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有名人の死から「死」を考えるコミュのチャーリー・パーカー/ジョン・カザール

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チャーリー・パーカー
(1920年8月29日生)

アメリカ合衆国のジャズのアルトサックス奏者


 子供の頃より、並外れた音楽の才能があった形跡はなく、彼に大きな影響を与えたのはインプロヴィゼーションの基本を教えた、若きトロンボーン奏者だった。

 1945年から1948年に掛けてが活動の最盛期であり、天才的なひらめきを伴ったそのアドリブは伝説化している。

 1945年、若き日のマイルス・デイヴィスを自分のバンドに起用した。1947年にはマイルスの初リーダー・セッションもサポートする。

 若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、幾度も精神病院に入院するなど破滅的な生涯を送った。

 1940年代末期以降は演奏に衰えが見られるようになった。衰弱により心不全で早世した。享年34。


1955年3月12日逝去(享年34)

コメント(1)

 
ジョン・カザール
(1935年8月12日生)

アメリカ合衆国の俳優


 マサチューセッツ州ボストンのイタリア系の家庭に生まれたカザールは、東部の名門であるオバーリン大学とボストン大学で演劇を学んだ。

 10代の頃には後に『ゴッドファーザー』などで共演することになるアル・パチーノと親交を結んでいる。

 イスラエル・ホロビッツの「The Indian Wants the Bronx」に出演し、1967〜1968年シーズンのオフ・ブロードウェイにおいてオビー賞を受賞した。

 1972年にはフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ゴッドファーザー』にフレド・コルレオーネ役で出演した。映画は興行、批評の双方で大きな成功をおさめ、友人のアル・パチーノ等と共に無名俳優から一躍スターダムにのし上がった。

 1975年には『狼たちの午後』で再びパチーノと共演し、こちらでも自身がゴールデングローブ賞にノミネートされるなど成功を収めた。

 1978年の映画『ディア・ハンター』の制作が始まっていた時には彼は既にガンの診断を受けていた。病気を知らされた制作者のユニバーサル・スタジオは彼の出演に難色を示したが、監督のマイケル・チミノや共演のロバート・デ・ニーロ、そしてこの作品で知り合い婚約したメリル・ストリープらの尽力により映画の制作は続行された。

 映画の制作終了後、封切りを待つ事なくカザールは骨腫瘍により42歳で死去した。


1978年3月12日逝去(享年42)

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