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早稲田大学合唱団コミュの合唱団用語の基礎知識

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合唱団員として、これだけは知っておきたい単語、フレーズを上げるトピック。
昔の団員名簿のパクリです。
つか、今の団員名簿とかでやってるのかな?
(→健在のようですね。)

例)
エスプレッシーヴォ【espressivo】
表情豊かな。感情を込めた。志朗先生の得意技。チェロバージョンなどバリエーションがある模様。
類義語:シビレッシモ

コメント(67)

テナー間恋愛…

それが禁止されたのは3年前のサマコンからです。
今は亡き某氏が旅先での、とある出会いと事件の話をしたところ、部屋中のみんながそいつの布団から遠く離れた場所に引っ越したことから始まりました。

ちなみに現在は麻雀の時にだけ復活します。
「いっそのこと飛ばしてあげる」という、とても攻撃的な愛となっております。
…そんな、深〜い話があったのね(^^;)
二年のパート部屋では色んなことあるなあ。自分の時は二年男声だけ別館に移され、やんちゃなことしてました…。それは、もう…(自主規制


最近は廃れてきてるけど、サマコンの一年男声と言えば、これでした。

タコ部屋【たこべや】
サマコンで一年男声全員が寝ることを余儀なくされる部屋のこと。アタリ報告会も行われたり、宿によっては食事もここで取ったりする。長い期間押し込められることで、一年男の仲は、ぐっと狭まった!?
最近某SNSで判明したトリビアを一つ。

団長【だんちょう】
早稲田大学合唱団最高責任者。大学に申請する書類上は「幹事長」。
みんなのアイドル。団の顔。
業務としては、練習後の連絡、誕生日の仕切り、エール、夜の歌での挨拶など盛り上げ役が多いが、実は退団、休団届の受理役などシビアな役もある。
団長挨拶などで「第○代目=○期生」で「第○代目団長」と名乗ることが多いが、
例によって創期の代に団長(当時は運営委員会委員長)がいるので、
正確には「団長の代=その人の期生+1」である模様。
つまり本年度の団長は正確を期するならば第51代団長ということになる。
ちなみに23期、24期生が幹部の年(正確な時期及び改称の詳しい経緯は不明)より前は「委員長」という名前だった。

関連→誕生日
さて問題。
団長が退団したくなったら誰に退団届けを出すんでしょうね。

いやいやO坂を追い落とそうだなんてこれっぽっちも考えてないからね・・・!
>>さんぽさん
ダンチョが断腸の思いで退団するときは総務に言えばいいんですよ(と思い込んでいました)
総務が副幹事長ですから。

それとDの解説、書いていてくれていましたね。
でも少なくとも2005サマコン中もは「独身」という言葉は存在していましたよw(なんせ某部屋が・・・)
 テナー愛は今現在存在していると強く感じます。。。
「愛」で思い出しましたけど
「ウザい愛」ってさすがにもう通じませんよね?
現役の頃、アルトの連帯を表すのに「アルトのウザい愛」とか言ってました。
あふれんばかりの愛、という意味です。

もう時効かと思うんで言っちゃいますけど、
当時46期内某カップルが、はた目から見てあまりにウザかったのです。
当時彼氏がいなかった私は同期アルトとそいつらの噂をしている時に
「あの二人ってウザいけど、あんな風に愛されてみたい!」
という方向に話が流れ、
「ウザい愛が欲しい!」
で、「ウザい愛」という言葉ができました。
↑どのカップルかこっそり教えて。
だいたい見当はつくけれど。

ウザい愛、なつかしいね。
学生注目!【がくせいちゅうもく!】

なんだ〜!
↑あっ、懐かしい!
今でも言うんですね☆
面大将【つらたいしょう】
ルックスNo.1の人。合宿の夜などに、(主に期生内で)誰が面大将か論議されることが多い。「中身は置いといて…」というのがミソ。
創立時から使われている古典的なものを。
中古【ちゅうぶる】
早大合唱団に丸一年以上在団している団員。「新入生」に対する言葉。
学年が2年生以上であっても、在団一年未満の者は「新入生」となる。
中古と新入生の最大の差は、サマーコンサート合宿の「あたり」の時間におやつをおごってもらえるか否か。
かつては定演前日に全員でうなぎを食べて精をつけるイベントがあったが、これは新入生がおごってもらえる最後の機会となった。
なお、「中古」を最初に使ったのは創期委員長(=団長)の樋口二郎さん(故人)である。

【あたり】
サマーコンサート合宿中、開催地の街頭で、通行人に声をかけ、チケットを販売する行為。近年は地元民の警戒心が増し、困難になっているかもしれない。1970年頃には確実に使われていた用語。
なお、稲門会を通じ地元企業や有力者にチケットをまとめて買ってもらうことは「おろし」という。サマコン担当総務の腕の見せ所。

【ばかき血】
慶應義塾応援歌「若き血」の替え歌。
早慶戦で、慶應が得点したときに歌われる「若き血」を聞くのは腹立たしいものである。そこで、早大合唱団(の一部学生)は、それにあわせて替え歌を歌い、溜飲を下げたのである。
本来「若き血に燃ゆる者 光輝(こうき)みてるわれら」という歌いだしが「ばかき血に燃ゆる者 狂気みてるやつら」となる。
50年前から歌われている。

・・・長くなるので、とりあえずこの辺で。
50年前の創期の時代から「中古」はあったんですね(@O@)
驚きです〜。

>>「若き血」を聞くのは腹立たしいものである。
淡々とした断定調に思わず吹きましたwww

でわ、中古が出たので、それに関連して一つ。(団員名簿から引っ張りだしてきました)

新古【しんぶる】
新入生なのに中古っぽい人のこと。毎年誰かしらいる。
中古に混じって新歓したりもする。中古だと勘違いする新入生多数。
強弱記号【きょうじゃくきごう】
p(ピアノ、弱く←イタリア語、以下同じ)とf(フォルテ、強く)を基本として、m(メッツォまたはメゾ)を付けたり、重ねて最上級にしたりして、最低6段階の強弱の区別がつけられる。
(pp<p<mp<mf<f<ff)
作曲家によっては3つ以上重ねる者もいる(チャイコフスキーは「悲愴交響曲」でpを六つ重ねたpppppp)。

鍵盤楽器「ピアノ」の由来は、強弱を付けづらいチェンバロに対し、自由に強弱が付けられる楽器=「ピアノフォルテ」という名前が短縮されたものである(本当)。

1990年、ある曲の練習中、pの指定なのに、がなりたてる新入生テナーがいた。業を煮やした学生指揮者が「お前、この記号(p)、意味わかってる?」と聞いた。新入生はきょとんとして答えた。「パワー」。

1995年には、fを「フォース」と読み替える者も現れた。合掌。
mp:モア・パワー
pp:パワー・プラス

ワセグリのノリですね(笑)
Sampoさん、こんばんは。90年の「パワー」の新入生は「天然」です(のち団長に)。95年の奴は意図的です。ffを「ダブルフォース」とか言ってたし(のちテナーパトリ)。

そういえば、私の頃、団長の義務(不文律)は「練習全出席」でしたが、今はどうなんだろう。
団長になるやつのキャラクターは変わらないんですね〜
mpって、「マックス・パワー」ではなくて?
えっ!?「マッタリ・パワー」じゃなかったんですか…?
ハッタリ・パワーならテナーの得意技ですが(笑)
自分の時は、ハッタリでかわすというより、合宿時「テナーさん以外座っていいよ♪」と学指揮に言われ、練習時間独占してみたり、誰も頼んでないのに、飲みでテナー芸で次々と自爆し続けるテナーの印象が強いので、マゾパワーでしょうか(つか、マゾピアノ?)。
今年度版の用語集より

最高!【さいこう】
パートで気勢を上げるときのかけ声。主に団結式で使われる。
「ソプラノ最高!」

最低!【さいてい】
パートで気勢を上げるときのかけ声。主に団結式で使われる。ベース専用。
> 三部作の楽譜
そういえば、新勧の出店で暇つぶしに楽譜の清書をした覚えが...。
あれってまだ使われているんですか?
当時はPCなぞ触ったこともなかったので、手書きでしたねぇ。
今なら楽譜作成ソフトに打ち込みますな。
笑い猫様
そう、50周年パーティ(2003年)の、校歌全員合唱で使うために、当時の現役に見せてもらったら、私たちが作ったそのまま使われてました…。ありがたいことです。確かに、今なら便利なソフトがいろいろありますねえ。

Sampo様
「最低」は大笑いですね。
(書き込みをいったん削除し、一部修正して再投稿しました。そのため、2件コメントが先行しています)

三部作・四部作【さんぶさく・よんぶさく】
早大合唱団の愛唱曲。「早稲田大学校歌」「紺碧の空」「早稲田の栄光」で「三部作」、「夜のうた」を加えて「四部作」という。

 校歌の編曲者は不明だが、50年前の創立当初、ほぼ現在に近い編曲が使われていた(その楽譜も現存する)。後年、細部に変更が加えられたのが現行の編曲。変更の時期・変更者は不明。

 「紺碧」「栄光」の編曲者は、「題名のない音楽会21」「世界一受けたい授業」「たけしの誰でもピカソ」などに出演して、現在すっかり全国一般におなじみとなった、作曲家の青島広志氏ご本人である。
 1977年、早大合唱団では佐藤眞(しん)のカンタータ「土の歌」(終曲はあの「大地讃頌」)が年間課題曲で、当時芸大の学生だった青島氏がピアニスト(アルバイト)として呼ばれていた。そこで当時の合唱団が「紺碧」「栄光」の編曲を青島氏に依頼、アルバイト料程度のギャラで編曲が完成した。現在では凝った作曲・編曲で知られる氏だが、ここではシンプルな和音と技法に徹しており、それが愛唱曲としては大変好ましい結果をもたらしている。
 なお、青島氏はその年の定演本番、よりによって「大地讃頌」で大ミスタッチ。以後早大合唱団からお呼びがかかることはなかった。

 現在(私の知る限り、2003年までは)現役の使用している三部作の楽譜は、音符書きを38期笑い猫さん、文字の切り貼りを私が担当した。また余談ですが、早慶戦に勝った時歌う「栄光」に対し、負けたとき歌う「えんじの唄」の編曲もあるので、よければ使ってくださいね。


夜のうた「3番」【よるのうたさんばん】
 2番の後、団長挨拶のために、ハミングで歌い続けること。
 かつては、「さびしいけれど」の前まで、約20秒間のみをハミングし、団長挨拶もそれに収まるように手短に行われていたが、40期の団長がその慣例を破り、延々としゃべり続けたことから、それ以降は団長に好きなだけしゃべらせてあげているようだ。

寺嶋陸也【てらしまりくや】
 作曲家・ピアニスト。合唱曲から管弦楽まで幅広い作品を手がける。また、ピアニストとしても優秀で、自作自演はもちろんのこと、各種の伴奏でも多忙である。最近は、2005年Nコン高校課題曲「風になりたい」を作曲した。
 
 父上は早大合唱団4期、母上は早大合唱団3期。つまり、早大合唱団がなければ、寺嶋陸也はこの世に存在しなかったのである。
>>スカイさん
思わず「へぇ〜」と言ってしまいました。
(特に青島広志の編曲の話、無名時代の作品なんですね)
前回、前々回の投稿もそうでしたが、スカイさんの投稿は
合唱団50年の歴史が刻まれていて奥が深いです。
(決してムダ知識ではありません!w)

>>50周年パーティ(2003年)の、校歌全員合唱で使うために、当時の現役に見せてもらったら、私たちが作ったそのまま使われてました…。
自分はその2003年度卒業なので、2004年以降は分かりませんが、
そのままコピーして使ってるんではないかな〜と思いますが、どうでしょう。
「夜のうた」、ああ、なつかし〜。そうそう、途中ハミングになるんですよね。私たちのころは、約20秒だったわけですね。

 でも、歌い出しの歌詞が思い出せない。(笑)サビの部分はなんとなく覚えているんですけど。なんせ、卒業してから2●年経つので。。。 どなたか、教えてくださーい。

 自分勝手な書き込みですみません。<(_ _)>
>いずみさん
「暗い地球に灯りがともる」です。
2番が「霧が川から静かにのぼる」です。
なつかしいですね☆
 ジャスミンさん、ありがとうございます。
 思い出してきました。なつかしいです。
 歌そのものより、「夜のうた」を歌っているときの仲間たちの姿が浮かんできます。
 いずみさん、こんばんは。ジャスミンさん、ご無沙汰です。
 lincolnさん、過分なおほめですがありがとうございます。

「夜のうた」前半、早めに口ずさんで時間を計って見たら、25秒ありました・・・(汗)。これだけあればけっこう喋れるかも。
 イベントの最後の締めとして、夜のうたを肩組んで歌うと、何ともいえない余韻に浸れますね。いい愛唱曲を持ったものだと思います。

 「三(四)部作」といえば付き物なのが、
【エール】
 団長のお仕事の一つ。飲み会の締めに四部作のどれかを全員で歌った後、団長は、応援部リーダー風に手振りを交えて「フレー、フレー、○○○」と叫ぶ。直後の「ソレー」を全員で叫ぶのが合唱団流。うたごえ運動期にはなかった習慣のようなので、25〜30期頃始まったと思われるのですが・・・、いずみさん、どうですか。
 
○○○には「早稲田」か「合唱団」が入るのが一般だが、その会の趣旨に応じいろいろ変わる。お店で歌わせてもらえた時は(最近は貴重なようですね)、お店の名前を入れてお礼に代える(フレーフレー養老、など)。
 
一つの型を厳格に受け継ぐ応援部に対し、早大合唱団ではそれぞれの団長の個性発揮が尊ばれる。36期ローバスの団長から37期トップテナーの団長へ代替わりになったときなど、これから一年どうしようと思ったほどのインパクトがあった(まあ、何とか慣れましたけど)。そういうわけで、定演コンパでの新団長お披露目は毎年見ものなのである。最近の団長さんたちの個性はどうですか。
スカイさん、こんばんは。

私が入団したときには既にありましたよ。応援部リーダー風。
ですから、25期より少し前に始まったのだと思います。(私は27期です。(-_-;))

ちなみに、27期の団長は、「与作」でした。歴代の団長の中では、ソフトなタイプの団長だったと思います。「フレー」のところ、迫力がなくて、からかわれていたのを覚えています。(笑) 
47期の団長はトップテナーでした。
自分達が知っている44期から、ずっと団長はバリトンから出ていたので、
その彼が候補に挙がった時は、あんまり歌ってる印象ないし(ぇ)、
キャラ的にも皆を引っ張ってくタイプではなかったので(ぉぃ)、
彼がエールを切れるのかどうか役職会議で真剣に議論したというのは内緒の話ですw

そんなエール問題で不安だった彼でしたが、
いざ新団長お披露目でのエールは、なかなか堂に入ってて立派なものでした。
この一年間大丈夫だと確信出来た、そんな感動のエールだった記憶があります。
以後、彼は「ワンダーボーイ(驚異の少年)」の異名をとり、
決定力不足のチーム(同期)の期待を一身に受けながら、
一年間ピッチに立ち続けたのでした(笑)
(一部修正の上再投稿です)
いずみさん:情報ありがとうございます。「うたごえ」を抜けた直後から、エールは始まったということでしょうか。

27期、47期、それぞれいい味出してますね。静かなドラマがあったんですね〜。

さっき書き足りなかったのですが、36期団長Dさん(ローバス)は、合唱のバスの声でエールをやったため、「超低音エール」と言われました。それが37期ぴかさんになって、声がめちゃめちゃ高くてデカくていらしたので、「耳に痛い超音波エール」として一時代を築きました(笑)。←人格とは無関係です。よい方です。

わが38期の団長N君は、セカンドテナーで高さも声量もほど良かったので、「耳に優しいエール」と言われました。手振りに合わせて若干のけぞるのが彼流。人望も厚かったと思います。
>りんくん
あ、俺、その団長のお披露目エールで泣いた。
オっぽいウ【おっぽいう】
ヴォカリーズの「ウ」「U」「woo」などがでてきたときに、日本語的な「ウ」ではない西欧語的な「U」であることを指示するのに使う。うたっているうちにほとんどオになってしまうことも。
ドイツ語の「ü」やラテン語の「y」が出てきたら「イっぽいウ」と言うのかというと、最近は扱わないので耳にする機会はない。
>>Sampoさん
合宿、お疲れ様です〜。
自分はひたすら「オ」で歌った曲として『心象の海』の終曲を思い出します。
一部、高い箇所、オも飛び越してアになってたような気もしますが(^^;

最初、【】内見た時、ちょっとドキドキしちゃいました☆
>>
最初、【】内見た時、ちょっとドキドキしちゃいました☆

ありますよね、そういうの(笑)
「次の言葉の『い』を『お』に置き換えて読んでください――『いっぱい』」とか!

アワアワ【あわあわ】
動転してしどろもどろになった様子。ただし、アワアワだと言われる資格があるのは可愛い女の子だけ。ごつい男が動転していても単にきょどってると言われるのがオチである。
そういえば、と思い3年ぶりの投稿。
このトピック、機関紙がネタに困ったときは埋め草記事に使えそうなので、せっせと充実させておくのさ。

泣きダルマ【なきだるま】
現在は部室に飾られている、特大サイズのダルマ。両目とも、白目部分を残さず墨汁で真っ黒に塗りつぶされ、左目(向かって右)からは付けすぎた墨汁が涙のように垂れているので、この呼び名がある。

元々は、1992年上田市でのサマコンの際、地元の稲門会がサマコン成功を願って製作してくれた、いわゆる必勝ダルマ。正面中央(顔の下)には「早大(タテ書き)合唱団(横書き)」と大書され、顔の両脇には「青春讃歌」「○○○歌」(←★失念。誰か補足してください★)と金文字で書かれている。

まずは、サマコン合宿開始時、慣例通り片目(右目)を普通に入れた。ところがサマコン終了直後、打ち上げの席で、当時のサマコン担当、37期久田健司氏が、勢い余って左目に思い切り墨汁をつけてしまい、上述のような墨の涙が流れてしまった。その後右目も左目に合わせて白目を完全に塗りつぶし、現在見るような姿になった。

とまあ、このエピソード、現役世代はご存じなんでしょうか。
その後、泣きダルマは処分されていたことが判明。惜しい気もするが、まあ、張り子を15年以上もとっておいても仕方ないしね。

あと、団長のエールも、現在は屋外やお店で歌うことが皆無になったのに伴い、自然消滅したようです。

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