくに「引っ込み思案」「学生気分」「腰掛け気分」など、性格や態度にマイナス方向のレッテルを貼ると、後々取り返しのつかないことになりかねない。

人物に対して一度レッテルを貼ってしまうと、そのレッテルが潜在意識に強く残る。以後、その人物を公正に評価できなくなるばかりか、お酒が入ったときや、怒ったときなどに、ついついその言葉を口走ってしまいやすいのだ。
たとえば、相手のミスを𠮟っているとき、「君はどうして学生気分が抜けないだ」と言えば、相手はカチンとくるだろう。第一、相手のミスと学生気分とは、なんの関係もないかもしれない。

人の性格は、つき合えばつき合うほど複雑で、決まり文句で言い表せるほど単純なものではない。他人に対して安易なレッテルを貼るのは避けることだ。

○説教すればするほど説得力が落ちる

子どもの頃、親から「勉強しろ、勉強しろ」と言われることに反発して、かえって勉強しなくなったという人もいるだろう。また、これから勉強しようと思っているときに、「勉強しろ」といわれ、
「今、やろうと思ってたのに」と言い返した人もいるだろう。

心理学には、「ブーメラン効果」という言葉がある。人から説得されると、反発を感じて、かえって逆の心理が働くことがあるのだ。説得する人に対して、大きな反発を覚えることも少なくない。
単に、へそ曲がりやあまのじゃくな人だけがそうなるのではなく、「他人の思い通りになるものか」という抵抗の気持ちが芽生える仕組みは、誰の心にも備わっている。

説得者の態度や言葉に不信感を覚えたり、あるいは説得を自由への脅威と感じたとき、人の気持ちには強い反発心が生じるのだ。
とくに、くどい説教は、人から嫌われるもとである。「耳にタコができる」という言葉があるが、同じことを何度も繰り返すと、「またか、いいかげんにしてくれ」という反感を導き出しやすいのだ。

しかも、しつこく説教すると、かえって説得力が落ちることは、心理実験でも明らかになっている。
アメリカの心理学者カシオッポは、学生相手に「なぜ、大学の予算を増やさなければならないか」と説得するという実験を行った。
Aグループには対しては一回だけ説得し、Bグループには三回、Cグループには五回説得したところ、もっとも大きな説得の効果が現れたのは、三回のBグループだった。

次が一回だけのAグループで、もっとも回数を重ねたCグループは、四回目以降、逆に反対する人が増えたという。つまり、同じことで四回以上説得、説教すると、「くどいなあ」と反感をもたれ、逆効果に終わるというわけだ。

○ シカトは敵を増やす

以前、同窓会の席で、飲み物に毒を混ぜようとして捕まった人がいた。中学時代、いじめを受けた仕返しに、かつてのクラスメートを毒殺しちょうと企んだという。
学校で行われているいじめ行為の一つに「シカト」がある。集団で一人の生徒を無視するもので、無視された生徒は、仲間はずれにされたことによる疎外感で精神的に追いつめられていく。むろん、そういう状態が続くと、その疎外感は、自分を無視する者への憎悪に変わっていく。

これは大人社会でも同じことで、たとえばある企業のサラリーマンは、就職後10年で、四度の人事異動を経験。二〜三年ごとに異動させられたが、その都度、部署が違い、「会社は、自分になにをさせたいのかわからない」と不満に思っていた。

自分の使い方に一貫性を感じられないところから、会社から軽視されているような気分になり、会社への憎しみをつのらせていったんである。
人は誰しも強い承認欲求をもっている。それは、友人や知人、あるいは組織や社会から、自分を認めてもらいたいという欲求であり、この欲求は、周囲の人たちの評価や温かい態度によってしか満たされない。

たとえば、会社なら、上司からちょっとほめられたり、励ましの声をかけてもらうだけで気持ちが落ち着く、ということになる。
プロ野球の世界でも、いきなり先発をはずされたり、二軍に落とされると、選手は監督に対して反発を覚えるものだ。しかし、担当コーチがフォローし、じっくり話し合えば、たとえ二軍に落ちても、その選手は一軍への復活をめざして練習するだろう。

野球チームにかぎらず、組織内では、部下は上司の言動にたえず注意を払っているものだが、人の上に立つ人は、その気がなくても、知らず知らずのうちに、周囲の誰かを無視、軽視していることがある。
意識的に周りに気を配らなければ、てきめん敵をつくることになる。

○ 犬猿の仲でも共通の目的があるとうまくいく

かつて、「チームをまとめる秘訣は?」と聞かれた元南海ホークスの監督で、歴代勝利数第一位の鶴岡一人氏は、こう答えた。「チームが勝つことや」
確かに、弱いチームでは、選手同士のケンカや監督批判が噴出するが、優勝という共通の目的に向かって戦っているチームは、どこも一丸となっているものだ。

たとえば、メジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツには、かつて犬猿の仲といわれた二人の選手がいた。ホームラン打者として有名なバリー・ボンズと、リーグを代表する二塁手だったジェフ・ケントである。

ケントは、何かと特別扱いされるボンズが大嫌いで、公然と批判していた。ボンズとしても黙ってはいられず、つかみ合いのケンカになることがあった。
ところが、2002年のシーズン、サンフランシスコ・ジャイアンツは、ワールドシリーズに進出。念願のワールドシリーズ制覇に向けて、チームは一丸となった。ボンズとケントの二人も一時休戦し、チームのために懸命に戦った。

しかし、アナハイム・エンジェルスに敗れて、共通の目的がなくなったとたん、ケントはさっさと他のチームに移っていった。
共通の目的があると状況を認知している間は、敵対関係にならないというのは、プロスポーツに限らず、どこでも見られるだろいう。
たとえば、ある夫婦の仲は完全に冷えきっていたが、子どもを名門小学校へ入学させるという共通の目的があった。二人はともに「お受験」に取り組み、親子面談でもいい夫婦を演じた。

しかし、子どもが志望校に合格した数ヶ月後には、離婚してしまった。
アメリカの心理学者には、この「共通の目的をもたせる」ことこそ、敵対する者たちの対立をもっとも手っとり早く解消する手段という人もいる。

○ やみくもにほめるより、まずは「そうだね」と同調

医者の心得として、患者の話しには「そうですか」「そうでしょうね」と、まず同調せよといわれている。心理学上、「容認」と呼ばれる対人関係の築き方で、治療面接の代表的手法となっている。

患者は、医者に同調されると、自分を丁寧に扱ってくれ、ちゃんと診察されていると満足する。そういうメンタルセットができれば、その後、医者の指示や忠告にきちんと耳を傾けるようになる。つまり、医者にとっては、まず患者の自尊心を満足させ、安心させることが、診療の第一歩になるのである。

この手法は、もちろん一般社会にも通用する。上司が部下の心をつかむためには、まず部下をありのままに受け入れ、長所をほめ、励ますことから始めれば、部下は上司の命令や指導をうけ入れやすくなる。
ただし、ほめすぎると、ただのお世辞になって、相手を増長させるなど、逆効果を生むこともある。やみくもにほめるより、「そうだね」と同調することを軸に接したほうが、人間関係をよくする効果は大きい。

○結束を強めるには「仮想敵国」をつくれ

かつて、「仮想敵国」という言葉が盛んに使われた時代があった。米ソ冷戦時代、資本主義陣営は、ソ連を始めとする社会主義陣営を「仮想敵国」とし、陣営の結束をはかったものだ。

本来、バラバラのものをまとめるには、共通の敵をつくることはきわめて有効な方法である。心理学では「認知的バランス」という言葉で説明されるが、「A」と「B」が敵対する「X」に向かって、ともに敵対意識(マイナス)を抱いていると、「A」と「B」の間には、友好関係(プラス)が芽生えるというものである。

じっさい、組織や個人の間でも、当面の敵を打破するために、しばらくの間、手を結ぶというのは、よく行われることである。
たとえば、業界二位の企業が販売促進に取り組むとき、とりあえず、業界三位の企業と手を結び、業界最大手を仮想敵として、販売キャンペーンを展開するといった手法だ。

単独で販売キャンペーンを行うより、相乗効果が期待できると同時に、仮想敵国をつくることで、具体的な目標を設定しやすくなる。
また単独で販売キャンペーンを実施するときも、ライバル企業を共通の敵とするほうが、社員のやる気を引き出しやすい。

同じようにキャンペーンを張るにも、「打倒!○○販売」といったスローガンの下、ともに戦うほうが、社員が一丸となれるものだ。
メンバー全員の敵対意識が、一つの方向へ集まれば集まるほど、そのパワーは強大になる。戦争とビジネスには、心理作戦という面では、かなり共通点がある。

○ 会議での発言力は日頃の態度が影響する

会議で、どんなにいい意見を言っても、全員が賛成してくれるとは限らない。その意見の意味がわからない人もいるだろうし、「あいつは気にくわないから」という理由で、反対に回る人もいる。

話しの内容がよくわからない人にも、発言者の態度は評価できる。だから、ふだんの態度に問題があると、肝心なとき、その態度が仇となるのだ。
たとえば、ふだんからいばっている人は、他人を見下しているぶん、いざというときに味方が少なくなる。また、ふだん卑屈な態度だったり、なげやりな人も、親しみを感じてくれる人は少ない。

たまに積極的になっても、周囲はとまどうだけだろう。
さらに、ふだんから、落ち着かない言動が目立っていると、周りから軽く思われて、信用度は高まらない。
人は、相手の発言だけでなく、その人のふだんの態度も評価の材料にする。ふだんの態度を甘くみていると、肝心なときに泣きを見ることになる。

○ 上司は嫌われるものを心得よ

サラリーマン川柳に、「ひとりだけ、笑わぬ部下のいる不安」というのがある。雰囲気をなごませようと、冗談を言ってみたものの、たった一人、クスリとも笑わない部下がいる。そのときの“ぼんやりした不安”をよんだ川柳だが、部下をもつ立場の人には「わかるなあ」という人が多いのではなかろうか。

ただし、この川柳をめぐっては、「笑わぬ部下が一人だけなら、スゴイ統率力だ」という声もある。
心理学的にいって、上司は嫌われる宿命にある。企業や組織は、タテ社会である以上、命令や指示を出す立場の人間は、部下の自由な行動を制約することになる。
相手の行動を制限すれば、それは基本的に嫌悪感につながることになる。

中間管理職の心得としても、課長や係長への昇進が決まったら、祝杯をあげると同時に、「これからは、人に嫌われることを覚悟しろ」と言われるものだ。

そもそも、人間は、自分で自らの行動を決定する行動様式と、上からの命令に従う歯車的な行動様式の二つによって行動している。

このどちらの志向が強いかは、個々人の性格によって違ってくる。もちろん、自分で自らの行動を決定したいタイプほど、指示されたり命令されることに、強い反発心を抱くことになる。そういう人は、上司の命令や態度を自分に不利な行為と感じると、即座に上司を嫌いになるタイプともいえる。

しかし、そういうタイプでも、上司が目をかけてくれていることがわかったり、励まされたりすれば、上司に好意を抱くようになる。

部下は日々、上司を嫌いになったり、好きになったり、しているわけで、「嫌い」に傾く回数や度合いが大きくなると、上司を決定的に嫌いになっていく。
上司としては、しっかり部下をまとめるコツは、好かれようとは思わず、決定的には嫌われないようにすることにあるといえるだろう。




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(上の続き)
○ 気分がすぐれないときは、人と会わないほうがいい

「晴耕雨読」という言葉がある。ご存じのように、「晴れたら農作業をし、雨が降れば家の中で静かに読書にふける」という意味で、かつて農業する人は、そうして日々を過ごしていた。
ところが、サラリーマンやOLは、雨が降ったからといって、自宅で本を読んでいるわけにはいかない。
雨が降ろうと雪が降ろうが、ときには台風の中を進んででも会社までたどりつき、勤務につかなければならない。
これは、天気だけでなく、その日の気分にも当てはまることだろう。たとえば、プライベートな約束であれば、体調が悪いときには、人と会う約束があってもキャンセルすることができる。

しかし、ビジネスの世界では、少々気分が悪いぐらいで、約束をキャンセルしていては、信用を失い、まとまる話しもまろまらなくなってしまう。

しかし、本来、気分や体調が悪いときには、なるべく人に会わないほうが懸命といえる。不快なときは、人と会っても、うまく話しが進まないことが多いからだ。しかもイライラしていると、相手に不快な思いをさせることもあれば、こちらが相手に対して好ましくない評価を下しがちになる。

といっても、会社を休むというわけにはいかないから、出社しても、できるだけ人と顔を合わさないようにするのが、懸命かつ現実的な方法といえる。外回りをしていることにして、カフェなどで時間をつぶしたほうがいいときもあるはずだ。

「こんな気分じゃ、人に会ってもうまくいかないな」という予感のする日は、できるだけ、人を顔を合わさなくてもすむように工夫したい。

○ 命令するときは質問系で

最近の若い人には、昔以上に命令されることに反発を覚える人が多くなっている。だから、昔ながらに「ああしろ、こうしろ」と口やかましく命令していると、ある日突然、「辞めさせていただきます」と辞表を提出されることになりかねない。

そこで、最近は、命令するにも「こうしろ」より「どうしたいか」と尋ねる形をとる上司が増えている。たとえば、「A社の部長をプッシュしてみろ」と言うのではなく、「A社の部長をプッシュすれば、うまくいくと思うが、どうだろうか?」と質問の形をとってアドバイスするのだ。

心理学の実験でも、単に命令するよりも、相手に考える余地を与えたほうが、部下や子どものやる気を高められることがわかっている。先の例でいえば、上司が「だれかをプッシュしたほうがいいと思うが、だれがいいだろうか?」と聞けば、より部下に考える余地を与えることになり、自立のトレーニングにもなる。

○ ミスを叱って、人柄を叱らず

お客から「まだ商品が届かない」という苦情が入り、調べてみると、担当者が発送ミスを犯していたことが判明した。

そんなとき、「しっかり確認しなきゃダメじゃないか」と叱る上司もいれば、「また、うっかりミスだろう。何年やってんだ」と𠮟る上司もいる。

部下の叱り方としては、前者の方が数段上といえる。前者が、ミスという行為だけを叱っているのに対して、後者は人柄や人格まで叱りつけている。

人柄や人格まで否定されると、部下は反発を覚えるか、萎縮してその上司を怖がるようになってしまう。

叱る目的が部下を育てることであれば、その行為だけを叱り、人柄や人格におよぶ言葉を注意深く避けることだ。

○他人と比較する叱り方には効果がない

子どもの頃、親や教師から、兄弟や同級生と比較されて叱られ、悔しい思いをした人は少ないだろう。成人になっても、大きな心の傷として残っている人もいる。

𠮟るほうは、だれかと比べたほうが、なぜ叱るか、どうダメなのかをわかりやすく説明できると思うのかもしれない。

しかし残念ながら、その思いはまったくといっていいほど伝わらない。
比較されるほうは、比較対象者のほうが優秀ということに自尊心を傷つけられ、自分が低く見られていることにガッカリもする。

人は他人と比較され、劣位に置かれると、やる気を起こすどころか、逆に反発したり、萎縮するケースがほとんどなのだ。

人の上に立つ人間であれば、他人と比較しながら叱っても、まるで教育効果がないことをはっきりと認識しておくことだ。




○ ミスを叱って、人柄を叱らず

お客から「まだ商品が届かない」という苦情が入り、調べてみると、担当者が発送ミスを犯していたことが判明した。

そんなとき、「しっかり確認しなきゃダメじゃないか」と叱る上司もいれば、「また、うっかりミスだろう。何年やってんだ」と𠮟る上司もいる。

部下の叱り方としては、前者の方が数段上といえる。前者が、ミスという行為だけを叱っているのに対して、後者は人柄や人格まで叱りつけている。

人柄や人格まで否定されると、部下は反発を覚えるか、萎縮してその上司を怖がるようになってしまう。

叱る目的が部下を育てることであれば、その行為だけを叱り、人柄や人格におよぶ言葉を注意深く避けることだ。

○他人と比較する叱り方には効果がない

子どもの頃、親や教師から、兄弟や同級生と比較されて叱られ、悔しい思いをした人は少ないだろう。成人になっても、大きな心の傷として残っている人もいる。

𠮟るほうは、だれかと比べたほうが、なぜ叱るか、どうダメなのかをわかりやすく説明できると思うのかもしれない。

しかし残念ながら、その思いはまったくといっていいほど伝わらない。
比較されるほうは、比較対象者のほうが優秀ということに自尊心を傷つけられ、自分が低く見られていることにガッカリもする。

人は他人と比較され、劣位に置かれると、やる気を起こすどころか、逆に反発したり、萎縮するケースがほとんどなのだ。

人の上に立つ人間であれば、他人と比較しながら叱っても、まるで教育効果がないことをはっきりと認識しておくことだ。

○過去の例をもち出して叱れば反発を買う

夫婦ゲンカで、妻が「あのときと同じじゃない」と怒れば、夫が「そんな昔の話、今は関係ないだろう」と反発するのは、よくあるパターン。昔の話を持ち出すのは、たいてい妻のほうで、反発するのは夫である。

しかし、その夫が、会社では、過去の例を引っぱり出して、部下を叱っていたりするものだ。「この前の件だって、そうじゃないか」と、声を荒げているわけである。

そんなとき、部下は内心、「そんな前の話、この件には関係ないでしょう」と反発しているはずである。むろん、これは下手な叱り方の代表格。無用な反発を買うばかりだ。

「人の振り見て、わが振り直せ」といわれるが、グチグチと過去を引っぱり出す妻の態度にうんざりしているのであれば、自分も過去の例をひっぱり出してはいけない。

○叱るときは怒ってはいけない

よく「人はほめて育てるもの」とか「叱るよりほめよ」といった言葉を聞くが、子どもや生徒、部下をほめてばかりいても、しっかり育つとは思えない。明らかに悪いことをしたり、ミスをすれば、叱ることも必要だ。

問題はその叱り方だが、上手な叱り方の基本は「怒らずに叱る」ということにつきる。親でも、学校の先生でも、上司でも、叱るときはたいてい怒っているもの。しかし、叱る側が感情的になると、反発を招くか、相手を萎縮させるだけである。

試しに、自分の怒りがおさまるのを見計らって、叱ってみるといい。なぜ、叱るのか、だれがどれだけ迷惑したか、これからどうすればいいかなどを、わかりやすく、説明できるものである。

「怒らずに叱る」、あるいは「怒りが収まってから叱る」。
どちらかを実践すれば、無用な反発を招かずに人を叱れるようになるはずだ。
○人前で叱ってはいけない

インドネシアで働く日本人駐在員が、暗闇で現地人グループから襲われたことがあった。その犯人を捕まえてみると、自分の部下とその友人たち。人前で叱責したことを逆恨みして、上司である駐在員を襲ったことが判明した。

インドネシアの人は、プライドが高く、人前で恥をかくことを何よりも嫌う。だから、昔から、大の大人を人前で叱ることはタブーとされているのだ。

日本でも、とりわけ若い人に、そういうプライドの高いタイプが増えている。いまや、このような事件は決して外国だけの話ではないだろう。

プライドが高く、自己評価の高い人ほど、人前で叱責されると、自分の評価が大きく下がったと感じやすい。そして、その恥ずかしさや自己嫌悪の気持ちは、自分を叱責した人へと向けられる。「人前で恥をかかせやがって」という気持ちが大きな反発につながるのである。

さらに、内向的な人ほど、その怒りがはけ口のない反発となって、心の中に沈殿していく。それがたまりたまると、やがて爆発したときには、思わぬ事態に発展しかねない。

ふだん、おとなしいタイプほど、爆発したときは恐ろしい。自分の身を守るためにも、人前で𠮟ることは避けたほうが無難な時代である。

○叱ったあとは最後のひと言でフォローを

部下や子どもを叱っているうちに、つい感情的になることがある。そして、感情が高ぶったばかりに、きつい言葉を発してしまうことがある。

そんなとき、心中「しまった」と思うものだが、腹を立てていると、「今のは言い過ぎだった」とすぐには撤回できないもの。しかし、そのまま言いっぱなしにしておくのは、さらにまずい。

心の中で謝っても、相手には伝わらない。後々まで怒りを買うことになりかねない。
内心、「しまった」と思ったときは、ひと言でもいいからフォローしておきたい。それだけで、相手の印象はずいぶん違ってくるものである。

人は、後の言葉のほうにより強く反応する傾向があるからである。
たとえば、受験生に「なんとかいけるだろうが、競争率が高いね」と言うのと、「競争率が高いね。でも君ならなんとかいけるだろう」と言うのでは、受け取る印象が正反対となる。

前者は悲観的な印象が残るが、後者は楽観的印象が残る。先に悲観的な話をしても、あとで楽観的なひと言をつければ、全体の印象として、楽観的なメッセージと受け取られることになる。

だから、つい感情的になって、きつい言葉を浴びせたときも、その後のフォローが重要になる。かける言葉によっては、「自分のことを真剣に考えてくれているんだな」と、逆に相手の感謝の気持ちを引き出すことも可能だ。

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