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有名人の死から「死」を考えるコミュの手塚治虫

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手塚治虫(1928年11月3日生)

漫画家、医学博士である


 戦後日本においてストーリー漫画の手法を確立、現代にまでにつながる日本の漫画・アニメ表現の基礎を築き、存命中から「漫画の神様」と評された。

 大阪府に出生、5歳から兵庫県宝塚市に育つ。旧制中学で大戦期を過ごし、大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』で漫画家としてデビュー。

 1947年、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新宝島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。

 1950年より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけた。

 1963年、自作をもとに日本初のTVアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながるTVアニメ制作に多大な影響を及ぼした。
 1960年代後半より一時低迷するも、『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などにより復活、また『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画においても傑作を手がけた。

 1988年11月、上海でのアニメーションフェスティバルからの帰国と同時に体調の悪化により半蔵門病院に入院、胃癌と判明する。
 病床でも仕事を続け、昏睡状態に陥るようになってからも意識が回復すると「鉛筆をくれ」と言っていたという。このため最期の言葉のようなものは残さなかった。

 翌1989年1月21日に手塚プロ社長が見舞いに来た時には「僕の病状は何なんだ、君聞いてきてくれ」と頼んでいたという。胃癌ということは伏せて聞いた事を話すと「そうか…」と一言言ったという。

 1月25日以降昏睡状態に陥る。そして、1989年2月9日午前10時50分死去。享年60。
 その死によって『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』『ネオ・ファウスト』そして『火の鳥』などの作品が未完のまま遺された。亡くなる3週間前まで書かれていた自身の日記にはその時の体調状態や新作のアイディアなどが書き連ねられていた。


1989年2月9日逝去(享年60)

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