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有名人の死から「死」を考えるコミュのトーマス・エジソン

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トーマス・アルバ・エジソン
(1847年2月11日生)

発明家、起業家


 生涯におよそ1,300もの発明を行ったアメリカ合衆国の発明家、起業家である。

 オハイオ州で7番目の子供で生まれ、7歳の時にミシガン州に移る。

 小学校に入学するも、教師と馬が合わず中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにすることができず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、国語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問するといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発していたという。

 その様な好奇心は学校内に止まらず、「なぜ物は燃えるのか」を知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させてしまったこともあった。
 これららが重なった挙句、最終的には担任の先生から「君の頭はどうかしてる」と吐き捨てられ、校長からも入学からわずか3ヶ月で退学を勧められたという。

 学校だけではなく、父親からも見放されたエジソンは、勉強は小学校の教師であった母親に教わった。母親は教育熱心だったらしく、エジソンは家の地下室に様々な化学薬品を揃えてもらっていた。

 このような少年時代を送ったが、母親も手伝いその後発明を複数行い、1877年に蓄音機の実用化で名声を獲得。

 研究所で電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離符、電灯照明等を矢継ぎ早に商品化した。

 なかでも注力したのは白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。
 そして白熱電球の売り込みのための合弁会社を成立。直流の電力を供給するシステムを確立させる。

 鉱山経営等にも手を出すが失敗。高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に篭り死者との交信の実験を続ける。

 1914年12月に研究所が火事で全焼し約200万ドルの損害を蒙ったが、臆せずその後も死者との交信についての研究を続けた。

 1931年10月18日、84歳でその生涯を終えた。

 エジソンの死に際し、全米ではエジソンの功績を讃え、彼の死を弔うため1分間電灯が消された。しかし、その情報がしっかりと行き渡っておらず、突然の停電にパニックになった地域もあった。


1931年10月18日逝去(享年84)
 

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